心に残る一冊 その32 「深い川」と遠藤周作

日本人の大半は汎神論者であるといわれます。仏教も神道も儒教もキリスト教もすべて受け入れる寛容さがあります。別な視点からすれば「節操のなさ」とか「いい加減さ」があります。特定の宗教に深くは帰依せず、にもかかわらず全てを受け入れるのです。日常は「仏」や「神」や「愛」など深くは考えずに暮らしています。それを美徳とするのです。他方、キリスト教やイスラム教は唯一神であり、他の宗教と友誼の関係を持っても教理においては妥協しないという特徴があります。

遠藤周作のことです。かれはカトリック教徒といわれます。ですが彼の作品を手にすると登場する主人公には、誰もを「そうだ、そうだ」と納得させるような「仏」や「神」や「愛」についての説明があるような気がします。この「深い川」という作品も、ガンジス川の持つすべてを包み込む母のような偉大さをみる遠藤の感性を表しています。この作品は1993年に書き下ろされたものです。「深い川」とは黒人霊歌で出てくるヨルダン川(River Jordan)ではなくガンジス川(Ganges)です。この川とはキリスト教と仏教の考え方を隔てるものと考えられているようです。

主人公磯辺はごく普通の父権的な家庭人であり夫でありました。しかし妻は臨終の間際にうわ言で自分は必ず輪廻転生し、この世界のどこかに生まれ変わる、必ず自分を見つけてほしいと言って亡くなるのです。そこであるインドツアーに参加することにします。ボランティアで妻の死ぬ間際まで介護したのが美津子です。彼女はかつてキリスト教系の大学を卒業しています。学生時代には複数の男性の心を弄びます。その中に神父を志す男子学生の大津がいました。

美津子もまた、旧友との同窓会で大津がガンジス川の近くにある修道院にいるという噂を聞き、大津の持つ自分にない何かを知りにインドツアーに参加します。ガンジス川の水は全てのものを浄化するため、この世の苦しみから解き放たれ、解脱できると考えられています。遺体を燃やして灰にし、ガンジス川に流すことは、ヒンドゥー教徒(Hindu)にとって最大の願いといわれています。大津は、インド中から集まってくる貧しいために葬ってもらえなかった人たちの死体を運び、火葬してガンジスに流す仕事をしています。やがてある日、懐かしい美津子と出会うのです。