ユダヤ人と私 その9 Hannah Arendtと「凡庸な悪」

アドルフ・アイヒマンの裁判は1961年4月にエルサレムで開始されます。この様子は世界中に報道されます。罪状は「人道に対する罪」や「ユダヤ人に対する犯罪」ということです。

ユダヤ系のアメリカ人であるハナ・アーレント(Hannah Arendt)は、原告と被告とのやりとりを傍聴し、その記録を精査しながら、1961年に雑誌「The New Yorker」において、「エルサレムにおけるアイヒマン:凡庸な悪」と題して投稿します。その中で、被告は思考を停止した「凡庸な悪(Banality of Evil)」を実行した人物であり、命令を忠実に実行し、その行為と結果になんらの評価もせぬ一凡人であり、弾劾するに値しない人物だと看破するのです。

この裁判は、世界中の人々の監視にさらすことで公正な裁き期そういう意図ですが、アーレントはセンセーションを煽るようなこのような裁判に疑問を投げかけます。こうして彼女は、ホロコストの犠牲者に対する冷酷で憐れみのない人間として、同胞やの友人から強い批判を受け、教鞭をとっていたニューヨーク市内のThe New Schoolからは辞職を勧告されます。だが彼女の信念は揺るぎません。

「人間は人道的、技術的な知力を身につけるにつれ、行動の結果を制御する能力がなくなくなるパラドックスに直面する存在である」とアーレントはいいます。このパラドックスは現代においても私たちを脅かし続けています。例えば、核開発競争と平和運動であり、自由貿易主義と保護貿易主義のせめぎ合いといったことです。