国語辞典と広辞苑を長く使っているが、いずれも岩波から出版されている。なぜか昔から信頼が置ける出版社という観念がある。大学で使った参考書などずいぶんお世話になった。新書も充実している。「広島ノート」、「憲法とはなにか」など忘れられない。
「のぎへん」である。穀物の総称とか代表して使われたとある。後々、稲を意味するようになった。
家の近くにある和食堂の名前が「穣」。毎日のように通りすがるので漢字を覚えて書けるようになった。「豊穣」という熟語は米のなり具合を農民が喜ぶ様を示すようだ。画数も多いが大事な漢字だ。
「私」とか「和」は画数が少ない。「禿」とくると少々辛い気分だ。
穀物を意味するだけあって、「租」、「税」という漢字も関連している。「租」はもともと「みつぎ」という意味である。米で年貢を払っていた。土地の大小、年貢の量などは日本の封建制度を支えていた石高と関連している。玄米の収穫量のことが石高。
「稽古」という熟語は穀物と関連はないようだ。「稽」という漢字を調べると、「考える」、「比較する」という意味もある。「とどこおる」ともあって少々驚く。毎日囲碁の稽古に余念がないのだが、上達への「径」は厳しいものがある。
穀物に戻るが、今春は稀代の大雪が見舞ったので水は十分だと思うが、、穏やかな秋になって稲穂が垂れるのをみたい。
2月の大雪で農家に多大な被害がでました。拙宅のアパートでもこの雪害で自転車置き場の屋根が崩壊しました。それが先日ようやく復旧しました。業者は大忙しのようで、すぐ別の工事に回わるといっていました。人手と資材不足がまだ続いているようです。