手書き その16 漢字を覚える方略–みみへん

耳偏の漢字はそうは多くない。

「聞く」と「聴く」の使い方について時に考え込むことがある。ただ、熟語にするとその意味が違うことがわかる。静聴、拝聴、傾聴などの熟語がそれを物語る。最近、大学にでかけて聴講する機会がない。

教会などで聖職者を呼ぶときのことを「招聘」という。「聘」とは賢者を招くという意味らしい。このことを文書化したのを招聘状という。「是非おこしいただきたい、そしてお働きいただきたい」という書類である。英語でいえばCalling(招き、天職)である。

口偏かみみへんかは分からぬが、「囁」は誠に当を得た漢字だ。
「”まったく下々の事情をよ、ご老中はわかっていねえぜ”と江戸の町々でこんな会話が囁かれていた。」と佐伯泰英の時代小説にでてくる。天保の改革で、江戸の町と民を疲弊させいく様子を描いている。

「耽溺」は一つのことに夢中になること、他を顧みないことである。ときにこうした状態にふけったりのめり込むのも悪くはない。耽美主義(aestheticism)とか審美主義という熟語もある。伝統にとらわれない新しい芸術主義のようだが、退廃的な印象もあり筆者にはわかりにくい。

耳が聞こえないことは「聾」。以前、こうした生徒が学ぶところを聾学校といった。聴覚に障がいがある生徒の学舎である。

「聡」は、賢い、耳がよくとおる、すばやくわかる、わかりがよいとある。しばしば名前にも使われたが最近はあまり見ないのが寂しい。

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