ウィスコンシン州とジョセフ・マッカーシー その一

はじめに
 ウィスコンシン州の政治で忘れられないのは、極右と呼ばれた上院議員の存在です。その人物は、ジョセフ・マッカーシー(Joseph R. McCarthy)。1947年から1957年に48歳で死去するまで、ウィスコンシン州選出の共和党上院議員(Republican U.S. Senator)を務めたアメリカの政治家です。1950年以降、冷戦の緊張により共産主義による破壊活動が国内に広まるのではないかという恐怖がアメリカで高まっていた時期に頭角を現した政治家です。これから四回にわたり、合衆国の政治でマッカーシーがどのような影響を与えたかを考えていきます。

 冷戦状態が高まるにつれて、多数の共産主義者とソ連のスパイやシンパがアメリカ連邦政府、大学、映画業界などに潜入していると主張し、いわばレッドパージ(red purge)しようとしたのがマッカーシーです。1950年にマッカーシーの行為に関連して作られた「マッカーシズム」(McCarthyism)という用語は、反共産主義活動に適用されるようになりました。今日では、この用語はより広い意味で、扇動的で無謀で根拠のない非難、および政治的反対者の性格や愛国心に対する公的な攻撃を意味します。最終的に、マッカーシーは、彼が非難されるべきかどうかを調査するために設置された委員会への協力を拒否し、委員を攻撃したとして1954年に上院から非難され政界から追われます。

Joseph R. McCarthy

マッカーシーの経歴
 ウィスコンシン州グランドシュート(Grand Chute)生まれのマッカーシーは、1942年に海兵隊(Marine Corps)に入隊し、急降下爆撃機中隊の情報報告担当官を務めます。第二次世界大戦の終結後、少佐に昇進します。砲手観測員として12回の戦闘任務に志願します。これらの任務は概ね安全で、後に彼の英雄的行為の主張のいくつかは後に誇張または偽りであることが判明し、「テールガンナー・ジョー」(Tail-Gunner Joe)というあだ名がつけられ揶揄されたようです。テールガンナーとは爆撃機の最後尾に備えられた攻撃機を狙う機関砲の射手のことです。

 マッカーシーは1944年、現役軍人(active duty)でありながらウィスコンシン州で共和党上院議員候補指名選挙に立候補しますが、現職のアレクサンダー・ワイリー(Alexander Wiley)に敗れます。太平洋戦争が終結する1945年9月の5か月前の1945年4月に海兵隊を退役した後、マッカーシーは巡回裁判所判事(circuit court judge)に無投票で再選されます。その後、ウィスコンシン州共和党の政治ボスであるトーマス・コールマン(Thomas Coleman)の支援を得て、1946年の共和党上院議員予備選挙でより組織的な選挙活動を開始します。この選挙でマッカーシーが挑んだのは、ウィスコンシン進歩党の創設者で、ウィスコンシン州知事兼上院議員のロバート・M・ラフォレット・シニア(Robert M. La Follette Sr)の息子で、3期務めたロバート・M・ラフォレット・ジュニア(Robert M. La Follette Jr)上院議員でした。

(投稿日時 2024年9月12日) 成田 滋