北海道の開拓に尽力した外国人の一人がエドウィン・ダン(Edwin Dun)です。オハイオ州(Ohio)のマイアミ大学(Miami University)を卒業後、父や叔父の牧場で獣医学、競走馬・肉牛の飼育などを学びます。ケプロン(Horace Capron)の推薦を受け1873年北海道開拓の技術者として来日します。北海道の開拓には牧畜や農業が重要であると見通し、その筋の専門家を招いた明治政府の先見の明には感心します。
ダンは函館に赴任して近代農畜産の技術指導に当たります。後に札幌に移り複数の牧場建設に当り、牛・豚・羊などの飼育からバター、チーズ、ハム、ソーセージの作り方を指導していきます。日本初の西洋式競馬である中島競馬場はエドウィンの設計に基づいて建設されたものです。この競馬場の建設は北海道における西洋競馬の定着に大きく寄与し、さらに馬産の面においても馬の品質改良、設備や技術の向上に大きく貢献していきます。
農業分野においては、一人で馬を操る農機具や耕耘機、ソリなどを作り、洋式の大型農具を用いて農作業を行う技術を普及させたことも特筆されます。エン麦や玉ネギ、小麦、亜麻、甜菜の試験栽培にも取り組みます。今やこうした作物は北海道の代表的な農産物となりました。札幌郊外につくった真駒内牧牛場における水の安定供給のために用水路をつくり、のちに水田の灌漑用水としても利用されます。こうして稲作の定着や普及に大きく貢献していきます。