友へ

今朝、かけがえのない友を亡くした。昭和20年8月6日、広島で被爆した親友であった。そのときは9歳。それから69年間後遺症と闘ってきた。重篤な脊椎前弯症のため、家でも外出のときも毎日酸素吸入器をつけていた。5年前に同じく被爆した御母上を天国に送った。

彼の自宅には毎月一度訪ねるのを楽しみにしてきた。いろいろと語り合ってきた。その都度、被爆の体験や「ノーモアヒバク運動」などを語ってくれた。沢山の写真も見せてくれた。その中に自宅が鮮明に写る原爆投下前と投下後の写真をひろげてくれた。広島平和記念資料館にあったものを特別に複写してもらったのだという。米軍は詳細な地理を把握し、効果的に爆撃するために都市の航空写真を撮っていたのだ。誠におぞましいことである。制空権を失った日本は蹂りんされた。

写真の他に、被災者証明書の原本も見せてくれた。発行は広島市で昭和20年8月10日と刻印されてある。後年、それを資料館に持ち込むとそのコピーを欲しいというので差し上げたそうだ。それが今も資料館に展示されているという。

友人は原爆の絵を描き続けた丸木俊氏とも交友を持ち続けていた。一緒に埼玉県東松山市にある丸木美術館に連れていってもらったことがある。「原爆の図」が収められている。その前に立つと生と死が圧倒的に迫り、くらくらしそうになった。

手元に「ヒロシマ・ノート」がある。岩波新書のなかでも傑作といえる一冊である。1965年に出版された。被爆者や被爆者の治療にあたった医療関係者を取材して刊行されたノンフィクションである。戦後の平和や民主主義とはなにかを問い直している。

だが筆者には、大江健三郎氏以上に畏敬の念を抱いてきた原爆を生きる証し人であった。今、永遠の安らぎがようやく彼に与えられたと納得している。

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