ヨーロッパの小国の旅 その十七 第一次世界大戦後のブルガリア

1912年から1918にかけて二つのバルカン戦争(Balcan Wars)と第一次世界大戦が起こります。ブルガリアは第一次世界大戦ではドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー二重帝国、オスマン帝国といった中央同盟国側として参戦します。しかし、同盟国は敗れ87,500名の将兵が亡くなり、多額の賠償を要求されます。1912年から1929年にかけて争いの地域から25万人以上の避難民がブルガリアに流れ込みます。ブルガリアの賠償問題は政治と経済に大きな打撃を与えます。

スタラザゴラ(Starazagora)の古代ローマ時代の劇場

政情の不安によってツア・ボリス三世(Tsar Boris)による王政による独裁体制が敷かれます。1941年、ボリスはナチス・ドイツと軍事同盟を締結します。次いでドイツはソビエトへ奇襲攻撃作戦を開始します。この作戦名はバルバロッサ(Operation Barbarossa)と呼ばれました。特筆すべき出来事として、ブルガリアはホロコスト(Holocaust)に抵抗して本国からの移送を阻止し、枢軸国(The Axis)勢力下では戦時中ニユダヤ人の人口を増加させた唯一の国となりました。1943年にボリス三世が突然死去するとブルガリア内では反ナチズムの運動が起こります。

ヨーロッパで最も古い町のひとつスタラザゴラ

1944年にはソ連の侵攻を受け、王政が廃止され共和制が成立し、ブルガリア人民共和国としてソ連の衛星国家となります。3,000以上の旧政権の指導者や戦争犯罪人が処刑されます。ソ連の計画経済が導入され、工業化も進み国民総生産(GDP)も上昇します。1989年に共産党政権が崩壊し、2001年にはブルガリアの最後の国王であったシメオン・サクスコブルクゴツキ(Simeon Sakskoburggotski)が首相に就任します。サクスコブルクゴツキはブルガリア人民共和国成立後、エジプト、スペイン、アメリカへと亡命して1996年に帰国します。彼の手腕によってブルガリアの経済改革は回復方向に転じます。そして2007年には欧州連合(EU)へ加盟します。