心に残る名曲 その七十八 ショスタコーヴィチ その1 交響曲の作曲家

ロシアの作曲家、音楽家といえば19世紀のチャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky)、そして20世紀はショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich)といえるでしょう。もちろん他にも民族主義的な芸術音楽の創造を志向した「ロシア5人組」といわれた音楽家がいます。リムスキー・コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov)もその一人です。民族色豊かなオペラとか色彩感あふれる管弦楽曲を数多く作曲しています。音楽の特徴として、反ヨーロッパ、反アカデミズムを標榜したとされます。それは、ロシアの地からの題材やロシア民謡の要素に基づき親しみやすい作品を書くといった考えです。

ショスタコーヴィチは1919年にペテログラード音楽院(Petrograd Conservatory)に入学します。そこでピアノを学ぶと同時に作曲学の講義を受けます。1927年にはショパン国際コンクール(Chopin International Competition)で高い評価を得ます。しかし、ピアノ奏者としてではなく、作曲活動に邁進していきます。

1937年にはレニングラード音楽院(Leningrad Conservatory)で作曲部門の教師となります。1941年にドイツ軍に包囲されているレニングラードで交響曲第七番を作曲します。一時レニングラードを脱出し、そして1943年にモスクワに居を構えて本格的な作曲活動に入ります。モスクワ音楽院(Moscow Conservatory)とレニングラード音楽院の教師として復帰します。

しかし、作曲活動は容易ではなかったようです。それはソビエト政府が決める音楽のスタンダードに添った作品を書かなければならなかったからです。それでも15の交響曲、多くの室内楽曲や協奏曲などを書いています。

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