ユダヤ人と私 その37 ヴィクトール・フランクルとユーモア

1946年に出版されたナチス強制収容所での体験記が「夜と霧」(Man’s Search for Meaning)です。著者はヴィクトール・フランクル(Viktor E.Frankl)。アウシュヴィッツ–ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)から奇跡的に生還したユダヤ人の精神科医師です。
この著書の題名は、「Trotzdem Ja zum Leben sagen: Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager」。日本語訳すると『それでも人生に然りと言う: 一人の心理学者、強制収容所を体験する』となります。1956年にみすず書房から霜山徳爾氏によって翻訳されます。本邦で出版された題名は原題とは異なります。「夜と霧」という題名はナチスが出していた特別命令に由来します。夜陰に乗じ霧に紛れて秘密裏に実行され、ユダヤ人が神隠しのように消えて行く歴史的事実を表現する言い回しだ、といわれています。この著作にもユーモアが登場します。

フランクルの思想の基底は実は、収容所体験以前に培われています。それは高校時代に既にフロイト(Sigmund Freud)への手紙に論文を添付して読んで欲しいと依頼したというエピソードがあります。その原稿は2年後に国際精神分析学会誌に掲載されたというのです。それだけでもフランクの碩学さがうかがえるというものです。

フランクルはウィーン大学(Universität Wien)でアドラー(Alfred Adler)、初期現象学派の一人シェーラー(Max Scheler)、ブレンターノ(Franz Brentano)らの思想に触れていたことです。こうした著名な人々との交流の影響を受け、やがてフランクルは独自の理論を構築していきます。24歳のとき抑うつ症状のある若者のために「青少年相談所」を開設し学生や失業者の相談に応じます。

ウィーン大学病院での臨床体験を経て32歳のとき、ウィーン市内に精神科のクリニックを開業します。1941年にナチスから出頭命令がきますが、一年間の執行猶予がでます。そしてユダヤ人病院の精神科に勤務します。その間、それまで積み上げてきた事例とそれを基にして新しい理論をまとめます。それが後年に出版した「死と愛」という本です。これがデビュー作品といわれます。