ヨーロッパの小国の旅 その二十四 ルーマニアとチャウセスク

バルカン半島の中央部に位置するルーマニア(Romania)に移ります。 首都はブカレスト(Bucharest) で国の人口は1,930万人とあります。北はウクライナ(Ukraine)、東は黒海(Black Sea)とモルドヴァ(Moldova)、南はブルガリア(Bulgaria)、西はセルビア(Serbia)、ハンガリー(Hungary)に囲まれています。

ルーマニアの地理をおさらいします。国土の1/3は山、1/3は森林地帯で残りが丘陵や平野となっています。平野が広く農業や酪農が盛んで。天然資源に恵まれ、原油、金銀などの採掘が行われています。多くの川では水力発電が盛んで、黒海沿岸は貿易やリゾートとしても賑わいます。

ルーマニア人の祖先はローマ時代に遡るとされます。9世紀から10世紀に侵入したマジャル人(Hungarians)、そのほかにトルコ人、ゲルマン人などの混血や同化によって、重層的に形成されたとされる説もあるようです。ルーマニア人を「Romani」、ロムニとも呼ばれ、ルーマニア人の9割を占めるといわまれます。

現代史を要約してみます。1939年8月に独ソ不可侵条約(German-Soviet Nonaggression Pact )により、ルーマニアはイギリスやフランスとの集団的安全保障(collective security)を求めます。1940年第二次世界大戦が始まると、ソ連はルーマニアの一部を占領します。列強の領土割譲要求にたいして、ルーマニアはドイツにつき枢軸国側として参戦します。ドイツの敗退により再度ソ連に侵攻され連合国側につき、国内のドイツ軍を壊滅させたあとにチェコスロバキアまで侵攻し対ドイツ戦を続けます。ルーマニアは1944年にソ連軍に占領され、1948年にはソ連の衛星国(Satellite of the Union of USSR)となります。

元共産党本部と大統領府

1948年からルーマニア社会主義共和国の指導者となったチャウセスク(Nicolae Ceausescu )は、書記長として長年にわたり独裁政権を維持します。他の東側諸国とは一線を画して、「一国共産主義」を唱え西側との結びつきも強めたのが特徴といわれます。独裁政権の最大の罪は「知識層を庶民の敵とみなして排除したこと」といわれます。1989年12月のルーマニア革命(Revolution of Romania)によりチャウセスクは逮捕後処刑されます。そして1990年に自由選挙が行われます。2004年には北大西洋条約機構(NATO)に、2007年に欧州連合(EU)に加盟します。