心に残る一冊 その139 「若き日の摂津守」 その一 逃亡記

山本周五郎の作品にもどります。「若き日の摂津守」に収録されている作品を取り上げます。今回は「逃亡記」です。

溝口掃部は城代家老で禄は3,200石です。あつみ、みさをという18才と17才の二人の娘がいます。横江半四郎は長女のあつみと結婚することになっています。城代家老の片山主水正と一代交代の定まりなので、半四郎が溝口家を継いでも城代にはなれません。

  横江家は代々江戸邸の年寄り役で禄は1,520石。半四郎の兄文四郎が横江の家督を継ぎます。あつみとの祝言をあげるために、江戸から国許についた半四郎は掃部の屋敷で草鞋を脱ぎます。掃部は、新しい国絵図を作る仕事をしています。
「そこで早速だが、そこもとに国絵図の支配をやってもらう、、」掃部は半四郎に云います。

話がややこしくなるわけは、半四郎はもともと横江の子ではなく、長門守祐永が侍女に生ませた子だということです。長門守祐永の世子である与五郎祐刻が病弱のうえに暗愚というので、一藩の主たる資質がありません。そこで半四郎を世子にしようという計画が生まれます。この計画を現老職が探知し半四郎を亡き者にしようとします。表面は溝口の婿という触れだしで城下に連れ出し、ここで暗殺するという手筈です。

この謀殺計画を知った溝口では、半四郎を逃がそうとします。その助けの案内をするのが溝口家の奥に仕えるさとという女です。

国絵図を作る理由は、領地を接している諸侯の間に境界の争いが起こるからです。まだ測量が不十分であり、各藩の国絵図なども明確ではなかったのです。通常、分限帳といって郷村の草木や川魚の運上金などを記したものがあります。これには藩の勘定奉行の署名があれば、どの藩の所領かがわかるのです。

半四郎らが逃げている途中、領内でも指折りの豪農の屋敷にやってきます。当主は殿島八右衛門といい藩主の長門守から特別の待遇をうけています。そこの屋敷で半四郎は年貢や運上の分限帳のうち、八右衛門署名の文書を見つけます。長門守と八右衛門との結託を示すのが分限帳なのです。吉岡郷は隣藩の領分だったのですが、境論が表沙汰になった場合、この分限帳がなければ松井藩の言い分がとおるかもしれない、半四郎はそう推測します。半四郎やさとが分限帳を抱えて立ち去ると間もなく、分限帳の存在を消そうとして殿島はこの館に火を放ちます。

殿島と松井藩とが通牒していることを知ったのも、分限帳を手にいれることができたのもさとのお陰で逃げ回ったからです。半四郎は、分限帳によって松井藩の企みを潰すことに確実に勝目算があると見通します。

半四郎はさとに「嫁になるのはいやか」と申し込みます。そして、さとが実は溝口家の妹、みさをであることを半四郎は知ってびっくりします。半四郎はもともと、あつみと許嫁だったのです。あつみとみさをは、こうしたいきさつを可笑しく会話しています。そして半四郎は分限帳をもって松井藩に掛け合いにいきます。