心に残る一冊 その74 「無頼は討たず」

甲州街道、大月から半里を行くと笹子峠。右に清れつな流れを見ながら三十町で初狩という村です。山梨韮崎の貸元で佐貫屋庄兵衛という人がいました。気風も良く、金も切れ、おまけに徳性で子分の面倒をよくみていました。百人あまりの身内もでき、押しも押されぬ顔役になっていました。早くから「やくざはおれ一代限り」と宣言し、一人息子の半太郎を十五の歳に江戸の太物問屋に奉公に出していました。

庄兵衛と盃を飲み分けた弟分に猪之介という博打打がいました。鼻が大きいので「鼻猪之」といわれ、ひどく気の荒い本性です。お信という娘がいます。親に似ぬきりょうよしで、気性も優しいでき者です。猪之介は末は娘を庄兵衛の半太郎と夫婦にしようと考えています。

骨の髄までやくざに染まった猪之介は、やがてあぶれ者を身内に殖やして事毎く庄兵衛に楯突くようになります。あげくの果て、「やくざの縄張りは腕と腕でこい」とばかり縄張り荒らしをはじめます。

旦那衆の宴会の帰り道、庄兵衛は惨殺されます。噂では猪之介親分が手にかけたといわれます。半太郎が江戸から帰郷します。お身内衆が半太郎を出迎え復しゅうをしようと待ち構えます。しかし、半島は父の三十五日の席で集まった身内子分に対して、自分は佐貫屋一家をたたむと伝え、蓄えと家屋を払って子分に分け与えると云います。

「皆さん、わたしは父の敵を討とうなどとは思いません」
「なんでーざんすって?」
「やくざ渡世は初めから生命を賭けているはず。強い者が勝ち、弱い者が負ける、ただそれっきりの世界、人並みの義理や人情を持ち出すことのできない、いわば人間の道を踏み外した稼業でございましょう。斬るも斬られるのも素より稼業柄のことで、堅気の私どもから問われる事じゃありません」
「若親分!」
「おまえさん、それで口惜しくはありませんか、親を殺されて残念だとは思いませんか」
「それとこれとは話が別でございます」
「別とはどう別なんで!」
「それは云えません」
「おめえさんは臆病風にとりつかれているんだ、男の性根をなくしているんだ、なんだべら棒め!」

佐貫屋をたたんで半太郎は、それから母親とともに道外れに織物の小さな店をだします。毎日大きな荷物を背負って売り歩くのです。ある時、家に抜き身をもった男が裏の雨戸をけって飛び込んできます。
「すまねえが、ちょっとかくまってくんね、追われているんだ」
「やっ、、お前さんは猪之介、、、さん」
半太郎は猪之介を納戸に押し入れて後をしめます。そこに渡世風の男三四人が戸を蹴って踏み込んできます。
「いまここの鼻猪之の奴が逃げ込んだろう、どこへ隠した!」
「おまえさんらはどこの誰ですかい」
「誰だろうと汝の詮議には受けね、鼻猪之が来たろう訊いているんだ!」
「ええ、面倒だ、家探しをしろ!」

半太郎は殺された庄兵衛の息子であることをやくざに云います。佐貫屋の遺族の住居とは知らなかったので、やくざは出端をくじかれてしまいます。
「こりゃ悪いことをいたしました」と云いながら「野郎はどこへずらかりやがったか、」といって立ち去るのです。

半太郎のところに和田源という年寄役がきて、顔を貸して貰いたいと云います。その席に猪之介もいます。そして云います。
ふだんの付き合いどころか悪い因縁のある仲で、助けてくれた。お主の前に男の頭を下げてどんなにでもわびをする。どうか前の事は水に流して勘弁してもらいたい」
「悪かった、佐貫屋庄兵衛を殺したのはわるかった、面目ねえ、この通りだ」

とたんに半太郎の左手が伸びて和田源の腰の物をひっつかみます。
「小父さん、拝借!」というと立ち上がりざま、「父さんの敵、猪之介の首を貰うぞ」と叫びながら抜き打ちに斬りつけるのです。

「人を殺して悪かったと一度も思わぬような奴は、やくざの気風かもしれぬが、人間じゃない犬畜生だ。犬畜生を親の敵と狙う私じゃありません。だが悪いことをしたと後悔して、人らしくなれば、お父さんの仇、今こを恨みを晴らさなければなりなせん。」
「は、、、放しておくんなせ」猪之介は苦しそうに叫びます。

「いまの、いまの一言で今日までの半太郎どんの、苦しい気持ちがよく分かった私あ斬られます。これで借りが返せるんだ、、、、」
「その代わり半太郎どんに頼みがある、どうかお信のことを頼みます。あれは私の実の子じゃね、死んだ女房の連れ子、おれとはこれっぼっち血のつながりのねえ娘だ」
「き、、きいてくれるっか半太郎どん」
「、、、承、、承知だ」と云って半太郎はどうと座り込むのです。

心に残る一冊 その73 足軽槍一筋

無辺流という槍の遣い手に成田平馬という足軽がいました。武士の格好をした仲間で庭掃きか傘張りの内職をする身分です。藩の槍術指南番が金井孫兵衛。その息子に孫次郎がいます。平馬と孫次郎は小さいときから「孫やん」、「平やん」と呼んだ仲です。孫次郎は平馬の妹、近子と結婚する約束をしていました。

平馬の側をとおりかかった武士達が平馬の格好をみて、「なるほど、足軽は庭掃きや内職をしていれば御用が足りるかも知れない」と云うのです。
「ひとたび戦場となれば御馬前の駈退きにおいてもいささかも貴殿がたとは相違ないです」
「高禄をはむ貴殿がたと内職する我らと、いざ合戦の場合、いずれかお役に立つか試してみるのも一興であろう。さあ参られい、、」

十四五人いた誰も答えるものはありませんでした。冗談にしてしまうには余りに云いすぎている、といって平馬と立ち会う自信はない。みな色を変えて沈黙します。

そこに指南役の息子孫次郎が「相手をしよう」と立ち上がります。力量と技の凄さに平馬の槍が孫次郎の脛へ三寸あまり突き刺さります。
「、、、、参った」

一座の者が「おのれ、無道な奴、その足軽を生きて帰すな、斬ってしまえ!」
「何をするか、控えぬか」と物頭役の相良藤右衛門が立ち塞がります。
「しかし、このままでは士分一統の辱め、」
「無用、自ら招いた辱めでないか、裁きは藤右衛門がつける、鎮まれ!」

藤右衛門が平馬に云います。
「平馬、困ったことをしてくれたの、」
「恐れ入ります。しかしあのように足軽を辱められては黙ってはいられませぬ」
「ようよい、事情が拙者がよく存じている。だがことがこうなってはとても穏やかには治まらぬ。気の毒だが当地を立ち退いてくれ」
「些少だが、餞別だ。辞退されるほどではないから取ってくれ」と云って藤右衛門は紙入れを取り出して手早く金を包みます。
「はい、、、かたじけのう、、、、」平馬と妹の近子は藩を立ち去ります。

それから二年が経ちます。どうかしてひとかどの武士になろうと喰わずの旅を続けます。槍一筋の途はどこにもありません。ようやく信濃国松代藩へ五両二人扶持の足軽として仕えることになります。近子には「お手当は少ないが、馬廻り士分だ」と偽ります。

藩の中に武林源兵衛という八百石の御側役がいました。その倅、源之蒸は槍術の達者というので、平馬もはやくからその名を知っていました。槍もできるが、乱暴者としても評判で、家来の若者を連れて傍若無人にのし歩いています。近子の美しさに眼をつけなにかとうるさく付きまとっていました。
買い物にと出掛けた近子はなかなか帰りません。
「大変だ、お妹が武林おどら息子に、、、」
「買い物をしている途中、乱暴者の源之蒸が通りがかりに無理矢理、屋敷の中に引きずり込んでしまったぞ、」

平馬は憤怒の血にたぎります。もう松代もこれ限りだ、、、源之蒸の屋敷に着くと平馬の槍が源之蒸の脇腹に石突きを返して肋骨の三枚目から突き折ったから「うーっつ」と横にのめります。追っ手を残らず突き伏せると、近子を連れて二人は駈けに駈けます。
「お前に詫びることがある」
「松代藩に仕える時、手当は少ないが馬廻り士分だといったが、、、実は足軽奉公だった、」
「お兄様、なにもおっしゃいますな。近も薄々存じてはおりました」
「しかし、これでよいのだ。どこへ行っても足軽から武士になる機会などありはしない」
「武士を望むなら武士として踏み出さなければならない」
「今宵のことは武道の神が易きにつこうとした平馬の情心を諫める思し召しであったのかもしれない」

追っ手を怖れる兄妹は夜をついて道を急ぎます。休息していると「おーい、おーい、」という後から呼び声がします。
「や、、追っ手か、、」
ゆきの坂道を駆け上ってくるものがあります。脇に槍をかかえ右足を引きずるようにしながら、寄ってきます。十間余りの処にきたとき、平馬は愕然として「あ、金井孫次郎!」

孫次郎は親父から二百石の槍術の指南役として推挙があったことを平馬に伝えのです。そして昔の呼び名で「平やん、帰ったら近子さんを嫁にくれ!」
「あ、こいつ」
「大きな声をだすなよ、近子さんに聞こえるやないか」

心に残る一冊 その72 西品寺鮪介 針を割る

大晦日に「赤ひげ」「椿三十郎」「用心棒」など三船敏郎が出演する黒澤明監督尾作品をみました。養生所の頑固な医師、寡黙で豪快なサムライのキャラクターが三船と黒沢のモノクロの作品で圧倒的な存在感をみせていました。

さて、山本周五郎の「西品寺鮪介」という作品を紹介する二回目です。
鮪介は五十石をもって士分に取り立てられ、村の名をとって姓を西品寺、名は鮪介となり城下に家を貰って住みます。周りの者は、「ご覧なさい。あれ、あすこを通る勇士、鮪介とかいう百姓の倅でござる。あの馬鹿天狗が通ります。」というようにたちまち綽名が広まります。勇士どころか挨拶もろくに出来ぬ田舎ものです。悪童どもも「やあーまた馬鹿天狗が針を割りよるぞ」とはやしたてる始末です。ですが鮪介は石のように感じません。

あるとき、鮪介が大工町筋にさしかかると二人の武士が土器商人にいいがかりをつけるのを目撃します。
「ま、ちょくら待たっしゃれ」
「何だ、何か用か」
「へえ、おらはへ通りがかりのものだが、商人が無礼をしたとか、邸へ連れていかっしゃると聞いて、及ばずながら、はあ止めに入りやした。おらが商人になり代わって詫びるため、どうか勘弁してやってくらっしゃれ」
「貴公がこやつになり代わる、面白い」
「この場で勝負しよう」
「そりゃせっかくだが駄目ですが、」
「なに、何が駄目だ、」
「勝負をしてはやまやまだが、おらお殿様から立ち会いを禁じられているだ」
「貴公、姓名は?」
「西品寺鮪介と申しやす」
あ、馬鹿天狗と思わず一人が呟きます。

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「しからば御上意で勝負がならぬとあれば是非もござらん」
「格別の我慢をもって我ら他に望を致そう」
「どうすればいいだが、」
「我ら両名、貴公の頭を五つずつ殴る、それにてこの町人を赦して遣わそう」
「土百姓、分際を知れ!」と罵りながら、拳が空を切って鮪介を力まかせに殴るのです。

かっと眼を見開いた鮪介、空を睨んで一言、「分かった、これだ!」
呻くように叫ぶとぱっと起つなり駆け出します。度肝を抜かれた一同、「や、馬鹿天狗の気が狂った」と叫びます。
鮪介は家に戻ると水をざぶざぶと浴び、据物術の用意をします。しばし瞑目してやおら刀を上段に構え振り下ろします。「かーつ」
刃は見五に命中。縫い針は二つに割れるのです。
「分際を知れば心に執念も利欲もない。針を割るごときはすでに末の末である。これで十分だ。」

急いで許嫁のお民の家にやってきます。
「あれ、鮪さでねか」お民は云います。
「おらあ針を斬り割っただ。それでお民との約束を果たすべとやってきたんだ」
「その鍬をこっちに貸せよ、これからこの土地全部を因幡さまの上地にしてみせるだぞ」
「どりゃ、おらの仕事ぶりを見せべえか」
鮪介は侍をやめて百姓に戻ります。

それから二年後。池田光政が鮪介の畑を通ります。
「私がたの田より反辺り十二表を収穫し、大豆は五十石止まりのところを九十石も上げあした。本願を達したとは申せませぬが、いま二、三年もすればどうやら半人前の百姓になれようかと存じまする」
「あっぱれ、よくぞ申した」光政は膝を叩いて
「あっぱれ、本願成就ときけば、定めし針を割ったことを申すであろうと存じたが、収穫の自慢をいたすところ、真の極意を会得した証拠だ、光政満足に思うぞ!」

一人の百姓は百人の西品寺鮪介よりも尊い国の宝であると光政は述懐するのです。

心に残る一冊 その71 「西品寺鮪介」 仕官する

山本周五郎の「西品寺鮪介」という作品を紹介する一回目です。
池田光政の家臣佐分利猪十郎が田舎を回っていると、据物を前にして自刃を振るっている野良着姿の若者をを目撃します。眼前三尺の地上をはたと睨んで、咄嗟に「かーっ」と喚くと刀を振り下ろします。「できる!」と猪十郎は呟きます。

「はばかりながら据物とはなんでござるか」猪十郎は尋ねます。
据物とは斬らんとするもののことです。据物の意味がわかった若者は、身をかがめると地面に突っ立ってあった一本の縫い針をつまんで猪十郎の鼻先に差し出します。

「針!針を折りなさるのか、」
「三年べえやっとるが、とんとあ折れましね。なかなか真っ二つにやなんねえ。まあ、死ぬまでにや一本も割れべえかと思ってね」
この若者の名は「鮪介」、「しびすけ」と呼ばれていました。

鮪介には四年前からお民という許嫁がいました。剣術狂いの鮪介は、一本の針をうち割るまでは決して祝言をあげないと云っています。

鮪介は猪十郎の推挙によって城中に召し抱えられるという破格の扱いを受けます。競射が催され鮪介は技を披露させられます。剣法御覧という儀式です。鮪介はわら人形でも括り付けられたように黙った八方破れの構えです。まるで木偶のごとく、木剣をもつ法さえろくに会得していないのです。ですが、打ち込みの早さと殺気の鋭さ、急所にぴたりと入る金剛力によって五人を倒すのです。

光政は云います。「聞けばそのほう農家の次男とか申すことだが、武者修行は武家を望んでのことか?」
「は、はい」
「農は国の基といって大切な業だ。これを嫌って侍を志望いたすなどとは曲事であるが、たって望とあらば光政取り立てて遣わす。どうじゃ、」

こうして侍となった鮪介の家では、親類縁者を招いて二日二晩大盤振る舞いをします。酔いがまわり風に当たっているところに、嫁婿の約束をしていたお民が現れます。
「汝がお城にあがってお侍になると聞いたからびっくりして飛んできただ、本当だか?」
「本当だ、おらあもうじき侍になるだ」
「鮪さ、汝はお侍と剣術の試合をして勝ったというが、それは何かの間違いだと思わしゃらねえか?」
「現におらあ五人まで勝ち抜いているぞ」
「それは魔がさしたとでも云うべきだべ」
鮪はぎくりとします。

「勝ったのは本当かもしれぬ。けれどそれには何か訳がある。なあ、鮪さよ、侍になるなんという無法はやめてどうか、約束通りおらが婿にきてくれろ。そうすれば、わしがなんでも鮪さの思うままにするだ。針が割りたければ、一生涯割っているがいい。汝の分までわしが野良でかせぐだから、なあ、、」

心に残る一冊 その70 源八、生きて還る

本陣での評定によって武田への攻略作戦が始まります。源八は五十騎を与えられ砦の奪取を命じられます。しかし、味方の損害が刻々と増していきます。
「斬り込ませてください。もう駄目です」
「なにを狼狽える、黙れ!」
「馬鹿なことを云うな。おれの隊が本領を発揮するのはいつもこれからだ、がんばれ!」
この言葉が兵たちを奮い立たせます。

闘いが終わり、砦はどこもかしこも敵と味方の死者で埋まっています。酒井忠治は云います。「源八はおらぬな、、」負傷兵をみかけそばに近寄って声をかけます。
「そのほうら兵庫源八郎をみかけなかったか」
「存じません。ただ敵兵の中に斬り込んでいくのをちらっと見ました。それが最期でした」
「源八郎も討ち死にか、、、」
あの男もやっぱり不死身ではなかった、そう云いたいようでした。

忠治らが砦を出ようとしたとき、叢林を押し分けて一人の武者が現れます。引き裂かれた鎧兜を身につけ、返り血を浴びた姿です。

「おお、兵庫、、、、」「生きていたのか兵庫、、」忠治は感動を押さえつけた声でそう呼びかけます。
「そのほうはなにをしていたのだ、」
「誠に恥ずかしい次第でございますが、じつは兜を取り返しにいっておりました、、」
「ここから斬って出まして、敵と組み打ちになりました」
「敵はかなわないと思ったようで、逃げ出したのです」
「するとそやつの鎧の留め金にわたしの兜がひっかり、それをぶら下げたまま、逃げ出していったのです」
「わたしはその兜を返せ、とどなったのです。そして谷底まで追いかけそれを取り返してきました。誠に恥ずかしいことです」

「取り戻してきた」というところで従者の者たちがどっと笑い声をたてます。けれども哄笑する人々の中で一人だけ、「よく還った、よく生きて戻ってくれた」と呟く者がいました。眼の周りを紫色に腫らした小林大六です。

心に残る一冊 その69 「生きている源八」

時代は1570年代の元亀。徳川家康の配下、酒井忠次の部隊に属する徒士に兵庫源八郎というのがいました。短軀でどうみても豪勇の風格はありません。幾度となく合戦に参加するのですが、とりたててめざましい功名をたてたことがありません。にも拘わらずだんだんと存在が認められ、徒士組三十人頭に取り立てられます。属している部隊が激しい戦をして全滅の危機にあっても不思議と生き残って還る男です。

はじめのうちは、逃げ隠れているのではないかと悪口を云われるのですが、そうではないことがわかると注目されてきます。どんな激戦でも生きて還るのです。矢玉が雨あられと飛んでくるなかでも、決して物陰に隠れるとか身をかかめるということはしないのです。なぜ好んでそんな戦い振りをするのかと周りがききます。源八は云います。

鉄砲というものは平常落ち着いてよくよく狙って撃ってもなかなか的にあたらない。まして戦場では気があがっているので、いくら狙って撃っても当たる弾は百に一つか二つだ。だから自分はまっすぐいく。除けたり隠れたりするとかえって命中するのだ。槍も同じで突っ込んでくる槍はたいてい外れる。合戦のなかではなおさらだ。

彼のいる部隊は見違えるように活気だってきます。矢玉は除けるほうが危ないという彼の確信、人柄や徳がそのままほかの者に伝わり、指揮する一隊はいつもぴたりと一つとなり、らくらくとした戦いを続けるようになります。

長篠の戦いを前に、武田軍の配備を偵察することになります。斥候として白羽の矢があたったのが源八です。同輩に小林大六という兵士がいます。かれはつねづね源八を白い眼で見、とかく悪評をふりまきたがる男です。酒井忠次は、二人が不仲であることを知っていたのですが、源八はなぜか大六を偵察に同行させたいと申し出ます。源八にはなにか策があるのだろうと忠次は考え大六を同行させます。

源八と大六は敵陣のかがり火をめあてに、哨戒線に近づきます。「敵の前哨がそこにいる」と源八は大六に云います。大六が湧き水の溜まり顔を洗おうとすると源八は素手で大六の顔をはっし、とたたきます。「なにをする!」「黙れ!きさまはふだんにおれに憎い口をきくぞ、おぼえたか!」二人は泥まみれになって取っ組み合いの喧嘩をし始めます。

源八は「誰かおらぬか、、」と絶叫します。「誰かまいれ、曲者だだ、曲者だ、」

そこに五六人の甲州兵が現れます。「縄だ、縄はないか。こいつは徳川の忍びだ、」源八は叫びます。

源八のやり方は敵の意表をついたのです。源八と捕虜にさせられた大六の二人は歩きながら巧みに案内の甲州兵から本塁の布陣の模様を探り出すのです。本陣を望む丘で源八は甲州兵を始末して大六とともに帰還します。復命はことのほか詳細で正確。忠治はひそかに舌を巻きます。そして信長の本陣で評定が開かれ、武田軍への攻略作戦が始まります。

心に残る一冊 その68 三十年後 「青べか物語」

「青べか物語」の「私」は、三十年後に浦粕町という漁師町に戻ります。明治27年に浦安に川蒸気船が開航し、大正8年には定期船が就航して浦安-江東区間を約1時間半で結びます。発着場となった「蒸気河岸」はべか舟もひしめく大変な盛況ぶりだったようです。

 

蒸気河岸 第一江戸川橋梁(東京メトロ東西線)付近 千葉県浦安市

「私」は浦粕の蒸気河岸へ行きます。車で千本という町の前で停めると、店の前にいた船頭らしい者が「いらっしゃい、いらっしゃい、」と景気よく呼びかけてきます。釣りをするためにタクシーを乗りつける者が「カモ」であって、「私」は車を出るとすぐ彼らに片手を振って、「釣り客ではない、、」と云います。

土堤の右へおりると、その辺りはすっかり家が建ち、文化住宅ふうの洒落たアパートなどが見えます。汚く濁った下水に沿っていくと、小さな掘り割りがあり、「これが一つ汄(いり)」だと説明されていました。「え、これが一つ汄だって、これが、、」。「こんな汚い割りになっちまっただ」、「田圃ができて農薬をつからねえ、今じゃ鮒一尾いやしねだよ」と地元の人は口々に云います。

これが広い荒地の中に済んだ水を湛えていたあの一つ汄だろうかと「私」は回想します。藻草が静かに揺れている水の中を覗くと、ひらたという軀の透明な川蝦がい、やなぎ鮠だの金鮒などがついついと泳ぎ回っていたはずです。「私」が青べかを漕いで鮒を釣った川柳の茂みはどの辺りにあたるのだかと見渡します。いまでは底が浅くなり、土地色に濁って異臭を放ちそうな水が流れるでもなく、泥っと沈んでいます。

「日本人は自分の手で国土をぶち壊し、汚濁させ廃滅させているのだと「私」は思った。そんなに農薬をつかって米ばかり作ってどうしようかというのか。」

心に残る一冊 その67 「かあちゃん」

山本周五郎の作品には、市井の人びとのささやかな営み、ひたむきな女性の健気さ、道を究めようとする者の真剣さなど、人生を懸命に生きる人間の姿が描かれています。「かあちゃん」は1955年に「オール読物」に発表された読み切りの佳作です。


時代は天保の末期。大飢饉、百姓一揆、不景気など暗い事件が続きます。天保の改革の効なく、江戸庶民の生活は困窮を極めています。主人公は5人の子を持つ43歳の未亡人、お勝です。お勝と長女は裁縫の内職、長男は大工、次男は左官、三男は魚河岸づとめ、六歳の末っ子までも拾い集めた金物を屑屋に売って稼いでいます。そのくせ、近所付き合いのわずかな寄附も出ししぶるので、長屋の人たちからは「業突く張り」とひんしゅくを買っています。業突く張りとは、「欲張りで強情なこと」という意味です。

「いまにこのまわりの一帯の長屋を買い占めるつもりじゃねえのか」という悪口を居酒屋で耳にした若者が、その晩、お勝の家に忍びこみますが、初めての泥棒体験なので、すぐにお勝に足下をみられます。

「ひとこと聞くけれど、まだ若いのにどうしてこんなことをするんだい」

「食えねえからよ」「仕事をしようったって仕事もねえ、親きょうだいも親類も、頼りにする者もありゃあしねえ、食うことができねえからやるんだ」

「なんて世の中だろう、ほんとになんていう世の中だろうね」「お上には学問もできるし頭のいい偉い人がたくさんいるんだろうに、去年の御改革から、こっち、大商人のほかはどこもかしこも不景気になるばかりで、このままいったら貧乏人はみんな餓死をするよりしようがないようなありさまじゃないか」

そういってお勝は太息をつきます。
「そんなことを聞きたかねえ、出せといったら早く金を出したらどうだ」

凄んでみせる若者を前にして、お勝は「一家でせっせと貯めている理由を聞かせるから、それでも強奪するというのなら好きにしなあ、、」と言って業突く張りの事情を明かすのです。

その話を聞いた若者は黙って出ていこうとしますが、お勝は職も寝る所もない若者を引き留めます。親戚の者だといって同居させることにします。5人の子どもは母親の説明を疑わず、若者を迎えるのです。長男が若者に働き口を探してきます。家族の一員となった若者は思わず「かあちゃん」と呼んで働きに出掛けていくのです

心に残る一冊 その65 「青べか物語」

再び山本周五郎の作品です。小説の舞台は昭和初年代の浦粕町。今の浦安市にあたる漁村です。最初に芳爺さんという凡そ常識外れの年寄りがでてきて、語り手の「私」が手もなくその術策にはめられます。それは青いペンキで塗られた「べか」と呼ばれた舟を買わされるのです。「べか」とは一人乗りの底が平たい舟で海苔や貝を取ったりする舟のことです。底が薄板の舟です。たいそう変わった人々が住む町に「私」はやってきたという設定です。

よそ者とみれば骨までしゃぶられるような浦粕町です。「私」は蒸気河岸先生と呼ばれます。文筆家のような彼は「長」というしつこい三年生や「倉あなこ」という温和な青年に援けられて、次第に町の中に溶け込んでいきます。「私」とは山本周五郎のようです。山本は大正15年の春、浦安町に移ります。そして昭和4年までこの地に留まります。23歳から26歳までであったようです。昭和5年に結婚し、大森の馬込に転居します。この浦安と馬込が山本のかけがえのない青春時代だったといわれます。

「青べか物語」は作者の体験に基づいているといわれます。この小説を読んでいると、登場する「私」は山本の一つの投影だろうと察せられます。常識離れをした狡猾さや愉快さ、質朴さであふれる漁村浦安の住人に囲まれた生活振りを実にユーモラスに描いています。昭和の初め頃が舞台だったようです。その筆の使いようは山本の作品では珍しいような気がします。

心に残る一冊 その64 「クリスマス・キャロル」 (A Christmas Carol)

冷酷で無慈悲な老事業家のスクルージ(Ebenezer Scrooge)は、周りから守銭奴と呼ばれています。クリスマスの前夜、3人の精霊(spirit) によって、自分の過去、現在、未来を見せられ、罪を悔い善人に立ち返えるのが、クリスマス・キャロル(A Christmas Carol)のあらすじです。

スクルージの改心には、共同の事業者であったマーレイ (Marley)という男の存在があります。彼は死後、スクルージの前に亡霊となって現れ、生前自分が良い行いをしなかったことを後悔し、さすらいの旅を続ける苦しさを語り、3人の精霊がスクルージに現れることを告げます。

「精霊は、相変わらず身動きもしなかった。スクルージはからだを震わせながら、墓のほうへ忍びより、指さすかたを追っていくと、だれもかえりみるもののない墓石にエベネゼル・スクルージという自分の名前が刻まれてあるのを読んだ。」

スクルージの事務所には、クラチット(Cratchit)という薄給で働く事務員がいます。妻子と共に愛に満ちた心豊かな生活をおくっています。スクルージと対照させて庶民の心の豊かさを浮き彫りにします。もう一人の人物はちびのティム(Tim)です。病気がちで松葉杖にすがる身なのですが、両親や兄姉の献身的な支えによって育ちます。やがて悔悛したスクルージにかわいがられます。

「思いやりのある精霊さん」 スクルージは、いきなり精霊の前の地面にひれ伏しながら、言葉をつづけます。「あなたは、やさしい心でわしをとりなし、わしをあわれんでくださいます。生活を変えれば、あなたがみせてくださったあの影を、まだ変えることもできるのだと保証してください!」

精霊からスクルージは約束以上によくやったとほめられます。ちびのティムにはもう一人の父親となります。よき昔の世界で、よき昔のロンドンにも、ほかのどんなよきむかしの市や町や村にもいなかったような友達、よい主人、よい人間に彼はなります。がらりと変わった彼を見て笑う人もありましたが、彼は勝手に笑わせておいて、あまり気にかけませんでした。この世の中にはどんなためになることでも、はじめは誰かが笑うことを彼は賢明にも知っていたのです。

スクルージはその後、絶対禁酒主義で押し通します。彼はいつも次のように云われます。クリスマスのじょうずな祝い方を知っている人がいるとすればそれこそあの男だ、と。

心に残る一冊 その63 「オセロ」

「オセロ」(Othello)は、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)の悲劇で5幕の作品です。副題は「ヴェニスのムーア人」(The Moor of Venice)となっています。

オセロはムーア人(Moors)の歴戦の将軍です。ブリタニカ百科事典によりますとムーア人とは中世期頃、イベリア半島(Iberian Peninsula)やマルタ島(Malt)、シシリー島(Sicily)などに住むマグレブ(Maghreb)と呼ばれたイスラム教徒の子孫で、アラビア語(Arabic)を話す人々の総称といわれます。

この中年の勇士は、戦場を駆け巡り赫各たる功績をたててきます。その輝く名声のために、ベニス(Venice)の国に雇われます。そしてベニスの貴族の年若い娘デズデモナ(Desdemona)と結婚します。デズデモナは父親の猛烈な反対を押し切るのです。彼女は夫のオセロを慕い愛します。

無事に結ばれた二人の結婚生活は平穏で幸せなものと読者には思われます。しかし、無残に破綻するのです。それは、オセロの腹心の部下イアーゴ(Iago)がオセロの心に疑いの念を植え付け、やがてオセロに愛する妻への嫉妬をかき立て、不貞を確信させるのです。

オセロは軍人としてその経験からも、どんな危険を前にしても冷静さを失わないかのような存在のようですが、妻への嫉妬に激しく悩みもだえる姿は、堂々たる軍人をすっかり忘れた小人のような姿になるのです。軍人としての知略には長けていても、子どものように単純で、世の中の駆け引きには疎いのです。デズデモナに対する愛情と信頼の深さ、人種差別、愛、嫉妬、裏切り、復讐、そして悔い改めなどの感情が見事にオセロの生き方に現れています。

デズデモナの貞操(chastity)を知ったオセロはイアーゴを斬りつけます。そして自分で自殺するのです。オセロの最後の科白です。

「おまえを殺す前に、くちづけしてやったな。今、おれにできることは、こうしてみずからを刺して、死にながら口づけすることだ。」

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心に残る一冊 その62 「町奉行日記」 町奉行日記から

ある藩の江戸邸のことです。望月小平太という下級武士が主人公です。何人もが町奉行に任じられては解任されたあげく、着任前から悪評が高く無頼放埒な行動で知られた小平太に町奉行のおはちが回ってきます。小平太は着任以来一度も役所へ出仕したことがなく、夜になると役宅を抜け出し、飲酒や遊蕩に耽っています。彼は剣術にはたけていました。

壕外という一角がありました。そこは密貿易、売春、賭け事勝手な、町奉行には治外法権だったのです。主君の命令で代々の町奉行が壕外への手をつけ掃除しようとしますが、それがことごとく押しつぶされてしまいます。この壕外の撤去には国許の重職が反対していました。壕外の三人の親分が権益を握り、重職と長年結託してお互いに甘い汁を吸っていたのです。この三人とは難波屋八郎兵衛、大橋の太十、継町の才兵衛です。

重職らが壕外を潰そうとすることへの反対の理由はつぎのような言い分です。
「人家に厠が必要なように、人が集まって生活するとこには、必ず不浄な場所が出来る。それを無くそうとするのは自然に反する。」

町奉行の解任が続くなか、新たに任じられたのが小平太です。そして掃除をする番が回ってくるのです。彼は決して力尽くで壕外を潰そうとはしません。壕外をとりしきる三親分と兄弟分の盃を交わすという奇想天外な軟派政策によって、彼らを壕外から移転するのを承知させるのに成功します。三親分は家財を処理していずれかへ立ち退きます。いかなる理由かは誰にもわかりません。

小平太は役目が終わると奉行を解任されます。書役と呼ばれていた役所の記録係中井勝之助は次のように日誌に記しています。

「望月どのは着任前から悪評の高い人だったが、こんどの解任も着任以来の不行跡を咎められたらしい。それにしても着任から解任されるまで町奉行として一度も出仕されなかったのは、奉行所日記として唯一の記録であるろうと思う。」

心に残る一冊 その61 「晩秋」 町奉行日記から

山本周五郎作の「町奉行日記」からです。徳川氏の最重要拠点であった岡崎藩の重臣新藤主計は、強い義務感を持ち重税政策を藩内で実行しようとします。部下の浜野新兵衛はそれに反対し上申書を出します。ですがそれが受け入れられず切腹を言い渡されます。やがて、主君の死後、主計はお家の改革のために国許に預けられ裁きを受ける身となります。新兵衛の娘、都留は主計の世話役を命じられます。

主計は都留の父を死に追いやった張本人です。都留は母から懐剣を預かって、仇を遂げてほしいと云われます。彼女は主計の世話をしながら仇討ちをしようと考えます。都留は、自分は女であるのに父母の想いを背負わなければならないという複雑な思いを抱いていたはずです。

主計は蟄居以来、時を惜しんで文書の整理に没頭します。それは自らの失政を示す書類をつくり、裁きの場に出そうとしていたのです。それを側で見ていた都留は次第に復しゅう心が萎えていくのです。そして「少しお肩をもみましょうか、、」と主計に声をかけます。

主計は云います。
「わたしはお前を知っている。お前が誰の娘かも、、ふところから懐剣をはなさないことも、、今朝は懐剣を持っていないようではなか、、」

そうして肩をもみながら、都留と主計は庭のうつろいを見つめます。主計は呟きます。

「花を咲かせた草も実を結び枝も枯れて一年の営みをおえた。幹や枝は裸になり、ひっそりとながい冬の眠りに入ろうとしている。自然の移り変わりのなかで、晩秋という季節の美しさは格別だな」

心に残る一冊 その60 「土佐の国柱」 町奉行日記から

主人公は土佐藩の高閑斧兵衛という山内一豊の懐刀です。かつて一豊は安土の馬寄において、妻が金十両をだして良人に名馬を買わしめたというので信長の目にとまり、出世の端緒を得ます。斧兵衛はずっと一豊に仕えてきたのです。慶長五年、一豊は土佐に封じられます。長宗我部が長年領主として君臨してきた土佐です。名君として領民によって神の如く崇拝されたのが長宗我部一家です。

一豊が土佐にやってきたのですが、長宗我部を慕う土民が多く、一豊も施政の上で苦労するのです。一豊が亡くなりその息子山内忠義が跡を継ぎます。実は一豊の死に際して、追腹を切るつもりであった斧兵衛ですが、一豊から「三年待て」といわれていました。

一豊の百日忌の仏事の行列に土民の中から生魚が投げ込まれます。家来達は土民を捕らえ斬ってしまえと叫びます。そこに一豊の寵臣であった斧兵衛がやってきて、「鎮まれ!」と叫ぶのです。それは土佐の旧領主長宗我部の遺徳をいまだに慕う領民を山内側に統一せよ、と生前に一豊に言い含められていたからです。我慢せよという意味が込められていたのです。

斧兵衛は手を尽くして領民の慰撫につとめるもその効果が上がらず、藩内からも斧兵衛の手ぬるさを非難する者も多くいました。やがて斧兵衛は反山内派の豪族や残党を集め、彼らと共に山内に叛旗をひるがえそうと密謀します。斧兵衛の娘小百合がその密謀を知って隣に住む池藤小弥太に伝えたのです。実は小百合が密謀を知ったのは偶然ではなく、斧兵衛が反山内派の一味を滅ぼすための苦肉の策であることをほのめかしたのです。そして密計は発動前に発露し、斧兵衛も討手の小弥太の手にかかり討ち取られます。

最期に及んで「最早お家は万歳!」と笑みを湛えた斧兵衛を小弥太はみるのです。こうして反山内の一味は滅ぼされます。山内忠義はこれをきいて感動に震えます。そして「斧兵衛は土佐の国柱なり」と述懐するのです。斧兵衛は当家にとって格別な者であることを知ったのです。一豊と斧兵衛の心と心がかくまで触れ合うものかと忠義は思い起こすのです。

心に残る一冊 その59 「誰がために鐘は鳴る」

この作品は、アーネスト・ヘミングウエイ(Ernest M. Hemingway)の小説「老人と海 (The Old Man and the Sea)」、「武器よさらば (A Farewell to Arms)」と並ぶ名作といわれています。スペイン内戦 (Spanish Civil War)を主題としています。原題は「For Whom the Bell Tolls」。

スペイン内戦は、スペイン軍の将軍フランシスコ・フランコ(Francisco Franco)に率いられたグループがスペイン人民戦線政府といわれた共和国政府に対してクーデター(military coup)を起こすことにより始まります。この内戦は1936年から1939年まで続き、スペイン国土を荒廃させ、共和国政府を打倒した反乱軍側の勝利で終結します。それによってフランコ政権下というファシスト体制ができあがるのです。この政権はやがてイタリアのムッソリーニ(Benito Mussolini)やドイツのヒットラー(Adolf Hitler)からも支援を得て連合国と戦うことになります。

舞台は、スペイン、マドリッド(Madrid)の郊外の山中です。すでにファシスト軍の包囲にあり、共和国軍はその攻撃にさらされます。一アメリカ青年ロバート・ジョーダン(Robert Jordan)は、その激しい情熱によって、スペイン内戦に馳せ参じ共和国政府軍の義勇軍に加わり、ファシスト軍への救援を阻止するためにパルチザン(Partisan)であるゲリラ隊を指揮して山中の橋を爆破しようとします。彼の活動は4日3晩という期間なのですが、死の爆破を前に知り合ったスペイン人の娘マリア(Maria)と熱烈な恋に陥いります。

ジョーダンはファシスト軍への最後の抵抗を試みるために、マリアと別れて一人立てこもります。そして 「誰がために鐘は鳴る」は、次の文で終わります。

「ロバート・ジョーダンは木陰に伏せて、注意深く細心に気を引き締めて、両手をしっかり支えていた。彼は敵の士官が、松林の端の木々と草地の緑の斜面との境目のあたり、日の光のあたっているところまでくるのを待っていた。彼は、森の松葉の散り敷く地面に押しつけられた心臓が、激しく鼓動するのを感じることができた。」

心に残る一冊 その58 「変身」

カフカ(Franz Kafka)は、チェコフロバキア共和国(Czechoslovakia)の首都プラハ(Prague)のユダヤ人の家庭に生まれます。チェコフロバキアは11世紀頃からドイツ化が進んだため、カフカもまたドイツ語に精通していました。斜陽となったオーストリア帝国に支配されていたのがチェコフロバキアです。法律を学んで学位を取得し保険局に勤めながら作品を執筆し始めます。父親は頑健な立志伝にあるような商人だったようです。カフカはこの父の圏内に生きることで苦しめられたといわれます。

 

 

 

 

 

やがて「ユーモラスで浮ついたような孤独感と不安の横溢する、夢の世界を想起させる」ような独特の小説作品を残していきます。「変身」(The Metamorphosis)は、旅回りの布地販売員グレゴール・ザムザ(Gregor Samsa)が主人公です。いつも骨の折れる職業を選んだことを後悔しています。毎日毎日旅をしながら、商売上の神経の疲れを感じています。旅の苦労は、汽車の乗り換え、不規則で粗末な食事、絶えず相手が変わって長続きせず、決して心からうち解け合うようなことのない人付き合いをしています。

「ある朝、ザムザが気がかりな夢から目覚めたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変わってしまっていることのに気づいた。彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。」

勤めてから一度も病気になったことないグレゴールは、ベッドの上で考えます。恐らく雇い主は家に電話をかけて、どうして出勤しないのかと聞くだろう。そして、健康保険医を連れてきて、両親に向かって怠け者の自分を非難するだろうと。やがて次第に家族に疎まれていきます。

虫への変身という変わったモチーフは作者カフカの人間として境遇を見つめる姿を表しています。希望と絶望、真実と虚偽、自由と束縛、現世の生活と未来の生活、という人間のさまざまな対立と不断の緊張にある存在をカフカは描くのです。

心に残る一冊 その57 「車輪の下」

ドイツ語原題は「Unterm Rad」、英語では「Beneath the Wheel」です。作者は「郷愁」や詩集でも知られるヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)です。

ひたむきな自然児であるだけに傷つきやすい心の少年ハンス・ギーベンラート(Hans Giebenrath)は、豊かな天分を有しています。ハンスは父親や牧師や教師の野蛮な虚栄心との葛藤で成長します。周囲の人々の期待にこたえようとひたすら勉強にうちこみ、難関とされるヴュルテンベルク(Wurtemberg)州立学校の試験に合格し、14歳のときにマウルブロン(Maulbronn)神学校に入学します。

「リンゴの木の下で彼は湿った草地に横になった。さまざまな不快な感情や悩ましい不安やまとまらない考えのために眠ることができなかった。彼はけがされはずかしめられたような気持ちがした。どうして家に帰れよう?父親に何と言おう?明日は自分はどうなるだろう?彼はもう永遠に休み、眠り、恥じねばならないかのように、すっかり滅入り、みじめな気持ちになった。頭と目が痛んだ。立ち上がって歩き続けるだけの力も、もうなくなっていた。」

ひたむきなハンスが、必死になって夜遅くに机にうつ伏すまで勉強する姿、試験に通った喜びに胸を躍らせる姿、それは多くの読者に伝わります。しかし、神学校の生活は少年の心を踏みにじる規則ずくめなものでした。少年らしい反抗に駆りたてられた彼は、半年で学校を去って見習い工として出なおそうとします。しかし、その努力はやがて権威との戦いに敗れ、犠牲となっていきます。無理解な教育という車輪の下敷きになり、生活に敗れ、はかない初恋によろめき死に去っていくのです。当時のヘッセの経歴は、「車輪の下」の原体験となっていると言われます。

心に残る一冊 その56 「月と6ペンス」

「月と6ペンス」の作家はサマーセット・モーム(Somerset Maugham)。原題は「The Moon and Sixpence」 です。まずはこの小説のストーリーです。ロンドンの一株式仲買人であるストリックランド(Charles Strickland)という平凡な家庭人が主人公です。この四十男が突然ものに憑かれたように、自分は絵を描くのだと言い出し、妻子を棄てて出奔します。いろいろな徘徊を重ねて、やがて太平洋タヒチ島(Tahiti)にわたり、最後はライ病(leprosy)にかかりながら、会心の大作を残して亡くなります。

次のような情景があります。ライ病に罹ったストリックランドは自分が納得する果物の絵を描きます。側には、現地人の娘のアタ(Ata)がかいがいしく寄り添います。当時この辺の島では隔離ということが厳しく行われていなかったので、ライ病患者は自分が望めば、自由に居住することが許されていたようです。

「俺は山の中に入る」 ストリックランドはいった。
するとアタは、さっと立ち上がって、彼と向かい合った。

 「ほかのものは、行きたけりや、行かせていいけど、わたしはあんたを放したりはしないわ。あんたは私の男で、わたしはあんたの女だもの。あんたがわたしをおいて行くのなら、わたし、家の裏にあるあの木で首を吊ってしまう。神様に誓ってもいいわ。」

一瞬、ストリックランドの剛毅さがぐらつき、両の目が涙で一杯になり頬を伝わって流れます。

主人公ストリックランドの遍歴からは、人は決して首尾一貫した存在ではないこと、善人と思われる者も、実はとんでもない悪の因子を秘めていること、逆に悪人であってもどうにかすると珠玉のような善の要素をもっているのだということが語られます。表から見ただけでは人間はわからない存在であることをモームはストリックランドを通して言わせています。

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心に残る一冊 その55 「風と共に去りぬ」

アメリカ南北戦争(American Civil War)時代を舞台とするリアリズムの歴史小説といわれるのがこの作品です。原題は「Gone with the Wind」。出版は1936年です。作者はマーガレット・ミッチエル(Margaret Mitchell)。映画にもなりました。南北戦争は1861年から4年間続きます。

Olivia de Havilland and Hattie McDaniel, featured here in a scene still from “Gone with the Wind,” were both nominated in the Supporting Actress category at the 12th Academy Awards®. McDaniel won the Oscar® for her role as Mammy in the 1939 film. Restored by Nick & jane for Dr. Macro’s High Quality Movie Scans Website: http:www.doctormacro.com. Enjoy!

北軍(Union)と南軍(Confederate Army)の戦いによる南軍の敗北、破壊と再建というアメリカで最も激動の時代を描きます。そこに生きたのが、美貌で勝気な気性の少女スカーレット・オハラ(Scarette O’hara)です。彼女を巡る愛欲関係と激動する社会を南部人の立場から描いています。

ジョージア州(Georgia)アトランタ(Atlanta)は南部の心臓部です。そこに近いタラ(Tara)に大農場主オハラ家の娘がスカーレットです。しかし、スカーレットは、近くに農場を持つウィルクス家(The Wilkes)の長男、アシュレイ(Ashley)の貴族的で優雅な文化と教養に惹かれます。アシュレイにはメラニー(Melanie Hamilton)という献身的で寛容な妻がいます。

緒戦は南軍が優勢でした。綿花を中心に農業を中心として富を貯え、さらに多くの優秀な指揮官がいたこと、奴隷制を維持し南部の生き方を守る、侵攻してくる北軍から郷土を守るといった明確な目的があるため士気が高かったといわれます。戦争が長期化するにつれて、装備、人口、工業力など総合力に優れた北軍が優勢に立つようになっていきます。

もう一人の主人公がレット・バトラー(Rhett Butler)。すでに南軍の敗北を予見し、戦争を馬鹿げた浪費だといって、密輸入によって巨利をしめる大胆な男です。スカーレットの前に現れては、独特のやり方で求愛し、やがて二人は結ばれ娘をもうけます。しかしスカーレットは娘を失います。自分を姉のように慕っていたメラニーまでが流産により命を落とします。死の床のメラニーに指摘されて初めて自分が愛しているのはアシュレイではなくレットだということを自覚します。

メラニーによって、スカーレットはそれまで何かを探していた自分のその何かがようやく見つかったと思い急いで帰宅し、レットに愛を打ち明けるのですが、レットはすでにスカーレットに疲れきっていました。もはやスカーレットを愛してはいないことを説明し、故郷に帰ってしまいます。娘とレットとメラニーを失い、ついに孤独となったスカーレットは、タラの地にて再出発の一歩を踏み出そうと決意します。

心に残る一冊 その54 「登と赤ひげ」

「赤ひげ診療譚」の続きです。小石川養生所の医師、新出去定は赤ひげ先生とあだ名されています。治療は手荒く、言葉もきわめて辛辣で乱暴です。見習いでやってきた保本登はその言動をじっと見ています。去定は徹底した合理主義者です。「医術がもっとすすめば事態は変わるだろう。だがそれでもその個体の持っている生命力を凌ぐことはできないだろう。」このように生きることの畏敬の念が去定の行動を支えていることを登は感じていきます。

あるとき、狂女といわれた住人の精神障害の原因究明を去定は登に命じます。それは生い立ちから今に至るまでの生活歴を徹底的に調べるということです。登は患者と面談をしながら、狂いがいじめやいやがらせを避けるための見せかけの振る舞いであることに行きつきます。そうした行為には貧しさと無知があることに気がつき、去定の医術に対する姿勢に私淑していくのです。

またあるとき、登は五郎吉とおふみという夫婦の一家心中に出会います。4人の子どもとともに鼠いらずを飲むのです。この家族は息つく暇もないほどの貧乏暮らしをしています。長屋では隣近所で兄弟以上の付き合いをしながらも死ななければならないほどだったのです。おふみは枕の上でゆらゆらとかぶりを振りながら登にいいます。

「子ども達も人並みに育てることは出来ない。育てるどころか、長次には盗みを教えてきたようなものだ。親たちからあたしたち夫婦、そしてこのままいけば子どもまで同じ苦しみを背負わなければならない。もうたくさん、もうこれ以上本当にたくさんだ、、」

「もし、あたしたちが助かったとして、そのあとはどうなるんでしょうか。これまでの苦労がいくらかでも軽くなるんでしょうか。そういう望が少しでもあったんでしょうか。」

登は不幸や貧困や病苦の姿から、そこに現れる庶民の赤裸々な生き様を見ます。そして養生所に残る決意をします。赤ひげは登の延長上にいるようです。何十年かの後の登は、まさに赤ひげであるかのような予感がしてくるのです。