心に残る名曲 その九  「フーガ ト短調 BWV 578」

バッハ (Johann Sebastian Bach) は音楽総監督(カントルーCantor)、教会音楽家、演奏者、聖歌隊指揮者など多彩な活動した作曲家です。特にライプツィヒ(Leipzig)の聖トーマス教会(St. Thomas Church)のカントルとしての活躍がめざましく、宗教曲、管弦楽器曲、協奏曲、室内楽曲、鍵盤楽器曲に膨大な作品を残しています。

バッハには自分の子供たちのために書いた曲も多いといわれます。たとえば、「アンア・マグダレーナのためのクラヴィア小曲集」「インヴェンション」「シンフォニア」「平均律」を含む「イギリス組曲」、「フランス組曲」、「イタリアン・コンチェルト」、「パルティータ」、「トッカータ」などで、それらの作品でバッハは対位法と云われる複数の旋律をそれぞれの独立性を保ちながら、互いに調和させて重ね合わせる技法を使っています。クラヴィア小曲集で知られる鍵盤楽器曲は今日のピアノの学習に欠かすことのできない重要な作品となっています。

「小フーガ」の愛称で親しまれているのが「フーガ ト短調 BWV 578」です。最初の4小節半のフーガ主題は、最も分かり易く親しみやすい旋律として名高いものです。各地の演奏会でしばしば演奏されています。この作品は4声フーガとして精密に構成されていて、伝統的な対位法を用いています。

対位法という技法は、イタリアの作曲家コレッリ(Arcangelo Corelli)の有名な作曲技法といわれ、模倣し合う2声のそれぞれに8つの音符が現れ、前半4音で一気に駆け上がったあと、後半4音で一息に駆け下りるという手法がみられます。「小フーガ」の愛称が付くのは、「トッカータとフーガニ短調」が余りにも壮麗で広く知られていること、四分弱の曲の長さから、この名が付いたようです。

この曲は、1965年に札幌ユースセンタールーテル教会に設置された北海道で最初のパイプオルガンの献納式のプログラムに入っていました。「トッカータとフーガニ短調」も演奏されました。東京芸術大学の教授であった秋元道雄というオルガニストを招きました。

心に残る名曲 その八 「トッカータとフーガ 二短調 BWV 565」

このオルガン曲、「Toccata and Fugue in D minor」は、あまたの音楽作品で最高傑作、最高峰に位置する一つといえそうです。私の思い入れもあります。1940年にウォルト・ディズニー(Walt Disney)が演出したファンタジア(Fantasia)の冒頭で演奏されて以来、世界中に広まります。演奏を指揮したのはアメリカで活躍したストコフスキー(Leopold Stokowski)です。

曲名にある用語のことです。トッカータ(Toccata)とは「触れる」、「弾く」とか「演奏家の妙技を示す」といった意味です。フーガ(Fugue)のことは既に説明しましたが、主題とその応答が交互に現れる対位法と呼ばれる多声音楽の形式のことです。この曲を聴きますと、異なる主旋律が互いに追い掛け合いをするように連続して演奏されます。バッハの作品にしばしば登場する演奏様式です。オルガンの木管と金管のコンビネーションが絶妙で、多くの演奏者はこの音楽についての理解が異なるようで、それが演奏の仕方に現れています。速い音符や細かな音形の変化などを伴い、即興的な楽曲を指し、技巧的な表現を特徴とするのがトッカータです。バッハが21歳のとき作曲したというのですからこれも驚きです。

ストコフスキーのことです。イギリス生まれですが主にアメリカで指揮者として活躍します。1912年にフィラデルフィア管弦楽団(Philadelphia Orchestra)の常任指揮者に就任し、この管弦楽団を世界一流のアンサンブルに育てたといわれます。ボストン交響楽団(Boston Symphony Orchestra)、シカゴ交響楽団(Chicago Symphony Orchestra)、ニューヨーク・フィルハーモニック(New York Philharmonic)、クリーヴランド管弦楽団(Cleveland Orchestra)と並んでアメリカ五大オーケストラに数えられています。

心に残る名曲 その七  「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」

バロック時代中頃の1680年頃に作曲されたカノン(canon)様式の作品です。カノン様式とは、複数の声部が同じ旋律を異なる時点からそれぞれ演奏されます。輪唱は同じ旋律を追唱しますが、カノンは異なった音程で始まるところが違います。

カノン様式を指す「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」(パッヘルベルのカノン」(Canon in D) )の第1曲。この曲は、パッヘルベル(Johann Pachelbel)のカノンの名で広く親しまれており、パッヘルベルの作品のなかで最も有名で、広く知られている作品といわれています。通奏低音とは、低音の上に即興で和音を補いながら伴奏声部を完成させる技法とされヨーロッパの17,18世紀のバロック時代に広く用いられたようです。

パッヘルベルは17世紀、バロック期のドイツの作曲家であり、南ドイツ・オルガン楽派の最盛期を支えたオルガン奏者で教師でもありました。宗教曲や非宗教曲を問わず多くの楽曲を制作し、コラール前奏曲やフーガの発展に大きく貢献したところから、バロック中期における最も重要な作曲家の一人に数えられました。

パッヘルベルの音楽は技巧的ではなく、北ドイツの代表的なオルガン奏者であるブクステフーデ(Dietrich Buxtehude)のような大胆な和声法も用いず、旋律や調和の明快さを強調し、明快で単純な対位法を好んで用いたようです。他方、ブクステフーデ同様に、教会カンタータやアリアなどの声楽曲において楽器を組み合わせた多様なアンサンブルの実験も行ったといわれます。

通奏低音とは、チェロ又はヴィオラダガンバ、またはその両方、ヴィオローネ、チェンバロ、リュート、ギター、オルガンなどの任意の組み合わせによる即興的な演奏方法といわれます。

心に残る名曲 その六  「プレリュードハ長調 BWV846」

1722年に作られたバッハの「平均律クラヴィア曲集」 第一巻第一曲がこの曲です。クラヴィア(Klavier)作品の代表作といわれるのがこの「プレリュード(prelude)ハ長調BWV846」です。24の調性をハ長調から順に半音ずつ上がり、それぞれの調が「プレリュード」と「フーガ(Fugue)」の2曲になっています

「クラヴィア」とはラテン語のklavis(鍵盤)に由来し、バロック時代ではハープシコードやオルガンを指していたようです。今日ではピアノを意味します。平均律とは「適度に調整された(well-tempered)」という意味で使われています。平均律による調律法はこの曲集によって確立されたといわれます。

「プレリュード」とは前奏曲といわれ、規模の大きい楽曲の前に演奏する楽曲を指します。類似する形態としては序曲(Overture) とか声楽作品中に挿入された合奏曲のシンフォニア(Sinfonia)があります。「フーガ」とは主題とその応答が交互に現れる,対位法による多声音楽の形式のことです。

平均律クラヴィア曲集は、多彩な曲想で書かれたプレリュードとポリフォニーの最高の技法が用いられたフーガなど、様々な点から音楽史上で最も重要な曲集の1つといわれています。この曲はフランスの作曲家、グノー(Charles Gounod)が作曲した「アヴェ・マリア(Ave Maria)」の伴奏に用いたことでも知られています。

Ave Mariaとは「おめでとう,マリア」という意味です。英語訳ですと「Hail Mary, full of grace」「おめでとう、恵に充ちたマリアさん」という感じです。他に、Ave Mariaはグレゴリオ聖歌(Gregorian chant)、ジョスカン・デ・プレ(Jo、squin Des Prez)、シューベルト(Franz Schubert)のAve Mariaなど多士済々といったところです。グレゴリオ聖歌とは9世紀頃から始まった単旋律で無伴奏の宗教音楽です。カトリック教会で用いられています。

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心に残る名曲  その五 「バラード第1番ト短調」

今回は、バッハから少し時代を経てポーランド(Poland)の作曲家ショパン(Frederic Francois Chopin)の作品です。「Ballade NO. 1 in G Minor」という曲です。バラードとは譚詩曲とか 叙事歌といわれているようです。幻想曲とか即興曲ともいわれています。この作品では転調の妙技が活かされ、美しい序奏から激情的な盛り上がりをみせ、終曲へと向かいます。なにか劇的な余韻を持った曲です。

2002年に公開された映画「戦場のピアニスト(The Pianist)」にこの曲が登場して、観客を魅了します。実に見応えのある優れた映画です。戦争に翻弄されるポーランド国民やユダヤ人、そして音楽家が描かれます。監督はポランスキー(Roman Polanski)。彼もユダヤ系のポーランド人です。アウシュビッツ(Auschwitz)の生き残りで、「ユダヤ人狩り」から逃れるため転々と逃亡した体験がポランスキーの映画制作に深い影響を与えたようです。

「戦場のピアニスト」を簡単に紹介します。1939年9月1日にナチス、及びナチスと同盟を組むスロバキア(Slovakia)がポーランド領内に侵攻します。このときユダヤ系ポーランド人でピアニストで作曲家でもあったシュピルマン(Władysław Szpilman)は首都ワルシャワ(Wasaw)の放送局で演奏していました。ワルシャワが陥落すると、ユダヤ人はゲットーと呼ばれる居住区に移され、シュピルマン一家も飢えや無差別殺人に脅える日々をおくります。やがて何十万ものユダヤ人が収容所へ移されることになりますが、一人収容所行きを免れたシュピルマンは、決死の思いでゲットーを脱出します。砲弾が飛び交い、街が炎に包まれる中、必死に身を隠します。やがてワルシャワの蜂起も起こります。

ある家でシュピルマンはピアノを発見します。そこに坐り心の中で曲を弾くのです。ある晩、彼は発見した缶詰を開けようとしているところをドイツ人将校ヴィルム・ホーゼンフェルト(Wilm Hosenfeld)に見つかってしまいます。彼の質問に「ピアニストだった」と答えると、ピアノを弾くように命じられます。その時演奏したのがこのバラードです。ドイツの敗北を予想するホーゼンフェルトは、密かにシュピルマンに包みを差し入れます。その中にはライ麦パンと共に缶切りが添えられています。

心に残る名曲 その四 カンタータ147番 BWV147 「心と口と行いと生活で 」

バッハは、オペラを除く当時のほとんどあらゆる音楽領域で作曲活動をし、バロック全体を総合する多様な作品を作ります。彼はドイツの対位法芸術の中で育ったといわれます。対位法とは、ポリフォニー(polyphony)音楽についての理論といわれます。ポリフォニー音楽においては、それぞれの声部が奏でる旋律の独立性を保ちながら、各声部の旋律が流れていくことに特徴があります。

バッハは、すでにドイツの宮殿文化に浸透していたフランスやイタリアの新しい形式を作曲に取り入れます。例えばコレッリ(Arcangelo Corelli)とかヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi)からイタリア音楽の豊かな調和のある和声や演奏様式を使います。コレッリの作品は、旋律の美しい流れと伴奏パートの丁寧な扱いが特徴的といわれます。「クリスマス協奏曲」を聴けばわかります。ヴィヴァルディは「四季」をはじめとして500を超える協奏曲を作ったカトリックの司祭です。

プロテスタント教会音楽の発展に大きな役割を果したのもバッハです。 ブリタニカ国際大百科事典によれば、1723年に、聖母マリアが年老いたエリザベトを訪問する場面を主題として作曲したといわれる教会カンタータが「カンタータ147番」といわれます。ルカによる福音書1章39-56節にその記述があります。この曲は全10曲からなっていて、最初の曲は合唱で「心と口と行いと生活で」(Heart, mouth, action and life)というタイトルがついています。終曲のコラールは「主よ、人の望みの喜びよ」(Jesu, Joy of Man’s Desiring)は余りにも有名です。

心に残る名曲 その三 カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」

カンタータ第140番BWV645 は「コラール・カンタータ(Choral Cantata)」と呼ばれる形式によっています。コラール(Choral)とは聖歌隊の合唱、あるいは簡単な単旋律によるルター派の賛美歌といわれています。Choralの発音では「Cho」にアクセントがつきます。

「宗教的な記述に基づく声音とオーケストラのための音楽形式」、「重唱から成る声楽曲」などと呼ばれるのが「カンタータ」です。ひとつの賛美歌の歌詞や旋律をもとにして全曲が構成された教会カンタータを「コラール・カンタータ」という場合もあります。

音楽大事典によりますバロック(Baroque)時代のドイツにおけるカンタータは、主に宗教音楽の分野で発展したことです。ドイツにおける教会カンタータは、狭義においては、教会音楽にイタリアの世俗声楽曲であるマドリガル(Madrigal)様式の自由詩に基づく作品といわれます。今日では、プロテスタント教会の礼拝において演奏された複数の独立した楽章からなる声楽曲のことを指し、17世紀に作曲された宗教作品も含めることが一般的とされます。なお、Baroqueとは16世紀末 美術文化の様式のことです。

マドリガルは16世紀から17世紀に栄えたイタリアの世俗声楽曲のことで、歌詞や詩句の部分が同じ旋律が繰返されるのが特徴となっています。16世紀の作曲家ラッソ(Orlando di Lasso)の「マトナの君 」(Matona, mia cara)は読者の方々もどこかで聴いたことがおありのはずです。

さて、本題のカンタータ第140番のことです。このカンタータの基礎となっているコラールは、16世紀のルター派教会牧師ニコライ (Philipp Nicolai)のコラールを第1曲、第4曲、第7曲に用いています。そのコラールの原典は、三位一体節(Trinity) 後第27日曜日の福音書日課であるマタイ伝(Gospel according to Matthew)第25章1〜13節です。この日課は、「天の国は次のようにたとえられる、十人の乙女がそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く、そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった」とあります。こうして到着する花嫁のたとえを用いて、神の国の到来への備えが説かれます。それをふまえ、真夜中に物見らの声を先導として到着したイエスらの待ちこがれる魂との喜ばしい婚姻へと導かれるというのです。17世紀後半にイタリアで作曲されたレシタティーヴォ(Recitativo)とアリア(Aria)からなる独唱と通奏低音のための歌曲でもあります。

心に残る名曲  その二 カンタータとバッハ

私は節操もなくいろいろな音楽を楽しんでいます。専ら合唱をやってきましたが、アルトリコーダも少し吹きます。長男はヴァイオリンを弾き、孫達もビオラやピアノの演奏をしては、YouTubeでその様子を送ってくれています。私は若いときにルーテル教会で洗礼を受けたこともあり、バッハ(Johann Sebastian Bach)の作品はどうも心の波長に合うのです。聖歌隊でも彼の作品をずいぶんと歌いました。その一つが「カンタータ第140番「目をさませと呼ぶ声が聞こえ」BWV140」というのです。

バッハ作品のタイトルの終わりには、かならず「BWV」という略語がついています。「BWV」とは、ドイツ人音楽学者のシュミーダー(Wolfgang Schmieder)が1950年に著したバッハの音楽作品目録のことです。この目録は世界中の音楽学者や音楽家に採用され、国際的な標準となりました。このナンバリングシステムによりますと、カンタータ(Cantata)とかモテット(Motet)類にはBWV1から231が付けられています。

バッハの経歴を音楽大事典で調べるとかなり劇的というか、波瀾万丈なところがあったようです。作曲やオルガン演奏に秀でていたので、周りとの衝突もあったことを伺わせます。次回はカンタータ第140番「目をさませと呼ぶ声が聞こえ.BWV140」のことです。

ついでですが、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の作品には、ケッヘル(Köchel)という番号がついています。作品には略記号のKがついています。ケッヘル(Ludwig von Köchel)が整理した目録でケッヒェル目録と呼ばれています。「ヴァイオリン協奏曲第二番ニ長調, K 211」といった具合です。

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心に残る名曲  その1 「音楽の泉」と「楽興の時 第3番ヘ短調」

かつてラジオで「音楽の泉」という番組をしばしば楽しんだものです。クラシック音楽を堀内敬三氏という音楽評論家の解説とともに楽しむ番組です。この放送はもう無くなったと思いこんでいましたら、今もラジオ第1 毎週日曜 午前8時05分から楽しむことができます。第二代の解説者は村田武雄氏、現在、第三代は皆川達夫氏です。

堀内敬三氏は珍しい経歴の持ち主です。1917年にミシガン大学(University of Michigan)の工学科に入り、在学中に作曲と音楽史を学びます。卒業後は、マサチューセッツ工科大学(MIT)修士課程を修了し、機械工学の修士号を取得します。ボストンにいたときは、電車でニューヨークへいろいろなコンサートを聴きに行ったという手記が残されています。

帰国後、1926年にNHKの嘱託として洋楽を担当し、放送用音楽語の制定、外国の音楽家の名の読みの統一、オペラやジャズに至る訳詞などを手がけます。1941年には「音楽之友」を創刊し社長となります。1950年にNHK放送文化賞を受賞します。「話の泉」というクイズバラエティ番組にもレギュラーで出演し、その博識を発揮したようです。

「音楽の泉」は1949年9月に第1回が放送されます。静かな休日の朝をクラシック音楽とともに過ごすという考え方で、半世紀以上にわたりクラシック音楽を専門に扱う番組です。私は、この番組でクラシック音楽に誘われたという世代です。ピアノのテーマ曲が番組の始めと終わりに流れてきました。この懐かしい曲はシューベルト(Franz Peter Schubert)の「楽興の時 第3番ヘ短調」というのだそうです。

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素人のラテン語 その二十二 Quartier Latinとソルボンヌ大学

英語で「 Latin Quarter of Paris」と呼ばれる Quartier Latinは、昔から学生街として有名です。ソルボンヌ大学(Sorbonne University)とも呼ばれるパリ大学をはじめ、高等教育機関が集中しています。ラテン語による学問の全盛期が今も息づいているようです。

1960年代、様々な反体制学生運動の中心地になったのがQuartier Latinです。1966年にストラスブール大学(Strasbourg University)で教授独占の位階体制に対する学生による「民主化」要求から始まります。1968年はベトナム戦争が最も激化した年です。その3月にはベトナム戦争反対を唱える国民委員の検挙に反対する学生運動に発展します。さらにソルボンヌ大学の学生の自治と民主化の運動に継承されていきます。様々な反体制学生運動の中心地であったのがQuartier Latinです。

高等教育機関グランゼコール(Grandes Écoles)の一つで高度な専門職業人を養成することを目的とする高等師範学校(École Normale Supérieure)、 パリ国立高等鉱業学校(École des Mines de Paris), ロースクールで知られるパンテオンーアサス大学(Panthéon-Assas University) 、スコラ・カントルム音楽学校(Schola Cantorum)、 ジュシュー・キャンパス(Jussieu university campus)などです。ジュシュー・キャンパスは、パリ第6大学とパリ地球物理研究所などの複合研究施設のことを指します。PSL Research Universityもあります。PSLは「Paris Sciences & Lettres」の略語です。

そしてソルボンヌ大学のことです。この大学は通称パリ第四大学と呼ばれています。1257年にロベルト・ソルボン(Robert de Sorbon)という神学者によって設立された由緒ある大学です。ソルボンはルイ9世(Louis IX)の庇護を受けます。ルイ9世は死後、カトリック教会より列聖されSaint-Louis(サン・ルイ)と呼ばれるようになります。

そろそろラテン語の話題がなくなりました。今回でこのテーマは終わりとします。

素人のラテン語 その二十一 カルチエ・ラタン(Quartier Latin)

ジャコモ・プッチーニ (Giacomo Puccini) の作曲した4幕オペラに「ラ・ボエーム(La Boheme)」があります。その主役はお針子のミミ (Mimi)と詩人のロドルフォ(Rudolfa)。二人はヨーロッパではジプシーと呼ばれていたボヘミアン(Bohemian)で、恋仲の二人はパリの下町に住んでいます。

この下町とは、カルチエ・ラタン (Quartier Latin) と呼ばれてきました。貧しいながら芸術家を目指す若者が集まるところにミミとロドルフォも暮していたという設定です。

Quartier Latinのカルチエは「地区」、ラタンとは「ラテン語」のことですから、さしずめ「ラテン語がひしめく所」となります。フランス語が未統一であった時代、当時学問や教会において国際共通語であったのがラテン語です。ヨーロッパ各地から集まった学生たちがラテン語で生活していたようです。

12世紀の中頃、ピエール・アベラード(Pierre Abélard)という哲学者で思想家、神学者が教え子の学生を連れてQuartier Latinに住むようになります。当時は中世ですからラテン語がいわば全盛期の頃です。学生が集まり始めたのはアベラードの影響が大きかったといわれています。Quartier Latinの今は、上品な下町となり多くのビストロやレストランが学生や若者を惹き付けています。

素人のラテン語 その二十 日本語シソーラス

ようやく日本語のシソーラスを紹介する番となりました。八王子市立図書館の書架にあるシソーラスとしては、2002年に講談社から出た「類語大辞典」と2003年に大修館書店からでた「日本語シソーラス類語検索辞典」ともう数冊があります。

「類語大辞典」は8万項目という分量を誇ります。多くの語を意味ないし概念にそって配列するのが普通ですが、このシソーラスでは逆に語彙の根幹となる比較的少数の語を細かく見ながら、その意味の繋がり具合を調べ、それにもとづいて分類の枠を考えていることです。分類の枠となるのは、和語でいう単純語ではなく、動詞や形容詞です。名詞に比べて動詞や形容詞は数が少なく分類しやすいこと、さらに名詞の多くが動詞や形容詞を元につくられていること、副詞は動詞を元にして作られるという事情もあります。動詞や形容詞といった用言は2,500語くらいといわれます。

このシソーラスは使い慣れないと混乱しがちになります。どの語句が自分が求める表現なのかが決めにくいのです。意外に収録する語彙の幅が狭いか、拡大解釈しすぎているきらいがあります。「思う」という語句では、「すでにわかっている事柄にあんとなく、また情緒的なはたらきかけをする」で良いのかという疑問です。「思う」は意志的な行為ではないでしょうか。

「日本語シソーラス 類語検索辞典」は1,044のカテゴリーに分かれ、延べ33万語の語句からなります。カテゴリーの中に意味の近さによって小語群が含まれます。関連語、対語、形容、表現語句、季語、枕詞、医学、聖書、仏教、古語などから成ります。ただし、分類の構成を優先せず、多くの言葉や表現を蒐集し、それを連想に基づいて練り上げられています。日本語使用の実態や、言葉の世界に定着した日本人の感性を反映していて「日本人の文化・感性の総索引」と呼ばれるような内容となっています。

本文が984頁ですが索引は581頁におよびます。索引を見るだけで語句の意味の広がりが実感できます。意味の同一性よりは連関関係を重視しています。
例えば、「良い人」と三拍子揃った人、あの人の人品は見事、というように言い換えることができます。「簡単と」いう語では、イージー、楽勝、分かりやすい、話が早い、初歩のように連想を収録しています。もう一例、「重要」では、肝要、大切、必要、主要、最有力、メイン、ただ事でない、必要欠くべからず、特筆に値する、一面トップ、鶴の一声、メッカといった按配で自分でどのように表現するかの選択が広がります。

「割り切れない思い」という語句をこのシソーラスは次のように説明しています。「釈然としない」、「判然としない」、「つかみ所がない、「とらえ所がない」、「腑に落ちない」、「辻褄があわない」、「前後に分かず」とい具合です。どの言葉を使ってもよいことになります。このように言い換えたい言葉を探すことができます。関連の深い言葉は隣り合って表示されているので、ぴったりした表現が見つかります。

素人のラテン語 その十九 「Roget’s Thesaurus」

本稿で「Roget’s Thesaurus of English Words and Phrases」の初版では、単語の選び方は、次のように6つ(Class)に分類しているということを述べました。しかし、最新版を見ますと8つになっています。次のように物理学(Physics)と情動(Sensation)が追加されています。

I 抽象的関係 (Abstract Relations)
II 位相・空間 (Space)
III 物理学(Physics)
IV 序と時間 (Matter)
V 情動 (Sensation)
VI 間性 知性 (Intellect)
VII 意志、望むこと (Volition)
VIII 愛情 (Affections)

最新版では、語と語句の数は250,00となっています。シソーラスは通常は、同義語や反義語を集積する辞書といわれがちですが、「Roget’s Thesaurus」は索引から語や語句を調べる方式となっています。辞書では単語の意味を探します。ですが「Roget’s Thesaurus」の利用者は、まず考えているテーマから出発し、そのテーマに沿った語や語句を見つけるのです。ですからいろいろな知識を構成するという稀な学究的な内容となっています。

例えば、読者が「being」とか「reality」という状態を示す適切な語を探すとしますと、「Roget’s Thesaurus」は「existence」という語へと導くようになっています。「being」という語の同義語は「subsistence」や「essence」があります。ラテン語の「esse」が語源となっているという説明もついています。「reality」は「actuality」とか「empirical」、「objective existence」という意味や使い方もできるとあります。実存主義と訳される「existentialism」の説明もでてきます。こうした語句の広がりは辞書にはありません。こうした語彙の深く広い関連性を示すのがシソーラスの独壇場といえましょう。

素人のラテン語 その十八 シソーラスの例 「Abandon」から

最近では,外国人の学習者に特化したシソーラスも出てきています。Longman Language Activatorや Oxford Learner’s Thesaurus等がその例です。英語を母国語とする者向けのシソーラスにくらべ、類語の数を厳選し,類語間の意味の違いを英英辞典のような平易な定義で解説するのが特徴です。口語的な表現を重視したLongmanと学術的な表現を意識し,フォーマルな語を豊富に収録したOxfordには、それぞれの特徴があります。英語学の研究者や英語教員ならこの二つのシソーラスを必ず座右におくべきものでしょう。

無味乾燥なアルファベット順に単語を並べ意味を載せているだけでは、退屈するものです。しかし、「意味」という観点で単語を並べ替え,それぞれの語の間に有機的なつながりをもたせたシソーラスは,単語の羅列のように見えますが,じっくり読むと意外と面白いものです。シソーラスを使いこなすと,一見同じような顔をしている単語も,よくよく見ると姿形はそれぞれ異なり、独特な個性があることに気づきます。その例を【Abandon】という単語で調べてみましょう。【Abandon】には5つの異なった意味と使い方があるという例です。

1) give up, yield, surrender, leave, cede, let go, deliver, turn over, relinquish
文例
I can see no reason why we should abandon the house to thieves and vandals.
泥棒などに入られる家を放置する理由がわからない。

2) depart from, leave, desert, quit, go away from
文例
The order was given to abandon ship.
船から待避する命令がでた。

3) desert, forsake, jilt, walk out on
文例
He even abandoned his financee.
彼は投資家を見捨てた。

4) give up, renounce, discontinue forgo, drop, desist, abstain from
文例
She abandoned cigarettes and whisky after the doctor’s warning.
医者の忠告で煙草とウィスキーをやめた。

5) recklessness, intemperance, wantonness, lack of restraint, unrestraint
文例
He behaved with wild abandon after he received the inheritance.
遺産を受け取ると自由奔放に振る舞った。

素人のラテン語 その十七 Roget’s Thesaurus of English Words and Phrases その二 語のラベル

夏目漱石の授業は、極めて魅力的な授業であったというエピソードがあります。漱石は第五高等学校や第一高等学校、その後東京大学で教えます。彼の授業の魅力は、使われた語や文章解釈が的確であったことだといわれます。授業で使われた個々の語が強く若者に訴えたという反面、講義があまりに分析的で硬いものだったという不評もあったようです。授業が硬いか柔らかいかの違いこそあれ、授業には特色があったのだろうと察します。

Roget’s Thesaurusでは、語には必ず文例が掲載されています。特に、同義語の数は極めて多く、その文例を読むとそのまま自分の文章を作れるほど親切です。語によって共通した意味の例文と異なった意味の例文となっています。一つの語でもその使い方が異なるということを読者に理解させようとしています。

次ぎに索引が充実していることです。その量はシソーラスの半分を占めるほどとなっています。同類語、異義語などが網羅されています。交叉索引もあり、それを辿っていくと新しい意味や使い方が理解できるように工夫されています。以下は交叉索引の一例で「supercilious (ごうまんな、横柄な)」がありますが、つぎのような索引が伴っています。 これは「super」とう接頭辞から由来することがわかります。
superior (上級の 上質の)
superior (指導者、監督者)

語のラベルもしっかりと付けられています。たとえば、口語体(colloquial)、俗語(slung)、昔風(archaic)、流行遅れ(old-fashioned)、技術的(technical)、読み書き能力(literacy)、国別の使い方、綴り方(spelling)といったことです。例えば、「subway」をみると、アメリカ英語では地下鉄、イギリス英語では地下トンネル、といった説明です。

素人のラテン語 その十六 Roget’s Thesaurus of English Words and Phrases その一 使用頻度の高いもの

これまでなんども引用してきたロジェ・シソーラス (Roget’s Thesaurus of English Words and Phrases) の肝心な内容を説明することにします。ロジェはスウェーデンの動物・植物学者であった(Carl von Linne)ロジェの階層分類体系を参照してこのシソーラスを作ったとされます。

最初に行った分類作業ですが、まず1,000の概念をおおむね6つに分類します。そして、単語の上位や下位関係、部分や全体関係、同義関係、類義関係などによって単語を分類していきます。

Roget inventing the Thesaurus – “Roget, it’s wonderful; amazing; incredible, but where do you get the idea form?”

単語の選び方は、次のように分類しています。
I 抽象的関係 (Abstract Relations
II 位相・空間 (Space)
III 序と時間 (Matter)
IV 人間性 知性 (Intellect)
V 意志、望むこと (Volition)
VI 愛情 (Affections)

以上の大まかな分類で、「V 意志、望むこと(Volition)」というのは少々理解が難しいですが、ロジェが思考して提案したことですからよしとしましょう。

アルファベット順に単語を並べ,意味を載せ簡単な文例を挙げる辞書とは異なり、類語の数を厳選し,類語間の意味の違いを平易な定義で解説しているのがわかります。語は、使用頻度の高いものが選ばれていて、他の辞書のようになんでもかんでも載せることはしません。専門用語 (jargon) も省いています。語は同義語や反義語が多いものも選ばれています。

素人のラテン語 その十五 シソーラスは全文検索システム

リンネ(Carl von Linne)の分類学の貢献は、ピーター・ロジェ (Peter Mark Roget ) が「Roget’s Thesaurus of English Words and Phrases」を著作するとき、言葉を同義語や意味上の類似関係、包含関係などによって分類することに役立ったといわれます。

  シソーラスとは、言葉を同義語や意味上の類似関係、包含関係などによって分類された辞書、あるいはデータベースです。一般的な辞書では、言葉はアルファベット順や50音順に整理されますが、シソーラスでは言葉が大分類から小分類にかけて体系的に整理されるのが特徴です。それによって同義語から広義・狭義の類義語、反義語などを効率的に調べることが可能となるのです。

私たちが日常的に使っている自然言語をコンピュータに処理させる一連の技術に「自然言語処理」があります。今は人工知能(AI)と言語学の一分野といわれます。自然言語処理においては、シソーラスは全文検索システムなどにおいて利用されています。例えば、日本を表す表現としては、「アメリカ合衆国」の他にも「米国」、「アメリカ」、「USA」、「US」など複数の表記があります。シソーラスにこれらの言葉が登録されていれば、「USA」と検索した場合でも「米国」をキーワードとした文書を検索することができます。逆に、シソーラスの処理が介在していないと、意味は同じ「米国」でも「US」と表記している文書を検索から漏らしてしまうのです。

シソーラスでは、対象の語意義素を次のように分類して構成されます。一定の関連のもと共に扱われることが多い表現として、 関連語とか関連表現があります。次ぎに、対象の語と何かしら関連のある表現があります。 類義語(synonym) 、対義語、反義語(antonym) 、 さらに上位概念や下位概念、 同一概念、 同位語 、連想語 、近接語、上位語や下位語といった関係です。

素人のラテン語 その十四 リンネの分類学上の貢献とシソーラス

「Roget’s Thesaurus of English Words and Phrases」という「英語語句宝庫」についてです。この辞典についての特徴を説明することにします。18世紀の生物学者、植物学者であったカール・フォン・リンネ(Carl von Linne)というスウェーデン人がいました。彼は後に「分類学の父」と称されるようになります。分類学(taxonomy)は、事象などについて互いの関係を位置づけるための体系を構築する学問のことです。

リンネの分類学上の功績は、二名法という植物の階層分類体系を創設したことであるといわれます。リンネ以前には,生物に名前をつける命名法は記述的なものであって,属名のうしろに形容詞などをつけて種の形質を記述して生物名としていたようです。しかし,このような方法では,後になって似かよった種が発見されたとき,この二種を区別するためには,さらに新しい形容詞をつけ加える必要が生じ,複雑な生物名となって実用上困ることになることになります。

そこで,リンネは属名(generic name)と種名(specific name)をつなげた学名(scientific name)で種の名前を二つの言葉の記号によって表現する二名法を考案します。これが、現在世界の学会で使われる「リンネ式階層分類体系」です。オリーブ(olive)という樹の表記を調べると、次のようにいくつかの階層に分類されています。

界 : 植物界 Plantae
階級なし : 被子植物 angiosperms
階級なし : 真正双子葉類 eudicots
階級なし : キク類 asterids
目 : シソ目 Lamiales
科 : モクセイ科 Oleaceae
属 : オリーブ属 Olea
種 : オリーブ O. europaea
学名 : Olea europaea

こうした世界共通の分類の仕方によって学術研究や調査の結果の分析が可能になるのです。リンネの分類体系によって、言葉を同義語や反義語、意味上の類似関係、包含関係などを網羅するシソーラスの開発につながっていきます。

素人のラテン語 その十三 シソーラスと類語辞典

私は文章を書くとき、辞典や百科事典を必ず使います。それで思い出す二つの出来事があります。高校の英語の授業で英文の訳を指名されたときです。”Power of Hitler became gradually strong” といった文章を翻訳するときです。私は「ヒットラーの力が頭をもたげてきました」と訳したのです。すると先生が、「頭をもたげてきたというのより、”台頭してきた”という文章にしなさい」というのです。もう一つは北海道大学での教養部での英語の時間で、教授が「大学生になったのだから英英辞典を使いなさい」という言葉です。

  「頭をもたげる」というは、なんとなくが単調な響きがあります。「台頭してくる」という文章のほうが、的確な表現であることに気がつきます。このように、高校生から大人になると当然ながら言い換えが可能な違う単語を使うことが期待されてきます。

英英辞典についてですが、日本語で文章を作るときと同じように、英語でもそれ相応の単語を使い文章化しなければなりません。例えば論文は、専門用語とか業界語を使うのは当然としても、文章自体が洗練されていなければなりません。中学校で習う単語は専門用語になりません。しかし、より大人の単語を使うとしてもその語彙を知っていないと使えません。あるアメリカ人から「交際する」という表現の場合、「intercourse」という単語を使うのは誤解を受けると云われたことがあります。確かに辞典には「交際」という説明もありますが、「性交」が「intercourse」の主たる意味なのです。

Peter Mark Roget 

単語とか語彙の使い方を学ぶには辞書だけでは不十分です。どうしても英語語句辞典とか類語辞典などが必要となってきます。こうした辞典には、単語を使った文章が例として掲載されています。単語の正しい使い方を学ぶには英和辞典とか和英辞典では不十分なのです。

英語語句辞典の代表が「Roget’s Thesaurus of English Words and Phrases」です。1852年、英国でピーター・ロジェ (Peter Mark Roget ) が、語彙を意味によって分類します。この辞典は通称、「英語語句宝庫」といわれ英語語句辞典の始まりといわれています。”Thesaurus”とはギリシャ語で宝物庫という意味だそうです。我が国では、通称「シソーラス」と発音されています。

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素人のラテン語 その十二 聖書の翻訳の歴史

聖書の成り立ちは、翻訳作業の繰り返しの歴史と云えます。ある言葉で書かれたものを他の言葉に翻訳する必要が絶えずあったからです。ヘブライ語(Hebrew)を読めないギリシア語圏のユダヤ人、また改宗ユダヤ人が増えると、聖書はギリシャ語で翻訳されます。ラテン語からドイツ語へ、英語へというように翻訳によって読者が広がります。文書が翻訳されるということはいつの時代、どこでも行われてきたのです。

ヒエロニムスが新旧約聖書のラテン語翻訳を行ったことを前回述べました。彼が旧約聖書については「七十人訳聖書」を基本としながらそれを遡るヘブライ語聖書を参照したと言われています。「七十人訳聖書」はギリシア語に翻訳された聖書であると伝えられ、紀元前3世紀中頃から紀元前1世紀間に徐々に翻訳され改訂された集成の総称で、現存する最古の聖書翻訳の一つといわれています。

ヒエロニムスの共通訳聖書であるウルガータ(Vulgata)は、長く西方教会で権威を持ち続けます。そして他言語への聖書翻訳が行われるときも、ラテン語標準訳といわれるウルガータから翻訳されることも多かったようです。ウルガータは、それからも事実上の聖書の原典として扱われてきました。

しかし、宗教改革でルター(Martin Luther)がドイツ語訳聖書を参照したとき、ウルガータが底本とした「七十人訳聖書」を退け「マソラ本文(Masoretic Text)」というユダヤ社会に伝統的に伝えられてきたヘブル語(Hebrew)聖書本文を基にしたといわれます。「マソラ」とはヘブル語で伝統を伝えることを意味するとされます。宗教改革の影響にあるプロテスタント諸教会では、「七十人訳聖書」にのみ含まれる文書を旧約外典と呼んでいて、聖書に含まれない文書とみなしています。私にはこうした神学上の論争の背景はよくわかりません。