心に残る一冊 その102 「寝ぼけ署長」

この探偵小説が書かれたのは昭和21年頃ですが、作中の時代設定は戦前ですから内務省があった頃です。戦後は警察庁となります。

主人公の五道三省はある地方都市の警察署長です。五道三省という名は、山本の本名清水五十六、周五郎からの数字をもじった名なのかもしれません。署でも官舎でも寝てばかりいるため、毎朝新聞から「寝ぼけ署長でも勤まる」などと揶揄されています。年齢は40歳くらいで独身。太っていて、二重あごで腹のせり出た鈍重そうな体つきです。青野庄助という毎朝新聞社会部の記者が「寝ぼけ署長」の名づけ親です。

   署に赴任してくる前は警視庁で13年間を過ごしますが、その際は警視総監も手を焼く横紙破りで通し、慣例に反して自分のしたい事を無理にもすること、我を通す、善しと信じたら司法大臣と組み打ちしてもやりぬいてきました。そのため、三度も官房主事に推されながら、三度とも断るのです。

一見するとぐうたらな無能者にしか見えないのですが、実は極めて有能で大概の仕事は1時間もあれば片づけてしまいます。そのため暇をもて余して寝ているのです。寝た振りをして、他人の言動を聞き、観察するという怖い面もあります。読書量も凄まじく英・独・仏の三か国語のほか、漢文も読みこなせます。愛読書は詩、詩論、文学史などの評論書です。

署内でも世間からもお人よしの無能だと思われていた署長でしたが、五年後に離任することになった際には、署内からも世間からも別れを惜しむ人々が続出し、貧民街では留任を求めるデモ行進も起こるほどでした。

五道署長の在任中、犯罪事件は前後の時期の十分の一となり、起訴件数も四割以上減少します。実は切れ者で辣腕家の署長が、「中央銀行三十万円紛失事件」などでいち早く真相を突きとめるのです。人情家であったので罪を憎んで人を憎まずの精神から、過ちで罪を犯してしまった人間を可能な限り救済しようと、違法な手を使って巧妙に工作するという按配でした。

「貧乏は哀しいものだ、、、こんな時まず疑われるのは貧乏人だから、然し、貧乏はかれらひとりの罪じゃない、貧乏だということで、彼らが社会に負い目を負う理由はないんだ。寧ろ社会のほうで負債を負うべきだ、、、」

「本当に貧しく、食うにも困るような生活をしている者は、決してこんな罪を犯しはしない、彼らにはそんな暇さえありはしないんだ、、、」
「犯罪は怠惰な環境から生れる、安逸から、狡猾から、無為徒食から、贅沢、虚栄から生れるんだ」
「決して貧乏から生れるもんじゃないだ、決して、、」山本は五道三省を通してそう云わしめます。

心に残る一冊 その101  「追いついた夢」

女の名はおけい。年は十七歳です。和助は風呂場で湯に温められたおけいの肌を眺めて「千人に一人もいないというのは本当かもしれない、たしかに他の女達とはちがう、他の女にないなにかがある」と呟きます。

ほどなくしておけいは風呂から上がってきます。
「こちらに来てお坐り」
「私はぜひ世話をしたいと思うが、おまえの気持ちはどうだ、私の面倒をみてくれるか?」
「はい、こんな者ですけれど、お気に召しましたらお願いします」
「私は遁世したいのだ、世間からも人間からも離れたい、煩わしい付き合いや利欲のからんだ駆け引きとすっぱり手を切りたいのだ」

こうしておけいは和助の妾宅へ引っ越すために、住んでいる長屋にやってきます。母親のおたみは三年も病床に伏しています。それを隣の女が面倒をみています。おけいは和助との約束のあらましを話します。

おけいの父、七造は植木屋の職人をしていました。以前は京橋あたりの質屋にいました。おたみはその店で養女でしたが、七造と愛し合っていました。婿をとることになったので隠しきれず、結局義絶となって二人とも追い出されてしまいます。義絶とは肉親との関係を絶つことです。酒も煙草も口にせず何の道楽もない七造は急死します。その日から暮らしの生計がおけいの肩にかかってきます。

七造のかつての同僚、職人の宇之吉がおけいの力になっていました。彼の息子があるとき木登りで遊んでいて落ち、腿骨を折ってしまいます。医者の骨接ぎがまずかったのか、折れた部分が膿み出してそれがもとで死んでしまいます。「貧乏人は医者にも満足にかかれない、病気になったらおしまいだ」と宇之吉やおけいは嘆きます。

和助は金銀地銀の売買や両替をしていました。銀座に店を構え高利の金融にも手を出していました。和助はおけいを案内し、水天宮の近くで辻駕籠を拾い、途中なんども乗り換えて目黒を経て玉川の近くにやってきます。千坪あまりの広い土地に家がありました。妾宅です。吾平ととみという老夫婦が二人を出迎えます。

和助はお茶を飲み終えるとおけいに家の中をみせてまわります。土蔵を開けると云います。
「この中に金や書き付け、大金がしまってある、私が何十年とかかって集めたものだがね、、」
「おまえがよく面倒をみてくれれば、いつかこれがみんなおまえの物になるんだよ」

和助はおけいに五、六日のうちに戻ってくるといって、銀座の店をたたむため出掛けていきます。和助にはお幸という妻と十三年連れ添ってきました。二人でつかの間の会話をします。和助はすっかりお幸との情が消えています。五、六日のうちにかえると云った和助はそれっきり姿をみせず、使いたよりもありません。和助がおけいのところに向かう途中、卒中で倒れたのです。和助は六郷在の御救小屋で身許不明のまま死んだということです。

それから二年後。おけいの調布の村におたみが引き取られて寝ています。かつての許嫁の宇之吉と妹も一緒です。吾平夫婦が一緒に暮らすことをすすめたのです。
「ここに地面を借りて、おけいちゃんの側で暮らすことができれば、おれはそれだけで十分だ」
「、、、ね泣いてもよくって宇之さん、」
「、、、いつか大島町の河岸で云ったんじゃないの、こんど二人が一緒になれたときは泣けるだけ泣きって、、」

心に残る一冊 その100  「おもかげ抄」 小房は椙江

「おもかげ抄」の二回目です。鎌田孫次郎のところに沖田源左衛門が訪ねてきます。荒れ果てた長屋の部屋ですが、塵一つとどめぬ行き届いた掃除、源左衛門には孫次郎の人となりが察せられます。経机の前に坐り、唱名しながら香を上げ、ふと仏壇を見上げたとき、「あっ」と低い声を上げます。仏壇に掲げてある小さな女の絵姿を暫し見つめています。
「これがご家内のお姿でござるか?」
「はあ、同郷の朋友に絵心のある者がござって、戯れに描いた似顔絵が形見となっております」
「、、、、、ふしぎに似ている」源左衛門は呟きます。

源左衛門の倅、千之助に稽古をつけて去ろうとしたとき、源左衛門が一人の娘を連れて出てきます。孫次郎は娘の顔を見るとさっと顔色を変えて立ちすくみます。
「これは千之助の姉、小房と申す不束者、お見知りおき願いたい」
「は、は、拙者こそ」
「下手ながら娘が茶を献じたいと申す、ご迷惑でなかったお上がりくださらぬか」
「他に少々お話もござるが、、」
「お邪魔仕ります」
「話といっても外でもござらぬ、鎌田氏には二百石でご仕官するお望はござらぬか?」

お茶とともにすすめられ菓子を孫次郎はじっと見つめます。そして敷紙に包むと源左衛門の「もう一杯茶を召し上がれ」と云うのを振り切るようにして暇します。家に帰ると包みを仏壇の前に供えると、崩れるように坐ります。
「椙江、、そなたの好きな蒸し菓子だぞ、そなたの好きな、、、」
「生前であれば欲しがっていた菓子が今になって手に入った、そなたが死んだ今になって二百石の仕官、、、今になってこの蒸し菓子がなんになる、出世がなんになるのだ、」
「嫁してくるが否や、主家を浪人して五年、佳き家柄に育ってなんの苦労も知らぬそなたが無残な貧に痩せてゆく姿、、、」
「薬も満足に与えられなかった貧苦の中で衰え果てたままそなたは死んだ」
「、、そして今になって、出世の緒口、そなた亡き今となって、なんのために二百石を取ろうぞ、、椙江っ、」 
孫次郎は声を忍んで泣くのです。

長屋の差配、六兵衛に当地を立退くことを伝えます。暗いうちに浪宅を引き払った孫次郎、貧しい着替えの包みにしっかりと妻の位牌をおさめ、見送りがきては面倒と足早に浜松の城下を西へ向かいます。その時です。
「お待ち申して居りました」
旅姿の女が現れ孫次郎は一歩退きます。
「どなたでござるか?」 女は笠をとります。恥じらいを含んで見上げる顔は源左衛門の娘小房です。眉をそり、お歯黒の姿となっています。
「こなたは、、、小房どの」
「いいえ、いまは椙江と申しまする」
孫次郎は自分の耳を疑います。
「椙江、、椙江、、?」

「どうぞこれをご覧遊ばして」
小房はそう云って一通の書状を孫次郎に渡します。それは源左衛門の達者な走り書きです。親切を徒にして立ち退こうする身を、武士と見込めばこそ娘の眉を落とし歯を染め名を変えるのみか、亡く人の再生と思え、とまで云い添えてあります。
「それ程までにこの孫次郎を、、」
源左衛門の身にしみる情宜に孫次郎、胸をうたれるのです。

「今は何ごとも申し上げぬ、旅の不自由ご得心でござるか」
「どこまでもお伴をいたします」
「では、、、、紀州へ参ろう」 孫次郎は手紙を巻き納めます。
「高野の霊場へ納めるものがござる、その供養が終わったら直ぐに浜松に戻りましょうぞ」
「行って帰えるまで二十日、帰ったらそこもとと改めて祝言だ」

心に残る一冊 その99  「おもかげ抄」 鎌田孫次郎

山本周五郎の「小説日本婦道記」に収録されている「おもかげ抄」です。
浜松の裏街道にある家作へ引っ越してきたのが鎌田孫次郎です。年の頃は二十八、九。上背があり立派な体つきで色の浅黒い、眼の涼しいこのあたりでは珍しい美男です。家作とは借家のことです。

魚売りの金八が長屋の周りの者に云います。
「まあ、聞きね、」「表へでて洗濯をしているじゃねえか」、「奥様のお加減でもお悪うございますか」と訊いたんだ。「するとその返辞がふるってら、」
「いや別にとこも悪いと申すほどでもござらぬが、ちと我がまま、まあ朝寝がしたいのでござろうよ、とかくどうも女は養い難しでござる、、あはは、、」
長屋の女房達の間に孫次郎につけられた甘次郎、甘田甘次郎先生などの綽名がたちまち付近にひろまります。

二十日あまりが経ち隠居の六兵衛が孫次郎の浪宅を訪れます。
「ようこそおいで下された」と奥へ振り返って、「これ椙江、お客来じゃ、お茶をいれ申せ」とい云います。舌打ちをしながら「しようのないやつ、また頭でも病むと申すのであろう、我がままがつのって困る」

孫次郎がご用向きをきくと、空屋を寺子屋として子どもに素読の指南し、剣術も教えて欲しいというのです。孫次郎は二つ返事で引き受けます。初秋の昼下がり空き地で子ども達に剣の心得を教えていると、子どもが叫びます。
「向こうの原っぱでお侍が斬り合いをやっていますよ」

孫次郎も剣を持ってかけつけると、一対四の真剣勝負です。訊くと御意討となった侍の犬飼研作を四人が仕留めようというのです。犬飼の剣は鋭く四人の侍は歯が立ちません。孫次郎は助太刀し犬飼を倒します。そこに一人の老武士が馬で駆ってきます。「あっぱれ、お見事」と思わず声をあげます。子ども達も空き地の隅で固まってみていました。孫次郎が戻ると「お師匠さまは強いな、、」と歓声をあげます。

二、三日経たある日、さきの老武士が前触れもなく孫次郎を訪れます。
「椙江、お客様じゃ、、」
「ご覧の如き浪宅、何のお構いもなりませぬ、どうぞお許しを」
老武士の名は沖田源左衛門という家臣の大番頭をしているという。
「お手前のほど、先日篤と拝見仕った、ご流儀は梶派でござるな」
「実は拙者も壮年の頃、梶派一刀流をわずか学びなしたので、太刀懐かしく拝見いたしました」

倅の千之助に梶派を教えて欲しいというのです。
「未熟の拙者、とても人に教え申すことなど出来ませぬが、折角の思し召しを辞するは却って失礼、宜しかったら型だけでも」
「ところでご家内はご病気でござるか?」
「はあっ、、、」

孫次郎はなぜかうつむきやがて席を立つと「ご覧ください」といって合いの襖を開けるのです。
甘次郎という綽名をきいていた源左衛門は、甘次郎と呼ばせる妻はどんな美人かとみると、次の間には小さな経机がひとつ、仏壇のまえに据えられていて、ゆらゆらと線香の煙が立ち上っています。
「これは、、、、、」
「実は三年前に死去致しまして、、」
「すると先刻、奥へ声をかけられたのは?」
「お耳にとまって赤面仕る」
「仕合わせ薄き女にて、三年浪々の貧中死なせましたが、未練とお笑いくださるな」
「手前にはどうしても死んだと思い切ることができず、、」
「面影あるうちは生きているつもりにて、あのような独り言を申し始めたのが癖となり、今日までそのまま、、、」

「いや佳きお話を承った、亡き人へのそれほどの御愛、未練どころか却ってお羨ましゅう存ずる、拙者もご回向仕ろう」

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心に残る一冊 その98  「三年目」 人情裏長屋から

山本周五郎が得意とする長屋に暮らす市井の人々の物語です。

友吉はいい大工職人でした。五郎兵衛町の広田屋伊兵衛という大工のもとでずば抜けた腕を発揮し、17歳のときにはすでに一人前の手間取りになっていました。広田屋は当時左前で友吉と角太郎の二人しか職人をもっていません。伊兵衛は友吉を一人娘のお菊の婿にして広田屋を盛り返そうとします。

ところが伊兵衛は大怪我をし、臨終の前に友吉をとお菊が夫婦になるように遺言をします。友吉には賭博の癖があったので、「今日限りさいころは捨ててくれ」と言い残します。友吉は悪仲間と縁を切るために江戸から上方へ行き新規まき直しをする決心をします。

三年後、友吉が江戸に戻るとお菊の安否を尋ねてあるきます。堀の棟梁の息子、仁太郎という道楽者から、お菊は角太郎と深川近辺で所帯をもったことを聞かされるです。

降り続く雨で大川の水は濁って岸に溢れかかっています。新大橋は通行止めとなり友吉は入った居酒屋でお菊が角太郎と八幡様の裏の二階屋にすんでいることを聞きます。角太郎は友吉より一つ上、腕も達者というほどではなく、男ぶりもぱっとしない、ただ愚直で間違いのない仕事をするだけが取り柄でした。

雨の街へでたとき、友吉のこころはずたずたになっています。
畜生、あの顔で騙しゃがったか、、、
「中川の水門が壊れたぞ、、、」という声が響きます。
友吉は教えられた二階屋にやってきます。
「どなた、、、、船定さんからですか、、」
「、、、、あっ、お前は」
「友吉だ、驚いたか、」
「よくも、よくもおいらを騙しやがったな、、おいらこんなことを知らねえからおいらあ上方で三年、一口の酒も呑まず稼いだぞ、、」
そういって友吉はお菊を縛り上げ、押し入れに押し込みます。

そこに角太郎が帰ってきます。そして取っ組み合いの喧嘩なります。角太郎が云います。
「兄貴、あの時の約束を忘れたのか?おらあいったはずだ、たとえどんなことがあっても、お菊さんは大切に預かっているって、、」
「そんならなぜお菊と夫婦になった!」

死んだ広田屋伊兵衛が堀の棟梁に借金があって、その金を枷に若棟梁の仁太郎がお菊を妾にしようとしたことを云います。広田屋の再興には堀一家とは喧嘩ができないので、二人で夫婦になったとみせかけるしかなかったと説明します。

一階には水が入ってきます。押し入れられぐったりしたお菊を二人で助け上げるのです「、、、おらあ鈍な生まれつきだ、兄貴にとんだ心配をかけちまって済まねえ、、勘弁してくんな」
「角、、、、生きるも死ぬも三人一緒だ、おいらの馬鹿を笑ってくれ、」
「お菊、気がついたか、友吉だ、、、」
「友さん、、、、」

心に残る一冊 その97  「荒法師」

山本周五郎の「荒法師」を紹介します。

武蔵の国にある臨済宗の古刹に昌平寺があります。そこに荒法師と呼ばれていた俊恵という僧がいました。もと土地の貧しい郷士の子で幼いとき孤児となり昌平寺に引き取られます。十八歳になり京へのぼり、最古の伽藍である東福寺にはいり建仁寺からさらに鎌倉の円覚寺で修行します。六尺近い体格、一文字を引いた眉、光る眼、全てが逞しい姿の僧になります。「いかにも荒法師という風だ」とその名が近在に広がります。

俊恵の修行は、生死超脱という難題に向き合ったことです。俊恵は云うのです。いちど死に逢うやすべてあとかたもなく消え去る。この世にあって存在の確かなるものは、まさに「死」においてほかにない。かくて死はすべての消滅でありながら、しかも唯一のたしかな存在である。この矛盾をどう解すべきか、、、、、

あらゆる生物はやがて死滅する。同時にあらゆる生物が生ききるのも事実ではないか。生物は死ぬるまで生きる。死が否定しがたいものであるなら、生もまた否定できない。死が必ず現前するものだとすれば、むしろ生きてあることを肯定し、そのまさしい意識を把握すべきだ、生死の超脱は生きることのうえに成り立たなくてはならない、俊恵はその一点に向けて修行していきます。

武蔵国に石田三成の軍勢が攻めてきます。忍城という北条の出城が昌平寺の近くにありました。三成の指揮下にあった浅野軍の使者が昌平寺を本陣に使いたいと申し出ますが、慧仙和尚は断ります。そのため昌平寺は焼き払われます。昌平寺の近くに住む花世という娘が俊恵のもとにきて、討ち死にした人々を弔ってほしいと云ってきます。俊恵は出掛けて数珠をつかみながら読経していきます。形容し難い惨状の前で俊恵は唱えます。
「、、なお十万の諸仏、仰ぎ願わくは愛護の御手を垂れて、、、、」俊恵は念仏唱名しながら一人ひとり供養していきます。

一人の武者の前に立ち、静かに経文を唱えはじめると、ふいにその武者が「御坊無用だ、、、、」と激しい口調で云います。微かに呼吸があります。
「もうながくない、もうそのときはみえている、」
「しかし経文は読むに及ばないぞ」
「なぜ経文は無用だと仰しやる?」
「おれは、、、」
「おれは成仏するつもりはないからだ、、、」
「生きて命のある限り、死ねば悪鬼羅刹となって十たびも、十たびも人間になって生まれかわり、あくまで父祖の国土は守護し奉る、これがもののふの道なのだ、おれだけではないぞ、、」
「断じて成仏せず、、」

俊恵はかっと眼をひらき叫びます。「そうだ、これだ、ここにあった。」武士の信念に生死超脱の境地をみるのです。
「唯今のご一言、肝に銘じました。こなたには及ばぬまでも御遺志を継いで城に入ります。ぶしつけながら鎧を借り受けます。」

俊恵は忍城に入り、攻撃する浅野の軍勢に向かいます。真一文字に突っ込むさまは凄く、群がる人数の中でも一歩もひかず奮戦した闘い振りも類の無いものでした。浅野軍の兵たちも後に「あれはたしかに名のある武士だったに違いない」と云います。「あとにもさきにもあれほど大胆不敵な闘いぶりをする者を見たことがない、敵ながら全く惜しい武士だった」と振り返るのです。

心に残る一冊 その96  「月の松山」

「月の松山」という山本周五郎の作品です。宗城孝也という青年剣士が主人公です。

孝也は浪人の子で、江戸に育ちます。十六歳のとき孤児となり茂庭信高家に預けられます。茂庭家は古くから兵法をもって北条氏に仕えます。鞍馬古流の小太刀を教え、二十町余りの山林と十五町余りの田畑をもって家計は豊かです。病床にある信高は、一人娘の桂が孝也と結ばれることを願っています。しかし、孝也もまた右足の骨が壊死し枯れ木のように脆くなっています。肉も腐りはじめ菌が体に広がっているのです。
「お気の毒ですが、もう間違いありません」医師の花崗道円が云います。
「すると期間はどのくらいですか?」
「百日よりは早いことはあるまいが、一年より遅くはない」

松山という高さ百尺あまりのなだらかな丘陵があります。孝也は辞去するとその坂を登りつめたところにある枯れ草の上に腰を下ろします。自分の将来が長くないことを考え精一杯生きようと決心するのです。桂は孝也の病を心配しています。

茂庭家の山林や田畑をめぐって争いが起こります。地境争いを吹きかける坪田与兵衛という一派がいます。坪田は土着の大地主ですが、領主松平家の金御用を勤めだしてから、にわかに横暴になり、自分の持ち地所と接するとこで地境争いを起こします。茂庭家の田畑にもそれが及ぶのです。そして信高の病状が悪くなるにつれて、両家の地境争いが深刻化していきます。

孝也は郡代役所から年貢帳などを取り寄せ「今後は境を超えない」という誓書を取り戻してきます。しかし、大道寺九十郎とか日野数右衛門といった素行の悪い松平家の家来が「紙切れ一枚で役に立つのかああ、、」などと嘲笑するのです。

孝也の桂への態度がよそよそしくなっていきます。桂がそのことで茂庭道場の西秋泰二郎に相談するのですが、その密会のような場面に孝也がきます。西秋は桂との会話を説明するのです。
「弁解か、云ってみろ」
「待ってください、ひとこと云わせてください」
「西秋さまに罪はありません」 桂は云います。孝也は黙って二人を見ていました。
「どうか誤解しないでください」

五年に一度の奉納試合があります。この試合は鞍馬流の正統を示す絶好の機会です。病気の孝也は、この奉納試合を目指して泰二郎を鍛えようとします。そんな孝也の様子が変化していきます。稽古の烈しさと仮借なさは徹底的で泰二郎がどんなに疲れても自分で納得するまで稽古をやめないのです。孝也は泰二郎を奉納試合に出させようと考えています。

坪田の小作人がまたまた越境し始めたという知らせがきます。かつて茂庭道場にいて破門された大道寺や日野らが真剣での果たし合いを孝也に申し込むのです。孝也は部屋をすっかり片付け師匠の信高と泰二郎宛に封書を残します。

大道寺や日野の助っ人の弓矢を背中と腰に打ち込まれた孝也のところに泰二郎がかけつけます。
「大道寺らはどうした?」
「仕止めました」
「おれの足を見ろ、右の足だ、」
「あっこれは、宗城さん、」
「触るな、それは脱疽というのだ、おれはもうこのままでも五十日とは生きられない軀なんだ」
「脱疽ですって、あの骨もにくもくさる、、」
「手紙を読んだな?」
「郡奉行所に届ければ、もう坪田も悪あがきはすまい、おれはいい死に場所に恵まれたんだ、」
「西秋、、、あの人を頼む、茂庭のあとを頼む、、、」

心に残る一冊 その95 山本周五郎という作家 その四 「須磨寺附近」

山本周五郎は三年間関西へ転居し仕事もしています。神戸で小さな雑誌社に勤めました。旧友の姉が須磨区に嫁いでいたのを頼って下宿します。彼女の夫は海外勤務です。山本は彼女を「須磨寺夫人」と呼んでいます。そのときの「危険な恋」が「須磨寺附近」という小説だといわれます。

「須磨寺附近」は大正十五年に文藝春秋に山本周五郎のペンネームで発表したのが文壇出世作といわれます。清三という男が主人公です。青木の兄がアメリカに赴任しているため、友人の青木、青木の兄嫁である康子、そして清三という奇妙な3人暮らしです。浜辺、須磨寺、六甲山などに遊ぶうち、清三は康子に心惹かれていきます。神戸松竹座での待ち合わせを機に2人の仲は俄かに接近するのですが、康子は夫に呼ばれアメリカに去っていきます。主人公の清三というのは山本の本名、清水三十六からとったようです。山本自身の青春のアヴァンチュールだったのかもしれません。

山本が「小説日本婦道記」を書いたのが昭和十七年といわれます。昭和は小林多喜二や徳永直、宮本百合子らプロレタリア文学の全盛期といわれました。その間、山本は少年少女雑誌小説や推理小説書きに没頭します。さらに大人向け娯楽小説雑誌、キングなどを主な執筆舞台としていたといわれます。純文学作家と大衆作家とは異人種とみられるような時代です。

山本は云います。「文学には純も不純もない、より文学を最大多数の人々へというおれひとりの旗印を掲げる」とうっ積したような思いで主張するのです。ここでの最大多数の人々とは、恵まれた一部の権力者やエリートたちのことではなく、社会から見放されたような日陰に身を寄せる多数の人々のことです。反権力の姿勢で庶民の側に立ち、弱い人々がこの世を暮らしていくためには、お互いが同世代に生きる人間であるという絆や連帯感が大事だと云うのです。こうして純文学と大衆文学の垣根を取り除こうとします。

「大衆小説を書くが、やがてその中で自分のやりたいことをやる、同じ小説で講談雑誌へ出しても”改造”や”中央公論”へ出してもおかしくないものを仕上げる」と云っています。雑誌改造は主に労働問題、社会問題の記事が中心で、中央公論は自由主義的な論文を多く掲載し、大正デモクラシー時代の言論をリードした雑誌です。

山本さらに云います。「自分の書くものは、よく古風な義理人情といわれる、私が自分が見たもの、現実に感じることができるもの以外は殆ど書かないし、英雄、豪傑、権力者の類には全く関心がない。人間の人間らしさ、人間同志の共感といったものを満足や喜びの中よりも貧困や病苦や失意、絶望の中により強く感じる。」

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心に残る一冊 その94 山本周五郎という作家 その三 血縁や地縁を問い直す

いつの時代もおとなしくしていれば楽に暮らせます。ところがなにかに物言いをつけたり反対したりすると、周りから嫌がらせを受けたり、締め付けとかしっぺ返しがやってくることが多いものです。したがって黙っているのが安全です。

大衆とか庶民という言葉によってくくられる大多数の人々の暮らしの中にそんな側面がよくあります。沈黙や無気力さや長いものに巻かれるような生き方に山本周五郎は黙っていないのです。無気力を思い切ってさらけ出し、人間としての怒りを沸き立たせたのが山本の文学だといわれます。

「怒りという感情の発動とは、自分が生きる主人公であるための、そしてより豊かな人間関係を築いていくための突破口なのだ」と山本は云っているような印象を受けます。私の勝手な憶測ではありますが、、、

この突破口の具体的な事例が、血縁や地縁を問い直すという主張です。江戸時代という封建制度にあって、その秩序を保つ要因は、血縁や地縁ということです。血筋とか出身地ということです。これによって人間の一生が規定されるのが当時の社会です。例を挙げれば我が国の士農工商とかインドのカースト制。こうした制度というのは社会の仕組みを固定させ、社会の発展を阻害し、その結果として安定した社会を維持することに寄与するのです。

山本は、人間にとって最も身近な血縁とか地縁とはいわば内向きの仕組みであると云います。それに風穴をあけ、新しく人と人とを結ぶ心縁、つまり心の絆をもってする家族とか故郷における人間関係の再構築を図ろうとしたことが作品に横溢しているような気がします。山本の作品を読み込んでいくとき、必ずやどこかでこのような新たな人間関係を作りだそうという意図を感じます。これまで紹介してきた「かあちゃん」、「朝顔草紙」、「初蕾」、「菊千代抄」、「いさましい話」、「七日七夜」など、心という縁でつながる物語を解説してきました。

心に残る一冊 その93 作家山本周五郎 その二「狷介固陋」

山本周五郎の作家としての矜持とはなにかを考えるですが、相当にかたくなに自分の意思を貫いて筆を握っていたことがあちこちの本に書かれています。例えば頑固一徹であったとか、「狷介固陋」(けんかいころう)であったという記載です。広辞苑によれば「狷介固陋」という単語の「狷」は分を守って不義さなぬこと、「介」は固い意志、とあります。固く意思を貫いて人と相容れないことが「狷介固陋」だそうです。この言葉が山本の矜持、自分を固く守って妥協しないさまを示しているという評論家のかなり一致した見方のようです。

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山本の作家としての姿勢に「片意地」とか「傲岸不遜」という評をくだす人もいます。「傲岸」とはおごり高ぶってへりくだらないこと、「不遜」謙虚さのないさまともあります。「無名若しくは新進作家の大衆文芸」に与えられるのが直木賞です。昭和18年に「小説日本婦道記」がその候補に挙がったとき辞退したというのも山本の気概が伝わってきます。芥川賞が純文学の新人に与えられる賞、直木賞は大衆文学に与えられる賞という巷の評価に山本は抵抗したのかもしれません。当時、文藝春秋の社長であった菊池寛との角逐があったともいわれます。

山本の「ねじけ魂」のような姿勢は、作品の中に感情の側面である怒りがしばしば登場することに現れています。彼は「人間を感動させることはやさしいが、人を心から怒らせることは難しい」という言葉にそれが示されています。怒りを表現する作品にこだわったのかもしれません。怒りは人間の無気力さに対する抗議の印のようです。人間としての怒りをその心に沸き立たせる文学に向き合ったといえるかもしれません。

山本は学習された無気力に激しく立ち向かう作品を書いています。無気力に関する一例としてネズミの実験があります。片方のネズミには、動き回ったり抵抗すると締め付け、おとなしくなるとすぐ解放するという負荷やほうびを与えます。それを繰り返し学習させます。こうした学習したネズミと普通のネズミを同じ水槽に入れると、普通のネズミは60時間ももがいて死ぬのに、学習させられたネズミはぴくりともしないで死ぬという結果がでたそうです。

この実験から云えることは、抵抗しないほうがよいと学習した人間もまた、社会悪や不正義に対する抵抗力を奪われてしまっていて、無気力感を備えてしまうということでしょう。地域でも組織でも、自立した個人の立場から声を挙げることが摩擦や面倒を引き起こすことは私たちがよく経験していることです。抵抗は空しいということを知らず知らずのうちに学習し、その意識を心のどこかに植えつけてしまっているのです。

 

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心に残る一冊 その92 作家山本周五郎 その一 庶民の作家

山本周五郎の作品を読んでいくと、彼の生い立ちや家族関係、育った土地とそこにおける人間関係がどのようであったかということに興味が湧いてきます。こうした事情を知ることで、山本の作家としての矜持とか誇り、作品に流れるテーマも理解できそうな気がしてきます。「山本周五郎を読み直す」や「山本周五郎庶民の空間」、「人間山本周五郎」といった本などを参照しながら、彼の作家の人となりを数回にわたって探っていくことにします。

山本周五郎の本名は清水三十六。「さとむ」と呼ばれたそうです。明治三十六年、山梨県北都留郡初狩村に清水家の長男として生まれます。祖父清水伊三郎がどうしても周五郎を引き取ることを許さなかったあります。事情はわかりません。そのため伊三郎の姉、斉藤まつの家で出生したようです。父の逸太郎は妻を失った後、若い女を二度嫁にもらいます。しかし、二人とも男を追って去ります。やってきた後妻のてるえは家事一切をよくこなし、病床の逸太郎や子どもの面倒をみます。

初狩の生活では家運が傾き、同家所有の長屋に移転します。祖父母、叔父、叔母、逸太郎夫婦に周五郎を加えた八人家族の清水家は狭い生活で、そのため大月に転居したようです。父逸太郎の葬儀のとき、山本はなぜか立ち会っていません。そのため親族から非難が集中したようです。この一件を機に山本は故郷の山梨には来なくなります。とはいえ倒れた父に毎月二十円を送金し、韮山に墓地の墓石には清水逸太郎建立と刻印したと記録されています。その費用を負担したのが山本だったといわれます。血縁や地縁を問い直そうという作品を数々書き上げていく理由がこのあたりにありそうです。

昭和六年に大森は馬込の借家に入居するまで、山本はおおむね窮屈な居住事情の中で暮らします。それが作品に投影されているようです。山本周五郎は庶民の作家だと云われる所以です。日の当たらぬ吹き溜まりに身を寄せ合い、「一日いちにち、まっとうな暮らしをしようとする最大多数の人々に、親近感を抱き続けた出発点が借家であり長屋生活であった」と山本の研究家木村久邇典が書いています。

心に残る一冊 その91  「お美津簪」 正吉の最期

「お美津簪」の続きです。
長崎の母の許に行くための船賃を稼ぐために、初めて犯す罪で押し入った家がたまたま筑紫屋茂兵衛の家でした。かつて丁稚奉公をしていた店です。茂兵衛に見つかって捕まります。
「この手で縄をかけてやるのも穢らわしい、早くここから出て失せろ!」
「この茂兵衛はなあ、今まで貴様のことを、もしや真人間になって帰る日もあろうかと、自分の倅を一人亡くしたよりも辛い気持ちで待っていたのだぞ、、」
「可哀相なのはお美津だ、お美津は貴様のことが忘れることができず、いまは半病人のようになっている」

正吉は畳に伏したまま、ごぼごぼと咳をすると口から血潮がほとぼります。茂兵衛は正吉から長崎行きの船賃欲しさにたまたま忍び込んだこと、お袋に一目会って死のうとしていることを白状します。
「なにも仰有らずお見逃しくださいまし、」

それをきいた茂兵衛は戸棚から金子を持ってきて正吉に渡すのです。
「これは貴様に遣るのではない、長崎で待つお袋さんに遣るのだ、お美津は今夜長唄の稽古があって出掛けている、もうそろそろ帰る時分だが、お美津に貴様のその姿を見せたくない」

筑紫屋を追い出された正吉は、廻船を待つために居酒屋に入ります。そのとき、「助けて!助けて!」という女の声をききます。無頼者態の男が二人、一人の娘の手を取り奥に引き込もうとしています。正吉は土間に落ちている花簪をひょいと拾います。正吉は刺身包丁をつかみながら二人の男に体ごと突っ込みます。一人がだあっーーと倒れます。残りの一人が短刀を抜き正吉の腹へ一突き。
「だ、、誰かきてくれ、、、」
正吉は傷に耐えながらよろよろしています。
「助けて、助けてください、、」そのとたん娘が「あ、、おまえは正さん」
「えっ」
正吉は眼を見はります。
「あたしを忘れたの正さん」
「あっ、、、ここは危ない、早く表へ、」

お美津を抱き起こして二人は走ります。お美津は長唄の稽古の帰りに襲われたことを話します。
「ここからは家も近い、お美津さま、あなたは早く帰ってください!」
「あたしはいや、おまえと一緒でなければお美津は生きる甲斐がないのよ、正さん、あたしがどんなに待っていたか、おまえは知らないでしょう」
「お帰りなさい、家へお帰りなさい、お美津さま!」
「正吉は長崎へ帰ります、そして真人間になって昔の正吉に生まれ変わってきます」

すがるお美津の手を振り切って正吉はよろめきながら走ります。懐には土間で拾った花簪を確りと握っています。その明くる朝、江戸橋の船着き場に一人の男の屍体がころがっているのが発見されます。

心に残る一冊 その90  「お美津簪」

山本周五郎の作品の一つ「お美津簪」の紹介です。かんざしー「簪」という語は難しい綴りです。

初めて父に連れられて長崎から江戸にやってきたのが正吉です。同郷の筑紫屋茂兵衛の店に奉公にだされます。茂兵衛には男の子がなく、お綱とお美津の二人の娘がいます。

正吉は気質が良く、人品も優れていて人並み以上の敏才の持ち主です。茂兵衛はお綱を婿として跡目を継がせようと考えていました。正吉とお美津は私かに恋を語る仲となります。そしてあるとき、正吉とお美津が土蔵の中で逢い引きをしているのを見つかります。正吉は一年間、小僧として使い走りに落とされます。

正吉はそれ以来夢のなかでうなされるようになります。お美津ばかりの夢を見、病気が進行しているような状態になります。正吉はすっかり自棄となり、お紋という女性に懸想してしまいます。そして店の金五十両を持ち出しお紋と駆け落ちするのです。その後、お紋に拐かされたように押し借り、強請、博奕などあらゆる無頼の味を嘗めていきます。女の情欲のために、治る見込みのない労咳で病む身となります。「罰だ、罰だ、旦那様やお美津ちゃんの罰が当たった、、」
「長崎、長崎、、、おっかさん」
正吉の胸に故郷の念がつきあげてきます。

「そうだ、長崎へ帰ろう、どうせ半年先もおぼつかない体だ、故郷の土を踏んでから死のう、おっかさんに一目会って不幸を詫びて死のう、」

その体ではとても長崎まで歩き通すのは無理なので、廻船問屋できくと、幸い明日の明朝長崎向けの船が江戸橋からでること、船賃は二両であることを知ります。居酒屋をでた正吉は船賃を得るために博奕のことを思い出します。
「もう一度だけだ、今夜っきりでおさらばなんだ、これ一度だけやろう」

しかし、博奕を見張っていた岡っ引きに追われ、黒板塀の家へ忍びこみます。短刀を持ってその家の主人の居間らしき部屋に入ります。その刹那、足をすくわれて転倒しその場で取り押さえられるのです。

「誰か、灯りを持ってこい!泥棒だ!」
「あっ、、おまえは、、、」
「正吉!顔を挙げたらどうだ、」
「あっ、旦那!」
初めて犯す罪で押し入った家がたまたま筑紫屋茂兵衛の家だったのです。

心に残る一冊 その89  「のうぜんかずら」

山本周五郎の作品に「のうぜんかずら」があります。原題は「凌霄花」とあるのですが、この単語をとても読んだり書いたりできませんのでひらがな表記にします。

広辞苑では「凌」は”しのぐ”、 「霄」は”そら”の意味とあります。 枝や幹から気根と呼ばれる根を出し、つるが木にまといつき天空を目指してど高く這うところからこの名がついたとあります。平安時代には薬用として栽培されていたとか。開花期は夏で、花色は濃い赤オレンジ色で非常に目立つ色彩です。花弁がラッパのように開きます。英語では 「Trumpet vine」、トランペットのようなつる、とか葡萄の木と呼ばれています。

「のうぜんかずら」の主人公は、滝口新右衛門という城代家老の跡取り、高之介です。藩校であった明考館では優秀な生徒です。ですが武芸のほうは興味がありません。それでも進められて槍術を始めるようになり、めきめき上達し中軸の上位を占めるようになります。毎年開かれる御前試合で高之介は上位四名に残りますが、なぜか棄権します。四名の一人に近田数馬という仲間もいました。ある時、高之介は決闘を申し込まれます。周りのものは云います。
「近田の面目をつぶした。試合の時棄権したのは、近田を江戸の大会にだしてやりたかったからで、立ち会っていたら自分は勝っていた、そう触れ回っていたそうじゃありませんか」
しかし、こうした噂は間違いであることをあとで近田も認めます。

高之介に恋慕するのがひさ江です。藩の金御用をつとめ呉服反物をあつかう豪商、津の国屋の一人娘です。身分の差はどうしようもありません。跡取りと一人娘ですから結ばれるのは絶望的でした。二人がしばしば逢瀬をかさねた所が、女坂下の雑木林の中です。そこには、朱に黄色を混ぜたような「のうぜんかずら」が始終咲いていました。そして、二人は云います。
「お互い別々に結婚してもこの花の咲く頃になったら、一度でもいいから二人で逢いましょうね」 「どんな無理をしても、、」 「高さま、、、でもわたし苦しくて堪りませんわ、高さまどうにかならないんでしょうか、あたし胸が裂けそうよ」

ですが、高之介が二十歳、ひさ江が十八歳の歳に互いの困難を乗り越えてなんとか結ばれます。二人は妻と呼ばれ良人と呼ばれるようになります。ひさ江には覚えなければならない事が沢山ありました。商家と武家との生活様式の違い、髪形、着付け、化粧、起居挙措、言葉遣い、食事の仕方、客の接待、あやゆる瑣末ことに武家の作法がついてまわります。城代家老という格式があり、神経をつかわなければなりませんでした。ひさ江は眼に見えて痩せていきます。生まれ育った環境の違いがすれ違いを広げていきます。そして実家に帰り別居することになります。

「のうぜんかずら」はなにかの枯れ木に絡まっているつる性の植物です。離ればなれの二人は時々、雑木林にやってきては「のうぜんかずら」をみて、かつての逢瀬を思い出します。ひさ江は、この場所に来ては高之介が来るのを待っています。そしてその時がやってくるのです。

心に残る一冊 その88  「七日七夜」 千代

「七日七夜」の二回目です。新吉原でボコボコにされた本田昌平の顛末です。

弥平と千代という親娘がいとなむ居酒屋が「仲屋」です。下町の人足、土方、職人、子連れで稼ぐ女などが出入りする店です。千代は初めの二日は殆どつきっきりで昌平を看病し、嘔くものの始末や薬の世話をします。
「あの晩の騒ぎで町廻りがきたんですよ」千代が昌平にそう云います。
「、、、お父つぁんがでて、あなたのことを親類の者だっていったんですけど、悪かったでしょうか」
「悪いなんて、そんなあ、、、有り難いよ」
「お父つぁん、とても心配しているんです、あなたの話を聞いて」

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昌平は病床のなかで、屋敷での居候のこと、兄や嫁のいびりのこと、26年の暮らしぶりや金のこと、ほうぼう遊び回ってひどい目にあったこと、などを弥平と千代に語るのです。「たとえ話半分としても、とてもそんなお屋敷へは気の毒で帰させないって」
見舞いにきた相客や彼を打ちのめした若者が謝りにくるのを昌平は見ます。彼らの態度に暖かい血が通っているのに気づくのです。

「、、、、おれにはまだ信じられない、どうしてみんなこんなに親切にしてくれるのか」 昌平は眼をつむって静かに云います。
「眼がさめると、なにもかも夢になってしまうんじゃないか、そんな気がするのです」
「夢じゃないわ、もし夢だとしてもあなたがその気になれば、、、」千代はためらいながら云います。
「そんなこまかい話より、喧嘩のときあなたがおっしゃった一と言でみんなあっっと思ったのです」
「、、、、お母さま、堪忍してください、もうしませんからって」

千代は泣き出します。自分も母に死なれて、いっそう共鳴したのかもしれません。
「あたし一生忘れませんわ、あの声、”お母さん、堪忍してください、もうしません”、あなたの話が全部嘘でないことあたし初めからわかりました、あなたはいじめられっ子だったんだって」
昌平のつぶった眼尻から涙が溢れ出します。

深川仲門前にある「仲屋」という居酒屋の今です。店では、千代という娘が武家出の養子をとります。二人が出す、どじょうを丸のまま串焼きにし味噌をつけた付きだしが好事家に人気とか。繁昌して相当金もできますが、いつまでも仲屋のままです。店を大きくして料理茶屋でも始めたら、という客もいます。その武家出の養子は、そんな声をまるで相手にしません。

「そいつはまあ、生まれかわってからのこととしましょう、生きているうちはこの土地を一寸も動くのはいやですね」
すると女房が横目で色っぽく亭主をみて云います。
「そうね、夢がさめないって限りもないんですもね」

心に残る一冊 その87  「七日七夜」 四男の昌平

「七日七夜」という山本周五郎の作品です。二男三男は冷や飯喰らい、四男五男は拾い手のない古草鞋といわれていた時代の話です。本田という三千石の旗本がいました。昌平は本田家の四男です。家では居候のような暮らしです。机の上で書物の写本をしています。艶めかしい戲作の写本で小遣いを補っています。

昌平の着物といえば順送りの古着です。そして兄貴たちからいつも怒鳴られています。
「外に出るな、みっともない!」
「客がくるんだ、すっこんでいろ!」

兄嫁が輪をかけたように無情です。三百両の持参金付きで本田家にやってきたのです。皮肉なそら笑いをしては、縫い物や洗濯は自分でするように昌平に言い付けます。兄嫁がこうなので、召使いらも自然に昌平に冷淡で軽蔑した態度です。
「あのう、御膳のお支度ができました」
「あ、、いますぐいく」
「、、、、、、なんだこれは、」
飯と汁を口につけるとどちらも冷えています。昌平は逆上し、兄嫁に「持参金をここへ出せ!」と刀を向けて脅します。嫁が仏壇の裏から袱紗を持ってくると小判の包みを六戸つかんで、通用口から外に出ると辻駕籠に乗ります。その夜は新吉原の遊女屋にあがるのです。

昌平は一夜で百十両という大金を使い、物心両面でうちのめされ、ふみにじられ、なにもかもぼろぼろとなった気持ちで大門を抜けます。
「一晩に百何両、うろんなのはこっちだ、、」
「、、、、金をだしな、金、金、勘定、勘定!」
「、、、、番所へ行って話をつけやしょう」


こうした吉原でのやりとりが幻聴のように響きます。泥酔した昌平は濡れた草履をひっかけるとぼとぼ歩きます。そして見知らぬ若者をからんで昏倒して、眼が覚めたときは「仲屋」という店の奥で寝かされています。そして、心配そうに囲んでいる者に苦しみながら昌平は本田家での身のうち話を始めるのです。

心に残る一冊 その86  「いさましい話」 津田庄左衛門

普請奉行の津田庄左衛門は「尤もいずれ江戸にお帰りになるというのなら、敢えて敵をつくることもないでしょう」と国許に派遣された若き勘定奉行の玄一郎に忠告します。
「私は江戸へは戻りません」
「こんなことを申し上げるとお笑いになるかもしれませんが、それはこの土地の人を嫁にもらうことなんです」
「この土地の人と結婚すれば姻戚関係もできるし、またその妻の力もいろいろな面で役立つと思うのですが、、、」

地元で土地で結婚すれば親戚ができ、いちおう土地に根を下ろしたことになり、江戸から来て江戸に帰る人間でなくなるというというのが玄一郎の思慮です。

勘定所の中で、部下の益山郁之助、三次軍兵衛、上原千馬は玄一郎をなんとか陥れようとあの手この手を使って不満をかきたて、江戸に帰そうとして果たし合いまで画策するのですが失敗します。そして、玄一郎地元の女で美貌の松尾と祝言をあげるのです。松尾に懸想していた若侍達の反発感情を昂めます。

そこに事件が起こります。領内にある山の檜の一部を浪花屋という業者に払い下げる代価として五百両を玄一郎が受け取ったという訴えです。巧妙に玄一郎の署名があり、勘定奉行の役印が捺してある証書も提出されます。玄一郎は一切釈明はせず、城内に押し込めらます。その始終をきいた津田庄左衛門は浪花屋の手代と会い、益山ら三名の企みであることを察します。そこで玄一郎に罪が及ばぬよう庄左衛門は主謀者と名乗り、証書は自分が作り、役印も自分が盗んで捺印したと自訴します。庄左衛門は家禄を取り上げられ国外追放という処分が下ります。玄一郎は監禁から解かれます。

然し、妻の松尾は自分の父から津田庄左衛門の過去のことを聞いていたのです。庄左衛門は妻と子どもがいたにも拘わらず、ある女性と恋仲になり子どもを生んだことがあるというのです。その子どを笈川家に出すのです。時が経ち、庄左衛門はそのことをすっかり忘れていたのですが、妻と長男に先立たれる頃から、その子のことを思いだし、自分の過失の重さを振り返ります。己の子を物でもくれるように他人に遣ったという悔いです。

松尾は玄一郎に云います。「あの方、津田さまはあなたの実の父です」。こうして津田の穏やかな淡々として話しぶりを思い出され、実の親が子をおもいやる言葉であったことを玄一郎は知ります。「叱られたり折檻されたことはおあいですか」と云われたとき、自分はなんと答えたかもよく思い出せないのです。然し、津田が安心し頷いた表情は記憶に残っています。「わたしは悔いの多い人間ですから、、」と溜息をついてさりげなく云った声が玄一郎の耳にさまざまと聞こえるのです。

心に残る一冊 その85  「いさましい話」 笈川玄一郎 

山本周五郎の 「いさましい話」という短編の一回目です。

江戸時代は、国許から江戸に妻子を住まわせ、人質のようにして一種の秩序を保っていました。江戸に住む者と国許の人との間でそねみや不信感があったようです。江戸にいる人間からすれば、国許の人間は頑固でねじれている、性格が固定的で融通性に欠け排他的である、傲慢で粗暴である、女たちも悪くのさばるなどの風評がありました。気候風土のせいもあったのだろうといわれます。

国許は国許で、江戸の人間はふぬけで軽薄、人にとりいるのが上手いなどといって毛嫌いしていました。江戸から赴任してくる者を無視したり嫌がらせをするために、赴任生活は三年と続かないなどといういう定評があり、そういう事実も多々あったようです。

笈川玄一郎が勘定奉行として国許に下向してきます。藩の財政の立て直しという任務をおびています。奉行交代の披露とそれに続く招宴で藩中の彼に対する感情もあらまし玄一郎に伝わってきます。玄一郎の部下は、彼をよそ者扱いにして、初めから不服従と反感を示し、玄一郎を怒らせたり困惑させようと振る舞うのです。部下とは益山郁之助、三次軍兵衛、上原千馬という三人です。玄一郎は彼らの誘いにのろうとしません。

玄一郎に助言を与えるのが作事奉行である津田庄左衛門です。作事奉行の仕事は造営修繕、特に木工仕事の管理です。謙遜でいんぎんな物腰。いつも柔和な微笑で、挙措もゆったりし全体に枯淡な気品に包まれています。時々釣りで一緒し、次のような会話にふけるときもあります。
「わたしは貴方のお父上を知っておりました」庄左衛門は静かに云います。
「仁義に篤い、温厚な、まことに珍しいひとでした」
「、、、はあ、仰るとおりいい父でした」
「叱られたり折檻されたことはおあいですか?」
「いやありません」
「わたしは悔いの多い人間でしたが、、、」 庄左衛門は溜息をつきます。

年末の勘定仕切りのとき、払い出し帳簿をみると玄一郎が赴任したときの招宴費用が書き出されています。
「どんな理由があっても、こういうものを役所で払うわけにはいかん、公用の意味があるのならとにかく、これは全くの私費だから」
「江戸邸ではそんな例はないし、そういう慣習を守れという注意も受けていない」
「然し、あたしの一存で押し通すのもいかがですから、すぐ江戸邸へ使いをやって問い合わせることにしましょう」

穏やかに云い終え役所に戻ると、おっつけ国老席から人がきて江戸に問い合わせるには及ばない、こちらで払うからと云ってきます。  (続く)

心に残る一冊 その84  「菊千代抄」 椙村半三郎

山本周五郎の「菊千代抄」の二回目です。

半三郎は18歳になり元服します。そして菊千代の前に呼び出されます。
「今日はききたいことがある。そのほうは菊千代が男であるか女であるか知っているであろうな」
「、、、、おそれながら」
「返事をせぬか、半三郎」
「おそれながら、そればかりは、、」
「いえないというのでは、知っているからだな、半三郎!」
「面をあげて菊千代を見よ、この眼を見るのだ!」
「菊千代が女だということを、そのほうは知っていたのだな?」
「、、、、、はい」
菊千代は彼を生かしておいてはならないと考えます。そして半三郎の袖をつかみ、短刀で彼の胸を刺します。松尾は戻るやいなや「、、、おみごとにあそばしました」と云うのです。

やがて巻野家に男子が生まれます。それ以来「おまえは女だ、男ではない、女だ、女だ、、」という声が菊千代の頭の中で聞こえ、神経発作を起こすようになります。菊千代は分封され、中山の尾形という谷峡で松尾と矢島弥市という家来だけを連れて暮らすようになります。弥市と一緒に馬で領内をまわり、弓を持って山に分け入ったりします。領内で貧しい小作人らと出会います。竹次というひどい暮らしをする者に出会うのです。竹次は十年前にかけおちしてこの地に落ち着き妻と子で暮らしています。

その家族の近くの物置に1人のひどくやせた男が住んでいました。その男に侍や下僕たちが声高になにか云っています。通りかかった菊千代が黙って通り過ぎようとします。やせた男がじっと頭を垂れているのを目撃します。素性が怪しい、労咳などという病人では屋形の近くにおいておけないといって立ち退きを迫っているのです。菊千代は立ち退きには及ばない、許すからここにいて病気をいたわってやるがよいと命じます。

それから1年あまり、菊千代は落ち着いた静かな生活をおくります。彼女は時々、物置にいる男が歩き回る姿や薪を割る様子を見かけたりします。歩いていると丁寧に挨拶をしたりするのです。その身振りを見るたびに、男は武家の出で志操の正しい人間であると感じるのです。

父親が菊千代の世捨て人のような暮らしを変えようとして10人ばかりの供をつれて尾形にやってきます。芸達者なものも連れているのです。その中の一人、葦屋という芸人がつきっきりで菊千代の望む芸を披露します。ある夜、菊千代はひどくうなされます。「お姫さまとだけ、お姫さまと私二人だけ、」と葦屋が云って菊千代の耳へ口を寄せて呻ぐのです。菊千代は蒼くなり、葦屋が自分が女であることを知った、生かしておけないと思います。

菊千代は葦屋に向かって、短刀を振るおうとします。するとふいに横からつぶてのように走ってきて「お待ちください、御短慮でございます」こう叫ぶ者がいます。「お待ちください、どうぞお気をお鎮めください」と立ち塞がるのです。「どかぬと斬るぞ」菊千代は逆上したように刀をふり回します。「止めるな、斬らねばならぬ、どけ!」男は「刺してはいけません」と菊千代の前に立ち塞がり、自分の胸を開いて諫めようとするのです。胸元の傷を見た菊千代は、かつて自分が短刀を振るって傷つけた半三郎であることを知るのです。

半三郎はごく控えめな表現で菊千代に対する同情と愛憐の気持ちを伝えます。労咳を病みながらひところは医者にも見放されながらも、不思議に一命をとりとめて、若君のしあわせ見届けるまで、気力をふるいおこし、その一心を支えにここまで供をしてきたと告白するのです。

「今でもそう思ってくれるか」、「菊千代をいまでも哀れと思ってくれるか」
身を振るわせて菊千代は彼の手をつかみ、その手へ頬を激しくすりつけるのです。

心に残る一冊 その83  「菊千代抄」 家訓

「菊千代抄」という山本周五郎の作品の紹介です。菊千代は巻野越後守貞良の第一子として生まれます。貞良は筋目のよい譜代大名の出で、寺社奉行をつとめていました。巻野家には古くから初めに女子が生まれたらそれを男として育てるという家訓のようなものがありました。そうすれば必ずあとに男子が産まれるということで、これまでにもそうした例が実際にあり、そのまま継承されてきました。当時貴族や大名の中にはこういう類の家風は稀ではなかったようです。

菊千代の母は病身でごくたまにしか菊千代は会いません。身の回りの世話には松尾という乳母がします。父は菊千代が乳母の手に抱かれているのを見ながらしきりに酒を呑み、3、4歳になると膳を並べさせ、「さああ若、ひとつまいろう」などとまじめな顔で杯を持たせたりします。

  菊千代の遊び相手はみな男の子です。自分の体に異常なところがあるということを初めに知ったのは6歳の夏です。乳母の松尾が側を離れた隙をみて誰かが池の魚を捕まえようといいだします。そして裾をまくって魚をおいまわします。菊千代の前に立った一人が突然叫びます。
「やあ、菊さまのおちんぼはこわれてらあ、」

池畔にいた一人が袴をつけたまま池にはいってきて、「なにを云うのか、おまえは悪い奴だ、」と暴言を口にした者を突き飛ばし、菊千代の肩を抱いて池から助け上げます。そこに松尾が走ってきます。菊千代は泣きながら松尾にとびつき、みんなの眼から逃げるように館にかけだしていきます。池から菊千代を助け上げたのは、八歳の椙村半三郎です。

半三郎は面長で眉のはっきしりしたおとなしい子でした。松尾は菊千代に対して体に異常はないこと、もしそうであれば侍医が診ていることなどいろいろ説明してくれます。然し、その時受けた恐怖のような感情は消えません。池の中の出来ごと以来、菊千代は半三郎が好きになり、なにをするにも彼でなければ気が済まず、少しも側を離しませんでした。

父との会話で菊千代は云います。
「本当に男のままでいられるのですか?」
「若が望みさえすれば造作もないことだ、」父が云います。
「、、、でもあとに弟が生まれましたら?」
「巻野家を継ぐのではない。分封するのだ、」
父はそういって菊千代に云ってきかせるのです。分封とは所領の内から適当な禄高を分けてもらい、相応の家来を持って生涯独立した領主となることだと菊千代に説明します。

ある夜、菊千代は乳母の松尾にききます。
「若が女だということを知っているのは誰と誰だ、、、」 父と亡くなった母、侍医と取り上げた老女、国許の両家老、その他知っているものはないことを菊千代にきかせるのです。その時、6歳の夏で池で魚を追い回していたとき、「若さまの、、、、、はこわれている」と誰かが叫んだのを思いだします。菊千代は半三郎を想い浮かべます。彼は知っている、生かしておけない、とも思うのです。それまで常に半三郎と相撲をとり、柔術の稽古をし、組み合っては倒れ押さえこまれてきたのです。彼一人を相手に選んできたのです。(続く)