食料品消費税ゼロで価格は下がるのか?

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お店で買い物をしたとき貰うレシートには、消費税が外税で表示されています。これを見ると「自分たちは消費税を払っている」と思うのも無理もありません。私たちが負担した「消費税分」はそのまま税務署に納められているのではありません。実は我が国の消費税法の五条では納税義務者は事業者であると規定しています。

 店の事業者が税務署に納める金額は、年間売上高に10%(一部8%)を掛けた額から、年間仕入高や人件費などの経費、車などの固定資産の購入費に含まれている消費税分を差し引いて算出されます。これは「仕入税額控除方式」と呼ばれています。つまり消費税は、物品やサービスにかかる税金(間接税) ではなく、事業者の生む付加価値に課税する直接税的なものです。法律的には裁判所によって「税金ではなく、物価の一部」だという判決が確定しています。

(国税庁サイトより引用)

 アメリカの小売売上税(sales tax) の場合、税金分を消費者が払う義務があります。店はそれを預かり、一定期間まとめてそっくりそのまま州当局に納めるという単純で分かりやすい預かり税という間接税です。日本の消費税はこれとは全く異なる税金です。消費者から見える表の顔,、つまり外税と事業者が仕入税額控除方式によって納めるという裏の顔を持つ、不透明な税金だと言われます。 

次に、食料品のゼロ税率という提案についての見解です。まず最初に指摘すべきことは、食料品の消費税ゼロによって価格が下がる保証は全くないということです。消費税の納税額が仕入税額控除方式によって算出されるため、正確な納税額がいくらになるかは決算が終わるまで分からないからです。そのため、食料品の値段を8%下げることに不安を感じる事業者が多いのです。事業主は、価格を決めるのは自分達ですから、従来の税込み価格で販売したくなるだろうと思います。

 消費税法には消費税分を価格に転嫁する規定はありません。価格に転嫁する法的義務も保証もないのです。価格は市場の原理、つまり需要と供給の関係で決まります。売れ筋は高く売り、売れなければ安くせざるを得ません。最終的な価格の決定権は事業者にあるのですから、食料品がゼロ税率になっても価格を引き下げる義務はないのです。食料品の消費税ゼロにしても、食料品の値段が8%下がる保証など全くありません。

(財務省サイトより引用)

 一般の人々は「消費税率が5%から8%に、8%から10%に引き上げられたとき、物価が税率分上がったではないか。だから税率を5%に下げれば、税率分下がるに決まっている」と反論する者がいるかもしれません。ですが税率引き上げのつど引き上げられた価格というのは、消費税分ではなく、「単なる便乗値上げ」なのです。その最たる例は新聞です。新聞購読料は軽減税率の対象となりましたが、大手のY新聞は軽減税率実施を察知した9カ月前の2019年1月から、セット料金4,037円を4,400円に引き上げました。便乗値上げの最たる例です。残念ながらこの値上げは法律違反ではありません。

 消費税の税率が引き上げられれば、事業者は堂々と「便乗値上げ」を実行します。事業者は決して「便乗値下げ」をしません。もし値下げがあった場合には、同業者間の競争に勝つためにやむを得ず事業者が価格を下げた結果か、あるいは市場の原理でそうなったかなのです。

 食料品ゼロ税率となると不利益となる人々がでてきます。それは外食産業といわれます。飲食店は年間売上高に10%を掛けた金額から仕入税額控除をします。食材仕入れにかかる消費税がゼロ税率になると控除額が激減します。控除額が減ると消費税の納税額が上がるのは当然で、極端な場合、利益が赤字であったも消費税を納めなければなりません。

 そこで飲食店側が食材仕入業者に消費税分仕入価格を下げろと要求したとします。ですが食材仕入業者が下げなければならない規定も義務もありません。価格を下げるか維持するかは需要と供給の関係か両者の力関係で決まるのです。弱い立場にあれば、飲食店側は下げてほしいという要求を取り下げるだけです。ひどい場合、飲食店は消費税倒産という事態になりかねません。

 このように、食料品ゼロ税率は経済社会を混乱に陥らせる手品のようです。にもかかわらず、政治家は「食料品ゼロ税率は家計が助かる」などと誤った宣伝をして支持を集めようとしています。こうした宣伝にだまされてはいけません。以上のように理解しますと、消費税は事業者間、事業者と消費者との間に価格転嫁の争いを持ち込むような仕組みとなっています。政府はこのような事態に「高みの見物」をしているようです。経済学者の湖東京至氏は、「食料品の消費税率を0%にすることには問題がある」という立場を繰り返し示しています。氏の主張の核心は、「一見弱者に優しい政策に見えて、実際には不公平かつ非効率で、税制全体の歪みが大きい」というのです。

 「消費税・社会保障一体化」という台詞も曲者です。消費税率の引き上げによる増収分を、年金・医療・介護・少子化対策といった社会保障の安定財源に充てるという、あたかも国民を「なるほど、、、」と思わせるのは詐欺のようなものです。なぜなら社会保障は消費税ではなく、保険料が財源のはずなのです。急速な少子高齢化を促進したのは、非正規雇用の増加による将来不安とか、子どもを欲しい数だけ持ちにくいといった社会になっているからです。こうした課題を解決しないで、増税で社会保障を賄うというのは本来ならば筋違いなのです。結論ですが、消費税というのはなかなか正体をつかみにくい制度です。もう少し国民に分かりやすく説明すべきではないでしょうか。

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「税」という漢字

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今、国会では盛んに増税、減税、そして廃止論が論議されています。どうしてこのような事態になっているかが気になり、税金の歴史やその正体とはなにかを調べています。

 古代エジプト時代にはすでに、賦役の提供を中心とした租税、ギリシア、ローマでは財産税と間接税の芽生えもあったといわれています。確か中学生のとき飛鳥時代に大宝律令という法律によって、「租・庸・調」という税や労役をかける税のしくみのことを習いました。「租は男女の農民に課税され、税率は収穫の約3%位」だったようです。

『世界古典文学全集』より引用

 「税」という漢字の意味です。文字通り漢字の「税」はのぎへん(ノ木へん)の「禾」と「兌」から成ります。漢和辞典によりますと、「禾」は穂を実らせた穀物の象形だと言われています。そして、「禾」「の「ノ」の部分は、穀物の穂が垂れている様子とあります。税の右側の「兌」は、もともと抜き取るとか脱ぐという意味と言われます。そうしますと、「税」とは実った稼ぎを抜きとる、という意味ということになります。

 私たちは通常何気なく「税を払う」とか「税を納める」という言い方をします。ですが、この二つの表現は明確に異なります。「税を払う」とは、例えばペットボトルの水を買ったときにその一部の10円を払うことです。他方「税を納める」とは、決められたこと、例えば収入があれば、所得税法などで規定された額を納める、ということです。納めるのは、何らかのモノー対価が手にはいらない場合の行為です。少し難しくいえば、政府は所得から税を集める租税債権を持ち、税を納める者は債務者となります。この場合、債務者は政府からの反対給付はありません。つまり対価はないということです。

 社会保険料の場合を考えてみます。「保険料を払う」か「保険料を納める」のどちらでしょうか。社会保険金は病気や事故の時に支払われるものです。「保険料を払う」ことによって対価としての給付ー保険金を受けることができるのです。ですからこの場合は、モノを買うときのように「保険料を払う」というのが正しいと思われます。いずれにせよ、私たちはこの世に暮らす限り、税から逃れることはできないようです。

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ザイム真理教というカルト

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「ザイム真理教」とは「経済成長よりも、財政健全化という帳簿上の収支合わせを神聖視し、そのために増税を行い続ける主義」を主張する財務省への強烈な皮肉を込めた呼び名です。この言葉は、昨今の物価高や実質賃金の低下の中で、「なぜ政府は減税をして国民を助けないのか?」という不満を持つ人々の間で強く支持されています。

「真理教」という強い言葉で呼ばれるには、単なる政策論争ではないことが分かります。財務官僚が有力な政治家やメディア関係者に対して頻繁に「ご説明」と称するレクチャーを行い、「日本は1000兆円以上の借金を抱えていて財政が破綻します」「国の借金○○○兆円、国民一人当たり800万円の借金」なととマスコミにも喧伝し危機感を植え付けていると言われるのです。いわば洗脳といわれる行為、これがレクチャーです。財政が破綻するので増税するというの財務省のロジックです。財務省は、分が悪くなると「少子高齢化が進み、年金、医療などの社会保障の財源が足りなくなるので消費増税が必要」という論点に軸足を移すのです。これに反論するためには、政治家はもっと勉強しなければならないはずです。

政府が必要な支出はしっかり行い、景気を良くすることを唱道する政治家や学者は冷遇され、財務省の「教義」に従う者だけが出世したり、メディアで重用されたりする構造があります。結果として積極財政という異論を排除することに傾倒するのです。「自国通貨建て国債の日本は財政破綻しない」という経済学的事実ー現代貨幣理論(Modern Money Theory: MMT)を無視し、頑なに緊縮財政を続ける姿勢が、論理を超越した「教理や信条」に見えるために「真理教」と呼ばれるのです。

「ザイム真理教」という用語を使ったのは経済アナリストで、2025年1月に亡くなった森永卓郎氏です。その著書『ザイム真理教』を通じて、日本の財務省が長年にわたり行ってきたとされる「財政破綻の危機を煽る情報操作」と、それによって日本経済がデフレから脱却できない現状を厳しく批判したのです。財務省の主張である「国の借金(国債)が巨額であり、このままでは日本の財政は破綻するというデマの流布に対して森永氏は、「日本は財政破綻しない」と看破します。

ザイム真理教

森永氏の反論は、政府の国債は自国通貨建てであり、通貨発行権を持つ国が資金繰りで破綻することはないということです。これは世界の常識となっています。日本は世界最大の対外純資産国であり、国全体として見れば「金持ち」の状態です。財務省は、政府が保有する株や土地、他国への貸付金などの資産を無視し、負債ばかりを強調することで、意図的に危機を煽っているとしています。資産と負債、つまり純資産(資産ー負債)というの貸借対照表(balanced sheet)を軽視しているというのです。

次に、森永氏は、財務省が消費税の増税を最優先事項として推進してきたことを批判しています。「消費増税」といういわば絶対主義への固執に対して批判するのです。財務省の主張は、 少子高齢化に伴う社会保障費を賄うためには、景気に左右されにくい安定財源である消費税の引き上げが不可欠であるというものです。しかし、「消費税は一般財源であり、社会保障目的税にしない、社会保障は保険料中心」というのが世界の趨勢なのです。

消費増税は、デフレ下においては経済活動を冷やし、景気を悪化させる最大の原因となります。税収を増やす方法は増税だけでなく、政府が積極的な財政出動を行い、経済成長を促して税収のパイを大きくする、すなわち税率を変えなくても税収が増えることが本来の道であるとしています。消費税増税は、大企業が優遇される「逆進性」、つまり所得の低い人ほど負担率が高くなる税制であり、格差を拡大させると指摘しています。森永氏は、財務省が推奨する政府の支出を絞る財政健全化=緊縮財政が、日本経済の最大の病巣であるデフレを長期化させていると主張しています。他方、財務省は、 財政赤字削減のため、公共事業費などを削減し、無駄遣いをなくすべきであると主張します。ですが公共事業費で無駄なものとは一体なんでしょうか。

終わりに「ザイム真理教」は「その教義が、単なる政策論ではなく、「教団の活動」として強力に実行されているという点です。信徒への「洗脳」、すなわち財務官僚による「レクチャー」が、政治家やメディアに対して行われ、財政破綻の恐怖が刷り込まれているのです。まるで「呪い」をかけるオカルトのようにきこえます。財務省に都合の良い御用学者をメディアに登場させ、オールドメディアで消費増税や緊縮財政の必要性を国民に説かせている事実もあります。さらに財務省の意に沿わないリフレ派や現代貨幣理論に沿った経済学説を「異端」と指摘し、特に報道される機会が奪われているのです。いわば情報統制を行っているともいえます。なお、現代貨幣理論とは、通貨発行権を持つ国は、自国通貨建ての債務であれば、財政破綻することなくいくらでも返済できるという経済理論です。リフレ派とは、デフレ脱却と景気回復のため、日本銀行による積極的な金融緩和などを通じて緩やかな物価上昇(リフレーション)を目指すべきだと主張する経済学者やエコノミストのグループです。

結論として、森永氏は財務省が自らの権威と予算を維持するために、国民に「未来への不安」を煽り、経済成長の芽を摘み続けていると強く訴えています。「社会保障のための消費増税」という理論的に間違ったことをごまかして、強引に増税を推し進めようとすると国民の反感と怒りを見放されて支持を失うのです。

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消費税減税か2万円給付金か

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生成AIに2つの質問、『消費税の減税はなぜ経済を活性化するのでしょうか。二万円の給付と消費税の減税はどちらが家庭にとって有効でしょうか。』という問いを投げてみました。そうすると消費税の減税は、経済を活性化させる効果があるという回答がありました。

 次に、生成AIに対して2万円の一律給付と消費税減税、どちらが家庭に有効か?という問いを出しました。生成AIは、「一概にどちらが絶対に良い」とは言えないが、世帯の収入や消費傾向によって異なると考えられるという回答です。例えば、2万円給付 vs 消費税減税(例:10%→5%)です。

 消費税減税の場合、年間どれくらいの差になるかです。たとえば、年間300万円の消費をする家庭で比べてみましょう。消費税10%では税額は30万円で、消費税5%では税額は15万円で差額15万円となります。この場合、2万円給付よりも消費税減税の方が効果が大きいです。ただし年間消費が少ない世帯では、2万円給付の方が得になることもあります。

 終わりに、どちらが家庭にとって「有効」かです。短期的な生活支援が必要な家庭には2万円給付が即効性があり、助かります。しかし、長期的には、税金や社会保険料を差し引いた後に自由に使える可処分所得の増加を望む家庭には、消費税減税の方がより大きな恩恵があります。そして、国全体での経済活動に焦点をあてるマクロ経済政策という観点では、消費税減税の方がより波及効果が高いといえます。2万円給付の原資つまり財源は、もともとは国民の税金なのです。国の2023年度税収、還付増でも2.5兆円も上振れしているのです。2万円給付とは「税金を取り過ぎました。お返しします。」と言うべきでしょう。

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医療費の4兆円削減案

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現在、自民党は与党内で日本維新の会などと社会保障制度改革の議論を進めています。その中で高齢者の医療費窓口負担の3割への割合拡大や、市販薬と成分がほぼ同じ処方薬であるOTC類似薬の保険適用見直しなどが議論されています。OTC類似薬とは、湿布薬や保湿剤、解熱鎮痛薬、抗アレルギー薬など約7000品目あります。 ただし、現時点で「国民全員が3割負担になる」といった決定的な事実や既に制度が変更されたという真偽情報はありません。現在は保険適用で、患者の自己負担は薬価の1~3割で済みます。保険が適用除外となると、市販薬の購入費用が過度にかさんだり、治療の遅れにつながったりするとし、患者団体や日本医師会が反対しています。

厚生労働省より引用

 ついでですが「高齢者」とは、65歳以上を指す言葉が一般的です。しかし、日本の平均寿命が延びている現状から、65歳から74歳を「前期高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」とする区分もあります。後期高齢者になると、4分の1にあたる人が要介護認定を受けており、入院や長期療養が増えるのも事実ですが、後期高齢者の半数以上が趣味やレジャーを楽しんでいるともいわれています。

 社会保障制度改革の議論のポイントについてです。現在、6歳から69歳までの現役世代の医療費窓口負担は、所得に関わらず原則3割です。これは今後も維持される見込みです。議論の焦点は高齢者の負担割合です。その議論の主な焦点は、高齢化に伴う医療費全体の増加を抑えるため、特に70歳以上の窓口負担割合を引き上げるというものです。11月5日の財務省の審議会では「70歳以上の医療費を原則3割負担にすべき」という提案が出されましたが、厚生労働大臣は「現実的ではない」と否定的な見解を示しています。

 現在、75歳以上の一定所得以上の人は既に2割または3割負担となっています。この「一定所得」の基準を見直すことなどが検討されています。前述の湿布薬や保湿剤、解熱鎮痛薬など、市販薬と成分が似ているOTC類似薬の処方について、医療保険の適用を維持しつつ患者の自己負担を追加する方向で議論が進んでいます。これは自民党と維新の会の連立合意に含まれた項目です。維新の会が訴える医療費4兆円削減に連動するような高齢者の負担増を意味します。

 しかし、これらの負担増の議論に対して、患者団体や日本医師会、共産党などからは、患者の経済的負担が大きくなり、治療の遅れにつながる可能性、受診抑制が発生する可能性などといった懸念の声が上がっています。

 私的なことですが、私は心不全のために2週間入院し、退院後も11種類の薬を服用し運動療法を受けています。医療費が2割から3割負担となると大変だな、、と懸念する日々です。安心して病気ができる国、安心して年をとれる国になることを皆が願っています。

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税収入の仕組みと税収弾性値

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「責任ある積極財政」というスローガンが政界で話題となっています。この対極にある立場が「財政均衡」とか「基礎的財政収支」、別称「プライマリーバランス(PB)の黒字化」です。これまで財務省は、政府財政においては、債務残高がGDPの2倍を超えていると警告しています。「将来世代に負担を先送りする」という懸念が、財政均衡とか財政規律を強調する理由です。PBを均衡するためには、安定して徴収できる消費税を増やす、つまり増税という施策を要するというのです。

日本経済新聞より引用

 他方、「責任ある積極財政」論では、景気の回復には積極的な投資が必要であり、それによって供給を喚起し需要を促進すれば、各種の税収は増えて、政府の財政はバランスがとれるという主張です。積極的な投資とは、主に建設国債などの発行のことです。各種の発表によりますと、近年は、財務省の予測をよそに税収入が予想を上回っていると報じられています。財務省は税収入を予測するために「税収弾性値」という指標を用いてきました。

 税収弾性値とは、経済成長に対する税収の伸び率を表す指標です。具体的には、名目GDP成長率が1%増加したときに、税収が何%増加するかを示す数値です。この値が高いほど、経済成長に連動して税収が増加する効果が大きいことを意味し、財政再建に有利だとされます。

 長年、財務省が税収弾性値「1.1」という数値を使って、税収入を予測してきました。税収弾性値を低く設定しておけば、「社会保障の自然増分を稼ぎ出す成長を期待することも難しい、従って増税する必要が生まれる」という説明です。社会保障費の必要性を十分喧伝しておけば、後は自ずと「増税するしか無い!」という結論が導かれることとなるのです。これが財務省が「1.1」を捨てない理由です。

 最近の分析では、近年の日本では税収の伸びが伝統的な見積もりより大きく、実質的な税収弾性値はもっと高い可能性がある、という指摘があります。例えば、第一生命経済研究所(DLRI)の最新レポートでは、1998年度以降のデータから弾性値の平均を計算したところ、約 2.13 という値が発表されています。今年度の名目経済成長率により、政府や内閣府の見通しベースで税収は約77.8兆円ですが、約80.5兆円を超えると予想されています。

厚生労働省・総務省より引用

 税収増加の理由としては、法人税収の景気感応度が極端に高いからだといわれています。景気により企業利益はGDPより振れ幅が大きくなります。法人税は利益に直接かかるため、景気がよいと跳ね上がります。好況になると税収急増となりやすいく、 特に企業部門の好況が続いた2013〜2019では弾性値2以上が普通に起っていたのです。2024年度の決算確定では約 2.5兆円、2025年度の補正段階では約 2.9兆円の「上振れ」とな予想されています。

 財務省は「景気変動のリスク」を考慮し、税収を常に保守的(低め)に見積もる傾向があります。これに対し、近年の物価高(インフレ)による消費税増収や、企業業績の好調による法人税増収が、弾性値「1.1」ベースによる見積もりを大きく超えるペースで進んでいるため、結果として毎年数兆円規模の上振れという埋蔵金が発生する構造になっています。

 財務省が頑なに「税収弾性値1.1」という低い数値を使い続けるのには、大きく分けて①実務的な保守性というリスク管理と、②政治的な意図である財政規律というの2つの側面があります。実務的な理由としては、財務省にとって最も避けたい事態は、税収を多く見積もりすぎて、実際の税収が足りなくなる歳入欠陥です。歳入欠陥によって赤字国債への依存が生じるからです。予算を組んだ後に税収が足りなくなると、年度の途中で赤字国債を追加発行して穴埋めをしなければなりません。これは財政当局として最も恥ずべき失態とみなされるようです。そのため、景気が予想より悪化しても大丈夫なラインとして、過去の長期平均的かつ低めの数値である税収弾性値「1.1」を採用しているのです。

 次に、財務省には政治的な理由として政治家の「バラマキ」を防ぎたいという意図があります。ここが本質的な理由とされることが多いようです。もし財務省が税収弾性値が高く、景気が良くなれば税収は大きく増えることを公式に認めてしまうと、次のような圧力が政治家からかかります。つまり、増税は不要という論理が加速:し、経済成長すれば税収は勝手に増えるのだから、消費増税などの痛みを伴う改革は不要であるという議論が強まります。税収が増えると歳出を拡大するという圧力がかかります。「将来これだけ税収が増えるなら、今のうちに国債を発行してでももっと予算を使おう」という、一種バラマキのような圧力が強まります。

 財務省としては、「弾性値は低くして税収は簡単には増えない」という前提を維持することで、「だから無駄遣いはできない」「財政再建が必要だ」という緊張感を保ちたいという力学が働くのだろうと察します。財布の紐を固くしておきたいという気持ちは分からないではありませんが、政府の財政は家計のそれとは全く違うことを理解すると、財務省の主張は的外れであることが分かります。

 まとめですが、税収を低く見積もっておいた方が、財務省にとって都合が良いのです。予算が不足する懸念がなくなるからです。上振れした税は使い勝手の良い財源になります。それを後から補正予算で配れば、政治的な恩を売れるとか借金返済に回せるのです。財政が厳しいと主張することによって増税や支出削減の正当性を保てるというのが財務省の意図なのです。

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ウクライナ和平交渉と宥和政策

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最近のウクライナ情勢における大国間での和平交渉について、いろいろな提案と駆け引きが続いているようです。この交渉過程から1941年頃のイギリスのチェンバレン首相(Neville Chamberlain)のナチス・ドイツに対する宥和政策(appeasement)のことが思い起こされます。私なりにトランプ大統領をチェンバレンと、プーチン大統領(Vladimir Putin)とヒトラー(Adolf Hitler)とを対比するとどのようなことが見えてくるのか、果たしてこのような比較は妥当かどうかを、過去の史実に基づいた枠組みから考えてみます。

2022年ゼレンスキー大統領と東欧諸国首脳との会談

 トランプ、チェンバレン、プーチン、ヒトラーの関係は非常にセンシティブで、人物の評価というより政策姿勢や外交スタイルの比較をすることにとどめます。まずは、チェンバレンの宥和政策とトランプのロシアへの和平提案(peace proposal)の共通点です。双方とも「対話により緊張を下げられる」という前提で行動しているようです。チェンバレンは、ミュンヘン会談(Munich Conference)などでヒトラーとの直接対話により戦争を回避できると考え、譲歩を通じて安定を作ろうと努力しました。他方、トランプは「敵対よりも個人的関係による交渉が有効」と繰り返し主張し、プーチンとの関係改善を強調していることが伺えます。いずれも「強硬路線よりも首脳間交渉の重視」という構図が見えてくるようです。

 国際政治では、国家が自国の安全保障と国益を最優先する現実主義が見られます。チェンバレンは当時のイギリスの軍備が未整備で時間稼ぎをした面もあり、「実力が整うまで対立を避けたい」という現実的な動機があったといわれています。ヒトラーには、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約(Treaty of Versailles)で取り上げられ、チェコスロバキア領(Czechoslovakia)となったズデーテン地方(Sudetenland)を取り戻したいという意図がありました。トランプも「アメリカ第一主義」に基づき、ロシアより中国を競争相手と見なす優先順位から、ロシアとは緊張を高めたくないという発言を繰り返してきました。トランプの譲歩や対話が必ずしも弱腰ではなく、戦略的な判断をしているということも伺えます。

 チェンバレンの宥和政策は、チェコスロバキアやフランスの不安を生みます。それは彼らの軍事力が十分整わず、侵略で主権を脅かされるような提案だったからです。他方、トランプのロシアへの相対的で好意的姿勢は、NATO加盟国、特に東欧のポーランドやバルト三国(Baltic States)の不安を招いています。トランプの「敵との対話」が周辺国の警戒感を高めた点は、チェンバレンの宥和政策の影響に類似しています。同盟国の不安を招いているという共通点です。

 ただし共通点以上に違いの方が大きい点もあります。それは国際環境が全く異っていることです。1930年代は多くの国が軍備を拡張し、国際秩序が崩れつつある状況がありました。現代は核抑止や集団的防衛機構、国際機関が存在し、第二次大戦前とは構造が違っています。トランプは実際に「譲歩合意」を結んだわけではありません。他方チェンバレンはミュンヘン協定(Munich Agreement) によって具体的に領土を譲る合意を結んだのです。トランプはプーチンと象徴的な友好姿勢を示しているようですが、正式な「宥和協定」を結んだわけではありません。

 個人独裁者 vs 民主国家の価値観の違いが存在します。チェンバレンの相手は急速に拡張する全体主義国家で、目的も明確に領土拡大だったのです。他方、現代のロシアは権威主義的ですが、ナチス・ドイツの統治機構や外交方針と同一視はできません。

 ヒトラーの侵略性というイデオロギーは特異であり、現代の国家思想と直接比較するのは困難です。ナチス・ドイツは領土拡張と人種主義的政策を国家目的にしていました。他方プーチンのロシアは侵略や人権侵害が国際的に非難されていますが、ナチスと同一視する理由を探すのは難しいといえましょう。 トランプの政策はアメリカ国内政治の影響が強く、チェンバレンとは同列に置くことはできません。チェンバレンは国家総力戦の瀬戸際で判断せざるを得なかったのですが、トランプは主として「アメリカ第一主義」や来年11月に行われる中間選挙という背景で行動しているようです。

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