忘れ得ぬ人 その四 ウィスコンシン大学の恩師:ルロイ・アザリンド教授

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Last Updated on 2025年7月21日 by 成田滋

ハーレー・ダビッドソン(Harley-Davidson) に颯爽と乗っていた先生の紹介です。お名前はルロイ・アザリンド(Dr. LeRoy Aserlind)といいます。私のウィスコンシン大学(University of Wisconsin) での指導教授であった方です。

 1978年にロータリー財団(Rotary Foundation)が指定するジョージア州(Georgia)での3カ月の英語研修を終わってウィスコンシンへ車で向かいました。『U-Haul』という小さなトレーラーにわずかの家財道具を乗せて出発しました。初めての大陸での長旅でした。『Haul』とは「引っ張る」という意味です。ですから、”You haul”をひっかけた造語が『U-Haul』といわれます。ウィスコンシン州の州都マディソン(Madison) に着きました。ウィスコンシン大学の威厳のある構内に入ったとき、「果たしてここで学位をとれるだろうか、、」という不安がこみ上げてきました。かつて、新潟などで宣教されていたルーテル教会の牧師さんがマディソンで牧会をされていました。この先生には事前にウィスコンシン大学で学ぶことを知らせてありました。この方のお名前はトマス・ゴーイング(Rev. Thomas Going)といいます。ゴーイング牧師は、1958年から2000年の長きにわたり新潟市、加茂市、三条市、そして東京で宣教されます。

Bascom Hall

 ゴーイング牧師は、ウィスコンシン大学教育学部(School of Education) の行動障害学科の一人、アザリンド教授に私を指導してくれるよう依頼してくださっていました。アザリンド教授は1963年にウィスコンシン大学マディソン校で博士号を取得し、その後、リハビリテーション心理学・特別支援教育学科となった行動障害学科の助教授に任命されました。 1968年に准教授、1972年に教授に昇進し、1971年から5年間学科長を務めました。1965年から1970年にかけて、アザリンド教授は米国教育省のプロジェクトを指揮し、発達障害のある生徒の教師を養成する最初のプログラムの一つを提供しました。

 先生は1980年代初頭には、「特別な子ども」と題した特殊教育入門コースの指導を開始し、全国の多くの大学でそのようなコースに採用された教科書の共著者となりました。先生の入門講座は、特別支援教育を専攻する学部生だけでなく他の学生にも好評で、学内で最も受講者数の多い講義の一つとなりました。学生からは、この講座が障害に関する認識と理解に大きく影響したという感想がしばしば寄せられました。

Memorial Union

 アザリンド教授の授業を受けたときです。最初の中間試験がありました。試験問題は多肢選択と記述という問題の組み合わせでした。この結果は惨憺たるもので、先生の部屋のドアに結果の一覧が張り出されていました。私はアメリカの大学での試験問題の対策に慣れていなかったのです。これが私の奮起を促す契機となりました。大学院とはいえ講義は徹底的な詰め込み教育であることを知りました。授業が終わると、すぐさま図書館などで筆記した単語を文章化し暗記することにしました。日本の大学では多肢選択問題で試験することはありません。大抵の場合、短文により記述試験問題が主流です。この日本とアメリカの大学の試験方法の違いを知った機会でした。

 先生の授業は、スライドやビデオを使ったものでした。視覚的に受講生に講義内容の理解を促すという手法は私のその後の兵庫教育大学での授業で大いに役立ちました。当時登場した「PowerPoint」というアプリを使いスライドで授業をしたことが院生に広がりました。彼らの修士論文のプレゼンではこのスライドでの説明です。その時、ある教授はこうしたプレゼンの仕方に反論していたことが懐かしいです。ビデオやスライドを使うことで「百聞は一見にしかず」という言葉を皆が体感することになります。

 アザリンド教授には家族ぐるみでスキーに連れて行ってもらったことも思い出です。ハーレー・ダビッドソンでモンタナへ何度も旅行し、退官後はそこに永住しました。2006年1月9日、モンタナ州(Montana)のリビングストン(Livingstone)のご自宅で、55年間連れ添った奥様マーガレット(Margaret)さんらご家族に見守られながらお亡くなりなりました。

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忘れ得ぬ人 その三 囲碁の達人:吉澤 實氏

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Last Updated on 2025年7月20日 by 成田滋

我が国の伝統文化である囲碁は、今や高齢化などによりその愛好者の人口がじわじわ減少しています。八王子囲碁連盟(八碁連)も例外ではありません。そんな中にあって、私は2019年から2021年に八碁連の会長を務めました。その経緯を申し上げますと、2018年に私は新米の理事として会長を補佐する副会長に推薦されました。八碁連は伝統的に副会長が会長になっていました。会長は長らく八碁連の会員であること、高段者であるなどが慣行となっていました。私はいわば八碁連では無名の三段でしたので、その条件にあてはまらなかったのです。にも関わらず会長であった恩方同好会の吉澤實八段は、何故か私を副会長に指名したのです。その理由は今もって分かりません。

 2018年は、八碁連の結成30周年にあたっていました。吉澤会長は設立30周年記念誌を作成しようと提案し、それが総会で承認されました。彼は最初の理事会で私を編集責任者に指名しました。私は過去にいくつかの本を出版してきたので、もとより記念誌の編集にも自信がありました。記念誌を作るにあたり、私は八碁連の未来を志向する構成にする、会員や求道者を読み手とする、八碁連の活動にスポットを当てる、視覚に訴える内容にする、という方針を立てました。それにそっていろいろな人々に原稿を依頼しました。対談の内容も加えました。予算をカバーすることも考えて広告を掲載することにしました。

 やがて依頼原稿が集まり、印刷会社に持参すると記念誌は100ページを超えることがわかりました。印刷会社は折角の記念誌なので表紙をカラー化する提案をしてきました。これでは発行予算を大幅に超過するので、会計理事は原稿数を減らすように提案してきました。私は執筆者には頼み込んで依頼した手前、もし原稿を減らすようなことが理事会で決まれば、理事を辞任するつもりでした。ですが吉澤会長のとりなしで、集まった原稿はすべて掲載することになりました。印刷費がオーバーしたので、当初の発行部数の1,000部から600部にはなりました。幸い広告収入もあり、記念誌一冊の単価が454円となりました。ちなみに20周年記念誌は白黒印刷でページ数は半分、一冊単価が396円でした。

 記念誌の作成とともに、インターネットの活用を提案し八碁連のWebサイトを立ち上げました。そのために「hachigoren.com」というドメイン名を取得しました。Webサイトでは、八碁連の様々な紹介や歴史、八碁連だよりの掲載、各種大会の案内、大会参加申し込みのフォーム、過去のさまざまな資料のアーカイブを保存することとしました。理事の間の連絡を円滑にするために、グループメールを作り理事の間での情報の漏れがないように工夫しました。吉澤会長はそれまで電子メールを使ったことがなかったのですが、婿さんの指導で使い方を習得され、理事の間の情報交換は頻繁になりました。電子メールの利用により、八碁連だよりの原稿の点検も理事の間で行われるようになりました。吉澤会長らは、それまで会長の任期は一年という規約を改正しようと尽力され、総会にて会長を含む理事の任期を三年とすることになりました。

 2019年に会長に就任した私は、吉澤氏には相談役を引き受けていただきました。そしていくつかの試みに挑戦しました。女性の囲碁人口を増やすために、女性囲碁大会を始めることができました。しかし、2020年の1月15日に国内で初めての新型コロナウイルス感染者(COVID-19)が特定され、その流行によって国内は危機的状況を迎えることになりました。八碁連も各種の大会や集会は中止に追い込まれ、会員はネット上での対局などを余儀なくされました。ですが、インターネット上で、ZOOMというアプリを使い「オンライン囲碁セミナー」という研修を毎月開くこともできました。講師には会長を退いた吉澤氏らに依頼して研修を続けることができました。このようにコロナ禍を逆手にとって研修活動ができたのは、インターネットの活用と吉澤氏ら講師陣の活躍によるものでした。

 2022年8月24日に吉澤實氏よりメールを頂戴しました。東京医科大学八王子医療センターに入院との知らせでした。そして吉澤氏と交誼を結ぶ会員とでお見舞いの小冊子をお届けしました。私は若輩ながら次のような言葉を小冊子に添えました。

 私は、いく度となく吉澤實氏に相談し助言を頂戴し、激励を受けて行動してきました。氏の虎の威を借りたことも度々でした。ですが吉澤實氏は2022年11月にご逝去されました。享年84歳であられました。

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忘れ得ぬ人 その二 国際ロータリークラブ:国吉 昇氏

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Last Updated on 2025年7月19日 by 成田滋

いつかこのブログで「ドルと沖縄と留学」という拙稿を掲載しました。私が始めて沖縄に赴いたのは1970年。本土復帰の2年前です。那覇市内で幼児教育の一環として幼稚園を設置する仕事を命じられました。まだパスポートと予防注射が必要。1ドルが360円のときでした。当時、幼稚園設置のために琉球政府のお役人とで何度も打ち合わせをやりました。幸い、幼児教育の必要性が高い沖縄でしたので、設置基準を満たさないことに目をつむってくれて、認可にこぎ着けることができました。沖縄は1972年5月15日に本土復帰を果たします。このときは1ドルが300円となりました。

 開園後、園児を募集すると障がいのある2人の幼児が保護者に連れられてやってきました。この2人を担当するのが私の仕事ともなりました。彼らと接しながら、もっと障がい児教育を学ぶ必要を感じていきました。ひよんなことで、ロータリー・インターナショナル(Rotary International) という組織が、障がい児教育の分野で奨学金を出していることを知りました。沖縄には那覇東ローターリークラブがありました。そこで社会貢献活動を担当されていた国吉昇氏と出会いました。

 国吉氏は、戦時中は沖縄地方気象台に勤務されていて、気象情報を軍に提供するという仕事をされていました。悲惨な沖縄戦で九死に一生を得たご体験の持ち主です。ロータリアンとして40年以上も毎週の例会に欠かさず出席していた熱心な会員です。国吉氏は私をロータリーインターナショナル(Rotary International)の奨学生に推薦してくれました。そのお陰で約1万ドルの奨学金を貰うことができました。当時の為替レートでいえば、200万円です。それと共に嘉手納基地の米軍将校夫人クラブ(Officer’s Women Club)からも1,700ドルの奨学金が提供されました。そして1978年に家族を連れてアメリカに向かいました。

 この頃になるとドルと円は変動相場となり、交換レートは円高へと進みました。沖縄の物価はどんどん上がっていきました。復帰前にフィレ・ミヨン(filet mignon) の部厚いステーキが5〜6ドルくらいで、1,500円くらいでしょうか。復帰後はあっというまに3,000円、4,000円へ上がっていきました。沖縄の人は当時ドルで生活していたので、相当のドル預金が目減りしたのです。それを回避しようとして物価が急に上昇したのです。住んでいたアパートの家賃も2倍、3倍に上がりました。沖縄の人々は、「本土復帰とは一体なんだったのか」という疑問を投げかけ始めました。しかし時既に遅しです。沖縄は完全に本土並となりました。沖縄の人は本土復帰によって、国家権力がいかに強大かを思い知らされることになりました。

 ドルの話の続きですが、国吉氏は私の渡米を前に100ドルの餞別をくださいました。始めて見る100ドル札でした。アメリカに行きまして、あるとき買い物の際にこの札を女性のキャッシアに渡すと、彼女はそれを事務所へ持っていきました。通常買い物で100ドル札を出す人はいません。皆小切手を使います。彼女は100ドル札を見たことがなかったのです。その時の円相場は1ドル200円前後で、授業料の支払いなどでわずかの円預金では大変な生活でした。学業がてら私も家内も懸命にアルバイトをしました。このような留学経験は、通貨の価値とか為替相場ということを知る機会となりました。

 時を経て、1982年12月にウィスコンシン大学から学位を貰い、帰国してから横須賀にあった文科省の研究所、兵庫県にある小さな大学で教育と研究に従事することになりました。その間、国吉氏と手紙のやりとりをしながら、1995年に長男とともに沖縄に出かけ、国吉氏と再会できました。2020年の12月に再度那覇を訪れ、那覇東ローターリークラブの例会でお礼を述べ、その後老人ホームに入っておられた国吉氏とお内儀にお会いしました。国吉氏の記憶は大分衰えているようでした。2024年の7月に国吉ご夫妻のご長男からお二人がお亡くなりになったという手紙を頂戴しました。アメリカに留学し学位を得て障がい児教育に従事することができたのは、ひとえに国吉昇氏のご尽力で奨学金を頂戴したお陰でありました。生涯、忘れ得ぬお一人です。

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忘れ得ぬ人 その一 北海道大学の恩師:松沢弘陽教授

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Last Updated on 2025年7月18日 by 成田滋

松沢弘陽

これから暫く、これまでお世話になった方、ご迷惑をおかけした方、ご教授を賜った方、親しくお付き合いをしてくださった方などを取り上げます。こうした人々を思い起こしますと、すでに鬼籍に入られた方々のお顔が脳裏を横切ります。私は現在82歳ですから、ご存命の方はほとんどおりません。ですが、お一人おひとりが私と家族のために親身になってお付き合いをしてくださったことを想うと、本当に幸せな時間を持てたと述懐する今日この頃です。

 私が北海道大学に入学したのは1961年4月です。卒業した道立旭川西高校から16名の合格者が北大にやってきます。60年安保の大学闘争が一段落した年です。大学正門には学生団体のけばけばしい立看がずらりと並んでいました。大学に入ると全員教養部というリベラルアーツの部門で、学問の基礎を学びます。私にとって目新し学びは哲学とドイツ語でした。他の教科は高校の復習のようなものでしたが、英語の読解を担当した川村という教授が、「君たちは大学生なのだから英英辞典を使いなさい」と言ったのを今も鮮明に覚えています。

北海道大学古川講堂

 一年半の教養部を終えて法学部に移行しました。政治学を学ぼうと指導教官として松沢弘陽教授にお願いしました。当時、私は松沢先生が、東京大学教授の政治学者、丸山真男氏の一番弟子であったことを知りませんでした。丸山教授は、西欧思想と東洋古典に精通し、戦後民主主義思想の展開に指導的役割を果たした学者です。そして〈丸山学派〉と称される後進の研究者も輩出し、日本政治学や政治思想史の分野での飛躍的な発展に大きく貢献されます。

 松沢先生は、1960年に北海道大学法学部助教授、1965年に同大学教授。1984年に同大学法学部長・大学院法学研究科長を歴任されます。専門分野は、日本における近代日本政治思想史ですが、近代政治思想史全般にも精通された学者です。特に内村鑑三や福澤諭吉の研究が有名で、思想史上の師である丸山教授の業績も広く紹介します。特に1995年に「丸山眞男集」や「内村鑑三全集」全40巻の編集に携わり、いずれも岩波書店から刊行します。その蔵書類を日本女子大学に寄贈する仲立ちをも果たします。また思想の科学研究会の鶴見俊輔らの共同研究「転向」にも参加し、後年は日本政治史も研究対象としていきます。北海道大学を退官された後、放送大学客員教授をはじめ、小樽商科大学、北海道教育大学、札幌大学法学部、北星女子短期大学、東京都立大学法学部、名古屋大学法学部などの非常勤講師を務められます。

北海道大学構内

 私の書棚には丸山真男氏の著作「現在政治の思想と行動」があります。この著作は1956年に未来社から発行され、私が保管するのは1962年刊の第22刷ものです。表紙は大分古びて時代ものになったような装幀ですが、各論文は、講演調、書簡体、対話体と、ヴァラエティにとんだ歯切れのよい文体で綴られています。それに加えて大変読みやすく読者の理解を助けてくれます。「戦後日本社会科学の精神的起点の一つ」といわれる著作で、松沢先生はこの名著の論文の配列、小見出し、追記、補注の作成に携わります。

 松沢先生は、福澤諭吉や内村鑑三に私淑され、1967年に岩波書店から「」福澤諭吉の思想的格闘-生と死を超えて」という著作を刊行されます。私はルーテル教会の札幌ユースセンター教会で結婚式を挙げます。その式に松沢先生は参列してくださいました。

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暗号技術の歴史 その九 世界初の常設情報機関ーM-16

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Last Updated on 2025年7月17日 by 成田滋

情報と暗号をめぐる実話は、小説よりも奇なり、といえます。第三代ドイツ皇帝フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世(Friedrich Wilhelm II) は、史上最後のドイツ君主と呼ばれています。外交では一貫して帝国主義政策を推進し海軍力を増強して新たな植民地の獲得を狙います。そしてイギリスやフランス、ロシアなど他の帝国主義国と対立を深めていきます。海軍大臣のアルフレッド・ティルピッツ(Alfred Peter Friedrich von Tirpitz)が中心となり軍艦の巨大な建造計画が立てられます。海軍力の増強によってイギリスに追いつくことを目指します。不安に怯えるイギリスも追随されまいと戦艦を建造し続けます。

Friedrich Wilhelm II

 その不安に油を注いだのが、イギリス人ジャーナリスト、ウィリアム・ル・キュー(William Le Queux)が1906年に発表した架空戦記、『1910年の侵攻』(The Invasion of 1910) といわれます。この作品は、1910年にドイツがイギリス本土に侵攻するという設定の筋書きです。その侵攻ルートまでが詳細に描かれ、その内容がイギリスで最も古いタブロイド紙『デイリー・メール』(Daily Mail) 紙上で連載されます。このタブロイド紙はドイツ軍の脅威を過度に煽っていくのです。

 ル・キューは1909年に『ドイツ皇帝のスパイたち』(Spies of the Kaiser)と題した小説で、既に5万人を超えるドイツ人スパイがイギリス国内で暗躍していることをほのめかします。この小説の影響は一般のイギリス国民だけではなく、陸軍省作戦部の中枢にも及んでいきます。そこで1909年10月、イギリス国内のドイツ人スパイを摘発する保安局で後のM-I5とドイツの軍拡についての情報を収集する秘密活動局、後の「M-I6」が設置されることになります。これが世界で初となる常設の情報機関の誕生といわれます。

 1914年に始まった第一次世界大戦で活躍したのは「M-I6」でした。戦争が始まるとイギリス海軍のヘンリー・オリバー大将(Henry Oliver)は、海軍の情報部長として「40号室」(Old Building)と呼ばれる暗号解読組織を立ち上げます。彼は、物理学者ヘンリー・ユーイング(Henry E. Ewing)ら、在野の数学者、言語学者を集めて海軍省本部の40号室で暗号解読を開始します。40号室は約15,000の無線と通信網から傍受したドイツの通信を解読したと推定されています。その中で最も有名なのは、1917年1月にドイツ外務省から発信されたドイツとメキシコの軍事同盟を提案した秘密外交通信電報です。40号室はそれを傍受し、解読します。その解読により当時中立だったアメリカを連合国に引き込み、第一次世界大戦中のイギリスにとって最も大きな諜報活動の勝利であったと言われています。

 この経緯は以下のようなものです。「40号室」の任務は、イギリスの同盟国であったロシアが、海軍本部に渡したドイツ海軍の暗号コードから発展したといわれます。1914年10月にはイギリスはドイツ海軍の軍艦や商船、飛行船ツェッペリン(Zeppelin)およびUボート(U boat)が使用していた暗号コードを入手します。更に11月にはイギリスのトロール船が、沈没したドイツの駆逐艦から金庫を回収し、その中からドイツが海外の海軍士官、大使館、軍艦と通信するために使用した暗号コードが発見されます。

 1917年1月、ドイツのアーサー・ツィンマーマン外相(Arthur Zimmermann)は、メキシコとの密約を記した暗号電報を駐メキシコ大使のハインリヒ・エカート(Heinrich von Eckardt)に通知します。内容は、当時中立であったアメリカが対独参戦する場合、メキシコは直ちに対米参戦し、その見返りとしてドイツはテキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州をメキシコに割譲するというものでした。このツィンマーマン電報(Zimmermann telegram) は暗号化され、ベルリンのアメリカ大使館からイギリスを経由しワシントンに送られます。そのときのアメリカ大統領はウッドロー・ウィルソン(Woodrow Wilson)でした。イギリス海軍の解読機関40号室は、目ざとくこの通信を盗読していたのです。

Woodrow Wilson

 当初、アメリカの世論はこの内容に懐疑的だったのですが、3月にツィンマーマン外相自身が記者会見の席上で電報は本物だと認めてしまいます。これはドイツ側の一大失策となります。自国の領土が隣国メキシコの脅威に晒されていることが明らかになったことは、アメリカ政府のみならず、国民世論にも激しい衝撃を与えます。こうしてウィルソン大統領は1917年4月2日、議会での歴史的な演説で、第一次大戦への参戦の決意を表明するに至ります。大戦後、ウィルソンは ヴェルサイユ条約(Treaty of Versaille) の批准とともに、国際連盟(League of Nations)の設立にも尽力します。

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暗号技術の歴史 その八 支離滅裂な書簡

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Last Updated on 2025年7月16日 by 成田滋

2025年7月8日、アメリカのトランプ大統領が日本に対する関税についての書簡を送ったとのニュースがありました。ここで日本に課す新たな「相互関税」の税率を25%にすると表明しました。それに先立ち自身のSNSに日本政府宛ての書簡の文面を投稿しています。公式書簡を一国の総理に渡す前にSNSに投稿するとはなんぞや、です。でもこの日本宛の書簡の英語を解説するのも一興かと考えことにしました。SNS用の英語であることです。

 この文節には、大文字(uppercase letter)での表記が出てきます。「Trading Relationship」と「Trade Deficit」です。通常、大文字は「United States of America」 というように固有名詞などに使われます。しかし、「Trading Relationship」と「Trade Deficit」は単なる一般的な名詞です。英語はドイツ語と違って、文中で普通名詞は大文字で表記しません。トランプは、この貿易関連用語を強調したいのでしょうが、あたかもドイツ語の用法を間違って使ったのかもしれません。

 前段の文節では、貿易を「trade」と表記しましたが、ここでは「TRADE」となっています。表記の仕方が首尾一貫しません。さらに「Number One Market in the World」などどことさら強調してドイツ語の表記を引用しているかのようです。「far from Reciprocal」 「Sectoral Tariffs」といった具合に普通名詞をことさら強調している理由が判明しません。滅茶苦茶な表現です。ドイツ語の名詞には、男性、女性、中性名詞があり、文中ではすべて大文字で表記されます。トランプ政権の英語はドイツ語化しているのか?とも勘ぐられそうです。

 「with your Country」とか「As you are aware」といった口語体の文章はいけません。「with Japan」とすべきです。この書簡は公式な外交文書なので、文語体で表記すべきです。なにか個人と個人のメールのやりとりの文面のような匂いがします。一国の代表が書いた薫りは全くしません。側近の誰かが、他の文書をコピペしたに違いありません。

 この文節の出だしの文章は、「あなた方が何らかの理由で関税を引き上げる決断をすれば、引き上げの数字がどのようなものであれ、関税はわれわれが課す25%に上乗せされることになる」という意味です。しかし、公式な書簡にもかかわらず最後の文章では、「indeed, our National Security!」というように「 indeed」といった口語体を使うこと、「!」という感嘆詞を使うなどとは、異例で失礼な表現です。脅しの気配さえ感じられます。

 最後の文節、「we will, perhaps, consider an adjustment to this letter」という文章も不思議です。「 perhaps」というような思わせぶりな表現もおかしいです。「この手紙に関しては恐らく調整することを考えます」というのも滅茶苦茶な表現です。このような手紙はゴミ箱に捨ててもよいようです。

 最近、トランプ大統領の関税政策を皮肉る「TACO」という造語が生まれ、ウォール街(Wall Street)や交流サイト(SNS)で話題になっています。「Trump Always Chickens Out」で、「トランプはいつも怖じけつく」の頭文字をとった造語です。トランプは、関税に関する通告は「事実上」最終提案だと述べてきました。「最終だが、もし相手側が別の提案を提示し、私がそれを気に入ればそれに応じる」とものべています。言い換えれば「だらしないぞ・逃げる気か・勇気を出せ」のようなニュアンスもあります。関税を課すぞと脅しをかけながら、ゴールポストを変えるのが彼の手法のようです。このような慇懃無礼な通告に「とても受け入れられるような内容ではない。手紙1枚で通告することは同盟国に対して大変失礼で、強い憤りを感じる」と一国の総理が抗議するのは当然です。

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暗号技術の歴史 その七 外交交渉における暗号の使用

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Last Updated on 2025年7月15日 by 成田滋

トランプ大統領は7月7日に、日本を含む14カ国に対する書簡で新たな関税率を通知しました。彼は、4月に導入を発表した相互関税のうち上乗せ分の停止期限を7月9日から8月11日へ延期する大統領令にも署名しました。本稿では、日本とアメリカは、相互関税交渉を通してどのような情報合戦をしてきたかを考えていきます。

 日本は経済再生担当大臣を何度もアメリカに派遣し、閣僚交渉を重ねるなどして解決の糸口を探ってきました。この担当大臣が、「トランプ大統領が私に会ってくださったことは大変ありがたい。自分は格下も格下。出てきて直接話をしてくださったことは、本当に感謝している」など、おかしくへりくだっていました。このようなペコペコした姿勢では外交交渉はできません。東京にあるアメリカ大使館は、日本政府の対米交渉の情報を逐次暗号化してワシントンに送っていたはずです。日本政府の対応はほとんど筒抜けとなっていたようです。日本は主に貿易拡大や非関税措置の見直し、経済安全保障での協力に加え、アメリカの自動車産業への貢献度に応じて自動車の関税率を引き下げる仕組みの提案もしてきました。

 貿易赤字の削減を求めるアメリカ側との隔たりは埋まらず、日本側が一つの節目と位置づけた6月のG7サミットです。石破総理大臣がトランプ大統領と首脳会談を行ったものの合意には至りませんでした。この時点で交渉は終わったといっても過言ではなかったのです。にも関わらず、づるづると閣僚間の交渉は続きましたが、終盤には財務長官や商務長官とも会えず、電話でのやりとりという惨めな交渉となりました。大臣折衝は完全にスルーされました。結局、関税率は4月時点の計24%から計25%に引き上げられました。アメリカに輸入される自動車には25%、鉄鋼・アルミニウム製品には50%の追加関税が既に課されています。

 アメリカ大使館の情報部員らは、仮に「相互関税」の関税率が35%に引き上げられた場合、自動車関税なども含めたアメリカの関税措置全体で日本のGDP=国内総生産は1年程度で1.1%押し下げられると試算していたようです。関税が30%に引き上げられた場合でも日本のGDPは0.97%押し下げられるという野村総合研究所の情報を得ていたようです。

 現在、円安の状態が続き、輸出産業は大いに潤っています。アメリカはこの状態を苦々しく思っているはずです。そこで日本は、こうした為替相場の状態からドル建ての輸出入貿易を提案するなどして、アメリカの攻勢に対応できたはずです。さらに日本が保有する多額のドル建国債(米国債)を売りに出すことを示唆することで、アメリカを揺さぶることもできたはずです。現在日本は、1.13兆ドルの米国債を有し、日本は最大の外国保有者となっています。米国債は、高い流動性を持ち、3.6%という円建て債券よりも高い金利を享受できる可能性があるのです。 アメリカは、日本政府がそのような交渉カードを使わないという情報を得ていたに違いありません。

 関税交渉にあたり、アメリカは各国に先立ち日本を最初の交渉国に選びました。日本との協議が最優先だ、というトランプの発言には、日本が欧州連合(EU)や経済協力開発機構(OECD)との協議をさせないという戦術があったに違いありません。日本は、その戦術にまんまと乗ってしまい、タフな交渉を強いられたのです。「日本としては譲歩せず、関税の撤回を求め続けるべきだ」という世論はありますが、関税の撤回を迫る米国債売りという脅しでも、在日米軍の駐留経費の話題も出すべきだったのです。初めから日本が譲歩する気がないことを知ってディール(取引)をしようとしていたのがトランプです。

 アメリカの通商代表部(USTR)と日本の経済産業省などがやりとりする際には、外交ルート専用のDIPLO通話線と呼ばれる暗号通信回線を使っています。各国の大使館間では、エンドツーエンド(end-to-end)で暗号化された通信が行われています。いわゆる「電信暗号文」です。具体的には、メッセージは送信者のデバイスで暗号化され、受信者のデバイスでのみ復号化されます。このため、途中のサーバーや他の誰もメッセージの内容を見ることができません。

 外交上の隠語と言われる「暗号的表現」もいろいろあります。実際の交渉では、直接的な表現を避けるために「婉曲表現」とか「建前の言葉」を使います。これも一種の「外交暗号」なのです。

    表現             実際の意味
「前向きに検討する」—–> 実際には反対または拒否する可能性が高い
「柔軟に対応する」——–> 一部譲歩はするが、根本的には妥協しない
「相互利益の観点から」—–> 自国の利益を最大限に守りたい

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暗号技術の歴史 その六 日本における暗号技術の活用

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Last Updated on 2025年7月14日 by 成田滋

個人認証カードであるマイナンバー制度がようやく普及し始めてきました。マイナンバーカードの主な用途としては、オンライン認証による本人確認、行政手続きの簡素化、健康保険証・運転免許証との統合などが期待されています。マイナンバーカードの代わりにスマートフォンを使って住民票の写しや印鑑登録証明書などを取得できるサービスも始まりました。なにかと便利になるかもしれません。行政手続きの簡素化はどこまで有効なのかは分かりませんが、ネットワークの広がりにつれてさらに使われていくでしょう。マイナンバーカーにはICチップが埋め込まれています。そこには共通鍵暗号といわれるAES(Advanced Encryption Standard)を使用して、カードとリーダー間の通信を暗号化を行っています。個人認証用電子証明書としては、マイナンバーカードの他に、e-Taxなどのオンラインサービスで本人確認に使用されます。

 マイナンバーカードなどの安全性ですが、公的個人認証サービスは総務省の監督のもと、PKI標準という国際的基準に基づいて設計されています。民間ではSSL(Secure Sockets Layer) 証明書が使われています。SSL証明書は、ウェブサイトとブラウザ間の通信を暗号化し、ウェブサイトの運営者がいることを証明する電子証明書です。これにより、個人情報などの機密データの盗聴や改ざんを防ぎ、安全な通信を可能にしています。

 次に電子政府(e-Gov)サービスについてです。現在のところ主たる利用は税務手続き(e-Tax)です。その他雇用・年金手続き、住民票や戸籍の取得・変更などにも及びつつあります。使用されている暗号はSSL/TLS(HTTPS)で、楕円曲線暗号アルゴリズムとよばれるECCを利用しています。暗号化アルゴリズムはAESが多いようです。この暗号の安全性ですが、電子政府ポータルは、総務省やデジタル庁がセキュリティガイドラインを策定しており、ISO/IEC 27001等といった国際標準にも準拠し強力といわれています。

 さらに国税電子申告といわれる納税システム e-Taxです。使われている通信は、TLSでAESを使用し、インターネット通信のセキュリティ確保に広く利用されている暗号化技術のRSA(Rivest-Shamir-Adleman)です。本人確認はマイナンバーカード+ICカードリーダー+公的個人認証です。電子署名は、公的個人認証の秘密鍵で署名し、署名検証には総務省が照明のために発行するルート証明書を使用しています。これも特別なデジタル証明書です。セキュリティ体制としての暗号技術は、総務省管轄のデジタル庁の「暗号技術ガイドライン」に基づいて実装されているといわれます。以上引用してきた暗号化技術の内容については、私の理解を超えているのでこれ以上の説明は省きます。

 国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT) も暗号技術の研究や評価に関与しています。サイバーセキュリティ基本法により、国レベルでの保護体制が強化されています。今後の暗号技術の動向ですが、耐量子暗号への準備がなされています。「耐量子暗号(Post-Quantum Cryptography)」の研究と導入というものです。総務省やNICTは、量子コンピュータ時代を見据えた暗号移行戦略に強い関心を持っています。

 Wikipediaによりますと、量子コンピュータは、量子ビットと呼ばれる単位で情報を処理します。従来のコンピュータのビットが0か1のどちらかの状態しか取れないのに対し、量子ビットは0と1の両方の状態を重ね合わせることができます。このコンピュータは、まだ開発段階にありますが、量子ビットの安定性やエラー訂正技術、量子アルゴリズムの開発が進むことで、新しいコンピュータの実用化が加速することが期待されています。実用化されれば、社会や経済に大きな変革をもたらす可能性があります。

暗号技術の歴史 その五 ミッドウェー海戦と暗号

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Last Updated on 2025年7月13日 by 成田滋

日本が暗号解読の重要性を認識したのは、1923年にポーランド参謀本部の大尉を日本陸軍に招聘して、ソ連暗号の解読講習を行ったのがきっかけだったといわれます。その後、陸軍参謀本部内に暗号解読班が設置され、ソ連や欧米諸国の使用する暗号が解読されていきます。陸軍は英国や中国、ソ連の外交・軍事暗号のかなりの部分を解いていたようです。日本軍はこのような暗号解読情報を基に戦略的判断を行い、米英は介入しないという情報を得てから北部仏印への進駐を実行します。このように太平洋戦争開戦までに、日本軍の暗号解読能力はかなりの実力を持っていたといわれます。

 太平洋戦争の転機になったのは1942年6月のミッドウェー海戦(Battle of Midway) といわれます。海戦の直前、米軍の暗号解読組織の貢献によって、米海軍は日本側の狙いがミッドウェー島(Midway Atoll)にあることを知り、待ち伏せによって日本海軍の4隻の航空母艦を撃沈します。当時の日本海軍の暗号は5数字暗号と呼ばれるもので、日本語の単語を5桁の数字に置き換え、それに5桁の乱数を加算することで組み立てられるものでした。暗号が複雑になりミスも生じるようになりました。米海軍の暗号解読者たちは、日本海軍の通信の中に生じるミスに着目し、それが何を意味するのかを解明し暗号を理論的に解読していきます。

ミッドウェー海戦

 1942年4月頃には、ハワイ真珠湾(Peal Harbor) に所在するアメリカ海軍の情報班が、日本軍の暗号を断片的に解読し、日本海軍が太平洋正面で新たな大規模作戦を企図していることについておおまかに把握していました。この時点では時期・場所などの詳細が不明でしたが、5月頃から通信解析の資料が増えてきたことにより暗号解読との検討を繰り返して作戦計画の全体像が明らかになります。そして略式符号「AF」という場所が主要攻撃目標であることまでわかってきます。「AF」がどこを指しているのかが不明な状態でしたが、5月ごろ、諜報部にいた青年将校の提案により、決定的な情報を暴くための一計が案じられます。この将校は、ミッドウェー島の基地司令官に対してオアフ島・ミッドウェー間の海底ケーブルを使って指示を送り、ミッドウェーからハワイ島(Hawaii Island)宛に「海水ろ過装置の故障で、飲料水不足」といった緊急の電文を英語の平文で送信させます。その後、程なくして日本軍のウェーク島(Wake Island)守備隊から発せられた暗号文に「AFは真水不足、攻撃計画はこれを考慮すべし」という内容が表れたことで、「AF」はミッドウェー島を示す略語と確認されるのです。こうしてミッドウェー島及びアリューシャン(Aleutian Islands) 方面が次の日本軍の攻撃目標だと確定されます。

山本五十六連合艦隊司令長官

 ミッドウェー海戦後、日本海軍内では敗因についての検討が行われますが、驚くべきことに暗号が解読されたことには、ほとんど注意が払われていませんでした。このような日本海軍のセキュリティー意識の低さは、その後も山本五十六連合艦隊司令長官搭乗機撃墜事件の原因にもなっていきます。日本海軍は、撃墜事件の2週間前に暗号表となる乱数表を更新したばかりで「アメリカに暗号を解読された」という見解をとることができなかったという説もありました。しかし、後のアメリカ軍史料によれば、この山本五十六司令長官の視察では、更新前の古い乱数表を使って山本の日程表を送信していたことが分かっています。アメリカ軍は、たまたま山本五十六司令長官らの視察に偵察機らが見つけて、撃墜したとして暗号の解読結果を隠していたのです。ともあれ日本軍の暗号は見事に解読されていたのです。

 このように開戦までは高い暗号解読能力と強固な暗号を誇った日本陸海軍でしたが、戦争中になると連合国に後れをとる事例が目立ち始めます。最も強固とされた陸軍の作戦暗号についても、1943年4月以降、徐々に解読されるようになります。その理由は、日本軍の上層部が暗号の重要性を認識せず、そこに予算や人員を投入しなかったことが大きかったといわれます。暗号書の変更も定期的に行われなければならないのですが、広大な戦域の隅々までそれを配布するには膨大な労力と時間が必要となりました。それ故、古い暗号をそのまま使い続けた結果、米側に解読されてしまったのです。パスワードも定期的に変更するのが必要なのと同じです。

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暗号技術の歴史 その四 軍縮交渉における暗号の解読

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Last Updated on 2025年7月12日 by 成田滋

第一次世界大戦後の1920年代、アメリカの暗号解読組織は、英国が既にやっていたように、日本の外交暗号を解読し始めていました。この解読組織は「ブラックチェンバー」(Black Chamber) と呼ばれました。この機関は、国務省と陸軍省が資金を拠出し、暗号研究者ハーバート・ヤードリー(Herbert O. Yardley) を責任者とするとして1919年に設立され、各国の暗号解読に取り組みます。特に大日本帝国に関わる業務に力を入れ、1920年代の同国の外交暗号のほとんどや、海軍武官、陸軍武官用の一部の暗号を解読していたようです。1921年11月に合衆国大統領ウォレン・ハーディング(Warren G. Harding) の提案により、軍拡競争を抑制し西太平洋や東アジアの安全保障問題を協議するために主要国間の海軍軍縮会議がワシントンで開催されました。会議では、主要国の保有する戦艦や空母などの主力艦の総トン数が協議されました。

Herbert O. Yardley

 最初アメリカは日本の主力艦総トン数を対米6割と主張します。アメリカに少しでも追いつきたい日本は対米7割を主張し、お互いの議論は平行線をたどり始めていました。この会議では、当時の「ブラックチェンバー」が日本の公電を全て解読していました。日米の意見対立で会議が頓挫することを恐れた加藤友三郎内閣の内田康哉外相は、ワシントンの日本代表団に妥協案を送ります。その内容は、まず6割5分で米側の出方を探り、それでも駄目なら6割もやむなし、というものでだったといわれます。ブラックチェンバーはこの電報を傍受し、解読することでこの情報を入手したのです。この暗号解読情報によって日本政府の譲歩ラインが対米6割であることが明らかになると、アメリカは強気の姿勢で対日交渉に臨むようになります。結局、会議では日本は最大の譲歩案を飲まされることになり、主要国の保有する主力艦の総トン数を、米:英:日:仏:伊の比率を5:5:3:1.67:1.67として決定するのです。なお、ドイツはすでにヴェルサイユ条約(Treaty of Versailles)で大きく制限されていたので会議には参加していませんでした。

内田康哉外相

 別の暗号解読の例です。1940年に旧陸軍気象部が、当時のソ連で使われていた「モスコー気象報放送用暗号」の「飜譯」(翻訳)に成功した資料があります。資料中には「乱数表」という用語が出てきます。これは数字を無作為に並べて表記した数列や表のことです。例えば、「8534」という乱数表を用いた場合について説明すると次のようになります。仮に、平文から変換された「1234」という暗号を送る場合、これに乱数表の「8534」という数値を足し、「9768」という数列に変換します。この状態で第三者がこれを目にしても、「8534」という乱数表の数値を用いなければ本来のかたちである「1234」という数列を知ることはできません。しかし、同じ乱数表を共有している人物がこれを見た場合、「9768」という数値から乱数表の「8534」を引くことで、もとの「1234」という数値にたどり着くことができるわけです。これを復号し、平文に直すことで文書は本来のかたちになります。

 最近の話題です。1994年2月のワシントンでの日米自動車交渉については、細川首相とクリントン大統領(Bill Clinton)の首脳会談でアメリカ側から提起されました。首脳会談の直前、日本政府は秘密裡に紛争解決のため特使を派遣して、クリントン大統領と会談しましたが、会談後、同特使がホテルに戻って東京と交わした電話通話は傍受されて、即座に翻訳されてホワイトハウスに報告されたそうです。「壁に耳あり障子に目あり」の典型です。今度の日米相互関税交渉で、経済再生担当大臣が何度もアメリカに出かけたのは、日本大使館と外務省などの暗号電話を使うことで情報が漏れるのを恐れたためかもしれません。大臣が何度も出かけなくとも、大使館に滞在して本国と秘策を練ることもできたはずです。

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暗号技術の歴史 その三 ナバホ・コードトーカー

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Last Updated on 2025年7月11日 by 成田滋

第二次世界大戦中に、アメリカではナバホ族(Navajo) の人々がコード・トーカー(暗号解読者、 Code Talker)として従軍しました。その他にチョクトー(Choctaw)、コマンチ(Comanche)、セミノール(Seminole) などの先住民が日本やドイツとの戦争に参加し、自分たちの言葉を駆使して暗号通信に携わりました。アメリカ軍が使った用語には先住民たちの言語には存在しない単語がありました。

ナバホ族のカードトーカー

 通常の暗号通信は暗号機を使わなくてはならず、複雑なものほど作成や解読に時間がかかります。前線で使用される暗号は比較的簡易ですが、解読に数時間を要し、これは一刻を争う戦場では重大な欠点となります。敵にとって未知の言語と英語のバイリンガル話者による会話なら、その場で英語への翻訳が可能となります。アメリカ海兵隊は、このように非常に話者が少なく、文法も発音も複雑な「ナバホ語」を戦線にて使い通信することを思いついたのです。こうして、ナバホ族に加えてチョクトー族、コマンチ族出身者がコード・トーカーとして従軍しました。

 ナバホ族約400名が暗号兵としてアメリカ軍に徴用され、サイパン島(Saipan Island)、グアム島(Guam Island)、硫黄島、沖縄戦に従軍します。これらの部族語に共通するのは、いずれも文法が複雑な上に発音も特殊で、幼少時からその言語環境で育った者でなければ習得や解明が極めて困難でした。しかもインディアンは絵文字のほか固有の文字を持たず、当時はほとんど文書化されていませんでした。音の体系が英語と大きく異なり、非話者には聞き取りも翻訳も極めて困難でした。

コードトーカーの従軍兵

 インディアンの語彙には近代戦の軍事通信に必要な語彙がほとんどありませんでした。アメリカ軍はその教訓から、英単語をそれと同じ文字で始まる別の英単語に置き換え、さらにそれをナバホ語に翻訳するといった置換暗号を作成し、英語で表現できる単語は何でも訳すことができるようにします。たとえば「飛行機」は「鳥」、「爆撃機」は「妊娠した鳥」などと言い換えていました。また、英語のアルファベットの各文字を、ナバホ語の1単語で表現していました。猫を意味するナバホ語「moasi」は、同じ意味の英単語「cat」の頭文字である「c」として使われました。その際、特別な意味を持たせたナバホ語やコードブック(暗号書: Code Book)を使うことにより、交信をさらに暗号化していきます。ナバホ族コードトーカーは、8週間の訓練課程でこの暗号表を丸暗記しなくてはならなかったといわれます。

 これらの暗号はその後も再び使用される可能性があったため、1980年代まで米軍の機密情報として扱われていました。暗号技術の発達と利用は暗号機の機械的な操作だけでなく、少数というか稀少の言語を通した交信によっても大きな成果を生み出したのです。日本でいえば、大戦中にアイヌ語の話者を暗号通信に利用できたかもしれないということです。

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暗号技術の歴史 その二 エニグマ

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Last Updated on 2025年7月10日 by 成田滋

エニグマの暗号装置は、キーボードと26文字のランプボードを備えていました。オペレーターが文字を入力すると、ランプボード上の異なる文字が点灯し、それが記録されて暗号化されたメッセージが生成されます。エニグマ暗号の安全性を極めていたのは、回転ホイール(陸軍用は3つ、海軍用は4つ)のシステムでした。これらのホイールは、キーボードとランプボード間の電気的接続を絶えず切り替え、同じ文字を繰り返し入力しても毎回異なる暗号化された文字が生成されるようになっていました。

エニグマの回転ホイール

 この機械の暗号は、ローター式暗号機を使い、複雑な変換で通信内容を暗号化していました。その使用目的は、陸軍・海軍・空軍・Uボート(U-Boat)といわれる潜水艦での通信でした。エニグマの解読は難しいものだったようです。その理由は、エンコーダーの設定の組み合わせが多様だったため、エニグマの暗号は解読が困難でした。オペレーターは毎日の指示に従って、機械の回転ホイールとプラグボードを事前に決められた異なる位置に設定し、暗号を定期的に変更しました。メッセージを送信する前に、オペレーターはホイールを受信者が知っている特定の開始位置に設定していました。

マリアン・レイェフスキ

 しかし、エニグマ暗号は、1930年代初頭にポーランド人(Polish)数学者のマリアン・レイェフスキの(Marian Adam Rejewski)指導のもとで解読されます。1939年、ナチスのポーランド侵攻の可能性が高まる中、ポーランド人はイギリスに情報を提供しました。イギリスは数学者アラン・チューリング(Alan M. Turing)の指揮下で、ウルトラ(Ultra)と呼ばれる秘密暗号解読グループを組織しました。ドイツは暗号装置を日本と共有していたため、ウルトラは太平洋戦争において日本軍が使っていた暗号を解読し、連合国の勝利にも貢献したといわれます。

 第二次世界大戦中のイギリスの暗号解読拠点は、政府暗号学校(The Government Code and Cypher School: GC&CS)と呼ばれ、「ブレッチリー・パーク」(Bletchley Park)という場所にありました。ナチス・ドイツの暗号を解読するために使用した場所です。通信を解読することに成功し、戦争の潮目を変える役割を果たしたという評価を受けます。ブレッチリー・パークで、数学者アラン・チューリングが高度な暗号解読装置「ボンベ」(Bombe)を開発し、暗号解読の取り組みを飛躍的に進歩させました。1941年6月までに、チューリングのチームはUボートの日常的な通信を解読することに成功します。

アラン・チューリング

 この情報優位性は極めて重要であり、Uボートはアメリカからの商船を数ヶ月以内にイギリスを飢餓に陥れるほどの勢いで沈めていきます。ですがエニグマ通信から得られたウルトラ情報は解読され、潜水艦の位置を明らかにして連合軍艦や輸送船がUボートを回避できるようにしました。こうして情報を解読できたことは、ヨーロッパ戦線と太平洋戦線の両方で連合軍の勝利に貢献します。暗号の解読により戦争の終結を2年早めたといわれています。まさに情報戦争の勝利ともいえる結果です。

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暗号技術の歴史 その一 パスワードと暗号

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Last Updated on 2025年7月10日 by 成田滋

話題を変えて、数回にわたり私たちのさまざまな場面で使われているパスワードや暗号技術(cryptography) などの歴史や仕組みを考えていきます。パスワードは本人認証の文字列で、その基には暗号技術が作動しています。個人の情報機器で使うものから政府や軍隊で使われている高度な暗号まで、その歴史は古いものです。パスワードとは、あるシステムや情報へのアクセスを許可するための「秘密の文字列」です。暗号とは情報(データ)を第三者に読めないように変換する技術のことで、通信や保存中のデータを秘匿することです。

Enigma

 暗号化された情報は、復号(デコーディング:decoding)という逆の変換を行うことで元の情報に戻すことができます。暗号は、通信の秘匿やデータの保護など、様々な場面で利用されています。私たちはログインでパスワードを利用してアカウントを保護し、暗号技術はメールや通信の内容を保護するために使われています。

 第二次世界大戦中、各国は軍事通信の秘密を守るために高度な暗号システムを使用していました。その代表は、ナチスドイツによるタイプライターのような機械を使ったローター式暗号機、アメリカ軍が使ったナバホ族コードトーカー(Code-Talker)、イギリスのタイプX暗号機というエニグマと似た構造のローター式暗号機、日本海軍が使ったJN-25、政府が使った九七式欧文印字機(通称パープル暗号)など有名です。

ナバホ族コード・トーカー

 暗号システムで最も有名なのが、ナチスドイツが使ったエニグマ暗号(Enigma)です。エニグマという名称はギリシア語に由来し、「謎」という意味だそうです。アルトゥール・シェルビウス(Arthur Scherbius)というドイツ人電気技術がエニグマを開発します。シェルビウスは当初、ビジネス界と軍部向けに販売します。ドイツ軍の反応は冷ややかだったようです。しかし、第一次世界大戦中のドイツの暗号がイギリスに解読されたことを知ると、エニグマの価値を認め、1926年、エニグマの1機種がドイツ海軍に採択されます。数年後、ドイツ陸軍も同じ機械を採択してナチスの戦争戦略に貢献します。

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トランプ政権が名門大学を攻撃する理由

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Last Updated on 2025年7月8日 by 成田滋

現在、トランプ政権の中東情勢をめぐる外国人留学生のビザ制限などに対して,名門大学は法廷闘争を展開しています。この闘争は、大学側に有利な展開も予想されています。ハーヴァード大学とマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology: MIT) は2020年に、トランプ政権の外国人留学生のビザ制限に対し連邦地裁に提訴し、一時的な勝利を収めました。司法はこれまで、政権の移民制限策に対して慎重な姿勢を示してきたため、法廷では大学側の理が通る可能性が高いと見られていました。ただし、政権がさらに法改正や規則の変更で圧力を強めると、再び法的な応酬が繰り返されることになるかもしれません。

Massachusetts Institute of Technology

 トランプ政権のもう一つの狙いは、リベラル勢力への牽制です。ハーヴァード大学は「リベラルの牙城」とされており、トランプ政権にとっては政治的な敵対的な対象でもあります。政権側の真意は、ハーヴァード大学だけでなく、全米の高等教育機関に対する締めつけを強めることで、「エリート主義」への反発を強調し、保守・中間層など政権支持層へのアピール 対中国政策の強化を狙っている可能性があります。

 「エリート主義」への反発ですが、2022年時点で、25歳以上のアメリカの成人のうち、約37.7%が学士号を取得しています。この数字には学士号のみならず、修士・博士号の取得者も含んでいます。そのうち大学院修了者は約14.2%に達するといわれます。ちなみに日本では、大学または大学院を卒業した人の割合は 約25.5%といわれています。 トランプの支持者は、人口の3/4を占める高卒の市民です。「エリート主義」に対するアンチの人々ということです。

 トランプ政権のもう一つの狙いは、主に中国人留学生の排除があるようです。アメリカの大学には、数十万人規模の留学生が在籍しており、その多くが理工系分野で最先端の研究を担っています。特に中国やインドなどからの優秀な学生は、アメリカの研究・産業競争力の源でもあります。同時に、海外からの留学生の増加で肝心のアメリカ人の若者が入学を阻まれているという事情もあります。そうした不満もアメリカ国民の中にはあるのです。

 2023年6月29日、アメリカの連邦最高裁判所は、大学の入学選考において人種を考慮する「積極的格差是正措置」(affirmative action)を違憲としました。この判決により、大学の入試や公的機関の採用で、アフリカ系アメリカ人、ヒスパニック系、先住民などが不利にならないように考慮されることがなくなり、いわゆる白人アメリカ人の入学や雇用が促進されそうです。これはトランプ政権が望んでいることです。

 留学生の受け入れを制限すれば:優秀な頭脳が欧州やカナダなど他国に流出し、アメリカの研究開発力やイノベーションの低下につながるという懸念もあります。また、留学生の学費は大学の重要な収入源であり、大学の財政難といった中長期的な悪影響も懸念されています。今後の展望ですが、選挙と政権交代がカギといわれます。政権と大学の対立の今後を左右する最大の要因は、大統領選の行方です。仮にトランプ氏が続けば、大学や移民への締めつけが強まる可能性が高いです。

 結論として、今後も短期的には政権と大学との法廷闘争が続くと思われます。大学側は議会や世論と他大学の支持を集めて巻き返しを図るでしょう。トランプ政権側は政治的パフォーマンスとして移民対策や留学生などへの締め付けという「強硬姿勢」を貫くことによって、岩盤といわれる層の支持を受けていくだろうと考えられます。トランプ政権とハーヴァード大学などとの対立は、単なる大学の問題にとどまらず、アメリカの移民政策、教育政策、そして国際関係のあり方をめぐる根本的な対立を象徴しているといえそうです。

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トランプ政策と名門大学の抵抗と服従 

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Last Updated on 2025年7月7日 by 成田滋

アメリカ東部にある名門私立大学でアイビー・リーグ(Ivy League)の一つ、ペンシルベニア大学(University of Pennsylvania) は2023年12月9日、エリザベス・マギル(Mary Elizabeth Magill学長とスコット・ボク(Scott Bok)理事長の辞任を発表しました。マギル氏は大学内で強まる反ユダヤ主義への対応を巡り、批判されていました。連邦政府は、全国の大学への数十億ドル規模の資金の流れを停止すると脅迫しており、多くの大学は司法省から保健福祉省に至るまで、様々な機関からの調査に直面している。しかし、トランプ政権の大学に対する懲罰的なアプローチは、アイビー・リーグの大学で最も深刻に表れています。昨春、ガザ紛争に反対するキャンパスでの抗議運動の中心地となった同大学は、反ユダヤ主義的行為を容認し無法状態を蔓延させたという非難と学術的・政治的言論を抑圧したという非難に、数ヶ月にわたって対峙してきました。

 トランプ政権が非難のターゲットとしているのは、こうしたアイビー・リーグの大学です。名門ハーヴァード大学(Harvard University)との対立も続いています。政権はハーヴァード大学に対して外国人留学生の受け入れ資格停止を通告し、反発した大学側との法廷闘争に突入しています。背景には「リベラルの牙城」と呼ばれるハーヴァード大学を狙い撃ちすることで他の大学にも「改革」を迫り、さらには中国共産党など外国の影響力を排除する意図が潜むようです。ハーヴァード大学の歴史で最初の黒人学長だったクローディン・ゲイ学長(Claudine Gay)は2024年1月2日に辞任します。その後、就任したアラン・ガーバー学長(A)lan M. Garber)はトランプ政権の政策に訴訟を起こし毅然として立ち向かっています。すなわち、トランプ政権が大学に対し課してきた一連の制裁措置、すなわち連邦研究費の凍結、留学生プログラムの停止、税制優遇の剥奪検討などに対し、訴訟を起こしています。

コロンビア大学エンブレム

 マンハッタン(Manhattan)北部にある同じくアイビー・リーグ大学の一つ、コロンビア大学(Columbia University)は、今年、学生デモで混乱に陥り、結束バンドや暴動鎮圧用の盾を持った警察官が、親パレスチナ派の抗議活動参加者が占拠していた建物に突入する場面もありました。同様の抗議活動は全国の大学キャンパスに広がり、その多くが警察との激しい衝突や数千人の逮捕に至りました。この発表の数日前には、大学当局が、ユダヤ人の生活と反ユダヤ主義に関するキャンパス内での議論中に3人の学部長が中傷的なテキストメッセージを交換したとして辞任したと発表したばかりでした。

 コロンビア大学のミヌーシュ・シャフィク学長(Minouche Shafik)は2024年8月に、イスラエルとハマスとの戦争(Israel-Hamas war)をめぐる抗議活動やキャンパス内の分裂への対応をめぐり、短期間で波乱に満ちた在任期間を終えて辞任しました。ニューヨークの名門大学である同大学の学長は、この間、イスラエルとハマスとの戦争をめぐる抗議活動やキャンパス内の分裂への対応について厳しい批判にさらされてきました。

 次いで暫定学長に就任したカトリーナ・アームストロング(Katrina Armstrong)も、2025年3月までに学内対策に応じた結果、トランプ政権による資金凍結などの圧力からの批判を引き受け、2025年3月28日に辞任発表します。同日に、学長代行としてクレア・シップマン(Claire Shipman) が指名されました。彼女は“学問の自由と開かれた探究を守る”姿勢を表明していますが、下院教育委員会などによる調査も受けてきました。シップマン学長代行も自分の発言でユダヤ人協会から批判され、大学の人事は混迷しています。

University of Virginia

 さらに、ヴァジニア大学(University of Virginia)のジャームズ・ライアン学長(James Ryan)が2025年6月28日に辞表を表明します。ライアンが退任を急いだ決断は、ヴァジニア大学に対する連邦政府の監視が強化されている時期に行われました。ライアンは退任の手紙の中で、「自分が学長職に留任していた場合、大学は多額の資金を失うリスクがあったことを認めます。自分の地位に留まり、連邦政府の資金削減のリスクを冒すことは、空想的なだけでなく、職を失う何百人もの従業員、資金を失う研究者、そして奨学金を失ったりビザを差し押さえられたりする何百人もの学生にとって、利己的で自己中心的に見えるだろう」と述べて辞任するのが最上であるという判断をしたのです。

 コロンビア大を含む、アメリカ東部の八つの有名私立大で構成されるアイビー・リーグのうち、学長が辞任したのは昨年10月以来、ペンシルベニア大学とハーヴァード大学で3例目です。いずれも、中東情勢をめぐる抗議デモの対応で追及を受けています。

統計で騙す方法 その十 ウソの統計に対する武装

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Last Updated on 2025年7月8日 by 成田滋

いろいろな統計を例に挙げてウソに騙されがちな事案を説明してきました。最後にいかにしておびただしいペテンやウソから正しい理解に導くかを考えていきます。

 まずは統計の中味に気をつけることです。今大阪で万国博覧会が開かれています。そして毎日の入場者数を発表しています。「7月1日(火)の入場者数は、一般87,000人、関係者18,000人、合計105,000人。場外への救急搬送件数は3件だった。」多くの一般の人とは、企業が博覧会協会から依頼されて購入した券もらった従業員や家族といわれます。自分から万博に関心があって、出かけた者ではないようです。「折角貰ったんだから、行ってみるか、、」といった気分で出かけたのでしょう。関係者の18,000人は、入場券を購入していない人です。何故、関係者の入場数を公表する必要があるかです。入場者数を多く見せるために、都合のよいデータを使いたがるのです。会場では7月1日に、1,000万人超えのセレモニーが行われたとか。関係者を含めての数です。本来ならば、入場券を持つ人の数でセレモニーをするべきです。

 博覧会協会は6月20日に会見を行い保健所が推奨する精密な「培養法」という方法で検査した結果、ウォータープラザの海水からは「最初からレジオネラ属菌がほぼ検出されなかった」と結論付けました。そして協会は「安全確保を最優先に考え水上ショーを中止した。健康危機管理上、適切な判断だと思う」と語ります。レジオネラ属菌が見つからなかったなら、何故水上ショーを中止するのかです。検査結果を信頼しないかのような発表です。入場者数を増やしたい協会ですが、水上ショーで観戦者がレジオネラ菌の入った水しぶきをうけ肺炎、高熱、咳、呼吸困難などの症状を引き起こす可能性があるので、苦渋の発表なのでしょう。

 消費税減税をうたうのは消費者なのか、それとも一般の小売業者なのかです。恐らく両方でしょう。物が売れやすくなり消費が増加しするのですから、両方とも消費税減税には諸手を挙げるはずです。消費税減税に反対するのは、財務省の官僚であり、彼らからレクを受ける国会議員です。税や財務の仕組みに疎い議員のなんと多いことか、、それをほくそ笑んで手玉にとるのが財務省の官僚なのです。

所得の分布

 不適切な統計を使う例は、算術平均、中央値、最頻値にあることをこれまで説明してきました。多分、最もわかりやすいというか、便利なので平均を使うことでごまかすことができるのです。日本人一世帯の所得を発表するのに平均を使うと、あたかも所得が高いように見えるのです。世帯当たりの収入は、【最頻値<中央値<平均】のように分布することが判明しています。それ故、平均を使うのです。これが狡猾な発表となるゆえんです。

 次に、「誰がそう言っているのか」を見極めることです。例えば、「朝日新聞」と「しんぶん赤旗」の記事を読んだとします。「朝日新聞」のある報道に東大大学院教授のコメントが、「しんぶん赤旗」の記事に私立大学の教授のコメントがあったとします。どちらが「権威ある筋」に思えるでしょうか。「誰がそう言っているのか、、」と質問するとき大学教授とか各種の政府審議委員という肩書きに騙されてはいけないのです。

 過去3年間のうちに、ガンによる死亡率が増えたという報告があります。ただし、その外的な要因は何かということが分からなければ容易に結論をだすことは困難です。人の寿命は延びています。高齢者が多くなるとガンにかかりやすくなるのです。従って、死亡率よりも死亡者数を見ることによって、以前よりガンにかかりやすい人が増えたという事実を知らねばなりません。同じことが高齢者のドライバーの事故の発生割合があります。高齢者のドライバーがさらに年をとると、より事故を引き起こす率は上がります。以前より事故を起こりやすい人が多くなったというだけのことです。ことさら大袈裟に発表する性質のものではありません。当たり前の現象を誇張したりねじ曲げてはいけません。

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2万円給付か消費税減税か

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Last Updated on 2025年7月4日 by 成田滋

参議院議員選挙の公示前に、生成AIに『消費税の減税はなぜ経済を活性化するのでしょうか。2万円の給付と消費税の減税はどちらが家庭にとって有効でしょうか。』という問いを投げてみました。そうすると次のように、消費税の減税は、経済を活性化させる効果があるという回答がありました。

● 消費者の負担が減る → 消費が増える
 たとえば、消費税10%の商品を買うと1,100円かかります(商品1,000円+税100円)。消費税が5%に下がれば、1,050円で済みます。減税によって買い物がしやすくなり、「消費の喚起」につながります。

● 企業の販売促進にもつながる
 増税時は駆け込み需要が高まりますが、減税後は消費者の買い控え解消も見込めることです。減税によって、景気低迷時に消費が刺激され、企業の売上が増え、雇用や投資にも好影響が出る可能性があります。

● 間接的に低所得層の負担軽減にもなる
 消費税は、所得が低い人ほど負担が重い「逆進的」なので、減税すれば低所得層ほど恩恵が大きくなります。

 次に、生成AIに対して2万円の一律給付と消費税減税、どちらが家庭に有効か?という問いを出しました。生成AIは、一概に「どちらが絶対に良い」とは言えないが、世帯の収入や消費傾向によって異なると考えられるという回答です。例えば、2万円給付 vs 消費税減税(例:10%→5%)です。

2万円給付の場合:
 ・効果に即効性がある(すぐもらえる)
 ・制限されることが多い(例:低所得世帯のみ)
 ・一時的な負担(1回限り)
 ・効果は限定的で貯蓄に回ることも多い
 ・逆進性対策で低所得層に狙いを定めやすい

消費税減税の場合:
  ・中長期的に毎日の買い物が安くなる
 ・消費が多いほど恩恵が増える
 ・消費する人すべてに及ぶ
 ・消費全体に波及しやすい
 ・定率なので大口消費者も得する

 消費税減税の場合、年間どれくらいの差になるかです。たとえば、年間300万円の消費をする家庭で比べてみましょう。消費税10%では税額は30万円で、消費税5%では税額は15万円で差額15万円となります。この場合、2万円給付よりも消費税減税の方が効果が大きいです。ただし年間消費が少ない世帯では、2万円給付の方が得になることもあります。

 2万円給付と消費税減の実施における政策面での現実的な違いは次のようになります。
2万円給付の場合:
 ・迅速な実行が可能(ただし、年内の配布時期は決まっていない)
 ・一時的な支出(ただし、事務コストや時間、労力がかかる)
 ・短期的な効果

消費税減税の場合:
 ・税制改正が必要 → 時間がかかるといわれる(ただ小売業はしばしば値段を変えている)
 ・恒久的・大規模な減収
 ・長期的な効果あり

 終わりに、どちらが家庭にとって「有効」かです。短期的な生活支援が必要な家庭には2万円給付が即効性があり、助かります。しかし、長期的には、税金や社会保険料を差し引いた後に自由に使える可処分所得の増加を望む家庭には、消費税減税の方がより大きな恩恵があります。そして、国全体での経済活動に焦点をあてるマクロ経済政策という観点では、消費税減税の方がより波及効果が高いといえます。2万円給付の原資つまり財源は、もともとは国民の税金なのです。国の2023年度税収、還付増でも2.5兆円も上振れしているのです。給付とは「税金を取り過ぎました。お返しします。」と言うべきでしょう。2万円の給付で物価は下がりません。2万円の給付はトリックとしか言いようがありません。

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統計で騙す方法 その九 「ワニの口」というウソ

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Last Updated on 2025年7月5日 by 成田滋

統計資料を駆使して人に間違ったことを教えるのは、統計を巧妙に操作することです。いわば統計の操縦法といってよいかもしれません。重要なことは、ごまかすという狙いにあわせて統計データを歪曲し操作するのは、必ずしも統計の専門家ではないことです。おそらく統計家の机上で導き出される数字が、セールスパーソンや広告代理店、新聞や雑誌記者、コピーライター、政府役人らの手にかかっていつの間にかねじ曲げられ、誇大化され、極端に簡略化され、取捨選択されて歪められていくのです。

 誰にも間違いがあるとしても、大目にみてやるわけには行かない事例が沢山あります。しばしば新聞や雑誌に見受ける間違いの図表には物事を大袈裟に誇張し、センセーショナルなものにしようとしますが、小さくいうことは滅多にないものです。小さくいうことは読者の目に止まらないからです。

 いくつかの例を取り上げてみます。財政の見通しを予測する政治家や経営者などは、国民や顧客、株主に対して、実際に考えられるより明るい見通しを発表したり発言することはなく、むしろ実際より暗い見通しを言うことが多いのです。その典型が、一国の総理が「日本の財政状況は間違いなく極めてよろしくない。ギリシャよりもよろしくない状況だ」という答弁に代表されています。そして、挙げくの果てに、「債務残高はGDPの2倍を超えており、主要先進国の中で最も高い水準にある」というように危機を煽るのです。

 統計データを最も姑息な方法で語り伝えるには図表を使うことです。図表にはその中に事実を隠し、いろいろの関係を歪めてしまう容器のようなものです。日本の財政状態を表現する「ワニの口」がその一例です。財政の「ワニの口」は、以下の図のとおり、日本の国家予算の一般会計の歳出と税収の差がワニの口のように拡大していく様を揶揄しています。このような状態になって日本の財政が破綻しないようにと、財務省を中心に財政規律を守る必要が強調されています。図は、グラフの歳出と歳入が先に伸びたとすれば、ワニの口のイメージとなるという按配です。

ワニの口の譬え

 「ワニの口」論者は、財政の引き締めや様々な行政サービスを提供するための政策的経費を、税収等で賄えているかどうかを示す指標、いわゆる「プライマリーバランス:PB」の黒字化を錦の旗としています。PB達成のために、財務省は極力、新規の国債発行に頼らない財政を目指そうとしています。「ワニの口」とは、誠に的を得た巧妙な戦術です。

 しかし、『グローバル・スタンダードでは、国債の発行による支出は民間の資産の増加となるため、景気過熱の抑制の必要がない限り、発行された国債は、事実上、永続的に借り換えされていくため、歳出に債務償還費は計上されない』とされています。この見方は、「ワニの口」論者に対する挑戦なのです。すなわち、日本の財政状況は財務省やマスメディアが報道しているほど悪化していないのです。

 「ワニの口」とは、以下のような財政構造を示す比喩です。つまり上のアゴの支出がどんどん広がる、特に社会保障費、下のアゴの税収は経済停滞・人口減少などであまり増えないという指摘です。結果として口が開きっぱなし=財政赤字の拡大「ワニの口」は予算の一般会計の歳出と税収の差がワニの口のように拡大していくことを指します。つまり、主に高齢化による社会保障費の拡大という「歳出増」と「歳入停滞」が乖離していくことが、長期的な財政危機を招くと警鐘を鳴らす構図です。

 ですが、会計歳出には国債償還費が入っていますが、歳入の方は借り換えた国債に相当する公債金収入が入っていません。従って、歳出から国債償還費を除くと同時に、歳入の方は税収に「その他収入」を加えた上で改めて両者を比較すると、いわゆる「ワニの口はありません」ということになるのです。「ワニの口」という図は、宣伝のトリックとしては耳目を集めそうですが、なんら新しいものでもなく、むしろ人を誤解させるための陳腐でチンケな方法といえそうです。

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統計で騙す方法 その八 偏見と差別の変化

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Last Updated on 2025年7月5日 by 成田滋

ニュージャージー州(New Jersey)にあるプリンストン大学(Princeton University)世論調査研究所での調査を引用します。黒人に対して偏見を抱いているかどうかが調査されました。そこで明らかになったことは、黒人を非常に毛嫌いしている白人ほど、黒人の就職の機会は白人と同じようにあると答える傾向があったというのです。同時に黒人に同情的な人たちのほぼ三分の二は、黒人には白人と同じような就職の機会はないと考えていると答えました。他方、偏見を示した人たちはのほぼ三分の二は、白人と同じくらいの就職のチャンスがあると答えたというのです。

 もし、この調査期間中に黒人に対する偏見が高まってくるようなことがあれば、黒人には白人と同じだけの就職のチャンスがあるという答えが増えてくることがわかります。すなわち、黒人はいつの場合でも、かなり公平な取り扱いを受けていることが調査からわかるのです。そして事態が悪くなればなるほど、同情的な世論となるように思われます。

 自分のことを人種差別主義者だと大っぴらに認める人間はごくわずかのようです。しかし多くの心理学者は、ほとんどの人間が意図せず人種差別主義的だと指摘します。「潜在的な偏見」(implicit bias)と呼ばれるものを持っているというのです。1960年代に、「奴隷制などの過去の人種差別に対する補償」や「多様性の確保」を目的として、アジア系を除いた人種的マイノリティである黒人やヒスパニックを、企業や官公庁の雇用や大学入学などで優遇する「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置:affirmative action」が導入されました。

 積極的差別是正措置に関してですが、大学への入学において、被差別人種とされる黒人やヒスパニック系の人種、あるいは被差別の階層のために採用基準を下げたり、全採用人員のなかで最低の人数枠を制度上固定するなどの措置がとられています。同じマイノリティの中でもアジア人に対する扱いは例外で、学業成績が優秀であったとしても評価基準の曖昧な人物評価において低い点数をつけられ、結果的に不合格になるケースが多く、優遇処置が取られているどころか、実際は事実上の人種差別を受けているのではないかという疑念が呈されているのが現状です。

人種別の合格加点(減点)

  「Natureasia」の2019年12月号、「米国における「逆人種差別」(reverse discrimination) の認識」によりますと、白人および共和党支持者は、差別の程度の差は、黒人および民主党支持者より小さいと考えているとあります。さらに、アメリカやヨーロッパなどに広がる政治的分極化と極右的な運動の高まりの一因は、非白人を優遇しているとされる社会にて、白人が差別に直面しているという考えにあるとしています。最近のある研究では、一部の白人アメリカ人は、黒人に対する差別の減少が白人に対する差別の高まりを伴っていると考えていることが示唆されています。

 このように「逆人種差別」という認識が、徐々に広がっていますが、我が国では、人種ではありませんが、女子学生を大学入試において差別する傾向が依然として残っており、例えば2018年には医学部入試での差別が発覚したり、都立高校における男女別定員制を設けるなどの実態があります。そうした背景を踏まえ、男女共同参画社会基本法の規定による男女共同参画基本計画により、「社会のあらゆる分野において,2020年までに,指導的地位に女性が占める割合が少なくとも30%程度になるよう期待する」といった目標を定めました。しかし、2020年7月には、30%目標を断念し、「2020年代のできるだけ早期」という曖昧な表現に変更しました。

 2020年の世界経済フォーラムにおけるジェンダー・ギャップ指数では、日本は153か国中121位。 OECD加盟国と比較しても、日本の女性取締役比率は15.5%と、米国(31.3%)、英国(37.2%)、フランス(45.2%)に大きく遅れています。

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