この制度が発展したのは13〜17世紀といわれます。1215年の大憲章(マグナ・カルタ: Magna Carta)では、「正当な裁判なく自由を奪ってはならない」という原則が確認され、これが後の「ヘイビアス・コーパス」の精神的基盤となりました。その後、裁判所が不当な拘禁を調査するためにこの令状を使うことが一般化します。特に、16〜17世紀には国王や官僚による恣意的な拘禁に対して、庶民が抗議手段として使うようになります。
この制度の最も重要な転機は、1679年にイングランド議会(Parliament of England) が「ヘイビアス・コーパス法」を制定したことです。これはチャールズ2世(Charles II)の治世下、国王権力の乱用を防ぐために成立したものです。次のような内容でした。
つまり、戦争・反乱などの非常事態を除いては、政府は勝手に人を拘束できず、裁判所の審査を経る必要があるという強力な人権保障の柱です。大統領は、連邦移民法(Immigration and Nationality Act)などに基づいて、移民・関税執行局(Immigration and Customs Enforcement: ICE)などの連邦機関に不法滞在者の摘発・退去を命じることができます。しかし、大統領の権限は法律に基づいて行使されるべきであり、法の適正手続き(due process)を無視することはできません。仮に、大統領命令で移民を拘束・送還する場合でも、当事者が裁判所に対して「ヘイビアス・コーパス」を請求する権利は奪えません。
学生たちは一人の教授を、いわば発見しておりました。それはある学生の言によれば全学のピカ一教授でした。すなわちフーバー教授、ゾフィーの哲学の先生でした。彼の講義には医学部の学生もやってきました。それで早めに行かないと座席が取れないのでした。題目はライプニッツ(Gottfried W. Leibniz)とその精神論でした。
1933年4月にナチスドイツは職業官吏再建法(de:Gesetz zur Wiederherstellung des Berufsbeamtentums)を発布し、その第3条で「アーリア系でない官吏は退官させることができる」と謳います。ドイツ国民をアーリア人種の一民族として賛美し、他方でユダヤ人や黒人、インドを発祥の地とする少数民族のロマ族、いわゆるジプシー(Gypsy)を「非アーリア人」として貶めることになります。これが「アーリア条項」(Aryan Clause)」と呼ばれるものです。ユダヤ人の迫害、ホロコースト(Holocaust)が始まったのは1933年といわれます。
ヨーロッパの一部の保守派評論家は、「政治的正しさ」と多文化主義は、ユダヤ・キリスト教的価値観(Judeo-Christian values)を弱体化させることを最終目的とした陰謀の一部であると主張しています。この理論は、政治的正しさはフランクフルト学派(Frankfurt School)の批判理論に由来し、その支持者たちが「文化マルクス主義」と呼ぶ陰謀の一部であると主張しています。ちなみに、フランクフルト学派とは、ヘーゲル(Georg Hegel)の弁証法とフロイト(Sigmund Freud) の精神分析理論をマルクス主義と融合させてマルクス主義の問題点の克服と進化を試みた学派といわれます。2001年、保守派評論家のパトリック・ブキャナン(Patrick Buchanan)は著書『西洋の死』(The Death of West)の中で、「政治的正しさは文化マルクス主義である」と述べ、「そのトレードマークは不寛容である」と述べています。