心に残る一冊 その45 「エミール」

Last Updated on 2017年11月30日 by 成田滋

架空の「エミール(Emile)」という金持ちの孤児で健康な少年を著者のルソー(Jean-Jacques Rousseau)が育てていくという設定で書かれています。誕生から年令にそって、子どもに何をどう教えるべきか、そして一人前の人間としてどのように育てるかという教育論が語られます。

ルソーはエミールをして、人間は生まれつき善良であることを知り、そのことによって自分自身によって隣人を判断できるのが大事だと説きます。社会がどのように人間を堕落させていくのか、人々の偏見のうちに社会のあらゆる不徳の源がなんであるか、個人の一人ひとりが尊敬を払うことの大切さも説きます。当時の教会を中心とする価値観や伝統などの慣習から解放され、個人の自由を理想とするとことを訴えます。

「神は、人間が自分で選択して、悪いことではなくよいことをするように、人間を自由な者にしたのだ。神は人間にいろいろな能力をあたえ、それを正しくもちいることによってその選択ができるような状態に人間をおいている。」

「学問の研究にふさわしい時期があるのと同様に、世間のしきたりを十分によく理解するのに適当な時期がある。あまりに若い時にそういうしきたりを学ぶ者は、一生のあいだそれに従っていても、選択することもなく、反省することもなく、自信はもっていても、自分がしていることを十分に知ることもない。しかし、それを学び、さらにその理由を知る者は、もっと豊かな見識をもって、それゆえにまた、もっと適切で優美なやり方でそれに従うことになる。」

伝統やしきたりで縛られる不幸な社会に生まれる子どもを、いかに「自然人」として育てあげるか。ルソーは「人間はもともと自由なものとして生まれた」というテーゼから論じています。

ルソーは、「自然による教育、人間による教育、事物による教育」という三つの柱を示しています。自然による教育とは、これは子どもの成長のことです。人間による教育は教師や大人による教育です。事物による教育は外界に関する経験から学ぶということだと主張します。

心に残る一冊 その44 「シートン動物記」–狼王ロボ

Last Updated on 2017年11月29日 by 成田滋

イギリス人作家アーネスト・シートン(Ernest T. Seton)の作品はいろいろと読みました。子どもにも大人も動物の不思議な習性や行動、そして家族の絆や群れのつながりを教えてくれる作品です。シートンは長くカナダやアメリカで生活し、アメリカ・インディアンの生活を理想とし、今でいうエコロジー(ecology)と自然主義を基調として著作活動をした作家として知られています。

日本で一般に知られた標題は「狼王ロボ(Lobo, the King of Currumpaw)」。合衆国西南部、ニューメキシコ州北部が舞台です。カランポー(Currumpaw)と呼ばれる地帯です。多くの馬、牛、ヒツジなどが放牧される丘と小川が広がります。そこに一匹の灰色オオカミ「ロボ」がいます。ロボは並み外れた知恵と力を持ち、一族の集団を統率します。その群れは毎日のように牧場を襲い、牛やヒツジを殺します。土地の人びとは、ロボに畏敬の念すら込めて「カランポーの王者、ロボ」と呼びます。

ロボには高額の賞金がかけられ、オオカミ狩りの経験を持つシートンにも捕獲の白羽の矢が立ちます。しかしロボは悪魔のような賢さで、仲間をしとめようとする人間たちの挑戦を退けます。あらゆる術策は尽きたかに見えたとき、シートンはロボとつがいであるブランカ(Blanka)に目を付けます。そして捕えて殺すことに成功します。彼女を失ったロボは狂いブランカの血の臭いにおびき寄せられてシートンの罠にはまってしまいます。

本作のモチーフは、アメリカの大平原で展開されたオオカミと人々の暮らしです。シートンは言うのです。「もともとアメリカでは、先住民のアメリカ・インディアンはオオカミを敬っていた。白人とオオカミとの間に接点はなかった。だが白人が野牛が皆殺しにしたため、オオカミは牧牛を襲うようになり、それに伴いオオカミ狩りが始まったのだ。」

心に残る一冊 その43 「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」

Last Updated on 2017年11月28日 by 成田滋

ドイツの社会学者テンニェス(Ferdinand Tönnies),が使ったゲマインシャフト(Gemeinschaft)とゲゼルシャフト(Gesellschaft)は、人間の社会関係を分析する概念として今も広く知れわたっています。ドイツ語辞書によりますと、「Gemein」とは市井の人、常民、庶民など、「Geselle」とは相棒、仲間、職人など,「schaft」は名詞・形容詞の語尾について、性質や状態が集まったものをあらわします。例えば、友達Freund にschaftが付くとFreundschaft で友情というわけです。ゲマインシャフトとは共同体組織、ゲゼルシャフトとは利益社会とか機能分化社会のことといわれます。

テンニェスによれば、人間の意志はさまざまな関係を営むとします。そこには肯定的な関係や否定的な関係があるのですが、大事なことは相互的な肯定の関係によって形づくられる集団である提起します。こうした集団はゲマインシャフトとゲゼルシャフトに区別されていきます。

まずゲマインシャフトとは、人間の根源的あるいは、自然的な状態としての人間の意思の完全な統一体であるとします。その例は、地縁、血縁、友情、家族、村落などです。こうした「共同体」は自然発生するというのです。町内会とか郷友会、自治会といった身近で緩やかな組織です。

これに対してゲゼルシャフトとは、平和的な仕方でたがいに生活していながら、本質的に結合しないで、利害関係に基づいて人為的に作られた利益社会を指します。近代社会の特徴はこのゲゼルシャフトの形成と発展にあるといわれます。その例は、大都市、国家、および世界という3つに代表されます。企業、同盟、連合体もそうです。

ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの分化は、人間関係に及ぼした影響です。関係が疎遠になり「疎外」ということが懸念されました。今ほど地域住民の相互性が強調される時代はありません。地域コミュニティの再形成を示唆したのがテンニェスの功績といえましょう。

心に残る一冊 その42  Intermission  感謝祭とPlimoth Plantation

Last Updated on 2017年11月27日 by 成田滋

今日で感謝祭の休暇が終わると、キリスト教会暦の典礼である待降節 (アドベント: advent)がやってきます。クリスマスのシーズンのことです。バッハ(Johann Sebastian Bach)のクリスマスオラトリオ(Christmas Oratorio)やキャロル(Christmas Carol )が聴かれる頃です。「12 Days of Christmas」もいいですね。こうした音楽を聴きながら、1600年代にイングランドやオランダなどからはるばる新大陸にやってきた人々ことを考えます。信仰が長い航海を支えていたとはいえ、さぞかし苦しい旅だったろうと察します。

ボストンから東南に車で一時間のところにメイフラワー号(Mayflower)が大西洋を渡って到着したプリマス(Plymouth)という港町があります。ここにメイフラワー号のレプリカが停泊しています。1620年9月にイングランドの南にあるPlymouthという港町から出航し66日をかけてこの地に到着し、その名がついたようです。そうした人々は巡礼者(Pilgrims)と呼ばれました。102名の乗船者中、最初の冬を越して生き残ったのは53名と半数の乗組員だったとあります。イギリス国教会からの信仰の自由を求めた人々です。1629年には清教徒(Puritans)がプリマスの北にあるセーレム(Salem)にも到着します。どちらもプロテスタントの人々です。

メイフラワー号に乗ってやって人々が作成した誓約書(Mayflower Compact)が残っています。後のアメリカ憲法の下敷きになったものです。この誓約は「アメリカ最初の憲法」という歴史家もいます。誓約書によって人々の暮らしや農場の秩序を保ったのです。

プリマスの郊外にある「Plimoth Plantation」のことです。1624年にイングランドからやってきた人々がこの居住地を開拓したという記録があります。今でいうコロニーです。ここには、住居、鍛冶屋、パン屋、洋服屋、学校、集会所、家畜小屋、倉庫、貯蔵庫、チャペル、そして牢屋もあります。当時は300人くらいが住んでいたようです。農場の柵の外で小麦や大豆、コーンなどを作りました。こうして共同体の生活が営まれました。ここは現在、入植当時の生活を再現した野外博物館となっています。プリマスは「アメリカの故郷」と呼ばれ、歴史的遺産を数多く残す観光地となっています。なぜか”Plimoth”と”Plymouth”は使い分けられています。

心に残る一冊 その41  Intermission  感謝祭と勤労感謝の日

Last Updated on 2017年11月25日 by 成田滋

今、アメリカ国民は感謝祭(Thanksgiving) の休暇を楽しんでいます。昨日、家族と友達に電話して祝いの言葉を伝えました。そして、”I miss you all!”と叫びたくなりました。

11月23日勤労感謝の日はかつては新嘗祭とも呼ばれました。五穀の収穫を祝う風習は古から今でも地方では続いています。神事が中心でしたが1947年から国民の祝日となりました。

ついでですがカナダの感謝祭は10月の第2月曜日です。土曜日から月曜日の3連休となります。国によって期日は違いますが、年の収穫に感謝を込め喜びを表し、翌年の豊穣を祈るのはいずこも変わることのない習慣です。

収穫の品を前にして、働きによって自然から受けた恵みに感謝するのがThanksgivingです。感謝祭の由来は、家庭や学校で子どもたちに言い伝えられています。

「空の鳥を見なさい種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。」(マタイによる福音書 6:26)

心に残る一冊 その40  Intermission  初めての感謝祭

Last Updated on 2017年11月24日 by 成田滋

1978年11月26日、高速道路のInterstate-IS-94は冷たい風と小雪が舞う天気でした。留学最初の晩秋です。頂戴していた地図を頼ってマディソン(Madison)からミルウオーキ(Milwaukee)にお住まいのハス元宣教師宅(Rev. LeRoy Hass)に着きました。感謝祭(Thanksgiving) の晩餐にお招きいただいたのです。この先生はドイツ系福音派の方で、代々靴屋を生業としていたそうです。私の靴を見て「新しく良さそうな靴だね」と声をかけてくれました。「これはマディソンのモールで買いました」と説明しました。

ハス師は、日本での伝道に20年あまり従事していたので日本語には全く不自由しません。私も家族もまだ言葉の壁がありましたので、くつろぐことができました。感謝祭の宴はさして豪華ではありませんが、賛美歌を歌い短い奨励という感謝祭の意義を語るハス師の言葉に聞き入りました。そして食事が始まりました。

エプロンをしたハス師自らが七面鳥(Roast turkey)の丸焼きにナイフをいれて、細かくします。肉は白い部分と灰色の部分に分けられます。白いのは鶏肉に似ています。灰色のは少し粘り気があります。皿に盛られた肉が手渡しされてそれを少しずつ自分の大皿に盛りつけます。七面鳥のお腹の中には、スタッフィング(stuffing)という乾燥させた角切りのパン、米、野菜や果物などを混ぜた詰めた中身が入っています。肉からの汁が染みて美味しいものです。

七面鳥の肉にかけるのがグレイビーソース(gravy sauce)。このソースはマッシュポテトにもかけます。そして肉に添えるのが甘酸っぱいクランベリーソース(cranberry sauce)です。さらにサイドディッシュとして、グリーンビーン(green beans)、スクオッシュ(squash)が並びます。食事が終わるとパイやケーキがデザートとしてでます。どれも奥様ルースさん手作りの品です。これにアイスクリームをのっけていただくのが習わしです。

家の中は暖房が効いてお腹もいっぱいになり心地よい気分です。テレビでは感謝祭の日の恒例行事、アメリカンフットボールが放映されています。皆感謝祭の食事をしているので、視聴率が高いのです。その夜はハス師のお宅に家族5人が泊まりました。初めてのアメリカでの感謝祭でした。もうあれから40年が経ちます。ご夫妻は既に召されています。

Hass師の娘のDebbie Madiganさん(右)と友人

心に残る一冊 その39 「若きウェルテルの悩み」

Last Updated on 2017年11月23日 by 成田滋

5月4日に始まり、9月10日におわるこの小説の第一部は、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)の処女作で、自身がその当時、友人と妹コルネリア(Corneria)にあてて書いた手紙をもとに構成されています。物語られることは、ほんどすべてウェルテル(Werthers) の恋人ロッテ(Charlotte Buff)への愛を中心としています。ウェルテルはそのままゲーテの青春のようなのです。ドイツ語の原題は「Die Leiden des jungen Werthers」となっています。Werthersの発音はドイツ語読みではウェルタ−、 Charlotteの愛称はロッテとなっています。

前半では、ウェルテルが自殺にまで追い込まれるような悲観的な雰囲気がでていないばかりか、むしろ健康的であるということを印象でけています。しかし、不安に絶えきれなくなったウェルテルはロッテの魅力から逃走します。

「ああ、わきたつ血が血管のすべてをかけめぐる、ふとぼくの指が彼女の指にふれ、ぼくたちの足がテーブルの下で出会ったりするときに。火にふれたようにそれをひっこめる。あらゆる感覚が迫ってきてくらくらっとする。」

「承知しました。愛するロッテ。万事取りはからいます。どうかたくさんご用を言いつけてください。どうかなんどでも。一つお願いがあります。ぼくに書いてくださる便箋に、どうか吸い取りの砂をまかないでください。きょう、それをいただいて、いそいでくちびるにもっていきました。おかげで歯がじゃりじゃりになりました。」

第二部は10月20日から12月6日の日記となります。舞台の季節は春から秋に移ります。明るい自然は陰うつな雰囲気にかわります。身辺におこるさまざまな不愉快な事件のために、すっかり憂うつになったウェルテルは、世間的な希望を失い、はてはロッテに対する恋にもまったく希望を持てなくなります。そして自殺の道を選びます。

「人間を幸福にするものが、また人間の不幸のもとになるということは、避けがたいことだったのか?」

著者ゲーテはウェルテルこのように言わしめます。このゲーテの作品は、お涙頂戴の物語ではありません。「恋愛、芸術、思想などどんあ分野であれ、絶対的名ものに人が執着するときの避けられない宿命的な結末が主題である」とブリタニカは記述しています。

日本でゲーテの名を知らしめたのが1913年に森鴎外が「ギョエテ伝」を出版したことだといわれます。それ以来、若者の間で「ギョエテとは俺のことかとゲーテいい」といった駄洒落も流行しました。ゲーテの作品中、日本で最も多く重ねて翻訳されたのがこの「若きウェルテルの悩み」とわれます。

心に残る一冊 その38 「クォ・ヴァディス(Quo Vadis?)」

Last Updated on 2017年11月22日 by 成田滋

ポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチ(Henryk Sienkiewicz) の作品です。私が学生のときに手にした小説です。「クォ・ヴァディス(Quo Vadis Domine)」というのはラテン語だそうです。その意味は、「あなたは一体どこへ行こうとしているのですが?」 Quoはどこへ、Vadisは行く、Domineは主人という意味です。

この小説のモチーフはヨハネによる福音書(Gospel according to John) 16章5節 や使徒行伝(Acts)にあるキリストと使徒ペテロとの対話です。ペテロ(Peter)はキリストの逮捕、磔という受難を知らず、「先生、どこへ行かれるのですか?(Quo Vadis, Domine?)」と尋ねます。キリストは言います。「ローマで伝道してくるが、やがて捕らえられるだろう、、」

時代はローマ帝国、ネロ・クローディアス(Emperor Nero Claudias)の治世です。本書はネロ帝治下のローマを舞台です。若いキリスト教徒の娘リギア(Lygia)と、ローマ人マルクス・ウィニキウス(Marcus Vinicius)の間の恋愛をいきいきと描きます。リギアはスラブ系の出身。そんな家系のリギアにローマ軍の大隊長であるマルクスは恋に落ちます。マルクスは彼女がキリスト教徒であることを知りません。当時、キリスト教は禁教ですから、二人の恋の成就は困難かにみえました。しかし、二人の絆は深まります。「リジアのためにその神を信じます」とマルクスは誓います。

ネロによるキリスト教徒の迫害が始まります。ローマで大火が起こりますが、それをキリスト教徒の仕業であるとネロは宣言します。実はローマに放火したのはネロの命令だったのです。やがて二人は逮捕されて闘技場コロセオ(Colosseo)に連れられます。キリスト教徒がライオンの餌食になり、また火あぶりになる様子をリギアやマルクスは見守ります。

コロセオでは奇蹟が起きます。マルクスは群衆に叫びます。「ネロがローマを焼き、多くの人々を殺した。圧制は終わりだ。」 ローマ市民が呼応してネロの圧政に立ち上がります。

心に残る一冊 その37 「主体性:青年と危機」

Last Updated on 2017年11月21日 by 成田滋

自分の75歳の過去で一度読み終わり、再度読みたくなる本をランダムに採り上げています。この拙稿のシリーズを始めてから、埃のかかった古本を手にし、かつてメモした筆跡に触れています。

「青年と危機」という本の原題名は「Identity: Youth and Crisis」。その名のとおり、青年が葛藤し追求する主体性とは何かを方向づけてくれる本です。青年期とは、「自分とは一体何なのか」「充実した生活をどうしたらできるか」「どんな職業が自分に向いているのか」といった問いかけをしながら、自分自身を形成していく時期です。著者エリック・エリクソン(Erik Erikson)によれば、「これこそが本当の自分だ」といった印象を実感すること、主体性あるいは自己同一性と呼びます。個人独自の存在であることの証明、それがアイデンティティだというのです。

エリクソンの研究の方法は以下の引用に示されます。
「アイデンティティを論ずる際に、個人的な成長と共同体的な変化とを切り離すことはできない。個人の人生におけるアイデンティティの危機と歴史的な発達における現代との危機とも切り離すこともできない。なぜなら両者は相まって、互いに他を定義し合い、真に相互関連的だからである。

人格心理学や社会心理学には、アイデンティティ、またはアイデンティティの形成という概念としばし同一のものとみなされているいくつかの用語がある。たとえば、一方では自我意識、自画像、自画評価などであり、他方では役割多義性、役割葛藤、役割喪失などと呼ばれている用語である。しかし、そのような用語を使って研究領域をカバーしようとする方法は、人間がどこからどこへ向かって発達するのかを解明しようとする人間発達の理論をいまだに欠如している。」

著者エリクソンは、伝統的な精神分析学的な方法もまたアイデンティティを十分に把握することができないと主張します。どうしてかというと、精神分析学は環境というものを概念化する用語を作り出せなかったからだというのです。心理社会的発達の視点が欠けているからです。

心に残る一冊 その36 「告白教会と世界教会」 告白教会とは

Last Updated on 2017年11月20日 by 成田滋

この著作「告白教会と世界教会」はドイツ福音ルーテル派の神学者、ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer)によります。ブリタニカ国際大百科事典から引用しながら、「告白教会」の特徴を考えることにします。あまり聞き慣れない教会名のようですが、カトリック教会とかプロテスタント教会というような包括的な名称であると前置きしておきます。

告白教会(Confessing Church)、(Bekennende Kirche)というのは、1933年に政権の座について国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に反対するドイツの福音主義教会に属する牧師、信徒たちがモーセ(Moses)の十戒の第一戒を旗印として結成した組織といわれます。第一戒とは「わたしのほかに神があってはならない」というものです。教会をナチズムのプロパガンダの手段としようとしたヒトラーに抵抗して,ドイツのプロテスタント諸教会内に生れた信仰覚醒運動ともいわれます。

最初、ワイマール共和国(Weimarer Republic)はわずか14年間に21もの内閣が生まれては崩壊するという有様で、諸教会は共和国への反感などからヒトラーに好意的であったといわれます。ナチス支持のドイツ・キリスト者は、1933年結成のルター派(Lutheran Church),改革派(Reformed Church),合同領邦教会(Landes kirche)の連合体であるドイツ福音教会を牛耳り,聖書と宗教改革の信仰告白を脅かします。

これに反対するマーチン・ニーメラー(Martin Niemoller)らの青年改革運動が形成されます。同年 11月緊急牧師連盟を組織してドイツ・キリスト者に対抗し、1934年5月にルール地方のバルメン(Barmen)におけるバルメン会議(Synod of Barmen)の宣言となって積極的にナチズムと対決していきます。この会議は告白大会(Synod of Confession)とも呼ばれています。

こうしてドイツのプロテスタント諸教会は,国家統制下の教会と告白教会に二分されます。 1936年ルター派領邦諸教会は別個の評議会を組織します。改革派,合同派は告白教会内でユダヤ人迫害とか安楽死に積極的に抵抗していきます。しかし結局は地下活動に追いやられ,第2次世界大戦中は,逮捕,徴兵などで組織は大打撃を受けるのです。戦後はドイツ福音教会が再編されるとともに評議会は解散します。

心に残る一冊 その35  「白薔薇は散らず」

Last Updated on 2017年11月20日 by 成田滋

162頁のこの本の原題は「Die Weisse Rose」。翻訳の出版社は白水社で定価が150円とあります。第二次大戦下のドイツで国家社会主義政権への抵抗運動を始め、やがて処刑されたハンス・ショル(Hans Scholl)と妹ゾフィー・ショル(Sophie Scholl)の記録です。ヒトラーが政権をとった時、ハンスは15歳、ゾフィーは12歳。そして二人はヒトラー青年団(Hitler Youth)に加入します。この青年団はナチスによる学校放課後における地域の青少年を教化する組織です。第二次世界大戦が始まると、ハンスも戦争に狩り出され、ロシア戦線にも出征します。

ハンスやがて、ドイツ人でユダヤ系の詩人であるハイネ(Heinrich Heine)の詩を禁じられたことなど、ナチスの理念と行動に疑念を抱くようになります。ミュンヘン大学医学部の学生になったハンスは、友人や哲学教授のクルト・フーバー(Kurt Huber)を相談役として、「個人の権利と自由、各人の自由な個性の発達と自由な生活への権利を」主張していきます。そして反戦運動のメンバーとして会議に参加することとなります。地下での抵抗と反戦を「白薔薇通信」というチラシで密かに訴えます。この運動は、政治的な結社でも武装闘争でもありませんでした。

白薔薇通信には次のような文章で始まります。
「何よりも文化民族にとって相応しからぬ事は、抵抗することもなく、無責任にして盲目的な衝動に駆り立てられた専制の徒に「統治」を委ねることである。現状はまさに、誠実なドイツ人は皆自らの政府を恥じているのではないか?」

白薔薇通信の最後のビラの一説です。
「言論の自由、信教の自由、そして犯罪者的暴力国家から市民を擁護すること、これが新しきヨーロッパの基礎である。諸君、抵抗運動を支持せよ。このビラを配布されよ!」

「愕然としてわが民族はスターリングラードの人的消耗を眺めている。33万人のドイツ男子は第一次大戦伍長の天才的戦略によって無意味かつ無責任に、死と破滅に駆り立てられた。(略) 我が民族は国家社会主義によるヨーロッパの奴隷化に抗して、進軍を開始せんとする、自由と名誉の新しき信念に身をたぎらせつつ。」

心に残る一冊 その34 「告白教会と世界教会」

Last Updated on 2017年11月17日 by 成田滋

今年は宗教改革(Protestant Reformation)500年の記念すべき年です。世界各地で共同の記念行事が開催されました。1517年10月31日にマルチン・ルター(Martin Luther)はローマのカトリック教会に抗議してヴィッテンベルク(Wittenberg)の城内に95ヶ条の提題を掲げたといわれます。これが、一般に宗教改革の始まりとされます。ルターはカトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書とされる免罪符 (Indulgence)をはじめ、独断的な教義に疑義を提起したのです。

今回は「告白教会と世界教会」 という本です。著者はドイツ福音ルーテル派の牧師で神学者であるディートリッヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer)です。本書は、ドイツの福音ルーテル教会がナチズムにおもね、独裁的教会統治に成り下がってしまったこと、それに反対して「告白教会と世界教会」という福音に根ざした統治を叫びます。これは教会闘争といわれます。

1939年にヒトラーの軍隊はポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まります。それに先立ち、ボンヘッファーはラジオ放送でナチスの「指導者原理」を痛烈に批判するのですが、放送は中断されます。ボンヘッファーは若くして、ガンジー(Mohandas Gandhi)から影響を受け、非暴力の抵抗を理想と考えます。しかし、ナチズムという限界状況にあってヒトラー暗殺計画に加わります。殺人は悪であり、神の審きの対象であることを容認しながら、彼は違法な手段を選択します。「隣人のためにその罪を自ら引き受ける者が今の時代には必要である」とボンヘッファーは考えます。

「我々は国家社会主義者か、それともキリスト者か、という決断を迫られている。恐ろしいことであるが、それが明らかにされねばならない。今や、全き真理と誠実さによってのみ決断への助けが与えられる。」

「ドイツ教会闘争は、教会が真実に教会であるための戦いとして、世界教会の運動の課題に関わるのである。そような課題をドイツにおいて担う教会こと告白教会であり、ここでの告白教会は、ドイツ・キリスト者(独裁的教会統治)の教会と決定的にたもとを分かつのである。」

心に残る一冊 その33 「沈黙」と遠藤周作

Last Updated on 2017年11月16日 by 成田滋

狐狸庵先生と称された遠藤周作の作品です。必ずしも正統とはいい難いキリスト教思想の持ち主といわれていました。同時に日本のキリスト教界を代表する文学者ともいわれています。小説以外の形式でも、「私のイエス」「私にとって神とは」などを発表しました。キリスト教の神学者の間でしばしば賛否両論含めた論評の対象になりました。私は素人なのでその根拠はわかりません。言えることはそれだけインパクトのある作品を書いたということでしょう。

「沈黙」のことです。舞台は江戸時代のキリスト教が厳しく禁止されていたころです。そうした中で潜入したロドリゴ神父は、多くの信徒が迫害され殉教していくの目の当たりにします。「神はなぜ応答しないのか、この不可解な沈黙のなかで神を信じる行為とはなにか」。これが「沈黙」のテーマです。

ロドリゴは、長崎奉行所によって捕らえられ、踏み絵を強いられて棄教を迫られます。「このような状況を前に、神はなぜ沈黙されているのか」という大きな疑問を抱き続けます。そしてさらに恐ろしい懐疑がわき上がってきます。「もしかしたら神は存在しないのではないか。」

その間次々と信徒は殉教していきます。殉教という神を信じる行為も神の存在を証明する行為だろうが、それなら殉教という行為が怖くてできない「弱い臆病者」の自分を神は見捨てるのか、自分には救いはないのか、自分は神の存在を信じることができないのか、という問いにロドリゴは苦悩するのです。

踏み絵のキリストが「踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」という声が聞こえてきます。踏みつけた踏み絵を前にして信仰を棄てた自分がそこに立っています。しかし遠藤は、ロドリゴに対して「あなたはイエスの愛を捉え直すことになったのだ。神は沈黙していたのではなく、共に苦しんでいたのであり、その神の苦しみを感じたあなたという人がいる」というのです。殉教者の叫びに苦悶したロドリゴ自体が神の存在を語っているというのが「沈黙」の中心テーマです。

心に残る一冊 その32 「深い川」と遠藤周作

Last Updated on 2017年11月15日 by 成田滋

日本人の大半は汎神論者であるといわれます。仏教も神道も儒教もキリスト教もすべて受け入れる寛容さがあります。別な視点からすれば「節操のなさ」とか「いい加減さ」があります。特定の宗教に深くは帰依せず、にもかかわらず全てを受け入れるのです。日常は「仏」や「神」や「愛」など深くは考えずに暮らしています。それを美徳とするのです。他方、キリスト教やイスラム教は唯一神であり、他の宗教と友誼の関係を持っても教理においては妥協しないという特徴があります。

遠藤周作のことです。かれはカトリック教徒といわれます。ですが彼の作品を手にすると登場する主人公には、誰もを「そうだ、そうだ」と納得させるような「仏」や「神」や「愛」についての説明があるような気がします。この「深い川」という作品も、ガンジス川の持つすべてを包み込む母のような偉大さをみる遠藤の感性を表しています。この作品は1993年に書き下ろされたものです。「深い川」とは黒人霊歌で出てくるヨルダン川(River Jordan)ではなくガンジス川(Ganges)です。この川とはキリスト教と仏教の考え方を隔てるものと考えられているようです。

主人公磯辺はごく普通の父権的な家庭人であり夫でありました。しかし妻は臨終の間際にうわ言で自分は必ず輪廻転生し、この世界のどこかに生まれ変わる、必ず自分を見つけてほしいと言って亡くなるのです。そこであるインドツアーに参加することにします。ボランティアで妻の死ぬ間際まで介護したのが美津子です。彼女はかつてキリスト教系の大学を卒業しています。学生時代には複数の男性の心を弄びます。その中に神父を志す男子学生の大津がいました。

美津子もまた、旧友との同窓会で大津がガンジス川の近くにある修道院にいるという噂を聞き、大津の持つ自分にない何かを知りにインドツアーに参加します。ガンジス川の水は全てのものを浄化するため、この世の苦しみから解き放たれ、解脱できると考えられています。遺体を燃やして灰にし、ガンジス川に流すことは、ヒンドゥー教徒(Hindu)にとって最大の願いといわれています。大津は、インド中から集まってくる貧しいために葬ってもらえなかった人たちの死体を運び、火葬してガンジスに流す仕事をしています。やがてある日、懐かしい美津子と出会うのです。

心に残る一冊 その31 「秘太刀馬の骨」

Last Updated on 2017年11月5日 by 成田滋

藤沢周平の作品をいろいろと読んでいますが、この稿のあとは11月15日までしばらくお休みをいただきます。

  藤沢の小説にでてくる舞台の多くは、山形の海坂藩という架空の外様藩です。小さな藩のゆえに跡継ぎを巡る藩内のお家騒動に焦点があてられます。いろいろな策略や陰謀が巡らされるのですが、それに巻き込まれる若い剣士が登場します。我が身の保身に躍起する派閥に翻弄されつつ信念に基づき折り合いをつけて生きていきます。今の日本の政党のように党内の主導権争いを反映するかのようです。

藤沢の作品には、あまり激しい申し合いや立ち回りは描かれません。ですが「秘太刀馬の骨」という時代小説は、剣の秘業を誰が継ぐのか、どのような秘太刀なのかは読者の興味をそそります。それを求めて剣士は修行するのです。それがこの「秘太刀馬の骨」です。「秘太刀馬の骨」の業とは「相手の懐にもぐりこみ、相手の剣の下をかいくぐりつつ、首の骨を両断し絶命させる剣」といわれます。

家老の小出帯刀より、浅沼半十郎と石橋銀次郎はある任をうけます。それは六年前に家老の望月を暗殺した秘太刀「馬の骨」を探すことでした。帯刀の甥である石橋銀次朗と共に、「馬の骨」を伝承された可能性のある剣士を探し回るのです。そして不伝流矢野道場の道場主と高弟5人に死を賭して立会いを挑むのです。

心に残る一冊 その30 「三屋清左衛門残日録」 早春の光

Last Updated on 2017年11月4日 by 成田滋

「三屋清左衛門残日録」の続きです。前髪のころからの友人、大塚平八郎が中風で倒れたのを見舞って清左衛門は家に帰ります。平八と清左と呼び合っていた仲です。
「大塚様のご病気はいかがでしたか」と嫁の里江に問われます。
「思ったより元気だった」 そう答えたとき清左衛門はどういうわけか夥しい疲労感に包まれます。平八郎の状態は暗いのですが、それを嫁に説明するのをためらうのです。

  後日、小料理屋で旧友同士の佐伯熊太と平八を話題にして、次のような会話をします。
清左衛門 「医者はたゆまず修練を積めば、中風の跡も目だたぬほどに歩けるようになろうと申したそうだ。病気そのものは軽いのだ」
熊太 「で、歩いているのか?」
清左衛門 「いやまだだ。床には起き上がっている」
熊太 「そこがあの男のふんぎりの悪いところだで」
熊太 「事にあたってはきわめて慎重、といえば聞こえはいいが、要するに臆病なのだ」
熊太 「万事おっかなびっくり、勇猛心が足らん。わしなら歩けといわれたら、あの辺りの塀につかまっても歩く」
清左衛門 「貴公のようにはいかんさ。ひとにはそれぞれの流儀がある」

老いの現実が清左衛門を疲労感で包みます。再び平八の家へ足を向けるときです。道の遠くに動く人影があるのに気づき立ち止まります。こちらに背を向けて杖をつきながらゆっくり歩いているのは平八です。平八の身体はいまにも転びそうに傾いています。

その動きを眺めて路地に引き返したとき、自分の胸が波打っているのを清左衛門は気づきます。胸が波打つのは平八の歩き始めた姿に鞭打たれた気がしたからです。

心に残る一冊 その28 「獄医立花登手控え」「風雪の檻」

Last Updated on 2017年11月3日 by 成田滋

小伝馬町牢は、人生につまずいた者の吹き溜まりです。狡賢い者や正直者もいます。その中に捨蔵という容態が悪い病人がいます。軽い盗みで捕まりもう半年以上も牢に入っています。普通、盗みの程度なら裁きのあとは決まって叩きの刑ぐらいで解き放たれます。しかし、家族や親戚が不明という無宿者の捨蔵は、再犯の可能性が高いという理由で長く勾留されるのです。

余命幾ばくもない捨蔵を「溜」に移した方がよいと獄医立花登は提案します。溜とは養生牢のことで小伝馬牢よりもこぎれいで風通しがよく、住み心地が少しよい所です。囚人も昼夜、煮炊きもできる所です。

捨蔵に登が痛み止めの薬をやると、捨蔵は「ちょっとおねげえがある」というのです。娘と孫を捜して欲しいというのです。
「ずいぶん前に別れて、いまでは行方がわからない、それにいまさら親でございと名乗れる仲ではない。さんざん迷惑をかけてきた。」
「助からない命なら死ぬ前に一度は顔をみてえ。」

登は捨蔵の頼みにほだされて、捨蔵のいう娘と孫を探しだし、その言葉を伝えようとします。

捨蔵がいう娘の名は「おちか」。彼女はかつて種物屋に押し込んで一家三人を殺した犯人を偶然目撃しています。そのため逃走した二人の賊から追われて小さな娘と江戸中を転々としています。散々苦労した結果、登はおちかを探すのですが、その犯人の人相を登が聞き出すと、その男は捨蔵とそっくりなのです。登の調べによって二人の賊の一人が捨蔵だと判明し、もう一人の賊も捕縛するのです。捨蔵に対するじくじたる思いの登ですが、おちかや娘の安堵した表情に充実感も溢れます。

心に残る一冊 その27 「獄医立花登手控え」「春秋の檻」

Last Updated on 2017年11月2日 by 成田滋

「獄医立花登手控え」というサブタイトルのつく「春秋の檻」、「風雪の檻」、「愛憎の檻」という藤沢周平の作品を読んでいます。羽後亀田藩の下士に生まれた獄医立花登が難事に挑む時代小説です。羽後とは出羽の別名。亀田藩とは、秋田県南部に位置する日本海に面した由利本荘市にあった藩です。

登は国許の医学校で医学を修め、さらに江戸に赴いて医学を精進すべく、叔父の小牧玄庵の所に居候します。玄庵も浅草で開業する町医者です。酒が好きで酒代を確保するために小伝馬町にある牢屋敷で医者も努めています。医学を志す登は玄庵の腕に失望しながらも、書物を読み玄庵の代診をしながら研鑽していきます。

医師を志しながら、獄舎でつながれる人々の様々な事情と向き合います。起倒流という柔術で危険な人間をやり込めるのです。島送りの流人船を待つ囚人から、ある女に渡るべき十両をやくざから取り戻し、渡して欲しいと依頼されます。渡した十両を取り返そうとするやくざの匕首を躱し当身を打ち込んで倒します。

居候の登の世話をする叔母は、登に酒飲みの叔父の愚痴をいったり、素行の芳しくない娘のことで相談をかけたりして、時に登を身のうちの者のような言い方でもたれてきたりします。日頃はいろいろな用事を言いつける口うるさく杓子定規な女性です。

「登さんも江戸に慣れて、そろそろこの家に住むのがいやになりましたか」というように平気で嫌みを言ったりします。

小伝馬町の牢獄には三人の医師がいて、漢方でいう本道である内科医が二人、外科医が一人となっています。登は内科医という設定となっています。人間として医師として成長を遂げていくさまが描かれています。

叔父の代診で牢屋敷に通うなかで、登は牢獄につながれる人々が、なぜ罪を着せられたか、罪を犯したのかを問うのです。彼らの苦悩に共感しながら、残された人生を懸命に生きようとする姿に寄り添おうとします。

心に残る一冊 その26 Intermission  広辞苑改訂と岩波書店

Last Updated on 2017年11月1日 by 成田滋

「広辞苑」の出版元は岩波書店です。岩波書店の本にはいろいろとお世話になりました。大学の教科書に始まり、関連の専門書、そして新書や文庫といった按配です。岩波新書の刊行は1938年というのですから凄いの一語に尽きます。「方法序説」や「広島ノート」、その他「風土」といった本が手許にあります。北海道大学時代は、少々気取って「世界」や「思想」を読んだものです。1960年代ではこうした雑誌を読まないと時代に遅れるという雰囲気がありました。岩波のものであればどれも信頼がおける、という思い込みやこだわりが私にはあります。

創業者の岩波茂雄は長野県諏訪の篤農家の出身といわれます。「労働は神聖である」との考えを強く持ち,晴耕雨読の田舎暮らしを好んだとあります。岩波の刊行物にあるエンブレムにはミレーの種を蒔く人が描かれています。ミレーを引用したのはそんなところにあったのかもしれません。

岩波書店で忘れてはならないのは「図書」という冊子です。「読書家の雑誌」といわれるほど、読書の新しい愉しみを発見できるところです。「古今東西の名著をめぐるとっておきの話やエピソード、旅のときめき体験、味あふれるエッセイの数々、人生への思索などを綴る」とあります。知的好奇心あふれる読者が長く手にしている小冊子です。

岩波書店から出版されるにはどうしたよいか、ということです。恐らく原稿を幾重にも審査されるのでしょう。科学研究費補助金の審査よりも厳しいのではないかと察します。岩波から出版するにはどうしたらよいか、どなたか良い知恵を教えてくださいませんか。

心に残る一冊 その26 Intermission  広辞苑改訂と岩波書店

Last Updated on 2024年12月31日 by 成田滋

「広辞苑」の出版元は岩波書店。岩波書店の本にはいろいろとお世話になりました。大学の教科書に始まり、関連の専門書、そして新書や文庫といった按配です。岩波新書の刊行は1938年というのですから凄いの一語に尽きます。「方法序説」や「広島ノート」、その他「風土」といった本が手許にあります。北海道大学時代は、少々気取って「世界」や「思想」を読んだものです。1960年代ではこうした雑誌を読まないと時代に遅れるという雰囲気がありました。岩波のものであればどれも信頼がおける、という思い込みやこだわりが私にはあります。

創業者の岩波茂雄は長野県諏訪の篤農家の出身といわれます。「労働は神聖である」との考えを強く持ち,晴耕雨読の田舎暮らしを好んだとあります。岩波の刊行物にあるエンブレムにはミレーの種を蒔く人が描かれています。ミレーを引用したのはそんなところにあったのかもしれません。

岩波書店で忘れてはならないのは「図書」という冊子です。「読書家の雑誌」といわれるほど、読書の新しい愉しみを発見できるところです。「古今東西の名著をめぐるとっておきの話やエピソード、旅のときめき体験、味あふれるエッセイの数々、人生への思索などを綴る」とあります。知的好奇心あふれる読者が長く手にしている小冊子です。

岩波書店から出版されるにはどうしたよいか、ということです。恐らく原稿を幾重にも審査されるのでしょう。科学研究費補助金研究費の審査よりも厳しいのではないかと察します。岩波から出版するにはどうしたらよいか、どなたか良い知恵を教えてくださいませんか。