懐かしのキネマ その74 【グリーンブック】

人種差別が色濃く残る1960年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ジャズピアニストとイタリア系白人運転手の2人が旅を続けるなかで友情を深めていく姿を、実話をもとに描いた作品が【Green Book】です。「グリーンブック」とは、黒人用旅行ガイド本の代名詞です。

Tony Lip & Don Shirley

舞台は1962年のニューヨーク(New York)です。人気の高級ナイトクラブで用心棒をしているトニー(Tony Lip)は、クラブが改装のため閉鎖になりしばらくの間、無職になってしまいます。トニーは、南部でコンサートツアーを計画する黒人ジャズピアニストのドクター・ドン・シャーリー(Dr. Don Shirley) のボディガード兼運転手として雇われることになります。当時は人種差別が根強く残り、「黒人専用ホテル」があったり、白人と同じレストランで食事をすることさえ制限される時代です。

粗野で無教養ですが口が達者で、何かと周囲から頼りにされているのがトニー。教養はあるものの気難しいドンというように、2人の出自も性格は反対です。黒人差別が色濃い南部へ、あえてツアーにでかけようとするドンと、「グリーンブック」 を頼りに、トニーはその旅に同行することになります。この2人がまるで違う価値観のもと衝突しながらも次第に友情を築いていきます。

アラバマ州(Alabama)バーミンガム(Birmingham) での最後の演奏会の夜、ドンは、白人専用のカントリークラブ内の食堂へ入ることを拒否されます。カントリークラブはドンに演奏を依頼していたのです。トニーは支配人と喧嘩となり、ドンは食事を拒否されたので、演奏はしないと宣言します。トニーとドンはカントリークラブを出て、黒人のブルースクラブに行って食事をします。そこでドンはピアノを演奏し、ショパンのエチュードホ短調 (Etude in E minor)を弾きます。2人は、クリスマスイブのためにニューヨークへ戻ろうとします。トニーは夕食を共にしようとドンを招待しますが、ドンは招待を断り自分の家に帰っていきます。1人で家で坐るドンですが、トニーの家へ行こうとします。そしてトニーの家族から大歓迎を受けるのです。

懐かしのキネマ その73 【アメリカン・スナイパー】

クリントイーストウッド (Clint Eastwood)が監督した1人の苦悩する狙撃手(sniper)の自叙伝を実写化した作品です。原題も【American Sniper】です。

クリス・カイル (Chris Kyle) はテキサス州(Texas) に生まれます。父親から鹿狩の技術を仕込まれながら育ちます。ロデオ(rodeo)に明け暮れていたカイルは、アメリカ大使館爆破 (U.S. Embassy Bombings)事件をきっかけに海軍へ志願します。30歳という年齢ながら厳しい訓練を突破して特殊部隊シールズ(U.S. Navy SEALs) に配属され、私生活でも恋人タヤ(Taya) と共に幸せな生活を送るカイルです。

Chris Kyle

間もなくアメリカ同時多発テロ事件を契機に戦争が始まり、カイルもタヤとの結婚式の場で戦地への派遣命令を貰います。イラク戦争(Iraq War) で狙撃兵として類まれな才能を開花させたカイルは、多くの戦果から軍内で「伝説的人物(Legend)」と称賛されると共に、敵からは「悪魔」と呼ばれ懸賞金をかけられていました。

テロ組織アルカイダ(al-Qaeda)を率いるザルカーウィー(Abu Musab al-Zarqawi) を捜索する作戦へと参加したカイルは1,000m級の狙撃を得意とする元オリンピック射撃選手の敵スナイパー「ムスタファ」(Mustafa) と遭遇し、以後何度も死闘を繰り広げるのです。繰り返される凄惨な戦いのなかで親友のビグルス(Ryan Biggles)は戦傷により視力を失い、戦争に疑問を感じ始めたマーク・リー(Marc Lee) は戦死し、強い兄にあこがれて海兵隊に入隊した弟はイラク派兵で心に深い傷を負って除隊します。

同僚や弟が戦場で傷付き、倒れゆく様を目の当たりにし、徐々にカイルの心は心的外傷後ストレス障害(PTSD) に蝕ばまれていきます。戦地から帰国するたびに変わっていく夫の姿に妻のタヤは苦しみます。人間らしさを取り戻してほしいと嘆願するタヤの願いもむなしく、戦地から帰国するたびにカイルと家族との溝は広がっていきます。

4度目の派遣でイラクに戻ったカイルたちは敵の制圧地帯に展開し、防護壁の工兵を射殺したムスタファの姿をついに捉えます。1,920mの距離からビグルスへの思いを込めて放った1発の銃弾はムスタファを貫ぬき、敵陣の包囲網を辛くも突破します。除隊して帰国したカイルですが、数々の戦果を挙げながらも心に傷を負っています。戦地の記憶に苛まれて一般社会に馴染めない日々を送ります。やがて医師の勧めで始めた傷痍軍人(wounded veterans)たちとの交流を続けて少しずつ人間の心を取り戻していくのですが、、、、

懐かしのキネマ その72 【ダイ・ハード】

英語の題名は【Die Hard】。「最も不運な場所に居合わせる、最も不運で簡単には死なない男」が、ニューヨーク市警(New York City Police Department)のジョン・マクレーン刑事(John McClane)です。「世界一ついてない男」と揶揄されていますが、マクレーンは気にしません。マクレーンは、クリスマスイブに別居中の妻ホリー(Holly) に会うためロサンゼルス (Los Angeles) にやって来ます。そしてホリーが勤めている日系企業のナカトミ商事(Nakatomi Corporation)で、彼女と再会しますが、2人は口論を交わしてしまいます。

その日に企画されたクリスマス・パーティに2人は、手配したリムジンの陽気な運転手アーガイル(Argyle)の運転で、会場のナカトミ・プラザビルに向かいます。突如、ドイツ人のハンス・グルーバー(Hans Gruber)とその部下たちが、重武装で乱入してきます。パーティーの出席者全員が彼らの人質になります。マクレーンは脱出し難を逃れます。

John McClane

強盗らの目的は、厳重なセキュリティーにより保管されている6億4千万ドルの「無記名債券」(bearer bonds)でした。マクレーンはグルーバーらが占拠するフロアから脱出し、火災報知機を作動させますが、グルーバー一味が報知器の誤作動だと通報したことによって、いったん出動した消防隊は引き返してしまいます。次にマクレーンは一味の一人から奪った無線でロサンゼルス市警察に通報します。しかし、ロス市警はマクレーンが有線ではなくわざわざ無線を使って通報してきたこと、報知機の誤作動を起こしたナカトミ・プラザだったことから、イタズラだと疑って取りあいません。

しかし、その最中に銃撃戦が始まったことで、直近のパトロール警官に見回りを指令します。そこでマクレーンは、確認のためにナカトミ・プラザを訪れたアル・パウエル(Al Powell)巡査部長のパトカーへ、倒した一味の死体を落として異常事態を知らせるのです。一味からの銃撃も受けたパウエルは市警本部に応援を要請します。

Bruce Willis

マクレーンは、こうして手強いテロリストにたった1人で立ち向かうのです。ジョークを用いて敵を倒していく姿は、無鉄砲な一面もあります。偽造された身分証明書を見抜いたり、煙草の銘柄から出身国を推測するなどと、刑事としての洞察力が優れています。屋上やコンピュータ室での銃撃戦でゲリラ戦を展開したり、即席爆弾を作り戦術面や工作面でも高い技術を持つ刑事として描かれます。ただのアクション映画ではありません。

懐かしのキネマ その71 【パイレーツ・オブ・カリビアン】

【Pirates of the Caribbean】は、「ジュラシック・パーク」とか「インディ・ジョーンズ」と同様に、ストーリーが奇想天外で文句なく楽しめる娯楽映画です。海賊の伝説や民話に基づいて製作されたこうした映画は、私たちには必要な栄養剤というか睡眠剤のようなものです。あれこれ難しいことを考えず楽しんで観ましょう。

物語はジャック・スパロウ(Jack Sparrow)を中心に展開します。ジャックは、七つの海の伝説の海賊であり、カリブ海 (Caribbean Sea) の不敵なスターです。道徳観とか正義感があるのかわからないキャプテンで、自己宣伝と利己主義の達人でもあるジャックはこうした性格のために何度も勝ち目のない戦いを強いられます。ジャックの初恋の相手は海であり、2番目は最愛の船<ブラックパール号(Blak Pearl) でした。

ジャックはハリケーンの最中の海賊船で誕生したという設定です。10代の頃から冒険を求めて密航したりして、やがて「キャプテン・ジャック・スパロウ」として知られるようになります。ジャックは伝説のコルテス(Cortes) の剣を探し求める冒険で寄せ集めの乗組員を率いて航海に出ます。若き海賊だった頃に悪名高いスペインの海賊ハンター、アルマンド・サラザール(Armando Salazar)を魔の三角海域に閉じ込めます。サラザールはスペイン海軍の高位の軍人として海賊狩り用の強力な戦艦サイレント・メアリー号(Silent Mary)のカピタン(Captain) を務めていました。彼は何年にも渡って海を恐怖に陥れ数千の海賊を殺害したのですが、ジャックがこの海賊殺しを陥れて謎めいた魔の三角海域で死に追いやるのです。サラザールを阻止できたのは、伝説の秘宝<ポセイドンの槍(Poseidon’s Trident)でした。

Jack Sparrow

他方、幽霊船に捕らわれた父ウィル(Will)を救うために息子のヘンリー(Henry)が探していたのもポセイドンの槍でした。そして、その在処を示す日記を持つのが美しき天文学者のカリーナ(Karina)です。宿敵のバルボッサ(Barbossa)を交え、それぞれの思惑が絡み合う中、危険な冒険の旅が始まります。果たしてジャックの運命は如何?

懐かしのキネマ インターミッション 映画と英語との出会い

その2 「The Sound of Music」

父は国鉄に勤めていました。そのため転勤は2年毎にあります。名寄の次は、最北端の稚内への移動です。稚内に米軍のレーダー基地があってそこに米兵が駐屯していました。英語の先生に連れられて始めて基地に入りました。そこでやったのはバラックのペンキ塗りのアルバイトです。それが終わると、飲み物が振る舞われました。得体のしれない黒い色のおかしな味をした液体です。今思えば、コカコーラでした。米兵は中学校の体育館やグランドでバスケットや野球の練習をしていました。なんと背の高い人種なんだろう、と思いました。稚内ではもう一つの出来事があります。始めて「洋画」を観たのです。【戦場に架ける橋】というのです。それからは親に隠れての「洋画浸り」の「不良」となりました。

The Trapp Family

時代は経て1964年の頃の札幌です。洋画好きな私に忘れられない思い出があります。【The Sound of Music】を名寄中学校で一緒だった女性と札幌劇場で観たときです。なるべく字幕を見ず、台詞に神経を集中させました。その頃、駅前通りには路面電車が走っていていました。苗穂方面に向かう電車の停留所前にパーラーIshidayaがありました。映画の興奮を冷ますためにIshidayaに入り、しばらくしてから彼女を駅まで見送りました。

懐かしのキネマ インターミッション-映画と英語

その1 「Jack and Betty」               

巣ごもりの中、27インチのMacでいろいろな映画をみる機会がありました。そして映画鑑賞の遍歴を振り返っています。今もロマンス、喜劇、西部劇、ミステリー、SF、ミュージカル、冒険、歴史など節操がないほどいろいろなジャンルのものを楽しんでいます。

戦争が終わったとき、私は美幌のど田舎におりました。樺太から引き揚げてきたとき、親戚がそこにいたからです。やがて始めて見るトラックに乗った米兵がやってきました。美幌には旧陸軍の航空隊がいました。その飛行場に進駐してきたのです。トラックからはチューインガムが投げられ、それを競って拾ったものです。

「レーション」と呼ばれる携行食を父が貰ってきました。勤務する美幌駅には進駐軍の将校用の車両が停まっていました。そこから手に入れたようです。レーションにはカンパン、コーヒー、タバコが入っていました。すべて缶詰です。パイナップルの甘さには驚きました。なにせ砂糖がまだない頃です。美幌といえば、NHKで英語会話講座を22年間も担当した松本亨氏の生まれ故郷です。

Jack and Bettyの教科書

やがて父の転勤で美幌から名寄に移りました。名寄中学校では始めて英語を習いました。今の子どものように幼稚園から勉強するなんて考えられない頃です。幸い私は良い先生に出会いました。この先生の名前は藤田??。髭と眉が濃く声はバリトンでした。藤田先生の発音は、まるで真っ白の紙に滴が垂れるように、私の耳には実に新鮮でズンズンと伝わってきました。使った教科書は「Jack and Betty」。なんともクラッシックなタイトルではありませんか。表紙にはジャックとベティがさっそうと歩いています。私の英語の勉強法は、文章をそらで覚えることでした。なぜかスラスラと頭に入るのです。昔の英語の指導というのは、教科書を教師が読みそのあとに子どもが復唱するというものです。復唱をなんどもなんどもやると、文章が脳にすり込まれるのです。その頃本屋で手にした「洋書」を見ながら、鼻をクンクンさせて、異国の香りにも浸りました。

懐かしのキネマ その70 【ドクトル・ジバゴ】

『ドクトル・ジバゴ』(Doctor Zhivago)は、1917年のロシア革命(Russian Revolution)の前後における人間ドラマです。1965年にアメリカとイタリアで製作されます。監督は「戦場に架ける橋」や「アラビアのロレンス」のメガホンをとったデヴィッド・リーン(David Lean)。出演はオマー・シャリフ(Omar Sharif)とジュリー・クリスティ (Julie Christie)です。 原作はロシアの作家、ボリス・パステルナーク (Boris Pasternak)による大河小説『ドクトル・ジバゴ』です。

19世紀末の帝政ロシア。ユーリー・ジバゴ (Yuri Zhiivago)は、医学の勉強を続けるかたわら、詩人としても知られるようになります。幼い頃両親を失い、科学者グロメーコ (Gromeko)にひきとられた彼は、その家の娘トーニャ (Tanya Komarova)を愛していました。2人の婚約発表のパーティーの日、近所の仕立屋の娘ラーラ(Lala)は、弁護士コマロフスキー (Victor Komarovsky) の誘惑から逃れるため、彼に発砲するという事件を起こします。彼女は帝政打倒の革命に情熱をもやす学生パーシャ (Pasha) を愛していました。

Lala and Yuri

1914年、ロシアは第1次大戦に突入し、ジバゴは医師として従軍します。野戦病院で看護婦として働らくラーラに再会した彼は、彼女がすでにパーシャと結婚したのを知り、自分もまた家庭を持っていたのですが、ラーラへの愛を捨てることができなくなります。それにパーシャは戦死したとの報告も入っていました。その頃ロシアは内戦が激しくなり、ジバゴはモスクワの家族のもとへ帰ります。革命軍の手に落ちたモスクワ(Moscow)は、飢えと物資の不足にあえいでいました。

Lala

ジバゴが、革命軍のリーダーで義兄のエフグラフ (Yevgraf)に初めて会います。義兄の勧めもあって、田舎で休養することにした彼は、旅の途中で白軍のスパイと間違えられ、赤軍の将校に尋問されます。この将校は、戦死と報じられていたパーシャでした。パーシャはすっかり変わり、革命へ邁進する男になっていました。ジバゴは、ラーラとの愛も再燃し幸せの日を田舎ですごしていました。ある日突然、彼はパルチザンの一隊にとらえられます。妻に2人目の子供が生まれると知り、ラーラと別れる決心をした直後のことでした。しかし彼は脱走し、ラーラのもとに帰りますが、2人の関係を知った妻が、子どもをつれて、パリに亡命したと告げられます。今や亡命者の夫となったジバゴと、すでに追放の身となっていたパーシャの妻ラーラの前に、コマロフスキーが現れます。彼は2人に危険がせまっていると再三話し、ついに身重のラーラをつれて極東に去ります。8年後、ジバゴはモスクワの市街電車の中でラーラを見かけ必死に追うのですが、長らく患っていた心臓発作で倒れます。

何年かが過ぎます。ジバゴの義兄エフグラフはダムの建築現場で働く若い娘に出会います。彼女は、ジバゴとラーラの間にできた私生児です。彼は両親のことを若い娘に話してきかせ、ジバゴの詩集を贈りこう言いいます。「彼の仕事は党には容れられなかったが、詩を愛する人は彼を忘れない。彼ほど詩を愛した者はいなかった」と。

懐かしのキネマ その69 【戦場に架ける橋】

この映画は、日本最北端稚内市の映画館で父親と一緒に観た記念すべき?洋画です。その後何回も観ましたが、そのたびに、稚内のことを思い出します。原題は(The Bridge on The River Kwai)といいます。タイ王国のクワイ川 (KWAI)に架かるクワイ川鉄橋を指します。第二次世界大戦の真っ直中である1943年のタイ(Thailand)とビルマ(Burma)の国境付近にある捕虜収容所が舞台です。監督はデヴィッド・リーン(David Lean)、出演はウィリアム・ホールデン (William Holden) 、アレック・ギネス (Alec Guinness) 、そして早川雪洲です。劇中で演奏される『クワイ河マーチ』(Colonel Bogey March) も世界各国で幅広く演奏され、数ある映画音楽の中でも最も親しまれている作品の1つとなっています。

Colonel Nicholson

第二次世界大戦下、当初日本の同盟国であったタイ王国と日本軍の占領下におかれたイギリスの植民地のビルマの国境付近に、日本軍管轄の「第十六捕虜収容所」がありました。所長は斉藤大佐です。この収容所では、日本軍と対峙する連合国軍のアメリカ海軍の中佐であるシアーズ(Commander, Major Shears)を始め、捕虜となったアメリカ軍兵士が連日過酷な労役に従事していました。シアーズは、日本軍兵士に買収を試みるなど幾度となく脱出を図りますが、ことごとく失敗します。ある日ニコルソン大佐(Colonel Nicholson) が率いるイギリス軍捕虜一隊が収容所に移送されてきます。

斉藤大佐はジュネーブ条約(Geneva Convention)を無視して、イギリス軍捕虜にクワイ川の橋の建設を命じます。それに断固として反対するのがニコルソン大佐です。橋を設計するのは日本軍の技師です。ところが、川の地面が柔らかく、建設途中で倒れる始末です。斉藤大佐は自尊心を捨てて、なんとかニコルソン大佐を懐柔してイギリス軍に橋の建設をまかせるのです。収容所から脱出したシアーズ中佐が、橋梁建設を報告すると、これを阻止しよとするイギリスとアメリカは、クワイ川にウォーデン中佐(Major Warden)を隊長とする決死隊を派遣します。シアーズも同行します。

斉藤大佐とニコルソン大佐

イギリス軍捕虜が見事に建設した鉄橋の開通式の日、日本軍と決死隊が遭遇し、銃撃戦となります。かつて収容所で共に時間を過ごしたシアーズが日本兵の銃弾を浴びながら、川を渡って爆破装置に向かおうとします。そこに爆破装置を見つけたニコルソンとシアーズは対峙します。ニコルソンは「自分たちは何のために橋を建設したのだ…」と愕然とします。さらに決死隊長ウォーデン(Major Warden) の迫撃砲での射撃を喰らったニコルソンは意識がもうろうとなり、点火箱のスイッチの上に倒れここみます。丁度その時、列車が橋を通過しようとします。

イギリス軍捕虜たちの勲章とも言える橋は粉々に爆破され、橋の上の日本兵や列車の乗客が犠牲になります。シアーズやニコルソンもその犠牲となります。ウォーデンは、そばにいた現地人の女性たちに、「仲間を捕虜にしないためにはこれしか手段がなかった」と言い訳するのです。丘の上から開通式を眺めていたクリプトン少佐(Major Clipton) は、爆破後の悲惨な光景を目の当たりにして「馬鹿げている。信じられない!」と天を仰ぐのです。

懐かしのキネマ その68 【アラビアのロレンス】

「アラビアのロレンス」(Lawrence of Arabia)は、1962年に公開された上映時間3時間36分のイギリス・アメリカ合作映画です。アラブ独立闘争を描いた歴史、戦争映画で、民族独立に尽力した実在のイギリス陸軍少尉ロレンス (Lieutenant Thomas.E. Lawrence)の波乱に満ちた半生を描いています。監督はデヴィッド・リーン(David Lean)。主演はピーター・オトゥール(Peter O’Toole)、オマル・シャリーフ(Omar Sharif)、アンソニー・クイン(Anthony Quinn)、アレック・ギネス(Alec Guinness)らの名優です。

Sherif Ali & T. Lawrence

この映画の舞台は1914年前後のエジプト(Egypt)やアラビア半島(Arabia) です。第一次世界大戦が勃発し、アラビアはドイツと結んだオスマン帝国 (Ottoman Empire) の圧政下にありました。イギリスは、ドイツ連合軍の勢力を分散させるため、戦略家ロレンス少尉をアラビアに派遣します。イギリス陸軍カイロ司令部に勤務するロレンスは、トルコからの独立を目指す反乱軍の指導者ファイサル王子 (Prince Faisal )に会うため旅に出るのです。やがてファイサル王子の軍事顧問となったロレンスは、反乱軍の無力さを目の当たりにします。そこでロレンスは、ベドウィン(Badawin)のハリス族 (Harith) のリーダー、アリ(Sherif Ali)や黄金を探し求めるアウダ(Auda) らとともに、独自のゲリラ戦法を駆使して反乱軍を指揮し、アラビア民族をまとめあげて、見事トルコ軍を打ち破ることに成功します。トルコ軍が防衛していた戦略上の重要港湾都市アカバ(Aqaba)を攻め落とすのです。

Thomas Lawrence

ロレンスは反乱軍のリーダー、アリなどから人々の上に立つような優れた者と崇められ「エル・オレンス」(El Aurens) と呼ばれるようになります。その後も次々と勝利を収めていくのです。そして、アラブ国民から「砂漠の英雄」とうたわれるようになるのです。しかし、アラブをフランスとともに分割する方針を決めていたイギリス陸軍は、大アラブ王国を支持しその独立に奔走するロレンスは政治的に邪魔な存在となっていきます。こうして、ロレンスはアラブ人同士の争いや国同士の政治的駆け引きに翻弄されるようになっていきます。自分が軍上層部に利用されていることを知るのです。ファイサル王も「もうここには勇士は必要でなくなりました。ただ、あなたに対する私の感謝の気持ちは計り知れない」といってアラブの分割を承認するのです。こうしてアラブ民族も部族間の対立から大アラブ王国を樹立することに失敗します。

アカバ攻撃

ロレンスはイギリス陸軍の英雄として大佐に昇進させられながらも、アラブに共感する者として大きな失意を胸に抱きながらアラビアから追放されるのです。列強の植民地支配によって、今も中東情勢は不安のままです。ロレンスの理想主義をこの映画から教えられます。

懐かしのキネマ その67 【英国王のスピーチ】

映画フアンには見逃せない味わい深い作品です。このイギリス映画は国民と王室をめぐる話題を率直に、真摯に取り上げています。日本で国民と皇室のことを映画でオープンに取り上げようとすれば、潰されるに違いありません。ここがイギリスと日本の王室やメディアの違いです。

現エリザベス女王(Queen Elizabeth II)の父である『ジョージ6世』(King George VI) は、子どもの頃から吃音に悩んでいたといいます。国王は、全国民の前でスピーチをしなければなりません。想像を絶するストレスとプレッシャーを受けます。吃音の矯正は難しいことです。この映画【The King’s Speech】は、王の吃音の治療にあたった言語聴覚士との友情物語です。

1925年、大英帝国博覧会 (British Empire Exhibition) の閉会式で、やがて国王となるヨーク公アルバート王子 (Prince Albert, Duke of York) はエリザベス妃(Queen Elizabeth)に見守られ、父王ジョージ5世(King George V)の代理として演説を行います。しかし、吃音のために悲惨なスピーチに終わり、イギリス国民はがっかりするのです。

ジョージ6世

エリザベス妃はアルバート王子を説得して、言語聴覚士(Speech therapist) であるオーストラリア出身のライオネル・ローグ(Lionel Logue) のロンドンのオフィスをともに訪れます。ローグは、医学の勉強をしてはきませんでしたが、独自の手法で第一次世界大戦の戦闘神経症に苦しむ元兵士たちを治療してきた経験の持ち主です。ローグは、王室に対する礼儀作法に反してアルバートを愛称の「バーティ」(Bertie) で呼びつけ、自身のことは「ローグ先生」ではなく「ライオネル」と呼ばせるのです。

ジョージ5世の死去によりエドワード8世(Edward VIII)は独身のまま国王に即位します。しかし、新王が結婚を望んでいた女性は、ウォリス・シンプソン夫人(Wallis Simpson)というアメリカ人で、離婚歴があるだけでなく2番目の夫となお婚姻関係にありました。エドワード8世は英国国教会や王室からの結婚への反対を受け、在位日数はわずか325日で退位します。これが後に「王冠よりも愛を選んだ」、「王冠を賭けた恋」と言われます。そして弟で吃音のアルバート王子が『ジョージ6世』として即位することになります。

ジョージ6世は国王の重責に、自分は今まで海軍士官しか務めたことがないとエリザベス妃に不安を吐露します。一方ヨーロッパ大陸では、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)率いるナチ党政権下のドイツが台頭し、一触即発の機運となっており、大英帝国は国民の統一を促す国王を必要としていました。しかし新国王の吃音症は依然として深刻なままで、王位継承評議会での宣誓は散々なものとなります。ジョージ6世夫妻は再びローグを訪ね治療を再開します。

ジョージ6世と
ライオネル・ローグ

治療では、口の筋肉をリラックスさせる練習や、呼吸の訓練、発音の練習などを繰り返し行います。ジョージ6世はローグに吃音症の原因となった自身の不遇な生い立ちを語ります。さらに右利きでないことを罰せられ矯正されたり、乳母に虐待されたこと、X脚を矯正するためギブスまで着用させられたこと、吃音を揶揄されたことなどを打ち明けます。やがてジョージ6世とローグの間に友情が芽生えていくのです。

ナチスとの交渉にあたった首相ネヴィル・チェンバレン(Neville Chamberlain)の宥和政策は失敗し、1939年9月1日のドイツのポーランド(Poland) 侵攻を受けて、9月3日に英国はドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が始まります。同日、ジョージ6世は大英帝国全土に向けて国民を鼓舞する演説を緊急ラジオ放送で行うことになります。緊迫した状況の中ジョージ6世は、ローグと二人きりの放送室で完璧な演説を行うのです。放送室から出てきた国王は、堂々と報道用にの原稿を読む姿を撮影し、エリザベス王妃、そしてエリザベス王女・マーガレット王女とともに宮殿のバルコニーに出て、待ち構えるロンドン市民に手を振りこたえます。その様子をローグは満足げに見守るのです。