心に残る一冊 その87  「七日七夜」 四男の昌平

「七日七夜」という山本周五郎の作品です。二男三男は冷や飯喰らい、四男五男は拾い手のない古草鞋といわれていた時代の話です。本田という三千石の旗本がいました。昌平は本田家の四男です。家では居候のような暮らしです。机の上で書物の写本をしています。艶めかしい戲作の写本で小遣いを補っています。

昌平の着物といえば順送りの古着です。そして兄貴たちからいつも怒鳴られています。
「外に出るな、みっともない!」
「客がくるんだ、すっこんでいろ!」

兄嫁が輪をかけたように無情です。三百両の持参金付きで本田家にやってきたのです。皮肉なそら笑いをしては、縫い物や洗濯は自分でするように昌平に言い付けます。兄嫁がこうなので、召使いらも自然に昌平に冷淡で軽蔑した態度です。
「あのう、御膳のお支度ができました」
「あ、、いますぐいく」
「、、、、、、なんだこれは、」
飯と汁を口につけるとどちらも冷えています。昌平は逆上し、兄嫁に「持参金をここへ出せ!」と刀を向けて脅します。嫁が仏壇の裏から袱紗を持ってくると小判の包みを六戸つかんで、通用口から外に出ると辻駕籠に乗ります。その夜は新吉原の遊女屋にあがるのです。

昌平は一夜で百十両という大金を使い、物心両面でうちのめされ、ふみにじられ、なにもかもぼろぼろとなった気持ちで大門を抜けます。
「一晩に百何両、うろんなのはこっちだ、、」
「、、、、金をだしな、金、金、勘定、勘定!」
「、、、、番所へ行って話をつけやしょう」


こうした吉原でのやりとりが幻聴のように響きます。泥酔した昌平は濡れた草履をひっかけるとぼとぼ歩きます。そして見知らぬ若者をからんで昏倒して、眼が覚めたときは「仲屋」という店の奥で寝かされています。そして、心配そうに囲んでいる者に苦しみながら昌平は本田家での身のうち話を始めるのです。

心に残る一冊 その86  「いさましい話」 津田庄左衛門

普請奉行の津田庄左衛門は「尤もいずれ江戸にお帰りになるというのなら、敢えて敵をつくることもないでしょう」と国許に派遣された若き勘定奉行の玄一郎に忠告します。
「私は江戸へは戻りません」
「こんなことを申し上げるとお笑いになるかもしれませんが、それはこの土地の人を嫁にもらうことなんです」
「この土地の人と結婚すれば姻戚関係もできるし、またその妻の力もいろいろな面で役立つと思うのですが、、、」

地元で土地で結婚すれば親戚ができ、いちおう土地に根を下ろしたことになり、江戸から来て江戸に帰る人間でなくなるというというのが玄一郎の思慮です。

勘定所の中で、部下の益山郁之助、三次軍兵衛、上原千馬は玄一郎をなんとか陥れようとあの手この手を使って不満をかきたて、江戸に帰そうとして果たし合いまで画策するのですが失敗します。そして、玄一郎地元の女で美貌の松尾と祝言をあげるのです。松尾に懸想していた若侍達の反発感情を昂めます。

そこに事件が起こります。領内にある山の檜の一部を浪花屋という業者に払い下げる代価として五百両を玄一郎が受け取ったという訴えです。巧妙に玄一郎の署名があり、勘定奉行の役印が捺してある証書も提出されます。玄一郎は一切釈明はせず、城内に押し込めらます。その始終をきいた津田庄左衛門は浪花屋の手代と会い、益山ら三名の企みであることを察します。そこで玄一郎に罪が及ばぬよう庄左衛門は主謀者と名乗り、証書は自分が作り、役印も自分が盗んで捺印したと自訴します。庄左衛門は家禄を取り上げられ国外追放という処分が下ります。玄一郎は監禁から解かれます。

然し、妻の松尾は自分の父から津田庄左衛門の過去のことを聞いていたのです。庄左衛門は妻と子どもがいたにも拘わらず、ある女性と恋仲になり子どもを生んだことがあるというのです。その子どを笈川家に出すのです。時が経ち、庄左衛門はそのことをすっかり忘れていたのですが、妻と長男に先立たれる頃から、その子のことを思いだし、自分の過失の重さを振り返ります。己の子を物でもくれるように他人に遣ったという悔いです。

松尾は玄一郎に云います。「あの方、津田さまはあなたの実の父です」。こうして津田の穏やかな淡々として話しぶりを思い出され、実の親が子をおもいやる言葉であったことを玄一郎は知ります。「叱られたり折檻されたことはおあいですか」と云われたとき、自分はなんと答えたかもよく思い出せないのです。然し、津田が安心し頷いた表情は記憶に残っています。「わたしは悔いの多い人間ですから、、」と溜息をついてさりげなく云った声が玄一郎の耳にさまざまと聞こえるのです。

心に残る一冊 その85  「いさましい話」 笈川玄一郎 

山本周五郎の 「いさましい話」という短編の一回目です。

江戸時代は、国許から江戸に妻子を住まわせ、人質のようにして一種の秩序を保っていました。江戸に住む者と国許の人との間でそねみや不信感があったようです。江戸にいる人間からすれば、国許の人間は頑固でねじれている、性格が固定的で融通性に欠け排他的である、傲慢で粗暴である、女たちも悪くのさばるなどの風評がありました。気候風土のせいもあったのだろうといわれます。

国許は国許で、江戸の人間はふぬけで軽薄、人にとりいるのが上手いなどといって毛嫌いしていました。江戸から赴任してくる者を無視したり嫌がらせをするために、赴任生活は三年と続かないなどといういう定評があり、そういう事実も多々あったようです。

笈川玄一郎が勘定奉行として国許に下向してきます。藩の財政の立て直しという任務をおびています。奉行交代の披露とそれに続く招宴で藩中の彼に対する感情もあらまし玄一郎に伝わってきます。玄一郎の部下は、彼をよそ者扱いにして、初めから不服従と反感を示し、玄一郎を怒らせたり困惑させようと振る舞うのです。部下とは益山郁之助、三次軍兵衛、上原千馬という三人です。玄一郎は彼らの誘いにのろうとしません。

玄一郎に助言を与えるのが作事奉行である津田庄左衛門です。作事奉行の仕事は造営修繕、特に木工仕事の管理です。謙遜でいんぎんな物腰。いつも柔和な微笑で、挙措もゆったりし全体に枯淡な気品に包まれています。時々釣りで一緒し、次のような会話にふけるときもあります。
「わたしは貴方のお父上を知っておりました」庄左衛門は静かに云います。
「仁義に篤い、温厚な、まことに珍しいひとでした」
「、、、はあ、仰るとおりいい父でした」
「叱られたり折檻されたことはおあいですか?」
「いやありません」
「わたしは悔いの多い人間でしたが、、、」 庄左衛門は溜息をつきます。

年末の勘定仕切りのとき、払い出し帳簿をみると玄一郎が赴任したときの招宴費用が書き出されています。
「どんな理由があっても、こういうものを役所で払うわけにはいかん、公用の意味があるのならとにかく、これは全くの私費だから」
「江戸邸ではそんな例はないし、そういう慣習を守れという注意も受けていない」
「然し、あたしの一存で押し通すのもいかがですから、すぐ江戸邸へ使いをやって問い合わせることにしましょう」

穏やかに云い終え役所に戻ると、おっつけ国老席から人がきて江戸に問い合わせるには及ばない、こちらで払うからと云ってきます。  (続く)

心に残る一冊 その84  「菊千代抄」 椙村半三郎

山本周五郎の「菊千代抄」の二回目です。

半三郎は18歳になり元服します。そして菊千代の前に呼び出されます。
「今日はききたいことがある。そのほうは菊千代が男であるか女であるか知っているであろうな」
「、、、、おそれながら」
「返事をせぬか、半三郎」
「おそれながら、そればかりは、、」
「いえないというのでは、知っているからだな、半三郎!」
「面をあげて菊千代を見よ、この眼を見るのだ!」
「菊千代が女だということを、そのほうは知っていたのだな?」
「、、、、、はい」
菊千代は彼を生かしておいてはならないと考えます。そして半三郎の袖をつかみ、短刀で彼の胸を刺します。松尾は戻るやいなや「、、、おみごとにあそばしました」と云うのです。

やがて巻野家に男子が生まれます。それ以来「おまえは女だ、男ではない、女だ、女だ、、」という声が菊千代の頭の中で聞こえ、神経発作を起こすようになります。菊千代は分封され、中山の尾形という谷峡で松尾と矢島弥市という家来だけを連れて暮らすようになります。弥市と一緒に馬で領内をまわり、弓を持って山に分け入ったりします。領内で貧しい小作人らと出会います。竹次というひどい暮らしをする者に出会うのです。竹次は十年前にかけおちしてこの地に落ち着き妻と子で暮らしています。

その家族の近くの物置に1人のひどくやせた男が住んでいました。その男に侍や下僕たちが声高になにか云っています。通りかかった菊千代が黙って通り過ぎようとします。やせた男がじっと頭を垂れているのを目撃します。素性が怪しい、労咳などという病人では屋形の近くにおいておけないといって立ち退きを迫っているのです。菊千代は立ち退きには及ばない、許すからここにいて病気をいたわってやるがよいと命じます。

それから1年あまり、菊千代は落ち着いた静かな生活をおくります。彼女は時々、物置にいる男が歩き回る姿や薪を割る様子を見かけたりします。歩いていると丁寧に挨拶をしたりするのです。その身振りを見るたびに、男は武家の出で志操の正しい人間であると感じるのです。

父親が菊千代の世捨て人のような暮らしを変えようとして10人ばかりの供をつれて尾形にやってきます。芸達者なものも連れているのです。その中の一人、葦屋という芸人がつきっきりで菊千代の望む芸を披露します。ある夜、菊千代はひどくうなされます。「お姫さまとだけ、お姫さまと私二人だけ、」と葦屋が云って菊千代の耳へ口を寄せて呻ぐのです。菊千代は蒼くなり、葦屋が自分が女であることを知った、生かしておけないと思います。

菊千代は葦屋に向かって、短刀を振るおうとします。するとふいに横からつぶてのように走ってきて「お待ちください、御短慮でございます」こう叫ぶ者がいます。「お待ちください、どうぞお気をお鎮めください」と立ち塞がるのです。「どかぬと斬るぞ」菊千代は逆上したように刀をふり回します。「止めるな、斬らねばならぬ、どけ!」男は「刺してはいけません」と菊千代の前に立ち塞がり、自分の胸を開いて諫めようとするのです。胸元の傷を見た菊千代は、かつて自分が短刀を振るって傷つけた半三郎であることを知るのです。

半三郎はごく控えめな表現で菊千代に対する同情と愛憐の気持ちを伝えます。労咳を病みながらひところは医者にも見放されながらも、不思議に一命をとりとめて、若君のしあわせ見届けるまで、気力をふるいおこし、その一心を支えにここまで供をしてきたと告白するのです。

「今でもそう思ってくれるか」、「菊千代をいまでも哀れと思ってくれるか」
身を振るわせて菊千代は彼の手をつかみ、その手へ頬を激しくすりつけるのです。

心に残る一冊 その83  「菊千代抄」 家訓

「菊千代抄」という山本周五郎の作品の紹介です。菊千代は巻野越後守貞良の第一子として生まれます。貞良は筋目のよい譜代大名の出で、寺社奉行をつとめていました。巻野家には古くから初めに女子が生まれたらそれを男として育てるという家訓のようなものがありました。そうすれば必ずあとに男子が産まれるということで、これまでにもそうした例が実際にあり、そのまま継承されてきました。当時貴族や大名の中にはこういう類の家風は稀ではなかったようです。

菊千代の母は病身でごくたまにしか菊千代は会いません。身の回りの世話には松尾という乳母がします。父は菊千代が乳母の手に抱かれているのを見ながらしきりに酒を呑み、3、4歳になると膳を並べさせ、「さああ若、ひとつまいろう」などとまじめな顔で杯を持たせたりします。

  菊千代の遊び相手はみな男の子です。自分の体に異常なところがあるということを初めに知ったのは6歳の夏です。乳母の松尾が側を離れた隙をみて誰かが池の魚を捕まえようといいだします。そして裾をまくって魚をおいまわします。菊千代の前に立った一人が突然叫びます。
「やあ、菊さまのおちんぼはこわれてらあ、」

池畔にいた一人が袴をつけたまま池にはいってきて、「なにを云うのか、おまえは悪い奴だ、」と暴言を口にした者を突き飛ばし、菊千代の肩を抱いて池から助け上げます。そこに松尾が走ってきます。菊千代は泣きながら松尾にとびつき、みんなの眼から逃げるように館にかけだしていきます。池から菊千代を助け上げたのは、八歳の椙村半三郎です。

半三郎は面長で眉のはっきしりしたおとなしい子でした。松尾は菊千代に対して体に異常はないこと、もしそうであれば侍医が診ていることなどいろいろ説明してくれます。然し、その時受けた恐怖のような感情は消えません。池の中の出来ごと以来、菊千代は半三郎が好きになり、なにをするにも彼でなければ気が済まず、少しも側を離しませんでした。

父との会話で菊千代は云います。
「本当に男のままでいられるのですか?」
「若が望みさえすれば造作もないことだ、」父が云います。
「、、、でもあとに弟が生まれましたら?」
「巻野家を継ぐのではない。分封するのだ、」
父はそういって菊千代に云ってきかせるのです。分封とは所領の内から適当な禄高を分けてもらい、相応の家来を持って生涯独立した領主となることだと菊千代に説明します。

ある夜、菊千代は乳母の松尾にききます。
「若が女だということを知っているのは誰と誰だ、、、」 父と亡くなった母、侍医と取り上げた老女、国許の両家老、その他知っているものはないことを菊千代にきかせるのです。その時、6歳の夏で池で魚を追い回していたとき、「若さまの、、、、、はこわれている」と誰かが叫んだのを思いだします。菊千代は半三郎を想い浮かべます。彼は知っている、生かしておけない、とも思うのです。それまで常に半三郎と相撲をとり、柔術の稽古をし、組み合っては倒れ押さえこまれてきたのです。彼一人を相手に選んできたのです。(続く)

心に残る一冊 その82   「初蕾」 小太郎の父帰る

「初蕾」の二回目です。うめの乳母としての役割は、小太郎の一歳の誕生までということになっていました。やがて、せめて立ち歩きのできるまでということになり、うめの乳母は続きます。児に愛をもってしまっては身がひけなくなる、深い愛情の生まれないうちに出ようとうめは決心していました。

然し、怖れていた愛情はすでにぬきさしならぬ激しさで彼女を小太郎に結びつけていきます。それだけでなく、小太郎をとおして梶井夫妻までその愛情がつながっていくのです。実はうめはお民だったのです。

良左右衛門はうめに素読を教えることになり、決まって少しずつ稽古をしていきます。小太郎は六つのときに疱瘡にかかります。うめは昼夜一睡もせず看病をするのです。やがて小太郎は袴着の祝いをします。そのとき、老臣が半之助の居所を良左右衛門に伝えるのです。殿が昌平坂学問所の日課に出たとき、講壇にあがったのが半之助でした。その才能を認められ学問所の助教に挙げられたのです。殿が帰国のときに半之助もお供をするというのです。それを側できいていたうめは愕然とします。

うめは鳥羽の海の見える梅林の中にやってきます。
「どうしてお泣きになるの」
うめが振り返るとはま女は小太郎を連れています。
「半之助が帰ってくるのです。喜んでもいいはずではないか、あなたがお民どのだということも、小太郎が半之助の子だということも、私たちはずっと以前からわかっていたのですよ」
「でも、ご隠居さま、わたしは決して、、、」
「仰るな、過ぎ去ったことは忘れましょう、半之助が帰ってくること、小太郎をなかに新しい月日のはじまること、あなたはそれだけ考えればよいのです」
「わたしにはできません、、、」
「わたしは梶井家の嫁になる資格はございません」
「そうするつもりもございませんし、半之助さまに対しましても、、」

もう一度云います。過ぎ去ったことは忘れましょう。七年前のあなたも今のあなたとの違いは私たちが朝夕一緒にいて拝見しています。旦那様がなぜ素読の稽古をなすったか、あなたにもわからないことはないはずです」

はま女はそういって傍らの梅の枝を指します。
ご覧なさい、この梅にはまた蕾がふくらみかけています。去年の花は散ったことを忘れたかのように、どの枝も始めて花を咲かせるような新しさで活き活きと蕾をふくらませています」
「帰ってくる半之助にとっても自分が初蕾であるように、あなたの考えることはそれだけです」
「女にとってはどんな義理よりも夫婦の愛というものが大切なのですよ」

「おかあさま、、」 うめは泣きながらはま女の胸にもたれかかるのです。

心に残る一冊 その81   「初蕾」 捨て児

半之助の両親は梶井良左右衛門とはま。良左右衛門は、倅の責を負って致仕します。致仕とは、官位を君主に還すことです。ですが殿が「領内に永住すること」というお沙汰があったので、夫婦は蔬菜をつくり、庭の手入れをしながら老後をおくっています。あるとき、はま女が夫に「これからは夜長になりますから、御書見でもあそばせ」、「お書物の行李でも明けましては?」と云うのです。行李の中の書物は半之助のものでした。

  ある夜、良左右衛門とはまの家の裏に捨て児が置かれているのを二人は発見します。そしてその乳飲み子を育てることにし名前を小太郎と名付けます。鳥居という隠居の名主に連れられて若い女が乳母としてやってきます。名を「うめ」といいました。起ち居や言葉つきはずっと世慣れて、蓮葉に思えるほどぱきぱきしていました。蓮葉とは、仕草や言葉が下品で軽はずみなことを示します。それを見て、はま女は云うのです。
「初めに云っておきましょう」
「お乳をやるときは、清らかな正しい心で姿勢もきちんとするようにしてください」
「乳をやる者の気持ちや心がまえは、乳といっしょにみな児に伝わるものですからね。小太郎は侍の児ですから、それだけは忘れず守っていただきます」

うめには欠点が多かったのですが、赤児の世話だけは親身になっていました。風邪けで具合の悪いとき、背負ったまま幾夜か寝ずに看病し、はま女の気持ちを惹き付けていきます。はま女はうめに云います。
「あなた、習字をなさらぬか」
「読み書きぐらいは覚えて損のないものです」
「よかったらお手引きぐらいはしてあげますから」

姿勢を正し、墨を摺る、手本を開き紙をのべ、呼吸を整えて静かに硯へ筆を入れます。習字をした終の清々しさをうめは感じるのです。
「乳をやるときは清らかな正しい気持ちでとおっしゃった、あれはこのような気持ちをいうのだな」
こうして月日は経過していきます。

心に残る一冊 その80   「初蕾」 お民

山本周五郎の「初蕾」という短編小説です。舞台は鳥羽港のあたりです。梶井半之助という若者がいます。見栄や衒いが少しもなく、かといって美男子でもありません。背は余り高くなく、笑うと眼が糸がひくように細くなります。酔ってうたう歌は調子はずれ。どこといって取り柄のない風貌です。然し半之助からゆったりと大きな温かさを感じ、静かに押し包まれるような気持ちにさせられるのがお民という女性です。

半之助は幼少から学問の好きな子で、やがて藩の学塾では秀才といわれ、17歳のときは塾の助教を命じられるほどです。ですが22歳のとき、彼の思想が老子の異端に類するといわれ、助教の職を追われるのです。彼の才能を妬むものの仕業でありました。

江戸時代では学問をする者は「道」を説く老荘思想を退けるのは自然。然し、朱子学以外に眼をつむることは単に御用学者として怠慢と云わなければならない、そう半之助は考えたのです。職を追われると半之助は性格が変わり、酒を呑んだり茶屋出入りをするようになります。

お民の兄と母が病で亡くなり、13歳のお民は「ふじむら」という店に奉公に出されます。お民は成長するにつれ、店にやってくる半之助の酌をしながら二人は語らい合うようになります。
「夫婦になっても3年か5年、くすぶった気持ちで厭々暮らすよりも、好きなうち、こうした楽しく逢い、飽きたらさっぱり別れてしまう。これが人間らいしい生き方じゃないか」
「その約束をしましょう、好きなうちは逢う、飽きたら飽きたと策さず云う、そしてあとくされなしに別れる、、、、、きっとですよ」

こうして二人の人目を忍ぶ逢瀬が続きます。半之助はやがて森田久馬という友人とそれぞれの生き方の違いで口論となり果たし合いをしてしまいます。そしてお民に告白するのです。

「森田は正しいことを云っていた。おれがどんな下等な卑しい人間だったかということ、おまえとこういう仲になっていながら、好きなうちは逢おう、飽きたらさっぱり別れよう、そんな約束まで平気でした。それが人間らしい生き方だったなどと云って、、」
「だが森田はこう云った。そういう考え方は人間を侮辱するものだ。幾十万人という人間の中から一人の男と女が結びつくということは、それがすでに神聖で厳粛だ、、、、きさまは自分を犬けだものにして恥ずかしくないか、この言葉が果たし合いの原因になったんだ、お民、」
「雨にうたれ、濡れて闇のなかをあるきながら、幾十万人という人間の中から一人の男と女が結びつく、それがどんなに厳粛かということを身にしみて悟った」
「お民、おれはお前を本当に愛していた、心から愛していたんだが、あんな約束はしたけど、気持ちには偽りはなかった、これから江戸に行って人間的になる」

そういって半之助はお民と別れそのまま行方しれずになります。

心に残る一冊 その79  「羅刹」

山本周五郎の作品を紹介しています。今回は「羅刹」という作品です。主人公の宇三郎は近江井関と呼ばれる面作りの師、かずさのすけ親信の門下生です。親信は京の三位侍従藤原糺公から「羅刹」の仮面の注文を受けます。「羅刹」とは仏教でいう守護神のことです。七夕会の催しでその面をつけて糺公は舞うのだというのです。

親信は三人の弟子を呼び、最も選れた傑れた仮面を作った者を井関の跡目とし、娘の留伊を娶らせるという条件で、羅刹の面のくらべ打ちを命じるのです。宇三郎はどうしても納得のいく面を彫ることができません。宇三郎を慕っていた留伊は、くじけそうになっている宇三郎に「あなたのほかに良人はありません」といって宇三郎を励ますのです。あるとき「羅刹」らしき面相を馬上の織田信長に見るのです。そして信長の姿を求めて京へやってきます。

本能寺の奥殿にまで身を挺して忍び入った宇三郎は織田信長の面貌に羅刹の相を見ます。そして信長最期の面を心に烙きつけのです。それを彫り上げて糺公に渡します。その面をつけてて舞う糺公を見た宇三郎は、踊り終えた糺公に平伏して云います。
「愚かにも百世にみる作と自負しておりました。然し、さきほど舞台に登る面を見ましたとき、私は増上慢の眼が覚めました。」
「これは名作どころか悪作の中の悪作、面作り師として愧死しなければならぬ邪徳の作でございます」

仮面は悪霊を退散させる羅刹の善性の面であるどころか、残忍で酷薄な形相であることを宇三郎は告白するのです。そしてその面を膝で打ち割ってしまします。それを聞いていた糺公と師匠の親信も宇三郎の言葉に深く感じ入るという物語です。

心に残る一冊 その78   「義理なさけ」

山本周五郎という人は、義理や人情を重んじるというより、正義とか道理をいうものを大事にして物語を組み立てるようなところがあります。人間の行動や志操、道徳を取り上げるのです。権威ある者を徹底して叩き、弱い市井の民の立場に与するのです。

「義理なさけ」の主人公は中山良左右衛門の息子、甲子雄と中山家のはしため、しず江です。甲子雄は、主家の大久保出羽守家の用人の娘と縁談が整います。非常に美貌とぬきんでた才芸をもっています。甲子雄の婚約が決まったとき、しず江は自分が甲子雄の子を宿しているという付け文を甲子雄渡して破談にしてしまうのです。甲子雄にとって全く身に覚えのない話です。実は縁談相手の娘が他の男と密通をしている証拠がでてきて、その娘は実家に帰されます。付け文は、その不義を知ったしず江の窮余の策だったのです。しず江も中山家を去ることになります。甲子雄は、破談になった自分が幸運であったことより、不義をしたその女が不幸な身の上であったことを哀れむのです。

やがて国詰となった甲子雄は、友人らとで立ち寄った菊屋という宿で女中になっているしず江に会います。甲子雄はしず江を嫁にしようと決心しますが、宿に戻ると、しず江は置き手紙をして身を隠すのです。

「お心にそむき申しそろ、今宵おこしあそばされてなに事の仰せあるやは僭越ながらおよそお察し申し上げそろ、川原にてのお言葉の端々、うれしくもったいなく、、、、お情けに甘えて己が身のためご縁談をこわし候ようにあいなり、義理あい立たぬ仕儀と存じ申しそろ。なにとぞしずのことはお忘れあそばし、一日も早く江戸へおたち帰りのうえ、よき奥様をお迎えあそばすよう、陰ながらお家百年のご繁昌をお祈り申しあげそろ。」

それを読み終えると甲子雄は決心します。そして近くにあるしず江の親戚の家へ馬を駆っていきます。「お前のほかよき妻があると思うか、会ったらそう云おう」