旅のエピソード その47 「U-Hall」

U-Hall。ユーホールと発音するこの単語は、登録商標でもあります。引越の際は、車で引っ張るトレーラーに家財道具を積んで目的地に向かいます。このトレーラーの代名詞がU-Hallです。移動が好きなアメリカ人にはU-Hallは馴染みのものです。

U-Hallの大きさは様々です。今もU-Hallをとりつける連結器がついた大型のセダンを見かけます。田舎を走るピックアップトラックには必ずといってよいほどついています。U-Hallの事務所は小さな街にも必ずあります。このトレーラーを借りて自分で引っ越しするのです。そういえば専門の引越業者のようなものはアメリカには珍しいのです。U-Hallには車の電源から流れて点滅するテールランプが付いています。

大型のU-Hallは自分で運転して家財を運びます。このとき、大型U-Hallに自分の車を取り付けて移動するのをよく見かけます。運転手が一人ですむという案配です。U-Hallをつけてバックするときは少し経験が必要です。駐車するとき、ハンドルを右に切るとU-Hallは左側に回ります。ハンドルとは逆にU-Hallは回るのです。慣れると面白いように操作できます。引越の途中はもちろんモーテルを利用します。移動や引越にU-Hallは切っても切り離せません。自分のことは自分でやる(Do It Yourself: DIY)という考えがU-Hallの発展にみられます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その51 Wisconsin Idea

アルファベット順に各州を回って、ようやくウィスコンシン州(The State of Wisconsin)に辿り着きました。ウィスコンシン名の由来ですが、 アルゴンキン族(Algonquian)が「川の集まるところ」と呼んでいたことによります。1673年にこの地を調べたフランスの探検家、マーケット(Jacques Marquette)が「Ouisconsin」という呼び名に直したとあります。州都はマディソン(Madison)。四つの湖をまわりにして州議事堂や大学がどっしりと構えています。人口がたったの20万あまりのまさに大学街です。今私の長女、次女そして彼らの家族が住んでいます。

ウィスコンシン州の発展には2人の人物を紹介する必要があります。1人は、チャールズ・ヴァン・ハイス、(Charles Van Hise)、もう1人はロバート・ラフォレ(Robert La Follette)です。ヴァン・ハイスはエヴァンスビル(Evansville)というウィスコンシンの片田舎の農家に生まれます。神学校で学びウィスコンシン大学マディソン校で機械工学で学士と修士号を得て、その後生物学の博士号を取得し校内で研究と教育にあたります。大学理事会(Board of Regents)を経て1903年から1918年まで総長を歴任します。

ヴァン・ハイスの言葉に「I shall never be content until the beneficent influence of the university reaches every family of the state.」があります。大学の研究と教育の恩恵が1人ひとりの家族に及ばなければならない、という意味です。公教育を州民に普及するために、社会人教育や公共奉仕の分野に最も早くから取り組み、今日のアメリカの公立大学の原型をかたちづくった大学として知られています。大学拡張(University extension)プログラムの一環として公共放送である「Wisconsin Public Radio」、大学医学部の創設、市民講座の開設などに尽力します。こうした大学の方向性や使命の考え方が後年、「ウィスコンシン理念」(Wisconsin Idea)と呼ばれる哲学です。

もう一人の人物です。ロバート・ラフォレはヴァン・ハイスとは大学の同期でありました。彼は政治を志します。州知事となり、その後連邦議会の上院議員となります。州知事時代には、数々の進歩的改革を実行し、最初の労働災害補償制度、直接立法と市自治憲章、開かれた政府、開かれた予備選挙のしくみ、最低賃金制度、上院議員の直接選挙、女性参政権などを州内で実現していきます。1924年には進歩党からアメリカ合衆国大統領選挙に出馬することになります。

ラフォレに代わって共和党上院議員となったのは、ジョセフ・マッカーシ(Joseph McCarthy)です。やがてマッカーシイズム(McCarthyism)と呼ばれる反共目的の政敵攻撃が始まります。