旅のエピソード その2 「コンバーチブルに乗るときは雨傘を」

旅は人びととの出会いです。景色はどうだった、食べ物はどうだったというのはあまり大事ではありません。人との出会いは一期一会なのです。二度と会えないこと、経験できないことがあるのです。まさに「旅は道連れ、世は情け」です。このシリーズでは旅にまつわる失敗事、笑い事、珍事などを紹介してまいります。

旅の思い出は、やはりその国、その場所でないと起こりませんね。例えば「温泉地でカラオケをやっている人びと」というのであれば、台湾の北投(べいとう)温泉となります。アメリカでは公園でのカラオケはありえません。

私は毎年必ず研修と称してアメリカやカナダの学校へ視察に行きました。いつも院生を連れていきます。院生の大半は、教育委員会から派遣されてくる教師です。2年間大学で研究してまた元の学校に戻るのです。中には夫婦でやってくる者がいれば、家族を残して単身でやってくる者もいます。

ハワイに大学院生と一緒にいったときです。一行は8名。私の仕事は、現地の教育委員会や学校と交渉して訪問を段取りすることです。院生は航空券の手配、ホテルやレンタカーの予約、夕食の場所探しなどを担当します。8名で出かけるにはどうしてもレンタカーは2台必要です。院生は2台の車を予約したのですが、なぜか1台はコンバーチブル(convertible)となりました。たたみ込みのルーフ付き乗用車です。

学校を周りホテルに帰る途中、夕立が降り始めました。わたしは通常のセダンを運転しながら、ミラーでコンバーチブルがついてくるのを確認していました。コンバーチブルの中では、院生が屋根を広げようとあたふたしています。車を借りるとき、屋根の広げ方を確認しなかったようです。びしょびしょになりながら、ようやく屋根を広げることができましたが、雨足は弱くなっていました。

The beautiful coastline of Honolulu Hawaii shot from an altitude of about 1000 feet during a helicopter photo flight over the Pacific Ocean with Diamond Head in the foreground.

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その12 The Aloha State

ハワイ(Hawaii)がヨーロッパに知られたのは、1778年にイギリスの海軍士官であったジェームズ・クック(Captain James Cook)がハワイ島を訪れた航海だと伝えられています。

ハワイで最大の島はハワイ島(Island of Hawaii)です。この島を紹介することにします。ハワイ諸島で最大の島であることから「Big Island」という愛称で知られています。今も噴火を続ける4,100Mのマウアロア山(Mauna Loa)があり、一体は国立ハワイ火山公園(Hawaii Volcanoes National Park)となっています。壮大な火山地帯をハイキングできます。4,200Mのマウナケア山(Mauna Kea)の頂上付近には、世界11ヶ国の研究機関が合計13基の天文台を建設しています。三鷹にある国立天文台が設置したすばる電波望遠鏡もあります。

次ぎにマウイ島(Island of Maui)も観光はハイキングを存分に楽しめます。女性の頭と胸部の形をした島です。島中央部には、ハレアカラ山(Haleakala)があり、周囲32キロのカルデラで知られています。月面のクレーターのようで多くのハイカーを呼んでいます。島中西部の港町ラハイナ (Lahaina)は、かつてハワイ王朝(Kingdom of Hawaii)の首都だった古都でもあります。

ハワイと日本との関係は大変興味あることです。 日本人のハワイへの移民は1868年を嚆矢としています。1884年から5年間で65,000人が移住し農業に従事します。多くの移民は沖縄出身で、サトウキビ、パイナップル、さらに珈琲の栽培にも及びます。

ハワイで忘れてはならないのが、第442連隊戦闘団(442nd Regimental Combat Team)の活躍です。主にハワイの日系アメリカ人で編成され、ヨーロッパ戦線に投入されます。この部隊のモットーは「当たって砕けろ!」「Go for broke!」というのです。

まだまだハワイについては沢山のエピソードなどがありますが、ハワイのニックネームは1959年に制定された「The Aloha State」です。Alohaの響きは軽やかで、「おはよう、こんにちは、ようこそ、お元気ですか、さようなら」などいろいろに使われます。