認知心理学の面白さ その三十九  アルバート・エリスと論理情動行動療法

アメリカの心理学者の一人にアルバート・エリス(Albert Ellis)がいます。伝記を読みますと、幼少期はつらい生活環境だったようです。5歳から7歳にかけて8度の入退院を繰り返したとあります。両親の病院訪問はほとんどなかったそうです。母親が情動的に不安定で家にいなかったこともありました。そのためエリスは兄弟姉妹の面倒をみなければならなかったと回想しています。折りしもアメリカは1929年に始まった大恐慌に見舞われます。エリスは兄弟とともに家族のために働かざるをえなかったようです。こうした複雑な家族で育ったエリスは後年の研究分野として双極性障害(bipolar disorder) といわれる躁状態とうつ状態の病相を繰り返す精神疾患の治療にあたることになります。

エリスは1947年にコロンビア大学 (Columbia University) で臨床心理学の学位を取得します。その後、ニューヨーク市内でアルバート・エリス研究所 (Albert Ellis Institute) を立ち上げます。やがてアメリカにおける認知的行動療法 (cognitive-behavioral therapies)の創始者の一人として活躍します。こうして精神分析学の世界から決別していきます。

エリスが唱えた療法は論理情動行動療法(Rational Emotive Behavioral Therapy: REBT)といわれます。日本人生哲学感情心理学会サイトによりますと、REBTとは「自滅的な行動を伴って自分を苦しめるような「不健康な感情」を「健康な感情」に変えていくように自分自身で取り組んでいく技法」と説明されています。「健康な感情」とは、自己の目的を妨げず、長期的に人生を楽しめる感情であるとします。

認知心理学の面白さ その三十八 スキーマと同化と調節、そして均衡化ージャン・ピエジェ

ピアジェの研究の手法は、三人の我が子の観察をとおして理論を構築していったことに特徴があるといわれます。その手法に対しては、子供は同質な被験者でありもっと違った対象を観察すべきであるという批判も一部にはあります。

ピアジェの認知発達には「スキーマ(schema)」という用語が登場します。「スキーマ」とは身の回りのことを把握するために持っている自分の知識や概念、行動を指します。泣くとミルクがもらえるとか、なにかをやり遂げると褒美がもらえるのだ、というスキーマが形成されます。学習とはスキーマが増えることです。このようなスキーマから、他のことを与えられて行えば褒美がもらえるのだと理解します。これが同化(assimilation)と呼ばれます。しかし、大きくなるとこのスキーマが通用しなくなります。我慢するとか耐えるという行動によって褒美を貰えることを学習します。つまり既存の知識によって、新たなものを得ることを知るのです。このようにスキーマを変化させることをピアジェは調節(accommodation)と呼んでいます。

ピアジェはさらに、子供の発達には均衡化(equilibration)という状態が生まれると主張します。子供の発達はスキーマの修正したり変化させていく過程です。これを繰り返すことによって,主体のもつスキーマをより高次のものに構造化したり、ある認識を次の段階のさらに安定したものに発達させたりします。つまり,同化と調節を繰り返すことによって,これまでなかった新しいスキーマを追加したり,間違っていたスキーマを修正したりすることによって,均衡のとれた発達を遂げていくのだと考えたのです。

最初の稿で、ピアジェは若いとき生物学に高い関心を持っていたことに触れました。均衡化とは、有機体はその環境に適応しようとするものを持っているという前提にたちます。ピアジェは知識の構造の再体制化を図るのは生物学的にはうなずけるとして、生物学の理論を認知発達に持ち込んだのではないでしょうか。

認知心理学の面白さ その三十七 発生的認識論とジャン・ピエジェ

ピアジェの発達理論は、人間の認知の発達についての研究結果です。人間の認識の発生を系統発生 (phylogenesis)と個体発生(ontogenesis)との両面から考察しています。系統発生とは、人間の認識は人間が科学的な知識を積み重ねてきたこと、個体発生とは個人の中でも積み重ねることによって発生してくると考えたのです。これは発生的認識論(genetic epistemology)と呼ばれます。

ピアジェは,人間の思考に関して質的に異なる4つの段階を設定しています。それを簡単に紹介しましょう。
1  感覚-運動期(sensorimotor stage)
この時期は生まれてから2歳くらいまでの発達過程です。生まれつき持った反射によって刺激に対して反応します。自分の身体部位を連続的に繰り返し動かしたり、ものを掴んで投げ、跳ね返ったりすることを繰り返し行います。周りの動きや五感を通して周りを知覚しますが、自己中心的な行動に終始します。

2  前操作期 (preoperational stage)
この時期は2歳から7歳くらいまでの発達過程といわれまです。話し言葉を覚える時期です。遊びは紙で皿をつくったり、箱で家を作ったりしながら、ものごとの象徴や順序を覚えていきます。「ごっこ遊び」がそうです。これは,思考が表象や象徴による心的イメージによって行われる現象です。ですがまだ抽象的な思考が不十分です。たとえば自分の家の犬と隣の犬は、「犬」という共通なものではなく別のものとしてとらえています。認知発達としてはいまだ論理や情報の操作ということは困難です。

3  具体的操作期 (concrete operational stage)
7~10歳頃を指します。この時期には,数の保存や系列化,たてゴリ化など簡単なある性質や共通点をもとに思考ができるようになります。ある性質をもつグループとまた別の性質をもつグループの共通項、つまりどちらのグループにもにも属するものを推理することができることです。論理と保存という概念を理解し、抽象的な思考の基礎ができる時期といえます。

4  抽象的操作期 (formal operational stage)
抽象的操作期とは,11~14歳の時期をいいます。この時期おいては,思考が現実の具体的な出来事の内容や時間的な流れにとらわれることがありません。そして,現実を可能性の中のひとつとして,位置づけて論理的に思考が行われます。内容に依存することなく,純粋に形式のみに従って論理的な思考が可能となるのです。それが、仮説演繹的思考とか組み合わせ思考、計量的な概念といった特徴です。

認知心理学の面白さ その三十六 認知の発達とジャン・ピアジェ

心理学界では右の横綱はフロイド(Sigmund Freud)、左はスキナー(Burrhus Skinner)といえそうですが、認知心理学界の横綱といえばジャン・ピアジェ(Jean Piaget)であることに異論はでないでしょう。フロイドは精神分析学の大家でありますが、ピアジェも精神分析を研究した経緯があります。ともあれ子供の認知発達と発生的認識論を構成主義(constructivism) という枠組みで考えた希有の心理学者です。

Jean Piaget (1896-1980), the Swiss psychologist and philosopher, teaching children in a classroom. Much of his study of theories of human knowledge (epistemology) was based on how children’s minds develop. Piaget showed that children think in different ways to adults. He demonstrated that children’s misconceptions are often entirely logical if their limited knowledge is taken into account. Consequently, he thought that there is often more than one way of knowing something. He believed that children constantly build and test their own theories about the world. Piaget’s work led to the creation of scientific fields such as developmental psychology and cognitive theory.

1896年にスイス(Switzerland)で生まれます。ノイエチャッテル大学 (University of Neuchatel)で中世の歴史を研究する父親の薫陶を受け、生物学など自然科学に関心の高い子供であったようです。15歳のとき、動物学の分野で発表した論文が高い評価を受けたという記録さえ残っています。

ノイエチャッテル大学で学位を得てから、パリ(Paris)へ移りそこで知能検査であるスタンフォードビネー検査 (Stanford–Binet Intelligence Scales) の開発でビネー(Alfred Binet)の下で働きます。スイスのジュネーブ(Geneva)に戻った後は、ルソー研究所(Rousseau Institute)の所長となります。

やがてジュネーブ大学(University of Geneva)やパリのソルボンヌ大学(Sorbonne University )で教えます。1955年にはジュネーブ大学内に国際発生認識センター (International Center for Genetic Epistemology)を創設します。その間、コーネル大学(Cornell University)やカリフォルニア大学バークレイ校(University of California, Berkeley)などでも講義しています。

生涯を終える1980年まで、発生認識センターの所長として研究に従事します。このセンターにおける華々しい活躍と多くの業績を指して周りの人々は「ピアジェの町工場」(Piaget’s factory)と呼んだほどです。我が国の発達心理の発展や教育界に及ぼしたピアジェの貢献は計りしれないものがあります。

認知心理学の面白さ その三十五 人格理論とゴードン・オルポート

古代インドやギリシャで唱えられた人格の原型ともいうべきものに四気質があります。古代ギリシャ(Greek) の医師ヒポクラテス (Hippocrates)は、体液によって「胆汁質」、「多血質」、「粘着質」、「憂うつ質」の気質があるという考えました。ギリシャの医師ガレヌス (Claudius Galenus)も四体液説にそって人体理論を構築したといわれます。「体液の運動が肉体と精神の統一を確保している」 という説です。自分がどの気質に偏っているかによって、自分を知ることができると考えたのです。あながち間違っているとはいえないようです。

 

 

 

 

アメリカの人格研究者にゴードン・オルポート (Gordon Allport) がいます。1898年生まれですから、人格の研究としては草分けのような存在です。若いとき、ウィーンにいたフロイド(Sigmund Freud)を訪問し精神分析の理論から示唆を得たことがあります。

オルポートの研究テーマは人格です。人格とはPersonality の訳ですが、語源はラテン語の「persona」です。ブリタニカ国際大百科事典によると、「persona」の語義からパーソナリティとは,「個体内における,その環境に対する彼独特の適応を規定する心理・生理的系の力動的体制である」という定義が定着しているとあります。「persona」は「仮面をかぶった人格」という訳もあります。「得体の知れない」とか「つかみどころがない」といったいかようにも解釈できそうな人間の側面も表しています。

オルポートは人間の心理において無意識とか社会的要因が果たす役割を否定はしなかったのですが、意識的な動機とか状況といった要因を非常に重視した研究者です。状況というのは過去の出来事に依存するものではないという説です。

オルポートは人格論を展開するとき、精神分析はあまりにも深層すぎること、行動主義はあまりにも表層的な理論であるとして否定します。むしろ個人の特性や個人の脈絡に注視し、人格の理解には過去の脈絡を重視しない立場を堅持します。オルポートにとって人格の原型とされる四気質などの先天的な特性は、人格の構成要件とはならなかったようです。

認知心理学の面白さ その三十四 ヴィゴツキと「発達の最近接領域」

ヴィゴツキが発達心理学者としての名声を確立した学習理論に「最近接発達領域」(Zone of Proximal DevelopmentーZPD)があります。「最近接発達領域」とは、とっつきにくい用語ですが、「最も近接している発達の領域」ということです。これでもなお分かりにくいのですが、子供達の仲間など他者との関係において「あることができる=わかる」という行為の水準、ないしは領域のことです。

どういうことかといいますと、私たちは仲間の助けなしにわかること、やれることと、仲間の助けがなくてはできないことがあることを知っています。子供も勉強しているときに、「これはできる、できそうだ、できない」という感想を持ちます。「できそうだ、できるかもしれない」という領域のことが「最近接発達領域」ということのようです。

このように考えると,子供が「できるかできないか」くらいのレベルの課題 を与えることが、発達にとって重要であると一般化されて考えられるようになりました。つまり、子供を成長させるためにはこの「できるかできないか」という水準の隔たりの部分、すなわち「最近接領域」にアプローチすることが重要であると考えられてきたのです。

「最近接発達領域」理論に基づけば、子供の成長のためには、その「できるかできないか」というレベルの課題を与えることは,子供の好奇心を刺激し,興味や関心を引くためにも有効であると言えると考えられます。「あることがわかってきた」とか、「できるようになった」、ということが発達と呼ばれます。

大人も子供も、教師という他者による教えによって学習が完成すると考えがちです。しかし、私たちはこのような大人と子供の学習に対する固定観念に縛られてはならないといえます。

認知心理学の面白さ その三十三 レフ・ヴィゴツキ

我が国でも非常に知られ、教育界に影響を与えている発達心理学者にレフ・ヴィゴツキ(Lev Vygotsky)がいます。彼は当時のロシア帝国の一部、ベラルーシ(Belarus)でユダヤ系の家族に生まれます。父親は銀行家でした。ベラルーシは、西はポーランド、北はバルト三国に位置し、今はベラルーシ共和国となっています。

1913年にヴィゴツキは国立モスクワ大学 (Moscow State University) に入学します。 当時、モスクワ大学とセントピータースバーグ(St. Petersburg) の大学には3%の入学枠がユダヤ人に割り当てられていました。ヴィゴツキは相当優秀な学業をおさめていたことが伺われます。次回に報告しますが、その後の研究活動は約10年ほどと非常に短いことです。そして37歳という若さで生涯を閉じます。

人間の発達を文化的、対人的、個人的というレベルにかかわるとします。とりわけ重視したのは、文化的レベルと対人的レベルです。それはもともと人間の人格形成にかかわる経験は社会的なものだと考えたからです。

子供達は、蓄積されきた智恵や勝ち、技術的知識を自身の養育者との相互作用を介して吸収し、それらの道具を用いて自分がこの世界でどう振る舞うかが効果的かを学んでいくとします。こうした文化的な道具を子供達が身を以て経験し内面化できるようになるのも、あくまで社会的相互作用を介してであると主張するのです。個人的レベルで営む思考や推論といった能力でさえもが、私たちの内的認知能力を育む発達過程での社会的活動に由来しています。

ヴィゴツキの理論は、学ぶ者と教える者双方のアプローチに影響を与えます。教師は子供達の注意の幅や集中力、学習技能を改善しながら、子どもの能力を伸ばすということに大きな示唆を与えます。そして20世紀後半になり教育界に顕著な影響を与えます。それは子供中心からカリキュラムの重視への方向転換、集団学習のより積極的な活用ということにあります。

1917年10月に始まったロシア革命のあと、ヴィゴツキはソヴィエト連邦の初代指導者となったレーニン(Vladimir Lenin)が率いたボルシェヴィキ(Bolshevik)政権に共鳴していきます。ツアーリ (Tsardom)の圧政に耐えられなかったのでしょう。

認知心理学の面白さ その三十二 記憶と忘却

年齢が進むと、「忘れっぽくなる」とか「度忘れが激しくなる」とよくいわれます。こうした人間の自然な現象を研究した人の一人にダニエル・シャクター(Daniel Schacter)がいます。記憶(memory)と忘却(amnesia)についての心理的、生物学的観点から研究した人です。「Amnesia」とはギリシャ語で、「忘れがちなこと」(forgetfulness)という意味です。

シャクターは2001年に有名な本「The Seven Sins of Memory: How the Mind Forgets and Remembers」を著します。文字通り、「記憶についての七つの罪ーどうして覚えたり忘れたりするのか」という題名です。記憶の七つの罪とは、「度忘れ」(Transience), 「不注意」(Absent-Mindedness), 「阻止」(Blocking), 「誤った帰属」(Misattribution), 「暗示」(Suggestibility), 「しつこさ」(Persistence), 「思い込み」 (Bias)と呼ばれます。シャクターは最初の三つの罪は不作為の罪(random sins)、後の四つは作為の罪(act sins)と呼んでいます。

「度忘れ」は時間とともに生じる記憶の減少、とりわけエピソード記憶で、遠い昔の出来事より最近の出来事のほうがよく思い出されます。「不注意」は再生のための鍵が置き換えられて、割り当てがはずれることです。再生よりも貯蔵した場所を間違ってしまい再生できない状態です。「阻止」は「不注意」の反対で、貯蔵された記憶が検索と再生されないのですが、その理由はしばしば別の記憶がそこに現れるために思い浮かばない状態です。「咽まででかかっている」状態です。

「誤った帰属」という記憶の現象は、情報は正確に再生されるのですが、その情報の源泉が誤って想起される状態です。「暗示」とは誘導尋問に答えてしまうように、確信がない記憶を他から誘導されて再生することです。「しつこさ」とはある出来事を思い出した時点で、当人の意見や感情がその再生に影響を与えてしまうことです。「思い込み」とは記憶があまりにもよく機能するとき、押しつけがましく思い出され、それが正しい情報と対立するような状態のことです。

「思い込み」を修正しにくくするのが高齢化です。別な選択を考えるといった柔軟な考えが困難になるのです。ともあれ、七つの罪とは人間全てにあてはまる特徴です。原罪のようなものといってよいでしょう。そこには救いもあるということです。

認知心理学の面白さ その三十一 「結晶的知能」とレイモンド・キャッテル

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人の知能や技能についての実験や調査を綿密に行ったキャッテル (Raymond Cattell)は、得られたデータを多変量解析(multivariate analysis)など複雑な推測統計の手法を使い結論づける優れた心理学者といわれました。非常に緻密な分析をする秀でた素養の学者です。他方、確かに知能や人格の類型化に貢献はしたのですが、遺伝や優生学の知見を人間の知能に持ち込むといういわばタブーに踏み込んでいきます。その動機はなんだったのかをもっと知りたくなります。

「流動的知能」とともに、過去の経験と学習された事実からなり年齢とともに蓄積されていく判断能力があるとして、キャッテルはこれを「結晶的知能」(crystallized intelligence)と呼びます。問題解決に「流動的知能」が活用されるにつれて、私たちは知識を蓄積し、自分たちを取り巻く世界についてのさまざまな作業仮説を展開してききます。この知識の貯蔵が「結晶的知能」であるとします。

「結晶的知能」は過去の経験と学習された事実からなり年齢とともに蓄積されていく判断能力のことです。問題解決に「流動的知能」が活用されるにつれて、私たちは知識を蓄積し、自分たちを取り巻く世界についてのさまざまな作業仮説を展開してききます。この知識の貯蔵が「結晶的知能」であるとします。キャッテルは文化的活動に「流動的知能」を投入することで得られる一連の判断技能と特徴づけます。学習経験における莫大な差が生じるのは、社会的階層、年齢、国籍、歴史的時代といった要因によるところが大きいとされます。この形式は知能は65歳くらいまで比較的一定しているとされます。

さらに、より高次の「流動的知能」を有しているかどうかが、人格と興味に関わる因子に左右される「結晶的知能」のいっそう迅速で広範な発達を促すことがあると推測します。それが知能や人格の類型化に貢献したのですが、優生学を知能にからめて持ち込むということまでやります。

キャッテルは文化的活動に「流動的知能」を投入することで得られる一連の判断技能と特徴づけます。学習経験における莫大な差が生じるのは、社会的階層、年齢、国籍、歴史的時代といった要因によるところが大きく、この形式は知能は65歳くらいまで比較的一定しているといいます。より高次の「流動的知能」を有しているかどうかが、人格と興味に関わる因子に左右される「結晶的知能」のいっそう迅速で広範な発達を促すことがあるとも推測します。

認知心理学の面白さ その三十 「流動的知能」とレイモンド・キャッテル

キャッテル (Raymond Cattell)ほど、有名でしかも学会で物議をかもした心理学者はいないでしょう。後の研究の素養はロンドン大学(University of London) のキングス・カレッジ(King’s College)での物理学や化学を勉強したことからの知見にあったのだろうと察せられます。科学の方法を学んだことが、アメリカに渡ってからの人格、気質、認知能力、動機や情動の人の知能や技能、異常心理学と治療の研究につながります。統計学の手法である多変量解析や因子分析によって16の人格要因モデルを提唱します。

キャッテルは二つの知能を提唱します。「流動的知能」 (fluid intelligence )と「結晶的知能」(crystallized intelligence)です。「流動的知能」は遺伝的に受け継がれるもので、個人差を説明するものとして役立ちます。そのピークは成人の初期にあり、その後は徐々に下降していきます。その理由は年齢と相関がある脳の変化にあると考えられます。つまり生理学的なものが「流動的知能」というわけです。

「流動的知能」は抽象的な考えや推論する能力であり、あらかじめ練習や教示がなくとも、ものごとの間の関係を見いだす能力であるとします。一連の思考ないし推論能力で、どんな論的ないし内容にも適用可能な状態であるとも考えます。やり方が前もってわかっていない場合に、私たちが用いる知能のあり方に使われるます。問題解決やパタン認識といった過程において自動的に働く作業記憶の能力と密接な関係があるとします。

認知心理学の面白さ その二十九 スタンレー・ミルグラムと服従の研究

1950年代にミルグラム(Stanley Milgram)は既に[その二十二]で紹介したソロモン・アッシュ(Solomon Asch)という心理学者と共に同調性の研究にかかわります。興味深いことをいっています。それは、人々は、自分自身の現実感覚と矛盾するようなことを言ったりやったりする準備ができているのではないかということです。ごく普通の好ましい人でも、ある種の権威が幅をきかせている状況では、自身の道義的な価値に逆らうことができるものかどうかの実験です。それを検証するために物議を醸すような実験にとりかかります。

実験者は科学者という想定です。実験室内に本物そっくりの電気ショック装置をしつらえ、15ボルトずつ増圧可能な目盛りのついたスイッチを用意します。それには「軽いショック」、「とても強いショック」、「危険なショック」などと書かれたさまざなショックの度合いを示すラベルがはられます。

この実験は、普通の人が権威ある人から他人に命令されると、その選択がどの程度服従的なものかを探索することでした。実験者より被験者に対して、電気ショックを与えるように指示されます。被験者はショックレベルを300ボルトまで上げます。その時点で被験者は明らかな苦痛を示します。しかし、指示に従うことという権威者である実験者の言葉によって服従への気持ちが働き、スイッチを少しずつ上げていくのです。

死の収容所における非人間的な政策を指して、「集団規模で実施されてしまったのは、大多数の人間がひたすら命令に従順であったためである」とも主張します。実験にそって、1970年に「ヒットラーに服従するか?」(Would you obey a Hitler?)という論文も書きます。さらに1974年に「権威への服従」(Obedience to Authority)という本も著します。

ミルグラムの実験結果は、権威ある人間や状況から、そうするように圧力をかけられたら、ごく普通の人々が恐ろしい行為に簡単に手を染めてしまうという結論でありました。しかし、こうした実験は仮想とはいえ、人間を苦しめる研究として非難され、ミルグラムはやがて教壇を追われることになります。

認知心理学の面白さ その二十八 スタンレー・ミルグラムとアドルフ・アイヒマン

スタンレー・ミルグラム(Stanley Milgram)は、1933年にニューヨーク(New York)のユダヤ人の家系に生まれます。両親はハンガリー(Hungary)の出身で、ニューヨークに移民してブロンクス(Bronx)でパン屋を経営したようです。ブロンクスは、もともと移民の人々が住み着いた街。アイルランド人(Irish)、イタリア人(Italian)が多い所といわれます。ユダヤ人も多く、1900年代の前半の一時期はユダヤ人区として知られたところでもあります。

  さて、ミルグラムという研究者のことです。彼は1954にニューヨーク市立大学クイーンズ校(CUNY)を卒業します。この大学は通称、Queens Collegeと呼ばれます。その後はハーヴァード大学から心理学の学位を取得します。さらに1959-1960年には、プリンストン大学(Princeton University)でソロモン・アッシュ(Solomon Asch)と一緒に人間の同調性について研究します。

ミルグラムは、ナチスの戦争犯罪人とされたアドルフ・アイヒマン (Adolf Eichmann)の裁判に注目します。アイヒマンは、戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送りますが、1960年にイスラエル諜報機関モサド (Mossad)によって逮捕されます。1961年4月から人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられた人物です。20世紀のドイツ人には生得的になにか異なったものがあるという見方がありました。そのせいでしょうか、彼らはホロコスト(Holocaust)のようなおぞましい犯罪に荷担することに向いていたというのです。しかしアイヒマンはいいます。「自分はただ命令に従っただけだ」。

認知心理学の面白さ その二十六 育児における父親の役割

母子関係の重要性を強調するあまり、父親の役割を過小に評価していると批判されてきたのがボウルビです。彼の母親と子供の成長の関係に関する研究は先駆的であったのですが、その後、社会的・文化的に形成された性別、いわゆるジェンダー研究、両性の働き方、夫婦の役割の変化などにより育児における母子像を強調する視点は、旗色が悪いように思われます。

ボウルビへの批判の一端ですが、コネチカット大学(University of Connecticut)のローナー(Ronald Rohner)は著書『Handbook for the Study of Parental Acceptance and Rejection』の中で子どもの性格は父親で決まるとさえ主張しています。さらにオックスフォード大学(University of Oxford) の 「Families, Effective Learning, and Literacy research group (FELL) 」の調査結果によると、成長期に父親とよく交流する子供は非行に走らず学業成績が優秀であったり、人間関係が良好であると結論づけています。

イギリスのニューカッスル大学(Newcastle University)の研究チームは、1958年に生まれた男女11,000名を対象に、「育児における父親の役割」を解明するための追跡調査を実施しますが、結果として成長期に父親と多くの時間を過ごした子供は、父親と過ごした時間が少ない子供に比べて、IQが遥かに高くなるということを報告しています。

ボウルビの研究に対する批判はさまざまですが、親子関係を世界中の人々が真剣に考えるきっかけになったのは間違いありません。それほど大きな影響を発達心理学の世界に与えたといえます。

認知心理学の面白さ その二十四 愛着行動とジョン・ボウルビ

ジョン・ボウルビ(John Bowlby)は六人兄弟の四番目としてロンドン (London) で生まれます。最初は婆やに育てられ、七歳になり全寮制の学校へ送られます。こうした年少期の経験が後にことのほか幼児や子供の直面する愛着行動に関心を持ったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケンブリッジ大学(University of Cambridge)で心理学を学び、その後、非行少年の教育にあたります。医学の学位を取得後、精神分析医となります。1950年代、幼児がどのように愛着 (attachment) を形成するかについての支配的な理論は「打算的な愛情」とか「役得ずくの愛情」(cupboard love)という精神分析の概念に依拠していました。

子供が養ってくれる人に愛着を示すのは彼らが生理的な欲求を満たしてくれるからだと示唆するのです。しかし、コンラッド・ローレンツ(Konrad Lorenz)は人間以外の生き物でも最初に出くわした対象との間に強い絆を作ることを明らかにしています。アヒルとガチョウの観察から得た結論です。これが「刷り込み」(imprinting)です。ハリー・ハロー (Harry Harlow)は、「打算的な愛情」の理論に反論します。猿の子の実験で、猿を二種類の母親代わりの人形で育てます。一つは針金でできたミルク瓶を持つ母親人形で、もうひとつは温かい 布の母親人形です。猿の子は驚かされると布の母親人形にしがみついたというのです。ハローは、身体接触の快適さがなににもまして重要だと結論づけます。

認知心理学の面白さ その二十五 母子関係とジョン・ボウルビ

幼児期に母親から分離された猿は社会的、情動的に問題を惹き起こすことがあるのを指摘したのがハロー(Harry Harlow)です。育児の主たる機能は母親との身体的接触を確かなものにすることだとも主張します。ボウルビが幼い段階での愛着に進化的なとらえ方をしたのは、精神分析的な解釈に抗ってのことといえます。

ボウルビによりますと、新生児は完全に無力なため、自身の生存を確保するために母親との間に愛着を形成するように遺伝的にプログラムされていること、さらに母親にもまた自分の子供との間につながりをもうけるように遺伝的にプログラムされていると主張します。なんであれ、母と子の分離を招きかねない条件は不安と恐れの感情を誘発し、その結果、本能的な愛着行動が発動すると考えます。

ボウルビの理論で論争を呼んだのは、幼児は常に男性ではなく女性に愛着を示すという仮説です。この女性像は産みの母親ではないかもしれませんが、確かに母親像を表しています。母親像への愛着は、その子供が障害を通じて形作ることになるいかなる愛着とも異なっており、重要だという点です。幼児期における母の愛は、身体的健康にとってビタミンや栄養剤が重要であると同じくらいに心の健康にとって大事だと主張します。

母親像への愛着はどのような子供にも当てはまることではあります。しかし、さまざまな事情で片親に育てられる子供も大勢います。片親の豊かな愛情によって逞しく育つ子供もいます。現代は育児の方法や親の働く環境の多様性から、ボウルビの主張するような家族のあり方からは変わってしまいました。どのような変化が起ころうと、子供には産みの親でも育ての親であろうとも、豊かな愛情を必要としていることは不変といえるでしょう。

認知心理学の面白さ その二十三 社会的同調性とソロモン・アッシュ

ソロモン・アッシュ(Solomon Asch) は1907年、ロシア帝国の一部、ポーランド(Poland) のワルシャワ(Warsaw)でユダヤ人の一家に生まれます。13歳のときアメリカに亡命し、やがてコロンビア大学(Columbia University) で学位を取得します。

アッシュは、主に人間の有する同調性 (conformity)への衝動に関する研究をした社会心理学者です。個人の意志決定に集団からの圧力がもたらす影響と、どのように、またどの程度まで人々の判断が当人を取り巻く社会的諸力に影響されるかということを研究します。

集団はその成員に強い社会的な効果を及ぼします。例えば日本人であるとかユダヤ人であるという事実は、個人が属する国家の為政者とか政党の方針に影響されます。一定量の同調性は個人の心的な安定や価値観の形成に重要な機能を果たすのも事実です。人々はそれに合わせるべく協調することを強いられるように感じることもあります。さらに人々は自身が多数派に同意していると言い張り、ときに自らそう確信さえしたりします。同調性へ向かうこうした傾向は人の価値、ないし基本的な知覚以上に強力なものともなりえます。

アッシュが行った実験です。一人の被験者が実験室に呼ばれます。そこに他の被験者を装ったな七人の仲間がいます。呼ばれた被験者はそのことを知りません。そして二枚の絵に描かれている線のうちから、見比べて同じ線を選ぶというものです。七人の仲間は示し合わせたように異なる線を選びます。被験者はその線は違うと思うのですが、七人が選んだ線をしぶしぶ選ぶという結果となります。他の被験者にも同じような行動が現れたというのです。その理由は二つあります。第一は、集団の持つ規範のような影響 (normative influence)を受けたこと、第二は、集団のほうがより情報を得ていたという影響(informational influence)を受けたことだと結論づけます。

社会生活になんらかの合意(コンセンサス)が必要であることを認めながら、アッシュは社会生活が一番生産的なものとなるには、個人が他人に左右されない洞察と経験を持ち込む場合である点を重視します。合意は同調への恐れから生じるものとなってはならないと主張します。やがて同調性への傾向は、知的な人々の間でさえ強力なものとなることは、第二次大戦の引き金となったドイツや日本における偏狭な民族主義や極端な国家主義の時代に見られたことです。

認知心理学の面白さ その二十二 人格理論とミッシェル

ウォルター・ミッシェル(Walter Mischel)はオーストリア(Austria) のウイーン(Vienna) 生まれ。8歳のときユダヤ人の両親とともにアメリカに移住します。丁度ナチスドイツが政権の座についた1938年のことです。ニューヨークのブルックリン(Brooklin, NewYork)で育ちます。

ミッシェルの人格理論(personality theory) に入る前に、1960年代の人格理論を振り返ります。それまでの人格論では大抵の場合、人格とは遺伝的に伝えられる一連の個人的行動の特性であると考えられてきました。心理学者はこうした特性の定義を測定に努めてきたといえます。特性こそが個人の行動を理解し、然るべく予測する上で欠くことのできない要であると理解されていたのです。たとえば、キャッテル(Raymond Cattell)は、学習の基礎として機能する一般的知能にあたる要因があるとします。彼は因子分析の結果から人格構造は16のモデルからなるという説を唱えます。

キャッテルは、一連の思考ないし推論能力でどんな論的ないし内容にも適用可能な状態があるとしてこれを「流動的知能」 (fluid intelligence and crystallized intelligence)と呼びました。これは遺伝的に受け継がれるとします。もう一つとして、過去の経験と学習された事実からなり年齢とともに蓄積されていく判断能力があるとして、これを「結晶的知能」(crystallized intelligence)と呼びます。

ミッシェルの関心は、行動決定に際して、状況のような外的な要因が果たす役割でした。それは、人々が身を置いている状況に目を向けることが不可欠であるとするのです。時間を超えて、状況が異なっても一貫して変わらない思考の習慣の分析にとりかかります。そして意志の力をテストするために「マシュマロ実験」(Marshmallow experiment)を行います。

4歳の子供達の前にマシュマロが一つ出され、「今すぐそれを食べることができるが、15分待てば2個食べられる、どちらを選ぶか」と言われます。15分待つことのできる子供いればすぐ食べてしまう子もいます。ミッシェルは実験に加わった子供を思春期になるまで追跡調査し、誘惑に耐えられた子供のほうが、学校での行いもよく、社会的にも能力を発揮し自己評価もできたと報告しています。心理的により順応を示し信頼のおける人間になったとも結論づけます。

認知心理学の面白さ その二十一 社会的学習とバンデューラ

「人は報酬と懲罰という強化をとおしてではなく、他者の観察をとおして学ぶ」という言葉は良く聞かれます。これは社会的学習理論の中核をなす考え方といわれます。学習は心の中のリハーサル(rehearsal)と他者の行動の観察したうえで、模倣することをとおして達成されるという考え方です。こうした主張をする一人にバンデューラ (Albert Badura) がいます。

バンデューラはカナダはアルバータ州(Alberta)の人口400人の街に生まれます。もともとウクライナ(Ukraina) からの移民です。高校卒業後、ユーコン(Yukon)でアラスカハイウエイ(Alaskan Highway)の維持管理の職を得ます。その頃、一緒に働く人々が飲酒やギャンブルに浸るのを目撃し、人間の生き方の示唆を得たといわれます。やがてブリティッシュコロンビア大学(University of British Columbia)を卒業し、1949年にアメリカに移住します。アイオワ大学(University of Iowa) で心理学の修士と博士号を取得し、やがてスタンフォード大学(Stanford University) で教職に就きます。

「他者の観察をとおして学ぶ」というとき、他者の行動は、適切なもしくは受け入れうる行動のモデルとして機能します。バンデューラは、私たちが他者の行動を首尾良くモデル化しうるのに必要な四つの条件を提示します。「注意」、「記憶の保持」、「記憶の再生」、そして「動機付け」です。学習には、学習者がなによりもまず行動に注意を払い、次ぎに自分が見聞きしたことをきちんと覚え、さらにその行動を自分の身体を通じて再生でき、それを行いたいと思う然るべき動機や理由、例えば報酬とか褒め言葉の期待などが必要と考えます。

バンデューラが広く知られるようになったのが、自己肯定感(Self-efficacy)とか自己統制(Self-regulation) の研究です。1997年に「Self-efficacy: The exercise of control」という著作を発表します。人とのコミュニケーションおいて、自分を肯定することと他人を肯定することが、言葉と行動にプラスの指針を与えます。「自分には価値がある」、「自分は素晴らしい存在だ」と実感できるときの興奮です。

認知心理学の面白さ その二十 精神の氷山モデルとフロイド

人間の精神(mind)は「氷山」のようなものであるというのがフロイドの氷山モデル(Iceberg Model)です。水面下の七分の六を沈めながら浮いている氷山状態が精神だというのです。ユニークな喩えです。

 

 

 

 

 
私たちは、自分の考え、感じ、思い出、経験などが人間全体を形作っていると信じています。ですが、フロイドからすれば意識の活動状態、すなわち私たちが日々の経験のなかで、直接に自覚している能動的な精神は、実はといえば心的現実としては活動している心的総体のほんの一部に過ぎないとフロイドはいいます。

意識が存在しているのは表層レベルであって、そこへは容易にかつ直接に近づけます。しかし、意識の下には無意識という強力な次元が存在しており、これは私たちの能動的な認知状態や行動に指令を与える倉庫のようなものだ、というのです。極端に言えば、「意識は実のところ無意識の手の中の操り人形だ」ともいうのです。これが氷山モデルです。

無意識は、私たちの本能的で生物的な衝動の残存する場所であり、衝動は私たちの行動を支配し、自身の基本的欲求を満たしてくれる選択へと導くと考えられます。人間を動機づけるのは衝動だという主張です。衝動は私たちが生き延びられる保証であり、具体的には食物と水、性衝動は種の保存を保証するのだという考えです。

無意識それ自体を露わにしてくれる手段として自由連想が考えられます。そこでは「抑圧」されている信念や思考、感情が表にでてきます。自由連想は後述しますが、もともとはカール・ユング(Carl  Jung) によって発展されたようです。二人は一時期、共同で研究し治療にあたったことがあるといわれます。個人が抑圧されていた状態から解放され、自分に影響を及ぼしている本当の問題を自覚的に捉えるようになるためにどうしたらよいか。フロイドはこの問いに対して、当の抑えられている感情に接近することだと主張します。

認知心理学の面白さ その十九 イド、自我、超自我

ジクムント・フロイド(Sigmund Freud)の続きです。フロイドが生まれたオーストリア・ハンガリー帝国  (Austro-Hungarian Empire)は、多民族国家でありました。そのために民族の自治と独立の動きが激化していました。地位を保持しようとするドイツ人に対して、工業地帯に住むボヘミア人(Bohemia)、今のチェコ人(Czech)、さらに経営者や金融業者、医師、弁護士やジャーナリストなどの専門職についていた多くのユダヤ人も発言力を増していった頃です。

フロイドは、人間の心理には三つの分野があると仮定します。イド(Id)、自我(Ego)、超自我(Super Ego)です。彼は1920年の論文「Beyond the Pleasure Principle」でこのモデルの原形を発表します。やがてモデルは1923年の「The Ego and the Id」という著作で磨きをかけられます。意識や無意識、前意識といったスキーマを発展させた理論です。

Id/Ego/Superego.

フロイドによれば、イドとは完全に無意識の状態で、衝動的であり幼児的な心の状態と考えます。快楽の原理によって働き、即時的な快や褒美を求める働きともいえます。イドの概念はグロデック(George Groddeck)という精神科医からの引用であるとフロイドは述べています。超自我は心的状態における道徳観念を指し、いかなる状況でも常に正義を求めるものと規定します。

自我は、人間の衝動性と道徳性の狭間における大半の人の行動を促す要因であるといわれます。状況が重荷になったり、脅かすことになると人は防衛機能が作用し、拒否、失望、弁解、逃避といった行動をとります。このようなスキーマは通常「氷山モデル」(Iceberg Model)と呼ばれ、意識や無意識との関連で、イド、自我、超自我が生起する状態と呼ばれます。

フロイドはイドと自我の関係を次のような喩えで説明します。騎馬(horse)と軽馬車(chariot) です。騎馬は行動の源泉、(イド)であり、軽馬車(自我)は方向を定めるものだというのです。