ユダヤ人と私 その10 「シンドラーのリスト」

「シンドラーのリスト」(Schindler’s List)という映画には、見応えのある印象的な手法が随所に散りばめられています。監督スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)がいかに創造的な映画制作者であるかを考えさせられる作品でもあります。

登場するシンドラー(Oskar Schindler)はドイツ人の実業家です。ドイツ軍への食器類を製造しています。決して死の商人ではなく、ドイツ人将校を賄賂で手玉にとり、ビジネスを発展させるのです。ですがユダヤ人に対するナチスの苛酷な対応に次第に疑問を持ち、少しでも彼らを救おうと決心します。シンドラーの改心ともいえるところがこの映画の一つの見所です。

シンドラーは、ポーランドのクラカウ・プラショフ(Krakow-Plaszow)という街で琺瑯食器工場を造り、軍に納めるのです。そこで闇マーケットで活躍するスターン(Itzhak Stern)というユダヤ人を会計士として雇い、ビジネスを展開します。シンドラーとスターンは工場経営のために、いろいろなところから融資を受けます。そして多くのユダヤ人を工員として採用するのです。これによって強制収容所行きを免れるのです。

クラカウ・プラショフ強制収容所の所長としてエーモン・ゲート(Amon Goeth)という将校が赴任すしてきます。残忍な手法でユダヤ人を苦しめるのですが、シンドラーは巧みに振る舞い、賄賂によってゲートからいろいろな譲歩を引き出します。シンドラーはゲットーや収容所での恣意的な拷問や殺害を目撃します。一人の少女が赤い服を着てナチスから逃れようします。だが、シンドラーはやがてこの赤い服を着て冷たくなった少女が手押し車に積まれて運ばれるのを目撃するのです。

ユダヤ人と私 その9 Hannah Arendtと「凡庸な悪」

アドルフ・アイヒマンの裁判は1961年4月にエルサレムで開始されます。この様子は世界中に報道されます。罪状は「人道に対する罪」や「ユダヤ人に対する犯罪」ということです。

ユダヤ系のアメリカ人であるハナ・アーレント(Hannah Arendt)は、原告と被告とのやりとりを傍聴し、その記録を精査しながら、1961年に雑誌「The New Yorker」において、「エルサレムにおけるアイヒマン:凡庸な悪」と題して投稿します。その中で、被告は思考を停止した「凡庸な悪(Banality of Evil)」を実行した人物であり、命令を忠実に実行し、その行為と結果になんらの評価もせぬ一凡人であり、弾劾するに値しない人物だと看破するのです。

この裁判は、世界中の人々の監視にさらすことで公正な裁き期そういう意図ですが、アーレントはセンセーションを煽るようなこのような裁判に疑問を投げかけます。こうして彼女は、ホロコストの犠牲者に対する冷酷で憐れみのない人間として、同胞やの友人から強い批判を受け、教鞭をとっていたニューヨーク市内のThe New Schoolからは辞職を勧告されます。だが彼女の信念は揺るぎません。

「人間は人道的、技術的な知力を身につけるにつれ、行動の結果を制御する能力がなくなくなるパラドックスに直面する存在である」とアーレントはいいます。このパラドックスは現代においても私たちを脅かし続けています。例えば、核開発競争と平和運動であり、自由貿易主義と保護貿易主義のせめぎ合いといったことです。

ユダヤ人と私 その8 映画「Hannah Arendt」

映画「Hannah Arendt」を観た方はいるでしょうか。2012年のドイツとフランス合作の伝記ドラマ映画です。この映画のテーマは、ドイツ系ユダヤ人の哲学者であり政治理論家であったハナ・アーレント(Hannah Arendt)の「人間の知性には限界がある」という主張です。どいうことかを2回に分けて説明します。

映画はアーレントがアドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)の裁判を傍聴するところから始まります。ナチスドイツの親衛隊中佐(SS)としてホロコスト(Holocaust)に関わったアイヒマンは、1960年に逃亡先のブエノスアイレス(Buenos Aires)でイスラエル(Israel)の諜報特務機関であるモサド(Mossad)によって逮捕されます。

この裁判は1961年4月、イスラエルのエルサレム(Jerusalem)で開始されます。アイヒマンは「人道に対する罪」、「ユダヤ人に対する犯罪」、および「違法組織に所属していた犯罪」などの15の犯罪で起訴されるのです。その裁判は世界に報道され国際的な注目を浴びました。多くの証言によってナチスによる残虐行為が語られ、ホロコストの実態がいかに醜いものであったか、ナチスの支配がいかに非人道的であったかを世界中に伝えられることになります。

裁判を通じてアイヒマンはナチスによるユダヤ人迫害について遺憾の意を表しながらも、自らの行為については「命令に従った」と主張します。さらに「戦争では、たった一つしか責任は問われない。命令に従う責任ということだ。もし命令に背けば軍法会議にかけられる。そうした状況で、命令に従う以外には何もできなかった。」と陳述するのです。そして「自分の罪は命令に従順だったことだ」とも弁明します。こうして、かつての親衛隊員に対して怨嗟していた傍聴者や報道機関を戸惑わせたといわれます。

ユダヤ人と私 その7  KosherとHalal

ユダヤ教では、食べてよいものと食べてはならないものの掟があります。旧約聖書のレビ記(Book of Leviticus)や申命記(Book of Deuteronomy)にその記述があります。この食事規定のことはヘブル語(Hebrew)でカシュルート(kashrut)とかユダヤ人食事法(Jewish dietary law)と呼ばれます。「kashrut」とはヘブル語で「相応しい状態」という意味です。

レビ記は清浄と不浄などを規定し、献げ物や動物の扱いに関しても定めています。レビ記はユダヤ教における律法の中心となったと神学者はいいます。申命記はモーゼが死海 (Dead Sea)の東岸にあるモアブ(Moab)の荒野で民に対して行った3つの説話から成り、十戒が繰り返し教えられています。食のタブーは宗教や民族によって異なる厳格なルールです。

食べてよいものは一般にコーシャ(Kosher)と呼ばれます。ユダヤ教に掟にそって作られたものです。マーケットにいくとコーシャ食品と名のつくものが時々目につきます。例えば、ピクルス(pickles)にも塩にもKosherというのがあります。コーシャの意味は「適正だ」(fit)とか「浄い」ということです。イスラム圏では、ハラル(Halal)がありイスラム法上で食べることが許されている食材や料理を指します。

ユダヤ人にとって宗教的に不浄な食物の例に豚肉があります。食事の作法も律法で規定されています。手を洗うこと、食卓に就いて感謝の祈りを捧げること、そして食後の感謝の祈りがあります。神が命じたことを守るという習慣と行為は、食事にはっきり示されています。食事が宗教儀式となっているといえます。

ユダヤ人と私 その6 「栄光への脱出」

映画好きの私は、ユダヤ教やキリスト教関連のフィルムの場面を想い出すことができます。「十戒」もそうです。この映画の舞台は旧約聖書時代です。時代を経て現代の作品となりますと1960年制作の『栄光への脱出』(Exodus) となります。この映画は、シオニズム(Zionism)を信奉するユダヤ人たちのイスラエル建国までの苦闘を描いた物語です。『栄光への脱出』は、アメリカ人歴史小説家、レオン・ユリス(Leon Uris)の作品「Exodus」に基づいています。

監督は、オーストリアーハンガリー(Austrian-Hungary)帝国生れのオットー・プレミンジャ(Otto Preminger)、憂愁に満ちたテーマ音楽を作曲したのはアーネスト・ゴールド(Ernest Gold)。二人ともユダヤ人です。サウンドトラックの演奏はHenry Manciniで知られている映画です。「Exodus」とは「大量脱出」とか「集団逃亡」という意味です。「Exodus」のもともとの出典は、旧約聖書の「出エジプト記」です。

祖国を失っていたユダヤ人がキプロス島(Cyprus)に集まります。しかし、英国による対アラブ諸国への政策によって拘留されます。英国は、アラブ諸国を刺激させないため、そのような措置をとっていたといわれます。アリ・ベン・カナン(Ari Ben Canaan)をリーダーとするユダヤ人地下組織がキプロス島に潜入し、収容されている同胞を貨物船エクソダス号で脱出させる計画を実行します。

1947年11月、国連はパレスチナ分割を可決し、翌年ユダヤ人の国イスラエル共和国が誕生します。しかし、その独立によってユダヤ人とアラブ諸国の争いが本格化することになります。元ナチ将校らに指揮されたアラブ人たちはユダヤ人地区を襲撃し地下運動家らを殺すのです。双方が多くの犠牲者を出すなかで、それを埋葬するアリはやがてユダヤ人とアラブ人が平和に暮らせる努力をすることを誓うのです。

第二次世界大戦以前、多くのユダヤ人はシオニズムを非現実的な運動と見なしていたといわれます。ヨーロッパにいたユダヤ人自由主義者の多くは、ユダヤ人が国民国家に忠誠を誓い、現地の文化に同化した上で完全な平等を享受すべきと説きます。そうしたユダヤ人には、シオニズムがユダヤ人の市民権獲得の上で脅威に映ったようです。ハナ・アーレント(Hannah Arendt)もそうした思想家の一人です。

ユダヤ人と私 その5 世界に散ったユダヤ人とシオニズム運動

紀元前11世紀頃、古代イスラエル(Israel)王国が誕生します。王国の混乱により紀元前722年にアッシリア(Assyria)によって陥落し、メソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国、いわゆるペルシア帝国(Persian Empire)の時代となります。ペルシアとは現在のイランの古名です。ペルシア帝国は紀元前4世紀にギリシャのアレクサンダー大王(Alexander the Great)によって滅ばされるまで続きます。

イスラエル王国は滅亡しますが、地中海世界の諸都市にはユダヤ人共同体が多く存在したといわれます。人や物資が地中海世界を自由に往来する中で離散したユダヤ人は活躍し、そこで定着し永住します。そしてコミュニティをつくるのです。

世界に散ったユダヤ人(Diaspora)がイスラエルの地に国を造ろうとした運動は、シオニズム(Zionism)と呼ばれます。宗教的、文化的復興を目指す近代化運動のことです。民族主義の昂揚とか祖国回復の運動ともいわれます。今のイスラエルはもともとエルサレム(Jerusalem)の歴史的地名であるシオン(Zion)から由来しています。イスラエルの地全体への形容詞がシオンであり、シオニズムの語源となっています。

ヤコブ・ラブキン(Yakov Rabkin)というモントリオール大学の教授は次のようにいいます。
「シオニズムとは、もともと宗教的共同体だったユダヤ人社会に欧州のナショナリズムを当てはめたものだという見方もある。ヘブライ語を持つ国民、民族として「ユダヤ人」を位置づけ、彼ら自身の国民国家を持つべきだという新しい考え方だった。」

ラブキンはさらにいいます。
「中東紛争はイスラム教徒とユダヤ教徒との宗教紛争ではない。実際には、両者は何世紀にもわたって共生、共存してきた。一握りのシオニストが武力を行使して、そこに居住していたパレスチナ人を彼らの意思に反して、家から追い出した。」

こうしたシオニズムの批判が予言するように、イスラエルは建国の長い経緯をとおして、パレスチナ人およびアラブ諸国との間にパレスチナ問題を抱えてきました。ユダヤ人共同体は一枚岩ではなく、集団内外でも文化に融合し、多民族と共存し平和的な国造りをしようとする人々など異なる考えがあります。

ユダヤ人と私 その4 「お前はユダヤ人か?」

自分は紛れもなく国籍は日本人ですが、一度だけ「お前はユダヤ人(Jew)だろう」と揶揄されたことがあります。ウィスコンシン大学で苦学し、懸命にアルバイトをしていたときに一緒に働いていた大学の職員から掛けられた言葉です。相手も半分、冗談にいったに違いないのです。

本当に経済的に苦し時代でした。子供は大きくなり、家内も懸命に働いていました。博士課程の授業料も堪えました。そんな理由で毎日、大学構内の芝刈りや木の剪定作業、そして週末は院生宿舎の管理人室で仕事をしていました。私のそんな働きぶりをみて、ユダヤ人ではないかと思われたらしいのです。実をいうと「お前はユダヤ人だろう」などと言うことは、働き過ぎで金儲けに走っているなど、人種差別や偏見を示唆するステレオタイプば表現です。戦前、勤勉な日系アメリカ人が卑下されて「ジャップ(Jap)」といわれたのと同じ感覚なのです。

古代ローマのエルサレム総督(Governor General)のピラト(Pontius Pilatus)はユダヤ人でした。イエス・キリスト(Jesus Christ)は彼によって殺されたと信じられています。キリストを金で売って裏切ったイスカリオットのユダ(Judas Iscariot)がユダヤ人への偏見や憎悪につながっているともいわれます。

ユダヤ人に対する偏見は世界中にあります。シェークスピア(William Shakespeare)も「ヴェニスの商人」(The Merchant of Venice)でユダヤ人を主人公にしています。ユダヤ人金貸し、シャイロック(Shylock)です。強欲で金儲けが上手くてずる賢いというイメージをこの作品は広めたようなところもありますが実はそうではありません。シャイロックの無念さを思いながら、迫害されてきたユダヤ人が現在の国際金融を作り出してきた源泉がシャイロックの生き様にあると考えたくなります。

ユダヤ人と私 その3 唯一の神、ヤハウェと十戒

Jacobs氏一家は敬虔なユダヤ教徒です。ユダヤ教(Judaism)がキリスト教と一線を画する点は、新約聖書(New Testament)イエス・キリスト(Jesus Christ)の誕生には言及しないことです。ユダヤ教は旧約聖書(Old Testament)における唯一の神、ヤハウェ(Yahwe)を拠りところとします。ヤハウェは全世界の創造神とされています。

新約聖書では、ヤハウェはジェホバ(Jehovah)というように使われています。「Jehovah」の語源は、ヘブル語の「havah」(to be, being )、つまり、存在するという意味です。出エジプト記の3章14節には、「神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」God said to Moses, “I am who I am.”  アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神がジェホバということです。

モーゼ(Moses)が記したといわれる旧約聖書の最初の5つの書のことをトーラ(Tolah)と呼びます。トーラは教えとか律法という意味です。ユダヤ人は、モーゼがエジプトでの奴隷状態から脱出して、シナイ山(Mt. Sinai)にて50日間修行しているとき与えられた教えと信じています。その教えの中心が十戒(Ten Commandments)です。

さて、礼拝所シナゴーグには十字架ではなくユダヤ教あるいはユダヤ民族を象徴するダビデの星(Star of David)が飾られています。二つの正三角形を逆に重ねた六角星、ヘキサグラム(hexagram)といわれる形をしています。イスラエルの国旗にも描かれているエンブレムです。ダビデの星がシンボルとして使われたのは比較的歴史が浅く17世紀のヨーロッパで広がっていきます。礼拝所で目だつものに七本のロウソク立てー燭台(candelabrum)があります。これはメノーラ(Menorah)と呼ばれて西暦70年頃から使われていたという記録があります。メノーラもまたユダヤ教の象徴的存在です。

ユダヤ人と私 その2 シナゴーグとタルムード

大分話は遡ります。1977年にウィスコンシン大学に入って早々、Jacobs氏はマディソン(Madison)までワゴン車で留学生を迎えにきてくれました。所属されていた地元のロータリクラブが我々をもてなす活動を主催したのです。私はJacobs氏宅で生まれて初めてのホームスティを楽しむことになりました。

その時、ご自身が長老をされているユダヤ教の礼拝所、シナゴーグ(Synagogue)に連れて行ってくれました。礼拝所に入る前にヤマカ(yamaka)という皿に似た帽子をかぶります。シナゴーグは、礼拝や結婚、教育、文化行事などを行うコミュニティーの中心的場所です。丁度、ユダヤ教典であるタルムード(Talmud)の学習会がひらかれ、信徒の人々がラバイ(rabbi)と呼ばれる教師を中心に学んでいました。タルムードはユダヤ教徒の生活や信仰の基となっている教典です。

「Jacobs」という名前はヘブライ語起源の人名です。旧約聖書の創世記(Book of Genesis)12章以下に記されています。ユダヤ教の始祖といわれるアブラハム(Abraham)と妻サラ(Sarah)から生まれたイサク(Isaac)の息子がJacobです。ユダヤ人の祖とも称されています。Jacobはヤコブという慣用表記で使われています。創世記には、大洪水(great flood)やノアの箱舟(Noah’s Ark)の物語、バベルの塔(Tower of Babel)の話が登場します。

ユダヤ人と私 その1 Dr. Robert Jacobs

なぜか、私はユダヤ人の方々やユダヤ教(Judaism)から薫陶を受けてきました。その体験を記すのがこのシリーズです。だた人種や宗教は微妙な話題でもあります。複雑な歴史的背景と人々の異なる信条や思想も織りなっているので細心の注意を払っていくつもりです。

私のかけがえのない恩師、先輩、友人にアメリカ人外科医師がいます。専門は足や足首の診断と治療である足病治療(podiatry)です。足の外科学というのでしょうか。「ミルウォーキー(Milwaukee)の近くでクリニックをひらいています。この方の名前はDr. Robert Jacobs。敬虔なユダヤ教の信徒です。医者としての仕事はもちろん、地域や国際的な医療奉仕活動にもつとに熱心な方です。

国際ロータリインターナショナル(Rotarty International)から奨学資金をいただき、ウィスコンシン大学(University of Wisconsin-Madison) に留学したとき、ロータリが推薦するスポンサーとなってくれたのがJacobs氏です。国際ロータリは、世界各地のロータリクラブを会員とする連合組織です。201カ国と地域に34,558のクラブがあり、会員総数は1,220,000人といわれます。日本国内のロータリクラブ数は2,287、会員数は88,300人とあります。私は那覇で幼児教育に携わっていたとき、那覇東ロータリクラブの推薦を受けてロータリインターナショナルから奨学資金を受けることができました。1977年のことです。

認知心理学の面白さ その四十九 アイゼンクの人格説

遺伝か環境かの論争の話題は「天才」とか「狂気」についてもつきまとっています。レオナルド・ダ・ビンチ (Leonardo da Vinci)やモーツアルト (Wolfgang Amadeus Mozart) など天才といわれ芸術家の物語もそうです。古代ギリシアの哲学者アリストテレス(Aristoteles)の時代から天才は本性的に遺伝とみなされてきたようです。

多くの心理学者が人格の特性を測定し定義しようとしてきました。既に述べた古代ギリシャのヒポクラテス(Hippocratesやガレヌス (Claudius Galenus)もそうでありました。記述しましたが、ガレヌスは、人格のタイプは人体を流れる体液のタイプの増減に応じて出現すると考えられ、気質には多血質、胆汁質、粘液質、憂うつ質の四つがあるとしました。

ガレヌスの生物的アプローチに、ドイツ生まれでアメリカで活躍した心理学者のアイゼンク(Hans Eysenck) は共鳴したようです。アイゼンクは気質を心理的、遺伝的に決定されたものと見なします。アイゼンクは二次元からなる人格の円状の形をする「特別因子」の測定法を考案します。それは、「神経症」<ーー>「情動的安定」、「内向的」<ーー>「外向的」という縦と横の軸としてその間にさまざまな心理的な特徴を列記します。

神経症的な人は共感の閾値 (threshold)が低く、狼狽しがちなこと、情動的安定している人は信頼度があり、落ち着いていること、内向的な人は人見知りで物静かで、平穏と孤独を求め注意深く自己管理ができている、外向的な人は他人との間にさらなる刺激を求めて自らを鼓舞しがちなこと、快活で屈託がないといった特徴があるといいます。以上の記述は広く知られていることですが、実はアイゼンクの研究が基になったものなのです。「認知心理学の面白さ」のシリーズは今回で終わりとします。

認知心理学の面白さ その四十八 ジェーン・ドー裁判

1984年に6歳の女児の父親が、母親が女児を性的虐待をしたという訴えを起こします。「ジェーン・ドー 裁判(Jane Doe case)」と呼ばれてました。この裁判は子供を巡る複雑で数奇な展開をするので、全米の関心を集めました。後に映画にもなるほどでした。学校でも性犯罪の話題として教室で取り上げられました。

この裁判の中心課題は、はたして人間のトラウマのできごとについての記憶は正確なのか、何が真実なのかということであります。記憶の研究者であるエリザベス・ロフタスもこの事件に関わっているので、それを紹介することにします。

被害者とされたのは、ジェーン・ドー(Jane Doe)という仮名の女児です。母親がジェーンを虐待した、という父親の訴えです。11歳になったジェーンもまた虐待を受けたと証言していきます。例えば母親がぶったとか、髪の毛をひっぱったり、ストーブで足をやけどさせたといったエピソードです。母親は養育権を剥奪され、娘と定期的に会うことも禁じられます。その間、裁判所から鑑定をするように任命されジェーンの治療にあたったのは精神病理学者で性的虐待の研究者であるデビッド・コーウィン (David Corwin)という人です。コーウィンはジェーンと何度も会いビデオテープなどで面談の記録を残します。

ジェーンが17歳になると、父親が再婚した妻と別れるとジェーンは父親と一緒に住むことになります。父親が亡くなると後見人となった継母と生活します。さらに産みの母親とも再会するようになります。ジェーンはコーウィンとの面談を続けるのですが、以前コーウィンに語った母親による性的虐待のことは覚えていないというのです。ロフタスらは、ジェーンの記憶はトラウマ的なできごとゆえに、無意識のうちに抑圧された状態での記憶 (repressed memories)による証言だったと結論づけます。裁判が結審するとコーウィンやロフタスはこの事案の経緯を本に著します。

しかし、ジェーンは以前語ったような母親からの虐待はなかったと告白します。さらにコーウィンやロフタスは自分のプライベートなことを公にしたとして逆に訴えるのです。結局ジェーンは記憶に誤りがあり偽証ということで訴えは却下されます。

ジェーン・ドー裁判は、長い時間の経過のなかで偽った記憶の再生が周りの人々を混乱させ、ジェーン自身もまた精神的な傷を負うという結果となります。性的虐待というトラウマ的なできごとの再生や証言は正確だ、と本人も周りの人も思い込むという事例であります。

認知心理学の面白さ その四十七 偽りの記憶の研究

ロフタス(Elizabeth Loftus)の記憶に関する研究では、「心のどこかに過去の体験の映像が確かな形で保存されているのではないか」という精神分析学における無意識の存在に疑問を提起することに始まります。

ロフタスがおこなった別の実験では、被験者に自動車事故の詳細に関して口頭で誤った情報、例えば現場付近に道路標識があったという情報が与えられたとします。すると大半の被験者はその情報がそのまま再現されたというのです。これによって当のできごとの起こったあとで与えられる示唆や誘導的な質問によって再生が歪められることが明らかになります。誤った情報が観察者の再生のうちに「植え付けられる」(inprint) ことがあり得るということです。

「植え付けられる」ことは法的審理において重要な意味を持ちます。目撃同定証拠の信頼できない性質は刑事上の正義、および陪審員裁判の経過において影響するのです。記憶はその後の示唆や誤情報によって持ち込まれる細部の不正確さによって歪められるばかりでなく、初めから誤っている場合すらありうるからです。

1987年にロフタスは、10万人のユダヤ人虐殺に加わったとして訴えられた被告の証人を依頼されます。ユダヤ人であるロフタスは記憶と目撃証言に関する研究の第一人者ですが、彼女は「被告人を有罪とする目撃者の記憶は科学的にいうならば確かとは言えない」というコメントを残して結局は証言しませんでした。与えられた情報などによって、偽りの記憶が生成されることを理解していたからだと考えられます。

「脳での記憶は見たもの、聞いたものという認知的事実が保存されているわけではない」、「記憶を思い出すことは、記憶を思い出す時に再構成されている」、「ほんの些細な暗示によって記憶が書き換えられてしまう」、「過去のできごとの映像がそのままの形で記憶のなかに保存されているなどということはまったくあり得ない話である」とロフタスは指摘します。精神分析学への痛烈な反論です。

認知心理学の面白さ その四十六 ロフタスの記憶の研究

フロイド(Sigmund Freud) は、心には受け入れられない、もしくは苦痛をもたらす考えや衝動を「抑圧」という無意識のメカニズムとして説明します。このメカニズムによって自覚されない領域に隔離することで自分自身を守ろうとする傾向があると主張します。こうしたトラウマ的なできごとの記憶が意識的な再生の手の届かないところに貯蔵される、つまり抑圧されたという見解は多くの人に受け入れられました。

しかし、戦後のいわゆる「認知革命」によって、脳がどのように情報を記憶へと処理するかについて新しいモデルを示唆するような研究が進みます。すでにこのブログで取り上げたシャクター(Daniel Schacter)の記憶(memory)と忘却(amnesia)に関する研究もそうです。

エリザベス・ロフタス(Elizabeth Loftus)という研究者を紹介します。彼女はアメリカの心理学者です。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で数学と心理学の学士号を得、その後スタンフォード大学 (Stanford University)で学位を取得します。彼女の研究ですが、それまで主流とされた抑圧された記憶の回復ということに疑問を持つようになります。

彼女は記憶の再生への誤りについていろいろな実験をします。例えば、自動車事故の動画を見せて、目撃証言の正確さを調べます。その結果、判明したことは被験者がどのようなできごとを報告するかは、実験者からどのような言い方で問いかけられるかによって重大な影響を受けるということでした。「事故を起こした車の速度はどの位だった?」と尋ねられるとしますと、問う言葉の中に事故を形容する「ぶつかった」、「衝突した」、「大破した」などの言葉が使われたかによって、答えに大きな幅があることが判明し、さらに被験者に「事故のあとにガラスの破片はあったか?」と尋ねられます。ここでも車の速度を問うのにどのような単語が用いられたかに応じて答えは違ったのです。

認知心理学の面白さ その四十五  生成文法とチョムスキー

言語とか言葉の発達については、オペラント条件付け (operant conditioning) によっては言語の生成とか創出、ましてや独特の発達過程は説明することが困難です。子供を育てた方なら、子供の意外な言語の発達には驚いたはずです。それは子供による自発的な文法とか単語の理解などをいつのまにか習得するその技能です。それまで学んだことも耳にしたこともないルールを説明できないことや、個々の単語の意味をきちんと理解していなくとも、文全体の意味を理解してしまう子供の示す能力も説明するのは困難です。

先日マンションの自転車乗り場で会ったコウキ君という5歳の子供との会話です。
筆者 「昨日保育園でどんな遊びをしましたか?」
コウキ 「ブロックであそんだ」
筆者 「ブロックでなにをつくったの?」
コウキ 「しんかんせん」
筆者 「凄い、天才やな、、」
コウキ 「うん、てんさい、」

会話から、「てんさい」の意味を推測できていることが伺われます。たいした能力だと思いました。

チョムスキーの言語発達の考えは実に革新的な発想です。言語能力は人間に生得的なもので、言語器官はどの身体器官とも同じように成長するというのです。確かに子供を取り巻く環境が言語の内容を刺激し導くが、子供が使う文法それ自体は、もともと備わっている生得的に決定された人間的能力だというのです。チョムスキーは、子供の自発的な文法規則の発現を生成文法 (generative grammar)と呼びます。

チョムスキーは自身の論点を説明するために人間の能力の別の側面を引き合いにだします。例えば、思春期の始まりは「言語器官の成長」と似た人間の成長の過程の一側面であるといった説明です。それは遺伝に基づく必然の結果なのだという前提です。

ところで、言語獲得が学習ではなく、生得的なものであるとはどのように証明されるのかです。チョムスキーは生成文法がその土地の人々のネイティブな言語に応じた多少の修正は受けるものの、生成文法は世界中で観察されると主張します。それはどんな言語の獲得に際しても土台として機能するあらかじめ定められたメカニズムから生まれるというのです。このことは全ての子供が自分に提供されるどの言語も同等に学習していくという事実によって証明されるいいます。この事実は、一連の同じ言語の特徴が言語器官のうちに遺伝的に組み込まれていて、そこには文法や意味、発語といった要素が含まれていることを示唆します。

子供には言語についての生得的な知識があり、子供は言語を学べるようにできている、という考え方は広く受け入れられているのですが、言語の発達は養育者からはさほど影響を受けないという見解には多くの異論もあります。

認知心理学の面白さ その四十四  ノーム・チョムスキーと反覇権主義

アメリカの言語学者にして哲学者であるノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)は心理学者でもあります。ペンシルヴァニア州(Pensilvania)でユダヤ人の両親のもとで生まれます。両親は、もともとはロシア帝国支配下のウクライナ (Ukraine) の出身だったのですが、迫害(ポグロム: pogrom)や戦乱を避けて1913年にアメリカへ移住します。

チョムスキーは子供時代、ユダヤドイツ語とも呼ばれるイディッシュ語 (Yidish)を使い、ユダヤ教の教えを受けたといわれます。やがて労働シオニズム(Labor Zionism) という建国思想に傾倒していきます。労働シオニズムとはユダヤ人がパレスチナ(Palestine)に入植し、農村部のキブツ (Kibbutz) などにおけるユダヤ人共同体の進歩主義的な社会を創り上げようとする思想です。

やがてペンシルベニア大学 (University of Pennsylvania)で言語学の博士号を取得します。その後、マサチューセッツ工科大学(MIT)の言語学および言語哲学の研究所教授 (Institute Professor) 兼名誉教授となり、その業績は言語学分野にとどまらず、政治・マスメディアなどに関する100冊以上の著作を発表します。

現代言語学の父の一人ともいわれたりしますが、政治的反体制者にして急進主義者ともいわれ、アメリカの外交政策に対する激しい批判を展開します。特にヴィエトナム戦争反対運動は有名です。

認知心理学の面白さ その四十三  「自閉症・うつろな砦」とその批判

「自閉症・うつろな砦(Empty Fortress)」は広く読まれた臨床記録書です。この本の出版社であるみすず書房は今も哲学・思想、宗教、心理、社会科学、教育、歴史、文学、芸術、自然科学の分野における老舗の出版社です。どの本も表紙は白を基調としています。

ブルーノ・ベッテルハイムは長年自閉症の治療も手がけてきましたが、その考えは自閉症というのは、養育者の態度などの後天的な原因で発症するという説、いわゆる「冷蔵庫マザー」(refrigerator mothers)ということを強く主張するのです。やがてこの主張は精神医学界から大きな反撃を食らうことになります。

「冷蔵庫マザー」という養育者の育児態度に関する見解については、自閉症に関する研究で知られるレオ・カナー (Leo Kanner)の影響があったと思われます。カナーは1943年に書いた「情動的交流の自閉的障害」(Autistic Disturbances of Affective Contact)という著作で、冷えきった感情のこもらない子育ての結果ではないかと示唆していたからです。

ベッテルハイムの、「自閉症の原因は養育者の背景や責任にある」という説に対して、児童精神医学会から強い批判が起こります。その旗頭ともいえるリムランド (Bernard Rimland)は、自閉症とは神経発達上の障害 (neurodevelopmental disorder)であるとして、自閉症の「養育態度説」を論破します。

認知心理学の面白さ その四十二  自閉症研究とブルーノ・ベッテルハイム

ブルーノ・ベッテルハイム(Bruno Bettelheim)は、小児自閉症(infantile autism)の研究で知られた心理学者です。1960年代には日本でも多くの学者や教師が影響を受けました。私もみすず書房から出版された『自閉症・うつろな砦(Empty Fortress)』という専門書を購入したものです。しかし、後年はその学説が否定されて不遇な生涯を送ります。

ベッテルハイムはオーストリア(Austria)生まれ。最初はウィーン大学(University of Vienna)で カント哲学 (Immanuel Kant)を学びます。しかし、ユダヤ系オーストリア人だったため、1938年にダッハウ(Dachau)強制収容所、そしてブーヘンヴァルト(Buchenwald)強制収容所に送られます。ですが戦争勃発前の1939年、ヒットラーの誕生日である4月20日に特赦を受けて解放される幸運に恵まれ、同年12月にアメリカに移住します。その後、1944年にアメリカに帰化してからは、シカゴ大学 (University of Chicago)で教鞭をとり1973年まで心理学教授として働きます。

ベッテルハイムはシカゴ大学の知的障害児の訓練教育施設の所長や情緒障害児のホームの世話をしながら、健常児や障害児の心理学についての彼の数多くの著作をあらわし、その道の権威として知られてきました。我が国でもそうでした。しかし、彼は、やがてさまざまな批判を受けるようになります。まず、彼はウィーン大学での経歴についてです。彼はきちんとした訓練を受けてきたと主張しますが、不幸にもナチスが大学の記録を破棄していたため、その経歴詐称の確証がなかったようです。彼のクライエントに対する問題行動の数々が明るみに出されます。

認知心理学の面白さ その四十一 セルフヘルプと構造化された技法

エリス (Albert Ellis) の論理情動行動療法(Rational Emotive Behavioral Therapy: REBT)は、認知の中でも評価的認知に注目すること「理にそぐわない信念」とか思い込みを現実的で柔軟な願望に変えていくことを重視するものです。より健康な考え方に変えるための指針として、その考え方が「論理的か,実証的か,有益か」をチェックするのです。エリスさらにその指針にそって、新しい健康な考え方を再構築し、それが自分に身につき腑に落ちるまで日常生活の中で練習するという過程を強調します。この考えを「認知枠組みの再構成 (cognitive reconstruction) 」と呼びます。

REBTには、セッションを行う上で以下の特徴があります。
1.  セルフヘルプ(self-help)
REBTは健康な思考・感情・行動の主体は自分自身であり、REBTの技法と発想を身に付け、自らが日常生活で絶えず実践しつづけていくことを重視する。クライエントは、自らが己の「カウンセラー」になることを目指す。
2.  構造化された技法
REBTでは問題を具体的に絞り込んで把握していくためのABC理論(A=できごと、B=信念、C=結果[感情・行動])というプロセスが標準ステップとして構造化される。REBTが学習・実践の両面において取り組みやすく、誰が取り組んでもほぼ同一の効果が期待できることを意味する。
3.  日常生活での実践の重視
カウンセリング・セッションや授業以上に、問題を日常生活で自分自身で取り組んでいくことを重視する。

ABC理論により問題を具体化していくこと、各ステップを適切に遂行することを支援する標準ツール例えば、「セルフヘルプ・フォーム(self-help form」があります。これを使うことで初心者でも早い段階から一人で取り組むことができるとエリスは言います。

認知心理学の面白さ その四十 論理情動行動療法の方法

論理情動行動療法(Rational Emotive Behavioral Therapy: REBT)とは、自滅的になって自分を苦しめてしまうような「不健康な感情」を変えていくように自分自身で取り組んでいく技法とされます。それは具体的にはどのような技法かについてです。

REBTは、まず不健康な感情に取り組むことから始めます。例を挙げると、登校しないとか、出勤しないという課題と取り組む前に、それに伴う不健康な感情である不安や怒り、うつといったことを健康な感情である悲しみや笑い、長閑することで生活を前向きに捉えようとします。

“It feels like people are always trying to avoid me.”

REBTでは、不健康な感情は自分の認知がつくり出していることを知ることにつとめます。他者の行動や過去のエピソードといったことが、自分を苦しめる不健康な感情を起こすとは考えないのです。外部のできごとを捉える認知の仕方が不健康な感情を生み出す主因であると考えるのです。

次ぎに、健康な考え方を身につけることだ大事だとされます。REBTは、認知を知覚に基づく事実認知、事実に基づく推論推論的認知、そして事実認知や推論的認知に基づく自分や他者、人生に対する評価という評価的認知の3種類に分類します。

認知の例とは次のような状態です。
—> 事実認知:あなたは眼をそらした。
—> 推論認知:あなたは私を嫌っている。
—> 評価認知:私は嫌われてはならない。

この認知の状態で、特に不健康な感情を生み出す認知は評価的認知にあります。自分や他者、そして人生への「理にそぐわない信念」といわれる「イラショナル・ビリーフ(irrational belief)」に注目します。「理にそぐわない信念」の例としては、「私は/あなたは/人生は、~ねばならない(must)/そうでなければ価値がない/耐えられない/絶対に!」といった強烈な思い込みです。