アメリカ合衆国とニックネームの由来 その34 The Tar Heel State

ビジネス以外の日本人には少々馴染みの少ない州かもれしません。しかし、アメリカで非常に活気ある州がノースカロライナ州(The State of North Carolina)です。州都はラレイ(Raleig)、最大都市はシャーロット(Charlotte)です。1584年エリザベス1世が探検家ウォルター・ラレイ卿(Sir Walter Raleig)に現在のノースカロライナの土地の特許を与えます。州都名の由来となります。

1663年に国王チャールズ2世(Charles II)が、植民してきたイギリス人に北アメリカ大陸における新しい植民地を始めるための土地勅許を与えたことが、ノースカロライナの領域を定めた出来事です。チャールズ2世はその地を父のチャールズ1世の栄誉を称えて「カロライナ」と命名したとあります。

ノースカロライナ州は、過去50年間で農林業からバイオテクノロジーや金融分野など多様な経済に転換してきました。科学技術、研究調査、及び銀行業は特に合衆国でニューヨークに続き2番目に大きな金融センターとして地位を築いたのがシャーロットです。さらにラレイ、ダーム(Durham)、チャペルヒル(Chapel Hill)の三都市を中心にリサーチ・トライアングル(Research Triangle)地区を形成し、経済的に大躍進を遂げます。デューク大学(Duke University)、ノースカロライナ大学(University of North Carolina at Chapel Hill)、ノースカロライナ州立大学(North Carolina State University)の三つの大学と数十の民間や公営の研究機関からなる研究学園都市を形成しています。

ノースカロライナ州の農業生産品は家禽及び鶏卵、牛、タバコ、豚、牛乳、苗床、葡萄、並びに大豆などです。タバコの生産量は全米一となっています。ノースカロライナ州で忘れてはならないのがライセンスプレートに記される「First in Flight」のいわれです。1903年12月にノースカロライナ州のキルデビルヒルズ (Kill Devil Hills)でライト兄弟(Wilbur Wright and Orville Wright)が最初の飛行機を飛ばしたのです。

終わりになりましたがノースカロライナ州のニックネーム「Tar Heel State」について触れることにします。「Tar」とはタール、 「Heel」はかかとという単語です。ノースカロライナ州は松の木が豊富に獲れるところです。タールやテレピン油といったネバネバした液がでます。これがかつて大量に輸出された経緯があります。特に海軍からの発注が多かったといわれます。南北戦争の際、南軍兵士は連邦軍に対峙してかかとにタールが塗ってあるように、一歩も引くことがなかったという伝説です。これが「Tar Heel」を広めることになったようです。

成田滋のアバター

綜合的な教育支援の広場

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その33 The Empire State

1609年にイギリスの探検家、ヘンリー・ハドソン(Henry Hudson)が大西洋を渡り、今のハドソン川(Hudson River)として命名されます。もともとニューヨーク(New York)はオランダの植民地です。ニュー・ネーデルランド(New Netherland)となります。さらに1624年にオランダの西インド会社が今のマンハッタン島(Manhattan)にいた先住民族のアルゴンキン族(Algonquian)から同島を購入し、ニュー・アムステルダム(New Amsterdam)と名付けます。これがヨーロッパからの移民が定住する出来事です。1664年にイギリスは艦隊を派遣し、ニュー・ネーデルランドを無血占領して、北イングランドのヨーク公(Duke of York)にちなんでNew Yorkと名付けます。

ニューヨーク州の現在です。ニューヨーク市や五大湖沿岸の工業都市と中心とする商業、金融、保険、通信、輸送、公営事業、建設業、製造業など全米でも占める比重は大きいものがあります。ですが農業もまた肥沃な土壌と発達した交通機関、広大な市場に近い条件に恵まれていて、古くから農業州としても知られています。農業収入で酪農による所得が最も多く、州全体の収益の二分の一を占めています。次いで家畜、鶏卵などの畜産物、果実、野菜なも重要な産物となっています。

ニューヨーク市のことです。今は世界的な大都市として発展しています。発展の理由は文化的、人種的な多様性もさることながら、恵まれた自然条件にあるようです。古生代の岩盤のゆえに高層建築を可能としています。セントラルパーク(Central Park)には多くの岩盤が露出しています。さらにハドソン川は河口から200キロ上流まで川幅や深さが変わらないために、外洋船が遡行できる港湾都市となっています。

ニューヨーク州のニックネームは「The Empire State」となっています。少々いかつい印象を受けますが金融などで世界の中心ですから仕方ないですね。「The Excelsior State」という名もあります。「向上し続ける州」という意味です。「Knickerbocker State」というニックネームもついています。「Knickerbocker」とは「オランダ系移民の子孫」という意味だそうです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その32  The Land of Enchantment

「魅了してやまない州」(The Land of Enchantment)というニックネームを持つのがニューメキシコ州(State of New Mexico)です。美しい風景や由緒ある歴史を意味し、この名称は1999年に議会によって正式に認証されます。

1608年頃、ロッキー山脈(Rocky Mountains)の南端にある支脈サングレ・デ・クリスト山脈(Sangre de Cristo Mountains)の麓にサンタフェ(Santa Fe)の町が設立されます。この町は地域内の開拓地の大半とともに、プエブロの反乱(Pueblo Revolt)の結果として、12年間スペインから見放されます。

その後、プエブロ(Pueblo)の指導者ポペ(Pope)の死後、ディエゴ・デ・バルガス(Diego de Vargas)がこの地域をスペインの支配下に戻します。サンタフェが交易の中心として発展する一方で、戻ってきた開拓者が1706年に既にあった周辺集落からアルバカーキ(Albuquerque)をつくります。アルバカーキという名前はヌエバ・エスパーニャの副王第10代アルバカーキ公爵(10th Duke of Alburquerque)フランシスコ・フェルナンデス・デ・ラ・クエバ(Francisco Fernández de la Cueva)にちなんで名付けられたものです。

ニューメキシコ州は、インディアンとスペイン系の植民者とラテンアメリカからの移民を合わせたヒスパニック(Hispanic)系の人口の最も多い州といわれます。また、ナバホ族(Navajo)やアパッチ族(Apache)、プエブロ族など「インディアン」として連邦認定されたインディアンたちの居留地が存在しインディアンの総人口に対する比率が高いことで知られています。

州都はサンタフェ、最大の都市はアルバカーキです。州北部のロスアラモス(Los Alamos)には、マンハッタン計画(Manhattan Project)で知られるロスアラモス国立研究所(Los Alamos National Laboratory)があります。物理学を専攻していた長男らとアルバカーキで会い、この国立研究所を見学したことがあります。院生らとも行ったのは1998年頃です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その31 The Garden State

ニュージャージー州(State of New Jersey)の州都はトレントン(Trenton)で、最大の都市はニューアーク(New Ark)です。北大西洋岸に位置し、ニューヨークやフィラデルフィア(Philadelphia)大都市圏に近いのが特徴です。もともとイギリスから最初に独立した13州のうちの1つであり、州名はイギリス海峡に位置するチャンネル諸島Channel Islands)のジャージー島(Jersey Island)に由来するといわれます。

最初にニュージャージー地に足を踏み入れたのは故国イングランドを追われ、新大陸にやってきたクエーカー教徒(Quakers)です。教徒たちは1679年に植民地を建設します。1719年、町は周辺の大地主であったウィリアム・トレント(William Trent)で、その名から後にTrentonと命名されたとあります。クエーカー教徒の他に、ニューイングランドの福音主義者達、スコットランドの長老派教会員(Presbyterian)やオランダ改革派教会員(Dutch Reformed Christians)など多様な宗派が入植したのがニュージャージー州です。

北東部はゲイトウェイ地域(Gateway Areas)と呼ばれ、住人の多くがニューヨーク市(City of New York)に通勤しています。ニュージャージー州とニューヨーク市は多くの橋やトンネルで繋がれているからです。なかでもハドソン川(Hudson River)に架かる吊り橋のジョージ・ワシントン・ブリッジ(George Washington Bridge)は一日30万台の車が通る世界で最も忙しい橋といわれます。

発明家トマス・エジソン(Thomas Edison)はニュージャージー州で活躍した発明家です。ウエストオレンジ(West Orange)という街に研究所を有し1,093の特許を取得します。アメリカの産業革命にも影響を与えた稀有の発明家といえましょう。

「Garden State」というニックネームはニューヨークなどの大都市に野菜等を供給する農場を有していることから命名されたといわれます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その30 The Granite State

ニューハンプシャー州(State of New Hampshire)はかつてイギリスの13の植民地の一つでありました。1623年にイギリス人がポーツマス(Portsmouth)近辺に漁業と交易のため入植し、 1641年マサチューセッツ湾植民地に編入し、1679年にイギリス王領植民地となります。

ニューハンプシャーは1776年1月にイギリスと訣別したイギリス領北アメリカ植民地として最初のものとなり、その6か月後には独立宣言を発して、アメリカ合衆国を構成した植民地の1つとなります。州都はコンコード市(Concord)で最大の都市はマンチェスター(Manchester)です。州のモットーは「自由よ、さらば死を。(”Live Free or Die”)」で、自動車のライセンスプレートにも表示されているフレーズです。

州域には花崗岩が広く分布しています。これがニックネームの由来です。氷食を受けた古期アパラチア山系の一部で,約 1,300の湖沼があり,平均海抜高度は約300mという平野がひろがります。

ヨーロッパ人が入ってくる以前、アルゴンキン語族の様々な部族、例えばアベナキ族(Abenaki,)、ペナコック族(Pennacook)などが住んでいいました。1600年から1605年にイングランド人やフランス人の探検家が訪れ、1623年にはイングランド人漁師がオディオーンズポイント(Odiorne’s Point) に入植します。最初の恒久的な開拓地は、現在のドーバー市(Dover)であるヒルトンズポイント(Hills Point)でした。

1905年8月、合衆国大統領セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の仲介により、ポーツマス(Portsmouth)の海軍造船所内で講和会議が開かれ、ポーツマス条約(Treaty of Portsmouth)が同年年9月5日に調印されます。この町の近くに長男の嫁の両親が住んでいたので、ポーツマス市内の小さな博物館で日本の全権大使である小村寿太郎やロシアの大使ウィッテ(Sergei Yuljevich Witte)の写真などを見たことがあります。この博物館にはポーツマス条約の展示物が沢山あります

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その29 The Silver State

1950年代、新聞やラジオで盛んに原爆実験が報道されていました。これが私がネバダ州(The State of Nevada)を知ったきっかけです。ラスベガス市の北西にあるネバダ核実験場(Nevada Test Site)で、地下実験を含める928回も行われたというのです。1954年3月に太平洋上マーシャル諸島(Marshall Islands)ビキニ環礁(Bikini Atoll)での水爆実験で、マグロ漁船の第五福竜丸が死の灰を浴びました。無線長の久保山愛吉氏が亡くなり大きな社会問題となりました。

ネバダ州とは、近くにあるシエラネバダ山脈(Sierra Nevada)からつけられます。「Sierra Nevada」とはスペイン語で「雪に覆われた山脈」を意味するといわれます。辞書には「Sierra」とはのこぎり状の山脈とあります。ネバダ州都はカーソンシティ市(Carson City)です。

最大の都市はラスベガス(Las Vegas)となっています。「Vega」とはスペイン語で「沖積平野 」を意味するとありますが、ラスベガスが不毛の地のように感じるのですが、、、主産業は合法化されたカジノ(casino)を代表とする娯楽産業と鉱業となっています。

ネバダ州のニックネームは「銀の州」(The Silver State)とあるように、昔からこの州は鉱業で発展した経緯があります。1859年に同州のバージニア・シティー(Virginia City)で最初の銀鉱石の大規模埋蔵が確認されると大勢の人々が発掘に従事します。坑夫の大半はコーンウォール人(Cornish)かアイルランド人(Irish)であったといわれます。

ネバダ州のニックネームは、ほかに「戦闘が生んだ州」(Battle Born State)があります。1864年の南北戦争でネバダ州は北軍と呼ばれた「連合軍」(Union)に加わったことからBattle Born Stateという名がつけられたようです。もう一つのニックネームとして不毛地に育つ植物「セージブラシュ」(Sagebrush)にちなんで「セージブラシュの州」(The Sagebrush State)というのもあります。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その28  The Cornhusker State

ネブラスカ州(The State of Nebraska)は広大な農牧地を抱え、牛肉・豚肉・トウモロコシ・大豆の生産で国内最大の州といわれます。ネブラスカ州は2つの主要な地域から成っています。「大平原」(Great Plains)、もう一つは氷河によって削り取られた平原地形です。後者の地形はウィスコンシン州やミネソタ州、アイオワ州にもあり、農業や酪農を支えています。

ネブラスカ州のニックネームは「The Cornhusker State」。「Cornhusker」とは「とうもろこしの皮をはぎとる人」とか「皮はぎ機械」を意味します。文字通りとうもろこしの一大生産地となっています。

初代の植民は主にドイツ系とか東ヨーロッパの人々だったといわれます。砂漠に囲まれた平原にやってじゅて木や林の乏しい草原に家を建てます。やがて、植林に着手し、暴風林、そして果樹などを栽培するようになります。そのような歴史から、1860年代の州のニックネームに「Tree Planter’s State」という名がつけられるようになります。

私の親しかったネブラスカ大学リンカーン校(University of Nebraska-Lincoln)で教授をしていたDelwyn Harnisch氏はドイツ系の方で、小さい頃はネブラスカの大平原にあった小さな学校の複式学級で学んだといっていました。州内には今も人口が数百人の町や村が多数点在しています。Harnisch氏は2016年5月に昇天しました。

 

 

 

 

Dr. Delwyn Harnisch in memory

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その27 The Treasure State

モンタナ州(The State of Montana)は、私のウィスコンシン大学時代の指導教授 Dr. LeRoy Aserlindが眠るところです。6年余りにわたってお世話になりました。引退後はモンタナ州のリビングストン(Livingstone)という小さな町で夏はハイキング、冬はスキーを堪能されたようでした。州都はヘレナ (Helena)です。

「Montana」はスペイン語で山とか山の国を意味する 「Montana」に由来します。モンタナ州のニックネームは「Treasure State」といわれます。豊かな鉱物資源に恵まれています。入植したスペイン人はこの州を「Oro y Plata」ー金と銀と呼んでいたそうです。 アメリカ西部の多くの都市がそうであるようにヘレナも19世紀後半のゴールドラッシュ(Gold Rush)によって人が集まって発展してきた町です。多くの鉱物資源に恵まれて、このニックネームがついたのだろうと察します。モンタナ州は別称として「Big Sky Country」ともいわれます。こちらのほうがモンタナ州を形容するのに相応しいと思われます。

モンタナ選出の上院議員マイケル・マンスフィールド (Michael “Mike” Mansfield)氏のことです。愛称はマイク。1977年に引退するまでの24年間にわたって上院議員を務めます。その間1961年から1977年までの16年間、多数党である民主党上院院内総務(Senate Majority Leader)を務めます。この任期はアメリカ史上最長という記録です。1977年には、当時の大統領ジミー・カータ(Jame Carter)により駐日大使に任命されます。共和党のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)が大統領に就任しても大使を続けます。1989年までの12年間という大使在任記録も珍しいです。大統領からの信頼が厚かったことを示しています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その26  The Show-Me State

ミズリー州(State of Missouri)といえば、1945年9月、東京湾での日本の降伏調印式場となったの戦艦ミズリー号を思い出す州です。今も、真珠湾で現役(commisoned)として観光客を迎えています。州のニックネームは少々変わっています。「Show-Me State」というのです。ライセンスプレートにもこのフレーズが印字されています。

このニックネームにはいくつかの説がありますが、最もらしいのは、ミズリー州選出の上院議員だったヴァンディーア(Willard Duncan Vandiver)がフィラデルフィアで演説したときに使ったフレーズからきているという説です。
“I come from a state that raises corn and cotton and cockleburs and Democrats, and frothy eloquence neither convinces nor satisfies me. I am from Missouri. You have got to show me.”

「私はコーンや綿花、籾、そして民主党を育てるミズリーからやってきた。詭弁によって確信することも満足することもない。正真正銘、ミズリーからきたのだ。」

”ミズリーの人々はだまされることもなく保守的でもない。確かな理由がなければ信じない人々なのだ”と宣言しています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その25 The Magnolia State

ミシシッピ州(Mississippi)はメキシコ湾に臨む温暖湿潤気候が特徴で、州都で最大都市はジャクソン(Jackson)です。「The Magnolia State」とあるように、木蓮(Magnolia)で有名でコブシの香りが芳醇なことで知られる花です。17世紀から18世紀のフランスの植物学者、ピエール・マニョル (Pierre Magnol)から名付けられたといわれます。木蓮の木は恐竜が生きていた頃にも存在していたとされ、以来変わらずに美しい花を咲かせていることから「持続性」という花言葉が付けられました。「崇高」とか「気品」といった形容詞もつけられている花です。

旧石器時代の北米大陸に定住していた原始的な古代インディアンのパレオ・インディアン(Paleo-Indians)が住んで農耕を営んでいたのがミシシッピといわれます。現インディアンのチカソー族(Chickkasaw)やチョクトー族(Choctaw)、オジブワ族(Ojibwa)の祖先というわけです。「Mississippi」とはオジブワ部族語で「大きな川」という意味だそうです

この地域に入った最初のヨーロッパ人探検家はスペイン人のヘルナンド・デ・ソト(Hernando de Soto)です。彼はインカ帝国を滅ぼした探検家としても知られています。1504年には、ミシシッピはスペイン、フランス、イギリスの各植民地政府が支配します。さらに労働力としてアフリカ人奴隷を輸入していきます。フランスとスペインの統治下では、自由有色人階級が発展し、その大半はヨーロッパ人と奴隷化された女性とその子供達の多人種の子孫といわれます。

ミシシッピ川は12月から6月にかけて北部州の雪解け水が増加し洪水を起こしてきました。こうしてミシシッピ川の支流流域を含めたデルタ地帯に肥沃な洪積平野を作り上げ、綿花の栽培が盛んになりました。しかし、洪水やハリケーン、綿花の価格低下、労働力の流失などにより税収が減り、今は連邦政府補助金に頼る状況が続いています。

ミシシッピ州はブラックベルト(Black Belt)に属し、黒人多数派の時代が南北戦争前から1930年代まで続きます。今でもアフリカ系アメリカ人は人口の約37%を構成しています。南北戦争後は、40万人近いアフリカ系アメリカ人が北部や中西部および西部へ新たな機会を求めて移住したとあります。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その24 The North Star State

ミネソタ州(State of Minnesota)の名前の由来ですが、先住民族であったダコタ族(Dakota)語で「Mní sota」と呼ばれ、澄んだ青い水(clear blue water)」といわれてきました。ニックネームは「North Star State」。その他にも「Land of 10,000 Lakes」とか「Gopher State」、「Bread and Butter State」とあります。

Hubert Humphrey

州都はセントポール市(St. Paul)で隣あわせのミネアポリス市(Minneapolis)が最大の都市です。「双子の都市ーTwin-Cities」と呼ばれています。住民の大半はドイツやスカンジナビア半島(Scandinavia)から移民してきた人々の子孫といわれます。前者は37.9%、後者は32.1%に及びます。アイルランド系は11.7%となっています。その理由はミネソタ州は大陸性気候で、寒冷な冬と暑い夏といったように北ヨーロッパと似ていることがあります。

ミネソタ州は1976年以来一貫して大統領選挙では民主党候補を選んでいます。この事実はどの州の実績よりも長いことで知られています。第38代合衆国副大統領ヒュバート・ハンフリ(Hubert Humphrey)や第42代合衆国副大統領で駐日合衆国大使を歴任したウォルタ・モンデール(Walter Mondale)はミネソタの出身です。

ミネソタ州に基盤を置く企業として穀物会社カーギル(Cargill)があります。穀物メジャーで、現在は精肉、製塩など食品全般及び金融商品や工業品にビジネスを広げています。世界の穀物取引を事実上支配しているともいわれています。穀物を支配するのは、国防と同じように世界を支配するのです。カーギルは独自の衛星を有し、世界中の農産物の生育状況のデータを収集しています。そのため、穀物の先物取引などで優位に立つことができるのです。

成田滋のアバター

綜合的な教育支援の広場

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その23 The Wolverine State

ミシガン州(Michigan)のニックネームは「The Wolverine State」。「Wolverine」とは 北米やユーラシアの寒いところに住むイタチ科の「クズリ」という動物です。どう猛で破壊的な性格があるといわれます。「Wolverine」はミシガン大学(University of Michigan)のマスコットにもなっています。なぜか各州は動物の名前をニックネームにするところが多いようです。ライセンスプレートには「Great Lake State」と印字されています。

ミシガンは北はカナダと国境を接しミシガン湖(Lake Michigan)、スペリア湖(Lake Superior)、ヒューロン湖(Lake Huron)、エリー湖(Lake Erie)を抱え、西はウィスコンシン州、南はインディアナ州とオハイオ州に接しています。四つの湖に囲まれるという地の利が自動車産業を支えてきたのがミシガン州です。ゼネラルモーターズ(GM)、フォード(Ford)、クライスラー(Chrysler)のビッグスリーの本社がデトロイト(Detroit)とその近郊にあります。州都はランシング(Lansing)。デトロイト国際空港は6本の滑走路を有し、デルタ(Delta)航空のハブ空港となっています。

ミシガンは四つの湖に囲まれた湖岸線に囲まれ「Water Wonderland」とも呼ばれています。約11,000の湖沼や多くの河川を抱えるのは、かつての氷河が退行した後にできた地形だからです。北部は広大な森林地帯となり林業が盛んです。加えて農業もミシガンの産業です。主要な農産物ですが、とうもろこし、大豆、温室栽培、牛肉、じゃがいも、チェリー、ブルーベリー、リンゴ、いちご、梨などの果物の産地として知られています。

経済の中心はなっといってもデトロイトです。自動車産業の他にも多くの企業があります。例えば穀物のケロッグ(Kellogg)、ダウ・ケミカル(Dow Chemical )、ワールプール(Whirlpool)、アムウェイ(Amway)などの本社もここにあります。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その22 The Bay State

マサチューセッツ州は、「Commonwealth of Massachusetts」と呼ばれます。この州には、長男夫婦と2人の孫が住んでいます。毎年必ず訪れるのが楽しみなところです。州都ボストン(Boston)から車で1時間のところにコロニアルスタイル(colonial style)の築後70年という家で暮らしています。

ボストンの東南1時間のところにプリマス(Plymoth)という港町があります。ここにMayflowerII号のレプリカが停泊しています。Mayflowerは1620年頃にヨーロッパからこのあたりに着いたことが記されています。そこから続く岬はケープコッド(Cape Cod)でボストンの避暑地となっています。「Cod」とはスケソウ鱈のことです。

最初の移民の多くは聖教徒(Pilgrims)といわれています。MayflowerII号から下りた聖教徒が開拓したところが今も大切に保存されています。この居留地は「Plimoth Plantation(プリマス開拓地)」と呼ばれて州の歴史的な公園となっています。Plantationに入りますと、そこは1600年代という設定です。そこで働く人は百姓、鍛冶屋、パン屋さんなどいろいろ。当時の服装、言葉、仕草で観光客に対応します。働く人々の演技が秀逸で、観光客はこうした人々とのちんぷんかんぷんの対話から「ここは1620年頃なのだな、、、」とようやく合点がいきます。

マサチューセッツ州のニックネームは「The Bay State」。その他にも「The Codfish State」、「The Pilgrim State」というのもあります。ライセンスプレートには「Spirit of America」というフレーズが印字されています。これは、建国の精神を意味します。1680年ころから、マサチューセッツはイギリスの植民地となります。1760年代になると、マサチューセッツ憲法として権利の宣言と政府の樹立を訴え、イギリスの支配に反旗を翻します。やがて独立戦争が始まるのです。この自治と独立の精神が「Spirit of America」というフレーズです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その21 The Old Line State

18世紀初頭、スコットランドやアイルランド(Scotland and Ireland)から大挙して移民がメリーランド州(The State of Maryland)にやってきます。その理由は宗教上の迫害を逃れ、自由を求めてきたといわれます。メリーランドの州都はアナポリス(Annapolis) で海軍大学校(Naval Academy)があります。最大の都市はバルチモア(Baltimore)となっています。ワシントンD.C.の隣です。

多くの川がポトマック川(Potmac River)に合流し、チェサピーク湾(Chesapeake)に注いで肥沃な大地を形成しています。そのお陰で農業は州経済の重要部分となっています。キュウリ、スイカ、スイートコーン、トマト、マスクメロン、カボチャ、豆類など生鮮野菜を栽培しています。チェサピーク湾西岸の南部郡は温暖な気候でタバコの栽培地帯でもあります。

州のニックネームの由来です。独立戦争(Revolutionary War)の最中、大陸軍のメリーランド第一連隊(First Regiment)400名がニューヨーク州のロングアイランド戦(Battle of Long Island)で勇敢な戦いをし、イギリス軍の侵攻を食い止めたといわれます。この連隊はその後の戦いでも戦果ををあげ、後に総司令官であったワシントン(George Washington)が「Maryland Line(メリーランド軍)」に「Old Line」という名を与えたとあります。「The Old Line State」とは少々地味なニックネームです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その20 The Pine Tree State

メイン州(The State of Maine) は合衆国の最東端に位置し、東と北がそれぞれカナダのケベック州(Quebec)、ニューブランズウイック州(New Brunswick)に接し、西はニューハンプシャー州(New Hampshire)に隣接しています。州都はオーガスタ(Augusta)。州の公式ニックネームは「The Pine Tree State」となっています。

「Maine」という州名は、フランスの「province in France」から由来したといわれます。1604年頃最初にヨーロッパからやっきたのはフランスの探検家、ピエール・デュガ(Pierre Dugua)、シーウ・ド・モンス (Sieur de Mons)といわれ、セント・クロー島(Saint Croix Island)に上陸します。
1665年にイギリスからの移民が到着し、イギリス総督の名で「Province of Maine」とつけられます。この地帯に住んでいた先住民族はアルゴンキン語(Algonquian)を話すワバナキ族(Wabanaki)です。

海岸線は岩で複雑に入り組み、山稜は低くうねり、森と美しい水流などが内陸に続いています。その景観は多くの避暑客をよんでいます。ロブスター(lobster)やハマグリ(cram)など海産物料理も観光客が押し寄せる理由です。その他、主要な産物は鶏肉、卵、酪農製品、牧畜、りんご、ブルーベリー、メイプルシロップ(maple syrup)などです。ニックネームのThe Pine Tree Stateですが、メイン州の旗に掲げられています。とくに白い松の森林で覆われる州です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その19(2) The Cajun

ルイジアナ州(Louisiana)の話題の二回目です。「クレオール」と並んでルイジアナの顕著な文化や料理が「ケージャン」(Cajun)です。少し時間を戻してみます。

ミシシッピ川以東の大陸では、イギリスとフランスの間で激しでい所有権争いが起こります。フレンチ・インディアン戦争(French and Indian War) です。この戦いは「七年戦争」(Seven Years’ War)ともいわれます。1713年にカナダのノバ・スコシア(Nova Scotia)地方をイギリスが植民地化すると、ノバ・スコシアのアカーディア(Arcardia)地方に住んでいた「Cajuns」と呼ばれていた約4,000名のフランス系住民は追われて南部のルイジアナへ移動します。そしてこの地で綿花、コーン、サトウキビなどを栽培します。使っていた言語はフランス語が母体ですが、それに英語、ドイツ語、黒人の使っていた言葉の訛りが交じり、独特な響きを持つようになります。それがケージャン語(Cajun Language)と呼ばれるようになります。

ケージャン語とともにケージャン料理も知られています。ケージャン移民が持ち込んだアカーディアのフランス料理を基礎としインディアンの料理、西アフリカからの黒人奴隷の料理さらに、クレオール料理の流れをくむのがケージャン料理といわれています。代表的なものに肉または甲殻類、とろみ成分、および「聖なる三位一体」と呼ばれるセロリ、ピーマン、タマネギで構成されるガンボ(Gumbo)、溶かしバターを塗ったレッドフィッシュの切り身にたっぷりのスパイスをまぶしつけ、煙が出るほど熱したブラッケンド・フィッシュ(Blackened Fish)が知られています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その19(1) The Pelican State

フランスの影響を色濃く反映するのがルイジアナ州(State of Louisiana)です。1643年にフランス人ロベール・カブリエ・ド・ラ・サール(Rene-Robert Cavelier de La Salle)が、ミシシッピ川(Mississippi River)の流域を探検し、やがてフランス領と宣言し、ラ・ルイジアーヌ(La Louisiane)と名付けたといわれます。「Louisiana」という地名は、フランス王ルイ14世(Louis XIV)にちなみます。現在の州都はバトンルージュ市(Baton Rouge)。最大の都市はニューオーリンズ市(New Orleans)です。

ラ・サールの探検に先立ち、1541年5月にスペイン探検家のエルナンド・デ・ソト(Hernando de Soto)の部隊はミシシッピ川に到達したという記録があります。ソトはスペインのインカ帝国(Imperio Inca)征服による莫大な財宝を手にしてスペインに戻り征服の英雄として有名になった人です。スペインとフランスの植民地争いが先住民族を巻き込んで繰り広げられますが、結局フランスがミシシッピ川を植民地化していきます。1803年にはアメリカがフランスより今のルイジアナ一帯を購入していきます。

ルイジアナ州のニックネームは「The Pelican State」でありますが、もう一つ「Creole State」というのがあります。この歴史は興味ありますので紹介します。「クレオール」(Creole)というのは、ルイジアナ州で起こったスペイン系やフランス系、先住民族、そしてアフリカ人が使った独特の言葉であり文化のことです。アメリカがルイジアナを買収する以前から、そこに生まれた人々とその子孫、また彼らと関わりのある土着の言語や文化のことが「クレオール」と呼ばれています。その言葉は混交語ともいわれます。民族よりも伝統的名文化を継承する人々が「クレオール」です。その名残は、フランス風の建物やクレオール料理と呼ばれる伝統料理などに表れているようです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その18 The Bluegrass State

ケンタッキー州(Commonwealth of Kentucky)の州都はフランクフォート(Frankfort)。最大の都市はルイビル(Louisville)となっています。「Kentucky」の意味ですが、イロコイ族(Iroquois)のイロコイ語で「平原」、チェロキー族(Cherokee)で「荒れ地」、「明日の土地」、「どす黒い血の地」と呼ばれていたといわれます。

ケンタッキーはアパラチア(Appalachia)炭田地帯に位置し、ウエスト・ヴァージニア州(West Virginia)とともに全米有数の石炭の産地です。他にタバコの生産は全米第二位ともなっています。

この州は「ブルーグラスの州」(The Bluegrass State)というニックネームがついています。ブルーグラス(bluegrass)はイネ科の多年草で芝生や牧草として使われています。踏みつけられて冬場にも強いのが特徴です。地下茎を伸ばして繁茂し庭やゴルフ場の芝生の他に土砂の流失防止のために斜面や荒地にも植えられています。

ケンタッキーは牧草地を利用したサラブレッド競走馬の飼育で知られ、五月第一土曜日はケンタッキーダービー(Kentucky Derby)がルイビルで開かれます。アメリカンクラシック(American Classics)三冠の第1冠として知られています。

親しみやすい農園歌、郷愁歌を多数作曲したスティーブン・フォスター(Stephen Foster)の作品に「ケンタッキーの我が家」(My Old Kentucky Home)があります。作品には黒人霊歌(Black spirituals)の影響を感じます。この曲はケンタッキー州議会により公式州歌として採用されています。

The sun shines bright in the old Kentucky home,
 Tis summer, the people are gay;
  The corn-top’s ripe and the meadow’s in the bloom
   While the birds make music all the day.

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その17 The Sunflower State

カンザス州(Kansas) 全域がグレートプレーンズ(大平原)の真っ只中にあります。州都はトピカ市(Topeka)であり、州最大の町はウィチタ市(Wichita)、次いでカンザスシティ市(Kansas City)となっています。一度カンザスシティの学校を訪問したことがあります。この市はミズーリ川(Missouri River)とカンザス川(Kansas River)の合流点の西に位置しています。

「ミズーリ」は、この地に先住したインディアンのアルゴンキン語(Algonquian)で、「泥の河」という意味。この川は大量の泥を含むので、別名「Big Muddy」とも呼ばれています。「カンザス」のいわれですが、この地に先住したインディアン部族のカンサ族(Kansa Tribe)に由来しています。もう一つのオマハ族 (Omaha Tribe)も知られています。部族のなかでは「風に立ち向かう者たち」という意味で使われていたとあります。

カンザス発展の歴史ですが、「Wild West」という呼称に表れるように開拓時代の西部地方の土地や家畜を巡る争い、そしてカウボーイ(cow boy)や保安官(shelif)の活躍の歴史です。1872年にはアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道(Atchison, Topeka and Santa Fe Railway)がドッジシティ(Dodge City)まで開通します。家畜輸送を巡る競争が始まります。ドッジシティ(Dodge City)も荒々しいカウボーイの町で、バット・マスターソン(Bat Masterson)やワイアット・アープ(Wyatt Earp)が町の法執行者として活躍したといわれます。後に「OK牧場の決闘」(Gunfight at the O.K. Corral) や「荒野の決闘」(My Darling Clementine)を監督したジョン・フォード(John Ford)の西部劇製作に影響を与えた舞台が「Wild West」というわけです。

カンザスで忘れてはならないのが、「オズの魔法使い」(The Wizard of Oz)です。カンザスの農場に住む少女ドロシー・ゲイル(Dorothy Gale)は「虹の彼方のどこかに」(Somewhere Over The Rainbow)を歌います。ドロシーと愛犬のTotoは、あるとき大平原でサイクロン(cyclone)に襲われます。そして「Land of Oz」へと飛ばされてしまう話で幕が開きます。

お終いになりましたが、カンザスのニックネームは「The Sunflower State」です。他に「The Wheat State」、「The Cyclone State」、「The Jayhawker State」というのもあります。「Jayhawker」とは黒人奴隷商人を襲い奴隷を解放したゲリラのことです。その後、カンザス州民を指す言葉となりました。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その16 The Hawkeye State

「本当の大平原(prairie)というのは、一日中車で走っても景色が全く変わらないようなところをいうのだ」という話を聞いたことがあります。その後、私が実際にそんな体験をしたのはアイオワ州(The State of Iowa)でのことでした。サウスダコタ(South Dakota)の知人に会いに行く途中のことです。マディソンからインターステイト90(Interstate 90)を走りアイオワ州に入ると大平原です。車の窓から見えるのは、間近にせまってくるぼうぼうに繁ったコーンばかりなのです。それがお昼を過ぎ、やがて日が西に傾きかけても全く同じ景色なのです。空から見ても見渡す限りの畑です。

アメリカの「ハートランド」(Heart Landー中心地)といわれるのがアイオワです。アメリカの地図をみても中心に位置します。さらに大穀倉地帯なのです。いつでしたか、アイオワ州の農家一軒で10,000人の食料を生産していると聞いたことがあります。主要な農産物は豚、トウモロコシ、大豆、エンバク、牛、卵及び酪農製品です。エタノールとトウモロコシの生産では国内最大の州であり、大豆でも二位を保っています。それが「世界の食糧の首都」と呼ばれている理由です。アイオワ州の90%の土地で大規模農業が営まれています。

こんな長閑な州なのですが、合衆国の政治で重要な役割というか影響力を持つのがアイオワ州です。大統領選挙の前哨戦である大統領候補指名党員選挙を、全国に先駆けて行うことが定められているのです。したがって、アイオワ州は大統領選挙の緒戦といわれ、全米で注目されるのです。「アイオワを制する者が大統領選挙を制する」とも言われています。その例は、アイオワ州党員選挙にて敗北した候補者が大統領に就任した例は少ないことに表れています。その例外ですが、2016年2月の候補指名選挙ではD.トランプは得票率は24.3%で二位となりましたが、その後の活動で共和党候補として指名されたのはご承知のとおりです。

アイオワ州のニックネームは「The Hawkeye State」。この由来は、ソーク族(Sauk)の酋長ブラック・ホーク(Black Hawk)にちなみます。もう一つは、アイオワの都市バーリントン(Burlington)で新聞経営をしていたエドワード(James Edward)がそれまでの新聞名、「The Iowa Patriot」をブラック・ホークにちなんで「The Hawk-Eye」に改名したという説です。エドワードはブラック・ホークと知己を持っていたといわれます。