アメリカ合衆国とニックネームの由来 その42 The Palmetto State

サウス・カロライナ州(The State of South Carolina)南部の大西洋に面している温暖湿潤な気候の州です。州都及び人口最大の都市はコロンビア(Columbia)です。ニックネームは「ノコギリヤシの州」(The Palmetto State)です。

サウス・カロライナはイギリスから最初に独立した13州の中で、しかも最初に独立を宣言した植民地です。その植民地はイングランド国王チャールズ2世(Charles II)から、その父チャールズ1世の栄誉を称えて命名されます。なおチャールズ(Charles)のラテン語名はカロルス(Carolus)となっています。カロライナの名称の原型です。

大西洋に面した海岸平野(Coastal Plain)とローカントリー(Low Country)と呼ばれる海岸台地は古い歴史があり、イギリス人が建設したチャールストン (Charleston) があります。いまなお18〜19世紀の建物が連なっています。この街は「聖なる市」(The Holy City)としても知られています。低層の都市景観を形作る有名な教会があり、信教に対する寛容さを認めていた数少ない都市の一つだったという事実にもよっています。

多くのユグノー(Huguenot)と呼ばれたフランスにおける改革派教会(カルヴァン主義ーCalvinism)がチャールストンにやってきます。フランス絶対王政の崩壊に活躍し、迫害された者は列強各国へ逃れて、やがて亡命先となったサウス・カロライナの開発を著しく進めたといわれます。ユダヤ人にユダヤ教の布教を制限無しに認めた最初期の植民地都市がチャールストンともいわれます。

1860年12月20日、アブラハム・リンカン(Abraham Lincoln)が次期大統領になることが明らかになると、サウス・カロライナ州はアメリカ合衆国からの脱退を宣言した最初の州になります。そして1861年4月南軍がチャールストン港にあった合衆国軍のサムター砦(Fort Sumter)に対する砲撃を開始し南北戦争が激化していきます

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その41 The Mount Rushmore State

サウス・ダコタ州(State of South Dakota)の州都はピエール(Pierre)。最大の都市は、スーフォールズ(Sioux Falls)です。「ダコタ(Dakota)」という名前はインディアン部族のダコタ族(スー族;Sioux))の言葉「ダコタ(仲間)」に由来します。サウス・ダコタ州のニックネームはいくつかあります。「The Mount Rushmore State」、「Great Sioux Nation」、「The Coyote State」、「The Sunshine State」というフレーズです。

州の中央部にミズリー川(Missouri River)が流れ、南西部にはブラックヒルズ(Black Hills)と呼ばれる低木の松に覆われた山脈があり、スー族の聖地となっています。ここには4人の大統領の顔のモニュメントで有名なラシュモア山国立記念公園(Mount Rushmore National Park)があります。ジョージ・ワシントン(George Washington)、 トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)、 セオドル・ルーズベルト(Theodore Roosevelt) 、 アブラハム・リンカン(Abraham Lincoln)の巨大な彫刻です。

1868年の第二次ララミー砦条約(Treaty of Fort Laramie)によって、サウス・ダコタ州西半分がグレートスー居留地(Great Sioux)としてスー族に認めらたという事実があったにも拘わらず、1874年にカスター(George Custer)将軍の連隊がこの山地に派遣されます。そして金を発見し、ゴールドラッシュが始まります。1876年にスー族はブラックヒルズ内の土地や鉱業権を渡すことを拒み、坑夫や開拓者が地域に入るのを止めたために戦いが起きます。これが「 Great Sioux War」です。

ブラックヒルズにあるホームステーク鉱山(Homestake Mine)を中心とする金の採掘は全米一となっています。ステップ気候で夏冬の差が大きいので「太陽の輝く州」とも呼ばれます。「コヨーテの州」というフレーズからは、かつて人跡稀であった西部の州という印象を与えているのがサウス・ダコタ州です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その40 The Ocean State

ロードアイランド州(State of Rhode Island)は、独立13州の一つです。全米の州で地理的に最も小さい州です。滋賀県や奈良県と同程度の面積で人口はたったの105万人。ちなみに滋賀県は140万人です。州都はプロビデンス (Providence)。「プロビデンス」とは「神の摂理」とか「神のみ業」を意味します。

当時この地域は二つの部族が住んでいた。西側にはナラガンセット族(Narragansett)、東側にはワンパノアグ族(Wampanoag)がいました。最初にこの地にやってきたのはクェーカー教徒(Quakers)です。その中にロジャー・ウィリアムズ(Roger Williams)がいました。 クェーカー教徒の組織は、「Religious Society of Friends」といいます。キリスト教徒の一派です。Wikipediaによると、ウィリアムズはマサチューセッツ湾植民地を追い出された神学者だったといわれます。信仰と政治の寛容さを求め、他の者達と共に自由な領主植民地としてナラガンセット湾(Narragansett Bay)に「プロビデンス・プランテーション」(Providence Plantation)という集落を建設します。この湾は、ロードアイランド海峡の北側に面した湾及び入り江です。

ウィリアムズはオランダから逃れてきたユダヤ人にも救いの手を差し伸べたとあります。こうした伝統は、オランダにユダヤ人が多く住み着いていたことがわかります。時代が経て、第一次、第二次大戦中も多くの「アシュケナジム」(Ashkenazim)と呼ばれたドイツ系ユダヤ人がオランダにいたことが知られています。

農産物はジャガイモ、トウモロコシ、鶏など家畜の飼育も盛んな州です。ニックネーム「Ocean State」とあるだけに海産物は日本と同じように豊富です。沿岸や沖合漁業も盛んです。ボストンの隣に位置しニューヨークも近く、アメリカ・メガポリスの一部で都市化が進んでいます。農海産物の大消費地に恵まれている州です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その39 The Keystone State

ペンシルヴァニア州(Commonwealth of Pennsylvania)の歴史です。1643年、最初にペンシルヴァニアに入植したのはスェーデン人ですが、1656年にはオランダ、1664年にはイギリスへと支配が移ります。イギリスのチャールズ二世(Charles II)がクェーカー教徒(Quaker)の代表、ウイリアム・ペン(William Penn)にこの土地を与えたとあります。「Sylvania」とはラテン語で「森の土地」とあります。そのようなわけで「Pennsylvaniaは」「ペンの森」となります。

ウイリアム・ペンは敬虔なクェーカー教徒でした。植民以前は信仰の自由を訴え、イギリス国教会(Church of England)に異を唱えたために、一時ロンドン塔(Tower of London)に収監されたこともあります。イギリス国教会はイギリス聖公会(Anglican Churchi0とも呼ばれます。イングランドの統治者が教会の首長であるという政治的な意図にペンは我慢がならなかったのではないでしょうか。ペンは、植民地時代はインディアンとの友好関係を大事にした人物です。

イギリスからの独立後、1790年から1800年の間、連邦政府の首都となったのがフィラデルフィア( Philadelphia)です。現在も州で最大の都市です。現在の州都はハリスバーグ(Harrisburg)となっています。ペンシルヴァニアは全米屈指の製鉄業地帯です。ピッツバーグ(Pittsburgh)やベスレヘム(Bethlehem)が中心で、製鉄を支えるアパラチア(Appalachian)炭田があります。その他、粘土、石材、石油、天然ガス、亜鉛などの鉱産物でも知られています。

ところで「Pennsylvania Dutch」という言葉があります。信仰の自由を求めてペンシルヴァニアに移住したドイツ系移民とその子孫、あるいはその言語を指す言葉です。オランダの意味ではありません。宗教的にはモラビヤ派(Moravian)、メノー派(Mennonite)、特にアーミッシュ(Amish)に属する者が多く、移住後も伝統的な宗教、言語、風俗や習慣、教育を維持したので注目されました。アーミッシュの集落が多いことで知られる州です。

最後に、ペンシルヴァニア州のニックネーム「Keystone State」の由来です。13の植民地の真ん中に位置し、その後合衆国の経済や社会、政治の発展に大きな役割を果たします。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その38 The Beaver State

北海道大学時代に札幌の姉妹都市が、オレゴン州(State of Oregon)のポートランドであることを知ったのがこの州との出会です。オレゴン州といえばオレゴン街道(Oregon Trail)も知られています。州都はセーレム(Salem) 。最大の都市はポートランド(Portland)です。

太平洋岸にそったPacific Coast Rangesとカスケード山脈(Cascade Range)の間の平野に人口の9割が住み、そこに広がるウィラメットバレー(Willamette Valley)は農業が盛んです。フランスのボルドー(Bordeaux)地方とほぼ同じように葡萄の栽培に適した平野となっています。

1840年代に「オレゴン街道」を通って多くの植民がオレゴンに入植します。オレゴン街道はミズリー州(Missouri)のインデペンデンス(Independence)から大平原(Great Plains)、ロッキー山脈(Rocky Mountains)を越える路で全長3,200キロの行程です。移住には4か月から6か月かかったといわれます。途中にはララミー砦(Fort Laramie)やサウスパス(South Pass)といった重要な通過点がありました。 幌馬車隊の組み方、野営の方法、食料や飼料の補給、インディアンとの遭遇と対応などの経験がその後の移住を助けたといわれます。

Wikipediaによると、豊かな森林はレッドウッド(red wood)、トウヒ(spruce)、ダグラスモニ(douglas fir)などで覆われています。こうした資源により、製材、パルプ、合板、家具製造などが産業の中心です。ニックネームが示唆するように森林資源とビーバー(beaver)は切り離せないようです。19世紀初頭、ビーバーの毛皮帽子がたいそう流行したことがこのニックネームにつながったとあります。オレゴン内の河川には多くのビーバーが今も生息しています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その37 The Sooner State

オクラホマ州(The State of Oklahoma)の州都で最大の都市はオクラホマシティ(Oklahoma City)です。名前の由来ですが、チョクト(Choctaw)インディアン語で「赤いーhumma, 人々ーokla」を意味します。この部族はミシシッピ川河口域に住んでいた農耕民族といわれます。

1803年にルイジアナ(Louisiana)購入の一部としてフランス領からアメリカ領となります。州の西部は大平原(Great Plaine)でアーカンソー川(Arkansas River)とレッド川(Red River)流域の平野、オザーク高原(Ozarks Mountain)が広がり、経済の中心となる農牧業が盛んです。小麦の生産は全米第二位、その他の産物として綿花、トウモロコシ、ピーナッツ、豆類が中心です。

1820年代以降、主要なインディアン部族はオクラホマの南部に移住させられます。次第に白人の投機家がやってきます。1899年に白人の入植が許可される直前に、「スーナ」(sooners)と呼ばれる抜け駆けの移住者が殺到し土地を占有していきます。こうした有様を形容して、オクラホマ州のニックネームは「The Sooner State」となります。

1930年代、南部を襲った大干ばつと砂嵐(Dust Bowl)により大量の農民や先住民がオクラホマからカリフォルニアに移住します。こうした人々は「Okies」と呼ばれました。その数、100万を越えたとあります。1939年にその姿を描いた小説がジョン・スタインベック(John Steinbeck)の「怒りの葡萄(The Grapes of Wrath)」です。機械化農法を導入する資本家と土値を追われ、カリフォルニアに移住した貧窮農民集団との軋轢闘争が素材となっています。小説の主人公はトム・ジョード(Tom Joad)は正義感にあふれ、不公正な社会に疑問を持つのです。スタインベックの祖父は多くの農地を所有したドイツ系移民です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その36 The Buckeye State

オハイオ州(The State of Ohio)の 「Ohio」とは、インディアンのイロコイ族(Iroquois)の言語で、「美しい川」ないしは「偉大な川」という意味です。 イロコイ族が使っていた「ohi-yo」から派生したといわれます。この川はオハイオ川(Ohio River)のこと。オハイオ州はこの川とエリー湖(Lake Erie)との間に囲まれています。州都はコロンバス(Columbus)です。

これまで8人のオハイオ州出身が合衆国大統領となっています。ウィリアム・ハリソン(William Harrison)、ユリシーズ・グラント(Ulysses Grant)、ラザフォード・ヘイズ (Rutherford Hayes) 、ジェームズ・ガーフィールド(James Garfield)、ベンジャミン・ハリソン(Benjamin Harrison)、ウィリアム・マッキンリー(William McKinley)、ウィリアム・タフト(William Taft)、そしてウオレン・ハーディング(Warren Harding)です。グラントは浜離宮恩賜庭園で明治天皇に謁見したことがあります。1964年以降の大統領選挙では、オハイオ州で勝利した候補が大統領に当選しています。「オハイオ州を制するものが大統領選を制す」といういわれる所以です。ついでながら、1872年に最初の女性大統領候補になったのがオハイオ州から出馬したヴィクトリア・ウッダル(Victoria Woodhull)です。

オハイオは全米有数の工業州で、クリーブランド(Cleveland)、ヤングスタウン(Youngstown)の他、自動車用ガラスのオレド(Tredo)、自動車用タイヤのアクロン(Acron)がその中心です。プロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble)やグッドイヤー(Goodyear) の本社があります。オハイオ州は農業も盛んです。トウモロコシの生産は全米三位で大豆の栽培でも知られています。

州のニックネームは「Buckeye State」。「Buckeye」とは州内で豊富に繁茂し灰色の樹皮を持つトチノキのことです。もう一つのフレーズに「大統領を生んだ母」(Mother of Presidents)というがあります。前述した大統領を輩出したことを形容した言い回しです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その35  The Peace Garden State

ノースダコタ州(State of North Dakota)は北はカナダ連邦のサスカチュワン州(Province of Saskatchewan)およびマニトバ州(Province of Manitoba)、西はモンタナ州(Montana)と、南はサウスダコタ州(South Dakota)と接し、東はミネソタ州(Minnesota)に接しています。州都はビスマーク(Bismarck)で、人口最大の都市はファーゴ(Fargo)となっています。「Dakota」という名称は、 アメリカ・インディアンのダコタ族が使っていた「仲間」の意味に由来します。

ノースダコタ州で原油の生産が開始されて60年余りといわれます。しかしバッケンエリア(Bakken area)のオイルシェールブーム(Bakken Oil Shale Boom)により国内有数の陸上産油地域となって、同州が米国第 4 位の石油産出州に浮上します。この間、わずか10年あまりのことでです。バッケンシェールオイル層(Bakken Shale Oil Layer)とその下部のシェールオイル層は、サスカチュワン州、マニトバ州、そしてモンタナ州、サウスダコタ州、ノースダコタ州を取り囲むように存在しているといわれます。掘削量の増大には、水平坑掘削技術や水圧破砕法などの技術革新が貢献しているようです。

オイルシェール田の開発はノーダコタの経済に大きく貢献していますが、ノースダコタ州は伝統的に複数の作物の生産で全国の首位に立っています。小麦は全米の58%、および硬質赤色の春小麦は全米の48%、各種小麦を合わせた量では全米の15%を占めるほどです。キャノーラ油で知られる菜種、大豆、ヒマワリなどの栽培も盛んです。

州のニックネームである「Peace Garden State」の由来です。長年、隣のマニトバ州との間で友好的な関係を維持しています。1932年に「International Peace Garden」がマニトバ州境に建設されたことからこのニックネームが採用されたとあります。他のニックネームとして「The Flickertail State」というのもあります。リスが多く生息しているか                     らです。「Flickertail」とはひらひらと持ち上がった尻尾という意味です。

上の建物はスカンディナヴィア歴史遺産公園にあるノールウェイの代表的な建物です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その34 The Tar Heel State

ビジネス以外の日本人には少々馴染みの少ない州かもれしません。しかし、アメリカで非常に活気ある州がノースカロライナ州(The State of North Carolina)です。州都はラレイ(Raleig)、最大都市はシャーロット(Charlotte)です。1584年エリザベス1世が探検家ウォルター・ラレイ卿(Sir Walter Raleig)に現在のノースカロライナの土地の特許を与えます。州都名の由来となります。

1663年に国王チャールズ2世(Charles II)が、植民してきたイギリス人に北アメリカ大陸における新しい植民地を始めるための土地勅許を与えたことが、ノースカロライナの領域を定めた出来事です。チャールズ2世はその地を父のチャールズ1世の栄誉を称えて「カロライナ」と命名したとあります。

ノースカロライナ州は、過去50年間で農林業からバイオテクノロジーや金融分野など多様な経済に転換してきました。科学技術、研究調査、及び銀行業は特に合衆国でニューヨークに続き2番目に大きな金融センターとして地位を築いたのがシャーロットです。さらにラレイ、ダーム(Durham)、チャペルヒル(Chapel Hill)の三都市を中心にリサーチ・トライアングル(Research Triangle)地区を形成し、経済的に大躍進を遂げます。デューク大学(Duke University)、ノースカロライナ大学(University of North Carolina at Chapel Hill)、ノースカロライナ州立大学(North Carolina State University)の三つの大学と数十の民間や公営の研究機関からなる研究学園都市を形成しています。

ノースカロライナ州の農業生産品は家禽及び鶏卵、牛、タバコ、豚、牛乳、苗床、葡萄、並びに大豆などです。タバコの生産量は全米一となっています。ノースカロライナ州で忘れてはならないのがライセンスプレートに記される「First in Flight」のいわれです。1903年12月にノースカロライナ州のキルデビルヒルズ (Kill Devil Hills)でライト兄弟(Wilbur Wright and Orville Wright)が最初の飛行機を飛ばしたのです。

終わりになりましたがノースカロライナ州のニックネーム「Tar Heel State」について触れることにします。「Tar」とはタール、 「Heel」はかかとという単語です。ノースカロライナ州は松の木が豊富に獲れるところです。タールやテレピン油といったネバネバした液がでます。これがかつて大量に輸出された経緯があります。特に海軍からの発注が多かったといわれます。南北戦争の際、南軍兵士は連邦軍に対峙してかかとにタールが塗ってあるように、一歩も引くことがなかったという伝説です。これが「Tar Heel」を広めることになったようです。

成田滋のアバター

綜合的な教育支援の広場

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その33 The Empire State

1609年にイギリスの探検家、ヘンリー・ハドソン(Henry Hudson)が大西洋を渡り、今のハドソン川(Hudson River)として命名されます。もともとニューヨーク(New York)はオランダの植民地です。ニュー・ネーデルランド(New Netherland)となります。さらに1624年にオランダの西インド会社が今のマンハッタン島(Manhattan)にいた先住民族のアルゴンキン族(Algonquian)から同島を購入し、ニュー・アムステルダム(New Amsterdam)と名付けます。これがヨーロッパからの移民が定住する出来事です。1664年にイギリスは艦隊を派遣し、ニュー・ネーデルランドを無血占領して、北イングランドのヨーク公(Duke of York)にちなんでNew Yorkと名付けます。

ニューヨーク州の現在です。ニューヨーク市や五大湖沿岸の工業都市と中心とする商業、金融、保険、通信、輸送、公営事業、建設業、製造業など全米でも占める比重は大きいものがあります。ですが農業もまた肥沃な土壌と発達した交通機関、広大な市場に近い条件に恵まれていて、古くから農業州としても知られています。農業収入で酪農による所得が最も多く、州全体の収益の二分の一を占めています。次いで家畜、鶏卵などの畜産物、果実、野菜なも重要な産物となっています。

ニューヨーク市のことです。今は世界的な大都市として発展しています。発展の理由は文化的、人種的な多様性もさることながら、恵まれた自然条件にあるようです。古生代の岩盤のゆえに高層建築を可能としています。セントラルパーク(Central Park)には多くの岩盤が露出しています。さらにハドソン川は河口から200キロ上流まで川幅や深さが変わらないために、外洋船が遡行できる港湾都市となっています。

ニューヨーク州のニックネームは「The Empire State」となっています。少々いかつい印象を受けますが金融などで世界の中心ですから仕方ないですね。「The Excelsior State」という名もあります。「向上し続ける州」という意味です。「Knickerbocker State」というニックネームもついています。「Knickerbocker」とは「オランダ系移民の子孫」という意味だそうです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その32  The Land of Enchantment

「魅了してやまない州」(The Land of Enchantment)というニックネームを持つのがニューメキシコ州(State of New Mexico)です。美しい風景や由緒ある歴史を意味し、この名称は1999年に議会によって正式に認証されます。

1608年頃、ロッキー山脈(Rocky Mountains)の南端にある支脈サングレ・デ・クリスト山脈(Sangre de Cristo Mountains)の麓にサンタフェ(Santa Fe)の町が設立されます。この町は地域内の開拓地の大半とともに、プエブロの反乱(Pueblo Revolt)の結果として、12年間スペインから見放されます。

その後、プエブロ(Pueblo)の指導者ポペ(Pope)の死後、ディエゴ・デ・バルガス(Diego de Vargas)がこの地域をスペインの支配下に戻します。サンタフェが交易の中心として発展する一方で、戻ってきた開拓者が1706年に既にあった周辺集落からアルバカーキ(Albuquerque)をつくります。アルバカーキという名前はヌエバ・エスパーニャの副王第10代アルバカーキ公爵(10th Duke of Alburquerque)フランシスコ・フェルナンデス・デ・ラ・クエバ(Francisco Fernández de la Cueva)にちなんで名付けられたものです。

ニューメキシコ州は、インディアンとスペイン系の植民者とラテンアメリカからの移民を合わせたヒスパニック(Hispanic)系の人口の最も多い州といわれます。また、ナバホ族(Navajo)やアパッチ族(Apache)、プエブロ族など「インディアン」として連邦認定されたインディアンたちの居留地が存在しインディアンの総人口に対する比率が高いことで知られています。

州都はサンタフェ、最大の都市はアルバカーキです。州北部のロスアラモス(Los Alamos)には、マンハッタン計画(Manhattan Project)で知られるロスアラモス国立研究所(Los Alamos National Laboratory)があります。物理学を専攻していた長男らとアルバカーキで会い、この国立研究所を見学したことがあります。院生らとも行ったのは1998年頃です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その31 The Garden State

ニュージャージー州(State of New Jersey)の州都はトレントン(Trenton)で、最大の都市はニューアーク(New Ark)です。北大西洋岸に位置し、ニューヨークやフィラデルフィア(Philadelphia)大都市圏に近いのが特徴です。もともとイギリスから最初に独立した13州のうちの1つであり、州名はイギリス海峡に位置するチャンネル諸島Channel Islands)のジャージー島(Jersey Island)に由来するといわれます。

最初にニュージャージー地に足を踏み入れたのは故国イングランドを追われ、新大陸にやってきたクエーカー教徒(Quakers)です。教徒たちは1679年に植民地を建設します。1719年、町は周辺の大地主であったウィリアム・トレント(William Trent)で、その名から後にTrentonと命名されたとあります。クエーカー教徒の他に、ニューイングランドの福音主義者達、スコットランドの長老派教会員(Presbyterian)やオランダ改革派教会員(Dutch Reformed Christians)など多様な宗派が入植したのがニュージャージー州です。

北東部はゲイトウェイ地域(Gateway Areas)と呼ばれ、住人の多くがニューヨーク市(City of New York)に通勤しています。ニュージャージー州とニューヨーク市は多くの橋やトンネルで繋がれているからです。なかでもハドソン川(Hudson River)に架かる吊り橋のジョージ・ワシントン・ブリッジ(George Washington Bridge)は一日30万台の車が通る世界で最も忙しい橋といわれます。

発明家トマス・エジソン(Thomas Edison)はニュージャージー州で活躍した発明家です。ウエストオレンジ(West Orange)という街に研究所を有し1,093の特許を取得します。アメリカの産業革命にも影響を与えた稀有の発明家といえましょう。

「Garden State」というニックネームはニューヨークなどの大都市に野菜等を供給する農場を有していることから命名されたといわれます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その30 The Granite State

ニューハンプシャー州(State of New Hampshire)はかつてイギリスの13の植民地の一つでありました。1623年にイギリス人がポーツマス(Portsmouth)近辺に漁業と交易のため入植し、 1641年マサチューセッツ湾植民地に編入し、1679年にイギリス王領植民地となります。

ニューハンプシャーは1776年1月にイギリスと訣別したイギリス領北アメリカ植民地として最初のものとなり、その6か月後には独立宣言を発して、アメリカ合衆国を構成した植民地の1つとなります。州都はコンコード市(Concord)で最大の都市はマンチェスター(Manchester)です。州のモットーは「自由よ、さらば死を。(”Live Free or Die”)」で、自動車のライセンスプレートにも表示されているフレーズです。

州域には花崗岩が広く分布しています。これがニックネームの由来です。氷食を受けた古期アパラチア山系の一部で,約 1,300の湖沼があり,平均海抜高度は約300mという平野がひろがります。

ヨーロッパ人が入ってくる以前、アルゴンキン語族の様々な部族、例えばアベナキ族(Abenaki,)、ペナコック族(Pennacook)などが住んでいいました。1600年から1605年にイングランド人やフランス人の探検家が訪れ、1623年にはイングランド人漁師がオディオーンズポイント(Odiorne’s Point) に入植します。最初の恒久的な開拓地は、現在のドーバー市(Dover)であるヒルトンズポイント(Hills Point)でした。

1905年8月、合衆国大統領セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の仲介により、ポーツマス(Portsmouth)の海軍造船所内で講和会議が開かれ、ポーツマス条約(Treaty of Portsmouth)が同年年9月5日に調印されます。この町の近くに長男の嫁の両親が住んでいたので、ポーツマス市内の小さな博物館で日本の全権大使である小村寿太郎やロシアの大使ウィッテ(Sergei Yuljevich Witte)の写真などを見たことがあります。この博物館にはポーツマス条約の展示物が沢山あります

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その29 The Silver State

1950年代、新聞やラジオで盛んに原爆実験が報道されていました。これが私がネバダ州(The State of Nevada)を知ったきっかけです。ラスベガス市の北西にあるネバダ核実験場(Nevada Test Site)で、地下実験を含める928回も行われたというのです。1954年3月に太平洋上マーシャル諸島(Marshall Islands)ビキニ環礁(Bikini Atoll)での水爆実験で、マグロ漁船の第五福竜丸が死の灰を浴びました。無線長の久保山愛吉氏が亡くなり大きな社会問題となりました。

ネバダ州とは、近くにあるシエラネバダ山脈(Sierra Nevada)からつけられます。「Sierra Nevada」とはスペイン語で「雪に覆われた山脈」を意味するといわれます。辞書には「Sierra」とはのこぎり状の山脈とあります。ネバダ州都はカーソンシティ市(Carson City)です。

最大の都市はラスベガス(Las Vegas)となっています。「Vega」とはスペイン語で「沖積平野 」を意味するとありますが、ラスベガスが不毛の地のように感じるのですが、、、主産業は合法化されたカジノ(casino)を代表とする娯楽産業と鉱業となっています。

ネバダ州のニックネームは「銀の州」(The Silver State)とあるように、昔からこの州は鉱業で発展した経緯があります。1859年に同州のバージニア・シティー(Virginia City)で最初の銀鉱石の大規模埋蔵が確認されると大勢の人々が発掘に従事します。坑夫の大半はコーンウォール人(Cornish)かアイルランド人(Irish)であったといわれます。

ネバダ州のニックネームは、ほかに「戦闘が生んだ州」(Battle Born State)があります。1864年の南北戦争でネバダ州は北軍と呼ばれた「連合軍」(Union)に加わったことからBattle Born Stateという名がつけられたようです。もう一つのニックネームとして不毛地に育つ植物「セージブラシュ」(Sagebrush)にちなんで「セージブラシュの州」(The Sagebrush State)というのもあります。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その28  The Cornhusker State

ネブラスカ州(The State of Nebraska)は広大な農牧地を抱え、牛肉・豚肉・トウモロコシ・大豆の生産で国内最大の州といわれます。ネブラスカ州は2つの主要な地域から成っています。「大平原」(Great Plains)、もう一つは氷河によって削り取られた平原地形です。後者の地形はウィスコンシン州やミネソタ州、アイオワ州にもあり、農業や酪農を支えています。

ネブラスカ州のニックネームは「The Cornhusker State」。「Cornhusker」とは「とうもろこしの皮をはぎとる人」とか「皮はぎ機械」を意味します。文字通りとうもろこしの一大生産地となっています。

初代の植民は主にドイツ系とか東ヨーロッパの人々だったといわれます。砂漠に囲まれた平原にやってじゅて木や林の乏しい草原に家を建てます。やがて、植林に着手し、暴風林、そして果樹などを栽培するようになります。そのような歴史から、1860年代の州のニックネームに「Tree Planter’s State」という名がつけられるようになります。

私の親しかったネブラスカ大学リンカーン校(University of Nebraska-Lincoln)で教授をしていたDelwyn Harnisch氏はドイツ系の方で、小さい頃はネブラスカの大平原にあった小さな学校の複式学級で学んだといっていました。州内には今も人口が数百人の町や村が多数点在しています。Harnisch氏は2016年5月に昇天しました。

 

 

 

 

Dr. Delwyn Harnisch in memory

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その27 The Treasure State

モンタナ州(The State of Montana)は、私のウィスコンシン大学時代の指導教授 Dr. LeRoy Aserlindが眠るところです。6年余りにわたってお世話になりました。引退後はモンタナ州のリビングストン(Livingstone)という小さな町で夏はハイキング、冬はスキーを堪能されたようでした。州都はヘレナ (Helena)です。

「Montana」はスペイン語で山とか山の国を意味する 「Montana」に由来します。モンタナ州のニックネームは「Treasure State」といわれます。豊かな鉱物資源に恵まれています。入植したスペイン人はこの州を「Oro y Plata」ー金と銀と呼んでいたそうです。 アメリカ西部の多くの都市がそうであるようにヘレナも19世紀後半のゴールドラッシュ(Gold Rush)によって人が集まって発展してきた町です。多くの鉱物資源に恵まれて、このニックネームがついたのだろうと察します。モンタナ州は別称として「Big Sky Country」ともいわれます。こちらのほうがモンタナ州を形容するのに相応しいと思われます。

モンタナ選出の上院議員マイケル・マンスフィールド (Michael “Mike” Mansfield)氏のことです。愛称はマイク。1977年に引退するまでの24年間にわたって上院議員を務めます。その間1961年から1977年までの16年間、多数党である民主党上院院内総務(Senate Majority Leader)を務めます。この任期はアメリカ史上最長という記録です。1977年には、当時の大統領ジミー・カータ(Jame Carter)により駐日大使に任命されます。共和党のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)が大統領に就任しても大使を続けます。1989年までの12年間という大使在任記録も珍しいです。大統領からの信頼が厚かったことを示しています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その26  The Show-Me State

ミズリー州(State of Missouri)といえば、1945年9月、東京湾での日本の降伏調印式場となったの戦艦ミズリー号を思い出す州です。今も、真珠湾で現役(commisoned)として観光客を迎えています。州のニックネームは少々変わっています。「Show-Me State」というのです。ライセンスプレートにもこのフレーズが印字されています。

このニックネームにはいくつかの説がありますが、最もらしいのは、ミズリー州選出の上院議員だったヴァンディーア(Willard Duncan Vandiver)がフィラデルフィアで演説したときに使ったフレーズからきているという説です。
“I come from a state that raises corn and cotton and cockleburs and Democrats, and frothy eloquence neither convinces nor satisfies me. I am from Missouri. You have got to show me.”

「私はコーンや綿花、籾、そして民主党を育てるミズリーからやってきた。詭弁によって確信することも満足することもない。正真正銘、ミズリーからきたのだ。」

”ミズリーの人々はだまされることもなく保守的でもない。確かな理由がなければ信じない人々なのだ”と宣言しています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その25 The Magnolia State

ミシシッピ州(Mississippi)はメキシコ湾に臨む温暖湿潤気候が特徴で、州都で最大都市はジャクソン(Jackson)です。「The Magnolia State」とあるように、木蓮(Magnolia)で有名でコブシの香りが芳醇なことで知られる花です。17世紀から18世紀のフランスの植物学者、ピエール・マニョル (Pierre Magnol)から名付けられたといわれます。木蓮の木は恐竜が生きていた頃にも存在していたとされ、以来変わらずに美しい花を咲かせていることから「持続性」という花言葉が付けられました。「崇高」とか「気品」といった形容詞もつけられている花です。

旧石器時代の北米大陸に定住していた原始的な古代インディアンのパレオ・インディアン(Paleo-Indians)が住んで農耕を営んでいたのがミシシッピといわれます。現インディアンのチカソー族(Chickkasaw)やチョクトー族(Choctaw)、オジブワ族(Ojibwa)の祖先というわけです。「Mississippi」とはオジブワ部族語で「大きな川」という意味だそうです

この地域に入った最初のヨーロッパ人探検家はスペイン人のヘルナンド・デ・ソト(Hernando de Soto)です。彼はインカ帝国を滅ぼした探検家としても知られています。1504年には、ミシシッピはスペイン、フランス、イギリスの各植民地政府が支配します。さらに労働力としてアフリカ人奴隷を輸入していきます。フランスとスペインの統治下では、自由有色人階級が発展し、その大半はヨーロッパ人と奴隷化された女性とその子供達の多人種の子孫といわれます。

ミシシッピ川は12月から6月にかけて北部州の雪解け水が増加し洪水を起こしてきました。こうしてミシシッピ川の支流流域を含めたデルタ地帯に肥沃な洪積平野を作り上げ、綿花の栽培が盛んになりました。しかし、洪水やハリケーン、綿花の価格低下、労働力の流失などにより税収が減り、今は連邦政府補助金に頼る状況が続いています。

ミシシッピ州はブラックベルト(Black Belt)に属し、黒人多数派の時代が南北戦争前から1930年代まで続きます。今でもアフリカ系アメリカ人は人口の約37%を構成しています。南北戦争後は、40万人近いアフリカ系アメリカ人が北部や中西部および西部へ新たな機会を求めて移住したとあります。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その24 The North Star State

ミネソタ州(State of Minnesota)の名前の由来ですが、先住民族であったダコタ族(Dakota)語で「Mní sota」と呼ばれ、澄んだ青い水(clear blue water)」といわれてきました。ニックネームは「North Star State」。その他にも「Land of 10,000 Lakes」とか「Gopher State」、「Bread and Butter State」とあります。

Hubert Humphrey

州都はセントポール市(St. Paul)で隣あわせのミネアポリス市(Minneapolis)が最大の都市です。「双子の都市ーTwin-Cities」と呼ばれています。住民の大半はドイツやスカンジナビア半島(Scandinavia)から移民してきた人々の子孫といわれます。前者は37.9%、後者は32.1%に及びます。アイルランド系は11.7%となっています。その理由はミネソタ州は大陸性気候で、寒冷な冬と暑い夏といったように北ヨーロッパと似ていることがあります。

ミネソタ州は1976年以来一貫して大統領選挙では民主党候補を選んでいます。この事実はどの州の実績よりも長いことで知られています。第38代合衆国副大統領ヒュバート・ハンフリ(Hubert Humphrey)や第42代合衆国副大統領で駐日合衆国大使を歴任したウォルタ・モンデール(Walter Mondale)はミネソタの出身です。

ミネソタ州に基盤を置く企業として穀物会社カーギル(Cargill)があります。穀物メジャーで、現在は精肉、製塩など食品全般及び金融商品や工業品にビジネスを広げています。世界の穀物取引を事実上支配しているともいわれています。穀物を支配するのは、国防と同じように世界を支配するのです。カーギルは独自の衛星を有し、世界中の農産物の生育状況のデータを収集しています。そのため、穀物の先物取引などで優位に立つことができるのです。

成田滋のアバター

綜合的な教育支援の広場

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その23 The Wolverine State

ミシガン州(Michigan)のニックネームは「The Wolverine State」。「Wolverine」とは 北米やユーラシアの寒いところに住むイタチ科の「クズリ」という動物です。どう猛で破壊的な性格があるといわれます。「Wolverine」はミシガン大学(University of Michigan)のマスコットにもなっています。なぜか各州は動物の名前をニックネームにするところが多いようです。ライセンスプレートには「Great Lake State」と印字されています。

ミシガンは北はカナダと国境を接しミシガン湖(Lake Michigan)、スペリア湖(Lake Superior)、ヒューロン湖(Lake Huron)、エリー湖(Lake Erie)を抱え、西はウィスコンシン州、南はインディアナ州とオハイオ州に接しています。四つの湖に囲まれるという地の利が自動車産業を支えてきたのがミシガン州です。ゼネラルモーターズ(GM)、フォード(Ford)、クライスラー(Chrysler)のビッグスリーの本社がデトロイト(Detroit)とその近郊にあります。州都はランシング(Lansing)。デトロイト国際空港は6本の滑走路を有し、デルタ(Delta)航空のハブ空港となっています。

ミシガンは四つの湖に囲まれた湖岸線に囲まれ「Water Wonderland」とも呼ばれています。約11,000の湖沼や多くの河川を抱えるのは、かつての氷河が退行した後にできた地形だからです。北部は広大な森林地帯となり林業が盛んです。加えて農業もミシガンの産業です。主要な農産物ですが、とうもろこし、大豆、温室栽培、牛肉、じゃがいも、チェリー、ブルーベリー、リンゴ、いちご、梨などの果物の産地として知られています。

経済の中心はなっといってもデトロイトです。自動車産業の他にも多くの企業があります。例えば穀物のケロッグ(Kellogg)、ダウ・ケミカル(Dow Chemical )、ワールプール(Whirlpool)、アムウェイ(Amway)などの本社もここにあります。