アメリカ合衆国建国と植民地時代の歴史 その119 製造業の発展

注目

 1800年代は、産業が地理的に広く発展していたことも特筆されます。マサチューセッツ(Massachusetts)からペンシルベニア(Pennsylvania)にかけての東海岸は、引き続きアメリカで最も工業化の進んだ地域で、さらに五大湖に隣接する州や南部の一部地域でも製造業が大きく発展していきます。

 鉄鋼業は、このような企業の新しい拡散のパタンを反映していきます。鉄鋼業の3分の2は、ペンシルベニア州西部とオハイオ州東部の地域に集中していました。しかし、1880年以降、ミネソタ州北部のバーミリオン山脈 (Vermilion Range)、1892年メサビ山脈(Mesabi Iron Range)、テネシー州、アラバマ州北部での鉄鉱山の開発に続き、シカゴ周辺で鉄鋼業が拡大し、アラバマ州北部とテネシー州に製鉄所が建設されます。

 中西部の製造業のほとんどは、農業と密接に関連した企業であり、1860年以前に設立された産業の拡大版といえます。1875年以降、食肉加工業はその製品価値から見てアメリカの主要産業のひとつとなりますが、その大部分はシカゴに集中しており、ほぼ中西部の独占的産業といえるものでした。製粉、醸造、農業機械や木材製品の製造も中西部の重要な産業となります。

 南部への産業進出は、繊維産業が先鞭をつけます。綿花工場は新南部のシンボルとなり、ヴァジニアからジョージア、アラバマに至るピードモント地方(Piedmont)に工場や工場町が生まれます。1900年までには、全米の綿紡績のほぼ4分の1が南部で行われ、南部の工場は、ニューイングランドの老舗の競合他社よりも急速に事業を拡大していきます。南部での製材業の発展はさらに目覚ましいものでしたが、あまり一般には知られていませんでした。世紀末には、南部は製材業で全土をリードし、年間供給量のほぼ3分の1を占めるまでになったのです。

 アメリカ中西部はアメリカの「Heartland」(心臓部)と呼ばれ、鉄鋼業、食肉加工業、自動車業、農業、酪農、金融業などでアメリカ経済を支えています。

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