懐かしのキネマ その48 【スターリンの葬送狂騒曲】

イギリスやフランスで作られた歴史ドラマには、なかなか興味深いものがあります。2017年に製作されたコメディ【スターリンの葬送狂騒曲】(The Death of Stalin)もそうです。題名が凄いですね。独裁者スターリン(Iosif Stalin)の死によって引き起こされるソビエト連邦政府内の権力闘争をコミカルに、しかも辛辣に描いた作品です。ロシアで上映禁止となるほど話題を集めたブラックコメディ(Black Comedy)を紹介します。

舞台は1953年の旧ソビエト連邦です。粛清という恐怖で国を支配していた絶対的独裁者スターリンが寝室で休んでいたとき、発作を起こし昏睡状態に陥いります。卒倒したスターリンの周りに、ソビエト連邦共産党の幹部たちが次々に駆けつけてきます。粛清によって有能な医師がいなくなっていた中、経験不足の若手や引退したやぶ医者までかき集めて何とか編成した医師団と看護師が、スターリンを診察します。そして「スターリンは脳出血により右半身麻痺の状態、回復の見込みはない」という医師たちの診断に、次期最高権力者の座を狙う側近たちは驚喜します。

表向きは厳粛な国葬の準備を進める一方、その裏では側近たちが後釜を狙い熾烈な争いを繰り広げていきます。スターリンの腹心だったマレンコフ(Georgy Malenkov)、中央委員会第一書記のフルシチョフ (Nikita Khrushchev)、大粛清の主要な執行者といわれたベリア(Pavlovich Berija) が3大トップとなります。そこにソ連軍最高司令官で大戦の英雄であるジューコフ(Georgy Zhukov) までが権力争いに参戦してきます。

葬儀の当日も、スターリンの遺骸の周りに立つ幹部たちは他のメンバーに対する悪口を言い合います。ベリヤが弔問客に教会の関係者を含めたことについて、フルシチョフらは「スターリン主義に反する」とさや当てする始末です。最高司令官でジューコフと組んだフルシチョフは、マレンコフを除く他の共産党幹部の同意も取り付け、ベリヤの失脚に向けた準備を進めます。葬儀後に開かれた幹部の会議でフルシチョフがベリヤの解任を提議します。ジューコフら軍人によってベリヤは連行され処刑されます。

コント的な笑いが随所にあります。スターリンが倒れ失禁します。そこに医者を呼ぼうにも名医はすでに処刑されヤブ医者しか集められないという話、閣僚会議で互いの出方をうかがって手を挙げたり下げたりで、恐怖政治が生み出した不条理な状況を笑いとペーソスで演出する映画です。

懐かしのキネマ その47 【誰がために鐘は鳴る】

1943年にゲイリー・クーパー(Gary Cooper)とイングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)が主演した映画です。原作は1940年にアーネスト・ヘミングウェイ(Earnest Hemingway) が発表した長編小説【誰がために鐘は鳴る】(For Whom the Bell Tolls)で、それを映画化したものです。

1936年7月、フランコ将軍(Francisco Franco) の率いる右派将軍たちの反乱をきっかけにスペイン内戦(Spanish Civil War) が勃発します。地主、貴族、資本家、カトリック教会などの保守勢力が反乱軍を支援したため、この反乱はスペインを二分するスペイン内戦に発展します。その後、フランコは枢軸国のドイツやイタリアの支援を受けて共和国派=反ファシスト (anti-fascist) の政府勢力と戦い、最終的に反乱を成功に導きます。

この内乱下のスペインで反ファシスト軍の一員としてスペイン内戦に参加したのが、カレッジでスペイン語を教えるアメリカ人ロバート・ジョーダン(Robert Jordan) です。内乱によって自由と正義が脅かされるのを黙認できず、共和国派の義勇軍に身を投じ、ゲリラ隊を(guerrillas)率います。敵の輸送路を断つために戦略上重要な橋梁を爆破する任務を背負います。

共和国派の村長を父にもったスペイン娘がマリア(Maria)です。暴徒のために髪を刈り取られ凌辱されますが、ジプシー(gypsy) の仲間に救われ、やがてロバートに情熱を寄せ二人は恋に落ちるのです。山中の洞窟にひそむジプシーの頭目がパブロ(Pablo) です。寄る年とともに、弱気になり我が身の安全ばかりをはかり、ロバートと反目します。パブロの妻はピラール(Pilar) といい、熱烈な共和派の支持者で陽気なジプシー女です。進んで銃をとりゲリラ戦に加わります。夫に代わってジプシーの頭目となります。

ロバートはゲリラ作戦を進めていくうちに、敵の作戦が変更となり、自分の任務である橋梁の爆破が無意味になることを知るのです。しかし連絡の不備から作戦は中止されず、彼は爆破が無駄になることを知りながら橋梁を爆破し、瀕死の重傷を負い、マリアらの仲間を逃がして士官に率いられた反乱軍の一隊を待ち伏せます。

懐かしのキネマ その46 【マディソン郡の橋】

クリント・イーストウッド(Clint Eastwood) が製作・監督・主演を務めて映画です。原作はロバート・ウォーラー(Robert Waller)の小説『マディソン郡の橋』(The Bridges of Madison County) です。大人のラブストーリーで、世界的に大ヒットします。アイオワ州(Iowa)にある屋根付きの橋が小説の舞台です。

アイオワ の小さな農場で主婦フランチェスカ・ジョンソン(Francesca Johnson)は、結婚15年目で単調な日々を送っています。ある日、夫リチャード (Richard)と二人の子どもたちが子牛の品評会(Fair) のため隣州へ出かけ、彼女は4日間、一人きりで過ごすこととなります。そこへ一人の男性が現れ道を尋ねるのです。彼はウィンターセット(Winterset) に点在するカバードブリッジ(Covered Bridge)のひとつ、ローズマン橋 (Roseman Bridge)を撮りにやってきたナショナルジオグラフィック(National Geographic) のカメラマン、ロバート・キンケイド(Robert Kincaid)です。

彼の魅力に惹かれたフランチェスカは、彼を夕食に招待します。そこから距離が縮まり、二人はデートの末、許されないと知りつつ恋に落ちそのまま結ばれます。最後の夜、「一緒に来て欲しい」と誘うロバートに、フランチェスカは荷物をまとめますが、ロバートは一人で去っていきます。数日後、リチャードと共に街に出かけたフランチェスカは雨の中、彼女を見つめ立ち尽くすロバートの姿を見ます。フランチェスカは乗っていた車のドアに手をかけ、彼の許へ行こうとしますが思い留まります。

1979年、夫のリチャードが亡くなり、フランチェスカはロバートに連絡をとろうとしますが、消息はわかりません。数年後に、ロバートの弁護士からフランチェスカの手許に遺品が届きます。そこには、手紙やフランチェスカが彼に手渡したネックレスとともに『永遠の4日間』という写真集が入っています。

1989年の冬、母の葬儀のために集まった長男のマイケル(Michael)と妹のキャロリン(Carolyn) が、母フランチェスカの遺書とノートを読みます。「火葬にしてローズマン橋から灰を撒いてほしい」というものです。フランチェスカのノートには「人生の全てを家族に捧げた。せめて残りの身は彼に捧げたい」という遺志が記されています。平凡だと思われていた母親の秘められた恋を兄妹は知ることになります。ようやくその遺志を理解し、後日2人の手で、彼女の遺灰はロバートの遺灰と同様、ローズマン橋の上から撒かれます。

懐かしのキネマ その45 【クレイマー、クレイマー】

離婚と親権という、現代社会が避けて通れない問題を取り上げた家庭劇が『クレイマー、クレイマー』(Kramer vs. Kramer)です。舞台はニューヨーク (New York)・マンハッタン(Manhattan)。仕事熱心の会社員テッド・クレイマー(Ted Kramer)と、家事と育児に励むジョアンナ・クレイマー(Joanna Kramer )夫婦がいます。二人は8年前に結婚し、5歳になる息子のビリー(Billy) がいます。仕事に夢中のテッドに、ジョアンナは愛情を感じなくなっていきます。このままでは自分がダメになってしまうと考え、逃げるように家を出ます。

その後、カリフォルニア(California) でセラピストとして働きながら、ビリーに対しては何通かの手紙を出します。ジョアンナは自分を取り戻し、再びビリーへの愛情に気づいていきます。テッドは、息子ビリーと戸惑いながらも父子二人きりの生活を始めます。息子の朝食を作り、学校まで送った後、自らは急いでタクシーで会社へ向かうのです。ジョアンナが出奔してから1年半の間に、家事と育児に精を出すテッドです。

そんなある日、ビリーがジャングルジムから転落し大怪我を負ってしまいます。そのうえ息子に気を取られ仕事に身が入らないテッドは、会社から解雇されてしまうのです。ジョアンナはニューヨークに戻ります。テッドがビリーを学校に送る様子を近くのカフェから眺め、テッドにその姿を見られます。ジョアンナはテッドをレストランに呼び出し、ビリーを引き取りたいと申し出るのです。テッドは怒りをあらわにして取り合わないため裁判となります。

ジョアンナのカリフォルニアへの出奔中に成立させた離婚で息子の養育権はテッドに渡すと認められます。ジョアンナは、母性を盾に養育権の奪還を裁判所に申し立てるのです。テッドは弁護士に相談するも、失業中のために養育権を勝ち取る見込みはほとんどなくなります。裁判の前にどうしてもビリーと会いたくなったテッドは、弁護士を通してビリーと1日を過ごせるようになり、セントラルパーク(Central Park) で再会したビリーを抱きしめるのです。

裁判でジョアンナは、テッドとの結婚生活が不幸で追いつめられており自殺寸前だったこと、自分に欠点があると考えて子どもを置いていったこと、今は立ち直って仕事もしていることを語り、ビリーは母親の元で育てられるべきと主張します。他方で、テッドの弁護士からは、テッドとの関係がうまくいかなかったことから、ビリーをきちんと育てられる保証はないと責められて涙を流す姿を見せます。結局テッドは「子の最良の利益(best interest of the child)」の原則により敗訴し、ビリーの養育権はジョアンナのものとなります。

裁判が終わり養育権者への引渡しの時がきます。ビリーをジョアンナに引き渡す日の朝、テッドは最初のころは上手くつくれなかったフレンチトーストをつくり、ビリーと二人で最後の朝食をとります。ジョアンナからの電話でテッドがアパートの階下に降りると彼女は思いつめたかのように呟きます。「ビリーは引き取らないわ。その代わり、時々会っても良いかしら? 上に行ってビリーと話してもいい?」。二人は、法廷での激しい応酬を忘れ感極まって抱擁するのです。

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懐かしのキネマ その44 【誇り高き戦場】

戦争において音楽を取り上げた映画は多数作られています。私がその中で印象的だと思う作品の1つに『誇り高き戦場』(Counterpoint)があります。監督は既に紹介した「野のユリ」(Lilies of the Field)を製作したラルフ・ネルソン(Ralph Nelson)、主演はチャールトン・ヘストン(Charlton Heston)やマクシミリアン・シェル(Maximilian Schell)らです。

大戦終了間際の1944年12月、名指揮者ライオネル・エヴァンス (Lionel Evans) が率いる交響楽団は、米軍慰問協会主催のコンサートのためにベルギー(Belgium) に向かいます。しかし、演奏中にドイツ軍が反撃を開始し楽団は移動を余儀なくされます。その移動中に楽団員が乗るバスがドイツ軍に囲まれ、楽団はドイツ軍の指令本部に連行されます。

指令本部で、処刑が趣味であるドイツ軍のアーント大佐(Colonel Arndt)によって楽団員は処刑されそうになります。司令官であるシラー将軍 (General Schiller) はそれを阻止します。そしてシラー将軍は、エヴァンスに兵士の士気を高めるために演奏するように頼むのですが、エヴァンスは拒否し、楽団は地下に監禁されてしまいます。楽団員は、演奏を拒み続けるエヴァンス抜きでリハーサルを始め、コンサートマスター(concert master)であるヴィクター・ライス(Victor Rice)が代わりに指揮をします。そこにシラー将軍が来て、エヴァンスの指揮でないと意味はないと言い張るのです。ヴィクターの妻であるアナベル(Annabelle)がエヴァンスを呼び戻し、エヴァンスはようやくリハーサルの指揮をすることになります。彼は楽団員とともに計画を立て脱出しようとしますが、計画は失敗に終わります。

翌日、エヴァンスは時間稼ぎのため、シラー将軍にコンサートで演奏することを受け入れ、その日の夜、楽団は演奏を始めます。演奏が終わると、楽団員はアーント大佐によって墓の前に立たされ処刑されようとするのですが、直前にパルチザン(Partisans) が駆けつけ処刑を免れます。そして、楽団員はバスに乗り脱出に成功しますが、エヴァンスは残りアーント大佐と対決します。そこにシラー将軍が現れ大佐を射殺するのです。

懐かしのキネマ その43 【西部戦線異状なし】

第一次世界大戦におけるフランスとドイツ国境での戦いは、いろいろなメディアで紹介されています。その1つがNHKで放映された「映像の世紀」です。第1次世界大戦から、第2次世界大戦、東西冷戦からベトナム戦争、民族紛争へと続く、激動の20世紀を描き出しています。「映像の世紀」の第2集「大量殺戮の完成」では、第1次世界大戦における機関銃、戦車、飛行船による空爆、毒ガス兵器など、大量殺戮兵器の実態が描かれています。

エーリヒ・レマルク(Erich Remarque)は、1929年に『西部戦線異状なし』(All Quiet on the Western Front)という長編小説を発表し、第一次世界大戦のドイツ軍のフランス戦線を描きます。この小説が1930年に映画化されます。本作が訴えた反戦思想は、数多くの戦争映画に多大な影響を与えた古典的名作です。監督のルイス・マイルストン(Lewis Milestone)は、イデオロギーや戦争理念等の国家思想を極力排除し、純粋な戦場映画に仕上げています。

この映画の荒筋をWikipediaを参照しながら、簡略に記述してみます。ドイツ軍への学生志願兵ポール・ボウマー(Paul Baumer)は、厳しい新兵訓練に耐え、フランス軍との前線になっている西部戦線へ赴きます。爆発音がするたび怯えるポールたちに、古参兵は危険な砲弾の見分け方について教えます。戦友の1人が砲弾の犠牲となり死亡します。ポールたちは戦場の過酷さを思い知らされます。他の隊への移動が決まり、ポールたちは塹壕で待機する日々を過ごすことになります。断続的な砲弾の音に恐怖し、次第に皆ストレスを募らせ、精神に異常をきたした友人は塹壕から飛び出し、重傷を負ってしまいます。フランス軍との実戦では、機関銃や銃剣、手榴弾を駆使して徹底的に殺し合う白兵戦です。

戦闘中、砲弾を避けるため窪みに潜んでいたポールは、そこへ飛び込んできたフランス兵を刺してしまいます。フランス兵は虫の息ながらまだ生きています。罪悪感に苛まれたポールは必死に看病するのですが、朝になってフランス兵は息を引き取ります。ポールが彼の胸元から支給袋を取り出すと、そこには妻と娘とおぼしき写真が挟まれています。ポールは遺体に向かって、必ず家族に手紙を書くと誓い、泣きながら謝るのです。

ポールも負傷し、病院へ運ばれます。夜中に出血したポールは、死に際の患者が入れられるという「死の部屋」へ移されます。今まで誰も戻ってきたことがないといわれた部屋からポールは生還し、無事に退院します。休暇をもらったポールは実家へ帰省し、家族との再会を喜び合います。父親とその友人たちと食事へ行くと、実際の戦場の厳しさを知らない彼らは無責任な話しばかりで、耐えかねたポールは母校へと向かいます。

かつて扇動的な言葉で煽ってポールたち若者を戦地に次々と送り込んだ担任教師は、今も生徒たちを扇動しています。母校を訪れたポールをこの教師は理想的な若者だと褒め称え、生徒たちの前で話をしてほしいと頼みます。ポールは戦場の悲惨さを伝え、祖国のために命を犠牲にする必要はないと語りかけるのです。美談話を期待していた教師は怒り反論します。生徒たちもポールを臆病者だと罵しるのです。

前線へ戻ったポールは足を負傷した友人を背負い、病院へ向かいます。砲撃が続く中、ポールは気がつかず負傷兵に話しかけます。病院に着くと、兵士は既に息を引き取っていることを知らされます。戦闘へと戻ったポールは塹壕の中で、ふと視線の先に蝶を見つけ、手を伸ばそうと身を乗り出します。その瞬間、敵兵に狙撃され命を落とすのです。ポールが戦死した日の司令部報告には「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」と記載されているのです。作者のレマルクは、この言葉に戦争の不条理さを伝えています。

懐かしのキネマ その42 【卒業】

『卒業』(The Graduate)もニューシネマ(New Cinema) の代表といえるほど、映画フアンにはたいそう受けた作品です。アメリカ東海岸の有名大学陸上部のスターで新聞部長でもあったベン・ブラドック(Ben Braddock)は、卒業を機に西海岸のカリフォルニア州のパサデナ(Pasadena)へ帰郷します。ベンは、将来を嘱望されながらも浮かない虚無的な毎日を送っています。友人親戚一同が集った卒業記念パーティーで、将来を約束されたベンに人々は陽気に話しかけます。そのパーティーで、父親の職業上のパートナーであるミスター・ロビンソン(Mr. Robinson)の妻のミセス・ロビンソン(Mrs. Robinson)と再会します。卒業記念のプレゼント、赤いアルファロメオ(Alfa Romeo)でミセス・ロビンソンを送ったベンは、彼女から思わぬ誘惑を受けるのです。

二度目のデートの当日、約束の場所に来たのはミセス・ロビンソンです。彼女は自分の娘でベンのガールフレンドのエレン(Ellen)と別れるように迫り、別れないならベンと交わした情事を娘に暴露すると脅すのです。焦燥したベンはエレーンに「以前話した不倫の相手は、他ならぬあなたの母親だ」と告白します。ショックを受けたエレンは、ベンを追い出すのです。エレンを忘れられないベンは、彼女の大学に押しかけ、大学近くにアパートを借りてエレンを追いかけるようになります。結婚しようという彼の言葉を受け入れかけたある日、ベンは彼女が退学したことを知ります。そしてベンはエレンが医学部卒業の男と結婚することを知ります。

ようやく、彼女の結婚式が執り行われているサンタバーバラ(Santa Barbara)にある教会を聞きだし、そこまで駆けつけたベンは、エレンと新郎がまさに誓いの口づけをした場面で叫ぶ。「エレン、エレーン!!」。ベンへの愛に気づくエレンはそれに答える。「ベーンッ!」。ベンを阻止しようとするミスター・ロビンソン。悪態をつくミセス・ロビンソン。二人は手に手を取って教会を飛び出し、バスに飛び乗ります。バスの席に座ると、二人の喜びは未来への不安を予感するように「サウンド・オブ・サイレンス」(The Sound of Silence)が流れるのです。

懐かしのキネマ その41 【俺たちに明日はない】

「俺たちに明日はない」(Bonnie and Clyde) は、1967年に製作され世界恐慌時代にあった実在の銀行強盗であるボニーとクライドの、出会いと逃走を描いた犯罪映画です。この作品は、アメリカにおけるニューシネマ(New Cinema)の先駆的作品の1つであり、画期的な映画と評価されています。その理由は、旧来の保守的でブルジョア的な高級文化、「ハイ・カルチャー」(High culture)が誇る価値観を根本的に批判する新たな文化、カウンター・カルチャー(Counter culture)を盛り込んだ作品として登場したからです。やがて映画やテレビでは犯罪や暴力、殺人やセックスを表現することにオープンになります。芸術でいえば、アヴァンギャルド (Avant-garde)、つまり、先鋭的ないし実験的な表現を主張し、既存の価値基準を覆す思想を叫ぶのです。

『俺たちに明日はない』の荒筋です。クライド・バロウ (Clyde Barrow) は刑務所を出所してきたばかりのならず者です。平凡な生活に退屈していたウェイトレスのボニー (Bonnie) はクライドに興味を持ち、クライドが彼女の面前で食料品店の強盗を働くことに刺激されるのです。二人は車を盗み、町から町へと銀行強盗を繰り返すようになります。やがて、5人組の仲間を組織し、バロウズ・ギャング(Barrow’s Gang)という強盗団となります。当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌の下にありました。その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す強盗団は、凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞で大々的に報道されるようになります。金持ちに狙いを定め、貧乏人からは巻き上げない「義賊的な姿勢」が共感を得、世間からは世界恐慌時代のロビン・フッド(Robin Hood)として持てはやされるのです。

多くの殺人に関与し、数え切れないほど多くの強盗を犯したクライドとボニーは、遂にルイジアナ州(Louisiana)で警官隊によって追い詰められます。そして映画のエンディングは「映画史上最も血なまぐさい壮絶な死のシーンの1つ」と呼ばれるほどのシーンです。このような犯罪行為を前面に打ち出す映画は、カウンター・カルチャーの表現の1つで、仮想的権威を前提とした対抗運動でもありました。

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懐かしのキネマ その40 【渚にて】

社会派の監督といわれるスタンリー・クレイマー(Stanley Kramer)が指揮したのが、【渚にて】(On the Beach)です。時は1964年。第三次世界大戦が勃発し、核爆弾の一種であるコバルト爆弾の高放射線の広がりで北半球の大半の人々が死滅します。深海で潜行中だったために生き残ったアメリカ海軍の原潜ソーフィッシュ号 (Sawfish)は、放射線汚染が比較的軽微で南半球に位置するオーストラリア(Australia) のメルボルン(Melbourne) へ向かいます。そこでは戦争の被害を受けず多くの市民が日常を送っていますが、放射線汚染の脅威は徐々に忍び寄ってきます。渚にて

やがて、アメリカのシアトル(Seattle) 付近から、モールス信号(Morse code) のような不可解な電波が発信されていることが察知されます。生存者がいる可能性があるかもしれないので、ソーフィッシュ号艦長でアメリカ海軍中佐ドワイト・タワーズ(Captain Dwight Towers)らは、その発信源と推定されるワシントン州のアメリカ海軍通信学校へ向かいます。乗組員が防護服を着用して調査しますが生存者はおらず、ロールカーテンに吊るされたコカ・コーラの空き瓶が、風の力で電鍵を自動的に打鍵する仕組みによって断続的に電波を発信していたことが確認されます。ソーフィッシュ号はむなしくメルボルンへ帰還します。

汚染の南下が確認され、南半球の人類の滅亡も避けられないことが判明します。多くの市民は南へ逃げ延びることによる延命を選択せず、配布される薬剤を用いて自宅での安楽死を望み、覚悟して残りの人生を楽しむのです。まもなく大気中の放射線量が上昇し、被曝した急性放射線症患者らが服薬し始め、徐々に街はさびれていきます。ブリスベン(Brisbane)のアメリカ海軍から指令電報を受けてアメリカ海軍艦隊司令長官に昇進したタワーズは、オーストラリアで被曝するよりもアメリカ海軍軍人としての死を望みます。そして故国に向かおうと主張する乗組員と共にソーフィッシュ号は太平洋へ出航します。渚には彼の恋人モイラ(Moira)が見送るのです。

救世軍(Salvation Army)の旗がブリスベンの街頭にたなびきます。そこには「兄弟姉妹よ、まだ時間はあるのだ」と書かれています。

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懐かしのキネマ その39 【十二人の怒れる男】

父親殺しの罪に問われた16歳の少年の裁判で、陪審員(Jurists)が評決に達するまで一室で議論する様子を描いた作品「十二人の怒れる男」(Twelve Angry Men)を紹介します。地味な作品ですが、陪審員の評決に至る微妙な心情の変化を追求した名作です。この映画の舞台は陪審員室です。部屋には陪審員の12人の男たちだけです。

全陪審員一致で有罪とすれば、当然被告の死刑が待っています。法廷に提出された証拠や証言は少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信していました。ところが、ただ一人の陪審員だけが検察の立証に疑念を抱き、他の陪審員たちに固定観念に囚われずに証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを提案します。

陪審員の性格、信条、職業はばらばらです。率直で礼儀正しいが仲間意識を好む陪審員長、鋭い知性を持ち思慮深い者、型にはまった思考を持つ控えめな者、騒々しく興奮しやすく息子との関係に問題を抱える者、雄弁な自信家、冷静沈着で論理的に意見を者、自己中心的な威張り屋、冗談好きで野球の試合に間に合うことばかり考えている者、人種差別な側面を持つ者、自分の鋭い意見を持ち合わせていない者、知的な紳士だが気難しさを持つ者、裁判に真剣に取り組む気がない者などが陪審員として選ばれたのです。

映画の見所は、有罪だと信じ込んでいた11名の陪審員が無罪へと傾く心理的な変容です。一人の陪審員の疑問の喚起と熱意によって、少年の有罪を信じきっていた陪審員たちの心に徐々に変化が起こり、一人、また一人と無罪へと傾いていくのです。息子との関係に問題を抱えていて、被告の少年の有罪を頭から信じていた最後の一人が、遂に無罪を認めるのです。

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懐かしのキネマ その25 【用心棒】

マカロニ・ウェスタン「荒野の用心棒」 (A Fistful of Dollars) の元祖が1961年に製作された【用心棒】です。監督の黒澤明は「映画の楽しさ、面白さを思い切り出したものにしたかった。それをただ一気に、面白ろがらせておしまいまで見せてしまう。その徹底的な楽しさだけを追求してゆく作品、それもまた映画なのだと思いました」と述懐しています。【用心棒】には、剣豪のハードボイルド的な浪人、桑畑三十郎を登場させています。侍には「武士に二言はない」といった倫理のようなものがあります。しかし、この映画は侍ずくめの行動を強調し、人情とか仁義など心理的な側面を深追いしません。

冒頭で犬が無邪気に手首をくわえて走り去ります。木枯らしに舞う落ち葉、舞台は宿場町です。かっこいいマリンバが響きます。二大勢力の縄張り争いに明け暮れ、すっかり荒れ果てた小さな宿場町。そこに流れてきたのが豪腕の三十郎です。三十郎は用心棒となりますが、嫌気をさして両派を煙に巻き同士討ちを企てます。

セットに大量の砂を撒き、軽飛行機のプロペラ1基を含む扇風機を総動員して風を起こし荒れ果てた姿を演出します。刀の斬殺音を取り入れ、10秒で10人を切ってしまう素早い立ち回りです。それまでの時代劇に象徴される歌舞伎的な立ち回りではなく、残酷な描写も取り入れリアルな殺陣を追求した作品です。撮影には望遠レンズを多用し、遠近法を駆使して、殺陣の迫力やスピードを効果的に見せています。三船俊郎と仲代達也が競演しています。

懐かしのキネマ その37 映画と「デロリアン」

前回、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に触れました。この作品で登場したのがタイムマシンの車、デロリアン(DeLorean)です。1975年10月に、当時ゼネラルモーターズ(General Motors: GM)の副社長であったジョン・デロリアン(John DeLorean)が、理想の車を作るためと宣言してGMを辞職し、自らの名前を付与してデロリアン・モーター・カンパニー(Delorean Motor Company : DMC)という会社を設立します。本社はミシガン州(Michigan)デトロイト(Detroit)に、製造工場は北アイルランド(Ireland)のベルファスト(Belfast)におきます。

デロリアンが発表した車のモデル名は「DMC-12」といって、従来の車のデザインにはない2ドアを上下で開閉し、外部全体を無塗装ステンレスで覆うという奇抜なものです。初代のDeLoreanは8気筒で、6,500台ほどが販売されます。しかし、当時としては破格のデザインと67,000ドルという値段で、前宣伝の効果にも関わらず売れ行きがしぼんでいきます。デロリアンはやがて破産し、麻薬売買の疑いもかけられ倒産し生産が停止します。

デザインの希少性と生産終了後に大当たりとなった映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のお陰で、DeLoreanは、1980年代には、自動車マニアのコレクション対象であるカルトカー(cult car)となります。日本では、愛知県長久手市にあるトヨタ博物館で見学することができます。私も一度この車をアメリカで見たことがあります。

懐かしのキネマ その36 ハリウッドと映画 その2 五大映画製作会社

ハリウッドの歴史はアメリカの歴史そのもののような感があります。その発展を少し辿ってみます。第一次大戦のヨーロッパでは、ほとんどの国が映画製作を中止します。他方、アメリカ映画は対戦中のアメリカ資本主義の成長に劣らない勢いで膨張し発展していきます。当時、世界中の映画の80%以上がアメリカ映画だといわれます。1920年代には、ヨーロッパから才能ある監督、作曲家、俳優、技術者がアメリカに移り住んできます。こうした才能のある人々の活躍を反映してか、1920年代の末には、ハリウッドで製作されるアメリカ映画は世界映画市場の90%を占めるようになります。

ハリウッドの繁栄を評して、ハリウッドは最もアメリカ的なものの1つとなったといわれます。それを冷ややかな目で眺めていた識者もいます。例えばハリウッドを指して「蜃気楼の街」とか「夢の工場」という人々いました。次々に映画が作られる様を指摘して「まるでソーセージを生産するような所」と揶揄する人もいました。こうした批評は、映画製作の隆盛に皮肉と羨望が混じり合ったものだったろうと察せられます。

「ハリウッド映画」で、『ワーナー・ブラザース・エンターテイメント(Warner Brothers Entertainment)』や『ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ(Walt Disney Pictures)』をはじめとする6社の有名な映画制作会社が拠点を置いており、世界の娯楽産業に多大な影響力をもたらしています。その他の映画会社として『20世紀スタジオ(Twenty Century Studios)』、『ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(Sony Pictures Entertainment)』、『パラマウント映画(Paramount Pictures Corporation)』、そして『ユニバーサル・シティ・スタジオ( Universal City Studios)』が知られています。

ウォルト・ディズニー(Walt Disney)とロイ・ディズニー(Roy Disney)は創業以来、多くの傑作アニメーション映画を生み出します。1940年の『ファンタジア(Fantasia )』や『眠れる森の美女(Sleeping Beauty)』、『アナと雪の女王(Frozen)』などを製作し、1990年代に黄金期を迎えます。ワーナー・ブラザースといえば、最近では『ハリー・ポッター(Harry Potter)』シリーズが知られています。20世紀スタジオの名作といえば、『ダイハード(Die Hard)』や『プレデター(Predator)』、『エイリアン(Alien)』といった作品です。ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントは、コロンビア映画 Columbia Pictures Industries)を傘下におき、『スパイダーマン(Spider Man)』や『パイレーツ・オブ・カリビアン(Pirates of the Caribbean)』、パラマウント映画では『ミッション:インポッシブル(Mission Impossible)」、ユニバーサル・スタジオからは『ジュラシック・パーク(Jurassic Park)』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future)』などが制作されます。いずれも娯楽映画の代表作品です。

懐かしのキネマ その35 ハリウッドと映画会社 その1 なぜロスアンジェルスへ

ハリウッド(hollywood)といえば、映画産業の中心地とかアメリカ映画を指す代名詞です。カリフォルニア州のロサンゼルス市(Los Angels)にあります。hollyとはヒイラギ、柊という意味ですが、もともとはイチジクの果樹園だったそうです。20世紀の初頭までは、映画製作の中心地はニューヨーク州(New York)マンハッタン島(Manhattan)の北部にあるフォート・リー(Fort Lee) とイリノイ州(Illinois) のシカゴ(Chicago)でありました。ですが、映画会社は東海岸から西海岸へと移っていきます。

映画会社が東海岸から西海岸へ移った第一の理由は、東海岸やシカゴの中西部は天候に恵まれず撮影時期が限られていました。しかも当時のフィルム感度は悪く、屋外のような明るい場所でしか撮影できなかったのです。天候に左右される映画撮影は問題でした。そのため、映画会社は、地中海性気候でまばゆい太陽が輝くカリフォルニア州(West Coast)に次々に移っていきます。そこで選ばれたのがロサンゼルスです。映画製作のために、大都会はもとより雪を抱く山脈、荒涼とした砂漠にいたる自然条件に恵まれていたのです。

第二の理由は、ロサンゼルスは労働者の組合が存在していない所でした。労働力は常に過剰気味で賃金水準はニューヨークの半分くらいでした。会社は映画製作に必要なコストを節約し、技術的な条件も克服していきます。安い労働力が経営者には魅力だったのです。

第三の理由は、人種差別が微妙に影響しています。当時アメリカの支配層といわれたのは、「ワスプ」(WASP: White Anglo-Saxon Protestants) という、社会、文化、政治など諸分野を寡占していた富裕層でした。白人エリート支配の保守派を指すのがワスプでした。アメリカの保守とはワスプという構図で成り立っていたのです。イタリア系やユダヤ系などの出自を表に出しては、スターにはなれなかった時代です。しかし、西海岸は人種のるつぼであり、誰もが成功者になれる風土を醸していたのです。こうしてハリウッドは、自然、労働力、多民族という3つの条件によって映画産業が発展していくのです。それと共に他の産業も経済も大いに発展していくのがカリフォルニアです。

懐かしのキネマ その34 歌手で俳優の共演

1959年に製作された西部劇に【リオ・ブラボー】(Rio Bravo)があります。メキシコとの国境に近いテキサス(Texas)の町で保安官のチャンス(Chance)(ジョン・ウェイン: John Wayne)は、殺人犯の身柄を確保します。このあたりの勢力家で殺人犯の兄が、保安官に弟の身柄を移動させないよう部下に命じて駅馬車の車輪を壊し街を封鎖します。チャンスは連邦保安官が来るまで、わずかな味方とともに殺人犯一味と戦うことになります。

チャンスの部下とは、以前は早撃ちながら、アルコール依存症の保安官補デュード(Dudo)、片脚が不自由で毒舌な年寄りの牢屋番スタンピー(Stumpy)、幌馬車の護衛としてやってきた早撃ちの若者コロラド(Colorado) です。コロラドは狙撃された隊長の仇討ちでチャンスに加勢するのです。女賭博師で踊り子のフェザーズ(Feathers)はやがてチャンスの正義感にほだされて恋心を抱いていきます。

【リオ・ブラボー】に二人の歌手が出演しています。ディーン・マーティン(Dean Martin)とリッキー・ネルソン(Ricky Nelson) です。マーティンは人気絶大な歌手、ネルソンは、ロックンロール歌手でした。保安官事務所で連邦保安官の到着を待ちながら、二人で「ライフルと愛馬」(My Rifle, My Pony and Me) を歌うシーンがあります。これは替え歌ではなく、正真正銘の二人の歌声です。さらに孤立した保安官事務所に流れてくるのが、敵が一晩中トランペットで流す「皆殺しの歌」(DE GUELLO)です。この2曲を作ったのはディミトリ・ティオムキン (Dimitri Tiomkin) です。ロシアのサンクトペテルブルク音楽院(St. Petersburg Conservatory) で学び、アメリカに帰化した後、数々の映画主題歌を作曲していきます。「真昼の決闘」(High Noon)、「OK牧場の決斗」(Gunfight at the O.K. Corral)、「アラモ」(The Alamo)、「ローハイド」(Rawhide)、ジャイアンツ」(Giants)などクラシック音楽に基づいた正統的な曲で知られています。

懐かしのキネマ その33 映画とゴーストシンガー

音楽映画やミュージカルでは俳優の歌唱シーンがあります。例えば、「王様と私(The King and I)」の主役デボラ・カー(Deborah Kerr)が「Shall We Dance?」を、「ウエストサイド物語(West Side Story)」のナタリー・ウッド(Natalie Wood)が「Tonight」を、「マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)」のオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)が「踊り明かそう」(I could have danced all night) など、名立たる女優が歌っています。ですが彼らの歌は吹き替えなのです。吹き替えを歌う人を、陰の歌い手とか「ゴーストシンガー」(Ghost Singer)と呼びます。演説を書く人を「ゴーストライター」(Ghost Writer) と呼ぶのと同じです。

吹き替えの名手は、マーニ・ニクソン(Marni Nixon) というアメリカの歌手です。数々の著名なミュージカル映画において、女優の歌唱シーンの吹き替えを担当し「最強のゴーストシンガー」として知られています。ミュージカルの全盛期である1950年代から1960年代を、その美声で支えたことから「ハリウッドの声」(The Voice of Hollywood) とも称されています。

マーニ・ニクソンの名を知る人は少ないでしょうが、その美声はミュージカル・ファンの方にはなるほどと頷かれるはずです。女優の声を勉強し、それに合わせて吹き替えをしていたというのですから、大変な努力家といえましょう。実は、ハリウッドでは、映画会社との契約の関係で、吹き替えの事実を公表することが禁止されていたのです。マーニ・ニクソンは、そのため長らく表舞台に登場できなかったのです。

「The Sound of Music」でマーニ・ニクソンは修道院の中で出てくる6名の修道女の一人ソフィア(Sophia)役で初めてスクリーンにその姿を見せます。修道女の見習いとなった主人公マリア(Maria)について皆が、順番に歌いながら彼女の行動が自由奔放で呆れるといいながらも、修道女は皆、マリアの明るい性格を好意的に説明する場面です。そして最後の場面で「すべての山に登れ!」(Climb Every Mountain!)を合唱します。

懐かしのキネマ その32 「南太平洋」

ハリウッド映画界を支えた2人の作曲家と作詞家を紹介します。作曲家リチャード・ロジャース(Richard Rodgers)と作詞家・脚本家オスカー・ハマースタイン2世(Oscar Hammerstein II)です。2人によって制作された「サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)」は、1959年11月からルント・フォンテン劇場(Lunt-Fontanne Theatre)で公演を開始します。そして1963年6月までの間に1,443回上演され、50年以上が経った今でもブロードウェイを代表するロングラン作品の1つとなります。

ロジャースとハマースタインは、1940年代から1950年代の「ミュージカル黄金時代」と呼ばれた頃のブロードウェイで数々の名作を生み出します。現在のブロードウェイの基盤を作り上げた伝説的なコンビとなります。2人ともユダヤ系のアメリカ人であったことも共通しています。2人によって作り出されたミュージカルは「回転木馬(Carousel)」「オクラホマ!(Oklahoma!)」「南太平洋(South Pacific)」「王様と私(The King and I)」などの名作です。2人の最高傑作といわれるのが「サウンド・オブ・ミュージック」です。「南太平洋」(South Pacific)ですが、南太平洋のある島にフランス出身の民間人で農園主と海軍の看護婦との恋の物語です。この映画の主題歌が「バリハイ」(Bali Hai’i)です。音楽が南太平洋の景色とともに存分に楽しめる映画です。

懐かしのキネマ その31 【The Sound of Music】

1963年にロバート・ワイズ(Robert Wise)によって製作されたのが【The Sound of Music】です。小学生から大人まで知っている「 エーデルワイス」(Edelweiss)や「ドレミの歌」(Do-Re-Mi)が歌われます。主演は、マリア(Maria) 役のジュリー・アンドリュース(Julie Andrews)、ゲオルク・フォン・トラップ大佐(Georg Von Trapp)のクリストファー・プラマー(Christopher Plummer)です。

時代は、ナチスドイツが勢力を強め第二次世界大戦が勃発した頃のオーストリア(Austria)のザルツブルク(Salzburg)。帝国海軍の退役軍人であったトラップ大佐に7人のいたずらな子どもがいます。どの家庭教師も長続きせず、何度も入れ替っていました。修道院で見習いをしていたお転婆娘のマリア(Maria)は、修道院長の勧めでの子どもたちの家庭教師をすることになります。マリアも、最初は子どもたちのいたずらに振り回されます。しかし、厳格な父親に内緒で森へ出かけたり、一緒に歌って踊ったりと、親身になって子どもたちの相談を聞きくマリアに子どもたちは次第に心を打ち明けてきます。

そんなマリアと一緒に歌を歌い喜ぶ子どたちの姿を見て、最初は躾けで厳しかった父トラップ大佐も、次第にマリアに心を打ち明け、2人は惹かれ合っていきます。トラップ大佐一家とマリアは友人の誘いで舞踏会に出演することが決定し、7人の家族による歌声とダンスは賞賛を浴び舞台は大成功を収めます。これをきっかけにマリアとトラップ大佐はマリアと結婚し新婚旅行へと旅立ちます。旅行から帰国した大佐に待ち受けていたのは、ドイツ軍のオーストリア併合(Austria)によるトラップ大佐の出頭命令でした。命令を拒否したトラップは2人は家族を引き連れてスイス(Switzerland)に亡命しようと決意します。自国オーストリアからの亡命を図り、国境を越えようとアルプスを越える場面で終わります。

懐かしのキネマ その30 【ミュージック・オブ・ハート】

音楽が子ども達にもたらす素晴らしさを伝える映画(Music of Heart)です。製作は1999年で舞台はニューヨーク(New York) の東ハーレム(Harlem) 地区にある荒れた小学校です。この映画は、実在の人物であるロベルタ・ガスパーリ(Roberta Guaspari)を映画化しています。ロベルタを演じるのメリル・ストリープ(Meryl Streep)です。

夫と別居し実家のニュージャージー(New Jersey)に戻ってきたロベルタは、友人のアドバイスでヴァイオリンの特技活かしてハーレム地区の荒れた小学校でヴァイオリン・クラスの臨時教員となります。初めは誰も真剣でなかった子どもたちで、ロベルタは荒れた子ども達に悪戦苦闘します。ですが徐々に子ども達もヴァイオリンを楽しむようになりロベルタの熱心な指導でみるみる上達していきます。当初約50人の子供たちに教えていたのが、好評になり10年後には同じ地区内の3つの小学校の生徒全員で150人ほどに教えるようになります。

子ども達の演奏会を開き、結果は大成功。校長や親達から絶賛されます。教育を通じロベルタも自立した強い女性へと成長していきます。それから10年間、ロベルタの授業は続きますが、市の予算の都合でロベルタは解雇勧告され、ロベルタのクラスが閉鎖されることになります。そこからクラス継続の市民運動が始まります。ロベルタはクラスを存続させるためチャリティーコンサートを開くことを決意。一流のヴァイオリニストなど様々な賛同者の協力を得てカーネギー・ホール (Carnegie Hall) でのコンサートを成功させます。

ロベルタを演じたメリル・ストリープの熱演と彼女のヴァイオリン演奏の演技が見所です。ヴァイオリニストのアイザック・スターン(Isaac Stern)も登場します。演奏シーンはカーネギー・ホール(Carnegie Hall)が使われています。学校は教師の情熱で成果を生み、それに揺り動かされる市民で支えられるというテーマです。

懐かしのキネマ その29 政治体制への批判と音楽 【Le Concert】

人種偏見や迫害を描く映画は残酷なイメージを抱きがちですが、必ずしもそうではありません。ユーモアとエスプリ(esprit)が効いた体制批判の映画もあるのです。それが2009年にフランスで製作された「コンサート」【Le Concert】です。ユダヤ系ロシア人が音楽を通じて長い厳しい道を歩みつつ、なお弛まなく挑戦する姿を描いた名作です。音楽好きな人も映画が好きな人にも是非観てもらいたい作品です。

映画【Le Concert】の荒筋を紹介します。舞台はモスクワ(Moscow)のボリショイ(Bolshoi Theater) 劇場です。かつてボリショイ歌劇場交響楽団(Bolshoi Theater Orchestra) で世界的な指揮者「マエストロ」といわれたアンドレ・フィリポ (Andrey Simonovich Filipov) は、今は同劇場の掃除夫として働きアル中になっています。アンドレは30年前に、当時のブレジネフ政権(Leonid Brezhnev)によるユダヤ人楽団員の排斥に抵抗したために、チャイコフスキー(Tchaikovsky)のヴァイオリン協奏曲ニ長調を演奏中に秘密警察、KGBのエージェントであるイワン・ガブリロフ(Ivan Gavrilov)によって中止させられ、団員とともに楽団を解雇され掃除夫となっています。

アンドレが劇場支配人の部屋を掃除しているとき、一枚のファックスが出てきます。アンドレはそれを手にとって読むと、パリの有名なシャトレ劇場(Chatelet Theatre)からのもので、ロサンジェルス交響楽団(Los Angeles Philharmonic Orchestra)の代わりにボリショイ楽団にパリで演奏してもらいたいという招待状なのです。アンドレはそのファックスを手にして、かつての団員に呼びかけオーケストラを組織し、ボリショイ楽団になりすましてパリで公演しようと画策するという奇想天外な展開です。

アンドレは、古いユダヤの音楽やジプシー音楽を弾いているかつての団員など、追放された仲間に声をかけてチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をシャトレ劇場で演奏しようと持ちかけるのです。この曲はKGBによって中止に追い込まれた怨念の曲でありました。なりすましのボリショイ楽団はパリ公演のためにパスポートを業者に偽造させたり、楽器は借り物、演奏会用の洋服や靴をそろえるなどドタバタが続きます。そしてパリにやってくるのです。だが団員は物見遊山ツアー気分で、パーティを楽しんだり、持参したキャビア(caviar)を売ったり、タクシーの運転手などをして金儲けを始める有様です。そんな状態で団員は集まらずリハーサルは流れてしまいます。

パリに在住するヴァイオリニストのアンマリー・ジャケ(Anne-Marie Jacquet)は、ヴァイオリン協奏曲の演奏者として出演を依頼されます。彼女は、ロシア以外でも有名だったアンドレと一緒に演奏したかったので申し出を引き受けます。かくしてパリでの公演の幕が上がります。ですが練習不足やリハーサルなしのぶっつけ本番で、調子っぱずれの演奏が始まるのです。聴衆はざわつき始めます。それでも、自主的にハーモニーを引きだそうとする団員の気持が浸透し、だんだんとオーケストラも調子がでてきます。アンマリーの類い稀なるヴァイオリン独奏の技巧にも聴衆は魅了されていきます。パリ公演は大成功裏に終わり、その後この楽団はアンドレを指揮者とする「アンドレフィリポ・オーケストラ」として再出発します。世界各地での演奏会にはアンマリーがいつも独奏者として同行するというストーリーです。

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