極端な円安はなにをもたらすのか

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一部の主にリフレ派と呼ばれる経済学者が「極端な円安(1ドル=360円など)になっても日本経済は問題ない」あるいは「むしろプラスになる」と主張しています。リフレ派とは、物価下落であるデフレ状態から脱却するため、積極的な金融緩和やインフレ目標の設定によって、緩やかなリフレーションという物価上昇を起こすべきだと主張する経済学者や政策関係者のことです。極端な円安を容認する理由は、為替介入による無理な固定や急劇な変動がない限り、市場メカニズムと経済の調整能力が働くと考えられているためです。その具体的な根拠は以下の4点に集約されます。

東京新聞より引用

企業の円建て利益・国富の増大
 日本の企業や政府は莫大な海外資産を有し、その対外純資産は世界一といわれます。円安が進むと、これら外貨建て資産を円換算した際の価値が大幅に増加します。つまり外貨建て資産の評価益がでるのです。次に、グローバル企業の海外売上高や現地子会社の利益を日本円に換算した金額が膨らみ、決算上の業績が大きく改善し企業業績の向上が見込まれるのです。

国内産業・観光の圧倒的な価格競争力
 輸出および国内産業の復活: 円安によって日本の製品やサービスが海外から見て格段に安くなります。これにより輸出が伸びるだけでなく、国内企業の生産拠点回帰や国内調達への切り替えが進むとされます。外国人観光客にとって日本での消費が非常に割安になるため、観光やサービス消費が爆発的に拡大し、地域経済を潤すと期待されます。インバウンド需要の激増が期待されるのです。

朝日新聞より引用

市場メカニズム(購買力平価)による自己調整
 為替レートが極端に円安に振れたとしても、市場の取引によって物価や金利、貿易バランスが変化し、経済にとって適切な実質購買力に自然と落ち着いていくという見解です。長期的には購買力に応じた水準へ収束するという見解です。

為替変動よりも名目GDPや雇用が重要
 通貨安による物価上昇というインフレと企業利益の拡大は、名目GDPの押し上げや雇用の安定につながります。「自国通貨安で滅んだ先進国はない」とし、円安そのものよりもデフレ脱却や雇用・成長率を最優先すべきだという立場です。通貨安は名目成長を促進するという見解です。

 他方で、多くの主流派経済学者や実務家はこの説に対して極めて慎重で批判的です。エネルギーや食料を輸入に頼る日本において、過度な円安は生活必需品の値上がりを招き、家計の購買力を直接圧迫します。輸入コストの高騰という悪性のインフレを起こすという懸念です。さらに、賃金の上昇が輸入物価の上昇に追いつかなければ、国民の生活水準が低下する懸念があります。実質賃金の低下リスクがあると指摘するのです。円安、円高にはプラスもマイナスもあるということです。

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外国為替資金特別会計とは

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2026年8月10日の為替レートは1ドル163円でした。9月10のレートは153円となっています。円相場の大幅な下落と上昇やという現象です。日本銀行が物価の上昇に対応するため、政策金利をさらに引き上げるとの見方が市場で急速に強まりました。日本の金利が上がると、「円」を持つ魅力が高まります。それが急激な円高の理由のようです。日米の協調介入、為替介入が行われたのでは、という憶測もされています。ここに登場するのが外国為替資金特別会計(外為特会)です。

東京新聞より引用

 外国為替資金特別会計は、為替相場の急激な変動の際の為替介入など外国為替相場の安定のために設けられています。外為特会は、円売り・外貨買い介入に伴って取得した外貨を資産、円を調達するために発行した政府短期証券を負債として保有しています。 また、保有外貨資産の利子収入等を歳入とし、政府短期証券の利払い等を歳出として経理しています。

 歳入と歳出の差額である毎年度の利益、つまり決算上剰余金は、一部を外為特会の運用資金である外国為替資金に組み入れ、残りを一般会計や翌年度の外為特会の歳入に繰り入れています。国会で成立する「一般会計」とは別に管理されており、外貨資産の売買や運用のための独立した財布として機能しています。

外為特会の役割
急激な円高や円安が進行した際、市場の急変動を抑えるために外貨や円を売買します。為替介入や緊急時の外貨支払いに備え、外貨、主に米ドルや米国債などを保管し運用します。

外為特会の仕組みと資金の動き
 円買い介入か円売り介入かによって、調達する資金や資金の流れが異なります。円安阻止(円買い・ドル売り介入)の仕組みとは、外為特会が保有している米短資や米国債の外貨を売却して米ドルを用意することです。つまり、外国為替市場で米ドルを売って円を買う介入を実施します。買い戻した円資金は外為特会に回収されます。円高阻止(円売り・ドル買い介入)の仕組みとは、外国為替資金証券を発行し、市場から円資金を借り入れます。外国為替市場で円を売って米ドルを買う介入を実施します。取得した米ドルは、米国債などの安全性の高い外貨資産で運用されます。

外為特会剰余金
 外為特会の資産の大半は米国債などの外貨建資産です。保有する米国債から得られる利子収入が毎期の主な収入源となります。円高になると保有する外貨資産の評価額が下がり含み損となり、円安になると評価額が上がり含み損益となります。 運用利息などから生じた利益の一部は、決算後に国の一般会計へ繰り入れられ、防衛費や歳出財源として活用されます。

為替介入
 為替介入とは、通貨当局、日本では財務省が外貨や日本円を売買し、為替相場の急激な動きを抑えて安定させるための措置です。実際の取引指示は日本銀行が財務省の代理として行いますが、資金の準備や介入の判断はすべて財務省が行っています。介入の目的は、為替相場が急速に「円高」や「円安」に振れると、日本の経済や国民生活に悪影響が及ぶためです。急激な円安を防ぐ目的で円買い・ドル売り介入をします。 短期間で過度な円安が進むと、輸入エネルギーや食品などの価格が急騰し、物価高が国民生活や企業コストを圧迫します。介入のねらいは、 市場の行き過ぎた円安牽制と投機的な円売り動きの抑制するためです。

時事通信より引用

 急激な円高が進むと、日本の輸出企業の利益が激減し、業績悪化や株価下落、雇用悪化につながります。そのねらいは、輸出関連産業の急激なダメージを防ぎ、景気失速を低減させるのです。繰り返しますが、為替介入の本来の目的は「特定の水準(1ドル=○円)へ誘導すること」ではなく、過度な変動(ボラティリティ)や投機的な動きを抑えて急ブレーキをかける平準化にあるとされています。

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「反省」や「不戦の誓い」

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2026年8月15日の全国戦没者追悼式で、就任後初めて参列した高市早苗総理は式辞を述べた、「戦争の惨禍を、二度と繰り返させない」と誓いを表明した。前年の石破茂前総理が使用した「反省」や「不戦の誓い」の言葉は踏襲せず、安倍・菅・岸田各政権のスタイルを引き継いだことが注目された。「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」と述べた。「繰り返さない」という文言に、「せ」の1文字が加わった。これは注目すべき発言だと報道されている。

 式辞の主なポイントとして国家の役割について述べている。すなわち「日本は、各国が直面している様々な課題の解決に向け、重要な役割を果たせます。インド太平洋の輝く灯台として、頼りにされる国になれます」と強調した。これはこれで日本という国の矜持を示した言葉といえる。

 それで思い出すのが、1952年に文芸評論家の小林秀雄が創元社から刊行した「正直な戦争経験談」である。小林は、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と放言したことを記している。当時は、「反省」とか「精算」とかいう名の下に、自分の過去を他人事の様に語る風潮がいよいよ盛んだことを揶揄したらしいのである

時事通信社より引用

 小林は続ける。「大事変が終った時には、必ずもしかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起こらなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。」

 さらに「反省云々など、そんなおしやべりは、本当の反省とは関係がない。過去のもののもてあそびである。これは敗戦そのものより悪い。個人の生命が持続している様に、文化といふ有機体の発展にも不連続といふものはない。」とも宣言するのである。

 小林は「反省しない」の言葉を用いて、戦前の言動を正しかったとか、悪かったとか戦後の世間一般の価値観でもって自分自身を肯定したり否定しているわけではない。戦争に負けた途端にその立場を180度転換した戦後の世間一般の価値観でしか己の立場を決定できない人々を小林は「頭がいい人」と揶揄し、批判したのである。

 高市総理は、小林秀雄の「僕は無智だから反省なぞしない。という言葉を知っていたかどうかは不明だ。だが、敗戦の放心状態にから、あっという間に反省とか、不戦の誓いとか、平和と叫ぶお目出度い姿に訣別しようとしたかもしれない。

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2025年度の一般会計税収の理由

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2026年7月に発表された一般会計税収の全体的な傾向と金額の目安は以下の通りです。総税収はおよそ84兆2,226億円で前年度の約75.2兆円から大幅増となりました。さらに法人税・所得税・消費税のすべても前年度を上回る好調な結果となりました。なぜこのような過去最高の税収入の増加になったのか?大きな要因は「企業業績の好調」、「物価上昇のインフレ」、「賃上げ」の三点といわれます。

 まず法人税の伸びですが、企業業績の好調があります。歴史的な円安の継続や、企業の価格転嫁が進んだこと、さらに訪日外国人の需要の回復などが追い風となり、自動車産業や観光業、大手企業を中心に過去最高水準の純利益を記録する企業が相次ぎました。これにより、企業が納める法人税が大きく上振れしました。

 次に消費税の伸びです。物価の上昇にともない、商品の小売価格やサービス価格が全体的に底上げされました。消費税は「商品の価格×税率」で計算されるため、物価が上がればそれだけ税収も増えます。また、訪日外国人による国内での旺盛な消費行動も消費税収を押し上げる要因となりました。

 賃上げと所得税の伸びの関係です。人手不足や物価高への対抗策として、多くの企業で高水準のベースアップやボーナスの増額が実施されました。働く人の給与の額面である名目賃金が上がったことで、個人の所得に対して課される所得税の総額が増加しました。

 このように税収は過去最高を更新し続けていますが、高齢化に伴う社会保障費や防衛費などの歳出も膨らみ続けているため、これだけの税収があっても不足しています。その一つの理由は、一般歳出のうちの債務償還費や利払い費などの国債費が約31兆円となって、歳出の26%を占めているからです。そのため、依然として約30兆円規模の新規国債を発行して穴埋めしている状態が続いています。国債費の60年償還ルールというお化けのような慣行があるせいです。本来ならば、借換国債で政府の借金を帳消しにすべきなのですが、、、

 政府と日本銀行をあわせた組織は、統合政府と呼ばれています。統合政府は、膨大な金融資産などを保有しています。政府が発行する国債ー借金の総額は近年では約1,340兆円規模に上ると報じられています。ただ、政府の借金である国債を日銀が買い取っています。債務と資産を合算し相殺して純資産を明らかにし、本当の国の債務状態を把握するのが大事なのです。単に政府の債務だけを喧伝する財務省は、国民に大いなる誤解を与えています。

 財務省などが発表する「国民1人あたり1000万円以上の借金」という数字は、この相殺を行っていない単純な合計額です。統合政府のバランスシートで国全体の財務状況を評価すると、保有資産も大きいため日本はすぐに財政破綻するわけではないのです。

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2025年度の一般会計税収の発表

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2026年7月3日に2025年度の国の一般会計歳入の決算速報が発表されました。かつて2025年12月5日にこのブログで「税収入の仕組みと税収弾性値」という原稿をアップしました。そのとき話題にしたのは「税収弾性値」というテーマです。税収弾性値とは、経済成長に対する税収の伸び率を表す指標です。具体的には、名目GDP成長率が1%増加したときに、税収が何%増加するかを示す数値です。この値が高いほど、経済成長に連動して税収が増加する効果が大きいことを意味し、財政再建に有利だとされます。

 日本維新の会の柳ヶ瀬裕文前参議院議員は、名目GDPが1%増えたときに税収が何%増えるかを示す「税収弾性値」について政府を追及しました。柳ヶ瀬氏の質問主意書により、政府は過去10年間の実際の平均弾性値が「3.23」であることなどを認めました。財務省はこれまで、税収弾性値を低く「1.1」と見積もって「経済成長しても税収は伸びない」と主張し、増税の根拠にしてきました。しかし柳ヶ瀬氏はこれを問題視し、国会での質疑や、参議院に提出した 質問主意書を通じて政府に迫りました。結果として、政府は過去10年間(平成22年度〜令和元年度)の平均税収弾性値が「3.23」になることを、質問主意書への答弁書で認めざるを得なくなりました。このことから、経済成長によって国の税収は政府が想定する以上に大きく増えることが明らかになっています。

 長年、財務省が税収弾性値「1.1」という数値を使って、税収入を予測してきました。税収弾性値を低く設定しておけば、「社会保障の自然増分を稼ぎ出す成長を期待することも難しい、従って増税する必要が生まれる」という説明です。社会保障費の必要性を十分喧伝しておけば、後は自ずと「増税するしか無い!」という結論が導かれることとなるのです。これが財務省が「1.1」を捨てなかった理由です。実に狡猾な方針です。

 さて、2025年度の総税収は、当初の見通しを大きく上回るおよそ84兆2,226億円となり、6年連続で過去最高を更新、初めて80兆円の大台を突破しました。主要3税である法人税、所得税、消費税の概要と、そうなった背景や理由は次稿で説明します。

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国際卓越研究大学の認定と助成額

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認定制度によって助成される研究費は、国が創設する10兆円規模の「大学ファンド」の運用益から、最長25年間にわたり、1校あたり年間数百億円規模の資金が助成されます。実際の支給額は各大学の事業計画や企業からの研究費などの外部資金の獲得実績に応じて変動します。具体的な助成金は以下の通りです。

 第1号認定となった東北大学は、計画初年度(2025年度)の助成額は約154億円となっています。第2号認定となったのは旧東工大・医科歯科大が合併してできた東京科学大学です。東京科学大学は、2026年4月より体制強化計画を開始しています。第3号認定が決まったのが京都大学です。今年度分として約200億円が助成される見通しです。しかし、助成額は国家予算の115兆円に比べて25年間に渡る一校数百億円規模という認定大学の助成額は、まだまだ少ないと思われます。

 卓越大の「選び方」で重要なのは、各大学が助成金を使って「どう変わろうとしているかという体制強化計画に注目するのが最も本質的です。卓越大に選ばれる、あるいは候補になる大学は、これまでの古い大学構造を壊すような大胆な改革を掲げています。例えば京都大学の計画では、教授を頂点とする従来の閉鎖的な研究室という小講座を廃止し、分野横断的な研究がしやすい「デパートメント制」への移行を明言しています。「風通しの良い環境で、最先端の融合研究がしたい」という場合は、こうした組織改革の進捗が目安になります。 卓越大の認定を受けた京都大学は、卓越大としての全学ビジョンを次のように掲げています。

・自由で独創的な研究による知の創生によって、社会の多元的な課題解決と社会を変革するイノベーションの創出に貢献
・世界のアカデミアを牽引する優れた研究者とグローバルに活躍する高度な専門能力を有する人材を養成と輩出
・国際社会に開かれた総合大学として、世界から多様な人材が集う国際的な知の拠点(ハブ)を形成

 卓越大に選ばれるには、資金の多くを「優秀な若手研究者の育成」や「博士課程の学生への生活費相当の支給など経済的支援に充てる義務があります。若手研究者や院生への支援手厚さで選ばれるのです。

 卓越大は、「国際化」と「民間連携」の度合いで選ばれます。英語での講義や研究環境の構築や、海外トップ大からの研究者招致、企業との大型共同研究が爆発的に増えることになります。世界基準の環境や社会実装に直結する研究を望むなら、間違いなく有力な選択肢になります。

 この制度に選ばれた大学では、世界から優秀な研究者が集まるだけでなく、博士課程の学生に対する授業料免除や給付型奨学金の支給といったサポートが劇的に手厚くなるはずです。若手が経済的な心配をせず、世界最高水準の設備で研究に没頭できる環境が整えられることが期待されます。

 今や東北大、東京科学大、京都大などがリードしていますが、企業などから大学へ支払われる「寄付金」や「共同研究費」の管理をめぐり、過去に複数の不祥事が発生している東京大学も長期にわたる審査が続けられています。各大学の「研究等体制強化計画」は文科省や各大学のウェブサイトで公開されています。日本の大学全体の底上げではなく、「世界で勝てる数校のトップランナーを国を挙げて育てる」という、これまでになく劇的で集中した投資政策、それが国際卓越研究大学といえます。

 現在、中小の大学は、文科省から支払われる運営費交付金が年々減少傾向にあり悩んでいます。卓越大にのみ焦点があてられるのではなく、地域経済や社会と密着に結びつく地方の大学の振興も求められています。こうした大学もまた、日本学術振興会および文部科学省が交付する競争的資金である科学研究費補助の獲得に努力すべきことは当然です。

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国際卓越研究大学は世界に通用するか

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日本の学術界を大きく変えかもしれないといわれる国際卓越研究大学(卓越大- University for International Research Excellence)制度について解説します。卓越大とは、日本から世界トップレベルの研究力を発揮する大学を育てるために、国が新たに創設した研究開発支援の認定制度です

 この認定制度の背景には、近年の国際的な論文ランキングにおいて日本の大学の地位が低下しているという強い危機感があります。海外のトップ大学であるハーヴァードド大学(Harvard University)やスタンフォード大学(Stanford University)などのように、巨額の基金運用益(endowment)を研究環境や人材獲得に投資できる仕組みを日本でも作り、世界に互した研究力の好循環を生み出すことが狙いです。

 認定制度には大きく分けて、以下の3つの特徴があります。第一は、 認定する政府機関です。卓越大を最終的に認定し認可するのは文部科学省です。ただし、文科省が単独で決めるわけではなく、専門家で構成される有識者会が各大学の計画を厳格に審査し、さらに内閣府の総合科学技術・イノベーション会議への諮問や意見聴取を経て、文科大臣が正式に認定する仕組みになっています。

 認定される大学は、巨額の支援を受ける代わりに、大学には非常に高いハードルが課されます。年3%の事業規模の成長が求められます。すなわち企業からの共同研究費など外部資金の獲得や、大学独自の基金を増やすことで、経済的に自立し成長していく計画が求められます。

 次に大学には経営体制であるガバナンスの刷新が求められます。研究と経営を分離し、外部の有識者も交えた「合議制の機関」を設置してトップダウンで迅速な意思決定ができる体制に変えることが求められます。

2025年度の一般会計税収の理由

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2026年7月に発表された一般会計税収の全体的な傾向と金額の目安は以下の通りです。総税収はおよそ84兆2,226億円で前年度の約75.2兆円から大幅増となりました。さらに法人税・所得税・消費税のすべても前年度を上回る好調な結果となりました。なぜこのような過去最高の税収入の増加になったのか?大きな要因は「企業業績の好調」「物価上昇のインフレ」、「賃上げ」の三点といわれます。

 まず法人税の伸びですが、企業業績の好調があります。歴史的な円安の継続や、企業の価格転嫁が進んだこと、さらに訪日外国人の需要の回復などが追い風となり、自動車産業や観光業、大手企業を中心に過去最高水準の純利益を記録する企業が相次ぎました。これにより、企業が納める法人税が大きく上振れしました。

 次に消費税の伸びです。物価の上昇にともない、商品の小売価格やサービス価格が全体的に底上げされました。消費税は「商品の価格×税率」で計算されるため、物価が上がればそれだけ税収も増えます。また、訪日外国人による国内での旺盛な消費行動も消費税収を押し上げる要因となりました。

 賃上げと所得税の伸びの関係です。人手不足や物価高への対抗策として、多くの企業で高水準のベースアップやボーナスの増額が実施されました。働く人の給与の額面である名目賃金が上がったことで、個人の所得に対して課される所得税の総額が増加しました。

 このように税収は過去最高を更新し続けていますが、高齢化に伴う社会保障費や防衛費などの歳出も膨らみ続けているため、これだけの税収があっても不足しています。その一つの理由は、一般歳出のうちの債務償還費や利払い費などの国債費が約28兆円となっていているからです。そのため、依然として約30兆円規模の新規国債を発行して穴埋めしている状態が続いています。60年償還ルールというのがあるせいです。本来ならば、借換国債で政府の借金を帳消しにすべきなのですが、、、

 政府と日本銀行をあわせた組織は、統合政府と呼ばれています。統合政府は、膨大な金融資産などを保有しています。政府が発行する国債ー借金の総額は近年では約1,340兆円規模に上ると報じられています。ただ、政府の借金である国債を日銀が買い取っているため、両方の借金と資産を合算し相殺して、本当の国の借金状態を把握するのが大事なのです。単に政府の借金だけを喧伝するのは国民に大いなる誤解を与えます。

 財務省などが発表する「国民1人あたり1000万円以上の借金」という数字は、この相殺を行っていない単純な合計額です。財政破綻への懸念: 統合政府のバランスシートで国全体の財務状況を評価すると、保有資産も大きいため日本はすぐに財政破綻するわけではないのです。

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2025年度の一般会計税収の発表から考える

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2026年7月3日に2025年度の国の一般会計歳入の決算速報が発表されました。かつて2025年12月5日にこのブログで「税収入の仕組みと税収弾性値」という原稿をアップしました。そのとき話題にしたのは「税収弾性値」というテーマです。税収弾性値とは、経済成長に対する税収の伸び率を表す指標です。具体的には、名目GDP成長率が1%増加したときに、税収が何%増加するかを示す数値です。この値が高いほど、経済成長に連動して税収が増加する効果が大きいことを意味し、財政再建に有利だとされます。

財務省のホームページから引用

 財務省はこれまで、税収弾性値を低く「1.1」と見積もって「経済成長しても税収は伸びない」と主張し、増税の根拠にしてきました。しかし柳ヶ瀬氏はこれを問題視し、国会での質疑や、参議院に提出した 質問主意書を通じて政府に迫りました。結果として、政府は過去10年間(平成22年度〜令和元年度)の平均税収弾性値が「3.23」になることを、質問主意書への答弁書で認めざるを得なくなりました。このことから、経済成長によって国の税収は政府が想定する以上に大きく増えることが明らかになっています。 

 長年、財務省が税収弾性値「1.1」という数値を使って、税収入を予測してきました。税収弾性値を低く設定しておけば、「社会保障の自然増分を稼ぎ出す成長を期待することも難しい、従って増税する必要が生まれる」という説明です。社会保障費の必要性を十分喧伝しておけば、後は自ずと「増税するしか無い!」という結論が導かれることとなるのです。これが財務省が「1.1」を捨てなかった理由です。この財務省の実に狡猾な方針は柳ヶ瀬議員によって見事に看破されました。

 さて、2025年度の総税収は、当初の見通しを大きく上回るおよそ84兆2,226億円となり、6年連続で過去最高を更新、初めて80兆円の大台を突破しました。主要3税である法人税、所得税、消費税の概要と、そうなった背景や理由は次稿で説明します。

 

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政策金利上昇のチャンスを捉えるーープラスの恩恵

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日本銀行は2026年6月16日に、31年振りに政策金利を0.75%から1%に引き上げました。それに伴い三菱UFJ銀行など三社のメガバンクは普通預金の利息を0.3%から0.4%へ引き上げました。かつての0.001%という超低利の時代は去りました。2024年初頭の0.001%の時代と比較すると400倍の水準です。100万円を預け入れた場合、1年間で受け取れる利息は税引前で 4,000円となります。

 普通預金が0.4%に底上げされるため、定期預金金利、特に1年以上のものは、それを上回る水準で1年もので0.4%台後半〜0.5%超、長期のものは1%の大台へ展開するという見通しです。従って持っている普通預金の一部を定期預金などに移すのは理にかなっています。

楽天カードから引用

 なぜ日銀は政策金利を上げる決定をしたかです。金利というのは物価を調整する役割を持つといわれます。金利が上がると消費は下がります。企業は資金を借りるのを渋り設備投資を控えるのです。金利が下がると、その逆の現象となり銀行などから融資を受け、設備投資が促され消費者の需要が上がります。

 今回、日銀が政策金利を上げたのは、中東での戦争、ウクライナ情勢による原油価格の上昇とそれに伴う急激な原材料価格の上昇、円安に伴う輸入コストの上昇、食料品価格の上昇が大きくなる事を懸念したことです。金利上昇でモノやサービスの需要が減れば人件費上昇に歯止めがかかり、インフレの抑制につながります。今回の金利の引き上げは、インフレが暖まってきたので、急激な物価上昇のショックを少なくするためにとった決定だといわれます。ただ日銀は、経済活動の過熱を抑え、インフレ率を2%に安定させることを目指しています。

 政策金利の引き上げは銀行が顧客に払う預金金利の上昇につながります。年金などの運用利回りが上昇し利息収入も増えることで、金融資産を持つ家計にはプラスの恩恵がありそうです。

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政策金利上昇のチャンスを捉えるーーじっと待つか

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多くのマンション管理組合は、多額の修繕積立金を抱えています。ですが一銭の利息も付かない決済用普通預金となっているところがあり、「とにかく元本を絶対に減らしたくない」という「動かないでじっと待っていることにメリットがある」と信じて疑わない不可解な組合もあります。

 マンションなどへ金融支援する住宅金融支援機構が発行する債権は、10年満期時で年平均利率が税引前で2.1%というものです。これに加えて、メガバンクの定期預金を組み合わせ、リスクを分散させながら、積立金の運用を考えるのは、時代の趨勢であります。「元本を絶対に減らしたくない」と考える姿勢は変えるべきなのです。その理由を以下で述べます。

 動かないでじっと待っていることにメリットがあるのがかつてのデフレの時です。デフレでは物価は下がり、現金の価値が守られる時です。物価が下がるということは、需要が供給より少ないということです。デフレ期では、企業はリスクを避け、内部留保を増やす一方、人件費を抑制しました。人々の需要が増えず企業は設備投資を控え、賃金も物価も上がりませんでした。

 国家にとって大事な技術革新のための十分な投資も行われず、他国の成長や発展に遅れをとるのです。デフレでは、消費者は節約志向となります。給料が上がらず、年金や医療など社会保障への将来不安もあるため、人々は消費を切り詰め、貯蓄に回すようになりました。

 他方、金利が上がり積極的にチャンスをとりにいくのがインフレの時です。預金利子が上がり、資産運用などで株や投資信託をすることで利益を得ることができるのです。当然ながら、物価は上昇しますが、賃金もそれに劣らず上昇するのです。このとき、箪笥預金などをじっと守ってきた人の資産は目減りするのは当然です。

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アメリカ連邦の祝日ージューンティーンス

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アメリカで比較的新しく連邦の公的な祝日として制定された、奴隷解放を記念する日がジューンティーンス(Juneteenth)です。名前の由来は、6月(June)と19日(Nineteenth)を組み合わせたかばん語(混成語)です。

 この祝日の歴史的な背景についてです。1863年1月1日にエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln) 大統領は「奴隷解放宣言」(Emancipation Proclamation) を出します。しかし、南北戦争(Civil War) の最中だったこともあり、南部の一部の地域にはその内容がすぐには浸透しませんでした。

Gordon Granger

 宣言から2年半近く経った 1865年6月19日、テキサス軍管区の司令を任された北軍(Union)のゴードン・グレンジャー将軍(Gordon Granger) がテキサス州(Texas)ガルベストン(Galveston)に到着し、未だ拘束されていた黒人奴隷たちに彼らが自由の身になったという軍令を読み上げました。この「テキサス州の奴隷たちへついに解放の知らせが届いた日」が、ジューンティーンスの始まりです。

 グレンジャー将軍が読み上げた大統領の「一般命令第3号」は以下のようでした。

合衆国大統領からの布告により、あらゆる奴隷は自由であると、テキサスの人民に告知する。対人権と財産権について、以前の主人と奴隷の間における完全なる対等性を伴うものであり、彼らの間にこれまでに存在する関係は、雇用者と被雇用労働者の間におけるものとなる。

Juneteenth

 連邦の祝日になった経緯は公民権運動の一環といってよいようです。すなわち長年、この日はアフリカ系アメリカ人のコミュニティを中心に大切な記念日として祝われてきました。2020年に起きた人種差別抗議運動(Black Lives Matter)などをきっかけに、国全体で祝うべきだという機運が急速に高まりました。

 そして 2021年6月17日、ジョー・バイデン大統領(Joe Biden) が法案に署名したことで、アメリカで12番目の連邦祝日として正式に制定されました。連邦祝日の新設としては、1983年の「キング牧師記念日」(Martin Luther King Jr. Day) 以来、38年ぶりのことでした。

 この日は、パレードやフェスティバルが行われるほか、アメリカの歴史や自由の尊さについて家族や地域で考える大切な祝日となっています。

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二人の王様のユーモアと風刺のジャブ

注目

国王即位後、チャール国王の初めてのアメリカ訪問は、多くのアメリカ国民に感銘を与えたようです。上下両院での演説は単なる外交辞令ではなく、今の世界の諸々の課題に共に勇気を持って立ち向かおうとする気概やエスプリが込められていたのです。演説の途中、何度も議員らが敬意や感動、そして称賛の意を表すために立ち上がって拍手を送る姿がありました。

 議員の総立ちにより演説は一時途絶えますが、その間議員らは、今混乱するアメリカの施政について、もう一人のキングに対する疑惑や反感を考えたに違いありません。このキングは、議会における演説では決して民主党議員から総立ちの賞賛を受けたことがなかったのです。共和党議員ですら総立ちになって拍手するのですから、キングは歯ぎしりをしたはずです。

Charles III

 演説中、チャール国王はこのもう一人のキングの名前は出しませんでした。それが相手に対する国王としての矜持と礼儀だったからです。外交では批判する相手を名指しすることはありません。しかし、議員達は、チャール国王の演説の文脈に、数々の荒々しい発言を繰り返すもう一人のキング、ドナルド・トランプ大統領を容易に想像できたのです。

 チャール国王の演説草稿は、もとはといえば歴史学者ともいえそうなスピーチライターが国王と相談して起草したものと思われます。聴衆の心に響くストーリーを構成し演出するため、過去のイギリスとアメリカの関係について考証し、事実に基づいて起草したことが伺えます。

 歴史上、イギリスと植民地であったアメリカはいわば兄弟のような関係がありました。1760年代のイギリスはジョージ3世の施政下にありました。彼は絶対的な主権を維持し、植民地に対して一貫して強硬な為政をしいていきます。彼は、「植民地は本国に従属すべきもの」という信念を持っていました。植民地への「重商主義政策」と、それに伴う「課税強化」です。それに対して植民地側は和解の嘆願をを送ります。ジョージ3世はそれを拒絶し、彼らを「反逆者」と断定するのです。

 1700年代のアメリカ大陸におけるイギリスとフランスの覇権争いは、「北米植民地戦争」と呼ばれます。ヨーロッパ本国での戦争と連動して何度も衝突を繰り返しましたが、最終的にはイギリスの圧倒的な勝利で幕を閉じました。ジョージ3世は対話よりも軍事力を優先し、ドイツから傭兵を雇い入れてまで植民地の施政に介入します。この強硬姿勢が、それまで国王個人を敬愛していた植民地の人々に「国王は暴君である」と認識させ、独立宣言へと突き動かす一因となっていきます。

 ホワイトハウスでの晩餐会で、二人のキングが交わしたウイットに富むジョークも話題となっています。それは、ダボス国際会議でトランプ大統領が、「第二次大戦で、アメリカがなかったならば、欧州諸国はドイツ語を使っていただろう」という演説に対するものでした。チャール国王はそれに言及して「あえて申し上げれば、イギリスがなかったならば、皆さんはフランス語を話していただろう」と植民地戦争で、フランスの影響力を払拭させたのを遠回しに言ったユーモアだったのです。

 今回のチャールズ国王の訪米は、相手への節度ある賞賛を交えながら、イギリスの立場をしなやかに示した機会となったようです。それが議会での演説であり、晩餐会での答礼スピーチに示されています。

Two kings exchange jab of humor and satire.

King Charles’ first visit to the United States since his accession to the throne seems to have impressed many Americans. His speeches to both houses of Congress were not merely diplomatic formalities, but imbued with a spirit and determination to bravely confront the various challenges facing the world today. Throughout his speeches, members of Congress repeatedly rose to their feet and applauded, expressing their respect, admiration, and praise.

The speeches were temporarily interrupted by the standing ovations, during which the members of Congress must have been contemplating the current turmoil in American governance and their suspicions and resentment towards another king. This king had never received such a standing ovation from Democratic members of Congress during his speeches.Even Republican lawmakers rose to their feet and applauded, so he must have been gnashing his teeth.

During his speeches, King Charles did not mention the name of this other king. This was a matter of royal pride and courtesy. In diplomacy, one does not name the target of criticism. However, in the context of King Charles’ speeches, the members of Congress could easily imagine the other king, President Trump, who has made numerous harsh remarks.

King Charles’ speech draft was originally written in consultation with the king by a speechwriter who could be described as a historian. It appears that the speech was based on a thorough examination of past British-American relations, in order to construct and present a story that would resonate with the audience.

Historically, Britain and its colonies, America, had a relationship akin to brotherhood. In the 1760s, Britain was under the rule of George III. He maintained absolute sovereignty and consistently imposed a hardline policy on the colonies. He held the belief that “colonies should be subordinate to the mother country.” This manifested as “mercantilism” and the accompanying “increased taxation” of the colonies. The colonies sent petitions for reconciliation, but George III rejected them, declaring them “rebels.”

The struggle for hegemony between Britain and France in the Americas in the 1700s is known as the “North American Colonial Wars.” These conflicts, linked to wars in Europe, involved repeated clashes but ultimately ended in an overwhelming British victory. King George III prioritized military force over dialogue, even hiring mercenaries from Germany to intervene in colonial administration. This hardline stance led the colonists, who had previously revered the king personally, to perceive him as a tyrant, contributing to the Declaration of Independence.

A witty joke exchanged between the two kings at a White House dinner has become a topic of discussion. It was in response to President Trump’s speech at the Davos conference, where he stated that “if America hadn’t existed in World War II, European countries would have spoken German.” King Charles responded by saying, “If I may say so, if Britain hadn’t existed, you would all have spoken French,” a humorous indirect reference to Britain’s role in eliminating French influence during the colonial wars.

King Charles’s recent visit to the United States appears to have been an opportunity to subtly demonstrate Britain’s position while offering respectful praise to the other side. This is evident in his speeches to Parliament and his reciprocal speech at the dinner in the White House.

福沢諭吉の西郷隆盛観

注目

西郷隆盛は、幕末から明治維新にかけての日本史において、最もカリスマ的であり、かつ評価が分かれる人物の一人といわれます。彼に対する評価は多面的で、時代や立場によって大きく異なるようです。近代日本を築いた立役者として、維新の英雄として高く評価されています。軍事面での功績: 薩長同盟の締結、王政復古の大号令、そして江戸城無血開城など、決定的な場面で歴史に立ち会っています。

 江戸城無血開城は、後に明治新政府軍となる東征軍と旧幕府との間で行われた一連の交渉過程と江戸城の新政府への引き渡しのことです。徳川宗家の本拠であった江戸城が、同家の抵抗なく無血裏に明け渡されたことから明治新政府軍の勢力が一層増すのです。戊辰戦争が新政府側に一気に優勢となる転機となった出来事です。幕府の使者山岡鉄舟の要請に応じた大総督府下参謀の西郷は彼との交渉に応じます。ここで初めて、東征軍から徳川家へ開戦回避に向けた条件提示がなされます。山岡の下交渉を受けて、陸軍総裁であった勝海舟と西郷との江戸開城交渉は、田町にあった薩摩藩江戸藩邸にて行われました。徳川慶喜は江戸城を退出して上野寛永寺で謹慎します。1868年4月、江戸城が東征軍に明け渡され 5月に慶喜は寛永寺から水戸へ隠遁するのです。

西郷隆盛と勝海舟

 特に江戸城無血開城は、戦火による無益な殺生を避けた慈悲深い決断として、今なお高く評価されています。「敬天愛人(天を敬い、人を愛する)」の精神を掲げ、地位や名誉に執着しない姿勢は、多くの人々に尊敬の念を抱かせています。明治政府において廃藩置県をはじめとする重要な改革を主導し、近代国家の基礎作りに貢献しました。

 しかし、明治政府から離脱し、西南戦争の指導者となったことで、別の側面からも評価されています。明治政府の急速な近代化や士族の困窮に対して、政府を去った後の彼は、いわば「時代の抵抗者」としての性格を強めました。西南戦争で敗死したことで、権力から脱落した悲劇の英雄というイメージが定着しました。にもかかわらず敵対した勝海舟でさえ「怖い」と評したほどの圧倒的な存在感や人間的魅力は、多くの弟子や従者を引きつけました。彼が故郷の鹿児島に開いた「私学校」は、彼を慕う多くの若者たちの拠点となりました。

 福澤諭吉の西郷観は興味あります。彼の著書の一つに「丁丑公論(ていちゅうこうろん)」があります。この本は西南戦争で明治新政府に反抗した西郷隆盛を弁護する内容となっています。序論において、福澤は政府が専制になるのは当然の事とし、これに「抵抗する精神」の重要性を説くのです。さらに、「今、西郷氏は政府に抗するに武力を用いたる者にて、余輩の考とは少しく趣を殊にするところあれども、結局その精神に至ては間然すべきものなし」、つまり西郷隆盛は武力で政府に抵抗した点で、自分とは考えが異なるが、その抵抗の精神においては非難すべきものはないと述べて、武力で政府に反抗した点は評価しないにしても、西郷隆盛の「抵抗の精神」を賞賛するのです。

 また、政府が西郷の官位を剥奪した途端に、新聞が一斉に非難を始めたことに対して、「新聞記者は政府の飼犬に似たり」と述べて、新聞の論調が誹謗中傷の一色になったことと、それに迎合する世論に対して反論していくのです。さらに、「そもそも西郷は生涯に政府の顛覆を企てたること二度にして、初には成りて後には敗したる者なり」、すなわち「西郷は生涯に政府の転覆を2度企てて、最初の明治維新は成功し、2度目の西南戦争では失敗した者である」として、西郷を明治維新の功労者であり忠臣として賞賛します。同時に西南戦争の首謀者であって逆賊として非難することは、ダブルスタンダードであると非難するのです。彼の死後、明治政府は彼を逆賊から「正三位」という高位へと名誉回復せざるを得ませんでした。

 最期に、「西郷は天下の人物なり。日本狭しといえども、国法厳なりといえども、豈(あに)一人を容るるに余地なからんや」、すなわち「西郷は偉大な人物である。国の法がいかに激しいものであっても一人の人物を受け入れる余地はなかったのか」と述べて、西郷の人物を惜しみます。いつかこの人物を明治政府の要人として起用する時もあったはずであると結んでいます

参考文献
 ・丁丑公論 福沢諭吉 時事新報社 1901年

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勝海舟と国民国家思想

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勝海舟のことです。幕府は洋式海軍をおこすべく正式にオランダに海軍教師団の派遣を要請します。やがて1857年に教師団がやってきます。その団長がウイレム・ホイセン・カッテンディーケ(Willem Huijssen van Kattendijke)と言う中佐でした。カッテンディーケは、徳川幕府が発注した軍艦ヤーパン号、後の咸臨丸を長崎に回航した武官です。幕府が開いた長崎海軍伝習所の第2次教官となります。彼の貢献は、勝海舟、榎本武揚などの幕臣に、航海術・砲術・測量術など近代海軍教育を精力的に行ったことです。

ウイレム・ホイセン・カッテンディーケ

 勝は既に江戸でオランダ語を学んでいました。幕臣とともに、カッテンディーケの生徒として勝も選ばれるのです。若い海軍士官のカッテンディーケの回想路によれば、勝はオランダ語を非常によく理解し、そして聡明な人間であり、さらには真の革新派の闘士というように非常に強い言葉でほめています。勝は、オランダの憲法を学ぶ機会に浴し、オランダの市民国家思想を学んでいきます。

 日米修好通商条約批准のため、1860年に幕府から遣米使節団がおくられることになります。使節団は米国海軍フリゲート艦のポーハタン号(Pawhatan)に搭乗して太平洋を横断することなります。勝はこれとは別に、日本の国威のために、日本人の操船による随行艦を派遣すべきだと運動し、長崎時代の練習船咸臨丸の艦長として勝は太平洋を横断することになります。

彼がアメリカで最も衝撃を受け、深く学んだのは技術的なことよりも、むしろ「社会の仕組み」や「民主主義」のあり方でした。彼はアメリカから戻り、老中に呼ばれます。そして「アメリカと日本はどういうところが違うのか」と問われます。勝は「アメリカは日本と違って偉い人が上にいます」と答えるのです。老中らの苦虫を噛む姿が浮かびます。日本では徳川将軍家のような家柄が絶対視される時代でした。ジョージ・ワシントンの子孫のことを聞くと、アメリカでは初代大統領の子孫であっても特別扱いはされず、一市民として生活していることを知るのです。この事実に勝は「身分よりも実力や個人の自立が優先される社会」の有りようを強く意識したようです。「徳川家という私的な組織」が日本を支配している状態から勝はアメリカを視察して、政治は「日本全体」、「公」のためにあるべきと考えていくのです。

戊辰戦争での薩摩軍兵士

 勝は幕府の家臣でありながら、「幕府を守る」ことよりも「日本という国を守る」ことを優先しました。彼の最大の功績は、1868年の戊辰戦争において、官軍の西郷隆盛と会談し、江戸無血開城を実現させたことです。戊辰戦争とは慶応4年1868年から1869年にかけて、王政復古を経て新政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩等を中核とする新政府軍と、旧幕府陸軍・幕府海軍が戦った日本近代史上最大の内戦と呼ばれます。新政府軍が勝利し、国内に他の交戦団体が消滅していきます。この内戦において、欧米などの諸外国は局外中立の立場であったが、フランスのレオン・ロッシュ公使(Léon Roches)などが個人的に旧幕府側を支援していました。

 勝は諸藩が対立する中で、幕府・朝廷・諸藩が統一して欧米列強に対抗すべきであるという「公議政体論」に近い考えを持っていたといわれます。彼のこの広い視野に、敵対していた坂本龍馬や西郷隆盛らが勝に心酔したのは、敵味方の垣根を超えた「橋渡し役」として役割を果たしたからでしょう。勝は維新後も参議、海軍卿として、後の海軍大臣などを歴任しました。

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勝海舟と西郷隆盛との対比

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司馬遼太郎からみた小栗上野介の勝海舟と西郷隆盛との対比は興味あることです。司馬は、勝海舟を「時代を泳ぐ政治家・策士」とするなら、小栗は「実務を積み上げる技術者・構築者」であったと評します。司馬は勝の柔軟さを認めつつも、実務能力では小栗が圧倒していたとみています。次に、西郷隆盛との対比です。西郷を「情緒と徳の人」とするなら、小栗は「論理と数理の人」と評価します。明治新政府が西郷的な情緒を削ぎとり、小栗的な官僚機構へ移行していく過程を司馬は冷静に記述しています。司馬にとって小栗上野介は、「不運にも時代に殺されたが、近代化の構想という魂は後の日本を支配し続けた人物」という、非常に敬意を払う描き方をしています。

勝海舟

 1860年の万延元年に小栗は遣米使節団に加わります。日米修好通商条約の批准書交換のため、幕府が派遣した使節団の「目付」いわゆる監察役としてです。当時のアメリカ大統領ブキャナン(James Buchanan)への謁見や、造船所・工場などの視察を通じて、身分制度に縛られない実力主義や、効率的な経済システム、軍事組織のあり方を深く学びます。帰国した小栗は、外国奉行、勘定奉行、軍艦奉行といった要職を歴任し、破綻寸前の幕府財政を支えながら、猛スピードで近代化を推し進めました。

 小栗の最大の功績は、日本近代工業の礎となる「横須賀製鉄所」の建設です。フランスの支援を得て、現在の横須賀海軍施設内に「横須賀製鉄所」、後の横須賀造船所を建設したことです。単なる造船所ではなく、ボルト・ナットの製造から金属加工までを行う「工場の工場」を目指したのです。日本で初めて「就業時間」、「賃金制度」、「洋式簿記」などを導入し、近代的なマネジメントを確立したといわれます。

西郷隆盛

 小栗は、株式会社の先駆けとなる「兵庫商社」を設立し、貿易の活性化を図りました。兵庫商社は、幕府の主導により、大坂や兵庫の商人の出資によって設立されました。構成員には、三井のほか、大坂の有力商人の鴻池や加島屋、兵庫からは酒造業者が名を連ねました。小栗は提案書で初めて「商社」という言葉を使ったといわれます。郵便制度、電信、鉄道の設置も提言し、先見の明があったことがわかります。これらは後に明治政府によって実現されました。

 軍制改革と教育面でも小栗は活躍します。すなわち、幕府軍の近代化のため、フランス軍事顧問団を招へいします。外交官や技術者を育成するため、幕末の1865年、慶応元年に横浜仏語伝習所というフランス語学校が開設されます。日本初の官立フランス語学校です。幕臣の子弟を中心に選抜された精鋭たちが集まりました。フランス語の習得はもちろん、西洋の諸科学や文化も教えられていました。この伝習所からは、近代日本哲学の父、西周や法学者の津田真道が育っていきます。ここで学んだ若者やフランス学の伝統は、後の明治政府における司法制度の確立に貢献します。

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ポトマック川の五色桜

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今ワシントンD.C.のポトマック川の五色桜は満開です。もともと五色桜は、現在の東京都足立区の荒川堤に植えられていた桜の総称です。明治時代、ソメイヨシノだけでなく、多種多様な里桜が約78種類も植えられ、その多様な色彩から「荒川の五色桜」として世界的に有名になりました。1912年に日本からワシントンD.C.へ贈られた3,000本の桜の多くは、この荒川堤の苗木から育てられたものでした。

 しかし、本家である日本の五色桜は、その後の不幸な歴史によって絶滅の危機に瀕します。その理由は、工場の排煙や都市開発による環境悪化、荒川の改修工事に伴う伐採、そして第二次世界大戦による被害によります。これにより、東京の五色桜はほとんどが失われてしまいました。

 戦後、かつての美しい五色桜を復活させようという動きが日本で起こりましたが、すでに日本国内には元々の品種が揃っていませんでした。そこで、ワシントンに贈った桜が、当時の血統を保ったまま元気に育っていることに着目し、ワシントンから枝を分けてもらうことになったのです。1952年に荒川堤の改修を機に、初めてワシントンから枝が贈られました。1981年には「レーガン桜」として、さらに大規模な里帰りが行われ、足立区などに植樹されました。

 真珠湾攻撃後の戦時中、ワシントンでは日本への敵対心から桜が数本切り倒される事件が起きました。さらに「桜をすべて引き抜いてしまえ」という過激な意見も出たといいます。しかし、多くのアメリカ市民や関係者が「木に罪はない」「この桜は平和と友情の象徴である」として、桜を守り抜きました。戦時中は「日本の桜」と呼ぶ代わりに「東洋の桜」と呼び方を変えるなどの工夫をして、この美しい景観が維持されたのです。

The Goshikizakura (five-colored cherry blossoms) along the Potomac River in Washington D.C. are in full bloom. Originally, Goshikizakura was a general term for cherry trees planted along the Arakawa River embankment in what is now Adachi Ward, Tokyo. During the Meiji era, not only Somei Yoshino cherry trees but also approximately 78 varieties of other diverse village cherry trees were planted, and their diverse colors made them world-famous as “Arakawa’s Goshikizakura.” Many of the 3,000 cherry trees gifted from Japan to Washington D.C. in 1912 were grown from saplings along this Arakawa River embankment.

(住友林業グループより引用)

However, the original Goshikizakura in Japan faced extinction due to unfortunate circumstances. These included environmental degradation from factory emissions and urban development, felling during Arakawa River improvement work, and damage from World War II. As a result, almost all of Tokyo’s Goshikizakura were lost.

After the war, there was a movement in Japan to revive the beautiful Goshikizakura of yesteryear, but the original varieties were no longer available within Japan. Therefore, noticing that the cherry trees gifted to Washington were still thriving while maintaining their original lineage, it was decided to request branches from Washington. In 1952, during the renovation of the Arakawa River embankment, the first branches were gifted from Washington. In 1981, a larger-scale return of the trees, known as “Reagan Cherry Trees,” took place, with trees being planted in Adachi Ward and other areas.

During the war after the attack on Pearl Harbor, several cherry trees were cut down in Washington due to hostility towards Japan. There were even extreme calls to “uproot all the cherry trees.” However, many American citizens and those involved protected the trees, stating that “the trees are innocent” and “these cherry trees are symbols of peace and friendship.” During the war, efforts were made to preserve this beautiful landscape, such as changing the name from “Japanese cherry trees” to “Oriental cherry trees.”

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「知」の先人達

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江戸時代の末期の文久2年(1862年)に幕命でオランダへ留学し、西洋哲学を日本に紹介した最大の人物が西周です。オランダ最古のライデン大学(Universiteit Leiden)でシモン・フィッセリング(Simon Vissering) に法学を、またカント哲学・経済学・国際法などを学びます。現代の私たちが日常的に使っている多くの哲学用語の生みの親とも知られています。例えば、「哲学」「命題」「定義」「主観」「客観」「帰納」「演繹」「知識」「概念」「理性」「芸術」「科学」「技術」「心理学」「意識」といった訳語を作ったのも西です。西洋の概念を漢字で表現することで、日本人が西洋思想を深く理解するための土台を作りました。

ライデン大学

ライデン大学は、1575年にネーデルラント(オランダ)の指導者ウィレム1世(Willem I)によって設立されます。ヨーロッパでも最も古い大学の1つといわれます。ルネ・デカルト(René Descartes)、レンブラント(Rembrandt van Rijn)、フーゴー・グローティウス(Hugo Grotius)などを輩出しています。

中江兆民もまた岩倉使節団の一員としてフランスに渡り、フランス流の民主主義を日本に輸入しました。岩倉使節団は、明治維新期の明治4年から明治6年まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国の米欧12ヶ国に派遣された使節団です。岩倉具視を特命全権大使とし、首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成されました。その中の一人、中江兆民は「東洋のルソー」と呼ばれ、ルソー(Jean-Jacques Rousseau)の『社会契約論』を翻訳し、それを『民約訳解』として出版し、自由民権運動の理論的支柱となります。

中江兆民

近代的な法律学を輸入した人物に穂積陳重がいます。彼はイギリスとドイツに留学し、日本の民法起草に携わりました。医学面では北里柴三郎がいます。ドイツ留学にしコッホ(Heinrich Robert Koch)に師事して、細菌学や血清療法を導入します。ペスト菌の発見や血清療法の確立など、日本の近代医学や公衆衛生を世界レベルに引き上げるのです。建築の分野に辰野金吾がいます。イギリスに留学しジョサイア・コンドル(Josiah Conder)に学び、後に赤レンガの東京駅などを設計した建築家です。科学の分野では高峰譲吉がイギリスに留学し化学工業の基礎を築き、アドレナリンを発見するのです。芸術の分野に黒田清輝がいます。フランスに留学し印象派の明るい作風を日本画壇に持ち込み、後に「洋画の父」と呼ばれるのです。

1867年のパリ万博は、当時の世界最新のテクノロジーや芸術、そして各国の文化が一堂に会した「文明の祭典」といわれました。日本にとっては、江戸幕府が公式に参加した最初の万博であり、日本文化が初めて西洋に本格的に紹介された歴史的なイベントとなります。パリ万博を視察した渋沢栄一は1867年から約1年半にわたってパリを中心にヨーロッパを歴訪します。この滞在は、後に「日本資本主義の父」と呼ばれる彼の基盤を築く決定的な体験となります。株式会社制度を学び、帰国後は第一国立銀行、現在のみずほ銀行など500以上の企業設立に関わります。日本の近代化には、信頼の拠点となる銀行が不可欠であると考えたのです。

渋沢は、経済活動だけでなく、社会福祉を向上する制度にも注目したようです。その例は、病院、孤児院、盲学校などの医療、福祉施設を視察し、「富は個人が独占するものではなく、社会に還元すべきもの」という考えを深めていきます。これが、彼が晩年に社会公共事業や教育に力を注ぐ原動力となったといわれます。 フランスにおいて、生活インフラと都市機能の発達を見聞します。例えばガス灯、鉄道、水道、郵便、そして最新の科学技術など、近代都市を支えるインフラを理解していくのです。

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日本近代化の先駆者達

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江戸末期から明治初期にかけて、多くの先覚者たちが、いわば命がけで海を渡りました。やがて彼らが持ち帰った「西洋の衝撃」は、停滞していた旧体制を打破し、近代国家の日本を形作る力強い原動力となっていきます。当時の交通機関の未発達な状況で、海外渡航は大変な苦労だったことが想像できます。それでも不安ながら大望を抱いた指導者らは、祖国日本の発展のために大きな期待をいだいて出発したに違いありません。

幕末の先駆者たちは、開国へと目覚めていきます。江戸幕府が派遣した使節団や密航に近い形で渡欧した若者たちは、やがて日本の「近代化」の種を蒔きに貢献していきます。その最たる人物は福澤諭吉です。幕府の遣欧使節団に加わりアメリカを見聞していきます。福沢は 帰国後、西洋の日常習慣や社会制度をわかりやすく解説した『西洋事情』を執筆し、ベストセラーとなります。慶應義塾の創設や「天は人の上に人を造らず…」で知られる『学問のすゝめ』を通じて、個人の独立自尊こそが国を強くすると説きました。

西洋事情

 1863年に長州藩から派遣された5人の若者たちは、密航同然でイギリスへ渡航します。帰国後は倒幕運動の中心となります。後に長州五傑と呼ばれたのが、井上馨、後の初代外務大臣、伊藤博文、後の初代内閣総理大臣、山尾庸三、後に「工学の父」と称され、工部省の設置に尽力、井上勝、後に「鉄道の父」と呼ばれ、日本の鉄道建設を指揮、そして遠藤謹助で後に造幣局長を務め、「造幣の父」と呼ばれます。当時はまだ江戸幕府による鎖国令の下、海外渡航は死罪に値する禁忌でしたが、彼らは密航という形でイギリスへ渡航したのです。

 長州五傑に続き、1865年に薩摩藩から密使としてイギリスへ送られた一行は総勢19名でした。森有礼は初代文部大臣となり、日本の近代教育制度を確立します。五代友厚は大阪経済の父と呼ばれ、大阪株式取引所などを設立します。寺島宗則は「電気通信の父」と呼ばれ、外交官としても活躍します。長澤鼎という人物は、 唯一日本に帰らず、カリフォルニアで「カリフォルニアのブドウ王」として成功するのです。忘れてはならない人物は新島襄です。長州五傑に先立つ1年前、1864年に函館からアメリカへ密航します。帰国後同志社大学を創設します。

 岩倉使節団は、1871年から約1年10ヶ月にわたって欧米諸国を視察します。明治政府の威信をかけた総勢100名を超える大規模な使節団といわれます。その一行の中の主要メンバーとして特命全権大使となったのが岩倉具視です。「維新の三傑」と呼ばれ、長州派のリーダーであった木戸孝允もいました。薩摩派のリーダーであった大久保利通も加わっています。帰国後は殖産興業を牽引した人物です。

不平等条約の風刺画

 この使節団には、現地で学ぶための留学生や各分野の専門家も多く同行しました。後に大日本帝国憲法の起草に参画した金子堅太郎、後に外務大臣や内大臣を歴任した牧野伸顕、そして日本初の女子国費留学生となる津田梅子です。当時彼女は6歳だったようです。長期間の米国生活を経て帰国後、日本の女子教育の遅れに衝撃を受けた彼女は、女子英学塾、現在の津田塾大学を創設し、女性の地位向上と高等教育に一生を捧げていきます。

 こうした使節団は、幕末に結ばれた不平等条約の改正を求めて交渉するのですが、国力不足のために改正は成りませんでした。それでも、政治、経済、教育、軍事、文化などあらゆる分野に直接触れて、日本を近代化するための知見を得て帰国します。

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貨幣論 その6  経済や財政上の用語

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少し専門的な分野の経済や財政にまつわる略語を説明します。テレビや新聞などのオールドメディア、SNSなどでの新興メディアでしばしば登場する財政上の略語です。財政均衡とか健全財政をうたい、増税を意図する財務省や与党や野党の一部の議員、積極財政というかけ声で、内需の拡大やデフレ回復を叫ぶ学者や議員の双方がしばしば使う略語を紹介します。

P.M.:Primary Balance
 プライマリー・バランスと呼ばれ「基礎的財政収支」と訳されています。税収や税外収入と、国債費(国債の返済や利子)を除く歳出との収支のことです。簡単に言うと、社会保障や公共事業などの政策的経費を税収などで賄えているかを示す指標です。財務省が使いたがる略語です。経済が不況で需要不足の状態の場合、基礎的財政収支の赤字を拡大する積極財政で民間部門に資金を供給して、経済を活性化する財政政策が求められるのです。今はそうした時期なのです。プライマリー・バランス黒字化目標を旗印に増税と緊縮財政に突き進む財務省への批判として、「ザイム真理教」とか「財務省、亡国論」と呼ぶ者が増えています。

MMT:Modern Monetary Theory
 MMTは現代貨幣理論と呼ばれています。この話題は既に前稿で取り上げています。通貨発行権を持つ国家は債務返済に充てる通貨を自在に創出できることから、「財源確保のための徴税は必要ではない」、「財政赤字で国は破綻しない」、「インフレにならない限り国債はいくら発行しても問題はない」と主張するのです。MMTはケインズ(John M. Keynes) 経済学の流れを汲むマクロ経済学理論のひとつで、「政府の財源は税と債券発行によって調達すべき」、「赤字拡大が続けば国は破綻する」という主流派経済学の見方に対抗しています。

BS: Balance Sheet
 貸借対照表と呼ばれています。ある時点における企業の資産状況を示す書類です。企業がどのくらいの資産を保有し、その財産を調達するためにどのくらいの負債を負い、どのくらいの純資産があるのかを表す財務諸表のことです。資産、負債、純資産の3つの要素で構成され、左側に借方として資産、右側に貸方として負債と純資産を記載します。銀行は企業に融資するとき、企業の貸借対照表を見て、企業の返済が可能かを判断します。大切な財務諸表といえます。決算に際して作成する決算書と財務諸表のひとつで、企業の保有資産と負債、純資産が表形式で示されています。

CEFP: Council on Economic and Fiscal Policy
 経済財政諮問会議の略語です。この諮問会議は、日本の内閣府に設置され重要政策に関する事案を協議します。この会議では、最終的に経済財政運営と改革の基本方針、いわゆる骨太の方針がとりまとめられ、予算方針に反映されます。会議の成員は、議長と10人以内の議員から成ります。民間有識者数を議員の4割以上確保することが法により定められています。ですが、議員の内2人は日本経団連幹部であり、経団連の利害が強く反映されているのではないかという批判があります。

FTA: Free Trade Agreement
 「自由貿易協定」と呼ばれるもので、2か国以上の特定の国・地域の間で、貿易自由化のために締結する協定のことを指します。自由貿易協定のメリットは「関税の軽減・免除」にあります。日本は’通商交渉ではWTO体制下の多国間主義に重きを置いていました。しかし、多国間主義の限界を認め、他国との競争条件を等しくするために、積極的な二国間・地域間交渉に乗り出さざるを得なくなりました。それまではFTAに対する取り組みは、欧米諸国と比較すると遅れていました。グローバル経済が拡大するなかで、日本がFTAを締結していないことで、海外ビジネスにおいて日本企業が不利益をこうむるケースも発生していました。そのような状況から、日本政府もFTAを推進する意識を強く持つことになります。FTAを相手国と締結することで、協定の内容および交渉によって、段階的な関税の軽減・免除ができるようになり、お互いのメリットを追求した貿易ができる可能性が高くなりました。
 ただし、FTAの協定内容によっては、従来は守られていた産業が衰退してしまったり、自国の特定産業が育たなくなってしまうデメリットもでてきます。その例は、アメリカやオーストラリアからの畜産物の輸入により、国内の酪農家が影響を受けたことです。

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