トランプ政策と名門大学の抵抗と服従 

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アメリカ東部にある名門私立大学でアイビー・リーグ(Ivy League)の一つ、ペンシルベニア大学(University of Pennsylvania) は2023年12月9日、エリザベス・マギル(Mary Elizabeth Magill学長とスコット・ボク(Scott Bok)理事長の辞任を発表しました。マギル氏は大学内で強まる反ユダヤ主義への対応を巡り、批判されていました。連邦政府は、全国の大学への数十億ドル規模の資金の流れを停止すると脅迫しており、多くの大学は司法省から保健福祉省に至るまで、様々な機関からの調査に直面している。しかし、トランプ政権の大学に対する懲罰的なアプローチは、アイビー・リーグの大学で最も深刻に表れています。昨春、ガザ紛争に反対するキャンパスでの抗議運動の中心地となった同大学は、反ユダヤ主義的行為を容認し無法状態を蔓延させたという非難と学術的・政治的言論を抑圧したという非難に、数ヶ月にわたって対峙してきました。

 トランプ政権が非難のターゲットとしているのは、こうしたアイビー・リーグの大学です。名門ハーヴァード大学(Harvard University)との対立も続いています。政権はハーヴァード大学に対して外国人留学生の受け入れ資格停止を通告し、反発した大学側との法廷闘争に突入しています。背景には「リベラルの牙城」と呼ばれるハーヴァード大学を狙い撃ちすることで他の大学にも「改革」を迫り、さらには中国共産党など外国の影響力を排除する意図が潜むようです。ハーヴァード大学の歴史で最初の黒人学長だったクローディン・ゲイ学長(Claudine Gay)は2024年1月2日に辞任します。その後、就任したアラン・ガーバー学長(A)lan M. Garber)はトランプ政権の政策に訴訟を起こし毅然として立ち向かっています。すなわち、トランプ政権が大学に対し課してきた一連の制裁措置、すなわち連邦研究費の凍結、留学生プログラムの停止、税制優遇の剥奪検討などに対し、訴訟を起こしています。

コロンビア大学エンブレム

 マンハッタン(Manhattan)北部にある同じくアイビー・リーグ大学の一つ、コロンビア大学(Columbia University)は、今年、学生デモで混乱に陥り、結束バンドや暴動鎮圧用の盾を持った警察官が、親パレスチナ派の抗議活動参加者が占拠していた建物に突入する場面もありました。同様の抗議活動は全国の大学キャンパスに広がり、その多くが警察との激しい衝突や数千人の逮捕に至りました。この発表の数日前には、大学当局が、ユダヤ人の生活と反ユダヤ主義に関するキャンパス内での議論中に3人の学部長が中傷的なテキストメッセージを交換したとして辞任したと発表したばかりでした。

 コロンビア大学のミヌーシュ・シャフィク学長(Minouche Shafik)は2024年8月に、イスラエルとハマスとの戦争(Israel-Hamas war)をめぐる抗議活動やキャンパス内の分裂への対応をめぐり、短期間で波乱に満ちた在任期間を終えて辞任しました。ニューヨークの名門大学である同大学の学長は、この間、イスラエルとハマスとの戦争をめぐる抗議活動やキャンパス内の分裂への対応について厳しい批判にさらされてきました。

 次いで暫定学長に就任したカトリーナ・アームストロング(Katrina Armstrong)も、2025年3月までに学内対策に応じた結果、トランプ政権による資金凍結などの圧力からの批判を引き受け、2025年3月28日に辞任発表します。同日に、学長代行としてクレア・シップマン(Claire Shipman) が指名されました。彼女は“学問の自由と開かれた探究を守る”姿勢を表明していますが、下院教育委員会などによる調査も受けてきました。シップマン学長代行も自分の発言でユダヤ人協会から批判され、大学の人事は混迷しています。

University of Virginia

 さらに、ヴァジニア大学(University of Virginia)のジャームズ・ライアン学長(James Ryan)が2025年6月28日に辞表を表明します。ライアンが退任を急いだ決断は、ヴァジニア大学に対する連邦政府の監視が強化されている時期に行われました。ライアンは退任の手紙の中で、「自分が学長職に留任していた場合、大学は多額の資金を失うリスクがあったことを認めます。自分の地位に留まり、連邦政府の資金削減のリスクを冒すことは、空想的なだけでなく、職を失う何百人もの従業員、資金を失う研究者、そして奨学金を失ったりビザを差し押さえられたりする何百人もの学生にとって、利己的で自己中心的に見えるだろう」と述べて辞任するのが最上であるという判断をしたのです。

 コロンビア大を含む、アメリカ東部の八つの有名私立大で構成されるアイビー・リーグのうち、学長が辞任したのは昨年10月以来、ペンシルベニア大学とハーヴァード大学で3例目です。いずれも、中東情勢をめぐる抗議デモの対応で追及を受けています。

統計で騙す方法 その十 ウソの統計に対する武装

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いろいろな統計を例に挙げてウソに騙されがちな事案を説明してきました。最後にいかにしておびただしいペテンやウソから正しい理解に導くかを考えていきます。

 まずは統計の中味に気をつけることです。今大阪で万国博覧会が開かれています。そして毎日の入場者数を発表しています。「7月1日(火)の入場者数は、一般87,000人、関係者18,000人、合計105,000人。場外への救急搬送件数は3件だった。」多くの一般の人とは、企業が博覧会協会から依頼されて購入した券もらった従業員や家族といわれます。自分から万博に関心があって、出かけた者ではないようです。「折角貰ったんだから、行ってみるか、、」といった気分で出かけたのでしょう。関係者の18,000人は、入場券を購入していない人です。何故、関係者の入場数を公表する必要があるかです。入場者数を多く見せるために、都合のよいデータを使いたがるのです。会場では7月1日に、1,000万人超えのセレモニーが行われたとか。関係者を含めての数です。本来ならば、入場券を持つ人の数でセレモニーをするべきところ

 博覧会協会は6月20日に会見を行い保健所が推奨する精密な「培養法」という方法で検査した結果、ウォータープラザの海水からは「最初からレジオネラ属菌がほぼ検出されなかった」と結論付けました。そして協会は「安全確保を最優先に考え水上ショーを中止した。健康危機管理上、適切な判断だと思う」と語ります。レジオネラ属菌が見つからなかったなら、何故水上ショーを中止するのかです。検査結果を信頼しないかのような発表です。入場者数を増やしたい協会ですが、水上ショーで観戦者がレジオネラ菌の入った水しぶきをうけ肺炎、高熱、咳、呼吸困難などの症状を引き起こす可能性があるので、苦渋の発表なのでしょう。

 消費税減税をうたうのは消費者なのか、それとも一般の小売業者なのかです。恐らく両方でしょう。物が売れやすくなり消費が増加しするのですから、両方とも消費税減税には諸手を挙げるはずです。消費税減税に反対するのは、財務省の官僚であり、彼らからレクを受ける国会議員です。税や財務の仕組みに疎い議員のなんと多いことか、、それをほくそ笑んで手玉にとるのが財務省の官僚なのです。

所得の分布

 不適切な統計を使う例は、算術平均、中央値、最頻値にあることをこれまで説明してきました。多分、最もわかりやすいというか、便利なので平均を使うことでごまかすことができるのです。日本人一世帯の所得を発表するのに平均を使うと、あたかも所得が高いように見えるのです。世帯当たりの収入は、【最頻値<中央値<平均】のように分布することが判明しています。それ故、平均を使うのです。これが狡猾な発表となるゆえんです。

 次に、「誰がそう言っているのか」を見極めることです。例えば、「朝日新聞」と「しんぶん赤旗」の記事を読んだとします。「朝日新聞」のある報道に東大大学院教授のコメントが、「しんぶん赤旗」の記事に私立大学の教授のコメントがあったとします。どちらが「権威ある筋」に思えるでしょうか。「誰がそう言っているのか、、」と質問するとき大学教授とか各種の政府審議委員といわれる「ç」の肩書きに騙されてはいけないのです。

 過去3年間のうちに、ガンによる死亡率が増えたという報告があります。ただし、その外的な要因は何かということが分からなければ容易に結論をだすことは困難です。人の寿命は延びています。高齢者が多くなるとガンにかかりやすくなるのです。従って、死亡率よりも志望者数を見ることによって、以前よりガンにかかりやすい人が増えたという事実を知らねばなりません。同じことが高齢者のドライバーの事故の発生割合があります。高齢者のドライバーがさらに年をとると、より事故を引き起こす率は上がります。以前より事故を起こりやすい人が多くなったというだけのことです。ことさら大袈裟に発表する性質のものではありません。当たり前の現象を誇張したりねじ曲げてはいけません。

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2万円給付か消費税減税か

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参議院議員選挙の公示前に、生成AIに『消費税の減税はなぜ経済を活性化するのでしょうか。2万円の給付と消費税の減税はどちらが家庭にとって有効でしょうか。』という問いを投げてみました。そうすると次のように、消費税の減税は、経済を活性化させる効果があるという回答がありました。

● 消費者の負担が減る → 消費が増える
 たとえば、消費税10%の商品を買うと1,100円かかります(商品1,000円+税100円)。消費税が5%に下がれば、1,050円で済みます。減税によって買い物がしやすくなり、「消費の喚起」につながります。

● 企業の販売促進にもつながる
 増税時は駆け込み需要が高まりますが、減税後は消費者の買い控え解消も見込めることです。減税によって、景気低迷時に消費が刺激され、企業の売上が増え、雇用や投資にも好影響が出る可能性があります。

● 間接的に低所得層の負担軽減にもなる
 消費税は、所得が低い人ほど負担が重い「逆進的」なので、減税すれば低所得層ほど恩恵が大きくなります。

 次に、生成AIに対して2万円の一律給付と消費税減税、どちらが家庭に有効か?という問いを出しました。生成AIは、一概に「どちらが絶対に良い」とは言えないが、世帯の収入や消費傾向によって異なると考えられるという回答です。例えば、2万円給付 vs 消費税減税(例:10%→5%)です。

2万円給付の場合:
 ・効果に即効性がある(すぐもらえる)
 ・制限されることが多い(例:低所得世帯のみ)
 ・一時的な負担(1回限り)
 ・効果は限定的で貯蓄に回ることも多い
 ・逆進性対策で低所得層に狙いを定めやすい

消費税減税の場合:
  ・中長期的に毎日の買い物が安くなる
 ・消費が多いほど恩恵が増える
 ・消費する人すべてに及ぶ
 ・消費全体に波及しやすい
 ・定率なので大口消費者も得する

 消費税減税の場合、年間どれくらいの差になるかです。たとえば、年間300万円の消費をする家庭で比べてみましょう。消費税10%では税額は30万円で、消費税5%では税額は15万円で差額15万円となります。この場合、2万円給付よりも消費税減税の方が効果が大きいです。ただし年間消費が少ない世帯では、2万円給付の方が得になることもあります。

 2万円給付と消費税減の実施における政策面での現実的な違いは次のようになります。
2万円給付の場合:
 ・迅速な実行が可能(ただし、年内の配布時期は決まっていない)
 ・一時的な支出(ただし、事務コストや時間、労力がかかる)
 ・短期的な効果

消費税減税の場合:
 ・税制改正が必要 → 時間がかかるといわれる(ただ小売業はしばしば値段を変えている)
 ・恒久的・大規模な減収
 ・長期的な効果あり

 終わりに、どちらが家庭にとって「有効」かです。短期的な生活支援が必要な家庭には2万円給付が即効性があり、助かります。しかし、長期的には、税金や社会保険料を差し引いた後に自由に使える可処分所得の増加を望む家庭には、消費税減税の方がより大きな恩恵があります。そして、国全体での経済活動に焦点をあてるマクロ経済政策という観点では、消費税減税の方がより波及効果が高いといえます。2万円給付の原資つまり財源は、もともとは国民の税金なのです。国の2023年度税収、還付増でも2.5兆円も上振れしているのです。給付とは「税金を取り過ぎました。お返しします。」と言うべきでしょう。2万円の給付で物価は下がりません。2万円の給付はトリックとしか言いようがありません。

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統計で騙す方法 その九 「ワニの口」というウソ

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統計資料を駆使して人に間違ったことを教えるのは、統計を巧妙に操作することです。いわば統計の操縦法といってよいかもしれません。重要なことは、ごまかすという狙いにあわせて統計データを歪曲し操作するのは、必ずしも統計の専門家ではないことです。おそらく統計家の机上で導き出される数字が、セールスパーソンや広告代理店、新聞や雑誌記者、コピーライター、政府役人らの手にかかっていつの間にかねじ曲げられ、誇大化され、極端に簡略化され、取捨選択されて歪められていくのです。

 誰にも間違いがあるとしても、大目にみてやるわけには行かない事例が沢山あります。しばしば新聞や雑誌に見受ける間違いの図表には物事を大袈裟に誇張し、センセーショナルなものにしようとしますが、小さくいうことは滅多にないものです。小さくいうことは読者の目に止まらないからです。

 いくつかの例を取り上げてみます。財政の見通しを予測する政治家や経営者などは、国民や顧客、株主に対して、実際に考えられるより明るい見通しを発表したり発言することはなく、むしろ実際より暗い見通しを言うことが多いのです。その典型が、一国の総理が「日本の財政状況は間違いなく極めてよろしくない。ギリシャよりもよろしくない状況だ」という答弁に代表されています。そして、挙げくの果てに、「債務残高はGDPの2倍を超えており、主要先進国の中で最も高い水準にある」というように危機を煽るのです。

 統計データを最も姑息な方法で語り伝えるには図表を使うことです。図表にはその中に事実を隠し、いろいろの関係を歪めてしまう容器のようなものです。日本の財政状態を表現する「ワニの口」がその一例です。財政の「ワニの口」は、以下の図のとおり、日本の国家予算の一般会計の歳出と税収の差がワニの口のように拡大していく様を揶揄しています。このような状態になって日本の財政が破綻しないようにと、財務省を中心に財政規律を守る必要が強調されています。図は、グラフの歳出と歳入が先に伸びたとすれば、ワニの口のイメージとなるという按配です。

ワニの口の譬え

 「ワニの口」論者は、財政の引き締めや様々な行政サービスを提供するための政策的経費を、税収等で賄えているかどうかを示す指標、いわゆる「プライマリーバランス:PB」の黒字化を錦の旗としています。PB達成のために、財務省は極力、新規の国債発行に頼らない財政を目指そうとしています。「ワニの口」とは、誠に的を得た巧妙な戦術です。

 しかし、『グローバル・スタンダードでは、国債の発行による支出は民間の資産の増加となるため、景気過熱の抑制の必要がない限り、発行された国債は、事実上、永続的に借り換えされていくため、歳出に債務償還費は計上されない』とされています。この見方は、「ワニの口」論者に対する挑戦なのです。すなわち、日本の財政状況は財務省やマスメディアが報道しているほど悪化していないのです。

 「ワニの口」とは、以下のような財政構造を示す比喩です。つまり上のアゴの支出がどんどん広がる、特に社会保障費、下のアゴの税収は経済停滞・人口減少などであまり増えないという指摘です。結果として口が開きっぱなし=財政赤字の拡大「ワニの口」は予算の一般会計の歳出と税収の差がワニの口のように拡大していくことを指します。つまり、主に高齢化による社会保障費の拡大という「歳出増」と「歳入停滞」が乖離していくことが、長期的な財政危機を招くと警鐘を鳴らす構図です。

 ですが、会計歳出には国債償還費が入っていますが、歳入の方は借り換えた国債に相当する公債金収入が入っていません。従って、歳出から国債償還費を除くと同時に、歳入の方は税収に「その他収入」を加えた上で改めて両者を比較すると、いわゆる「ワニの口はありません」ということになるのです。「ワニの口」という図は、宣伝のトリックとしては耳目を集めそうですが、なんら新しいものでもなく、むしろ人を誤解させるための陳腐でチンケな方法といえそうです。

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統計で騙す方法 その八 偏見と差別の変化

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ニュージャージー州(New Jersey)にあるプリンストン大学(Princeton University)世論調査研究所での調査を引用します。黒人に対して偏見を抱いているかどうかが調査されました。そこで明らかになったことは、黒人を非常に毛嫌いしている白人ほど、黒人の就職の機会は白人と同じようにあると答える傾向があったというのです。同時に黒人に同情的な人たちのほぼ三分の二は、黒人には白人と同じような就職の機会はないと考えていると答えました。他方、偏見を示した人たちはのほぼ三分の二は、白人と同じくらいの就職のチャンスがあると答えたというのです。

 もし、この調査期間中に黒人に対する偏見が高まってくるようなことがあれば、黒人には白人と同じだけの就職のチャンスがあるという答えが増えてくることがわかります。すなわち、黒人はいつの場合でも、かなり公平な取り扱いを受けていることが調査からわかるのです。そして事態が悪くなればなるほど、同情的な世論となるように思われます。

 自分のことを人種差別主義者だと大っぴらに認める人間はごくわずかのようです。しかし多くの心理学者は、ほとんどの人間が意図せず人種差別主義的だと指摘します。「潜在的な偏見」(implicit bias)と呼ばれるものを持っているというのです。1960年代に、「奴隷制などの過去の人種差別に対する補償」や「多様性の確保」を目的として、アジア系を除いた人種的マイノリティである黒人やヒスパニックを、企業や官公庁の雇用や大学入学などで優遇する「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置:affirmative action」が導入されました。

 積極的差別是正措置に関してですが、大学への入学において、被差別人種とされる黒人やヒスパニック系の人種、あるいは被差別の階層のために採用基準を下げたり、全採用人員のなかで最低の人数枠を制度上固定するなどの措置がとられています。同じマイノリティの中でもアジア人に対する扱いは例外で、学業成績が優秀であったとしても評価基準の曖昧な人物評価において低い点数をつけられ、結果的に不合格になるケースが多く、優遇処置が取られているどころか、実際は事実上の人種差別を受けているのではないかという疑念が呈されているのが現状です。

人種別の合格加点(減点)

  「Natureasia」の2019年12月号、「米国における「逆人種差別」(reverse discrimination) の認識」によりますと、白人および共和党支持者は、差別の程度の差は、黒人および民主党支持者より小さいと考えているとあります。さらに、アメリカやヨーロッパなどに広がる政治的分極化と極右的な運動の高まりの一因は、非白人を優遇しているとされる社会にて、白人が差別に直面しているという考えにあるとしています。最近のある研究では、一部の白人アメリカ人は、黒人に対する差別の減少が白人に対する差別の高まりを伴っていると考えていることが示唆されています。

 このように「逆人種差別」という認識が、徐々に広がっていますが、我が国では、人種ではありませんが、女子学生を大学入試において差別する傾向が依然として残っており、例えば2018年には医学部入試での差別が発覚したり、都立高校における男女別定員制を設けるなどの実態があります。そうした背景を踏まえ、男女共同参画社会基本法の規定による男女共同参画基本計画により、「社会のあらゆる分野において,2020年までに,指導的地位に女性が占める割合が少なくとも30%程度になるよう期待する」といった目標を定めました。しかし、2020年7月には、30%目標を断念し、「2020年代のできるだけ早期」という曖昧な表現に変更しました。

 2020年の世界経済フォーラムにおけるジェンダー・ギャップ指数では、日本は153か国中121位。 OECD加盟国と比較しても、日本の女性取締役比率は15.5%と、米国(31.3%)、英国(37.2%)、フランス(45.2%)に大きく遅れています。

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統計で騙す方法 その七 パーセントという二十面相

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あることに関して発表する方法にはいろいろあります。筆者の周りあったことですが、マンションの管理費を「1.1倍」か「1.2倍」に引き上げたいという提案が管理会社からありました。なんのことはなく「10%」か「20%」引き上げたいということです。同じ引き上げ率ですが、見え方によって印象は変わるという例です。「1.1倍」のほうが「10%」よりもみじめに小さいと感じるのです。もしかして管理会社はこのトリックのようなことを知っていたのかもしれません。

 とあるスーパーにおいて、特定の商品について大売り出しと称し午前中に99円で売ったとして、午後に100円として売ったとします。1%の儲けです。そうすると「年間365%の儲けになる」となります。実際には「365円の儲けになる」というだけです。どのような数字にしてもその表現の方法いろいろあるものです。全く同じ事実を表すのに。売上高の。1%の利益とか、投資額の45.5%の利益とか、1000万円の儲けとか、昨年比の60%の減、というようにいろいろと表せるのです。そして、その中から当面の目的に最もかなう方法を選んだならば、その数字が事実を正しく表していないと気がつく人はほとんどいないと考えた方がよいようです。

 日本のある自動車会社が、最近9か月の売上高の12.5%という税引きの利潤を報告したとします。その同じ期間中に投資に対する利益は45.5%であったとします。この場合、考えられるワナは、年間の投資額に対する収益というものは、総売上高に対する利益とは同じものでないということです。得てして大企業というのは、大きな収益をあげたことを報道することは控える傾向があります。従業員のベースアップやボーナス要求を抑えるためにも、売上高の上昇による利益という控えめな報道をするのです。

 商品の値引きをパーセントで表し、消費者をトリックで騙すことがあります。ある商品について、「50%プラス20%の値引き」で販売するとします。値引率は70%となるでしょうか。違います。この20%とは50%に値引きした品にさらに20%を値引きするということです。従って、割引率は、0.5×0.2=0.1(10%) ですから60%となります。

 もう一つの騙されやすい例があります。パーセンテージとポイント(パーセンテージ・ポイント)です。もし誰かの投資額の5%の利潤があったとします。翌年にはそれが10%になったとします。利潤は5ポイント増加したと言えば、控えめな印象を与えます。しかし、それを100%といっても一向に差し支えないのです。この説明は、パーセンテージとパーセンテージ・ポイントが紛らわしいということを示す例です。

 本話題のお終いに、各政党の支持率も何ポイント上昇とか下降という報道があります。K党が前回は5%の支持率、今回は10%となったとしますと、5ポイントの増加であり、100%の増加と言ってもよいのですが、そのようには報道されません。「5%増えた」と言うと、絶対的な増加量なのか、元の数値に対する割合なのかが分かりにくくなります。そこで、「5ポイント増えた」と言うことで、単なる増加量ではなく、パーセント表示された数値の差であることを示します。

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統計で騙す方法 その六 平均で騙す方法

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「日本人の一世帯当たりの平均収入はどのくらいでしょうか。中央値と最頻値も教えてください。」という問いを生成AIに出すと、2022年の厚生労働省による「国民生活基礎調査」によると、直近の「1世帯あたり所得」の代表値は以下のとおりであるという回答を得ました。すなわち、平均値(算術平均-mean)は 約 545万 円、中央値(メジアン-median)は 約 423万 円、最頻値(モード-mode)は 200~299万円となりました。平均が最も高くなっているのは、高所得世帯、例えば年収1,000万円超が全体を引き上げているためと推定されます。中央値とは、データを小さい順に並べたときに真ん中にくる値のことです。最頻値とは、データの中でもっとも頻度の高い値のことをいいます。

日本人世帯収入のおおよその分布::最頻値 < 中央値 < 平均値

 次に中央値は平均より約120万円低く、世帯の丁度真ん中で423万 円となります。最頻値の200〜299万円は中央値よりさらに低く、平均より1/2以下で実際に多くの世帯はこのレンジ付近に集中していることを意味します。少数の高所得世帯によって平均値が引き上げられている実態が読み取れます。所得の分布を並べますと 最頻<中央<平均 という順になり、右裾が長く伸びた分布となります。値の大きさは、になります。高所得世帯がいる一方で、多くの世帯では200〜299万円の所得帯が中心であること、この乖離が日本の所得分布の特徴となっています。

 このとき、平均値よりも中央値を使うことによって、所得の分布を分析するのが誤解が少ないと思われます。最頻値の200〜299万円は中央値よりさらに低くなっており、この世帯の収入が日本人収入状況を示していると判断すべきです。この時のトリックは、「平均」という言葉の意味が非常にルーズなのを利用して、日本人の豊かさを示そうとすることです。平均は大衆の意見を左右したり、広告をとりたいと思う時に意図してしばしば使われるのです。全世帯の半分が約 423万 円以下の収入を得ていると理解するのが大事です。最頻値の200〜299万円とは、この範囲の収入世帯が最も多いことを示します。

 日本人の所得を考えるとき、平均値を使うよりも中央値、もしくは最頻値を使うことで日本人の所得からみた暮らしの状態がある程度推測できるのです。平均値を使うことによって、例えば各国のとの比較がなされることは、間違いではありませんが、中央値や最頻値のほうが、生活の実態や財布の中身を知る上ではベターであるといえます。平均値とは、概して実態を目隠しがちになることを知っておきたいのです。平均値とは意外と人を誤解させたり騙しやすい統計の代表値なのです。

 日本人の所得の分布のように、最頻<中央<平均 という順のように片側の裾の長い分布の場合は、平均値だけを見ていては現実をうまく捉えることはできません。分布の形、中央値や最頻値、個別の数値を合わせて見ていくようにすべきです。

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統計で騙す方法 その五 サンプリングやインタビュー手法の偏り

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キンゼイ報告(Kinsey Reports)とは、アメリカの動物学者で性科学者であるアルフレッド・キンゼイ博士(Alfred Kinsey)とその研究チームによって、1940~50年代に発表された、アメリカ人の性的行動に関する科学的調査報告書のことです。この報告は二つあって、1948年の「Sexual Behavior in the Human Male『男性における性行動』」、そして1953年の「Sexual Behavior in the Human Female『女性における性行動』」です。

 キンゼイ報告は、一般には性科学の歴史において重要な一里塚ーマイルストーン(mile stone) の一つといわれます。ですがその信憑性については学術的にも議論が分かれています。以下に、その信憑性について評価する際の主なポイントを整理して説明します。

 信憑性があるとされる理由は、大規模なデータが収集されたことです。キンゼイ博士とそのチームは、6,000人以上の女性に対して詳細な性的行動に関するインタビューを行いました。当時としては非常に大規模かつ系統的な研究といわれました。次に、学問的な先駆性ということが注目されました。当時タブー視されていた女性の性的行動に科学的関心を向け、公にした点は画期的で、その後のジェンダー(gender)やフェミニズム(feminism)の研究、性科学の発展に寄与したといわれます。さらにキンゼイ報告は、道徳や宗教的価値判断を排し、観察された「行動」に基づいて記述されており、それまでの性に関する記録よりも科学的な姿勢を保っていました。データの分析ではいわゆる行動主義的アプローチをとったことです。

 しかし、キンゼイ報告は多くの批判や信頼性に疑問が呈されました。第一の批判は標本抽出(サンプリング)の偏りです。キンゼイは「無作為抽出」を十分に行っていなかったと批判されています。例えば、性的にリベラルな人と呼ばれるセックスワーカー、大学生、受刑者などを多く含んでいたため、全米女性の平均的な行動を正確に反映していないという指摘です。第二の批判は、インタビュー手法の問題です。データ収集が主にキンゼイ自身によって行われたため、被験者が答えを誇張したり抑制する「社会的望ましさのバイアス」(social desirability bias) が生じた可能性があることです。第三の批判は、倫理的な問題です。一部の情報源では、未成年者や性的逸脱行動を記録する際に、同意や倫理的配慮が不十分だったといわれます。

 キンゼイ報告の女性版は、「科学的信頼性というより、社会的・文化的意識改革の観点から重要な文書」と評価されそうです。完全に信頼できる統計的記述とは言い難い部分があり、現代的な意味での「厳密な科学的研究」としては限界があったのですが、それまで無視し抑圧されてきた女性の性的実態に光を当てた先駆的研究としては意義があるといわれました。

 世論調査やインタビュー調査というのは、偏りの原因に対する不断の戦いということです。この戦いには勝利がないこと、終わることのない難しい戦いです。「日本人の65%が消費増税に反対している」といった報道に対して、その65%と言うのは、日本人のどのような年齢、性別、職業の人なのか、といった疑問を絶えず抱きながら読むべきなのです。

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統計で騙す方法 その四 人とはウソを言うものである

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 「新聞を読んでいますか」、「どのような新聞を購読していますか」という世論調査の結果も面白い。これは固定電話の持ち主に対して行われました。いまから30年位前では、『読売新聞』が常にトップの発行部数を誇っていました。最も読まれたとか購読している新聞といえば『読売新聞』『朝日新聞』『毎日新聞』でした。『しんぶん赤旗』は論外でした。

ウオール・ストリート・ジャーナルの創刊号

 『朝日新聞』は、特に以下のような特徴を持っていました。それは知識層・リベラル層に人気があったことです。大学教授、官僚、公務員、教育関係者など、比較的リベラルな傾向を持つ読者層に強い支持を得ていました。『朝日新聞』は文化・教育記事が充実していたといわれます。科学、教育、文化などに関する記事の質が高いとされ、教養的なコンテンツを求める人に好まれました。そして全国的な販売網を有し、地方にも支局や販売店を持ち、安定的な購読層を形成していたといわれます。1990年代にはスマートフォンは存在せず、ほとんどの家庭が固定電話を使っていました。そのため、この種の世論調査は全国の購読者層をある程度反映していたと考えられます。

 しかし、実際にはどの新聞を購読したり読んでいたかです。「どの新聞をよんでいたか」と問われたいわゆる知識人は、『読売新聞』とは答えなかったのです。『読売新聞』は巨人のオーナーであり多くの読者を抱えていました。知識人といえども巨人ファンになびいていました。ですが質問に対しては、自分は教養的なコンテンツを求めているというブライドがあり、本当のところ読売新聞というように答えなかったのです。もしかしたら『しんぶん赤旗』を読んでいたのかもしれません。上品ぶったウソの回答をしたのです。

 同じことが、月間雑誌の読者にもいえます。当時の文化人といわれていた人が好んで購読していた雑誌は『中央公論』・『思想』・『世界』・『文藝春秋』など古典的名雑誌は現在も根強く支持されつつ、多様なニーズに応じて専門誌・思想誌・実務誌へと読み分けられています。用途や関心領域によって、上記の中から選ぶのが現代の知識人的定番と言えます。『文藝春秋』の発行部数がもっとも多く、40万〜46万部、『中央公論』は2万〜3万部、『世界』は4万部、そして『思想』は遙かに少ないといわれます。

新聞印刷輪転機

 『中央公論」は、知識人や教職者など特定層に根強い支持があるものの、一般への訴求力では及びません。『世界』はややリベラル・論壇色が強く、「知識人の義務として読まざるを得ない」「内容が重い」といわれてます。『思想』はあまりに専門性が高いといわれ部数は少ないといわれます。『文藝春秋』は、幅広い分野の内容、圧倒的な刊行部数、権威ある文学賞掲載という三拍子が揃っていて最も読者層の支持をしっかり獲得しているようです。

 知識層やリベラル層の人々が『世界』『思想』『中央公論』を好んで読んでいるという回答は、知的レベルを意識した高尚ぶったウソ回答のようです。

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統計で騙す方法 その三 各党の独自調査とその結果

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さきの都議選挙を前にして、各党は独自に調査をしていました。結果として調査結果は外れました。その代表が自民党の調査結果と見通しです。投票前では、発信力のある小泉農林水産大臣の備蓄米の随意契約による米価の引き下げ、物価上昇の対策として、国民一人当たり2万円を給付するという発表により、自民党の勢いが上昇しているという予想が流れていました。「政治と金」は、陰が薄くなったという見通しを立てていたようです。独自調査の予測は大きく外れて30議席を21議席に減らす惨敗となりました。

 政党はRDD方式などの電話調査やインターネット調査を使っていますが、回答率の低下やサンプルの偏りが問題になります。特に固定電話を使った調査では、若年層や都市部の単身者が抜け落ちやすくなります。近年の選挙では「無党派層」が多く、直前まで投票先を決めない人が増えている傾向があります。そのため、調査時点ではある党を支持していたが、実際の投票日には他党に入れた、という動きが起こりやすいです。

 情勢報道による“勝ち馬効果”や“同情票”があったことも分かります。報道によって「この党は優勢」「この党は厳しい」と印象づけられると、有権者の行動が変わるのです。勝ちそうな党に乗るとか、劣勢な党をあえて応援するというのが投票行動です。有権者が本音を言わない、いわゆる「隠れ票:シャイボーター(shy voter)」の存在もあります。たとえば、特定の党や候補を支持していても、それを公言しづらい空気がある場合、調査では「支持しない」と答えることがあります。組織票の読み違いもあります。特定の団体が支援する候補は、実際には確実な組織票を持っていても、調査ではそれが反映されにくいことがあります。組織票の高齢化が響いた党もあります。逆に組織の力が過信されて、期待外れになるケースもあります。

信頼度(確率)

 結論として言えることは、事前調査と実際の結果のズレは、調査手法という技術的な問題と有権者の行動や報道の影響という社会的・心理的な要因が複雑に絡み合っています。選挙情勢は特に直前になって大きく変わることがあるため、調査を過信せず、柔軟に情勢を見る必要があります。もっと言えば、手前味噌の調査は当てにならないということです。結果が予測とはずれた理由は、調査の基本である選び方(サンプリング)を無作為に行わなかったこと、これに尽きます。

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統計で騙す方法 その二 投票行動と出口調査

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「参議院議員選挙の前哨戦」といわれた東京都議会議員選挙が終わりました。投票所の前には報道関係者がいて、投票を終えた市民に対して、どの政党に投票したかを調べていました。結果を予測するには、一つの選挙区では無作為に選ばれた400人程度が必要と考えられています。ですが番組によって当確に違いが見られることや、候補者によって当確が出る時間の違いがでてきます。そのことに疑問を持ったことはありませんか?

 実は、こうした「当確」や「当選」をうつときに、大量のデータから価値ある情報を抽出し、分析、解釈するためのデータサイエンスが用いられるのです。この方法により出口調査のデータを使って誰が「当確」となるかを決めることができるのです。 出口調査のデータによって、それぞれの候補者の得票率を「おおよそこのくらいから、このくらいまでの区間に入るのではないか?、もし区間に入るならば当確を打つ」という決定をするのです。出口調査のデータは放送開始の数時間まえに分析され、放送開始時にはすでに「当確」、あるいは「やや優勢」などが分かるのです。

 このとき大事なのが、出口調査でインタビューする人を無作為に選ぶことです。均等な人数間隔、もしくは時間間隔をおいて調査への協力を依頼します。例えば投票を終えた人を順に5番、10番、15番という具合に選びます。インタビューの時間として午前の前半、後半、午後の前半、午後の後半というように分けることです。午前中は、高齢者が投票する傾向があります。母親は食事の世話や洗濯が終わった午前の後半か午後に投票所へ向かう傾向があります。若年層はゆっくり起きて、午後に投票所へ向かいがちになります。こうした選び方が無作為抽出の基本です。

 出口調査に応じた人を無作為に選んだとしますと、「当確」と判定できるかどうかは、統計的に有意であるという場合のことです。言い換えますと、出口調査の結果は標本なので、母集団(全有権者)の結果にどれくらい一致するかには誤差があるため、95%信頼区間というのを使って評価します。5%くらいの間違いが起きる可能性がありますが、これは無視してよいというのが統計による検定の基本です。もちろん誤差を1%としても良いのです。誤差を5%としても1%としてもほとんど結果には違いのないことが分かっています。

 出口調査で最も大事なことは、調査対象者(サンプル)を無作為に選ぶということです。これをやらない調査の結果では視聴者は騙されます。

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統計で騙す方法 その一 ウソには3種類がある

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かのイギリスの政治家、ディズレリー(Benjamin Disraeli)が語った言葉があります。「ウソには3種類がある。ウソ、みえすいたウソ、そして統計だ。」誠に含蓄のある言葉です。ディズレリーは、自由党のウィリアム・グラッドストン(William Gladstone)と並んでヴィクトリア朝の政党政治を代表する人物で、また小説家としても活躍したといわれています。ディズレリーは統計によって人を騙す方法を知っていたようです。自由党は別名ホイッグ党(Whig Party)といわれ、議会による王権制限を主張する反王党派の政党です。

 最近は、「トレンド」とか「流行」といった言葉をしばしば見聞きします。一体誰が、このような言葉を広めるかです。社会の裏には、消費者を惑わすというか、拐かすような人々がいるのです。「相関関係」とか「平均」、そしてグラフを使って、「トレンド」を意図的に作りだすことができるのです。今や、統計は読み書きの能力と同じように重要になっています。

債務残高のGDPとの比較

 ディズレリーのように我が国の総理大臣が賢い政治家であるかはわ分かりませんが、彼は先日、「日本の財政状況は間違いなく極めてよろしくない。ギリシャよりもよろしくない状況だ。税収は増えているが、社会保障費も増えている。減税して財源を国債で賄うとの考えには賛同できない。」と国会で答弁しました。総理大臣が国民を騙す方法を知っていたかどうかはわかりません。おそらく財務省の官僚からレクを受けて答弁したようです。

 総理大臣は、政府の純債務残高と国内総生産(GDP)を割合を使うと、債務残高はGDPの2倍を超えており、主要先進国の中で最も高い水準にあるという統計を使って発言したのです。他方で、対外純資産をみると世界で二番目となっている事実を忘れてならないのです。日本は世界最大の債権国でもあります。このように純債務残高を分子とし分母をなににするかによって、債務残高の比率は違ってくるのです。このような見方を一国の総理が知らぬはずがありません。もし知らないとすれば、総理大臣としては失格で退場です。あるいはもしかして、ディズレリーのように「ウソをつくには統計を使う」ことを財務省から入れ知恵をされていたのでしょう。国民はウソに騙されてはなりません。

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無関心や傍観の帰結 その第十四 ヘイビアス・コーパスの歴史

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 「ヘイビアス・コーパス」という制度は中世イングランド(medieval England) の歴史に起源があります。ラテン語で「人身を差し出せ」という意味の「Habeas Corpus」は、中世のラテン語による法文書の冒頭の語句から来ています。イングランドのコモン・ロー(common law)という慣習法の中で、王の裁判所が地方の牢獄に囚われている人を引き出し、その拘禁が正当かどうかを調べるための命令文書(令状)として発展しました。コモン・ローとは、法制度の重要な特徴である「判例法」を指す言葉です。具体的には、判例に基づいて法が発展していくシステムであり、イギリスの普通法を起源とします。しかし、当初は王の裁判権の拡大が目的であり、個人の自由保護という意識はまだ希薄でした。

チャールズ2世

 この制度が発展したのは13〜17世紀といわれます。1215年の大憲章(マグナ・カルタ: Magna Carta)では、「正当な裁判なく自由を奪ってはならない」という原則が確認され、これが後の「ヘイビアス・コーパス」の精神的基盤となりました。その後、裁判所が不当な拘禁を調査するためにこの令状を使うことが一般化します。特に、16〜17世紀には国王や官僚による恣意的な拘禁に対して、庶民が抗議手段として使うようになります。

 この制度の最も重要な転機は、1679年にイングランド議会(Parliament of England) が「ヘイビアス・コーパス法」を制定したことです。これはチャールズ2世(Charles II)の治世下、国王権力の乱用を防ぐために成立したものです。次のような内容でした。

・裁判なしに長期間拘禁することを禁じる
・裁判官の命令で速やかに被拘禁者を釈放させる
・刑務所や官憲による引き伸ばしや拒否を処罰対象とする

 この制度はやがてイギリス植民地とアメリカへ波及します。イギリスの法制度に従っていたアメリカ合衆国でもこの制度は引き継がれました。つまり合衆国憲法第1条第9節には、「ヘイビアス・コーパス」の特権は、反乱や侵略の際にのみ停止できる」と明記されています。このため、リンカーン大統領(Abraham Lincoln)が南北戦争(Civil War) 時に一時的に停止した例が有名です。

 終わりに、「正当な裁判なく自由を奪ってはならない」という原則は我が国ではどのように規定されているでしょうか。日本国憲法第34条の前段は、「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない」と定められています。この条文が「ヘイビアス・コーパス」に由来するということは明らかです。しかし、このことの詳細を定めた人身保護規則は適用条件を絞っているため、日本の人身保護手続は公権力に対する拘禁についてはほとんど用いられていません。専ら私的拘禁への救済手続として用いられているのが現状です。

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無関心や傍観の帰結 その第十三 ヘイビアス・コーパスとは

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今アメリカ議会の公聴会で、トランプ大統領の命令で「不法移民摘発」と「国境の内側での犯罪取締」を行う連邦機関が、不法滞在者の摘発し強制送還していることを非難し論議されています。大統領が議会の承認なしに不法滞在者一斉強制送還を命じたのは違法ではないかという指摘です。

抗議デモ

 この大統領の行為に対して、異議を唱える議会議員は、「ヘイビアス・コーパス(Habeas Corpus)」という原則を強調するのです。「ヘイビアス・コーパス」とは、不当に拘束されている人の身柄を裁判所に提出させ、その拘束の合法性を審査させるための令状、またはその制度のことです。Wikipediaによると 「不当な拘束からの解放を目的とする、人身の自由を保障するための重要な制度」とあります。別名、人身保護令状と呼ばれています。ラテン語 Habeās Corpusでは「身柄を提出すべし」あるいは「身柄を持参すべし」を意味します。

 アメリカ合衆国の法制度において、大統領の権限、議会の役割、そして憲法で保障された「ヘイビアス・コーパス」の原則が交錯するこの問題は、合衆国憲法の根幹に関わります。合衆国憲法 第1条 第9節には次のように謳われています。

「公共の安全が要求する場合を除き、「ヘイビアス・コーパス」の特権は停止されてはならない。」

 つまり、戦争・反乱などの非常事態を除いては、政府は勝手に人を拘束できず、裁判所の審査を経る必要があるという強力な人権保障の柱です。大統領は、連邦移民法(Immigration and Nationality Act)などに基づいて、移民・関税執行局(Immigration and Customs Enforcement: ICE)などの連邦機関に不法滞在者の摘発・退去を命じることができます。しかし、大統領の権限は法律に基づいて行使されるべきであり、法の適正手続き(due process)を無視することはできません。仮に、大統領命令で移民を拘束・送還する場合でも、当事者が裁判所に対して「ヘイビアス・コーパス」を請求する権利は奪えません。

 大統領は議会の立法によって権限を与えられた範囲内でのみ行動可能です。退去命令や拘束などを行うにあたり、議会の承認なしに恣意的に行えば、司法手続き違反や人権侵害という憲法違反になる可能性があります。特に、「ヘイビアス・コーパス」の停止は議会の特別承認が必要であり、大統領単独ではできません。

 現在の論点ですが、不法滞在者が「ヘイビアス・コーパス」を通じて不当拘束を訴えることができるかです。答えはイエスです。合衆国憲法の下で、市民でない外国人であってもアメリカ国内にいる限り、一定の憲法上の権利(自由権)は保護されます。

 大統領が議会の承認なしに一斉強制送還を命じた場合、違憲かどうかです。答えは、その可能性が高いといわれます。法の適正手続きを踏まえずに行えば、裁判所により違憲判決が出されることが考えられます。結論からいえば、大統領は議会の定めた法律に基づいてのみ不法移民の摘発・退去を命じることができます。「ヘイビアス・コーパス」の権利は憲法で守られており、大統領が一方的に無視することはできません。議会の承認なしに、その権利を停止したり、大規模強制送還を命じることは、憲法違反の疑いが極めて高くなります。

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無関心や傍観の帰結 その十二 野間宏や大岡昇平と文学活動

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戦況の激化により、表現の自由の統制はさらに強化されていきます。反戦との関連が薄くとも、時局に消極的な内容であれば規制の対象となり、表現の幅はさらに狭くなります。谷崎潤一郎の『細雪』が連載中止に追い込まれたことは、この時代を象徴する事件の一つといわれます。『細雪』はモダニズム時代の阪神間の生活文化を描いた作品としても知られ、全編の会話が船場言葉で書かれています。Wikipediaによれば「上流の大阪人の生活を描き絢爛でありながら、それゆえに第二次世界大戦前の崩壊寸前の滅びの美を内包し、挽歌的な切なさをも醸し出している」といわれます。戦意高揚の出版物が推奨され、そこに多くの紙が配分されたことで、表現活動のためには時局に協力的にならざるをえない状況が作り出されます。このように、終戦までの日本では表現の可能性が政府によって日を追うごとに制限されたのです。

 1945年8月。さまざまな意識をもって戦時下を過ごした文学者は、それぞれの終戦を迎えます。個人の程度の差こそあれ、戦時体制に協力した彼らは強く批判されます。この当時、横光利一が山形での文筆活動から、「夜の靴」を通して敗戦の痛みを表現したことをはじめ、自身の戦争協力を徹底的に反省する者も現れてきます。

横光利一

「夜の靴」の一節です。

「軍人という奴は、どいつもこ奴も、無頼漢ばかりだ。」またか、と初めは思って、私にこの話をした青年は、聞くのを躊躇したそうだ。この青年も復員軍人だ。「捕虜に食わせる食い物なんて、あれや無茶だ。人の食う物じゃない。気の毒で気の毒で、もう見ちゃおれん。」と、日通は云った。軍人を攻撃するのは田舎でも流行だが、これは少し流行から脱れた権幕である。罵倒も飛び脱れた大声だと、反感を忘れ、どういうものかふと人はまた耳を傾ける。「敗残兵が帰って来たア。」

 さらに、戦前・戦中に若年層であった者が「戦後文学」を作り上げていきます。表現方法は多岐にわたりますが、文学者の一部は戦争による日常の崩壊を描き、戦時以前の文学とは異質な文体でもたらされた非日常の経験を表現していきます。兵士として戦地に赴いた野間宏や大岡昇平の著作には、自身の経験を通した新たな表現が見られます。野間は、人を兵隊に変える兵営という軍隊の日常生活の場を舞台とし,軍国主義に一石を投じた「真空地帯」という意欲的な作品を残します。この著作は、彼の出征経験から書かれ、戦後は大きな反響を呼び、戦後文学の記念碑的名作となります。

映画「野火」

 大岡は、「野火」において戦時中のフィリピンのレイテ島での戦争体験を基にし、死の直前における人間の極致を描きます。主人公の田村は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からは食糧不足のために入院を拒否されます。彼が目の当たりにする、自己の孤独、殺人、人肉食への欲求、そして同胞を狩って生き延びようとするかつての戦友達という現実は、ことごとく彼の望みを絶ち切っていきます。 ついに、「この世は神の怒りの跡にすぎない」と断じることに追い込まれた田村は、狂人と化していくのです。戦争文学の代表作の一つといわれます。大岡は他に従軍記である『俘虜記』も出版します。

 戦時下の統制により日本の文学は停滞します。戦後、言論の自由が認められた世で生まれたのが戦後文学です。野間や大岡らの「戦後文学」が誕生し、当時に与えた社会的影響は大きく、戦争像を相対化し戦争というものの意味を捉え直させる力があったことは確かです。

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無関心や傍観の帰結 その十一 戦前と戦後の文学活動

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戦時下を生きた日本人は戦争にさまざまな苦労や辛酸をなめてきました。最も苦痛であったことは表現の自由を極端に制限されたことです。自分の意思を表明できませんでした。そうした状況の中で、文学者はどのように戦争に関わったのか、そして敗戦を経験し、戦後社会において戦争をいかに捉え直していったのかは興味ある話題です。

 東北大学の日本文学研究室の仁平政人准教授は、文学者による戦争への反応は多様であり、時期によっても変化するため、唯一の傾向を見いだすことは難しいと指摘します。ただし、日中戦争前の1935年頃、文壇は「文芸復興」が唱えられる状況にあり、戦争を強く意識する者は多くなかったといわれます。「文芸復興」期の中心は太宰治や井伏鱒二らで、「モダニズム」とか「新興芸術派」が醸成され、彼らに戦後の「大衆」の共感を喚起していったこといわれます。

 文芸誌『戦旗』で1929年に小林多喜二が「蟹工船」を発表します。いわゆるプロレタリア文学の代表作とされ、国際的評価も高く、いくつかの言語に翻訳されて出版されました。全体に伏字があったとかで、文芸誌の6月号の編が新聞紙法に抵触したかどで発売頒布禁止処分を受けます。この小説には特定の主人公がおらず、蟹工船にて酷使される貧しい労働者達が群像として描かれている点が特徴的です。1930年7月、小林は「蟹工船」で不敬罪の追起訴となります。

 1938年頃の日中戦争勃発以後、反戦や厭戦をうたう表現は規制され、文学者は個人の思想に関わらず皆、国家との一体化を迫られていきます。この時期、彼らの中には戦地に赴き、文筆活動によって戦況を発信する「ペン部隊」として活動する者がいました。「ペン部隊」は、内閣情報部によって組織され、軍の要請を受けて中国や南方戦線に派遣されました。彼らは、戦地での体験を基に、戦意高揚を目的とした記事や小説を執筆し、新聞や雑誌、書籍などを通じて発表したといわれます。軍の広報活動を担った作家たちのグループには、林芙美子、火野葦平などがいて、戦意高揚を目的とした記事や作品を執筆します。

ペン部隊

 日中戦争に関わった「ペン部隊」の文学者にとって戦争は必ずしも肯定的なものではなかったようです。アジアの解放者を標榜する日本が実質的な侵略戦争を進めていることに彼らが気付いていったからです。こうした考え方を一変させたのが、1941年に始まる太平洋戦争です。これにより、多くの文学者にあった侵略戦争への抵抗意識が消失します。この戦争に、帝国主義的な英米らを相手としたアジア解放のための「聖戦」であるという大義ができ、それまで政府への協力に消極的であった文学者の多くも体制側に与していくのです。

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無関心や傍観の帰結 その十 支那事変と日中戦争

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今NHK連続テレビ小説「アンパンマン」が放送中で12週は「逆転しない正義」となっています。主人公の一人で漫画や絵を愛していた棚井嵩が徴兵されて日中戦争に巻き込まれ、1944年9月福建省にて宣撫班に所属するという舞台です。宣撫班とは、占領の目的や方針などを知らせることで人心を安定させることを任務とする組織です。中国人に嘲笑され歓迎されない兵士と住民とのいさかいが起こります。そこで、老若男女が喜ぶ作戦を考えよ、という命令を受けます。棚井は、一人の子どもに出会い、「紙芝居」にその子どもを主人公として登場させるのです。地元民から共感を得る紙芝居を作るのです。最初の紙芝居のテーマは「双子の島」でした。これが集まった大人や子どもから受けるのです。しかし、戦況は悪化し、食糧の供給路が絶たれ、宣撫班は一日2食を強いられていきます。

1940年時点の日本軍占領地域(赤色部分)

 日中戦争は、中国では中国抗日戦争と呼ばれています。1937年7月7日に中国北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突した事件が戦争の引き金となります。この戦争は、1937年から1945年8月15日まで大日本帝国と蔣介石率いる中華民国国民政府の間で行われた戦争です。日本は宣戦布告は行わず北支事変と称し、戦闘が上海に拡大した後の1937年9月に支那事変と命名します。さらに戦線が拡大していくと、日華事変と呼ぶようになります

 戦争でなく事変と称されたのは、盧溝橋事件後に本格的な戦闘が行われても、1941年12月に大東亜戦争/太平洋戦争が日英米蘭との間で勃発するまで、両国は宣戦布告を行わなかったからといわれます。その理由として、日中両国がアメリカの中立法の発動による経済制裁を回避したかったからであると指摘されています。盧溝橋における銃弾の発砲については、蒋介石国民政府が「何らかの手違いによるものである・・」という旨の声明を出しており、正式な謝罪をします。日本側も、石原莞爾が旧知の仲であるドイツの駐中国大使であるオットー・トラウトマン(Otto Trautmann)に仲介を依頼します。これは「トラウトマン和平工作」と呼ばれました。

蔣介石

 日本側は事態の早期収拾も狙っていました。戦争ともなれば天皇の勅許が必要となりそれを避けたかったようです。一方中国側は、国内での近代兵器の量産体制が整わないままであることから、開戦により軍需物資の輸入に問題が生ずる懸念がありました。ことに軍閥や毛沢東率いる中国共産党との国共内戦の行方も不透明であったことから、中国国民党の蒋介石は「安内攘外(あんないじょうがい)」政策をとり、中国共産党との決着を目指す国内の統一を優先すべき問題と捉えていたといわれます。

 その後、中国共産党の国共合作による徹底抗戦の呼びかけ、及び蔣介石の「最後の関頭」談話における徹底抗戦の決意の表明、中国軍の日本軍及び日本人居留民に対する攻撃と事態は進展し、8月には第二次上海事変が勃発するに及び、戦線は現中国の華中地方、そして中国大陸全土へと拡大し、日本と中華民国の全面戦争という泥沼の様相を呈していきます。第二次世界大戦が勃発すると、蔣介石の重慶政府が英米オランダとともに日本に宣戦布告し、事変が戦争にエスカレートしていきます。東條内閣は1941年12月10日の閣議で支那事変を含めて大東亜戦争と呼ぶことに決定します。

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無関心や傍観の帰結 その九 「戦犯の実録 第二集 半生の悔悟」

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中国人虐殺に日常的に加担した憲兵が「私の行った拷問の記憶が、今も体を硬直させる」と書いて半生の悔悟を証言しています。このことを報じたのは、「しんぶん赤旗日曜版(2025年6月) 」です。その記事を以下に要約します。

1983年に発行されたのが「戦犯の実録 第二集 半生の悔悟」という本です。著者は日本が中国に侵略した1931年、20歳で志願し中国に出兵します。軍人になることが極貧から抜け出す道だったからです。1934年から満州を侵略した関東軍憲兵隊の憲兵となり、出世のために手柄をたてようと中国人へに拷問に明け暮れます。12年間の憲兵生活で、中国人を28名を直接間接に虐殺し、1917人を逮捕して拷問、投獄したそうです。戦後はソ連軍に抑留され、戦犯管理所に収容されます。1956年の特別軍事法廷で罪を認め、恩情措置で起訴免除となって帰国します。

日中戦争 1937年〜1945年

「拷問の毎に中国人のあの苦しい叫びが今も耳朶をかすめ、自責の念に駆られている。「ああ苦しい、耐えきれない」、と呼吸も切り切れに泣き叫び、頭をガンガン板に打ち付けて命乞いする。それを私は、「何をこのチャンコロ虫けらが」、となお拷問を続けた。私の行った罪悪の事実を書いていると今も体が硬直してしまう。」

「殺すことが日常茶飯事だったことです」と証言しています。他の元戦犯たちの証言からも、各地で住民を殺し、村ごと焼き払い、財産も家畜も食糧も奪い尽くしたようです。こうした証言や手記を残すことになったのは、戦前戦中の徹底した天皇制軍国主義が下敷きであったことです。「子どもの白紙の頭にしっかりとウソが詰め込まれた。この皇国教育を受けて戦争に行き、残虐行為をくり返すに至った」と著者は書きます。このような加害者証言は貴重です。著者はさらに言います。「私が身をもって学んだことは、人を殺害してしまうのは、銃剣などの武器だけではないということである。間違った政治、その政治家達が作る法律や政策が、武器よりもはるかに多くの人たちを死に追い込んでしまうということである。」

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無関心や傍観の帰結 その八 『きけ わだつみのこえ』

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戦時中、ドイツ国内に静かに展開していた反ナチ運動が「白薔薇通信」というチラシに記述されたことを書いてきました。このような不戦や反戦運動に加わった学生らは、「消極的抵抗」と呼んでいました。日本では戦前、戦中にこうした軍国主義批判や国粋主義批判の風潮があったとしても、家族や友人の間でさえ公にされることは厳重に禁止されていました。特に学徒といわれた大学生が、繰り上げ卒業となり、兵役に就いた時、自分達が異常な状況に置かれていることを見つめた手記などが明らかにされたのは1947年頃だといわれます。それが「はるかなる山河に」という東京大学の戦没学生39名の日記・手紙・句・和歌・詩・遺書集です。

 「きけ わだつみのこえ」は、「はるかなる山河に」のように東京大学の戦没学生に限られていたという欠点を補うために、広く新聞ラジオを通じて全国の大学高専出身の戦没学生の遺稿を集めて編集されたものです。追い詰められた若い魂が、自然死ではなく、もちろん自殺でもない死、他殺死を自ら求めるように、またこれが「散華」とされるように、訓練され、教育された若い魂の遺稿です。若い生命のある人間として、また夢多い青年として、また十分な理性を備えていた学徒らです。不合理を合理として認め、いやなことを好きなことと思い、不自然を自然と考えねばならぬように強いられ、縛りつけられ、追い込まれた時に、発した叫びが日本戦没学生の手記『きけ わだつみのこえ』から聞こえるのです

東京大学出版会

 残忍で暗黒のような国家組織と軍隊組織のなかで生きた青年の痛ましい記録が『きけ わだつみのこえ』です。このような狂気のような言辞を戦前、戦中に弄して若き学徒を煽てあげていた人々が、今や現に平気で平和を享受し、呑気に政争に明け暮れる政治に邁進しています。このような唾棄すべき現代に対する声なき声の訴えが『きけ わだつみのこえ』です。純粋なるが故に為政者や軍人の煽動の犠牲となり、無数の白骨化した学徒が太平洋の島々、遙か洋上の紺碧の彼方に眠っています。

 人間が追い詰められると獣や機械になるといわれます。人間らしい感情、人間として磨き上げねばならぬ理性を持っている青年が、かくのごとき状態に無理矢理に置かれて、もはや逃れる出る望みが無くなったとき、獣や機械になる直前に『きけ わだつみのこえ』に見られるようなうめき声や絶叫が聞こえてくるのです。戦争というものは、いかなる戦争といえども必ず人間を追い詰めるものです。相手に銃をつきつけると相手も銃をこちらに突きつけるのです。相手が銃を突きつけると相手に銃をつきつけるのが戦争というものです。

 ここに収められた手記や手紙、日記は、普通の条件のもとで書かれたものではありません。戦争下というだけでなく、日本軍隊の徹底した私生活統制が手紙や日記にまで及んで、すべて厳重な検閲のもとに置かれており、自由な表現は原則として行われていませんでした。このような統制は、軍事上の機密を護るということよりも、人身から良心にまで立ち入って拘束し、この制限が全面的に行われていたのです。

 将校や幹部候補生になると、家族への手紙などの検閲は幾分緩和されたといわれます。しかし、兵卒の場合には、検閲は全く極端なまでに徹底されたようです。この事実は「こんな手紙を書いたのが二年兵にでも見つかれば、おそらく殺されるでしょう」という兵士の言葉にそれが表れています。それにしてもこうした厳しい検閲を通り抜けて、不自由な文字で家族のもとに届けられた手紙のなかに、どんなに痛切に学生達の人間らしい苦悩や訴えや疑惑や諦めが語られていることでしょうか。

 最後の出撃や有罪判決後の処刑を前にして、学徒兵の家族宛の別離の手紙までが、型どおりの国粋的用語で書かれるのが普通でした。真情の吐露は「女々しい」として堅く禁じられていました。密かに書いて外出のさいにポストにいれたり、面会にきた友人にこっそりと持ち帰ってもらったという例もありました。それはほぼ例外であったことが指摘されています。『きけ わだつみのこえ』に収めた手記のうち、自由な文字が書かれているのは、まさにそういう例外的なもので、家族や友人によって密かに保存されたものが後に公開されたのです。

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無関心や傍観の帰結 その七 『白薔薇は散らず』 最後のビラ その2

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「白薔薇は散らず」において大学生らが書いた反戦のビラの内容は、神々しいほど格調高く、訴えかけるものです。「消極的抵抗」と呼んでいた彼らの言葉は、武器蜂起の弾丸や暴力以上の威力を持っているようです。「悪い政府をもった国民ほど、憐れなものはない」、「世界中で最も優秀な民族で、他国民はドイツに従うのが当然で劣等民族なのだ」という、当時の国家社会主義のスローガンに言論で次のように反論し、反旗を翻すのです。

大学にまかれた白薔薇通信のチラシ
Sophie Sholl und Hans Scholl

 われわれにとって、合い言葉は唯一である。党と戦うこと!われわれをなお、唖とし沈黙せしめるかの党組織から離脱せよ!親衛隊の上級また下級幹部と党に追従する者らの演壇に背を向けよ!われわれの関心事は真正の学問と純粋な良心の自由である!いかなる嚇かし道具もわれわれを畏怖させることはない、たとえ大学封鎖をもってしても、われわれ各個人の戦いにわれわれの未来、道義的責任を自覚する国民内でのわれわれの自由と名誉とがかかっているからである。

 自由と名誉!10年の久しきにわたってヒトラーとその徒党がこの二つの光栄あるドイツ語を圧搾し脱穀し歪曲すること、一国民の最高価値を豚の群れに投げあたえるディレッタントのみがなし得ることであった。彼らにとり自由と名誉が何を意味するかは、ドイツ民族のすべての物質的精神的自由とすべての道義的本質とを破壊せるこの10年間に十分示されたことである。いかに愚味なドイツ人といえども、彼らがドイツ国民の自由と名誉の名において全ヨーロッパに建立し、また現に建立しつつある怖ろしき血の噴泉によって、今や眼は開かれたのである。

 ドイツの名は永久に恥辱として残るであろう、もしドイツの青年がついに立ち上がり復讐と贖罪をを同時に果たし、加害者を踏みにじり、新しき精神的ヨーロッパを建設することをせぬならば、女子学生諸君!男子学生諸君!われわれにドイツ民族の目は注がれている!国民はわれわれに1823年ナポレオン戦役(Napoleonic Wars)の時とひとしく、1943年にはナチス的恐怖を精神の力で打破することを期待しているのだ。今や東なるベレシナ(Bjaresina)とスターリングラード(Stalingrad)に焔うずまき、スターリングラードの死者たちはわれわれに嘆願の声をおくる!「いざ進めわが民よ、のろしの煙は立ち昇る!」

 わが民族は国家社会主義によるヨーロッパの奴隷化に抗して、進軍を開始せんとする、自由と名誉の新しき信念に身をたぎらせつつ。

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