福音主義とキリスト教会 「伝統的」と「保守的」

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「保守的」あるいは「伝統的」という語は、文脈によっては、礼拝や神学において保守的あるいは伝統的ではあっても、福音派と呼ばれるグループとは様々な点で見解を異にする場合に用いられることもあります、プロテスタント内で「保守的」あるいは「伝統的」と評される者がいたとしても、それがそのまま福音派と同義であるとはいえません。また、「保守的」と「伝統的」は時に対立概念にもなりうると理解すべきです。

 福音派についてしばしば形容される「保守的」とは、多くの場合「伝統的」という意味とは相反しています。福音派はむしろ礼拝様式などの文化的要素に関しては、従来の教派に見られる伝統性を不純で旧教的なものと見なして否定し、簡素化し現代化する傾向が強いのです。「保守的」でありながら「非伝統的」といえるでしょう。

Missouri Synod church

 アメリカに拠点を置くのが、ルター派の一派であるミズーリ・シノッド(Missouri Synod)やウィスコンシン・シノッド(Wisconsin Synod)です。ミズーリ・シノッドの正式名称は、The Lutheran Church—Missouri Synod、略称LCMSと呼ばれ、全米で200万人以上の信徒をもち、聖書の権威や伝統的な教えを大切にしています。ウィスコンシン・シノッドの正式名称は「ウィスコンシン福音ルター派教会、略称Wisconsin Evangelical Lutheran Church:WELCで、アメリカにある保守的な古ルター派教会のひとつです。聖書の無謬性を厳格に信じる伝統的な立場をとっています。こうしたルーテル教会は、思想的には保守的で福音派と共通する面が多いのですが、礼拝様式などの面では改革派の影響を受けたドイツのルター派よりも伝統的であり、福音派のグループとは距離を置いているのが特徴的です。

 また、広義のプロテスタントとも見なされうる聖公会(Anglican Church)のうち、「アングロ・カトリック」とも呼ばれるハイ・チャーチ(High Church)では、ローマ・カトリックから受け継いだ「伝統的」でありながら「非保守的」な例です。他方、ハイ・チャーチの対義語でありプロテスタント的な要素が強いロウ・チャーチ(Low Church)と呼ばれるグループでは、その逆のケースもあります。

 ハイ・チャーチの「High」という言葉は、教会の権威や聖礼典(sacramento)の価値を「高く評価する」ことに由来します。歴史的な教会の伝統や使徒継承を重んじ、カトリック教会に近い華やかな衣装、香を焚く、聖餐式の強調などの儀式を大切にします。他方、ロウ・チャーチの「Low」 という言葉は、教会の権威や儀式の重要性を最小限に留めることに由来します。16世紀の宗教改革の精神を強固に受け継ぎ、儀式よりも「聖書のことば」や「個人がキリストとどうつながるか」を最優先します。形式的な儀礼を避け、説教を中心に据えた簡素な礼拝を行うのが特徴です。福音派の教会は、ロウ・チャーチなのですが基本的には「中道の教会」を自認します。それでも他のプロテスタント諸教派に比べれば伝統的な面が強いといえましょう。

 現代的な立場から伝統的と保守的の違いを記してこの稿の終わりとします。伝統的とは、昔から受け継がれてきたものを重視することです。たとえば、お祭りとか歌舞伎の仕草などです。他方、保守的とは、今あるものを急激に変えず、現状を維持することを重視することです。別な例でいえば「伝統的な結婚観」といった場合は、 昔からある結婚の形式や価値観を大切にする、という意味です。

 他方「保守的な結婚観」とは、結婚や家族のあり方を大きく変えることに慎重で、従来のあり方を維持しようとする、という意味です。ここが重要で、伝統的だからといって必ずしも保守的とは限りません。たとえば、伝統文化を大切にしながら、新しい技術や社会制度を積極的に取り入れる人は「伝統的」ではあっても、必ずしも「保守的」ではありません。逆に、「昔からの伝統」そのものを特に重視していなくても、社会の急激な変化を避けたいという考え方なら「保守的」と呼べます。

 まとめると伝統的とは「昔から続いているものを大切にする」ことであり、保守的とは「今あるものを大きく変えないようにする」ことといっておきましょう。

1,806文字

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福音主義とキリスト教会 世俗化への対抗

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1980年代から90年代にかけて、福音派(エヴァンジェリカル)の運動は大きく拡大しました。長老派(Presbyterian)やバプテスト派という改革派の伝統に属する保守派と、ホーリネス派(Holiness)やペンテコステ派(Pentecostal)というメソジスト派の伝統に属する保守派との和解は、この運動の成長における重要な一歩となりました。かつては激しく対立していたこれら二つのグループが、アメリカ文化の世俗化(secularization)に対抗するために手を組んだのです。

 ホーリネス派やペンテコステ派の教会は、全米福音派協会(NAE)や世界福音派連盟(WEF)、現在の世界福音同盟(WEA))に加盟しました。1980年代後半からは、福音派やその他の原理主義者たちが、「モラル・マジョリティ(Moral Majority)」や同様の志向を持つ団体が収めた政治的成功を足掛かりに、さらなる展開を図るようになりました。福音派は、アメリカの共和党やブラジルやナイジェリアの保守的な政治勢力と密接に結びつくようになりました。

 福音派は、その知的視野を広げてきました。聖書を神の言葉であると認めつつも、多くの福音派の人々は、現代の聖書批判学(critical biblical scholarship) の動向を柔軟に受け入れ、生物学的進化論(biological evolution)の受容の道を探り、さらには神学的視点の形成における文化の役割を認識するようになっています。

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福音主義とキリスト教会 正教会やメノナイト

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次に福音主義に関しての正教会(Orthodox Church)とか東方諸教会(Eastern Orthodox Church) の立場です。正教会は神学的枠組みや歴史が西方教会とは多分に異なります。そのため、福音派と自由主義神学といった議論の軸そのものが存在せず、従って「福音派」も「リベラル派」も存在しません。西方教会(Western Christianity)で福音派と言った場合には「保守的」「守旧的」との表現と共に語られる場合もありますが、東方教会の文脈で用いられる「保守派」は福音派とは全く別系統の概念となります。

Orthodox Church

「正教会は名実ともに伝統的である」との言及がされることは正教会内部からも多いのですが、この場合の「伝統的」が指す概念や観念は西方教会における福音派の「保守的」が指す概念とは全く次元が異なるといわれます。

 アメリカ合衆国における福音派は、有名な「進化論論争」や、また昨今は「宗教右派」とかなり重複していることで世界的に有名になっています。20世紀初めには、禁酒法制定運動(temperance movement) に大きな貢献をした元大リーガーの伝道師ビリー・サンデー(Billy Sunday) が福音派信者を大きく増加させます。現代史からは、1950年代の冷戦の頃から無神論を嫌って反共主義の立場に立つ伝道師ビリー・グラハム(Billy Graham) が大きな影響力を持ちました。1960年代には聖書を都合に合わせて解釈し、公民権運動に反対するグループが現れ、70年代からは妊娠中絶合法化(legalization of abortion) を求める女性放運動やその後のフェミニズム運動もありました。

Menno Simons

 しかし、政治的立場は必ずしも右翼とかタカ派一辺倒とは限らず、例えば共和党でもマーク・ハットフィールド(Mark O. Hatfield)のような議員もいいます。ハットフィールドは、党派を超えたリベラルな良心派として知られ、ベトナム戦争への反対や核兵器廃絶の訴えなどで大きな足跡を残しました。メノナイト(Mennonite)の再洗礼派−アナバプテスト系(Anabaptist)教派やクエーカー(Quaker)のように歴史的平和教会の立場を取り、聖書の使信は平和主義であると唱える教派も多いのです。

 メノナイトは、16世紀の宗教改革期にヨーロッパで起きた再洗礼派から生まれたキリスト教プロテスタントの一派です。創始者であるオランダ人の牧師メノ・シモンズ(Menno Simons)の名前にちなんで名付けられました。幼児洗礼を退け、本人の自発的な信仰告白に基づく洗礼や、徹底した平和主義や非暴力を貫くことで知られています。

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福音主義とキリスト教会 テレビ伝道

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福音派(エヴァンジェリカル)が大きな文化的勢力へと成長する一方で、分離主義的なファンダメンタリズムもまた隆盛を極めました。この拡大に大きく貢献したのが、同運動の初期の指導者であるカール・マッキンタイア(Carl McIntire)です。彼はラジオ番組「20世紀宗教改革の時(The Twentieth Century Reformation Hour)」を放送したほか、アメリカ・キリスト教会協議会(ACCC)や国際キリスト教会協議会(ICCC)の設立にも尽力しました。

 1969年、ACCCがマッキンタイアによる組織運営の支配を終わらせようとしたことをきっかけに、ICCCとACCCは決裂しました。この分裂の結果、「聖書を信じる教会世界協議会(World Council of Bible Believing Churches)」や「アメリカ・キリスト教行動協議会(American Christian Action Council:現在のInternational Council of Christian Churches in America)」といった団体が誕生しました。1980年代に入ると、アメリカのファンダメンタリズムにおけるマッキンタイアの指導的地位は、バプテスト派のテレビ伝道師ジェリー・ファルウェル(Jerry Falwell)へと取って代わられました。

ジェリー・ファルウェル

ファンダメンタリストたちもラジオやテレビに頻繁に登場してきましたが、それらのメディアにおいては福音派の影に隠れる存在となっていました。第二次世界大戦前、福音派はラジオを活用してアメリカの聴衆にメッセージを届けていました。戦後になると、彼らは「極東放送(Far East Broadcasting Company)」や「トランス・ワールド・ラジオ(Trans World Radio)」を設立し、これらは国際的な放送を行う数多くの放送局の先駆けとなりました。

オーラルロバーツ大学

 なかでもオーラル・ロバーツ(Oral Roberts) やビリー・グラハムといった伝道師たちは、いち早くテレビの可能性に着目した人物たちでした。1960年までには、初のキリスト教系テレビネットワークである「クリスチャン・ブロードキャスティング・ネットワーク(CBN)」が設立され、その後も「トリニティ・ブロードキャスティング・ネットワーク(TBN)」や「LeSeaブロードキャスティング」などが次々と立ち上げられ、福音派コミュニティに向けた番組が提供されるようになりました。

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福音主義とキリスト教会 ビリー・グラハムの登場

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新たな福音派(エヴァンジェリカル)は、その運動に共鳴した人たちや、彼らが創設した組織のおかげで発展を遂げていきます。彼らはやがて、バプテスト派(Baptist) の若き伝道者ビリー・グラハム(Billy Graham)という有力な指導者を得ることになります。グラハムの優れた弁論の才能に加え、神学論争に深入りすることを避け、説教という本来の使命を強調する姿勢は、一般の人々の間で福音派の正当性を確立する上で大きな役割を果たしました。

 同時に、カール・ヘンリー(Carl F. Henry)をはじめとする神学者たちが、この運動に知的深みをもたらしました。ヘンリーはノーザン・バプテスト神学校とフラー神学校の教授を務めた後、1956年から12年間にわたり『クリスチャニティ・トゥデイ』誌の初代編集長を務めます、現代の福音派を代表する神学者で、スポークスマン的存在といわれました。

 ヘンリーの福音運動の熱意と献身は、定期刊行物「クリスチャニティ・トゥデイ(Christianity Today)」、カリフォルニア州パサデナに設立された新たな牧師養成機関であるフラー神学校(Fuller Theological Seminary)、そしてシカゴ郊外にあるリベラル・アーツ・カ レッジのウィートン・カレッジ(Wheaton College)といった組織や機関を通じて定着していきました。1942年には、福音派の指導者たちが全米福音派協会(National Association of Evangelicals)を結成し、組織的な結束を図りました。

 第二次世界大戦後の数10年間に、この運動は国際的に大きく成長し、世界のキリスト教界において重要な勢力となりました。国際的かつ超教派的な連帯意識を育む中で、アメリカやその他の地域の福音派は、主にイギリスを拠点とする「福音派同盟(Evangelical Alliance)」と合流し、世界教会協議会[WCC]の設立から3年後の1951年に「世界福音派連盟(World Evangelical Fellowship)」を結成しました。この組織は2001年に「世界福音派同盟(World Evangelical Alliance:WEA)」へと改称されています。2022年の時点で、WEAは140カ国以上の教会からなるネットワークを形成し、6億人を超える福音派キリスト教徒を擁する組織となっていきました。

 福音派のコミュニティが形成されるにつれ、医師、科学者、スポーツ選手など、職業や関心分野を同じくする人々による組織も次々と設立されました。大学のキャンパスでは、「インター・バーシティ・クリスチャン・フェローシップ(Inter-Varsity Christian Fellowship)」や「キャンパス・クルセード・フォー・クライスト(Campus Crusade for Christ)」の支部が何百もの大学に設けられ、プロテスタントやローマ・カトリックの諸団体と同様の宗教的サポートが提供されるようになりました。「アメリカ科学者連盟(American Scientific Affiliation)」や「福音派神学会(Evangelical Theological Society)」といった団体も、科学、神学、文化研究の動向を検討するための会合を開いたり、学術誌を発行したりしていきます。こうして福音派はアメリカ全土に定着し発展を遂げていくのです。

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福音主義とキリスト教会 福音派の成立

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18世紀にヨーロッパ大陸では敬虔主義運動(Pietist movement)が、イギリスではメソジスト運動(Methodist revival)、北米では大覚醒(Great Awakening)が起こります。こうした宗教的復興運動は、一般に「福音派の復興(Evangelical revival)と呼ばれています。このような運動は、既成教会の秘跡や伝統よりも、回心体験、聖書への依拠、そして伝道活動を重視するものでありました。

 また、イングランド国教会内(Church of England)にも福音派のグループが形成されましたが、彼らはメソジストとは異なり、教会を離脱することはありませんでした。運動の勢いが増し、共通の関心事への認識が高まる中、1846年にはロンドンにおいて、様々な教派や国々の福音派の人々によって「福音同盟(Evangelical Alliance)」が結成されました

18世紀の大覚醒運動

 20世紀半ばのアメリカでは、この用語は、当時続いていた「根本主義(ファンダメンタリズムーfundamentalists)論争」の中から台頭してきたあるグループを指す言葉として用いられるようになりました。それ以前の20世紀初頭、プロテスタントの主要な教派のいくつかにおいて、モダニズム(modernists)と呼ばれたリベラル派(liberals)とファンダメンタリスト(保守派)との間で激しい対立が生じていました。教派の運営委員会などの主導権を失ったことが明らかになると、一部のファンダメンタリストはそれまでの教会を離れ、新しい教会を設立していきました。

福音クルーセード

 離脱した人々の多くは、モダニズムをキリスト教の根本的な信条の否定する異端(heresy)とか、キリスト教信仰の拒絶する背教(apostasy)と見なし、彼らとの決別を求めました。こうした分離の要求は、既成教派にとどまった保守派との決裂を招くことになりました。それはまた同時に、教会が運営する神学校や神学大学などの高等教育機関との決別を意味し、ファンダメンタリズムを掲げる新しい大学や神学校の設立へとつながりました。

 こうした分派的な行動は、現代の神学の正当性を否定するものと見なされました。1930年代後半までには、古い教派にとどまっていた保守派と、教派を離脱したものの友好的な関係を保っていた人々、特にバプテストや長老派が、分離主義的な立場に対抗して協力関係を築くようになりました。彼らはキリスト教の根本的な信条への固守を維持しつつも、学界や社会との対話に応じる姿勢を表明しました。

 分離主義者たちと自らを区別するために、彼らは新福音派「ネオ・エヴァンジェリカル(Neo-Evangelicals)」と自称することを選びましたが、この名称はやがて短縮され「エヴァンジェリカル(福音派)」と呼ばれるようになりました。

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福音主義とキリスト教会

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本稿では、政治的にも宗教的にも話題となっている「福音主義」とか「福音派」ということを数回にわたり取り上げます。アメリカでは1970年代以降、福音派のクリスチャンは宗教右派として組織化が進み、特定の政治信条や共和党などの大統領候補の強力な支持基盤となっています。2024年のアメリカ大統領選で勝利し、2025年1月に第2次政権を発足させたのがドナルド・トランプ(Donald John Trump)です。

 全米の有権者の約20%を占める福音派(エヴァンジェリカルーevangelical)が、トランプ陣営の最も堅固な「岩盤支持層」として機能し続けたといわれます。リベラル化が進むアメリカ社会において、伝統的な家族観や宗教的権利が脅かされているという危機感を持つ福音派に対し、トランプは「あなたがたの信仰と価値観を守る」と約束し支持されていきました。 

 「福音派」の教会とはなにかです。福音派とは、一般的に伝統的なプロテスタント諸教会(Protestant churches)やその分派を指します。特に20世紀後半以降は、イエス・キリストの福音の説教、個人的な回心体験(personal conversion)、信仰の唯一の拠り所としての聖書、そしてキリストへの個人的な献身を促すとい積極的な伝道を重視する教会を指す言葉として用いられています。アメリカやイギリスをはじめとする英語圏を中心として、自由主義神学に対抗して近現代に勃興した、聖書信仰を軸とする神学的・社会的に保守派のムーブメントとなっています。特にアメリカの福音派は信徒1億人を超える巨大派閥と化し、独自色も強いといわれます。

 福音派という言葉は、「良い知らせ」を意味するギリシャ語(euangelion)やラテン語(エヴァンゲリウム-evangelium)に由来しています。これらは英語の「ゴスペル(gospel)」という言葉の語源でもあります。16世紀には、イエス・キリストへの信仰による義認を強調し、聖書のみを信仰の拠りどころとしたマルティン・ルター(Martin Luther)とその支持者たちが「エヴァンジェリカル」と呼ばれていました。宗教改革(Reformation)の時代、この名称は、ルターの支持者たちと、「改革派(Reformed) 」と呼ばれていたジャン・カルヴァン(John Calvin)の支持者とを区別するものでした。今でも、多くのルーテル派教会(Lutheran churches) の名称には「エヴァンジェリカル」という言葉が付けられています。

 現在、世界的に福音派の教条として広く認められているのは「ローザンヌ誓約(The Lausanne Covenant)」です。キリスト教の世界宣教を促すキリスト教徒の信仰宣言のことで、現代の福音派的キリスト教の中で最も有力な文書の1つとされています。

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「反省」や「不戦の誓い」

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2026年8月15日の全国戦没者追悼式で、就任後初めて参列した高市早苗総理は式辞を述べた、「戦争の惨禍を、二度と繰り返させない」と誓いを表明した。前年の石破茂前総理が使用した「反省」や「不戦の誓い」の言葉は踏襲せず、安倍・菅・岸田各政権のスタイルを引き継いだことが注目された。「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」と述べた。「繰り返さない」という文言に、「せ」の1文字が加わった。これは注目すべき発言だと報道されている。

 式辞の主なポイントとして国家の役割について述べている。すなわち「日本は、各国が直面している様々な課題の解決に向け、重要な役割を果たせます。インド太平洋の輝く灯台として、頼りにされる国になれます」と強調した。これはこれで日本という国の矜持を示した言葉といえる。

 それで思い出すのが、1952年に文芸評論家の小林秀雄が創元社から刊行した「正直な戦争経験談」である。小林は、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と放言したことを記している。当時は、「反省」とか「精算」とかいう名の下に、自分の過去を他人事の様に語る風潮がいよいよ盛んだことを揶揄したらしいのである

時事通信社より引用

 小林は続ける。「大事変が終った時には、必ずもしかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起こらなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。」

 さらに「反省云々など、そんなおしやべりは、本当の反省とは関係がない。過去のもののもてあそびである。これは敗戦そのものより悪い。個人の生命が持続している様に、文化といふ有機体の発展にも不連続といふものはない。」とも宣言するのである。

 小林は「反省しない」の言葉を用いて、戦前の言動を正しかったとか、悪かったとか戦後の世間一般の価値観でもって自分自身を肯定したり否定しているわけではない。戦争に負けた途端にその立場を180度転換した戦後の世間一般の価値観でしか己の立場を決定できない人々を小林は「頭がいい人」と揶揄し、批判したのである。

 高市総理は、小林秀雄の「僕は無智だから反省なぞしない。という言葉を知っていたかどうかは不明だ。だが、敗戦の放心状態にから、あっという間に反省とか、不戦の誓いとか、平和と叫ぶお目出度い姿に訣別しようとしたかもしれない。

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2025年度の一般会計税収の理由

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2026年7月に発表された一般会計税収の全体的な傾向と金額の目安は以下の通りです。総税収はおよそ84兆2,226億円で前年度の約75.2兆円から大幅増となりました。さらに法人税・所得税・消費税のすべても前年度を上回る好調な結果となりました。なぜこのような過去最高の税収入の増加になったのか?大きな要因は「企業業績の好調」、「物価上昇のインフレ」、「賃上げ」の三点といわれます。

 まず法人税の伸びですが、企業業績の好調があります。歴史的な円安の継続や、企業の価格転嫁が進んだこと、さらに訪日外国人の需要の回復などが追い風となり、自動車産業や観光業、大手企業を中心に過去最高水準の純利益を記録する企業が相次ぎました。これにより、企業が納める法人税が大きく上振れしました。

 次に消費税の伸びです。物価の上昇にともない、商品の小売価格やサービス価格が全体的に底上げされました。消費税は「商品の価格×税率」で計算されるため、物価が上がればそれだけ税収も増えます。また、訪日外国人による国内での旺盛な消費行動も消費税収を押し上げる要因となりました。

 賃上げと所得税の伸びの関係です。人手不足や物価高への対抗策として、多くの企業で高水準のベースアップやボーナスの増額が実施されました。働く人の給与の額面である名目賃金が上がったことで、個人の所得に対して課される所得税の総額が増加しました。

 このように税収は過去最高を更新し続けていますが、高齢化に伴う社会保障費や防衛費などの歳出も膨らみ続けているため、これだけの税収があっても不足しています。その一つの理由は、一般歳出のうちの債務償還費や利払い費などの国債費が約31兆円となって、歳出の26%を占めているからです。そのため、依然として約30兆円規模の新規国債を発行して穴埋めしている状態が続いています。国債費の60年償還ルールというお化けのような慣行があるせいです。本来ならば、借換国債で政府の借金を帳消しにすべきなのですが、、、

 政府と日本銀行をあわせた組織は、統合政府と呼ばれています。統合政府は、膨大な金融資産などを保有しています。政府が発行する国債ー借金の総額は近年では約1,340兆円規模に上ると報じられています。ただ、政府の借金である国債を日銀が買い取っています。債務と資産を合算し相殺して純資産を明らかにし、本当の国の債務状態を把握するのが大事なのです。単に政府の債務だけを喧伝する財務省は、国民に大いなる誤解を与えています。

 財務省などが発表する「国民1人あたり1000万円以上の借金」という数字は、この相殺を行っていない単純な合計額です。統合政府のバランスシートで国全体の財務状況を評価すると、保有資産も大きいため日本はすぐに財政破綻するわけではないのです。

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2025年度の一般会計税収の発表

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2026年7月3日に2025年度の国の一般会計歳入の決算速報が発表されました。かつて2025年12月5日にこのブログで「税収入の仕組みと税収弾性値」という原稿をアップしました。そのとき話題にしたのは「税収弾性値」というテーマです。税収弾性値とは、経済成長に対する税収の伸び率を表す指標です。具体的には、名目GDP成長率が1%増加したときに、税収が何%増加するかを示す数値です。この値が高いほど、経済成長に連動して税収が増加する効果が大きいことを意味し、財政再建に有利だとされます。

 日本維新の会の柳ヶ瀬裕文前参議院議員は、名目GDPが1%増えたときに税収が何%増えるかを示す「税収弾性値」について政府を追及しました。柳ヶ瀬氏の質問主意書により、政府は過去10年間の実際の平均弾性値が「3.23」であることなどを認めました。財務省はこれまで、税収弾性値を低く「1.1」と見積もって「経済成長しても税収は伸びない」と主張し、増税の根拠にしてきました。しかし柳ヶ瀬氏はこれを問題視し、国会での質疑や、参議院に提出した 質問主意書を通じて政府に迫りました。結果として、政府は過去10年間(平成22年度〜令和元年度)の平均税収弾性値が「3.23」になることを、質問主意書への答弁書で認めざるを得なくなりました。このことから、経済成長によって国の税収は政府が想定する以上に大きく増えることが明らかになっています。

 長年、財務省が税収弾性値「1.1」という数値を使って、税収入を予測してきました。税収弾性値を低く設定しておけば、「社会保障の自然増分を稼ぎ出す成長を期待することも難しい、従って増税する必要が生まれる」という説明です。社会保障費の必要性を十分喧伝しておけば、後は自ずと「増税するしか無い!」という結論が導かれることとなるのです。これが財務省が「1.1」を捨てなかった理由です。実に狡猾な方針です。

 さて、2025年度の総税収は、当初の見通しを大きく上回るおよそ84兆2,226億円となり、6年連続で過去最高を更新、初めて80兆円の大台を突破しました。主要3税である法人税、所得税、消費税の概要と、そうなった背景や理由は次稿で説明します。

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国際卓越研究大学の認定と助成額

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認定制度によって助成される研究費は、国が創設する10兆円規模の「大学ファンド」の運用益から、最長25年間にわたり、1校あたり年間数百億円規模の資金が助成されます。実際の支給額は各大学の事業計画や企業からの研究費などの外部資金の獲得実績に応じて変動します。具体的な助成金は以下の通りです。

 第1号認定となった東北大学は、計画初年度(2025年度)の助成額は約154億円となっています。第2号認定となったのは旧東工大・医科歯科大が合併してできた東京科学大学です。東京科学大学は、2026年4月より体制強化計画を開始しています。第3号認定が決まったのが京都大学です。今年度分として約200億円が助成される見通しです。しかし、助成額は国家予算の115兆円に比べて25年間に渡る一校数百億円規模という認定大学の助成額は、まだまだ少ないと思われます。

 卓越大の「選び方」で重要なのは、各大学が助成金を使って「どう変わろうとしているかという体制強化計画に注目するのが最も本質的です。卓越大に選ばれる、あるいは候補になる大学は、これまでの古い大学構造を壊すような大胆な改革を掲げています。例えば京都大学の計画では、教授を頂点とする従来の閉鎖的な研究室という小講座を廃止し、分野横断的な研究がしやすい「デパートメント制」への移行を明言しています。「風通しの良い環境で、最先端の融合研究がしたい」という場合は、こうした組織改革の進捗が目安になります。 卓越大の認定を受けた京都大学は、卓越大としての全学ビジョンを次のように掲げています。

・自由で独創的な研究による知の創生によって、社会の多元的な課題解決と社会を変革するイノベーションの創出に貢献
・世界のアカデミアを牽引する優れた研究者とグローバルに活躍する高度な専門能力を有する人材を養成と輩出
・国際社会に開かれた総合大学として、世界から多様な人材が集う国際的な知の拠点(ハブ)を形成

 卓越大に選ばれるには、資金の多くを「優秀な若手研究者の育成」や「博士課程の学生への生活費相当の支給など経済的支援に充てる義務があります。若手研究者や院生への支援手厚さで選ばれるのです。

 卓越大は、「国際化」と「民間連携」の度合いで選ばれます。英語での講義や研究環境の構築や、海外トップ大からの研究者招致、企業との大型共同研究が爆発的に増えることになります。世界基準の環境や社会実装に直結する研究を望むなら、間違いなく有力な選択肢になります。

 この制度に選ばれた大学では、世界から優秀な研究者が集まるだけでなく、博士課程の学生に対する授業料免除や給付型奨学金の支給といったサポートが劇的に手厚くなるはずです。若手が経済的な心配をせず、世界最高水準の設備で研究に没頭できる環境が整えられることが期待されます。

 今や東北大、東京科学大、京都大などがリードしていますが、企業などから大学へ支払われる「寄付金」や「共同研究費」の管理をめぐり、過去に複数の不祥事が発生している東京大学も長期にわたる審査が続けられています。各大学の「研究等体制強化計画」は文科省や各大学のウェブサイトで公開されています。日本の大学全体の底上げではなく、「世界で勝てる数校のトップランナーを国を挙げて育てる」という、これまでになく劇的で集中した投資政策、それが国際卓越研究大学といえます。

 現在、中小の大学は、文科省から支払われる運営費交付金が年々減少傾向にあり悩んでいます。卓越大にのみ焦点があてられるのではなく、地域経済や社会と密着に結びつく地方の大学の振興も求められています。こうした大学もまた、日本学術振興会および文部科学省が交付する競争的資金である科学研究費補助の獲得に努力すべきことは当然です。

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国際卓越研究大学は世界に通用するか

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日本の学術界を大きく変えかもしれないといわれる国際卓越研究大学(卓越大- University for International Research Excellence)制度について解説します。卓越大とは、日本から世界トップレベルの研究力を発揮する大学を育てるために、国が新たに創設した研究開発支援の認定制度です

 この認定制度の背景には、近年の国際的な論文ランキングにおいて日本の大学の地位が低下しているという強い危機感があります。海外のトップ大学であるハーヴァードド大学(Harvard University)やスタンフォード大学(Stanford University)などのように、巨額の基金運用益(endowment)を研究環境や人材獲得に投資できる仕組みを日本でも作り、世界に互した研究力の好循環を生み出すことが狙いです。

 認定制度には大きく分けて、以下の3つの特徴があります。第一は、 認定する政府機関です。卓越大を最終的に認定し認可するのは文部科学省です。ただし、文科省が単独で決めるわけではなく、専門家で構成される有識者会が各大学の計画を厳格に審査し、さらに内閣府の総合科学技術・イノベーション会議への諮問や意見聴取を経て、文科大臣が正式に認定する仕組みになっています。

 認定される大学は、巨額の支援を受ける代わりに、大学には非常に高いハードルが課されます。年3%の事業規模の成長が求められます。すなわち企業からの共同研究費など外部資金の獲得や、大学独自の基金を増やすことで、経済的に自立し成長していく計画が求められます。

 次に大学には経営体制であるガバナンスの刷新が求められます。研究と経営を分離し、外部の有識者も交えた「合議制の機関」を設置してトップダウンで迅速な意思決定ができる体制に変えることが求められます。

2025年度の一般会計税収の理由

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2026年7月に発表された一般会計税収の全体的な傾向と金額の目安は以下の通りです。総税収はおよそ84兆2,226億円で前年度の約75.2兆円から大幅増となりました。さらに法人税・所得税・消費税のすべても前年度を上回る好調な結果となりました。なぜこのような過去最高の税収入の増加になったのか?大きな要因は「企業業績の好調」「物価上昇のインフレ」、「賃上げ」の三点といわれます。

 まず法人税の伸びですが、企業業績の好調があります。歴史的な円安の継続や、企業の価格転嫁が進んだこと、さらに訪日外国人の需要の回復などが追い風となり、自動車産業や観光業、大手企業を中心に過去最高水準の純利益を記録する企業が相次ぎました。これにより、企業が納める法人税が大きく上振れしました。

 次に消費税の伸びです。物価の上昇にともない、商品の小売価格やサービス価格が全体的に底上げされました。消費税は「商品の価格×税率」で計算されるため、物価が上がればそれだけ税収も増えます。また、訪日外国人による国内での旺盛な消費行動も消費税収を押し上げる要因となりました。

 賃上げと所得税の伸びの関係です。人手不足や物価高への対抗策として、多くの企業で高水準のベースアップやボーナスの増額が実施されました。働く人の給与の額面である名目賃金が上がったことで、個人の所得に対して課される所得税の総額が増加しました。

 このように税収は過去最高を更新し続けていますが、高齢化に伴う社会保障費や防衛費などの歳出も膨らみ続けているため、これだけの税収があっても不足しています。その一つの理由は、一般歳出のうちの債務償還費や利払い費などの国債費が約28兆円となっていているからです。そのため、依然として約30兆円規模の新規国債を発行して穴埋めしている状態が続いています。60年償還ルールというのがあるせいです。本来ならば、借換国債で政府の借金を帳消しにすべきなのですが、、、

 政府と日本銀行をあわせた組織は、統合政府と呼ばれています。統合政府は、膨大な金融資産などを保有しています。政府が発行する国債ー借金の総額は近年では約1,340兆円規模に上ると報じられています。ただ、政府の借金である国債を日銀が買い取っているため、両方の借金と資産を合算し相殺して、本当の国の借金状態を把握するのが大事なのです。単に政府の借金だけを喧伝するのは国民に大いなる誤解を与えます。

 財務省などが発表する「国民1人あたり1000万円以上の借金」という数字は、この相殺を行っていない単純な合計額です。財政破綻への懸念: 統合政府のバランスシートで国全体の財務状況を評価すると、保有資産も大きいため日本はすぐに財政破綻するわけではないのです。

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2025年度の一般会計税収の発表から考える

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2026年7月3日に2025年度の国の一般会計歳入の決算速報が発表されました。かつて2025年12月5日にこのブログで「税収入の仕組みと税収弾性値」という原稿をアップしました。そのとき話題にしたのは「税収弾性値」というテーマです。税収弾性値とは、経済成長に対する税収の伸び率を表す指標です。具体的には、名目GDP成長率が1%増加したときに、税収が何%増加するかを示す数値です。この値が高いほど、経済成長に連動して税収が増加する効果が大きいことを意味し、財政再建に有利だとされます。

財務省のホームページから引用

 財務省はこれまで、税収弾性値を低く「1.1」と見積もって「経済成長しても税収は伸びない」と主張し、増税の根拠にしてきました。しかし柳ヶ瀬氏はこれを問題視し、国会での質疑や、参議院に提出した 質問主意書を通じて政府に迫りました。結果として、政府は過去10年間(平成22年度〜令和元年度)の平均税収弾性値が「3.23」になることを、質問主意書への答弁書で認めざるを得なくなりました。このことから、経済成長によって国の税収は政府が想定する以上に大きく増えることが明らかになっています。 

 長年、財務省が税収弾性値「1.1」という数値を使って、税収入を予測してきました。税収弾性値を低く設定しておけば、「社会保障の自然増分を稼ぎ出す成長を期待することも難しい、従って増税する必要が生まれる」という説明です。社会保障費の必要性を十分喧伝しておけば、後は自ずと「増税するしか無い!」という結論が導かれることとなるのです。これが財務省が「1.1」を捨てなかった理由です。この財務省の実に狡猾な方針は柳ヶ瀬議員によって見事に看破されました。

 さて、2025年度の総税収は、当初の見通しを大きく上回るおよそ84兆2,226億円となり、6年連続で過去最高を更新、初めて80兆円の大台を突破しました。主要3税である法人税、所得税、消費税の概要と、そうなった背景や理由は次稿で説明します。

 

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政策金利上昇のチャンスを捉えるーープラスの恩恵

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日本銀行は2026年6月16日に、31年振りに政策金利を0.75%から1%に引き上げました。それに伴い三菱UFJ銀行など三社のメガバンクは普通預金の利息を0.3%から0.4%へ引き上げました。かつての0.001%という超低利の時代は去りました。2024年初頭の0.001%の時代と比較すると400倍の水準です。100万円を預け入れた場合、1年間で受け取れる利息は税引前で 4,000円となります。

 普通預金が0.4%に底上げされるため、定期預金金利、特に1年以上のものは、それを上回る水準で1年もので0.4%台後半〜0.5%超、長期のものは1%の大台へ展開するという見通しです。従って持っている普通預金の一部を定期預金などに移すのは理にかなっています。

楽天カードから引用

 なぜ日銀は政策金利を上げる決定をしたかです。金利というのは物価を調整する役割を持つといわれます。金利が上がると消費は下がります。企業は資金を借りるのを渋り設備投資を控えるのです。金利が下がると、その逆の現象となり銀行などから融資を受け、設備投資が促され消費者の需要が上がります。

 今回、日銀が政策金利を上げたのは、中東での戦争、ウクライナ情勢による原油価格の上昇とそれに伴う急激な原材料価格の上昇、円安に伴う輸入コストの上昇、食料品価格の上昇が大きくなる事を懸念したことです。金利上昇でモノやサービスの需要が減れば人件費上昇に歯止めがかかり、インフレの抑制につながります。今回の金利の引き上げは、インフレが暖まってきたので、急激な物価上昇のショックを少なくするためにとった決定だといわれます。ただ日銀は、経済活動の過熱を抑え、インフレ率を2%に安定させることを目指しています。

 政策金利の引き上げは銀行が顧客に払う預金金利の上昇につながります。年金などの運用利回りが上昇し利息収入も増えることで、金融資産を持つ家計にはプラスの恩恵がありそうです。

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政策金利上昇のチャンスを捉えるーーじっと待つか

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多くのマンション管理組合は、多額の修繕積立金を抱えています。ですが一銭の利息も付かない決済用普通預金となっているところがあり、「とにかく元本を絶対に減らしたくない」という「動かないでじっと待っていることにメリットがある」と信じて疑わない不可解な組合もあります。

 マンションなどへ金融支援する住宅金融支援機構が発行する債権は、10年満期時で年平均利率が税引前で2.1%というものです。これに加えて、メガバンクの定期預金を組み合わせ、リスクを分散させながら、積立金の運用を考えるのは、時代の趨勢であります。「元本を絶対に減らしたくない」と考える姿勢は変えるべきなのです。その理由を以下で述べます。

 動かないでじっと待っていることにメリットがあるのがかつてのデフレの時です。デフレでは物価は下がり、現金の価値が守られる時です。物価が下がるということは、需要が供給より少ないということです。デフレ期では、企業はリスクを避け、内部留保を増やす一方、人件費を抑制しました。人々の需要が増えず企業は設備投資を控え、賃金も物価も上がりませんでした。

 国家にとって大事な技術革新のための十分な投資も行われず、他国の成長や発展に遅れをとるのです。デフレでは、消費者は節約志向となります。給料が上がらず、年金や医療など社会保障への将来不安もあるため、人々は消費を切り詰め、貯蓄に回すようになりました。

 他方、金利が上がり積極的にチャンスをとりにいくのがインフレの時です。預金利子が上がり、資産運用などで株や投資信託をすることで利益を得ることができるのです。当然ながら、物価は上昇しますが、賃金もそれに劣らず上昇するのです。このとき、箪笥預金などをじっと守ってきた人の資産は目減りするのは当然です。

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アメリカ連邦の祝日ージューンティーンス

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アメリカで比較的新しく連邦の公的な祝日として制定された、奴隷解放を記念する日がジューンティーンス(Juneteenth)です。名前の由来は、6月(June)と19日(Nineteenth)を組み合わせたかばん語(混成語)です。

 この祝日の歴史的な背景についてです。1863年1月1日にエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln) 大統領は「奴隷解放宣言」(Emancipation Proclamation) を出します。しかし、南北戦争(Civil War) の最中だったこともあり、南部の一部の地域にはその内容がすぐには浸透しませんでした。

Gordon Granger

 宣言から2年半近く経った 1865年6月19日、テキサス軍管区の司令を任された北軍(Union)のゴードン・グレンジャー将軍(Gordon Granger) がテキサス州(Texas)ガルベストン(Galveston)に到着し、未だ拘束されていた黒人奴隷たちに彼らが自由の身になったという軍令を読み上げました。この「テキサス州の奴隷たちへついに解放の知らせが届いた日」が、ジューンティーンスの始まりです。

 グレンジャー将軍が読み上げた大統領の「一般命令第3号」は以下のようでした。

合衆国大統領からの布告により、あらゆる奴隷は自由であると、テキサスの人民に告知する。対人権と財産権について、以前の主人と奴隷の間における完全なる対等性を伴うものであり、彼らの間にこれまでに存在する関係は、雇用者と被雇用労働者の間におけるものとなる。

Juneteenth

 連邦の祝日になった経緯は公民権運動の一環といってよいようです。すなわち長年、この日はアフリカ系アメリカ人のコミュニティを中心に大切な記念日として祝われてきました。2020年に起きた人種差別抗議運動(Black Lives Matter)などをきっかけに、国全体で祝うべきだという機運が急速に高まりました。

 そして 2021年6月17日、ジョー・バイデン大統領(Joe Biden) が法案に署名したことで、アメリカで12番目の連邦祝日として正式に制定されました。連邦祝日の新設としては、1983年の「キング牧師記念日」(Martin Luther King Jr. Day) 以来、38年ぶりのことでした。

 この日は、パレードやフェスティバルが行われるほか、アメリカの歴史や自由の尊さについて家族や地域で考える大切な祝日となっています。

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二人の王様のユーモアと風刺のジャブ

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国王即位後、チャール国王の初めてのアメリカ訪問は、多くのアメリカ国民に感銘を与えたようです。上下両院での演説は単なる外交辞令ではなく、今の世界の諸々の課題に共に勇気を持って立ち向かおうとする気概やエスプリが込められていたのです。演説の途中、何度も議員らが敬意や感動、そして称賛の意を表すために立ち上がって拍手を送る姿がありました。

 議員の総立ちにより演説は一時途絶えますが、その間議員らは、今混乱するアメリカの施政について、もう一人のキングに対する疑惑や反感を考えたに違いありません。このキングは、議会における演説では決して民主党議員から総立ちの賞賛を受けたことがなかったのです。共和党議員ですら総立ちになって拍手するのですから、キングは歯ぎしりをしたはずです。

Charles III

 演説中、チャール国王はこのもう一人のキングの名前は出しませんでした。それが相手に対する国王としての矜持と礼儀だったからです。外交では批判する相手を名指しすることはありません。しかし、議員達は、チャール国王の演説の文脈に、数々の荒々しい発言を繰り返すもう一人のキング、ドナルド・トランプ大統領を容易に想像できたのです。

 チャール国王の演説草稿は、もとはといえば歴史学者ともいえそうなスピーチライターが国王と相談して起草したものと思われます。聴衆の心に響くストーリーを構成し演出するため、過去のイギリスとアメリカの関係について考証し、事実に基づいて起草したことが伺えます。

 歴史上、イギリスと植民地であったアメリカはいわば兄弟のような関係がありました。1760年代のイギリスはジョージ3世の施政下にありました。彼は絶対的な主権を維持し、植民地に対して一貫して強硬な為政をしいていきます。彼は、「植民地は本国に従属すべきもの」という信念を持っていました。植民地への「重商主義政策」と、それに伴う「課税強化」です。それに対して植民地側は和解の嘆願をを送ります。ジョージ3世はそれを拒絶し、彼らを「反逆者」と断定するのです。

 1700年代のアメリカ大陸におけるイギリスとフランスの覇権争いは、「北米植民地戦争」と呼ばれます。ヨーロッパ本国での戦争と連動して何度も衝突を繰り返しましたが、最終的にはイギリスの圧倒的な勝利で幕を閉じました。ジョージ3世は対話よりも軍事力を優先し、ドイツから傭兵を雇い入れてまで植民地の施政に介入します。この強硬姿勢が、それまで国王個人を敬愛していた植民地の人々に「国王は暴君である」と認識させ、独立宣言へと突き動かす一因となっていきます。

 ホワイトハウスでの晩餐会で、二人のキングが交わしたウイットに富むジョークも話題となっています。それは、ダボス国際会議でトランプ大統領が、「第二次大戦で、アメリカがなかったならば、欧州諸国はドイツ語を使っていただろう」という演説に対するものでした。チャール国王はそれに言及して「あえて申し上げれば、イギリスがなかったならば、皆さんはフランス語を話していただろう」と植民地戦争で、フランスの影響力を払拭させたのを遠回しに言ったユーモアだったのです。

 今回のチャールズ国王の訪米は、相手への節度ある賞賛を交えながら、イギリスの立場をしなやかに示した機会となったようです。それが議会での演説であり、晩餐会での答礼スピーチに示されています。

Two kings exchange jab of humor and satire.

King Charles’ first visit to the United States since his accession to the throne seems to have impressed many Americans. His speeches to both houses of Congress were not merely diplomatic formalities, but imbued with a spirit and determination to bravely confront the various challenges facing the world today. Throughout his speeches, members of Congress repeatedly rose to their feet and applauded, expressing their respect, admiration, and praise.

The speeches were temporarily interrupted by the standing ovations, during which the members of Congress must have been contemplating the current turmoil in American governance and their suspicions and resentment towards another king. This king had never received such a standing ovation from Democratic members of Congress during his speeches.Even Republican lawmakers rose to their feet and applauded, so he must have been gnashing his teeth.

During his speeches, King Charles did not mention the name of this other king. This was a matter of royal pride and courtesy. In diplomacy, one does not name the target of criticism. However, in the context of King Charles’ speeches, the members of Congress could easily imagine the other king, President Trump, who has made numerous harsh remarks.

King Charles’ speech draft was originally written in consultation with the king by a speechwriter who could be described as a historian. It appears that the speech was based on a thorough examination of past British-American relations, in order to construct and present a story that would resonate with the audience.

Historically, Britain and its colonies, America, had a relationship akin to brotherhood. In the 1760s, Britain was under the rule of George III. He maintained absolute sovereignty and consistently imposed a hardline policy on the colonies. He held the belief that “colonies should be subordinate to the mother country.” This manifested as “mercantilism” and the accompanying “increased taxation” of the colonies. The colonies sent petitions for reconciliation, but George III rejected them, declaring them “rebels.”

The struggle for hegemony between Britain and France in the Americas in the 1700s is known as the “North American Colonial Wars.” These conflicts, linked to wars in Europe, involved repeated clashes but ultimately ended in an overwhelming British victory. King George III prioritized military force over dialogue, even hiring mercenaries from Germany to intervene in colonial administration. This hardline stance led the colonists, who had previously revered the king personally, to perceive him as a tyrant, contributing to the Declaration of Independence.

A witty joke exchanged between the two kings at a White House dinner has become a topic of discussion. It was in response to President Trump’s speech at the Davos conference, where he stated that “if America hadn’t existed in World War II, European countries would have spoken German.” King Charles responded by saying, “If I may say so, if Britain hadn’t existed, you would all have spoken French,” a humorous indirect reference to Britain’s role in eliminating French influence during the colonial wars.

King Charles’s recent visit to the United States appears to have been an opportunity to subtly demonstrate Britain’s position while offering respectful praise to the other side. This is evident in his speeches to Parliament and his reciprocal speech at the dinner in the White House.

福沢諭吉の西郷隆盛観

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西郷隆盛は、幕末から明治維新にかけての日本史において、最もカリスマ的であり、かつ評価が分かれる人物の一人といわれます。彼に対する評価は多面的で、時代や立場によって大きく異なるようです。近代日本を築いた立役者として、維新の英雄として高く評価されています。軍事面での功績: 薩長同盟の締結、王政復古の大号令、そして江戸城無血開城など、決定的な場面で歴史に立ち会っています。

 江戸城無血開城は、後に明治新政府軍となる東征軍と旧幕府との間で行われた一連の交渉過程と江戸城の新政府への引き渡しのことです。徳川宗家の本拠であった江戸城が、同家の抵抗なく無血裏に明け渡されたことから明治新政府軍の勢力が一層増すのです。戊辰戦争が新政府側に一気に優勢となる転機となった出来事です。幕府の使者山岡鉄舟の要請に応じた大総督府下参謀の西郷は彼との交渉に応じます。ここで初めて、東征軍から徳川家へ開戦回避に向けた条件提示がなされます。山岡の下交渉を受けて、陸軍総裁であった勝海舟と西郷との江戸開城交渉は、田町にあった薩摩藩江戸藩邸にて行われました。徳川慶喜は江戸城を退出して上野寛永寺で謹慎します。1868年4月、江戸城が東征軍に明け渡され 5月に慶喜は寛永寺から水戸へ隠遁するのです。

西郷隆盛と勝海舟

 特に江戸城無血開城は、戦火による無益な殺生を避けた慈悲深い決断として、今なお高く評価されています。「敬天愛人(天を敬い、人を愛する)」の精神を掲げ、地位や名誉に執着しない姿勢は、多くの人々に尊敬の念を抱かせています。明治政府において廃藩置県をはじめとする重要な改革を主導し、近代国家の基礎作りに貢献しました。

 しかし、明治政府から離脱し、西南戦争の指導者となったことで、別の側面からも評価されています。明治政府の急速な近代化や士族の困窮に対して、政府を去った後の彼は、いわば「時代の抵抗者」としての性格を強めました。西南戦争で敗死したことで、権力から脱落した悲劇の英雄というイメージが定着しました。にもかかわらず敵対した勝海舟でさえ「怖い」と評したほどの圧倒的な存在感や人間的魅力は、多くの弟子や従者を引きつけました。彼が故郷の鹿児島に開いた「私学校」は、彼を慕う多くの若者たちの拠点となりました。

 福澤諭吉の西郷観は興味あります。彼の著書の一つに「丁丑公論(ていちゅうこうろん)」があります。この本は西南戦争で明治新政府に反抗した西郷隆盛を弁護する内容となっています。序論において、福澤は政府が専制になるのは当然の事とし、これに「抵抗する精神」の重要性を説くのです。さらに、「今、西郷氏は政府に抗するに武力を用いたる者にて、余輩の考とは少しく趣を殊にするところあれども、結局その精神に至ては間然すべきものなし」、つまり西郷隆盛は武力で政府に抵抗した点で、自分とは考えが異なるが、その抵抗の精神においては非難すべきものはないと述べて、武力で政府に反抗した点は評価しないにしても、西郷隆盛の「抵抗の精神」を賞賛するのです。

 また、政府が西郷の官位を剥奪した途端に、新聞が一斉に非難を始めたことに対して、「新聞記者は政府の飼犬に似たり」と述べて、新聞の論調が誹謗中傷の一色になったことと、それに迎合する世論に対して反論していくのです。さらに、「そもそも西郷は生涯に政府の顛覆を企てたること二度にして、初には成りて後には敗したる者なり」、すなわち「西郷は生涯に政府の転覆を2度企てて、最初の明治維新は成功し、2度目の西南戦争では失敗した者である」として、西郷を明治維新の功労者であり忠臣として賞賛します。同時に西南戦争の首謀者であって逆賊として非難することは、ダブルスタンダードであると非難するのです。彼の死後、明治政府は彼を逆賊から「正三位」という高位へと名誉回復せざるを得ませんでした。

 最期に、「西郷は天下の人物なり。日本狭しといえども、国法厳なりといえども、豈(あに)一人を容るるに余地なからんや」、すなわち「西郷は偉大な人物である。国の法がいかに激しいものであっても一人の人物を受け入れる余地はなかったのか」と述べて、西郷の人物を惜しみます。いつかこの人物を明治政府の要人として起用する時もあったはずであると結んでいます

参考文献
 ・丁丑公論 福沢諭吉 時事新報社 1901年

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勝海舟と国民国家思想

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勝海舟のことです。幕府は洋式海軍をおこすべく正式にオランダに海軍教師団の派遣を要請します。やがて1857年に教師団がやってきます。その団長がウイレム・ホイセン・カッテンディーケ(Willem Huijssen van Kattendijke)と言う中佐でした。カッテンディーケは、徳川幕府が発注した軍艦ヤーパン号、後の咸臨丸を長崎に回航した武官です。幕府が開いた長崎海軍伝習所の第2次教官となります。彼の貢献は、勝海舟、榎本武揚などの幕臣に、航海術・砲術・測量術など近代海軍教育を精力的に行ったことです。

ウイレム・ホイセン・カッテンディーケ

 勝は既に江戸でオランダ語を学んでいました。幕臣とともに、カッテンディーケの生徒として勝も選ばれるのです。若い海軍士官のカッテンディーケの回想路によれば、勝はオランダ語を非常によく理解し、そして聡明な人間であり、さらには真の革新派の闘士というように非常に強い言葉でほめています。勝は、オランダの憲法を学ぶ機会に浴し、オランダの市民国家思想を学んでいきます。

 日米修好通商条約批准のため、1860年に幕府から遣米使節団がおくられることになります。使節団は米国海軍フリゲート艦のポーハタン号(Pawhatan)に搭乗して太平洋を横断することなります。勝はこれとは別に、日本の国威のために、日本人の操船による随行艦を派遣すべきだと運動し、長崎時代の練習船咸臨丸の艦長として勝は太平洋を横断することになります。

彼がアメリカで最も衝撃を受け、深く学んだのは技術的なことよりも、むしろ「社会の仕組み」や「民主主義」のあり方でした。彼はアメリカから戻り、老中に呼ばれます。そして「アメリカと日本はどういうところが違うのか」と問われます。勝は「アメリカは日本と違って偉い人が上にいます」と答えるのです。老中らの苦虫を噛む姿が浮かびます。日本では徳川将軍家のような家柄が絶対視される時代でした。ジョージ・ワシントンの子孫のことを聞くと、アメリカでは初代大統領の子孫であっても特別扱いはされず、一市民として生活していることを知るのです。この事実に勝は「身分よりも実力や個人の自立が優先される社会」の有りようを強く意識したようです。「徳川家という私的な組織」が日本を支配している状態から勝はアメリカを視察して、政治は「日本全体」、「公」のためにあるべきと考えていくのです。

戊辰戦争での薩摩軍兵士

 勝は幕府の家臣でありながら、「幕府を守る」ことよりも「日本という国を守る」ことを優先しました。彼の最大の功績は、1868年の戊辰戦争において、官軍の西郷隆盛と会談し、江戸無血開城を実現させたことです。戊辰戦争とは慶応4年1868年から1869年にかけて、王政復古を経て新政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩等を中核とする新政府軍と、旧幕府陸軍・幕府海軍が戦った日本近代史上最大の内戦と呼ばれます。新政府軍が勝利し、国内に他の交戦団体が消滅していきます。この内戦において、欧米などの諸外国は局外中立の立場であったが、フランスのレオン・ロッシュ公使(Léon Roches)などが個人的に旧幕府側を支援していました。

 勝は諸藩が対立する中で、幕府・朝廷・諸藩が統一して欧米列強に対抗すべきであるという「公議政体論」に近い考えを持っていたといわれます。彼のこの広い視野に、敵対していた坂本龍馬や西郷隆盛らが勝に心酔したのは、敵味方の垣根を超えた「橋渡し役」として役割を果たしたからでしょう。勝は維新後も参議、海軍卿として、後の海軍大臣などを歴任しました。

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