感謝祭と「追悼の日」

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アメリカの感謝祭(Thanksgiving) が近づきました。感謝祭は国民的行事で、11月第4木曜日は祝日で4日間の連休となっています。一般には 1621年、マサチューセッツ州(Massachusetts)のプリマス(Plymouth)植民地での「収穫祭」 に由来するとされています。イギリスから北米に移住してきた清教徒:ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)は、過酷な冬を越え、先住民(Indigenous) ワンパノアグ族(Wampanoag)から農作物の栽培方法や狩猟を教わり、翌年に豊かな収穫を得ました。その収穫を祝い、ピルグリムとワンパノアグ族が共に祝宴を開いたという物語が「感謝祭の起源」として広く知られています。ただし、この「友好」の物語は後世、理想化された部分が多いとも指摘されています。

感謝祭

 感謝祭の意義は以下のような文化的意味を持ちます。すなわち家族・親族が集まる日です。感謝祭はクリスマス以上に、家族が一堂に会する日とされます。 遠く離れて暮らしている家族も、感謝祭の日には家族と共に過ごすために家に帰ろうと努めます。遠方から来ている友人を招く機会でもあります。宗教色は薄れつつありますが、一年の恵みに感謝する日が感謝祭で、健康な生活などに感謝する日としての性格を持っています。

 こうした感謝祭の一方で、アメリカ先住民は感謝祭に反対しています。ここが最も重要な点です。一部の先住民団体や支持者は、感謝祭を 「反省すべき歴史を美化する行事」 ととらえ、毎年この日を「追悼の日」(National Day of Mourning) を開催しています。「追悼の日」の背景には先住民の苦難の歴史が隠されるという側面があります。感謝祭の「友好の物語」とは対照的に、実際には白人による土地の奪取や植民地拡大、民族の虐殺が行われたという歴史もあるのです。開拓が進むにつれて先住民の文化・言語・宗教の破壊が進み、先住民社会は壊滅的な被害を受けます。この重大な歴史的事実が、感謝祭における「和やかな物語」によって覆い隠されいるという批判があります。

追悼の日

 多くのアメリカ人にとって感謝祭は「アメリカの始まり」とか「国民的伝統」といった肯定的な意味を持ちます。しかし先住民は、植民地化と虐殺の始まりの象徴でもあり、祝うどころか追悼すべき日と考えているのです。感謝祭では、先住民の存在が「善良な協力者」、「友情の相手」として単純化されたり象徴化されて描かれることが多いですが、感謝祭は、多様な部族の歴史事実や政治的複雑さ、その後の戦争や迫害を無視した象徴であると批判されるのです。

 先住民コミュニティはアメリカ国内の各地に存在します。インディアン居留地(Indian Reservation) で、アリゾナ州北東部とユタ州(Utah)やニューメキシコ州(New Mexico)にまたがるナバホ・ネイション(Navajo Nation)や、ワイオミング州中西部のウインド・リバー・インディアン居留地(Wind River Indian Reservation)、ショショーニ族(Eastern Shoshone)などがあります。ウイスコンシン州には、フォレスト郡ポタワトミ・コミュニティー (Forest County Potawatomi Community)があります。居留地では、現在も貧困率の高さ、健康格差、教育機会の不足、伝統的土地の権利問題などが存在しています。「感謝祭を祝う余裕などない」という声もあります。差別や不平等が現代にも続いているのです。

 まとめとして、アメリカでは感謝祭は「収穫と恵みに感謝する国民的行事」として深く根づいてはいます。他方で、先住民コミュニティの一部にとっては、植民地化の痛ましい歴史が始まった象徴であり、祝うことに強い抵抗感があるのです。感謝祭を理想化された物語ではなく、歴史の複雑性と先住民の視点に目を向けることが重要だと考えられます。

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岐路に立つ大学の今

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日本の国公立大学や私立大学が「岐路に立つ」という状況は、18歳人口の減少や社会ニーズの急変、財政基盤の弱さが重なって起きています。文部科学省によれば、2025年の私立大学の定員充足率は80%を下回り、23.7%の大学は定員割れとなっています。女子大学における新入生募集の停止、共学化、家政学部の統廃合、授業料の値上げなどは以上のような状況を反映しています。学部の再編とか入学定員の削減といった単なる“形の変更”では問題は解決しなような状況です。そこでこれからの大学振興のために、今後特に政策面・大学側の取り組み・社会との連携、そして大学の自助努力など視点から、岐路に立つ大学の実情を考えていきます。

まず、国の政策として必要な状況があります。第一に大学には持続的な財政支援の強化が必要であることです。国公立大学運営費交付金の減少が研究力低下を招いているため、安定的な基盤経費の確保が必須な状況です。過度な競争的資金偏重ではなく、基礎的な教育と研究を支える資金が重要です。教育国債の発行などによって、教育財源を確保するもの大事なのですが、文部科学省はこうした対応を積極にやろうとしていません。

 大学自身が進めるべき改革もあります。学部や学科の「中身の再構築」という課題です。家政学部や文学部のような伝統学部も今や、データサイエンスといったAIや実践的スキル・社会課題解決を組み合わせることの需要が高まっています。例えて言えば、家政学 × 食品科学 × SDGs、文学 × 文化政策 × デジタルアーカイブといった統合の編成です。

 次に専門職大学や地域連携型大学への支援ということです。地方の人口減少に対応し、地域医療・地域産業・観光・防災など地域課題に基づく学部再編を促す政策が必要です。地域産業と連携した共同研究などの実務的教育の支援です。さらに、リカレント教育とわれる社会人教育への本格投資の重要性です。社会人が学び直しやすい制度、例えば学費補助、オンライン履修の法的整備を拡充し、大学の新たな役割を確立することです。

 さらに、共学化や定員調整だけでなく、大学の「独自価値」を強化しなければなりません。多くの大学が似たような学部編成では差別化が困難であります。地域との密着性や国際連携など、「ここでしか得られない経験」の設計が大学存立の鍵となるでしょう。

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辻邦生はどのような文学者か

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日本近代文学の中でも独特の位置を占める文学者で思想家の一人が辻邦生(1925–1999)です。歴史小説や芸術小説、思想小説を著し、深い哲学的思索を物語に展開することで知られています。私も「背教者ユリアノス」という歴史小説などを読んで辻文学の一端を知ることができました。この作品は「存在の輝き」とか「時への意識」、「人間の理性や精神の関係」といったテーマで貫かれています。

山梨県立美術館のポスターから

 本稿では、彼がどのような文学者で哲学者であったかについて、その創作や思想の原点を探ってみることにします。第一の特徴として、辻は「存在の輝き」を描く作家であったということです。その文学の核心には、世界に触れたときに立ち上がる「顕現」(epiphany)への鋭い感受性だったといわれます。顕現とはもともと、1月2日から8日の間の日曜日である主日に、すべてのキリスト教会で行われる祝祭のことで、「突然のひらめきや悟り」を意味します。物語の中では人物が風景や芸術作品に対して深い 「覚醒」 を経験する場面が多く、そこに読者を投入させてくれます。

 第二は、辻は歴史と精神を重ねる「精神史小説」の書き手であったことです。例えば「安土往還記」「西行花伝」「春の戴冠」などでは、歴史的人物の精神の高揚とか、その背後にある時代の意識や芸術創造の苦悩を重厚な修辞で描き、歴史小説という枠を超えた精神史的文学を創造したと評価されています。

 第三に、辻はフランス思想・現象学の祖ともいわれるメルロ・ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)などの影響を受け、身体性とか知覚の哲学に心酔したようです。それは、東京大学でフランス文学を専攻し、のちにソルボンヌ大学(Sorbonne University)で学んだことも実存主義思想の形成にあったといわれます。中世やルネサンス文化論らによって、彼の作品には「見ること」、「世界と身体の関係」、「芸術的創造の根源」といったテーマが一貫して流れています。

Arthur Rimbaud

 第四に、辻は後に言葉の力を信じた「言語の芸術家」とも評され、「言葉は世界の形を与える力である」と考え、極めて緻密で音楽的な文体を追求した作品を残しています。ポール・ヴァレリー(Paul Valery)とかアルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud)の既存の文学を鋭く批判する詩からも影響を受けています。ランボーは伝統的な秩序を捨て、精神・道徳、身体の限界を超え、未知を体系的に探求しようとした反逆や革命の詩人といわれています。

 最後に、辻の哲学や創作の原点はいくつかの核心的経験があることを追加しておきます。それは、画家や音楽家といった芸術家を理解し、彼らに深い共感を抱いていたことです。芸術創造の瞬間に垣間見える精神の高揚を感じとり、「存在の輝き」を最も経験するのです。時間意識を文学の主題としました。流れる時間の中で人がどう意味をつかむのかを示唆し、その考察が多くの長編小説の軸になっています。

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高市内閣の人事と特徴

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高市早苗内閣の人事が波紋を呼んでいます。この話題を取り上げます。積極財政派といわれる政治家の片山さつきや城内実が経済や財政面での閣僚に任命されました。人事、特に 片山財務相+城内経済財政相ライン の登用が「財務官僚を震え上がらせた」と言われています。これは単なる人事の話ではなく、日本の財政運営の主導権争いという構造的な問題に絡んでいます。

 財務官僚が最も恐れるのは「政治主導による財政拡張」です。財務省は、戦後一貫して 財政規律=プライマリーバランス(PB) 黒字化路線を日本の国是のように守ってきました。それは一種の官僚的な信念であり、同時に権力の源泉でもあります。

高市早苗内閣の閣僚

 官僚は絶えず「財政規律を守らなければ国は破綻する」と言って、各省庁や政治家の“バラマキ要求”を抑えるのが自分たちの使命だと信奉してきました。つまり、財務官僚にとって“緊縮財政”はイデオロギーであり、支配の道具でもあったのです。ところが、今回登用された片山や城内はともに明確に 「積極財政」、「脱・PB黒字主義」 を掲げてきたのです。このラインが財務省の上に立つということは、「財務官僚が握っていた国家財政のアクセルとブレーキを政治側が奪う」という構図になるのです。これが、財務官僚にとって最大の“恐怖”です。

これまで、財務省は税収の弾性値を使って税収入をあらかじめ予測してきました。弾性値とは名目GDPまたは所得・消費などの課税ベーが1%変化したとき、税収が何%変化するかを表す指標のことです。2010年代の弾性値は、約1.1 前後、コロナ後回復期は法人税が急増し一時的に 1.3〜1.5程度、そして2023〜2024年度は景気鈍化という局面で 1前後に戻っています。

「積極財政」は官僚制の財政規律という論理をひっくり返すことにもつながります。これまでの財務省ロジックつまり、低い弾性値を使い、税収を慎重に見積もる、歳出要求は抑える、国債発行は最後の手段とする、そしてPB黒字化を最優先するという論理です。積極財政という仕組みは、官僚にとって極めて都合が良い方針なのです。なぜなら「財源がない」を理由に、すべての各省からの政策提案を査定し、場合によっては差し戻してきたのです。

¸ 加えて積極財政派の論理というのは、経済を成長させれば税収は増える、政府支出は経済政策の一部であり、国債発行も経済成長のためのツールであるという考え方です。つまりPB黒字化よりも国民生活と成長を優先するという政策なのです。このように積極財政とは、財務省の予算査定権限を弱めるという、これまでの財務省自体の正統性を揺るがす思想でもあるのです。これを大臣というトップが主導すれば、省内の力学が崩れるために「官僚は震える」という表現が使われるのです。

 繰り返しますが、具体的に財務省が震えるのは次のことだろうと考えられます。つまり、PB目標の廃止・棚上げです。 財務省が掲げてきた「財政再建の旗」が降ろされるのです。さらに政策判断の正統性が失われ、内部の理論体系が崩れることです。高市首相の人事は「財務省支配からの独立宣言」ともいえそうなパラダイムシフトです。この2人が財政と経済の要職を握ると、官僚たちは「もう、予算の主導権を握れない」と感じるかもしれません。「財務省が支配してきた戦後の官僚国家モデルの終焉」 という構造変化です。

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責任ある積極財政の課題

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どのような政策にも懸念とかリスクは考えられます。「責任ある積極財政」も例外ではありません。積極財政とは、主に国債の発行による景気上昇の財政政策です。その場合、財政赤字や国債残高の増加という側面があります。すでに政府債務は非常に大きい状態にはあらいます。財務省が間違って唱えてきた将来世代へのツケとか負担という懸念が言われています。ここで勘違いをしてはいけないことは、国債は政府の借金であり、国民の借金ではないということです。

 国債の償還にあたっては、金利が上昇した場合、国債費の利払いが急増し財政を圧迫することも考えられます。どのような場合に金利が上昇するかについては諸説がありますが、将来的な可能性としてあることです。私には金利上昇理由がなになのかは分かりません。

 国債による資金の利用は、どのような公共投資に充当するかであります。例えば、高速道路や整備新幹線の延長、老朽化した上下水道の工事、国土強靱化対策、宇宙開発など科学技術への投資といった積極財政が「バラマキ」に流れると、効果の薄い支出で財政負担だけが増える心配もあります。インフラへの投資などは質の確保や将来の需要予測が難しいこともあり、無駄な投資のリスクが存在するのも確かです。

 政府が公共事業を増やしたり給付金を出したりすると、家計や企業の支出が増えます。つまり、経済全体としてモノ・サービスを「買いたい量」が増えるのです。労働者が確保できないとか、原材料が高騰しているとか、入手困難である場合、生産設備が不足している局面で追加の財政出動は、懸念される事態ともなりかねません。需要が増えて物価が上がり生活を圧迫する可能性もないではありません。

日本経済新聞より引用

 一度積極財政を採用すると、政治的理由で支出削減が困難になり、景気が好調でも財政が引き締まらないという問題も起こりえます。それを防ぐためには費用対効果を厳密に審査し、場合によって支出削減にも英断を求めることです。

 まとめとして、責任ある積極財政の基本的な考え方は、短期では需要不足を補い、長期では成長の基盤を整えることで結果的に財政も健全化する”というものです。積極財政はメリットもリスクも大きい政策であり、最も重要なのは「何に、どのくらい、どの期間」投資するかという政策設計の精度にあると考えられます。

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責任ある積極財政とは

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高市政権は「責任ある積極財政」の推進を主張しています。その理由や根拠、さらに課題などを2回にわたって考えていきます。デフレや低成長からの脱却が「責任ある積極財政」の目指すところです。長期的な物価停滞が続き、実質賃金の伸び悩みを解消し、国内の需要不足を補うには、民間需要が弱い局面で政府が支出を増やす積極財政が必要と考えられています。大手企業の多額の剰余金が滞る状況では、財政出動がインフレを呼ぶのではなく成長に結びつきやすいというのです。

戦時国債

 次に、安全保障・災害対策・社会基盤への投資が必要と考えられています。防衛力強化、災害インフラ、エネルギー安全保障、デジタル化など、国として不可避な支出項目が増えています。これらは民間投資では賄えない領域であり、政府の支出が不可欠と考えられるのです。

 さらに税収は経済成長によって増えるという考え方にたっていることです。財政再建を「歳出削減・増税」ではなく「経済成長による税収増」で達成するという立場です。経済成長率が高まれば、GDP比の債務負担が相対的に低下するという論理です。増税は、国民の実質賃金を下げる懸念があります。積極財政の財源は国債によって賄われなければなりません。

 日本国債の性質は自国通貨建てで、低金利の状態にあります。日本は自国通貨建て国債で返済不能リスクは低く、中央銀行が市場の混乱を抑制できるという事情があります。国債市場は安定しており、国債の消化主体の多くが民間金融機関や日銀であるため、財政破綻リスクは相対的に小さいといわれています。国債の償還は、借換債でおこなわれており、財政破綻、いわゆるデフォルトの懸念はありません。

 現下の世相では、少子化や技術革新などへの“未来投資”が不可欠だといわれています。教育投資、科学技術、スタートアップ支援等は短期の採算性が弱いため、政府支援によって成長基盤を作るべきだ、という考えです。民間投資ではこうした取り組みは困難なのです。

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アメリカの大学スポーツは一大興業

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大学スポーツは今や最高潮です。その活動は、全米大学体育協会( National Collegiate Athletic Association-NCAA)という巨大な組織によって統括されており、プロリーグに匹敵するほどの人気と注目度を誇ります。特にアメリカンフットボールとバスケットボールは絶大な人気があり、全国中継される試合には5万人規模の観客が集まります。大きな大学はフットボール用の巨大なスタジアムを擁し、室内スタジアも1万人を収容します。 今はアイスホッケーの他に、バレーボールが多くの観客を集めています。

 NCAAは、約1,100校以上の加盟校と50万人以上の学生アスリートを擁する巨大な統括団体です。人気のスポーツといえば、男子ではアメリカンフットボールが圧倒的で、次いでバスケットボール、アイスホッケーなどと続きます。これらの人気スポーツのテレビ中継は非常に頻繁に行われます。

 優秀なアスリートを集めるために、各大学はスカウト職員を揃え、各州にある大学同窓会などのネットワークも利用し、ここぞと思われる高校生に注目して大学への勧誘をします。時に、交通費や謝礼を渡すなどの違反行為が報道されています。大学に入学すると、学費や生活費をカバーするスポーツ奨学金(athletic scholarship)が提供されます。これは、スポーツと学業の両立を目指す学生にとって重要な支援となります。

ウィスコンシン大学のキャンプランダール・スタジアム

 大学スポーツは競技力の向上だけでなく、将来のキャリア形成にも大きな影響を与えます。アスリートは、最高レベルの競技環境の中で大学での専門的な学びを両立させることが求められます。NCAAの規則では、アスリートの学業成績が悪いと退学させることを義務づけています。ですから学業不振なアスリートには支えるチューターがいます。大学スポーツは、プロへの登竜門となっています。多くのプロアスリートは、NCAAでキャリアをスタートさせています。大学スポーツはプロリーグへの重要なパイプ役となっているのです。

 アメリカの大学スポーツは、教育システムの一部でありながら、興行としても非常に大規模に運営されているのが特徴です。 大学スポーツは、各大学にとって巨大な収入源となっています。毎年数千億円が動きます。試合が全国中継となると、放映権料などにより大学は多いに潤い、収入のないスポーツ活動、たとえば陸上競技やサッカー、レスリング、テニスなどの運営を支えるのです。

 アメリカの大学スポーツにには、「ポータル(転校)制度があります。この仕組みは、「トランスファーポータル」と呼ばれ、学生アスリートが所属チームを転校する際に、自分から他大学のコーチにアピールするために、NCAA加盟校関係者のみがアクセスできるシステムのことです。

 優秀なアスリートの中には、もっと強い大学のチームに転校したいという希望を持つものがいます。また、あまりアスリートとしての活動の機会が少ないとか、コーチや他の同僚と関係に不満などがあるアスリートは、このシステムに登録し、自分を評価してくれる大学を探すのです。シーズン中、アスリート起用に不満があり、所属の大学チームではなく他のチームに行って出場時間が欲しいなど、求めるものを追求していく精神がアスリートに強いのです。

 これまでは、大学の監督は高校から才能あるアスリートをスカウトすることだけに集中していれば良かったのですが、時代は完全に変わりました。大学アスリートは収入を求めて、自分が活躍できそうな他の大学へ転校していくのです。こうしてみますと、「トランスファーポータル」によって大学もまたフリーエージェント制度でチームを移籍していくプロと変わらなくなりました。とまれ、プロと大差ないのがアメリカの大学スポーツなのです。

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