ドイツ語の旅 その6 反ユダヤ主義とナチズム

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Last Updated on 2025年5月20日 by 成田滋

ナチズム(Nationalsozialismus)やファシズム(Faschismus) の先駆はドイツの伝統的な右派・保守思想の影響を強く受け、国家主義・民族主義的な政権によって社会を全面的に統制しようとする思想・運動とされています。結束主義(ファシズム)や全体主義の一種で、特徴としては反共産主義、反マルクス主義、反民主主義、反自由主義、反個人主義、反議会主義、反資本主義、反ユダヤ主義(Anti-Semitism)ということです。その意味でナチズムは政治闘争用語です。こうした民族主義的な風潮はドイツ帝国時代から支配層と一般市民層の間に広く浸透していたようです。

Immanuel Kant

 イマヌエル・カントの思想には、啓蒙主義の影響が色濃く反映されていますが、カントはユダヤ教を「啓蒙の妨げ」と見なし、ユダヤ人の社会的な立場について否定的な意見を述べていたことが明らかになっています。特に、彼はユダヤ教を「商業的な宗教」として批判し、普遍的な道徳の発展に寄与しないと考えていたようです。このようにユダヤ教の宗教的な側面や社会的な影響について批判的な見解を持っていたと指摘されています。さらに「ユダヤ教は全人類をその共同体から締め出し、自分たちだけがエホバ(Jehovah)に選ばれた民だとして、他のすべての民を敵視し、その見返りに他のいかなる民からも敵視されたのである」とユダヤ教の選民思想についても批判しています。選民であるという感覚は、しばしば特定のイデオロギー運動と関連しています。

 反ユダヤ主義的な思想を持っていたとされる哲学者には、マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger) がいます。彼は1933年にナチス党に入党し、ナチス政権下で活動し、その思想が反ユダヤ主義的な側面を持つと批判されています。「ドイツ大学の自己主張」と題したフライブルク大学(Albert-Ludwigs-Universität Freiburg)の学長就任演説では、ナチスの理念を支持しナチスを賛美する演説を行い大学の改革も試みています。

Martin Heidegger

 「ドイツ国民に告ぐ(Reden an die deutsche Nation)」という有名な講演をしたのがヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte)です。この講演では、フランス文化に対するドイツ国民文化の優秀さを説き、また、ドイツ国民の統一、ドイツ人の内的自由、商業上の独立を主張し、ドイツ国民精神を発揚しドイツの解放戦争を準備する力となったといわれます。彼の国家哲学には、ドイツ民族の独自性を強調する側面があり、後のナショナリズムの発展に影響を与えたとされています。フィヒテは「ユダヤ人から身を守るには、彼等のために約束の地を手に入れてやり、全員をそこに送り込むしかない」とも講演しています。この思想は後のドイツのナショナリズムに大きな影響を与えたとされます。政治学者の今野元は、著書「ドイツ・ナショナリズム:「普遍」対「固有」の二千年史」で 「ドイツ・ナショナリズムとは、ドイツへの帰属意識を前提に、ドイツ的なものの維持・発展を望む思想」と指摘しています。

 もう一人のドイツの哲学者にゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelがいます。彼の哲学も後のドイツ観念論に大きな影響を与えましす。ヘーゲルは国家を「理念の実現」と捉え、歴史を通じて国家が発展していくという思想を展開しました。一部の解釈では、これがナチズムの全体主義的な国家観に利用されたといわれます。ある解釈ではユダヤ人に対する否定的な見解が含まれていると指摘されています。

 終わりにカール・シュミット(Carl Schmitt) という20世紀の法哲学や政治哲学のことです。1933年からナチスに協力し、ナチスの反ユダヤ的な法学理論を支えナチス政権下で活動します。第二次世界大戦後に逮捕され、ニュルンベルク裁判(Nuremberg Military Tribunals)で尋問を受けますが不起訴となります。

 ナチズムを生んだのはドイツ観念論が直接影響したかどうかですが、一定の思想的土壌を提供した可能性があるようです。ヘーゲルの「国家の絶対性」という思想が、民族中心主義や権威主義を正当化する道具として解釈されたともいえます。ドイツ民族の精神的優越性を強調し、後の民族主義に影響を与えたのは否めません。西欧中心主義的気風が強いドイツでは、西欧、なかんずくドイツのものが「普遍」妥当性を持つのは当たり前だと考えられてきたふしがあります。

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ドイツ語の旅 その5 哲学者の輩出

Last Updated on 2025年5月19日 by 成田滋

ドイツ語では、一般名詞、代名詞、冠詞、形容詞に主格・属格・与格・対格の区別があります。名詞は男性、女性、中性名詞に分けられています。der Vater(父), die Mutter(母), das Buch(本)などです。名詞は必ず大文字となります。動詞は人称、数、時称、話法によって変化します。「私は~です」「これは~です」というように、人・物の紹介や状態(形容詞)を伝える動詞は「sein」です。英語のbe動詞に相当します。一人称はich bin, 二人称はdue bist, 三人称はer istという按配です。英語と同様にドイツ語の動詞は変化します。一人称はich binの過去形は、ich bins, 三人称er istの過去形はer war となります。

 ドイツ語文法の初歩はこのくらいにして、ドイツ語の哲学用語を調べてみます。日本語化?したドイツ語が沢山あることに気がつきます。以下、思いついたものです。
 ゲシュタルト (Gestalt) 形、形態、状態、テーゼ (These) 綱領、エスイク(Ethik)倫理、トラウマ (Trauma) トラウマ、ロジック(Logik)論理、インダクション (Induktion) 帰納、ゼミナール(Seminar)、カテゴリー(Kategorie)、コンメンタール (Kommentar)注釈書という具合です。

 次に生成AIを参考にしてドイツで哲学者が生まれた調べてみます。第一は、マルティン・ルター(Martin Luther)らにる宗教改革(Protestant Reformation)とプロテスタント(Protestant)の影響があります。宗教改革は、16世紀の西方キリスト教世界における教会体制上の革新運動のことです。当時の旧教であるローマ・カトリック教会から新教の分離へと発展します。カトリック教会の教義や権威への批判から生まれます。聖書の言葉を忠実に理解し、個人の内面と信仰に重きを置く考え方を促すのです。この精神がドイツにおける哲学的思索の土壌を育てていきます。

Martin Luther

 第二は、ドイツには中世から続く古い大学が多くあり、哲学や神学、論理学の学びが重視されてきました。1502年設立のヴィッテンベルク大学(Wittenberg Universität) や1694年設立のハレ大学(Halle Universität) は、その例です。この二つの大学は、後にマルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク(Martin-Luther-Universität Halle-Wittenberg)となります。ルターがヴィッテンベルクで教鞭をとっていたことに因んで名付けられます。他に1544年設立のケーニヒスベルク大学(Albertus-Universität Königsberg)、1558年設立のフリードリヒ・シラー大学イェーナ(Friedrich-Schiller-Universität Jena)などが学問の発展の重要な拠点になったといわれます。 

Martin-Luther-Universität Halle-Wittenberg)

 第三は、イマニュル・カント(Immanuel Kant)を初めとする「ドイツ観念論」(Deutscher Idealismus)と呼ばれる哲学思想が広がります。ドイツ古典主義哲学(Deutsche Klassik)やドイツ理想主義哲学(Deutscher Idealismus)とも呼ばれています。要は、哲学は抽象的・体系的思考の最高峰として社会的に認知されて、18世紀のヨーロッパ全体に流行した理性による世界の理解・進歩への信念といった啓蒙思想に受け継がれていったと解説されています。

 ただ、カントの時代のヨーロッパではユダヤ人に対する偏見が広く存在していたといわれます。カントもそれに共鳴していたという驚くべき指摘がなされています。カントの観念論と反ユダヤ主義がどうして結びつくのかは、私の理解を超えた誠に難しい話題です。

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ドイツ語の旅 その4 文豪たち

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Last Updated on 2025年5月18日 by 成田滋

ドイツの大哲学者であり文豪にゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)がいます。 「ギョエテとは俺のことかとゲーテいい」と明治時代の小説家、斎藤緑雨は述べたといわれます。斎藤は、Goetheを「ギョエテ」と発音したようです。「ギョエテ」と発音したのは、ドイツ語の発音の特徴である「ウムラウト」(Umlaut)にあります。ウムラウトとは、母音が後続の母音の影響で変化する現象のことです。その変化した母音を表記するために用いる記号が「¨」です。

Johann Wolfgang von Goethe

 それはさておき、ドイツはゲーテの他に、フリードリッヒ・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)、ヘルマン・ヘッセ(Hermann Karl Hesse)、トーマス・マン(Paul Thomas Mann)いった文豪を輩出した国です。 これらの偉人がその哲学や思想をぴったりと表現してきたのがドイツ語だと考えられます。

 19世紀のドイツの哲学者で、厭世主義(ペシミズムーPessimismus)の代表的な思想家として知られているのが、アルトゥール・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)です。Wikipediaによると、ショーペンハウアーは、カントやプラトンの影響を受けながらも、仏教やインド哲学にも関心を持ち、「人生は苦しみである」という考えを強調したといわれます。そのため、彼の思想は後の哲学者や文学者に大きな影響を与えたようです。

Arthur Schopenhauer

 「人生は苦しみである」という考えは、実存主義文学の基盤となりました。特に、ポーランドの作家で「変身」を書いたフランツ・カフカ(Franz Kafka)やアイルランドの作家、サミュエル・ベケット(Samuel Beckett)の作品には、彼の影響が色濃く見られるといわれます。「変身」の有名な冒頭の文です。主人公の「グレゴリー・ザムザ(Gregor Samsa)は、安らかでない(unruhig)夢からある朝目覚めたら、自分がベッドの中で巨大な(ungeheuer)害虫(Ungeziefer)に変身しているのを見つけた(fand)」主人公が巨大な虫になるという不条理さを描いた奇怪なモチーフの小説です。

 18世紀後半、ヨーロッパ全体に広がっていた啓蒙主義(Aufklärung)は、「理性」、「秩序」、「普遍性」を重視するものでした。しかし、ドイツではこの理性という主義に対し「人間の感情」や「想像力」、「個性」などが抑圧されていると主張します。ドイツでロマン主義(die deutsche Romantik)が生まれたのは、ドイツ各地における自由都市や小国の存在、哲学的な思索、啓蒙主義への反発、そして「現実を超えた理想」を追い求める文化的土壌があったからだといわれます。

 文学や哲学とも密接に結びついてロマン主義音楽が発展します。理性で整えられた形式美(古典派)から、より主観的で感情表現豊かなものとして生まれます。その中でベートーヴェンは古典派からロマン派への嚆矢とか先駆といわれています。歌曲のリート(Lied)や交響曲のシューベルト、ピアノ曲、歌曲のローベルト・シューマン、交響曲、宗教音楽のフェリックス・メンデルスゾーン、さらに楽劇のリヒャルト・ワーグナーがベートーヴェンに続いて、ロマン主義音楽が開花し名曲が作られていくのです。

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ドイツ語の旅 その3 音楽とドイツ

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Last Updated on 2025年5月17日 by 成田滋

私たちが嗜むクラシック音楽は、ドイツ・オーストリアの作曲家のものが多いといえます。例えば、バッハ(Johann Sebastian Bach)、楽聖と呼ばれたベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)、ブラームス(Johannes Brahms)です。この三人は「ドイツ三大B」と呼ばれています。その他、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)、ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner)、シューベルト(Franz Peter Schubert)、シュトラウス二世(Johann Strauss II)といった著名な作曲家・演奏家を輩出し、クラシック音楽の中心を支えています。ベートーヴェンの第九交響曲ニ短調(d-moll) の「歓喜の歌」(An die Freude) の特徴は、管弦楽と合唱を統合したことにあります。交響曲の歴史で初めて声楽を導入したのです。最後の第4楽章はもちろんドイツ語で歌われています。

Johann Sebastian Bach

 何故、ドイツから有名な作曲家や音楽家が生まれたのでしょうか。第一の理由は音楽教育の充実にあります。ドイツには優れた音楽教育機関が数多く存在します。例えば、ライプツィヒ音楽院(Hochschule für Musik und Theater)やベルリン芸術大学(Universität der Künste Berlin)など、多くの作曲家が学び、育ってきたのです。これにより次世代の音楽家たちが育成されました。1843年にフェリックス・メンデルスゾーン(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn)によって「ライプツィヒ音楽院」が設立されます。ドイツで最初の重要な音楽大学であり、初代院長にはメンデルスゾーンが就任します。1901年に瀧廉太郎がこの大学に留学しています。

 第二はパトロンの存在があります。中世以降のヨーロッパでは、貴族や教会が音楽を支援する重要な役割を担っていました。パトロンによって宮廷楽師といった仕事や資金が提供され、安定した作曲活動ができたようです。ドイツでは特に教会音楽の発展が顕著です。特に1723年、バッハはライプツィヒの聖トマス教会(Thomaskirche)の音楽監督である「トーマスカントル」(Thomaskantor)に就任したことで知られています。そこでのオルガン奏者、聖歌隊指揮者にもなるのです。聖トマス教会時代では、年間約50曲のカンタータを作曲し演奏するという精力的な活動をします。マタイ受難曲(Matthäus Passion)も聖トマス教会で初演されといわれます。そのような環境のなかで精力的に作曲活動ができたのです。

聖トマス教会

 第三は哲学と音楽の結びつきが挙げられます。言い換えれば観念論と音楽の関係で、ドイツ観念論の哲学者たちは、音楽を単なる娯楽ではなく、世界の本質を表現する手段として捉えていたとされます。例えば、ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer) は音楽を「世界の意志の直接的な表現」と考え、他の芸術よりも高い価値を持つとしました。さらに作曲家と哲学者の交流があります。ワーグナーはショーペンハウアーの思想に影響を受け、彼の音楽には哲学的な要素が色濃く反映されているといわれます。

 Wikipediaによりますと、ニーチェもワーグナーとの交流があり、音楽を「人間の精神の最高の表現」(Musik ist der höchste Ausdruck des menschlichen Geistes)とさえ述べています。このようにドイツの哲学者たちは、音楽が人間の感情や精神に深く作用すると考え、作曲家もそうした精神に支えられて活動できたようです。

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ドイツ語の旅 その2 ドイツ語の影響

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Last Updated on 2025年5月16日 by 成田滋

戦前の日本の教育におけるドイツ語の位置について触れます。明治時代から昭和時代前期にかけてあったのが旧制高校です。帝国大学を中心とする官公立の旧制大学への進学のため、男子のみに対して行われた予備教育です。旧制高校の卒業証書さえあれば、専攻を選ばない限り、どこかの帝国大学に無試験で入学できました。それ故に旧制高校に入学した段階で社会的に羨望の的となりました。

旧制第一高等学校本館(東京大学教養学部)

 高等科のカリキュラムを調べてみます。高等科は、文科と理科に大別され、履修する第一外国語により、文科甲類(英語)、文科乙類(ドイツ語)、理科甲類(英語)、理科乙類(ドイツ語)として語学を学んでいました。フランス語を第1外国語とする学校は少なかったようです。3カ年の終業期間における授業時間数をみますと、文科、理科とも圧倒的にドイツ語の時間が多かったことが分かっています。我が国はドイツとの結びつきが強かったことがその理由です。

旧制第三高等学校正門(京都大学)

 このように旧制高校のカリキュラムに反映されるように、日本ではドイツ語教育に「思い入れ」が強かったことが分かります。近代日本は、帝政ドイツ、ヴァイマル共和政(Weimarer Republik)を通じて、ドイツから様々な影響を受けてきたことがあげられます。人と文明の流入です。明治政府や西洋医学を輸入する際に多数のドイツ人教師を招きました。当然ながら、多くの医学用語がドイツ語となり、例えば診察記録と呼ばれるカルテ(Karte)はすべてドイツ語で書かれました。クランケ(Kranke)、カテーテル(Katheter)、ギプス(Gips)、チアノーゼ(Zyanose)、レントゲン(Röntgen)など、日本の医学用語にはドイツ語を語源とする外来語がたくさんあります。

 物理学や化学用語としては、エネルギー(Energie)やアレルギー(Allergie)、登山や山岳用語ではピッケル(Eispickel)、リュックサック(Rucksack)、ザイル(Seil)、シュラフ(Schlafsack)、ヒュッテ(Hütte)、ゼッケン(Decken)などが今も盛んに使われています。軍隊用語としては、カンプ(Kamp)、タクティーク(Taktik)、シュトラテギー(Strategie)、マイスター(Meister)など多士済々です。

 政治や社会運動に関係する用語にもドイツ語に由来するものが多くあります。結束という意味のブント(Bund)、ケルン: 核(Kern)、ゲバルト: 暴力(Gewalt)、フューラー: 総統(Führer)など)。これは当時の日本の左翼思想に影響を与えたマルクス主義のマルクス(Karl Marx)やエンゲルス(Friedrich Engels)の原著の影響だと思われます。ヒトラー(Adolf Hitler)の「我が闘争」(Mein Kampf)という本は、ドイツ語のタイトルで知られるようになりました。

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ドイツ語の旅 その1 北大男声合唱団でのドイツ語

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Last Updated on 2025年5月15日 by 成田滋

これから数回に渡り、私のドイツ語との出会い、エピソードを記していきます。1971年に北海道大学教養部に入り、第二外国語としてドイツ語を選びました。その理由は確固たる信念ではなく、なんとなくドイツ語を知りたいというだけでした。教科を担当したのは井手という教授とオーピッツというドイツ人講師でした。

北海道大学農学部

 しばらくして私は男声合唱団に入り、ドイツの作曲家の作品やドイツ民謡の合唱曲を歌うことになりました。そのときドイツ語を学んで良かったと思いました。ドイツ語に堅苦しい印象や、少々いかついイメージを抱いていたのですが、その印象は吹っ飛びました。ドイツ語で大きな声で話しすると、怒っているように聞こえたりはしますが、、、、、、、。

 合唱曲のことですが、音名とか音階なども、アルファベットのアー(a)、ベー(b)、ツェー(c).を使うのです。中心となる主音をハ(C・ド)とした長音階で作られている楽曲は『ハ長調』(ツェーヅア: c dur)となります。 ハの短音階で作られている楽曲は『ハ短調』(ツェーモル: c moll)となります。長音階は長調とも呼ばれ明るい感じ、短音階は短調で暗い感じがします。なぜか、練習では英語ではなくドイツ語が飛び交うのです。

 合唱の練習が終わると、必ずドイツ民謡の「Muss i denn」ームシデンーという曲を歌います。ある若者が仕事の修行のために、町から町へと辿るのですが、ある娘と恋仲になり、彼女にさよならと別れを告げながら、また君のところに戻ってくるからね、という内容の恋歌です。

Muss i denn, muss i denn
 zum Städtele hinaus, Städtele hinaus,
  Und du, mein Schatz, bleibst hier?
「僕は、どうしてもどうしても、この町を去らねばならないが、いとしい君には、ここにいてほしい。

 もともとは、ドイツ南西部にあるシュヴァーベン地方シュヴァーベン語(Schwäbisch)による民謡で、歌詞は兵士が愛する女性を後にして出征して、また故郷へ戻ってくる時には結婚しようという内容といわれます。職人修行に出るため故郷を離れる若者が、恋人へ別れを告げる内容だという別説もあります。ドイツでは、軍艦が港を離れて航海に出るときや兵士たちの別れの際にも使われる歌です。いわば定番の別れ歌だそうです。合唱団の練習は週一。練習が終わると「Muss i denn」を歌い、そして一週間後にまた練習のために団員は部室に集まってくるのです。

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アメリカの公的医療保険制度ーメディケア その五 オバマケア

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Last Updated on 2025年5月14日 by 成田滋

合衆国の公的医療保険制の最後の稿です。「オバマケア(Obama Care)」という言葉がしばしばニュースとなりました。通称アフォーダブルケア法(Patient Protection and Affordable Care Act: ACA)と呼ばれ、合衆国第111議会で制定され、2010年3月にバラク・オバマ大統領(Barack Obama) によって署名された合衆国の連邦法のことです。2010年修正の医療・教育改革法(Health Care and Education Reconciliation Act of 2010)と合わせて、1965年にメディケアとメディケイドが可決されて以来、合衆国の医療制度において最も重要な内容の見直しと適用範囲の拡大を意味する医療保険制度です。

Barack Obama

 ACAという法律の主要条項は2014年に施行されます。2016年までに無保険者の割合はほぼ半減し、2,000万人から2,400万人が追加でカバーされたと推定されています。同法はまた、医療費の抑制と質の向上を目的とした多くの医療提供システム改革も実施しています。この法律が施行された後、雇用者ベースの保険プランの保険料を含め、医療費全体の増加は鈍化していきます。

 保険によるカバーが増えたことは、メディケイドの加入資格の拡大と個人保険市場の変化を伴っています。両者ともに新たな支出をし、その財源は新たな税金とメディケア・プロバイダー料金とメディケア・アドバンテージの削減の組み合わせで賄われています。行政管理予算局(Office of Management and Budget) の報告書によると、この法律は主に高額所得者の上位1%に課税し、所得分布の下位40%の家族に平均で約600ドルの給付金を提供することで所得の不平等を削減しようとするものです。

 この法律は、メディケア、メディケイド、雇用者市場の既存の保険制度を大きく強化するものといわれます。保険会社は、既往症や年齢を除く人口統計的状況に基づいて請求することなく、すべての申請者を受け入れるようになります。結果として法律は個人が保険に加入すること、または罰金/税金を支払うことと、保険会社は保険者のそれまでの健康状況に基づいて保険加入を拒否することは禁止されます。

 ACAの目指すのは日本の国民健康保険のような「公的保険」ではなく、従来の個人が民間の健康保険を購入する枠組みの中で、保険会社に価格が安く購入しやすい保険の提供や、既往症などによる保険摘要の差別などの禁止あるいは緩和を課すものです。健康保険を購入していない個人には確定申告時に追加税を科すことで、今まで保険購入をためらっていた階層に購入を促すものです。

Barack Obamaが卒業したホノルル市内のプラホハイスクール

 ACAでは2010年から2020年にかけて様々な施政が謳われてきました。2010年1月1日より、新たに以下の様々な大きな変更が加えられています。

1 保険者は以前の健康状況に基づいて保険加入を拒否することは禁じられます。また全ての被保険者に対し、同じ年齢・同じ居住地区であれば同等の保険料を設定しなければならず、年齢・以前の健康状況で差をつけることは禁じられます。ただし、喫煙者は例外です。本改革以前は、初めて健康保険を購入する場合、既往症や購入以前からの妊娠は保険適用外とされることがありました。その状態は改善されました。

2 保険が標準でカバーしなければならない保障範囲(Essential health benefits)が定められました。被雇用者保険、メディケア、メディケイド、その他の公的制度でカバーされない無保険者は、承認を受けた民間保険に加入するか、罰金を払わなければなりませんでしたが、2019年以降は廃止されました.。これは歳入庁の定めによる金銭的困難者、宗教団体の一員ならば除外され、低収入者には補助金を給付できる条項が定められています。

3 全ての州に医療保険交換所が開設され、個人や小規模事業者は、そこで保険内容を比較し保険を購入することができるようになります。連邦政府の定める貧困線の100%〜400%低収入の個人・家庭は保険交換所での購入時に連邦政府より補助金が受けられます。貧困線の133%〜150%の場合、その保険料は補助金が付くと収入の3-4%ほどになります。2013年度の年収$45,960未満の個人や$94,200未満の4人家族は、追加で税額控除を受けるか、また取引所から毎月保険者に送金するかで選ぶことができます。小規模時事業者は補助金を受給できます。

4 メディケイド制度が拡張され、対象者は収入が連邦政府の貧困線で133%の個人・家族まで引き上げられました。また障害の無い成人、補助者のいる児童にも適用されます。メディケイド資格の上限は貧困線の138%の者と設定され、その5%については所得に関係なく資格を得ることができます。さらに子ども医療保険プログラム(SCHIP)の受給要件が簡素化されました。

5 50人以上の従業員を抱えフルタイム雇用者に医療保険を提供しない事業者は、もしそのフルタイム雇用者らの医療保険加入に対して政府が税控除などの形で補助金を出していたならば、事業者は税制上の罰金を払わなければなりません。

オバマケアのまとめ

 合衆国の診療は自由診療が基本となっています。高額な医療費に備え、各自が民間の保険会社と契約しますが、低所得者は保険料の支払いが困難となることや、医療費のかさむ慢性病患者等は更新を拒否されたりする弊害があり、医療の恩恵を享受できない国民が少なからず存在しています。アメリカの自己破産の6割は医療費が原因とされます。さらに医療費が原因で破産した者の8割は医療保険に入っていたとも言われています。高額な医療費と質の悪い保険のため、身体的のみならず、経済的にも病気や怪我に苦しめられるのがアメリカ市民の一断面です。

 2017年1年に大統領に就任したトランプは、大統領選挙の選挙公約にてオバマケアを廃止するとしていましたが断念しました。オバマケアがその理念に反してあまり支持されなかった理由に、全国民に加入を義務付け、違反すると年収の2.5パーセントにあたる罰金を支払わなければならず、保険料支払いが難しい低所得者には、所得に応じた補助金がもらえるが、補助金給付は増税を招き、納税者は不満を募らせた経緯があります。保険料も大幅に値上がりし、妊婦検診や小児医療など特定の年齢層に限られる医療や薬物治療カウンセリングなど特殊なサービスを受けるための保険料も支払わなければならなくなりました。

 さらに、健康状態の良くない低所得者の保険加入が増えた結果、保険金の支払いが急激に膨らんだという経緯もあります。オバマケアでは、保険会社は病歴を理由に保険加入を拒否することはできず、保険会社の支払いが急増し、保険料負担の高騰で中小企業は悲鳴を上げ始めたともいわれています。オバマケア導入前から任意で医療保険に加入し税金を納めていた白人中間層が割を食った不満がオバマケアが支持されなかった理由ともされています。オバマケアの主目的は無保険者の削減であり、医療費の抑制ではありません。2014年の導入以降、無保険者の割合は大幅に減少し、合衆国の国民皆保険制度の実現に大きな役割を果たしています。.

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アメリカの公的医療保険制度ーメディケア その四 子ども医療保険プログラム

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Last Updated on 2025年5月13日 by 成田滋

公的医療保険制度の関心は、なんといっても貧しい家庭の子どもたちの健康保障です。合衆国の子ども医療保険プログラム(Children’s Health Insurance Program: CHIP)は、各州が主体となって低所得世帯の19 歳以下の子どもに対し、無料または低コストの医療を提供する公的医療保険制度です。合衆国には、前述してきたように低所得者に対する公的医療保険のメディケイド(Medicaid)がありますが、メディケイドに加入するには所得基準が高すぎ、民間の医療保険に加入する余裕がない低所得者も多く存在します。CHIPはメディケイドの加入資格基準を満たさない低所得世帯の子どもに対する公的医療保険となっています。

 合衆国では1970年代から1980年代初めに、連邦貧困水準以下の低所得世帯の子どもの無保険率が上昇し問題となっていました。そのような状況の中で、CHIPはソーシャルセキュリティ法(Social Security Act)の新たな権利として、共和党及び民主党の支持の下、クリントン(Bill Clinton)政権下の1997年均衡予算法(Balanced Budget Act of 1997)によって設立されます。2015会計年度におけるCHIPの加入者数はおよそ840万人となりました。

 少し遡りますが1997年当時、1,000万人の子どもが医療保険に加入しておらず、その大半は州のメディケイドの加入資格基準を僅かに上回る所得の勤労者世帯の子どもでした。CHIPは無保険の子どもを減らすことを目的とし、10年間に約200億ドルが連邦予算に計上されます。CHIPが制定された当初、州がどの程度CHIPに対応するかが懸念されたのですが、2000会計年度までには、ワシントンDCを含む全州と全準州がCHIPを設立しています。その後、2009年にオバマ大統領(Barack H. Obama)が子ども医療保険再認可法(Children’s Health Insurance Program Reauthorization Act of 2009: CHIPRA)に署名し、CHIPは名実共に子ども医療保険制度となります。

医療費の負担割合

 連邦政府は州に対する連邦資金の拠出額を新たに増額したほか、州がCHIPを立案するに当たり、メディケイドよりも遥かに柔軟性を与え、CHIPの加入資格基準を緩和します。同法は、無保険の低所得家計の子どものCHIPまたはメディケイドへの加入と定着を促進するために州を支援することを目的とします。その結果、子どもの無保険率は1987年以来最低の水準となります。子どもの無保険率の大幅な低下は、CHIPのみならずメディケイドに加入した子どもが増加したためなのですが、CHIPとメディケイドの両プログラムへの加入増加は、無保険の子どもに対しCHIPへの加入を推進することとなります。

 州のメディケイドと密接に連携する連邦政府の保健福祉省(Department of Health and Human Services)内のメディケア・メディケイドサービスセンター(Center for Medicare & Medicaid Services)は、メディケイドとともにCHIPを管轄し、州が連邦規則に従って加入資格や医療サービスの内容、保険料などを独自に立案した上でCHIPを運営しています。CHIPはメディケイドに比べて立案の上で州の裁量が大きいのですが、州のメディケイドと密接に連携しているのが特徴といえます。

(本稿は大和総研ニューヨーク・リサーチセンター の上野まな美氏の「米国の公的医療保険、メディケイド」を基にしました。)

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アメリカの公的医療保険制度ーメディケア その三 制度の発展

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Last Updated on 2025年5月12日 by 成田滋

合衆国の公的医療保険制度の3回目です。貧富の差が激しいアメリカ市民の姿が医療保険の実態から理解できる話題です、1970年代に始まった健康維持機構との連携は、1997年にビル・クリントン大統領(Bill Clinton) の下でメディケア・パートCとして正式に認められ拡大されます。 2003年、ジョージ・ブッシュ大統領(George W. Bush) の政権下で、ほぼすべての自己投与処方薬をカバーするメディケア・プログラムがメディケアパートDとして可決され、2006年に発効します。

 パートAの入院および高度看護の保険は、主に雇用主と労働者がそれぞれ1.45%を負担し、合計2.9%の給与税収入によって賄われます。1993年12月までは、社会保障給与税と同様に、メディケア税が年間に課される給与額の上限が法律で定められていました。1994年1月以降、この給与額の上限は撤廃されました。自営業者は、従業員と雇用主の両方であるため、自営業の純収入にかかる2.9%の税金を全額計算する必要がありますが、所得税の計算において、その半分を所得から控除することができます。2013年以降、個人の場合年収20万ドル、夫婦合算申告の場合は25万ドルを超える稼得所得に対するパートA税率は3.8%に引き上げられました。これは、医療費負担適正化法(Affordable Care Act)で義務付けられているメディケア非加入者への補助金費用の一部を賄うためです。

 2022年のメディケア支出は9,000億ドルを超え、アメリカの国内総生産(GDP)の約4%、連邦政府支出全体の15%を超えています。信託基金が2つあり、それぞれ異なる収入源があるため、信託委員会はメディケア支出を連邦予算ではなくGDP比で分析しています。ベビーブーマー世代のメディケア加入は高齢化が進み、ベビーブーマー世代の最後の世代が65歳になる2030年までに加入者数は8,000万人を超えると予測されています。さらに、加入者一人当たりの給与税納税者数は時の経過とともに減少し、国内の医療費全体が上昇しているという事実は、プログラムにとって大きな財政的課題を突きつけています。メディケア支出は、2022年のGDPの約4%から2046年にはほぼ6%に増加すると予測されています。ベビーブーマー世代は寿命が延びると予測されており、将来のメディケア支出は増加すると予想されています。

 これらの財政的課題に対応するため、議会は2010年の医療保険改革法(Patient Protection and Affordable Care Act:PPACA)と2015年のメディケアアクセス、無料または低コストの医療保険を提供する公的児童医療保険プログラム(Children’s Health Insurance Program: CHIP)を提出します。こうして医療提供者、主に急性期病院と熟練看護施設への将来の支払いを大幅に削減し、メディケア支出をさらに安定化させるため施策が講じられます。

 メディケア信託基金の医療費と支出の動向予測は、新型コロナウイルス感染症のパンデミック、今世紀に入ってメディケア・パートCへの加入が圧倒的に増加していること、そしてメディケイドとメディケアの両方の受給資格を持つ受給者の増加など、多くの要因によって医療保険制度は複雑化しています。

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アメリカの公的医療保険制度ーメディケア その二 制度の歴史

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Last Updated on 2025年5月11日 by 成田滋

合衆国における「メディケア」という名称は、もともと1956年に制定された扶養家族医療法(Dependents’ Medical Care Act)に基づき、軍務に就く人々の家族に医療を提供するプログラムを指していました。ドワイト・アイゼンハワー大統領(Dwight D. Eisenhower ) は1961年1月、ホワイトハウスで第1回高齢者問題会議を開催し、社会保障受給者のための医療プログラムの創設を提案しました。

 高齢者医療制度を規定する法案を議会で可決しようという提案が何度も試みられましたが、いずれも失敗に終わりました。しかし1963年、メディケアと社会保障給付の増額を規定する法案が、68対20の票差で上院を通過します。ある調査によりますと、「限定的ではあったが、医療保険に対する連邦政府の財政責任の原則を表す法案を両院が可決した」初めてのケースでした。しかし、ホワイトハウスの一補佐官が、メディケアを含む下院議員会議法案に対する下院議員の投票結果を集計したところ、「メディケア賛成」が180票、「おそらく賛成」が29票、「どちらともいえない」が222票、「反対」が4議席であったため、この法案が下院を通過するかどうかは不透明でした。

リンドン・ジョンソン大統領

 しかし、1964年の選挙後、メディケア推進派は下院で44票、上院で4票を獲得します。1965年7月、リンドン・ジョンソン大統領(Lyndon B. Johnson) のリーダーシップの下、議会は、社会保障法の第18条に基づき、収入や病歴にかかわらず65歳以上の人々に医療保険を提供するメディケアを制定します。元大統領ハリー・トルーマン(Harry S. Truman)とその妻で元ファーストレディのベス・トルーマン(Bess Truman) がこのプログラムの最初の受給者となりました。

 メディケア創設以前は、65歳以上の約60%が健康保険に加入していました。65歳未満の人口では約70%でした。しかし、高齢者は若年層に比べて医療費を3倍以上支払っていたため、他の多くの人々は保険に加入できない、あるいは加入できないことがよくありました。この層の多く2022年には全体の約20%、そのうち75%はメディケイドの全給付を受ける資格がありました。メディケアと連邦政府が州政府と共同で行っている医療扶助事業のメディケイド(madicaid)の両方に「二重資格」を持つようになりました。1966年、メディケアは人種隔離撤廃に基づき、病院のフロアや診療所における人種統合を促進することにも貢献します。

 メディケアは1965年以降、いくつかの大きな変更を経ており、1972年には言語療法、理学療法、カイロプラクティック療法(chiropractic)への給付も含まれるように規定が拡大されました。1970年代には、健康維持機構(Health Maintenance Organization: HMO)への支払いオプションが追加され、1982年には高齢者を一時的に支援するためのホスピス給付が追加され、1984年にはメディケアが恒久的な制度となりました。

 議会は2001年にメディケアをさらに拡大し、前稿で説明した筋萎縮性側索硬化症(ALS、ルー・ゲーリック病)の若年患者も対象とします。その後も議会はメディケアの受給資格を、社会保障障害保険(Social Security Disability Insurance: SSDI)の給付を受けている若年患者と末期腎不全患者にまで拡大します。

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アメリカの公的医療保険制度ーメディケア その一 ルー・ゲーリック病

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Last Updated on 2025年5月10日 by 成田滋

アメリカ合衆国の連邦医療保険制度は「メディケア」(Medicare)と呼ばれています。メディケアは、65歳以上の高齢者と末期腎疾患(end stage renal disease)、および筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis: ALS)、別名ルー・ゲーリック病(Lou Gehrig’s disease)の患者を含む65歳未満の障害者を対象として、1965年に社会保障局(Social Security Administration: SSA)の下で開始されました。現在はメディケア・メディケイド・サービスセンター(Centers for Medicare and Medicaid Services: CMS)によって運営されています。

メディケアのロゴ

 メディケアはA、B、C、Dの4つのパートに分かれています。パートAは、入院、熟練看護、ホスピスサービスを対象としています。パートBは外来サービスを対象としています。パートDは、自己処方薬の患者を対象としています。パートCは、パートAおよびBと同じサービスに加え、通常は追加の給付も提供する異なる給付構造の民間プランを選択できる代替制度です。

 2022年、メディケアは6,500万人に医療保険を提供しました。そのうち5,700万人以上は65歳以上、約800万人は65歳未満の人々です。メディケア受託者による年次報告書、および議会のMedPACグループの調査によると、メディケアは加入者の医療費の約半分を負担しています。加入者は残りの費用の大部分を、追加の民間保険(メディギャップ保険)への加入、メディケア・パートD処方薬プランへの加入、または民間のメディケア・パートC(メディケア・アドバンテージ)プランへの加入によって負担しています。2022年のメディケア受託者による支出は、受託者報告書によると9,000億ドルを超え、そのうち4,230億ドルは合衆国財務省(U.S. Treasury)から、残りは主にパートA信託基金(給与税を財源)と受給者が支払う保険料から賄われました。

ルー・ゲーリック

 筋萎縮性側索硬化症がルー・ゲーリック病と呼ばれるようになった経緯です。1920年代から1930年代にかけてニューヨーク・ヤンキース(New York Yankees)で活躍したのが(Lou Gehrig)です。三冠王をはじめ、打撃タイトルを多数獲得し、史上最高の一塁手と称されていました。1939年、体調異変により欠場し、輝かしい記録は途切れます。その後筋萎縮性側索硬化症と診断され、ゲーリッグは引退を決意します。このような経緯でアメリカでは、この病気は「ルー・ゲーリッグ病」と呼ばれるようになりました。発症率は10万人に一人くらいという神経性疾患です。根治的な治療法は確立されていないのですが、複数の薬剤により病状の進行を遅らせることが可能となっています。

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大統領令と連邦教育省の閉鎖

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Last Updated on 2025年5月8日 by 成田滋

連邦教育省エンブレム

リンダ・マクマホン(Linda McMahon) 連邦教育省長官は、2025年3月20日にトランプ大統領による法律が定める極限まで連邦教育省(U.S. Department of Education)を閉鎖し廃止することを命令する大統領令(executive order)を受け、i以下のような声明を発表しました。教育省を廃止とは、我が国でいえば、文部科学省の廃止ということです。このような大統領令は一体どのような背景があり、どのような影響をアメリカの教育に与えるかを考えることにします。

「本日の大統領令は、トランプ大統領による歴史的な措置であり、未来のアメリカの学生たちを解放し、彼らの成功のための機会を創出するものです。私たちは教育を本来あるべき場所である州に返還します。

「教育は基本的に州の責任です。連邦政府の煩雑な手続きを経ずに資源を選別するのではなく、州が主導権を握り、地域社会の学生、家族、そして教育者にとって最善のことを提唱し、実行できるよう支援します。教育省の閉鎖は、資金を必要とする人々への資金提供を停止することを意味するものではありません。私たちは、小中高生、特別なニーズを持つ生徒、大学に通う学生、そして不可欠なプログラムに依存している人々を支援し続けます。私たちは、議会を通じて合法かつ秩序ある移行を確実にするために働きかけ、法律を遵守し、責任を持って官僚主義を排除していきます。」

「大統領令により、私たちは親と州が子どもたちの教育を保障するという大きな一歩を踏み出します。教師は煩雑な規制や事務作業から解放され、基礎科目の指導に戻ることができます。納税者は、革新的な社会実験や時代遅れのプログラムに費やす数百億ドルもの無駄な費用に悩まされることがなくなります。小中高生と大学生は、行政上の負担による重荷から解放され、将来の夢であるキャリアで成功を収めることができるでしょう。」

 マクマホン教育長官の声明を詳しく解説することにします。まず、教育省の廃止とは、膨大な財政赤字、つまり歳出の超過を解消しようという意図があります。膨大な軍事費ではなく教育予算の削減ということです。これまで教育省は、初等中等教育法(Elementary and Secondary Education Act : ESEA)「一人の落ちこぼれのない教育」(No Child Left Behind: NCLB)とか、全障害児教育法』(Individuals with Disabilities Education Act: IDEA)によって、6歳から21歳までのすべて障害へ無償の教育、及び給食の提供といった施策を講じ、州や自治体を支えてきました。補習教育や少数民族の子ども達への二言語教育の機会を保証、保護者の不服申し立ての保証、低所得家庭の子どもの教育保証、教師の専門性を高める施策も支援してきました。各州は、こうした連邦政府からの補助に大きく依存しているのです。」

連邦教育省

 共和党保守派は、教育は本来「州の責任」であり、連邦政府が統一的に管理すべきでないと考えています。連邦教育省の存在は、州や地方の教育方針に干渉しすぎているという見方です。次に、連邦教育省が大きな予算を持ちながら、「役に立たない官僚機構」によって教育成果への直接的な貢献が見えにくいという批判もします。トランプ政権は、チャータースクール(chater school) や公的資金で私立校通学を可能にするバウチャー(voucher) 制度を推進しており、民間主導・地方主導の教育制度を謳っています。各州は、初等中等教育法によって意欲的な教育内容と実績の目標水準を定めるとされています。そして教員資格、学力テストそして成果責任制(accountability)をそれぞれに設定することも規定されています。しかし、公立学校における教育の質に疑問を持つのがトランプ政権なのです。

問題点

 教育政策の権限が州に大きく移ることによって、各州が独自にカリキュラム、学力テストの実施や到達目標などを定めるようになり、教育の質と内容に差が生まれる懸念があります。連邦教育省の低所得層・障害児・二言語学習者などへの支援がなくなれば、貧しい州と富める州との教育格差が広がる可能性があります。特に貧しい南部や少数民族の子どもの多い州や大都市では、連邦資金に依存する割合が高いのです。さらに、市民の学校選択が広がるとトランプ政権は主張します。実は貧しい世帯の保護者は、学校を選ぶ余裕がありません。富める人々の特権が学校選択です。

 連邦教育省の完全な廃止は現実的に可能かどうかです。連邦レベルで教育に関連する法律や予算配分が多数存在しています。それらの法改正には議会の大幅な支持が必要となり、共和党と民主党の議会での角逐が予想されます。教育省の完全な閉鎖には設立者である合衆国議会の承認が不可欠なのです。その過程で教育の機会の均等や不公正に対してのトランプ政権への訴訟などが考えられます。こうした訴訟は、すでに別の投稿で述べたように、ハーヴァード大学などが先鞭を切っており、トランプ政権の屋台骨を揺るがすような全米的な運動となることが予想されます。

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米の価格高騰を考える

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Last Updated on 2025年5月7日 by 成田滋

​現在、日本では2024年の8月から「令和の米騒動」と呼ばれる米の価格高騰が続いています。価格とは需要と供給の関係で決まるものです。米の市場への供給が需要に追いつかないとき、価格が上昇するのは当然です。昔から米騒動というのは、買い占めによって価格をつり上げようとすることから起きています。令和の米騒動では、米は買い占められているのか、あるいは米が本当に不足しているのかという検証が必要です。価格を下げるための可能性について私なりに解説していきます。

🥢米の価格高騰の一般的な理由として、次のことが指摘されています。
1 天候不順と品質低下
 2023年の作況指数では101で例年並みでしたが、高温やフェーン現象の影響を受け、主要な米産地での収穫量が大幅に減少しました。​市場に出回る高品質な米の割合も減少し価格が上昇しています。 ​
2 備蓄米の放出遅れ
 備蓄米の主な目的は、国が凶作や災害時の食料供給不足に対応し、国民が安定して米を消費できる状態を維持することです。具体的には、市場価格の安定や流通の円滑化、食料安全保障の強化などが挙げられます。備蓄には100万トン程度が目安にされていて、年間20万トンを備蓄しています。今回、政府は小出しに放出するために、価格は一向に下がらないのです。備蓄米小売店に届いたのはわずか1.4%だったという報道もあります
3 買い置きと買い貯め
 外食産業の回復や訪日外国人の増加により、米の需要が増加しています。​これが供給を上回り、価格を押し上げています。さらに、米不足や価格高騰の噂による不安が広がり、卸売業者の買い置きや消費者の買い占めが増えたことも考えられます。1973年のオイルショックの時、トイレットペーパーが消えた?ときのようなしかし、米価の高騰には次のような構造的な問題があるとされています。

 現下の米価高騰には、生産調整と米の作付面積の減少という問題があります。長年続いた減反政策により、米の生産量が抑制されてきました。​その結果、需要増加時に供給が追つかない状況が生まれています。 ​かつて食糧管理法(食管法) がありました。食糧不足の下で主食である米を政府が管理統制することによって国民に安定的に供給する意図で運用されてきました。 この食管制度の下で、政府は農家から生産者米価で買い入れ、消費者へは消費者米価で売り渡すという二重価格制をとっていました。しかし、食管法は1995年に廃止されます。

 1955年以降は米の大豊作が続くようになり、米価は現状維持するという潮流に変わっていきます。1960年には生産者価格決定が生産費・所得補償方式となります。品種改良や機械化の技術進歩により、北海道や北東北周辺で農業生産を拡大し続けたため、米の自給率が100%を突破し、1967年以降は過剰米がでるほどとなります。

 1970年代になると、食生活の変化の影響で米が余るようになり、備蓄米が年間生産相当量まで達する事態も生じます。このため政府は減反政策を推進し水稲農家に作付面積の削減を対価に転作奨励金を支給します。いわゆる生産調整です。これが強化され続ける一方で、転作奨励金に向けられる予算額は減少の一途をたどります。そのため、休耕田や耕作放棄の問題が顕在化し始めます。このような問題が深刻になり、1971年に始まった減反政策は、2018年に農水省はこの政策をやめることにします。

 農水省は「水田フル活用」を謳っています。水田フル活用とは、水田を有効に活用し、食料自給率の向上を図る取り組みです。具体的には、減反という生産調整によって米作を行っていない水田を利用し、大豆や麦などの転作作物や、米粉、飼料用米などを生産することを奨励する政策です。

🥢米の価格を下げるための可能性を考えてみます。
1 生産量の増加と食料自給の意識高揚
 減反政策の見直しや農家への所得支援を強化し、米の生産量を増加させることが考えられます。​海外からの米の輸入に頼らず、国内での生産を上げるために、農家には所得を補償し、離農を防ぐことを国は努力しなければなりません。 ​もし、アメリカからの米の輸入を増やせば、日本の水稲農家は営農が難しくなるでしょう。
2 市場流通の改善
 市場を通じた流通量を増加させ、競争を促進することで、価格の安定が期待されます。​これには、流通システムの改革や情報の透明化が必要です。 ​業者の買い占めや売り惜しみを監視し、違反者には厳罰で臨むことです。

🔮 今後の見通し

 JA全農によりますと、水稲農家の数は、1970年の約466万戸から減少し続け、2020年には約70万戸と約50年間で7割まで減っています。米の生産量も1970年には1253万トンありましたが、2020年には776万トンと約50年で4割以上、減少しています。 さらに、円安やウクライナ情勢による輸入原料の価格上昇で、米の生産に必要な肥料等の価格が大幅に上昇しており、米農家の経営はますます厳しい環境になっています。このままでは米を作り続けることが難しくなる心配があります。

 水稲の生産者目線では、肥料、燃料、人件費など全部上がっていたために、かつての「米の生産単価」があまりにも低過ぎたといわれます。つまり、生産者からすれば現在の米価は望ましいものだという見解です。米の生産単価が旧来のような安価なままだと、離農も増えていくと指摘されています。農家としては、現時点のコストで今ぐらいの単価でいくと「次への投資に回せるような価格帯になった」と言っているようです。

 日本の米の自給率は非常に高く、ほぼ100%に達しています。これは、日本の食料自給率を大きく押し上げる要素の一つです。米の生産は、主に大規模な専業農家や法人が担っていますが、高齢化や後継者不足の問題も指摘されています。米の価格高騰は、天候不順や生産コストの上昇など、複数の要因が絡み合っています。​これらの要因が解消されない限り、価格の安定は難しいと考えられます。​

 今後、どのような対策が考えられるでしょうか。JA全農は次のように訴えています。すなわち、酷暑による生産量減少のリスクなどを踏まえて、国全体の生産量目標をもう少し高めに設定した上で、主食用米の生産を増産させるように水田フル活用するというものです。主食用米を作ることのメリットを広げ、もし価格低下が農家の営農継続に影響するほど大きくなってしまう場合には、農家に対する一定の補償も考えていくという政策です。

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相互関税政策への批判

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Last Updated on 2025年5月6日 by 成田滋

連日のようにアメリカのケーブル・ニュースチャンネルでは、トランプの相互関税政策が報じられています。目立つのはその批判です。その中で私が注目する二人の人物を紹介します。一人は政治アナリスト・ジャーナリストであるローレンス・オドネル(Lawrence O’Donnell)、もう一人はコロンビア大学教授のジェフリー・サックス(Jeffrey D. Sachs)です。何故彼らが注目されているのは、トランプの相互関税政策への痛烈な批判が極めて論理的であることです。

 NBCとマイクロソフトが共同で設立したMSNBCは、平日夜にオピニオン・ニュース番組を放送しています。「The Last Word with Lawrence O’Donnell」というものです。その名のとおり、アンカーを務めるのがローレンス・オドネルです。彼は1989年、ダニエル・モイニハン(Daniel P. Moynihan)上院議員の補佐官として政界入りし、上院財政委員会 (United States Senate Committee on Finance) における民主党側の長を務めます。彼は自らを「実践的なヨーロッパ社会主義者」と称しています。物腰の柔らかい言葉遣いをするテレビ・ジャーナリストとして知られています。

Scrooge in a Christmas Carol

 トランプが関税政策で攻撃の標的にしているのが中国です。中国がアメリカからの関税に対する報復措置を撤回しない場合、中国製品に対してさらに50%の追加関税を課すと脅迫しています。これが実施された場合、アメリカ企業が中国から特定の製品を輸入する際に最大104%の税金がかかるというものです。オドネルは、こうしたアメリカと中国の報復措置について次のようにコメントしています。すなわち、アメリカは中国から衣料やさまざまな生活用品を輸入しています。最大の消費月である11月の感謝祭、12月のクリスマス・シーズンは家族や友人への贈り物、子ども達への玩具の購入が増えます。しかし、追加関税によってこうした品が中国から輸入されない場合は、アメリカのサプライチェーンや小売業、そして消費者は大打撃を受けるというのです。

 オドネルは、チャールズ・ディケンズ(Charles J. Dickens)の小説「クリスマスキャロル」(A Christmas Carol)を引用します。ケチで冷酷なスクルージ(Scrooge)が、クリスマスの夜に3人の幽霊に導かれ、過去・現在・未来のクリスマスを見せられることで改心する物語です。オドネルは、トランプを称して「関税のスクルージ」(Tariff scrooge) と名指して次のように言います。
‘Tariff scrooge’ Trump is already killing U.S. jobs and has the worst 100-day polling ever.
関税のスクルージであるトランプはアメリカ人の雇用を奪い、就任100日で過去の大統領に比べて最も支持率が低い。

 オドネルはさらに次のように糾弾します。「トランプは関税はアメリカ消費者の価格上昇にはつながらないと主張し、密かに貿易協定を交渉している「ふり」をしている。それ故に「経済無知」という烙印を押されている。」

 トランプの相互関税政策を鋭く批判するのが、ジェフリ・サックス(Jeffrey D. Sachs)という国際経済学者です。彼は、コロンビア大学地球研究所長(Earth Institute at Columbia University)として、気候変動や貧困問題といった地球規模の問題に積極的に発信し、29歳でハーヴァード大学の教授となり経済学の領域を超えてその知見は世界的に知られています。国際貿易論の分野で業績を上げ、ラテンアメリカ(Latin America)、東欧、ユーゴスラビア(Yugoslavia)、ロシア政府の経済顧問を歴任しています。特にボリビア(Bolivia)、ポーランド(Poland)、ロシアの経済危機への解決策のアドバイスや国際通貨基金(IMF)、世界銀行(World Bank)、経済協力開発機構(OECD)、世界保健機関(WHO)、国連開発計画等の国際機関を通じた貧困対策、債務削減、エイズ対策等への積極的な活動を行っています。

 トランプは、貿易赤字は他国が何らかの形でアメリカを搾取していると主張しますが、サックスはこの見解は間違いで、アメリカの貿易赤字は、支出が所得を上回っているからであるというのです。言い換えれば、アメリカの総消費と投資は国民総生産(GNP)を上回っているというのです。なぜアメリカは所得を上回る支出をしているのかという問いに対して、サックスは、中国とは異なり、アメリカの貯蓄率が非常に低いからだと断定します。民間部門と公共部門の両方で貯蓄率が低く、その最も顕著な事実は、連邦政府が巨額の赤字を抱えていることだというのです。従って、貿易赤字についてのトランプの関税措置は、経済的主張によっては全く正当化されないと主張します。貿易赤字は、アメリカの巨額の財政赤字と低い民間貯蓄の結果であるにも関わらず、アメリカは自国の経済政策の失敗を他国のせいにしており、一方的な追加関税には根拠ががないと断定します。

Magna Carta-大憲章

 サックスは、「トランプ政権の主張は議会で検討されることも、公の場で議論されることもない。これは大統領令(executive order)として発布されたものであり、多国間主義だけでなく合衆国憲法にも違反している」と明言します。合衆国憲法第1条第8項は、関税の権限を大統領ではなく、議会に明確に与えています。それ故に、このような一方的な関税賦課に対しては、その合法性を問う複数の裁判が行われています。今回の措置に経済的正当性を見出すことは困難であり、世界中の金融市場も同様で、金融市場はパニックに陥る懸念があります。とりわけアメリカと中国との関税措置に関する報復合戦は、世界経済へダメージを及ぼす懸念となっています。

 ここで思い起こす史実は、1215年にイングランドで制定されたマグナ・カルタ (Magna Carta)です。別名大憲章と呼ばれ、人権思想の起源とされています。マグナ・カルタは国王の徴税権の制限、教会の自由、都市の自由、通商の自由、不当な逮捕の禁止を謳います。国王といえでも議会の議を経ずに課税は出来ない、と解釈されるようになり、法の支配と議会政治の原則が成立したところに意義があります。マグナ・カルタの精神はやがて、アメリカのイギリスからの独立を支えた思想的基盤となるのです。トランプは今や合衆国ではキングー国王と揶揄されています。あたかも絶対王政を敷いているかのような言動です。

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科学者の頭脳流出は起こるか

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Last Updated on 2025年5月6日 by 成田滋

トランプ大統領のハーヴァード大学などへの研究費の削減や凍結、非課税資格の取り消しは、科学者の海外流失、才能流出につながるでしょうか。そうであれば、どのような国に流失する可能性が高いでしょうか。日本にもアメリカなどから科学者はやってくるでしょうか。本稿はこの課題を取り上げます。

 トランプ大統領(在任期間:2024~2028年)によるハーヴァード大学などへの研究費削減や、全体的な科学予算の削減提案は、多くの懸念を呼んでいます。このような動きが継続的に行われた場合、科学者の頭脳流失、いわゆる「ブレイン・ドレイン」(brain drain)の一因になりうると言えます。なぜ科学者の海外流出が起こりうるかには、いくつかの理由事情があります。科学者、特に若い研究者にとって研究費の安定した供給、研究の自由度、キャリア機会が非常に重要です。アメリカでこれらが脅かされると、他国でのポジションや資金支援を求めて移動する動機が生まれます。

Max Planck

 科学者が流出しやすい国のことです。彼らが流出先として選ばれやすい国には以下のような特徴があります。十分な研究資金と制度的支援がある国のドイツ、例えばマックス・プランク研究所(Max-Planck-Institute: MPI) )、カナダ国立衛生研究所(Canadian Institutes of Health Research : CIHR)、カナダ自然科学・工学研究会議(Natural Sciences and Engineering Research Council of Canada: NSERC) などは充実した研究助成を行っています。しかも、ビザ制度が比較的柔軟で移民も認める国々です。カナダ、オーストラリア、EU諸国は研究者向けビザ制度が整っています。流出先として選ばれやすい国として英語が通用しやすいことです。英語圏であれば、アメリカからの移動も心理的ハードルが低いのです。

 日本は科学者の受け皿となりうるか?という問いですが、受け入れ先の例として、理化学研究所(RIKEN)や国立研究開発法人科学技術振興機構 (JST) などの公的機関が上げられるでしょう。理化学研究所の研究組織所属職員は2,820人で、そのうち外国人研究員は474人となっています。こうした研究機関は、世界レベルの研究支援を行っていることや外国人特任研究員などの制度で研究者も受け入れています。また沖縄科学技術大学院大学(Okinawa Institute of Science and Technology Graduate University: OIST)は,教職員1101名中、72ケ国からの外国人が517名を占めています。大半の研究員は任期制です。ノーベル賞受賞者も輩出している研究力も有しています。ですが期限付きの特任研究員が多いのも気になります。

理化学研究所

 このように、日本は一定の魅力を持つのですが、以下のような受け入れはかなり難しい課題もあります。それは、研究者の待遇、つまり長期的なキャリアパスが不透明なことです。さらに、雇用制度の柔軟さや研究の自由度に課題があると感じる研究者もいます。日本の大学は、文科省の補助金を受けているため、大学として自由度が限定されています。外国人教官にとって大事な終身雇用制度のテニュア(tenure)も貧弱です。しかも組織が硬直なため、外国人研究者には居心地は決して良くはないのです。日本語の壁や子弟の教育にも不安があります。私生活や行政手続きにおいてストレスとなります。

結論
 ひと昔前までは、旧東ドイツやソビエト連邦などからの頭脳流出が多かった歴史があります。最近ではヨーロッパからアメリカへの技術者の流出が問題となっており、EU諸国では高度技術者移民を獲得する政策に力を入れています。 中国やインドも頭脳流出が激しく、アメリカやカナダ、オーストラリアに毎年多くの人が移住をしています。そして、今やその反対の現象が起ころうとしています。

 大学や研究所によって開発され、そこで得られた特許によってもたらされる経済効果は膨大なものとなります。医薬品の特許は、他の特許に比べて重要性が高いのです。頭脳流出は、人材の損失だけでなく、経済成長の鈍化や技術開発の遅れ、イノベーションの停滞など、様々な負の影響を及ぼす可能性があります。トランプ政権下の研究費削減の動きは、若手研究者の海外への移動を促す可能性があります。流出先としては、研究環境が整ったカナダやドイツなどが有力です。日本も一部の先進研究分野では受け入れ先となりえますが、言語や制度面でアメリカの研究者が諸手を挙げて日本を選ぶという状況にはありません。

 科学研究への資金援助が削減される中、EU=ヨーロッパ連合は研究者を受け入れるため5億ユーロ、日本円にしておよそ815億円を投じると明らかにしました。フランスのマクロン大統領もアメリカからフランスに拠点を移す研究者に対し、1億ユーロ、日本円でおよそ163億円の支援策を発表しました。

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トランプ政権を相手取り訴訟

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Last Updated on 2025年5月4日 by 成田滋

ハーヴァード大学(Harvard University) は4月21日、トランプ政権を相手取りボストンの連邦地方裁判所(U.S. District Court in Boston)に訴訟を起こしました。研究資金の凍結は違憲かつ「完全に違法」であると主張し、裁判所に対し22億ドル(約3150億円) 以上の研究資金の返還を求めるのです。この訴訟は、裁判所に対し、資金凍結を取り消し、既に承認された資金の流れを再開し、連邦法に定められた手続きに従わずに現在の資金を凍結したり、将来の資金提供を拒否したりする政権の試みを阻止するよう求めています。

 アラン・ガーバー学長(Alan Garber)は、大学コミュニティへのメッセージの中で、今回の訴訟は、ハーヴァード大学のガバナンス、雇用、入学方針の変更、そして学生、教職員の見解の監査などを通じて「視点の多様性」を確保することを求める政府の要求を大学側が拒否したことを受けて、トランプ政権がとった措置がきっかけとなったと述べています。

John Harvard

 ガーバー学長は、4月11日付の政府からの書簡に記載されていたこれらの変更は押し付けがましく、「大学に対する前例のない不適切な統制」を課すものだと主張します。ガーバー学長は、トランプ政権の一部の関係者が4月11日以降、書簡は誤って送付されたと主張していることも指摘しています。しかし、その後の政権の発言や行動は、それを裏付けるものではないと述べています。

 ハーヴァード大学がホワイトハウスの要求を拒否してから数時間後、政権は22億ドルの資金凍結を発表し、さらに強硬な姿勢を強め、ハーヴァード大学の免税資格の剥奪と留学生の教育への脅威を検討していると表明します。さらにガーバー学長は、政権はさらに10億ドルの資金凍結を検討していると述べています。

 4月22日にガーバー学長は「先ほど、資金凍結は違法であり、政府の権限を超えているため、停止を求める訴訟を起こしました」と述べます。さらに「懲罰的措置を講じる前に、連邦政府は我々が反ユダヤ主義とどのように闘っているか、そして今後もどのように闘っていくかについて、我々と話し合うことを法律で義務付けられています。ところが、4月11日に政府が要求した内容は、我々が誰を雇用し、何を教えているかをコントロールしようとするものです。」と抗議するのです。

Harvard College in 1769

 ハーヴァード大学の訴状によると、憲法修正第一条(First Amendment)は、イデオロギー的均衡を強制しようとする政府の干渉から言論の自由を保護し、政府が法的な制裁やその他の強制手段を用いて好ましくない言論を抑圧することを禁じています。訴状はまた、政府の「凍結先行」戦略が、公民権侵害の疑いのある研究資金受領者に対する手続きを定めた法律に違反していると主張しています。規定の手続きは、自主的な交渉から公式の聴聞会へと進み、その後、調査結果が発表されます。そして、調査結果が公表されてから30日後に始めて資金提供を停止することができることになっています。

 「これらの致命的な手続き上の欠陥は、被告の突然かつ無差別な決定の恣意的で気まぐれな性質によってさらに悪化しています」と訴状は述べています。訴状は、政府側の急速なエスカレーションについて説明しています。2月に、複数機関からなる反ユダヤ主義対策タスクフォース(Antisemitism Task Force)からの最初の調査の後、大学当局と大学関係者は4月下旬にキャンパスへの公式訪問を予定するとしました。

Memorial Church

 しかし、3月下旬、ハーヴァード大学は、大学とその関連病院への総額87億ドルの研究助成金の見直しを通知する書簡を受け取ります。4月3日、ハーヴァード大学は資金提供の継続を確保するための条件のリストを受け取り、最終的に4月11日にそれらの条件を具体化した書簡を受け取ります。過度で広範囲にわたる要求を含むこれらの詳細に対して、ハーヴァード大学側が拒否し、ガーバー学長がハーヴァード大学は独立性や憲法上の権利について妥協しないという声明を出すのです。

 ガーバー学長は、トランプ政権の行動は、ガン、感染症、戦場での負傷に関する重要な研究を危険にさらしていると述べます。訴訟では、資金が流動的であるため、疾患の研究に用いられる生きた細胞株や、連邦政府の助成金に縛られている研究者の雇用などについて、難しい決断を下さなければならないと指摘します。資金が回復されない限り、ハーヴァード大学の研究プログラムは大幅に縮小される懸念を表明しています。

「政府の過度な介入の影響は深刻で長期的なものとなるだろう」とガーバー学長は述べています。「医療、科学、技術研究を無差別に削減することは、アメリカ国民の生命を救い、アメリカの成功を促し、イノベーションにおける世界のリーダーとしてのアメリカの地位を維持するという国家の能力を損なうことになる」ガーバー学長は、反ユダヤ主義との闘いはキャンパス内でまだ行われていないことを認めています。

Memorial Hall

 ハーヴァード大学はすでにその方向でいくつかの措置を講じていますが、ガーバー学長によると、反ユダヤ主義および反イスラエル偏見対策タスクフォース(Task Force on Combating Antisemitism and Anti-Israeli Bias)と、反イスラム教、反アラブ、反パレスチナ偏見対策タスクフォース(Task Force on Combating Anti-Muslim, Anti-Arab, and Anti-Palestinian Bias)がまもなく完全な報告書を発表する予定としています。ガーバー学はこれらの報告書を「強烈で痛みを伴うもの」(hard-hitting and painful)と評し、具体的な実施計画を伴う提言が含まれているとも述べています。

 「ユダヤ人でありアメリカ人である私は、反ユダヤ主義の高まりに対する正当な懸念があることを深く理解しています。この問題に効果的に対処するには、理解、意図、そして警戒が必要です」とガーバー学長は述懐しています。「ハーヴァード大学はこの取り組みを真剣に受け止めています。法律上の義務を完全に遵守しながら、憎しみとの戦いに対して引き続き緊急に取り組んでいきます。これは私たちの法的責任であるだけでなく、道義的責務でもあります。」

 ハーヴァード大学は敢然と次のように宣言しています。「どの政党が政権を握っているかに関わらず、いかなる政府も私立大学が何を教えられるか、誰を入学させ、雇用できるか、そしてどのような研究分野や探究分野を追求できるかを指示すべきではない。」

私が知っている英語の略語 その十一 挨拶やお礼のとき

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Last Updated on 2025年5月3日 by 成田滋

英語では、単語の頭文字を取ってつなげた略語を「abbreviation」と言います。いろいろな文書やメールで略語はよく使われます。英語の省略の仕方には、いくつか種類があります。 単純に1つの単語を短くした shortening(短縮)や contraction(短縮形)、いくつかの単語で構成されたフレーズの頭文字をつなげた initial(頭文字)、そしてacronym(頭字語)です。こうした略語は、案内状とか礼状など、短い文章でよく使われます。

RSVP: repondez s’il vous plait

 フランス語なのですが、何故か英語化しています。「ご返答をお願いします」という意味です。結婚式やお祝いの招待状の最後に「お返事をお待ちしています」、RSVPという略語を付けます。主催者が参加者数を確定するものですから、こうした案内状を貰ったときは返事をだします。ちなみに、「ASAP」という略語もメールや会話で使われます。「as soon as possible」の略語で、出来るだけ早く(至急)返事をください、という意味です。

Congrats/grats: congratulations

 「おめでとうございます」という略語です。お祝いを伝えるとき、友人や親戚などの間のSNSやメールではしばしば使われます。目上の人や年配者にはこうしたくだけた表現は避けたほうが無難です。

Typo: typographical error

 「誤字」という意味です。誰もがキーボードを使うと、綴りが間違えがちになります。手書きではそのようなことは少ないです。Typoはかつてのタイプライター上での誤字の名残のようです。タイプライターでの誤字は、白いテープの上で打ち直すのがしばしばでした。

BCC: Blind Carbon Copy

 「ブラインド・カーボン・コピー」は電子メールの宛先指定の一種で、他の受信者に知らせずに複製を送信する先を指定することです。受信者には誰をBCCに指定したかは分からないようになり便利です。CCは「Carbon Copy」であることはご存じのとおり、複数の人々に一つのメールや書類を送るときの略語です。

Et al. :

 「et al.」は、科学論文などで使われる省略形です。ラテン語の“et alii”が英語となっています。「et al.」は、「~など、~他」を意味する「et alii」の省略形で、文中でほかの研究を引用する際に、複数の著者名や関連文献などを省略する場合に使います。

FAQ: Frequently Asked Questions

 「よくある質問」と訳されています。FAQは、組織や企業、大学のWebサイトやヘルプページに掲載され、顧客やユーザーからの問い合わせが多い質問と回答をまとめたものです。FAQページを設けることで、ユーザーが自分で回答を見つけ、問い合わせる手間が省けます。これにより、ユーザーが自己で疑問を解決し、受け側は問い合わせの負担を軽減する目的があります。FAQとQ&Aには違いがあります。FAQは頻繁に寄せられる質問と回答をまとめたものであり、Q&Aは、質問と回答のセットで、ユーザーからの問い合わせの頻度に関係なくまとめたものです。

私が知っている英語の略語 その十 子どもと親の間のフレーズ

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Last Updated on 2025年5月2日 by 成田滋

面前で直接的な表現を避けたいときがあります。例えば手洗いに行く時です。小さな子どもが母親に「トイレに行きたい」とせがむとき、母親が訊くフレーズです。もちろん、親しい間柄でも使うのがこれです。

NO1・NO2:

 NO1はおしっこ、NO2はうんちのことです。日本でも「大」や「小」を使うことがあるのと同じ感覚のようです。ついでに、アメリカではトイレをBathroomというのが一般的です。アメリカの家庭のトイレは、バスルームと一体になったユニットとなっています。Restroomという言い方もあります。イギリス英語ではtoiletですが、アメリカ英語ではtoiletは便器を意味します。

 注意したい英語の表現です。日本では「トイレを貸してください」といいます。これを直訳すると「May I borrow your baathroom?」です。こんな英語はお笑いもので全く通じません。トイレを貸して、というときは「May I use your bathroom?」といいましょう。

Yum: Yummy

 これは非常にくだけた言い方ですが、使って欲しい略語です。私たちは「美味しい」というときは「delicious」を使います。もちろん間違いではありません。大人同士の会話です。「It’s yum!」とか「It’s yummy!」は今では一般的に成人も気軽に使います。Yumは「実に美味しい」といったニュアンスがあります。また、感情や興奮を表す際にも使われることがあります。是非使って欲しい略語です。

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私が知っている英語の略語 その九 「サマータイム」

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Last Updated on 2025年5月1日 by 成田滋

ウィスコンシン州に住んでいたとき、何度か失敗したことがあります。その一つを紹介します。いつものよう日曜日のルーテル教会の礼拝に出かけました。ところが、すでに礼拝は終盤にさしかかっていたのです。一時間時計が進む「サマータイム」(summer time)を知らなかったのです。サマータイムが3月の第二日曜日に開始し、11月の第1日曜日に終わることに、長年慣れているアメリカ人は間違うことはありません。サマータイムは「Daylight Saving Time」と呼ばれていいます。

DST : Daylight Saving Time

 1年のうち日中の時間が長くなる夏の始まりの時期に、日中の明るい時間を有効利用するため、時計を通常よりも進めることで、日が暮れる時刻を遅らせる制度のことです。Wikipediaによりますと1784年にアメリカの博学者ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Flankline)がロウソクを節約するために、起床時間を太陽が出ている時間に合わせようというアイデアを提唱したとされます。1908年、カナダのオンタリオ州ポート・アーサー(Port Arthur)において、世界で初めてサマータイムが導入されたとあります。

George V. Hudson

 初めてサマータイムを提唱したのは、ジョージ・ハドソン(George V. Hudson)というイギリス生まれのニュージーランドの昆虫学者です。全国規模で実施したのはドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国(Austria-Hungary)で、第一次世界大戦時に石炭の消費量を減らすため、1916年4月30日に開始します。それ以来、多くの国でサマータイムが幾度も実施され、イギリスとその同盟国のほとんど、およびヨーロッパの多くの中立国もすぐさまこれに追随したようです。ロシアと他の数か国は翌年まで待機し、アメリカは1918年にサマータイムを採用します。特に1970年代の石油危機以後に普及したのがサマータイムです。2007年以降、アメリカとカナダの大部分では、3月の第2日曜日から11月の第1日曜日まで、一年のほぼ3分の2の期間、サマータイムを実施しています。

 以前は、夏時間の期間に入るまたは終わる度に手動でコンピュータに内蔵されている時計の時刻を合わせていました、近年のオペレーティングシステムは、自動的に内蔵時計を修正する機能を持っているので、時間を修正する必要はありません。日本では、GHQの指令により「夏時間法」が制定され、昭和23年から26年までの4年間実施されました。当時は、戦後の復興期で電力不足という事情もありました。資源の節約や健康増進を図ろうとしたのです。ですが過重労働とか慣習の 変更を好まないなどの理由により廃止となりました。

 日本学術会議は、2018年11月に「サマータイム導入の問題点: 健康科学からの警鐘」を発表し、次のような提言をしています。

サマータイムは、生物時計の機能を損ね、その結果睡眠不足を起こし、睡眠障害のリスクを高め、急性心筋梗塞の発生率を高める。諸外国に比べ睡眠時間の短い我が国では、健康を障害する可能性が高いサマータイムの導入は、見合わせるべきである。サマータイムは、通勤通学時の暑さや、就寝時間帯の室内温度の上昇などをもたらし、家庭内熱中症のリスクを高める。暑さによる健康被害の増大が予測されるサマータイムの導入により、多くの国民の健康を危険にさらすべきでない。

 日本学術会議は以上のような警告を発していますが、 先進国は一向にサマータイムを廃止しようとしません。健康科学からの警鐘は、果たして科学的な事実に基づいているのでしょうか。一体、日本学術会議のメンバーは、サマータイムを経験したことがあるのでしょうか。

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