マカロニ・ウェスタン「荒野の用心棒」 (A Fistful of Dollars) の元祖が1961年に製作された【用心棒】です。監督の黒澤明は「映画の楽しさ、面白さを思い切り出したものにしたかった。それをただ一気に、面白ろがらせておしまいまで見せてしまう。その徹底的な楽しさだけを追求してゆく作品、それもまた映画なのだと思いました」と述懐しています。【用心棒】には、剣豪のハードボイルド的な浪人、桑畑三十郎を登場させています。侍には「武士に二言はない」といった倫理のようなものがあります。しかし、この映画は侍ずくめの行動を強調し、人情とか仁義など心理的な側面を深追いしません。
前回、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に触れました。この作品で登場したのがタイムマシンの車、デロリアン(DeLorean)です。1975年10月に、当時ゼネラルモーターズ(General Motors: GM)の副社長であったジョン・デロリアン(John DeLorean)が、理想の車を作るためと宣言してGMを辞職し、自らの名前を付与してデロリアン・モーター・カンパニー(Delorean Motor Company : DMC)という会社を設立します。本社はミシガン州(Michigan)デトロイト(Detroit)に、製造工場は北アイルランド(Ireland)のベルファスト(Belfast)におきます。
「ハリウッド映画」で、『ワーナー・ブラザース・エンターテイメント(Warner Brothers Entertainment)』や『ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ(Walt Disney Pictures)』をはじめとする6社の有名な映画制作会社が拠点を置いており、世界の娯楽産業に多大な影響力をもたらしています。その他の映画会社として『20世紀スタジオ(Twenty Century Studios)』、『ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(Sony Pictures Entertainment)』、『パラマウント映画(Paramount Pictures Corporation)』、そして『ユニバーサル・シティ・スタジオ( Universal City Studios)』が知られています。
ウォルト・ディズニー(Walt Disney)とロイ・ディズニー(Roy Disney)は創業以来、多くの傑作アニメーション映画を生み出します。1940年の『ファンタジア(Fantasia )』や『眠れる森の美女(Sleeping Beauty)』、『アナと雪の女王(Frozen)』などを製作し、1990年代に黄金期を迎えます。ワーナー・ブラザースといえば、最近では『ハリー・ポッター(Harry Potter)』シリーズが知られています。20世紀スタジオの名作といえば、『ダイハード(Die Hard)』や『プレデター(Predator)』、『エイリアン(Alien)』といった作品です。ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントは、コロンビア映画 Columbia Pictures Industries)を傘下におき、『スパイダーマン(Spider Man)』や『パイレーツ・オブ・カリビアン(Pirates of the Caribbean)』、パラマウント映画では『ミッション:インポッシブル(Mission Impossible)」、ユニバーサル・スタジオからは『ジュラシック・パーク(Jurassic Park)』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future)』などが制作されます。いずれも娯楽映画の代表作品です。
第三の理由は、人種差別が微妙に影響しています。当時アメリカの支配層といわれたのは、「ワスプ」(WASP: White Anglo-Saxon Protestants) という、社会、文化、政治など諸分野を寡占していた富裕層でした。白人エリート支配の保守派を指すのがワスプでした。アメリカの保守とはワスプという構図で成り立っていたのです。イタリア系やユダヤ系などの出自を表に出しては、スターにはなれなかった時代です。しかし、西海岸は人種のるつぼであり、誰もが成功者になれる風土を醸していたのです。こうしてハリウッドは、自然、労働力、多民族という3つの条件によって映画産業が発展していくのです。それと共に他の産業も経済も大いに発展していくのがカリフォルニアです。
1959年に製作された西部劇に【リオ・ブラボー】(Rio Bravo)があります。メキシコとの国境に近いテキサス(Texas)の町で保安官のチャンス(Chance)(ジョン・ウェイン: John Wayne)は、殺人犯の身柄を確保します。このあたりの勢力家で殺人犯の兄が、保安官に弟の身柄を移動させないよう部下に命じて駅馬車の車輪を壊し街を封鎖します。チャンスは連邦保安官が来るまで、わずかな味方とともに殺人犯一味と戦うことになります。
音楽映画やミュージカルでは俳優の歌唱シーンがあります。例えば、「王様と私(The King and I)」の主役デボラ・カー(Deborah Kerr)が「Shall We Dance?」を、「ウエストサイド物語(West Side Story)」のナタリー・ウッド(Natalie Wood)が「Tonight」を、「マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)」のオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)が「踊り明かそう」(I could have danced all night) など、名立たる女優が歌っています。ですが彼らの歌は吹き替えなのです。吹き替えを歌う人を、陰の歌い手とか「ゴーストシンガー」(Ghost Singer)と呼びます。演説を書く人を「ゴーストライター」(Ghost Writer) と呼ぶのと同じです。
吹き替えの名手は、マーニ・ニクソン(Marni Nixon) というアメリカの歌手です。数々の著名なミュージカル映画において、女優の歌唱シーンの吹き替えを担当し「最強のゴーストシンガー」として知られています。ミュージカルの全盛期である1950年代から1960年代を、その美声で支えたことから「ハリウッドの声」(The Voice of Hollywood) とも称されています。
「The Sound of Music」でマーニ・ニクソンは修道院の中で出てくる6名の修道女の一人ソフィア(Sophia)役で初めてスクリーンにその姿を見せます。修道女の見習いとなった主人公マリア(Maria)について皆が、順番に歌いながら彼女の行動が自由奔放で呆れるといいながらも、修道女は皆、マリアの明るい性格を好意的に説明する場面です。そして最後の場面で「すべての山に登れ!」(Climb Every Mountain!)を合唱します。
ハリウッド映画界を支えた2人の作曲家と作詞家を紹介します。作曲家リチャード・ロジャース(Richard Rodgers)と作詞家・脚本家オスカー・ハマースタイン2世(Oscar Hammerstein II)です。2人によって制作された「サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)」は、1959年11月からルント・フォンテン劇場(Lunt-Fontanne Theatre)で公演を開始します。そして1963年6月までの間に1,443回上演され、50年以上が経った今でもブロードウェイを代表するロングラン作品の1つとなります。
ロジャースとハマースタインは、1940年代から1950年代の「ミュージカル黄金時代」と呼ばれた頃のブロードウェイで数々の名作を生み出します。現在のブロードウェイの基盤を作り上げた伝説的なコンビとなります。2人ともユダヤ系のアメリカ人であったことも共通しています。2人によって作り出されたミュージカルは「回転木馬(Carousel)」「オクラホマ!(Oklahoma!)」「南太平洋(South Pacific)」「王様と私(The King and I)」などの名作です。2人の最高傑作といわれるのが「サウンド・オブ・ミュージック」です。「南太平洋」(South Pacific)ですが、南太平洋のある島にフランス出身の民間人で農園主と海軍の看護婦との恋の物語です。この映画の主題歌が「バリハイ」(Bali Hai’i)です。音楽が南太平洋の景色とともに存分に楽しめる映画です。
音楽が子ども達にもたらす素晴らしさを伝える映画(Music of Heart)です。製作は1999年で舞台はニューヨーク(New York) の東ハーレム(Harlem) 地区にある荒れた小学校です。この映画は、実在の人物であるロベルタ・ガスパーリ(Roberta Guaspari)を映画化しています。ロベルタを演じるのメリル・ストリープ(Meryl Streep)です。
アンドレが劇場支配人の部屋を掃除しているとき、一枚のファックスが出てきます。アンドレはそれを手にとって読むと、パリの有名なシャトレ劇場(Chatelet Theatre)からのもので、ロサンジェルス交響楽団(Los Angeles Philharmonic Orchestra)の代わりにボリショイ楽団にパリで演奏してもらいたいという招待状なのです。アンドレはそのファックスを手にして、かつての団員に呼びかけオーケストラを組織し、ボリショイ楽団になりすましてパリで公演しようと画策するという奇想天外な展開です。
アメリカにおける人種差別問題は奥深いものがあります。今も続く社会問題です。3月にはアジア系人種を狙った殺人事件もありました。人種差別を正面から取り上げた映画も沢山あります。前回は【夜の大捜査線】を取り上げました。今回は【招かざる客】(Who’s Coming to Dinner)という1967年の作品です。この作品は、白人と黒人の結婚観を肯定的に扱った作品の一つです。1967年といえばベトナム反戦運動が高まり、公民権運動が最高潮に達した時期です。
サンフランシスコ空港(San Francisco)に降りたった30代後半の黒人男性と20歳位の白人女性のカップルが人目を引きます。通りすがりに眉をしかめる者さえ見受けられます。男性の名は、ジョン・プレンティス(Dr. John Prentice)といい、聡明で優秀な医師です。女性の名はジョアンナ(Joanna)で大新聞編集主幹のマット・ドレイトン(Matt Drayton)の娘です。ジョアンナはジョンを連れて両親の邸宅にやってきます。2人は両親に結婚の意思があることを告げます。ドレイトンは、人種差別反対のキャンペーンなどをおこなってきた筋金入りのリベラル派です。妻のクリスティーナ(Christina)も進歩的な考えの持ち主なのですが、娘の結婚話に驚きその心中は複雑です。
ミシシッピ州(Mississippi)の小さな町スパルタ(Sparta)に夜行列車から一人の黒人が降り立ちます。フィラデルフィア(Philadelphia)市警殺人課の敏腕刑事ヴァジル・ティッブス(Virgil Tibbs)です。彼は、人種偏見と差別が厳しい小さな町スパルタで起きた殺人事件に偶然捜査に加わることになります。捜査で対立する白人の人種差別的な警察署長との緊張を描いたサスペンス映画が「夜の大捜査線」(In the Heat of the Night)です。
スパルタで有力者の殺人事件が発生します。うだるような熱帯夜のなか、巡回していたパトカーの警官が死体を発見します。人種偏見の強い町の駅待合室にいた「よそ者」刑事ヴァジルは警官によって容疑者として連行されます。白人警察署長ジレスピ(Chief Bill Gillespie)の前に突き出されてしまいます。
読者にいつかは是非観ていただきたい作品に「野のユリ」(Lilies of the Field)があります。1963年の社会派作品です。黒人青年のホーマー・スミス(Homer Smith)はアリゾナ(Arizona) の砂漠を放浪していました。車の故障で砂漠の一軒家にたどり着きます。そこには東ドイツからの亡命者である5人の修道女が住んでいます。ホーマーを見た修道女マリア院長は、ホーマーを「神が遣わした者」と信じ込み、この砂漠の荒れ地にある思いを抱きます。
ホーマーを演じたのは、黒人俳優としては初めてアカデミー主演男優賞を受賞したシドニー・ポワチエ(Sidney Poitier)です。ハリウッド映画(Holleywood)における黒人俳優の地位を向上させた先駆者的な名優です。1968年『招かれざる客』(Who’s Coming to Dinner)、『夜の大捜査線』(In the Heat of the Night)でも主演し、社会的かつ人種差別問題に真正面から取り組んでいます。