ナンバープレートから見えるアメリカの州オハイオ州・Buckeye State

注目

オハイオ州(Ohio)のナンバープレートに関する話題です。州の大都市デイトン(Dayton)は、ライト兄弟(Wright Brothers)が初めて有人動力飛行機を組み立てたところで知られています。そのために、ナンバープレートには「Birthplace of Aviation」(飛行機発祥の地)とあります。別名「バッカイヤ州」(Buckeye)とも呼ばれています。

Ohio License Plate

初期のヨーロッパ人探検家たちは、この地域にマイアミ族(Miami)、ショーニー族(Shawnee)、その他のインディアンたちが住んでいるのを発見します。フレンチ・インディアン戦争(French and Indian War)の後、この地域はフランスからイギリスに割譲されます。やがて1803年に17番目の州となります。19世紀には、その立地、輸送施設、石炭、石油、天然ガスなどの天然資源により、最初の大工業州のひとつとなります。製造業が最も重要な経済活動ですが、州の3分の2近くは依然として農地となっています。

Map of Ohio

ところで、「Buckeye」とは州の木のことです。針葉樹の一種で、なんとなく木形といい大きさといい、北海道に多いカシワに似たところがあります。ドングリも秋になると沢山落ちます。州都で最大の都市はコロンバス(Columbus)です。他の大きな町はクリーブランド(Cleveland)、デイトン、トレド(Toledo), シンシナティ(Cincinnati)です。オハイオ州の経済は、工業製品などの製造業です。オハイオは、五大湖の一つエリー湖(Lake Erie)に面して、その岸は500キロに及びます。この地の利を使って製造業や海運業が盛んです。東はペンシルベニア、南はケンタッキー、イリノイ、西はミシガンに接しています。

オハイオ州の人口動態についてです。1830年以前は、ペンシルベニア州(Pennsylvania)のドイツ人やスイス人(Swiss)が北西部の地域から東中部地域にやって来ました。1830年以降、ドイツとアイルランドから直接入植者がやって来ます。多くのアイルランド人がオハイオ運河(Ohio canals)で働きに来て定住し、鉄道が建設されるとアイルランド人とドイツ人の労働者が定住者として残っていきます。北西部の湿地帯から排水を行ったドイツ人は、その結果生じた農地を開発するために残ります。

1830 年以降、南アイルランドからのローマ・カトリック教徒(Roman Catholic)の移民がクリーブランド(Cleveland)、コロンバス(Columbus)、シンシナティなどの都市に定住し、1850 年までに外国生まれの住民の中でドイツ人に次ぐ数となります。しかし、ドイツ人移民とアイルランド人移民は両方とも広範囲に分散し、ランカスター(Lancaster)といった小さなコミュニティに定住することも多く、そこで都市を設立したペンシルベニアドイツ人(Pennsylvania Germans)に加わっていきます。

Ohio State University

19世紀初頭にには、ウェールズ人(Welsh)が、オハイオ州のいくつかの地域で鉱物資源を開発するために到着します。ウェールズ人は、特に南東部のジャクソン郡(Jackson County)に多く定住します。実際、ジャクソン郡は長い間ウェールズ文化との結びつきがあり、多くのコミュニティでウェールズ語が三世代に渡って存続していきます。

このように1850年では、州の主な人口はスコットランド系アイルランド人でしたが、ドイツ人とイギリス人のコミュニティも重要でした。しかし、1870 年までに、オハイオ州の総人口の14 パーセント、クリーブランドの総人口の 40 パーセントが外国生まれだったといわれます。やがて、それぞれの移民グループが独自の新聞、クラブ、社交生活、教会を設立するにつれて、初期のオハイオ州北部のニューイングランドの性格は変化していきます。

オハイオ州の大学はどこも優れた教育や研究をおこなっています。州都コロンバスにはオハイオ州立大学(Ohio State University)があります。この州の学術研究の中心的な大学です。多くの人材を輩出しています。宇宙飛行士のジョン・グレン(John Glenn)、ニール・アームストロング(Neil Armstrong) もオハイオの出身です。中西部には「Big Ten」という大きな大学の連合があります。ウィスコンシンやミシンガン、イリノイ、ミネソタなどの大学とともにBig Tenの一つとして、オハイオ州立大学は研究開発を競っています。スポーツもまた然りです。

Apollo 11 Crews

以前どこかのブログでノースカロライナ(North Carolina)を紹介したとき、世界で初の有人動力飛行に成功したのがノースカロライナと紹介しました。飛行機の発明と飛行については、ノースカロライナとオハイオとの論争がありました。これを紹介することとします。

1世紀以上前、オハイオ州のライト兄弟は最初の動力付き飛行機を製造し、世界を変えたいわれます。それ以来、オハイオ州は数多くの先駆的な飛行士の発祥の地であり、数え切れないほどの航空発明の本拠地となってきました。

しかし、1903年12月17日にライト兄弟がノースカロライナNorth Carolinaで初めて飛行を行って以来、ノースカロライナは航空発祥の地であると主張したのです。ノースカロライナは「ファースト・イン・フライト」(First in Flight)をのフレーズを導入し、そう主張したのです。これが州のナンバープレートとなります。オハイオ州は数年後に「航空発祥の地」(Birthplace of Aviation)というプレートを導入し、これに対抗します。ライト兄弟はデイトン出身で、その飛行機を自分たちの自転車屋で製造したのです。議会は2003年にオハイオ州がノースカロライナ上空の航空発祥の地であると宣言し、この論争に終止符を打ちます。造った所と飛ばした所が違うというのが両方の主張のようです。どちらが元祖かは、いろいろな話題で論争しあいますが、このようなライト兄弟の飛行話も可笑味があります。

Birthplace of Aviation

オハイオ州から7人の共和党員がアメリカ合衆国大統領に選ばれており、「大統領の母」というニックネームはヴァジニア州と分け合うものです。南北戦争では、功績の高い北軍の3将軍がオハイオ州から出ています。後に大統領となったユリシーズ・グラント(Ulysses Grant)、ウィリアム・シャーマン(William Sherman)、フィリップ・シェリダン(Philip Sheridan)という軍人です。

オハイオ州は産業分布や人種構成が全米平均に近く「アメリカの縮図」としても知られています。選挙の度に共和党・民主党両党に勝利者が変動する「スイング・ステート」(Swing State)(振り子の州)として知られ、1964年から2016年までオハイオ州で勝利した者が大統領に当選しています。それ故に「オハイオ州を制するものが大統領選を制す」といわれるほどです。ただし、2020年はトランプがオハイオ州で勝利したものの全米では民主党のジョー・バイデンが勝利し大統領に当選しました。過去に遡り、1960年の選挙では、民主党のジョン・ケネディ(John F. Kennedy)は、オハイオ州で共和党のリチャード・ニクソン(Richard Nixon)破れながらも当選した大統領となります。まさに(振り子の州)の呼び名に相応しい州です。
(投稿日時 2024年2月15日)

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その五十三 ワシントン州 「ヒマラヤ杉に降る雪」(Snow Falling on Cedars)

この小説の作家はグッターソン(David Guterson)というアメリカ人です。これを今回は紹介します。小説の舞台はワシントン州北西部の小さな湾のジュアン・デ・フカ(Strait of Juan de Fuca)に浮かぶ、人口5千の移民の島サンペデロ島(San Piedro)です。1954年12月、日系アメリカ人漁師のカブオ・ミヤモトは、同僚カール・ハイン(Carl Heine)を殺害したとして第一級殺人容疑で罪に問われます。カールは強い絆で結ばれる人々の中で慕われていた漁師でありました。カールの死体は漁網の中で発見され、彼の腕時計は午後1時47分を指していました。島全体を包む吹雪の中、戦争後の反日感情が広がっている時代です。

Ishmael & Hatsue

裁判を取材するのは、元海兵隊軍人であるイシュマエル・チェンバース(Ishmael Chambers)です。彼は、地元新聞サンペデロレビュー紙(San Piedro Review)の記者です。戦争中は激戦地タラワ島(Tarawa Island)で同胞の死に遭遇しています。幼い頃、イシュマエルは、高校時代にハツエという日系女性と同級で、ヒマラヤ杉の洞で愛を育くみます。青い目のイシュマエルと黒髪の美しいハツエは、密かに情を交わす関係にあったのです。しかし、二人の関係は太平洋戦争の勃発と共に打ち砕かれてしまいます。

検察側は、刑事のモーガン(Art Moran)と検察官のフックス(Alvin Hooks)です。カブオを擁護するのはグッダモドソン(Nels Gudmondsson)という老練弁護士です。何人かの証人の中でカブオが犯人であると主張するのがカールの母親のエッタ(Etta) で、人種差別や偏見の強い人物です。

裁判では、他に検死官(coroner)のワリー(Horace Whaley)やカールにイチゴを売る老人のジャーゲンセン(Ole Jurgensen)らです。裁判ではイチゴ畑が争点ともなります。この畑はもともとカールが持ち主でした。この土地に住んでいたのはミヤモトという一家で、ハイン家の人々にイチゴを売っていました。カブオとカールは幼馴染みでした。カブオの父親は、広いイチゴ畑を購入したいとハイン家に持ちかけます。しかし、エッタは反対しますが、カールは売ることに賛成します。支払いは10年間払いというものでした。最後の支払いが近づいた頃、真珠湾攻撃により大戦が勃発します。島に住んでいた日系人は強制収容所行きとなります。

Snow Falling on Cedars

1944年、カールの父親は心臓麻痺で亡くなります。エッタはジャーゲンセンにいちご畑を売却します。カブオが収容所から解放されて帰ると、エッタが土地を他人に売ったことを知り、酷く怒ります。ジャーゲンセンが脳卒中で倒れると、カブオが土地を買い戻そうとする前に、カールは土地を購入したいと申し出ていたのです。裁判ではこうした土地を巡る家族や住民の間の確執が、カブオに対する殺人の容疑の背景となります

記者のイシュマエルは、カブオの容疑を晴らす可能性の高い証拠をつかみます。しかし、カブオの妻であり彼自身の幼馴染のハツエとの間の過去の恋愛関係に対する感傷の想いが断ち切れないでいます。また、日系アメリカ人への厳しい偏見と大戦という厳しい出来事によって、成就できなかった自分達の関係についてイシュマエル自身は心が整理できないでいます。彼がつかんだカブオが犯人でないという証拠をどのように扱うべきかで悩んでいたのです。

イシュマエルはポイントホワイト (Point White) という灯台付近で、午前1時42分頃、カールが釣りをしていたこと、丁度その頃、付近に大きな貨物船が通りかかったことをつかみます。カールの時計が指していたのは1時47分でした。カールの小舟が貨物船の航跡を受けて沈没したことを知ったのです。カールは小舟のマストに登り、灯を降ろそうとしたとき、貨物船の波で倒れてきたマストに頭を打ち、海に投げ出されたことも判明します。幼馴染のハツエにふられたイシュマエルは、カブオへの容疑が晴れる証拠をつかんでいたのです。

カブオは無罪として釈放されます。カブオと結婚していたハツエは、昔の恋人だったイシュマエルに、無実の証言をしてくれたことに感謝するのです。イシュマエルは、自分の不可解な感情が無神論者であったためだと考えるのです。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十三 ペンシルベニア州–その1 Amishとは

ペンシルベニア州といえば、キリスト教との一派であるアーミッシュ(Amish)と呼ばれる人々の文化と生活で知られる州です。これから3回に渡ってアーミッシュの文化や生き方の特徴を考えていきます。

Amish Family

アーミッシュとは、キリスト教の再洗礼派(アナバプテスト–Anabaptist)と呼ばれる人々です。成人してから自らの意志で洗礼を受けることを特徴とする一派です。こうしたキリスト教徒はメノナイト(Mennonite)とも呼ばれています。政教分離を唱え、政治的な宣誓や戦争を拒否します。良心的兵役拒否という姿勢です。

ヨーロッパの再洗礼派の教徒は、カトリック教会はルーテル教会などのプロテスタント教会から、異端とか熱狂主義者と呼ばれ非難され、反宗教改革的な存在として迫害を受けます。再洗礼派が次第に教会本来の純粋さを失ってゆくとともに、17世紀後半にスイス人のヤコブ・アマン(Jakob Ammann)がメノナイトを離れアーミッシュと称していきます。アマンは当時の正統的なキリスト教会やその教えに対して異議を唱え、迫害を受けます。彼とその信奉者は、フランス北部のアルザス(Alsace) やドイツ、オランダなどで布教活動を始めます。教会から異端視され迫害を受けていきます。

Amish quilts

迫害が止まないために、18世紀の前半に信徒達はアメリカ大陸に移住を開始します。最初に植民地として選んだのが東部ペンシルバニア州です。その後オハイオ州、インディアナ州、イリノイ州、ウィスコンシン州、ネブラスカ州などの中西部に移動し入植します。アーミッシュは、ドイツ系移民で、ペンシルベニア・ダッチ(Pennsylvania Dutch)とも呼ばれています。ダッチ(Dutch)は、オランダ語のことではなく、ドイツ語の”Deutsch”に由来し、古くはドイツ人のことを指しました。

ナーンバープレート その四十二 ペンシルベニア州–Keystone State

ペンシルベニア州(Pennsylvania)の名前の由来から始めます。この地にイギリスからやってきた商人でクエーカー教徒(Quaker)であったWilliam Pennという人がいました。やがて貿易などで成功したPennにイギリスは領地を分け与えます。そして植民地とします。ペンシルベニアには豊かな森が広がります。ラテン語で森を意味する「Sylvania」にPennをつけたというわけです。

Map of Pennsylvania


その後、ペンシルベニアは開拓されて植民地化されていきますが、Pennらはその地の自治を求めて自由憲章の草稿を書き、イギリスからの独立を目指していきます。信教の自由、公正な裁判、主権を持つ人民により選ばれた代表、三権分立などの精神を訴えます。こうした考えは、後にアメリカ合衆国憲法の基本になる考えとなります。

ペンシルベニア州は北東部の州と南部の州、大西洋岸と中西部を結ぶ地点にあることから、キーストーン・ステート(Keystone State)「礎石の州」とも呼ばれます。エリーやオンタリオ湖に面し、北はカナダとニューヨーク州に接し、東はニュージャージーにつながっています。形は横長の州です。

州都はハリスバーグ(Harrisburg)。州の西には重要な河港を持つピッツバーグ市(Pittsburgh)、東には自由の鐘や独立記念館で有名なフィラデルフィア市(Philadelphia)があります。フィラデルフィアは独立後、1790年から1800年まで連邦政府の首都となります。南北戦争の激戦地でリンカーン大統領(Abraham Lincoln)の演説で有名はゲティスバーグ(Gettysburg)など史跡が多い州でもあります。ピッツバーグ一帯や東部のベツレヘム(Bethlehem)一帯には多くの製鉄都市があり、鉄鋼、機械、化学、繊維、食品などの製造業が発達しています。製鉄を支えるのはアパラチア(Appalachia)炭田で、全米の無煙炭の大部分を産出しています。

National Independence Park

教育研究の中心は、カーネギーメロン大学(Carnegie Mellon University)、ペンシルベニア州立大学(Pennsylvania State University)、アイビーリーグ(Ivy League) の一つペンシルベニア大学などです。ペンシルベニア大学は1765年にアメリカで最初の医学部を設置します。今も医学や公衆衛生の分野でアメリカの開拓者的存在として知られています。日本でも人気のあるフィラデルフィア管弦楽団(Philadelphia Orchestra) はこの州にあります。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その三十八 ミネソタ州–10,000 Lakes

カナダと国境を接し、ウィスコンシン州の西隣に位置するのがミネソタ州(Minnesota) です。州都はセントポール(St. Paul)。その隣は最も大きな都市、ミネアポリス(Minneapolis)とです。この二つは隣合わせなので「双子の都市」(Twin Cities)と呼ばれています。

Map of Minnesota

ミネソタ州の人口ですが、白人が88%を占めます。先祖は北欧やヨーロッパの移民のようです。ミネソタの風土や気候が似ていたからでしょう。あまりにも寒いところなので、有色人は少ないように思われがちですが、ラオス/タイ/ベトナムから多くの難民を受け入れている州としても知られています。これらの人々はアメリカではMon(モン族)と呼ばれています。

Missouri River

双子の都市ではプロ野球球団のMinnesota Twinsがあります。フットボールではMinnesota Vikingsが知られています。精密機器などの産業でも有名です。小麦や大麦など穀物の集散地であります。穀物市場を席巻するカーギル(Cargill)や3Mなどの本社もあります。カーギルは人口衛星を使い全世界の穀物の成育や生産状況、消費の情報を基に経営戦略を練り、穀物メジャーとも呼ばれています。

この州のナンバープレートには「10,000 Lakes」と印字されています。無数の湖で知られています。昔、氷河がミネソタ全体を覆っていたようです。氷河はゆっくり移動しますが、そのとき大地を削っていきます。それが基で湖が出来たというわけです。あまりに沢山の湖があるので、目的地に着くには大分迂回しなければならないということを友人から聞いたことがあります。湖が多いので蚊の大群に見舞われます。ミネソタ州の鳥(state bird)は蚊だ、というジョークもあります。

ミネソタ州といえば、ポール・バニヤン(Paul Bunyan)という巨人です。アメリカ合衆国やカナダの民話に出てくる伝説上の怪物です、西部開拓時代の怪力無双のきこりで、ベイブという大きな雄牛や愉快な仲間数人を連れて、アメリカ全土の木を伐って歩き、五大湖やミシシッピ川をつくったという民話があります。開拓民が苦しい生活から生み出した話です。

Paul-Bunyan

ナンバープレートを通してのアメリカの州 その三十五 ミシガン州–Great Lake State

ミシガン州(Michigan)のナンバープレートには「Great Lake State」と印字されています。州名は、チペワ(Chippewa)インディアン語で「大きな湖」から由来します。五大湖を指しています。ミシガンは北はカナダと国境を接しスペリオル湖(Lake Superior)・ヒューロン湖(Lake Huron)を抱え、西はウィスコンシン州、南はインディアナ州とオハイオ州に接しています。州都はランシング(Lansing)で最大の都市はご存じデトロイト(Detroit)です。デトロイト国際空港は6本の滑走路を有し、Delta航空の一大ハブ空港となっています。

Map of Michigan

ミシガンは林業が盛んで、そのために馬車の生産で有名となります。林業に変わって自動車が登場し、1908年にフォード(Henry Ford)が大衆車の大規模生産に乗り出します。その中心はなっといってもデトロイトでしょう。五大湖のうちの4つに囲まれるという地の利が自動車産業を支えてきました。ゼネラルモーターズ(GM)、フォード、(Chrysler(Chrisler))のビッグスリーの本社がデトロイトとその近郊にあります。そういえば、高速道路(US Highway)には自動運転車専用レーンもあります。

その他の産業も盛んです。アムウェイ(Amway)、穀物のケロッグ(Kellogg)、ダウケミカル(Dow Chemical)、ワールプール(Whirlpool)などもここにあります。研究開発はミシガン大学(University of Michigan)、ミシガン州立大学(Michigan State University)、ウェイン州立大学(Wayne State University)が担っています。

無人自動車専用レーン

ミシガンは一大レクリエーションの州でもあるのをご存じでしょうか。2005年の統計によるとミシガンはカリフォルニア、フロリダに続き全米で第三番目の観光客を集めた州といわれるほど自然に恵まれたところです。65,000の湖や沼が広がるというのですから、レクリエーション客を惹き付ける理由もうなずけます。4つの湖の側はどこも州立公園や観光地といってよいほどです。いくつかを紹介しましょう。

カナダの国境近くにはマキナック島(Mackinac Island)があります。夏はキャンプ、リゾート、、なんでも楽しめます。この島は車禁止。移動手段は「リムジン馬車」か自転車となっています。コロニアルスタイルの建物が並びます。生ガキとキャビア、魚料理の食事もいいです。のんびりと時間が流れるようなところです。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その二十三 テキサス州–The Lone Star State

テキサス(Texas) はアメリカでは第二の面積を占める南部の大きな州です。1836年にテキサス共和国として一方的にメキシコから独立を宣言しますが、同年メキシコ軍の攻撃により敗れます。入植者がたてこもって抵抗した拠点がサンアントニオに(San Antonio) あるアラモ砦(The Alamo)。デビー・クロケット(Davy Crockett)、ウイリアム・トラビス( William Travis)など指導者の名前が浮かんできます。映画”The Alamo”も作られました。

The Alamo

現在の州都はオースチン(Austin) ですが、近年特に人気が高い町がリバー・ウォーク(River Walk)のあるサンアントニオです。リバー・ウォークは小さな河の両岸にレストランが並んでいます。散歩、船下りにも楽しいところです。今や年間1,000万人以上が訪れる全米有数の観光都市としても知られています。研究者を集める多くの学会もここで開かれています。

Map of Texas

ブッシュ(George Bush)大統領親子はテキサスの出身です。メキシコ湾や内陸部に油田が多く、エクソンモービルなどの石油会社の本社があります。カウボーイ文化に象徴される放牧業や畜産業でも知られています。アメリカン航空、コンチネンタル航空、AT&Aなど多くの企業の本拠地となっています。カリフォルニア、ニューヨークと並ぶ商業や経済の中心です。

ナンバープレートには「The Lone Star State」とあります。メキシコからの独立という願いとして、テキサスの州旗に白い星を一つあしらったといわれています。これがLone Starの由来です。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その十九 コロラド州–Centennial State

コロラド(Colorado)は山岳地帯の州です。南北4500kmに及ぶ世界的なロッキー山脈(Rocky Mountains)が貫き、州全体の平均標高が合衆国で一番高いところです。州の東側は大平原(グレートプレーンズ)が広がります。州都であり最大の都市は、デンバー(Denver)です。

デンバーは標高が約1マイル(約1,600メートル)なので、マイル・ハイ・シティー(Mile High City)の愛称で呼ばれています。 デンバー市内には多くの日系人が住んでいます。その数、約14,000人。 「ロッキー時報」という日本語の新聞が発行されているのもうなずけます。

コロラド州の商業や経済は多様です。金融センターであるデンバーを中心に、科学研究及びハイテク産業が集中しいます。他の産業は食品加工、輸送設備、機械、化学製品、稀少資源の開発そして観光業となっています。

Colorado Border

州都デンバーから車で一時間ほど南に下ると、ロッキーでも一段と高く聳える「パイクスピーク」がみえます。その山麓の台地には、アスペン(Aspen)などの綺麗な街並みが広がります。コロラド・スプリングス(Colorado Springs)も全米で知られる町です。ここは都市の規模に比べて物価が安く、アメリカでも最も住みやすい町の一つとなっています。

この住み心地の良さを支えるのは、国防総省の巨大な施設によってもたらされる経済効果です。空軍士官学校や共同防衛組織があります。ロッキーの山中には、北米航空宇宙防衛軍や軍事衛星による監視や弾道ミサイル防衛を担う戦略基地が掘られています。

Aspen, Colorado

私は小さいとき、「コロラドの月」というアメリカ民謡をしばしば聞いたことがあります。進駐軍の放送から聞こえたきたものです。ネット上で歌詞を調べると次のようにあります。恋の歌ですね。
 「コロラドの月の夜に
  想い出は いやます
   恋の日の しのばれて
    さびしさに 涙す
    むすびし 恋も
     あだに 君はいずこぞ
      コロラドの 月の夜に
       なれも 我をば待てる」
という恋歌です。当時はそんなことを知るべくもありませんでした。そしてデンバーを訪ねたのは学会発表の1987年です。コロラド大学(University of Colorado)の看護学科の准教授の案内で市内の学校を見学しました。

ナンバープレートを通してのアメリカの州 その十五 カリフォルニア州 The Golden State

日本人に最も馴染みのあるカリフォルニア州(California) は南北に長い形をしていて、北はオレゴン州に東はネバダ州・アリゾナ州に、最南端のサンディエゴ(San Diego) からはメキシコと国境を接しています。長い海岸線や高低差によって、海岸と内陸ではかなり気温や気候が異なります。この気候は地中海性気候といわれています。降雨量が少ないのと急激に人口が増えたために水資源の不足がしばしば取りあげられています。

州都はサクラメント(Sacramento)です。「アメリカの学校 その十四 サクラメントの学校」でも紹介していますが、ブドウ畑が広がるナパ・バレー(Napa Valley)から東へ向かうとサクラメントに着きます。西部開拓時代の街角のOld Townは保存されていて当時の開拓時代の気分を味わえます。

動く石

カリフォルニアといえばロサンゼルス(Los Angels)やサンフランシスコ(San Francisco)、サンディエゴなどの大都市ですね。ロサンゼルスはハリウッドを抱え娯楽産業の世界的中心となっています。サンフランシスコを中心とするベイエリア(Bay Area)は、シリコンバレー(Silicon Valley) をはじめ、全米で最も経済的に進んだところです。農業が盛んなのは中部です。サンディエゴは気候が温暖でアメリカで最も住みよい町といわれています。どこもメキシコの雰囲気が横溢しています。

サンディエゴ

この州はアメリカでも先進的な行政をするところで知られています。例えば、大気汚染などの問題でメーカー等の産業廃棄物処理・排水規制などの法律が制定されていた。また排気ガス規制など環境関連の規制が全米で最も厳しい州といわれています。ところが財政は厳しいので、一度州知事になったアーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Alois Schwarzenegger) も頭が痛かったようです。

サンフランシスコ

メキシコからの移民でヒスパニック系の人口は34%を占めています。ですからメキシコ料理はどこででも楽しめます。またイタリア料理、中華料理、ベトナム料理なども美味しいところです。サンフランシスコの中華街(China Town)は世界一といえる賑やかさです。
 
カリフォルニアはハワイと並んで、多くの日本人が移住したところです。1920年代の移民を禁じる排日移民法(Immigration Act of 1924) が制定され、太平洋戦争によってさらに差別や隔離政策が進みます。日系人は土地や財産を没収さながらも子どもを教育し、現在の地位を獲得した苦労話が幾多きかれます。私の知人であるチャールズ・コバヤシ氏もそうです。苦労して州判事まで上り詰め、今はサクラメントで成長したお子さんやお孫に囲まれて引退生活を楽しんでいます。

ナンバープレートを通してのアメリカの州 その十二 オクラホマ州–Native America

オクラホマ州(Oklahoma) 合衆国中南部に位置し、南はテキサス州(Texas)、東はアーカンソー州(Arkansas)、北はコロラド州(Colorado)とカンザス州(Kansas)に接しています。州都はオクラホマシティ-Oklahoma Cityです。合衆国でも経済的な発展の著しい州といわれ、特に航空機産業、エネルギー産業、テレコミュニケーションやバイオテクノロジーで著しい発展をとげています。

Map of Oklahoma

オクラホマ州には沢山のネイティブアメリカンの部族が住んでいます。少なくても25の言語があるということは少なくても25の部族がいるということです。ナンバープレートには「Native America」とあります。アメリカの元祖の州、アメリカらしい州という意味です。1901年の油田発見でオイルブームが訪れて一気に発展し、この州は石油ブームの焦点となり、急速に人口を増やしていきます。タルサ(Tulsa)市は「世界の石油首都」と呼ばれるほど石油で冨を蓄積しました。

Downtown Oklahoma City

面白い逸話ですが、オクラホマ州の公式ニックネームは「Sooner State」と呼ばれます。Soonerとは早者がちとか、一番乗りの者という意味です。昔、号令とともに我先にと土地の権利を求めて幌馬車を駆って先陣争いをしたのだそうです。

オクラホマでは、決められた時刻に特定の土地が開拓者に開放され、待ちかねた開拓者が一斉に駆け出すような仕組みが作られます。公式の解放時間前に境界を越えるという規則破りは “Sooner”「抜け駆け」「早い者勝ち」と呼ばれ、このSoonerがオクラホマ州の公式ニックネーム(Sooner State)にもなります。