ハングルと私  その21  学歴社会の韓国

韓国は今も学歴社会です。日本の昭和30年〜40年代の現象のような印象を受けます。私も友人から何度も「どこの大学を卒業しましたか?」と尋ねられたことがあります。学歴社会の歴史は、中国にあった科挙という試験制度が下敷きになっています。科挙という語は「(試験)科目による選挙」を意味しています。上級国家公務員になるための登用試験です。李氏朝鮮王朝時代は、科挙の合格者や学者が政治を司る高級官僚となり、立身出世ができました。その風習が今日にまで続いているといわれます。出身大学によって就職や出世が保障される時代では、受験の結果が一生を決めるといっても過言ではありません。かつての日本のようです。

科挙試験

受験生は小さいときから放課後はもちろん、週末も遅くまで営業する予備校(アカデミー)に通います。深夜、予備校のそばを通りますと、勉強を終えた生徒を家まで送るバスがずらりと並んでいます。そのため受験生のストレスを解消したり保護者の負担を軽減することが課題となっています。一例を挙げますと、予備校に通ったり家庭教師による補習が可能な都市部の学生がより修学能力試験(修能試験)に有利になります。修能試験はセンター試験のようなものです。そうした格差を解消するために教育放送局が専門チャンネルで修能試験に関する講座を放送しています。予備校へ払う教育費も保護者の大きな負担です。調査によればOECD加盟国の中で韓国人は最も多くの予備校への教育費をかけているといわれています。

科挙の再現

2004年には、修能試験における大規模な携帯電話を使ったカンニングが発覚しました。修能試験の歪んだ弊害が指摘されたのは真新しいところです。1回の試験によって人生が左右されるような構造にメスがあてられるには、まだまだ時間がかかるといわれています。

ハングルと私 その20 朱子学と諸科学の発展

朝鮮における朱子学の話題です。13世紀、高麗末に中国より伝来した朱子学は、儒教の新しい学問とされ、科挙制度の励行や四書・五経など経書を研究する学問である経学の復興とともに広く普及します。儒教的な両班社会における正統的な学風となります。経学とは異なり、実際的な法典や礼式といった典礼と詩歌とか意味や解説などの文章である詞章が重んじられます。科挙の試験でも詞章が中心でありました。

朱子学は儒教国家の政治や社会で秩序の維持で有用な編纂事業を促進させます。歴史は政治の鏡であるという観念から、史書の編纂も盛んになります。高麗の国教であった仏教は排され、朱子学は唯一の学問として国家教学となります。我が国でも江戸時代に武士が学ぶべき学問と位置づけられ、江戸幕府をささえる学問となります。信仰や武力ではなく、道徳や礼儀によって社会秩序を守ろうとするする考え方です。

李氏朝鮮王朝に戻り、歴史とともに政治や軍事に必要な地理の知識も重視されます。国家の規範としての典礼とともに諸宝典が作られ、それによって印刷技術も発展します。例えば金属活字や植字術などの出現です。1443年の「訓民正音」と呼ばれるハングルの創設がその発展の頂点に立ちます。医薬学では薬材と処方の研究が進み、科学技術では農業と深い関係がある天文学、軍事では各種火砲、火薬、兵学、さらに兵書が著されます。

近世儒学の祖といわれ、朱子学を提唱したのが江戸時代の儒教家、藤原惺窩です。惺窩の弟子が林羅山らです。