心理学のややこしさ その十一 元良勇次郎 日本最初の心理学者

心理学は江戸末期から明治時代の初頭にかけて西洋から入ってきた学問です。その端緒は西周らオランダ留学などに遡ることができます。もちろんシーボルト (Philipp von Siebold)ら蘭学といわれた西洋医学など心身医学の影響もあったと思われます。

元良勇次郎についてです。彼は、現代心理学を日本にもたらした最初の人物といわれます。1883年にボストン大学(Boston University)の哲学科に入学します。指導教授との関係から、1885年にはジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University)に移ります。そこでデューイ(John Dewey)の講座を受け、倫理学とか実験心理学の実験方法を体得します。ジョンズ・ホプキンス大学でPh.D.を得ます。哲学専攻の学位といわれます。相当英語に堪能だったことが伺われます。

1888年、日本へ帰国し東京英和学校の教員を務めさらに東京帝国大学文科にて「精神物理学」の講義を担当します。「精神物理学」という名称は、「pychological science」の訳かもしれません。
1890年には東京帝国大学の教授となり、心理学や倫理学を担当します。

元良の初期の研究では、「注意」について研究したことが記されています。1907年には、児童の注意力とその訓練についての実験へとつながります。学習でつまずく児童について、能力が無いというわけではなく、「集中」のしかたを知らないからなのだ、という説明および訓練方法を示します。こうした仮説は今も通用する考え方で、その後の児童心理学に多大な影響を与えていきます。

心理学のややこしさ その十 荻生徂徠と西周

平凡社の「哲学事典」によると、西周は荻生徂徠に触れて開眼したといわれます。徂徠は日本思想史にあって政治と宗教道徳の分離を主張する画期的な考えの持ち主で、それは「経世思想」とか「経世論」とよばれました。「経世」とは、「経世済民」のことです。世を経 (おさ)め民を済(すく)う 「経済」の語義といわれます。

さらに西は気(物理)の重要性を認識し、気に基づいてその上に理(心理)を構築しようと考えたようです。やがてヨーロッパでコント(August Comte)やミル(John Stuart Mill)の他、ハミルトン(William Hamilton)の哲学史やスペンサー(Herbert Spencer)の社会進化論を学びます。コントからは科学の伸張の歴史的必然性を解く三段階の法則、スペンサーからは科学による知の総合を目指す実証主義、生物の発達だけでなく、制度や学問の細分化を進める人間社会の発達もこの進化の過程に他ならないことを知ります。

帰国してからは日本の近代化の推進、自然科学、社会科学、人文科学を含めた学術全体の統一的な理解が先決であると考えるのです。こうした思想に基づいて西は「百一新論」を著します。その中で、西は「法」と「教」を区別し、法は法律、経済、政治、教とは「人道の教」とします。学術全体(百教)は同一原理に帰するはずだと考えます。「学」は理論、「術」は実践であると定義します。

心理学のややこしさ その九 外山正一と心理学

「東京帝国大学五十年史」によれば、1874年の東京開成学校の学科過程には心理学並びに修身学が記載されています。修身学とは哲学ではないかと推測されます。開成学校では、外国人教師、いわゆるお雇い外国人による外国語での講義が行われていました。その一人がエドワード・サイル(Edward Syle)です。彼は心理学も講義したという記録もあります。

開成学校教師のお雇い教師の名簿では、大部分が自然科学や英語の教師でありましたが、サイルは修身学を教えていたようであります。西洋の最先端の知識や技術が急速に日本に流入したのは、2,690人余りといわれるお雇い外国人教師によるものと考えられます。例えば、鉄道建設に功績のあったエドモンド・モレル (Edmund Morel)や建築家のジョシュア・コンドル(Josiah Conder)は有名です。

開成学校の教員に外山正一の名があります。彼は、1866年に勝海舟の推薦で中村正直らとともに幕府派遣留学生としてイギリスに渡りイギリスの最新の文化制度を学びます。江戸幕府の終焉により帰国後は、開成学校の教員として英語や心理学を教えたという記録もあります。それは上述した学科の一覧に、「心理学及び英語」として彼の名前が記載されているからです。外山正一は後に東京帝国大学文学部長や総長となった人物です。

外山の活躍は少々異色です。例えば日本語のローマ字化推進のため漢字や仮名の廃止を唱えます。西洋列強と伍するためには教育の向上が必要であり、そのためには女子教育の充実と公立図書館の整備を訴えたことなどです。1898年には第3次伊藤博文内閣の文部大臣などを務めたりします。

心理学のややこしさ その八 「Philosophy」

前回、西周が「philosophy」を「希哲学」という造語をあてたことを述べました。このような単語を造ること自体凄いことです。「哲学」そのものが難しい術語です。

ギリシャ語は学問で使う用語の多くを創出しています。古代ギリシャ人の知識に敬服したくなります。「philosophy」もまたギリシャ語の「philosophia」に由来します。「philo」はギリシャ語の「philein」(愛)から生まれています。「sophia」とは智、上智、知性などを意味します。ですから哲学を「愛智」という言い方もあるほどです。

「岩波哲学・思想事典」によりますと、哲学とは、「世界や人生などの根本原理を追求する学問」とあります。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたようです。やがて諸科学が分化し独立することによって、哲学はその対象領域が限定されていきます。ですが、知識の体系としての諸学の根底をなすという理念と性格はいまだに失われていません。

心理学のややこしさ その七 西周と百科全書

ティドロ(Denis Diderot)らが著した百科全書に、西周は大きな影響を受けたことがその後の洋学研究活動でわかります。1855年、江戸幕府の洋学教育研究機関ともいえる「洋学所」がつくられ西は洋学書頭取に任命されます。1857年に授業が開始され、そのときの生徒数は191人だったことが記されています。西は洋学所で「百学連環」という講義科目を担当します。「百学連環」は百科全書という近代諸科学の体系を講義するための科目だったようです。

1863年には、「洋学所」は「開成所」と改称されます。「開成所」は1868年8月の布告により医学所とともに明治新政府に接収され、同年官立の「東京開成学校」として再興します。開成学校はのち医学所の後身である医学校と統合され東京大学が発足します。そのような経緯で、開成所は現在の東京大学の源流とみなされています。

西周全集4巻に「百学連環」の目次が記されています。
第二編 特別学、第一 心理上学(intellectual science)、哲学
第二    性理学(psychology)

西周は性理学(psychology)を次のように解説します。
「Psychologyなる字は英語の魂(soul)なり。この魂と名つくるものは、およそ人身の上に属する魂、心、性の三つなり。この三つなるものは皆一つのものにして人身の主宰たり。その生活の上より称するときは魂といい、作用の源を心とい、作用有常の源を意というなり。その魂といい、心といい、意というもそのよるところに従って名を異にするのみにて、唯一のものなり。故に魂と称する字を性理学と訳すものなり。」

心理学のややこしさ その六 西周と心理学

通常、心理学(psychology)という学名は西周(にし あまね)を端とするといわれます。西は1862年に幕府の第一回海外留学生派遣によって榎本武揚らと共にオランダのライデン大学(Universiteit Leiden)で主にコント(August Comte)の啓蒙思想、論理学、経済学などを学びます。そのとき18世紀のフランスの啓蒙思想家、ティドロ(Denis Diderot)らが著した百科全書(Encyclopedie) に触れ、近代諸科学の体系や分類方法を学んだといわれます。百科全書は、「技術と科学に関する普遍的な百科全書」と訳されています。

さて心理学の語源です。それには明治年間に於ける心理学発達の史料に触れる必要があります。1874年に西は「致知啓蒙」という本を著します。この本は論理学の本ですが , いささか心理学上のことにも言及しています。この本のなかで、西は心理学のことを「性理ノ学」と呼んでいます。その英語は「psychology」とか 「mental science」であるというように注釈をつけています。

西はさらに1877年ミル (John Stuart Mill)の「功利主義論(Utilitarianism)」を訳します。訳は「利学」と題するものです。「功利」を「利学」という訳をつけたことは的を得ています。この中の一節に、「性理ノ学」として「サイコロジ ー」とルビがふられています。この西周の「psychology」の訳が心理学の本源とされる所以です。

西周の貢献ですが、「philosophy」を和製漢語でありますが「希哲学」という造語をあてます。「心理学」の他に「意識」「知識」「概念」「藝術」「理性」「科學」「技術」「帰納」「演繹」「定義」「命題」「分解」など多くの哲学や科学関係の用語を創出します。こうした訳語もさることながら、自然科学や人文科学にたけていた西の碩学と博識は、我が国の学問の発展に大きく寄与したといえましょう。

心理学のややこしさ その五 「Psychopath」

精神病質は「psychopathy」といいます。主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われ、反社会的人格の一種を意味する心理学用語です。その一例は、反社会性パーソナリティ障害「Antisocial personality disorder」で、精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders: DSM)で規定されています。DSMの編集と発行は、アメリカ精神医学会(American Psychiatric Association:APA)です。精神病質者を「psychopath」といいます。形容詞はpsychopatheticです。精神病理学は「psychopathology」といいます。

「psychopathology」の語源は、これまたギリシャ語の「psyche」と 「pathos(パトス)」と 「logos」 から由来しています。「psyche」は既にこのシリーズで紹介してましたが、心のことを指します。「pathos」とは怒りや喜び・憎しみや哀 しみなどの快楽や苦痛を伴う一時的な感情状態のことです。そして「logos」とは学問とか真理のことを意味します。

「psychopath」で悩む患者を扱う医師は「psychiatrist」と呼ばれます。精神医学は「psychiatry」、その形容詞は「psychiatric」です。「Psychiatric disorder」は精神系疾患といわれています。

心理学のややこしさ その四 「Psychsomatic」

「Psychsomatic」とは、精神身体医学上とか心身相関、あるいは病気など肉体的障害より精神状態に影響されることといわれます。その逆も真のようです。そこから心身症、心身障害、精神身体障害という意味の「Psychsomatic disorders」という用語が使われます。

Man with arrow in back – “We’re going to run some tests to see if it’s psychosomatic.”

‘I dream about eating all the time — I think it’s psychosomatic fat.’「Psychsomatic」は「psych」「soma」の二語から生まれた単語です。「psych」は既に述べてきたように心的とか精神的、といった意味です。「soma」は体とか身体という意味で、古代ギリシア語から由来した単語です。 「Psychoma」という単語もありますが、同じような意味のようです。「感覚や知覚を経験する能力」といわれます。身体の帰結から生まれる心と魂の状態とされます。

「Soma」に関連する単語に「chromosome」があります。染色体という意味ですが、この単語はギリシャ語の色「khroma」 と体「soma」 から由来します。そして、英語となったのが「chrom」です。ついでに「achromic」とは色素を持たないとか全色盲をいう意味です。「monochrome」は単色というわけですね。monoと単一とか一つという意味でした。脱線しますがmonotoneは単調、monologueは独り言という意味です

心理学のややこしさ その三 「Logia」と「Psychologia」

今回は、横文字が多数登場するので我慢してください。資料を参照するとどうしても原本を引用しなければならないからです。

「Psychology」はラテン語(Latin)では「Psychologia」といわれます。「Psychologyを別な側面から理解するためには、 接尾辞である「logia」を考える必要があります。Wikipediaによりますと、「Psychologia」という語を最初に使ったのは、クロアチア(Croatia)の人文主義者、詩人でラテン語の研究者であったマルコ・マルリック(Marko Marulic)(1450-1524年)といわれます。その著書「人間理性心理学」(Psichiologia de ratione animae humanae)です。この論文自体は現存していないそうですが、この題名はマルリックと同じく詩人で友人であったボジチェヴィッチ・ナタリス (Bozicevic-Natalis) の『スプリトのマルコ・マルリッチの生涯』(Life of Marko Marulic from Split)に記されているとあります。

その後、1590年にマールブルク(Marburg)で「人間学的心理学」(Psychologia hoc est de hominis perfectione, anima, ortu)を発表したドイツの物理学者で数学者、論理学者であったルドルフ・ゲッケル(Rudolf Gockel)もPsychologiaを使います。

さて「Logia」という接尾語です。もともと古代ギリシャ語のLogia」とはユダヤ教やキリスト教で使われる託宣とか神託(oracles)ということです。聖なる言葉という意味でもあります。福音(gospel)という意味でも使われます。「Logia」はその後、科学とか人体に関する知識として使われるようになります。「Logia」から英語の「logy」が派生します。「logy」が使われるようになったのは1700年代といわれます。「神学」(theology)とか「社会学」(sociology)は14世紀には使われていたようです。

しかし心理学という術語が一般的となったのは、ドイツの観念論哲学者で数学者でもあったクリスティアン・ヴォルフ (Christian Wolff) が著わした「経験的心理学」(Psychologia empirica methodo scientifica pertractata, qua ea quae de anima humana indubia experientiae fide constant, continentur)(Empirical Psychology) (1732年)と「合理的心理学」(Psychologia rationalis methodo scientifica pertractata, qua ea, quae de anima humana indubia experientiae fide innotescunt (Rational Psychology (1734年)で用いてからとされます。

「経験的心理学」と「合理的心理学」という区別は、フランスの哲学者であるドゥニ・ディドロ(Denis Diderot)が「百科全書」で取り上げています。百科全書は「技術と科学に関する普遍的な百科全書」(Encyclopedie ou dictionnaire universel des arts et des sciences)といわれます。この全書は1751年から1772年まで20年以上かけて完成します。後に、幕末イギリスに派遣された西周がこの全書から大きな影響を受け、西洋の心理学を紹介することになります。このことは後日紹介することにします。

心理学のややこしさ その二 「プシュケー」と解体新書

心理学の話題を取り上げるこの欄で、どうして「解体新書」が登場するのかです。説明しましましょう。「解体新書」の原本はオランダ医学書である「ターフェルアナトミア(Tafel Anatomie)」といわれます。Tafelとはパネル、Anatomieとは解剖とか解剖学のことです。「人体解剖パネル」が解体新書です。この本は1694年に刊行された『ブランカール解体書』を基にしているといわれます。このブランカールとはオランダ人の医師、Steven Blankaartのことです。

L0027151 Steven Blankaart, Venus Belegent…1685
Credit: Wellcome Library, London. Wellcome Images
images@wellcome.ac.uk
http://wellcomeimages.org
Title page
Venus belegent…
Stephen Blankaart
Published: 1685
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ブランカールは「人間の身体に関する辞書(Physical Dictionary)」のなかでanatomyを「身体」というように使っています。身体と心理、すなわち魂(Soul)に関連するとしています。心身が不分離であることを示唆しています。しかし、解体新書では、「魂」をどのように扱っているかは分かりません。翻訳を担当した杉田玄白などはオランダ語から日本語への翻訳は大変難儀したと察せられます。心理学の理解には及ばなかったと思われます。

1890年にアメリカのジェームズ(William James)は心理学を「精神的な生き方の現象や状態に関する科学」と定義しています。彼のは内省や哲学に基づいたアプローチであります。後にジェームズは「心理学の父」と呼ばれます。しかし、1913年頃に行動主義者といわれるワトソン(John Watson)はこの定義に挑戦します。そして行動を制御する情報の獲得に関する学問であるという主張です。今は、広く一般的な表現ですが「心や行動の科学を研究する」という定義が定着しています。