認知心理学の面白さ その七 クラーク・ハルとS-O-R理論とは

認知心理学に関して、一人の心理学者を紹介します。1918年にウィスコンシン大学から学位を授与され、学内でしばらく教鞭を執ったクラーク・ハル(Clark Hull)です。ハルは人間の心や情感などの仕組みをモデル化して、そこから行動を説明するという発想をします。

それはどういうことかといいますと、行動ではないとされてきた心的な現象をデータ化して分析するという方法を考えたのです。心理学における一つの体系的な方法として、目に見える行動ではない人間の内側で起きている心とか感情の働きを分析できると唱えます。これは「方法論的行動主義」と呼ばれ、後の心理学に大きな影響を与える革命的なことといわれます。

行動主義心理学の創始者がジョン・ワトソン(John Watson)とすれば、行動分析学の創始者はバラス・スキナー(Burrhus Skinner)といわれます。この二人に共通することは、一口でいえば「心理学が科学的であるために客観的に観察可能な行動を対象とすべきだ」というテーゼでしょう。これは急進的行動主義(radical behaviourism)と呼ばれます。心理学の目的は、行動の法則を定式化し行動を予測しそれを制御することであるという主張なのです。あまりにも言葉足らずですがそういうことです。

しかし、ハルは「行動の原理」(Principles of Behavior) という著作の中でS-R理論を改良したS-O-R理論(Stimulus-Organism-Response Theory)を提示します。この理論における有機体(Organism)が刺激・反応に影響を与える媒介変数によって、どうして学習効果の個人差や同一刺激に対する反応の個体差が生まれるのか、という疑問に答えることができると提案します。

認知心理学の面白さ その六 マックス・ベルトハイマーとゲシュタルト心理学

マックス・ベルトハイマー (Max Wertheimer)という心理学者のことです。ベルトハイマーはオーストリア-ハンガリーで生まれたユダヤ系の学者です。第一次大戦でドイツ陸軍に大佐として参加します。終戦後はベルリン大学で知覚の研究に従事します。やがてケーラーやコフカ (Kurt Koffka)とともにゲシュタルト心理学の発展に貢献します。

  ナチスのユダヤ人迫害を知るとベルトハイマーは家族とと共にチェコスロバキア (Czechoslovakia) の首都プラハ(Prague)にあったアメリカ領事館よりビザを取得し、 1933年9月にアメリカに亡命することになります。その後、ニューヨークでNew School for Social Researchという大学でゲシュタルト心理学の研究活動に従事します。

ゲシュタルト心理学では、あるまとまりを一つの形態(gestalt) として人々に印象づけ、それによって人々は判断したりします。そのためにときに実際とは違う認識をするのです。錯視はその一例です。ある若い婦人が老婆の横顔になったりします。「人はゲシュタルトごとの認知を自然に優先してしまう」のです。

こうして脳のクセを知っておくと、錯覚や安易な経験則への依存で失敗をすることがなくなります。「これは合理的な判断だろうか?」と冷静に考えるきっかけになります。ゲシュタルト心理学の果実は、商品のディスプレイとか誌面やウェブサイトのレイアウト、コンピューターのヒューマン・インターフェイス(human interface) など、いろいろな形で応用されています。ヒューマン・インターフェイスは見る側にとって自然に認識されるので目に心地よいのです。個別的な感覚刺激によってではなく、全体的な枠組みー形態によって人は物事を感じるのです。

認知心理学の面白さ その五 ウォルフガング・ケーラーとゲシュタルト心理学

ナチスのユダヤ人迫害の刃は、徹底していたといえそうです。ウォルフガング・ケーラー(Wolfgang Kohler)はエストニア(Estonia) のタリン (Tallinn)生まれのドイツ人心理学者です。ケーラーはユダヤ系でないのですが、ナチス(Nazi)の支配を逃れてアメリカに亡命した心理学者の一人です。彼はベルリン大学( Humboldt University of Berlin) にいたとき、ナチスによる同僚ユダヤ人教授の排斥に反対したのです。その経緯です。

1933年1月にアドルフ・ヒットラー(Adolf Hitler)に率いられたナチスドイツが政権に就きます。彼の所属する正式な党名は「National Socialist German Workers’ Party」といわれました。俗称はナチス党です。ナチス党はドイツ国内の大学からユダヤ系の教授陣を排斥しはじめます。その中にはアインシュタイン (Albert Einstein)らもいました。ケーラーは、有名な物理学者、マックス・プランク(Max Planck) らとともに1933年5月にヒトラーにユダヤ系教授の迫害や追放を直接抗議します。しかし事態は改善しません。結局ケーラーは1935年にアメリカに亡命しプランクはベルリンに残ります。戦後、マックス・プランク研究所 (Max Planck Institute)  が組織され21世紀最高の物理学研究となりました。

本題の認知心理学とケーラーとの関係です。ケーラーは、もともとは類人猿研究所でチンパンジーを用いた実験を行っていました。チンパンジーが新しい方法で天井から吊り下がったバナナを取ることを観察し、チンパンジーもまた試行によって「洞察学習」をすることをつきとめます。

私たちはものごとをより単純に認識したがったり、過去の経験と結びつけた認識を優先したりするものなのです。例えば、歩くとき色で統一した服を着たり、店舗の中で女性服のように形の似たものをまとめたりします。男女の服が交じることには違和感を持つのです。似ているものをゲシュタルト(gestalt)とか形態と呼びます。さらに、人が過去に経験した状況と似たものに出会うと、過去のものと同じものと認識したりして、解釈に影響を与えます。ある出来事が短い時間のうちに起こると、より関連づける度合いが大きくなるのです。人々が感じることを整理分類して、人の感覚構造を研究するのがゲシュタルト心理学(Gestalt Psychology) です。

認知心理学の面白さ その四 クルト・レビンとT-groups

認知心理学の面白さ、その二で社会心理学者のフェスティンガー(Leon Festinger) を紹介しました。彼の学術上の成果を引き出したのは指導教官であったクルト・レビン (Kurt Lewin)です。彼もまたユダヤ人の家系です。ポーランドで生まれやがてベルリン大学 (University of Berlin)で学位をとります。

‘I miss the good old days!’

しかし、ナチスの政権掌握によりレビンなどユダヤ人の学者は大学から追放されます。1933年にアメリカに亡命し、その後はスタンフォード大学 (Stanford University) やコーネル大学(Cornell University)、アイオワ大学 (University of Iowa)で研究し始めます。ベルリンに残した家族もアメリカに呼ぼうとしたのですが、母親がユダヤ人収容所で亡くなったことを知ります。

専制型、民主型、放任型といったリーダーシップのスタイルや集団での意思決定の研究を「場の理論」(field approach) 基づいて進めます。我が国で1970年代に盛んにとり入れられたのが集団力学と訳されるグループ・ダイナミックス(group dynamics)の実践で、特にリーダーの養成のアクションリサーチ(action research)として「Training-group」が使われました。企業や団体の指導者訓練で、理論的な考えをまとめた「A Dynamic Theory of Personality」という著作は特に知られています。

レヴィンはゲシュタルト心理学 (Gestalt Psychology)を人間個人だけでなく集団行動にも応用したことで知られています。集団内における個人の行動は、集団のエネルギー場、すなわち集団がどんな性質を有しているのか、どんな成員がいるのかといったことによって影響を受けると考え、これによりグループ・ダイナミックスが生起すると考えのです。ゲシュタルト心理学については、後の心理学者のところで紹介することにします。

認知心理学の面白さ その三 発達心理学とブルーナー

なぜか日本では認知心理学は好感を持たれる印象を受けます。発達心理の分野でもそうです。その理由は、人特に子供の理性とか理解、記憶などに必要とされる知恵や技能は、保護者や教師、同年代の子供とすごした経験に由来するという理論によるのではないかということです。レフ・ヴィゴツキー (Lev Vigotsky)はそうした立場の心理学者です。人間の発達は文化的、対人的、個人的という三つのレベルにあるとし、特に文化的と対人的を重視するのです。ヴィゴツキーは、子どもは非理性的ながら環境に働きかける力を持って生まれてくる、つまり主体的なものとして生まれ、環境に働きかける能力を持ち、しかも、環境から応答を引き出しそれを内面化して次第に成長するという立場をとります。

本題ですがジェローム・ブルーナー (Jerome Bruner)という発達心理学者は、子供は能動的な体験を通して物事を学ぶび、誰かが指導するとは、単に相手になにかを伝えることではなく、参加するように相手を励ますことだと主張します。ブルーナーはポーランドからのユダヤ系の移民の子としてアメリカで育ち、ハーヴァード大学から学位を得ます。彼の著書「Acts of Meaning」、「The Culture of Education」によりますと、その発達は子供がそれまで習得した情報によって構造化される過程、(scaffolding to describe the way children often build on the information they have already mastered)なのだという考え方です。

ブルーナーは、学習には三つの形があるといいます。第一は経験による学習(action-based)、第二は知覚による学習(image-based)、第三は言葉を通じての学習 (language-based)という考え方です。どれも実体験によること、表象を通した題材、そしてシンボルによる言語化といったことです。

認知心理学の面白さ その二 移民の歴史とレオン・フェスティンガー

心理学の専門家を調べると、多くの学者はヨーロッパからアメリカへの移民の背景があることがわかります。第二次大戦を前にして、ヨーロッパの政情や社会情勢が研究を妨げていたことがわかります。特にユダヤ系の人々はそうです。科学と同様に心理学や社会学者が新大陸に渡ります。

Clocktower Building University of Otago Dunedin New Zealand

社会心理学者の一人にレオン・フェスティンガー(Leon Festinger) がいます。両親はロシア系のユダヤ人でフェスティンガーはニューヨークで生まれます。アイオワ大学 (University of Iowa)でクルト・レビン(Kurt Lewin)の指導で学位をとり、「認知的不協和」(cognitive dissonance) という理論を発表します。

「認知的不協和」とは難しそうな用語ですが、かいつまんで解説してみます。私たちは日常のルーティンを繰り返しています。それが破られると居心地の悪さを感じます。習慣的な思考のパタンや信念も同じで、ある自分の強力な見解が、明白な反証に出くわすと心の中で耐え難いほどの一貫性の欠如が生まれます。この居心地の悪さを克服する道は、自分も反証を探し信念を貫くことです。

例を挙げれば、自分が新車を買ったとします。ところが友人が別な会社の車を買います。こちらのほうが燃費が少し良いという状況です。このとき心に一種の動揺が襲います。それを鎮めようと自分の車のほうが良いということの理由を探すのです。自分の車のほうが価格や維持費が安いという反証によって相手の優越に対抗しようとするのです。

認知的不協和は日常の中に様々な形で起こるものです。そうしたときの内的な葛藤は自己の信念や理性によって解決することが大事であることを教えてくれます。

認知心理学の面白さ その一 20世紀の心理学

心理学の歴史は長いのですが、東欧や西欧の人々、特にユダヤ系の人々が心理学の発展を支えてきた経緯が私の興味を引き立ててくれます。このシリーズでは20世紀から遡りながら認知心理学の発展を考えていきます。

20世紀の中葉にかかるとそれまでの心理学界に大きな変化が生まれます。当時の二つの流れであった精神分析的なアプローチと行動主義アプローチが認知心理学の考え方によって脅かされていきます。精神分析の分野では、それに代わるようなモデルは現れませんでした。精神分析の基本的な観念や無意識の研究は、その心理療法にも共通していたといえます。

ROSER 4 (Chip)

しかし、それまでの心理療法に疑問を投げかけたのはアーロン・ベック (Aaron Beck)です。彼はロシア系ユダヤ人の移民の息子でした。精神分析療法は人の無意識を掘り下げ、今生じている疾患を解消しようとします。他方、認知療法は人々が自身の経験をどう知覚しているかを検討することを重視します。ベックの認知療法は、その知覚がどれほど歪んでいるかを人々が認識し、その状況を評価するうえでの最も合理的だ様々な可能性を秘めた考え方を見いだす助けを示します。例えば仕事で地方への転勤話を持ちかけられたとき、「単身赴任はいやだ、家族は反対する。」と否定的な考えを口にしがちです。状況が不安や不幸へと導くとされます。しかし、転勤話をもっと合理的に考える道は、たとえばそれを挑戦の時とか自分の能力を発揮する機会だ、と前向きにとらえるのです。

認知療法は精神科医であるヴィクトール・フランクル(Victor Frankl)などによって発展されます。彼はアウシュビッツ収容所を生き抜き「時代精神の病理学」、「夜と霧」の著作でロゴセラピー (Logotherapy) を提唱します。ロゴセラピーでは、人は実存的に自らの生の意味を追い求めており生活状況の中で「生きる意味」を充実させることが出来るように援助することといわれます。

車社会の風景 その二十三 国鉄とモータリゼーションと路面電車

「車社会の風景」の最終回です。北海道育ちの私には自動車よりも鉄道に思い出が多くあります。親父が長年国鉄に勤務し、鉄道官舎での生活が続きました。官舎といっても長屋のようなものです。共同浴場には毎日行きました。美幌はそうでした。旭川鉄道管理局の大半が赤字路線となり次々と廃線に追いやられます。相生線が最初です。JR北海道に転換後も、深名線、天北線、名寄線、羽幌線、美幸線が廃止となります。最近では、留萌駅~増毛駅間が廃止となり、やがて留萌線が全線廃線となります。

地方の鉄道の衰退は「モータリゼーション」(motorization) によります。「車社会化」とか「自動車化」と呼ばれる現象です。モータリゼーションにはその下敷きとなった国有鉄道経営の実態があります。赤字経営のため度々運賃が値上げされますが、他方では労使対立による現場の綱紀の乱れやストライキや遵法闘争が起こります。それによって運行の不安定化を招き客の足が遠のくのです。親父は組合との交渉で相当苦労したようです。

こうして、地方における鉄道機関の衰退は加速します。鉄道は路線バスに替わります。タクシー業者は存在するものの、規模が小さく営業時間が短いという実情から日常の足として使用するには不便です。地域の公共交通機関において貴重な収入源となる生徒や学生ですらも、公共交通機関ではなく、身内や知人の車による送迎に頼ることになります。通勤や買い物もそうです。

私がかつて働いていた大学は、兵庫県の真ん中より少し南にありました。公共交通機関はJR加古川線ですが、無人駅から大学までは8キロもあり、1時間に鈍行が2本しか運転しません。学生の円滑な登下校には全く役立ちません。大学は広い無料の駐車場を用意し自動車による通学を認めています。そうでないと学生は集まりません。

このように過度に車社会化の進んだ地域では精力的に道路が整備されたにもかかわらず、通勤や帰宅ラッシュ時、登下校時間帯は道路の混雑が慢性的に発生しています。そのため路面電車が各地で復活しています。

車社会の風景 その二十二 「遊び」と「あそび」

人の一生は「遊び」に始まり「遊び」に終わります。誰も子供の頃は、ごっこ遊び、ビー玉、面子、パッチをしました。やがてサッカーや野球、スキーなどのスポーツをします。大人になると麻雀やパチンコ、飲酒や喫煙をし、高齢化すると囲碁や将棋で余暇を楽しみます。私は今、囲碁にはまっていて、八王子市内の二つの小学校で子供に囲碁の手解きをし、さらに二つのシニア囲碁クラブをお世話しています。

「遊び」を「あそび」と表記すると別な使われ方となります。それは「ゆとり」となります例えば、私たちが毎日乗る車にも「あそび」が組み込まれています。エンジンのスイッチから、ハンドルやブレーキ、アクセルの「あそび」です。急に曲がったり急に停まらないように、少しのゆとりが設定されています。自転車もそうです。この「あそび」は、命にかかわるほど大事な設計となっています。

ロジェ・カイオワ (Roger Caillois)という人が「遊びと人間」という本を書いています。この本には、「遊び」を面白く分かりやすく説明しています。カイオワは「遊び」は自由な活動であるといいます。誰かに強制されれば、遊びはたちまち魅力的で愉快な楽しみというものを失ってしまうのです。

「遊び」では先に結果が分かってはならないといいます。勝ち負けは時の運であり、やってみなければわからないところに「目眩」や興奮があるのです。「遊び」の中には参加者の創意や工夫があり、こうした自由が必ず参加者になければならないのです。

さらに「遊び」とは仕事とか職業ではないことです。パチンコをして少しは儲けても、それによって財産やお金を貯えても失ってもならないのです。「遊び」を商売とするのはいけないのです。ただ、カルタやビー玉のように参加の間で物が行き交うのは認められます。

おしまいに「遊び」は規則とかルールのある活動のことです。約束ごとに従うのが大事なのです。規則とは、いつ始まっていつ終わるとか、参加者になにかの役割があったりそれを交代するといったルールです。参加者は誰もが支え合っていくことによって遊びが成り立ちます。

車社会の風景 その二十一 自分でメインテナンスを

アメリカに車検制度はありません。そのせいでしょうか、走っている車には大分くたびれているのを見受けます。車というのは資産でなく、足だと考え走りさえすればよいのですから、自分でメインテナンスしたくなります。彼らは代々、自分で車の整備をやってきたので、その仕方を教わっています。オイルやエレメント、ラジエータ液の交換は初歩的なこと。ブレーキシュー (brake shoe) まで取り替える人もいます。当然ですが、整備の道具はガレージに備えてあります。古いオイルはサービスステーションで捨てることができます。

車の生命線ともいうべきブレーキのことです。ブレーキは「ドラム式ブレーキ」と言い、そこに装着されているブレーキパッドを「ブレーキシュー」と呼びます。ドラムブレーキは、ブレーキパッドをタイヤと一緒に回転するドラムの内側から油圧で押し付けることで減速します。長い間運転したり、高速時に急激にブレーキをかけたりすると摩滅します。このパッドを買って自宅で取り替えたり、ブレーキオイルを交換するというのですから相当のマニアです。この交換作業では二人がかりでやります。一人は運転席でブレーキを踏み空気を抜き、もう一人は車体の下にもぐり油圧ボルトを締めるのです。実に器用です。

自分でこうした作業をすることを「Do It Yourself (DIY)」といいます。自動車に限らず、家の内装や外装、配管、配線まで、できることは自分でやるというのが伝統なのです。ですから工具の種類と数は驚くほどです。ホームセンターの一つ、「Home Depot」という会社は住宅リフォーム、建設資材、工具類を販売しています。その規模は驚くほどです。自分で何かを作るとか修理する能力は非常に高いのは羨ましいことです。