二文字熟語と取り組む その31 「蹉跌」

河内名所図会_蹉跎山天満宮 f140605s97 17111「蹉」の音符は「差」で高低の違いがあり、蹉はものにつまずくことを表します。足と差から会意兼形声となり、ちぐはく、という意味となります。

「跌」は (1) ふみはずす、足をすべらす、(2) たがう、あやまつ、道理からそれる、という二つの意味がああります。 「蹉」も「跌」も同義語という「言葉の仲間」であります。

「蹉跌」はつまずく意から物事がうまく進まず、しくじることを表します。挫折。失敗。「計画に蹉跌をきたす失敗し行きづまることです。「蹉跌」には、時を失うとか不幸になるという意味もあります。なかなか難しい語です。

かつて大阪府北河内郡に蹉跎村というところがあったようです。どうしてこの町名がなくなったのかはわかりませんが、「蹉」と「跎」の字訓を調べたのだろうと推察されます。ですが珍しい地名が消えるのは少々寂しい気分になります。先達がどんないきさつで蹉跎村と命名したのかという考証が必要ではなかったでしょうか。ただ、今も枚方市立蹉跎小学校があるのは嬉しいことです。

二文字熟語と取り組む その30 「注進」

img_0 416804_137495110613155001761_600 789「事変を注して上に申し進めること、大事を急いで報告すること」と広辞苑にあります。「注進」は告げ口という含みを持って使われることもあります。発言や報告に対して非難する意味合いでも用いられます。

現在、「注進」の語を使う表現はあまり報道などでは聞かれなくなりました。その理由の一つですが、土地やその状況を調査し、その明細を注記して具申したものが「注進状」と呼ばれていました。それが見られたのは平安時代後期から室町時代にかけてということです。相当古いものですから聞かない訳です。

最近では、自分の意見に反論しない「イエスマン」で周囲を固め、知人などを通して二人の弁護士を特別調査委員に任命し、裸の王様になってしまった首長がいました。自分が裸だと気づかない、周囲にそのことを指摘する人間を置かなかったので「注進」するような調査はできなかったのです。「事件」はすっかり迷宮入りとなりました。大事な税金の行方をうやむやにしていいのでしょうか。ほくそ笑むのは一体誰でしょうか?

二文字熟語と取り組む その29 「字統」

38053_M denpou_4 429再々度、白川静氏の著作についてです。「字統」という余り聞き慣れない辞書があります。「字源の解明を試みた書」とあります。漢字の構造を通じて字の初形と初義とを明らかにし、字源の字書である「語史的字書」であると著者は述べています。

今回の二字熟語は「伝法」です。「デンボウ」ともいわれます。字統によってその語源を調べてみましたが、なかなか面白いです。まずは「伝法」の意味です。次の四つから成るとしています。
1) 仏法で師から弟子に伝えること
2) 江戸浅草伝法院の下男などが寺の威光を頼んで、無銭で芝居や見世物などを見物する無法な振る舞いをした
3) 悪ずれして乱暴な言行をすること、無頼漢、ならずもの
4) いなせな態度、特に女が勇み肌をまねること

4) の意味から「伝法な口をきく」というフレーズが生まれます。男の言行をいうフレーズではありません。

「伝」という漢字は、「故郷を棄てて四方に仕官を求め、諸国を歴遊すること」とされます。やがて馬車を乗り継いで歩くさまから「駅伝」という語が生まれます。

「法」は犯罪者を海に投げ入れる古代的な刑罰の法を原義とするようです。刑罰の法、法則、法制を示し、法、規範の意となります。

二文字熟語と取り組む その28 「奢侈」

o0600030012358060995 U7526P1503DT20131105164153 32098837_main_l「奢侈」には二つの様があります。第一は、度を過ぎて贅沢なこと、第二は身分不相応な生活をすることです。「奢侈に流れる」とか「奢侈な生活をする」といった具合です。

「奢」は訓読みでは、「おごる」とか「おごり」となります。「侈」は、もともとは、「居の周囲をめぐらす土堤のことで、他を侵し奢る意象の字」とあります。尊大を装って他を誇る、という意味です。意味を分解しますと、1) おごる、ほこる、他をあなどる、2) 多い、大きい、広い、はる、3) ほしいまま、みだら、度を超える、4) ひらく、はなれる、ほりがない、という意味だそうです。

「奢」に似た語に「傲」があります。「どちらも呪能を争うもので、奢るというのは本来は呪力を争う呪的な性格の語」とされます。必要程度や分限を越えた暮らしをすることが「奢侈」。

ついでですが、「贅沢」という語です。贅沢の「贅」は、お金に代わって使用する宝貝の「貝」に「余分」「有り余る」を意味する「敖」で、余計な財貨が有り余っていることを表した会意文字とされます。 贅沢の「沢」は、たたえた水を表し「つや」や「うるおい」を意味します。

おごっていてぜいたくなことが「驕奢」という語です。いずれも屋上屋を重ねる熟語です。それほど「贅沢三昧」をすることを表現しています。なんでもかんでも経費で落として「奢侈」や「驕奢」を楽しむと「贅肉」がつくのは請け合いです。

二文字熟語と取り組む その27 「字訓」

jikun IMG_Jukugo5m 53904533「字訓」という辞典ですが、読み物としても実に興味ある内容で一杯です。白川静氏が生涯をかけて完成した著作の一冊です。「漢字を国語として使用し、その訓義が定着する過程を検証する書」です。「訓義」とは訓として使われる意味のことです。もとより「訓」とは音訓の訓のことです。字訓が国語表記の方法として一般に認められ定着するとき、その字は「常訓」というのだそうです。

こうした訓義が定着すると字音の使用が可能となります。山川、森林、広大、など字音のまま国語化されていきます。訓義によって字の意味を理解すると漢字を国字として理解することが容易になります。字訓の成立が国字の鍵となるというわけです。

次回に紹介する「奢侈」という語です。「奢」は人の正面形で人が他を越える様です。そこから自分の地位や才能が人よりすぐれているとして、他に向かって誇る、高ぶっていることを表すというのです。「ぜいたくをする」という意味もあります。「侈」の訓読みは「おごーる」、「ほしいまま」。詳しくは明日のブログをご覧ください。

二文字熟語と取り組む その26 「悋気」

hinotama_R Ch8MViXUkAAFp2u i320「悋気」とは通常「やきもち」といわれます。囲碁にも「やきもち」がしばしば登場します。相手の地盤に石を打ち込んで地を減らそうとしますが、逆に損をしたり召し捕られるという手、これが「やきもち」。「悋」の意味は、やきもちを焼くということです。

「悋気」は囲碁のやきもちとは違い、男女の間のやきもち、嫉妬を意味します。落語の定番が悋気です。悋気の演目としては上方落語の「悋気の独楽(こま)」や「悋気の火の玉」、「締め込み」などがあります。いずれも本妻とお妾との間で、うろうろする商家の旦那を可笑しく演じるのです。「悋気の独楽(コマ)」では、丁稚や女中が本妻の指示で旦那の後をつけるのです。「悋気の火の玉」では、本妻と妾が相次いで亡くなり、お化けや火の玉となって現れれ、旦那をおちょくる噺です。「締め込み」は間男を疑う旦那がコソ泥から真実を教えられて夫婦喧嘩が一件落着となる噺です。桂文楽名人の芸は悋気を見事に表現しています。

「悋」の訓読みは、「おしむ、ねたむ、やぶさか」とあります。「吝」とも書きます。物惜しみをすることから「悋嗇」という熟語がうまれます。細かいとかけちけちする事です。政治資金流用疑惑は、「吝嗇」ということに尽きるでしょう。

二文字熟語と取り組む その25 「睥睨」

o0720044913345472128 cropped-lgf01a201405192000 img_4この熟語は目偏から成る似た意味の語を並べてあります。「睥」はからだを低くかがめてのぞくこと、「睨」も子どものような目つきで下から睨(にらむ)ことを意味します。「邪めに見るなり」ともあるように、斜めに物を見ること、横目で見る、にらむという意で用いられます。古くは城の上の垣根も「睥(膰)睨」と呼ばれていたようです。高い所から敵をうかがい、隙あらばとにらんでいる様子が現在の使われ方に転じたと「字訓」にあります。

以上、要約しますと「睥睨」は二つの意味があります。
1  にらみつけて威圧し勢いを示すことです。 その例は「あたりを-する」といった按配です。
2  横目で,じろりと見ること。また,にらみつけることです。流し目に見ることという意味でもあります。

昔から、示威的態度とか 高圧的姿勢は国と国、人と人との間で使われた戦術です。従わせるために脅しとか睨みといった具合に権威を誇示するのが世の常。今日は1945年6月23日に沖縄戦が終結し、それを記念する慰霊の日です。

二文字熟語と取り組む その24 「贔屓」

37b39fb9 e2978b0fe1734cf34d50f196ff147371 贔屓-3「贔屓」は貝を三つ合わせて、重い荷を背負う形を表します。「贔屓」の読みは本来「ひき」であったとあります。古来、贔屓は「力をおこす」とあり激しく怒って力が入る様をいいます。屓とは、鼻息を荒くすること、鼻息を荒くして力み、力を込めという意味です。中国では碑文の石の下で支える形に彫られた亀を「贔屓」と呼ばれます。その謂われはわかりません。

「贔屓」もう一つの意味は「ひいき」です。声援する意となります。熟語の「依怙贔屓」は、広辞苑によれば「自分の心のひくほうに力を添える、殊に目をかけ力を添えて助けること」とあります。頼りとする者、パトロンのことです。度が過ぎて一方だけに肩入れする意味に転じています。

「判官贔屓」は、「ほうがんびいき」と呼ばれ、「義経がいじめられた」ことがこの熟語の成立の根源となったとされます。弱きを助け強きをくじくという言動に対して喝采をおくる同情や哀惜の心情のことです。この態度は同時に、敢えて冷静に判断して理非を正そうとしない、かなり軽率な同情という形をとることが多いようです。

「贔屓の引き倒し」というフレーズもあります。「贔屓」の「ひき」から「引き倒し」の「引き」と掛けられています。「贔屓」をし過ぎると周りからの反感を買い、かえってその人の迷惑になることです。

二文字熟語と取り組む その23 「独活」

udo d0013670_21153881 2688北海道から九州に至る日本各地に自生するのがウドです。中国や朝鮮にも広く分布するといわれます。美幌や名寄にいたとき、山菜採りでウドも持ち帰りました。岡山の友人から自生のウドが送られてきます。今はウドを探すのは難しいといっています。

多摩の立川や国分寺、小平付近でウドが生産されています。地下3メートル位に室を堀り、そこで育てる方法です。光を当てずに茎を白く伸ばすのです。関東ローム層や温度、湿度がウドの生育に適してるというのが生産者の談です。それが東京特産の「東京うど」、江戸伝統野菜となっています。

山菜のウドはタラノキと同じウコギ科。英語ではAraliaといいます。どちらも若芽は天ぷらとして料理されます。その他、ぬた、茹でたものを酢味噌で和えるのも美味です。あまり大きくなると食用になりません。高さ1.5メートルにもなりますが、茎が柔らかく弱いので建材にはなりません。「ウドの大木薪にならず、山椒は小粒でぴりぴりと辛い」という言い回しがあります。

ウドを人間に喩え、「図体はでかいが中身が伴わず、役に立たないもの」というのが良く知られています。ウドは古来の用字で「独活」と書きます。「字通」や「字源」には出てきません。

二文字熟語と取り組む その22 「恬淡」

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今回は「恬淡」という熟語です。欲が無く、物事に執着しないこと、また、そのさまです。無欲であっさりして、名誉や利益などに執着しない状態です。「名利に恬淡な人」という使い方です。

「恬」の訓読みは「やすらか」とか「やすんずる」といいます。 平気でいることとか平然としているさまを意味します。部首のとおり心の状態を表します。「淡」はあわい、うすいという状態です。

「虚静恬淡」という四文字熟語があります。静かで落ち着いていて、欲がなくわだかまりがないことという意味です。「無欲恬淡」も似たような意味で「淡泊で欲がなく、物に執着しないさま」といわれます。同じ読み方で「無欲恬澹」という熟語もあります。「恬然」もよい響きをもっています。