ウィスコンシンで会った人々 その7 卒業パーティ

娘の卒業式とパーティに出掛けてきた。パーティの案内状はもちろんRSVP(request for response)となっていて「お返事をお待ちしています」とある。案内状には小さく「No Gift」とも印字されている。50名の出席予定となった。ところが当日は60名を越える人が集まった。出席と答えた友人が別な友人や家族などを誘ったらしい。途中で急ぎ料理を追加注文することになった。

パーティといっても司会者がいて、いろいろな挨拶があるわけでない。乾杯の音頭もない。立食であり三々五々集まり、食べて飲んで会話して、疲れたら座り、好きなときに帰っていく。服装もまったく自由。結婚式のパーティとは違い、個人のパーティとはそんなものだ。

話の中心は当の娘と家族である。彼女たちを囲んで他愛もないことを会話している。彼女は一通りすべての参会者と会話したらしい。小生も50年振りと20年振りの友人夫妻を招いた。いずれも我が家にとって留学の際に大いにお世話になった方々である。もう一組の友人も参加してくれた。家内の終末を看取ってくれた方である。

パーティには親子連れが目立った。娘は小さい子供たちのためのコーナーをつくり、そこにおもちゃ、折り紙、絵本などを用意していた。皆勝手に遊んでいた。孫娘は折り紙で周りの子供にツルの作り方を教えていた。作ったものはもちろん持ち帰える。

日頃のお付き合いに感謝するのがこうしたパーティである。これも「おもてなし」のアメリカ版といえようか。

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ウィスコンシンで会った人々 その6 病院や学校や図書館を明るく

最近、「ポルトガル、ポルトの訪ね歩き」という番組で子供病院のことが紹介された。そこに病院の廊下や待合室、病室にタイルを貼ってきたという職工が登場した。タイルを組み合わせて動物園、植物園、公園などが描いてきたのだという。この職工は修理にやってきたようだ。

タイル画についてインタビューに答える患者の付き添いらしき人が、こぞって「病院内が明るく楽しい雰囲気となった」という。大人だけでなく、子供の情動をも高揚させるようでだ。むべなるかなと思うのである。真っ白な壁で囲まれ清潔な内部に接すると、「果たしてこの病院では病気は治るだろうか」と自問する患者が多いのではないか。病気は体や心、感情が一体となっている。不安を持たせてはいけない配慮が大事だと思うのである。

わが国の学校のことだ。冬は寒く夏は暑い。廊下には雑巾がづらりと並び、弁当箱の袋などがぶらさがっている。まるで刑務所かどこかのような雰囲気がある。画一的な造りで、子どもをワクワクさせるような設計とはなっていない。トイレも相変わらず和式で薄暗く匂いが漂う。もう少し明るく楽しさを醸し出すような雰囲気を出せないものか。もっとも大分改善はされ明るくはなってきている。

図書館もそうである。時々親子連れがやってくる。背負った乳飲み子が泣きじゃくり館内に響く。母親はいそいそと閲覧室からでて赤ん坊をなだめている。どうして公共の図書館には授乳室や遊戯室がないのか。親子連れには不親切で配慮が足りない。幼い子供を連れた母親や父親は、図書館で育児をしばらく離れてゆっくり、読書をしたいのではないか。若い親と小さな子供の図書館離れは不幸なことだ。図書館は本を借りる場所だけではない。子供を育てるところなのだ。

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ウィスコンシンで会った人々 その5 母親も父親も教育で忙しい

日本でもアメリカでも子供の教育に熱心である。だがその違いは面白い。日本では、子供達は夕方から夜にかけて塾通いするのが多い。アメリカでは夜は子供を学ばせない。都内では「働くママの教育塾過剰」という現象が生まれている。「幼児教室はアフター6」というのが流行りつつあるようだ。

フルタイムで働く母親は午後5時から6時にかけて仕事を終え、その足で保育所や託児所に子供を迎えに行き教室にくる。子供は8時まで学ぶ。その間、夕食の買い物、準備、洗濯や掃除をするので、この時間は貴重だ。送り迎えや食事の支度に関しては、夫の存在は全く影が薄い。

ウィスコンシン(Wisconsin)のマディソン(Madison)では音楽やスポーツをやらせる家庭が目立つ。小生の長男には16歳と14歳の息子がいる。その長男はヴァイオリン、そして陸上競技をやっている。特に中距離で州の大会にでるくらい頑張っている。ヴァイオリンは、ボストン交響楽団の少年オーケストラクラブで弾いている。次男はもっぱらサッカークラブで活躍している。その間、ピアノの個人レッスンを受けている。

土曜日はボストン(Boston)での少年オーケストラの練習がある。長男が送り迎えしている。大学で教えているので朝食作りは長男の仕事となっている。妻は小学校の教師をしているが、5時には帰宅できる。残業などは全くない。

次に娘達である。次女の長女にはピアノとヴァイオリンを、その妹には体操とサッカーをやらせている。特に次女の体操は週2回、1回2時間という長さだ。学習のことは、長男も次女も気にしていない。もっとも、マディソンには教育塾はない。長女の一人っ子はまだ2歳半なのでもっぱら一緒に遊ぶことに専念している。旦那の出勤は朝6時、そして2時に帰宅する。それを待って長女は経営する洋裁店で7時まで働く。息子の朝食と昼食は長女が、夕食は旦那というように役割が決まっている。

次女の家庭に戻る。朝娘二人に朝食を食べさせ弁当を作り学校に送りだす。次女は6月よりフルタイムでの看護婦業であるが、夕方5時には家に帰り夕食を作る。彼女の旦那は朝6時に自転車かバスで職場へ行き、帰宅は3時である。従って二人の娘の音楽や体操の送り迎えを担当する。

妻と夫はこのように出勤時間をずらすことができるので、どちらかが放課後の活動に子供の送り迎えや買い物や食事の準備ができる。マディソンやその他の都市でも早朝出勤は当たり前なので、夫婦が育児を心配なく一緒にできるのである。

IMG_0843  右から二人目が孫娘のLilianIMG_0852  左側が孫娘のSophia

ウィスコンシンで会った人々 その4 大学選び

5月の卒業式も終わり、アメリカの大学構内はしばし静かな時が漂っている。ツタの枝葉が建物をはい、芝生の木々の緑が眩しい。構内をグループで歩いているのは、周辺からやってきた高校生。院生に引率されて9月からの入学に備えて建物やその歴史の説明を受けている。看護学部をでた娘も6月よりフルタイムの仕事が待っている。

アメリカ留学とか大学選びについてはごまんと紹介本がある。体験談に基づく本の中には、自分の子供がいかに猛勉強したか、優秀な成績で卒業したとか、親として相当投資したといった自画自賛のような内容で溢れ、途中で閉じたくなる。留学とは、学位を取得するのが目的の学びのことである。「語学留学」というのは「語学遊学」のこと。短期間の遊学は語学を磨く上で全く効果がない。

アメリカの大学はピンからキリまである。なにもハーヴァード大学(Harvard)やエール大学(Yale)のようなアイヴィーリーグ(Ivy league)だけが優秀なのではない。こうした大学は研究中心の大学で秀でている。学部から行くのはあまり推薦しない。日本の4年制の大学でみっちり勉強してから出掛ける。

4年制大学の学部選びは、懇切丁寧な指導を受けることができるか、という物差しで考えることだ。多くの大規模な州立大学や私立大学では劣等感や疎外感をもつ。なぜなら留学生は大勢の新入生の一人でしかなく、孤立することなる。相談する人がいないとストレスがたまり、勉強が遅れていく。こうした孤立感を避けるには、小規模の大学を選ぶことである。友達もできやすい。学業の合間に文化系の部活をやることによって、より語学を磨くこともできる。

もしアメリカの大学で学士号を取得したら大学院へ行きたくなる。その理由は、アメリカの大学はそういう磁石のような力を持っているからだ。当然大学院での学びに自信がついたからである。もちろん就職のためにも修士号は有利である。給料が当然違う。日本において修士号や博士号は一般にはあまり尊重されないのとは対照的である。

アメリカの生活には相当の資力が必要だ。大学の寮に入るとしても授業を含めて年間4万ドル、500万円位必要となる。奨学金を得ることは至難の業であるからはじめから諦めることだ。大学院では奨学金の途は拓けてくる。大学院を志望する場合は、日本で相当の預貯金を用意してから出掛けるのが賢明である。アメリカへ行けば何とかなる、などという見通しは全くの幻想である。

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ウィスコンシンで会った人々 その3 「お口に合いましたでしょうか」

そう沢山ではないが、いろいろな航空会社を利用して旅をした。思いもよらないことが機内で起こったことが何度もある。生温い珈琲を飲まされたり、服に水をこぼして無頓着のフライト・アテンダントもいた。忘れられないのはこうしたハプニングの後の対応が冷淡だったことだ。

機内のフライト・アテンダントとかキャビンクルーの業務は繰り返しである。マニュアルがあり、その通りにこなすことが要求されるのだから、さして仕事に工夫は必要ない。あとはアテンダントの性格や仕草が少しは反映される。それにひきかえ作家、音楽家、画家などの芸術家はマニュアルのない職業といえる。己の動機や資質、そして表現力が欠かせない。

教師だが、同じ内容のことを毎日、毎週生徒や学生に向かって伝えている。虎の巻がある。幸いに教え方の工夫は教師の資質が加わる。大学では用意した資料は毎年学生が違うのだから、そのまま使える。教師の端くれとして、こんな楽な職業はないと思ったことが何度もある。しかし、大学が法人化され運営交付金なるものが減ってくるにつれ、それまでのような生温い研究や指導に危機感がでてきた。職階による研究費の自動配分が実質無くなった。そのためそれまで眠っていたような教師が、尻を叩かれて科学研究費補助金を申請し始めた。

フライト・アテンダントのことに戻る。国際線の乗客は様々な人種や年代の人で一杯だ。300人も400人も乗る狭い機内に皆は暫しの忍耐を強いられる。乗客は一回のフライトだが、アテンダントにはフライト後は二日の休暇はあっても、また同じ仕事が待っている。時差ボケと体調管理はさぞ大変だろうと察する。

今回の旅行で始めて経験したことがある。それはアテンダントが食事の後、「食事はお口に合いましたでしょうか」と訊いてきたことだ。このなにげない一言は、大きな驚きであった。食事の内容は、もちろん何千円もするようなものではないが航空会社は、相当自信をもって用意していることがこの一言に込められているような気がする。

かつてフライト・アテンダントはスチュワーデス(stewardess)とかスチュワード(steward)と呼ばれていた。 「The steward of God」というフレーズが新約聖書の「テトスへの手紙」などにある。もともと 「steward」とは仕える者、僕、執事、世話役という意味である。アテンダントの口から出た言葉、それはマニュアルにあるとは思えない。今や消えたような 「steward」を考えながら、アテンダントの一言が「おもてなし」なのか、と感じ入ったのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その2 「ヴァンクーヴァー朝日」

長い飛行機の旅の楽しみに機内での映画を観ることである。葡萄酒を飲みながらしばし退屈な時間を楽しむ。今回は4本を見ることができた。その内の一本が「ヴァンクーヴァー朝日(Vancouver Asahi)」という佳作である。

戦前、北アメリカの西海岸沿いに多くの日本人が移住していった。カナダへの移民は、1877年にブリティッシュ・コロンビア州(British Columbia)に渡ったのが最初といわれる。移民の多くは製材業、農業、漁業に従事した。西海岸は豊かな天然資源に恵まれているところである。だが、苦しい移民生活を強いられたことも事実である。それは移民につきものの人種偏見や差別である。そのことを題材とした小説に「ヒマラヤ杉に降る雪(Snow Falling on Cedars)」というのがある。この小説を書いたのはガターソン(David Guterson)。1995年にフォークナー賞(Faulkner Awards)を受賞している。フォークナー賞はアメリカの小説家、William Faulknerを記念して作られた賞だ。ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)と並び称される20世紀アメリカ文学の巨匠といわれる。

「ヴァンクーヴァー朝日」だが、このタイトルは日系カナダ移民の二世を中心とした野球チームのことである。このチームは1914年から1941年までヴァンクーヴァーで活動していた。チームの監督は、ハリー・宮崎である。宮崎はブリティッシュ・コロンビア州の各地から選手を集め、小さい体格の選手に堅い守り、バントやエンドランなどの機動力を植え付ける。こうしたプレイは「Brain Ball」、頭脳的野球と呼ばれた。この戦術を駆使して地元のチームを破っていく。

頭脳的野球の他に、監督の宮崎は選手に対して、ラフプレーを禁じ審判への抗議も一切行わないよう指導した。人種偏見の強かったブリティッシュ・コロンビア内で、日系人と白人との軋轢を考えての対応だったと思われる。こうした真摯な野球に対する姿勢が白人の共感をえて、彼らも朝日を応援するようになっていく。そして朝日は1926年にリーグで優勝を果たし、その後1930年と1933年にもリーグ制覇を打ちたてる。

だが第二次世界大戦が始まると、選手も含めて日系カナダ人は、戦時捕虜収容所や強制収容所などに送られ朝日はチームとしての歴史を閉じる。

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ウィスコンシンで会った人々 その1 古いミシンのこと

短い旅をウィスコンシンで楽しんできた。いくつかのエピソードを紹介したい。

長女はマディソン(Madison)のダウンタウンで洋装店を母親から継いで経営している。彼女のパートナーは日系米国人で、葛飾は柴又の出身である。店はウィスコンシン大学と州議事堂との中間にあってState Streetという最も人気のある通りに面している。人通りが多くひっきりなしに客がやってきて、洋服の加工や修理を依頼していく。丁度卒業式のシーズンなので華やかなドレスやガウンの修繕で大童である。

店内には誠に時代物のようなミシンが三台ある。どれもBERNINAというスイス製のものだ。その一台は100年前のものだというが、今も立派に現役である。洋服の修繕だが、客は昔の洋服も大事に使うようで持ち込んでくる。「まさかこんなものが、、」というのもあるという。こうした客は、金持ちや立派な職業についている人だというのだ。古い洋服でも愛着が強いのだろうとこのパートナーは語る。貧乏人は安い者を買い、古くなればすぐ捨ててまた新しい安物を購入するのだと。

洋服の修繕業はアメリカでは廃業することはないだろうという。こうした古いが質の良いものを購入する人が多い限り、洋装店は立派に生業をたてられるという。日本では修繕業はなかなか大変だと云われる所以は、安いものを買い換えることが多いせいだろう。

同じことは家具についてもいえる。最近は安い家具を揃えた店があちこちで増えている。高価な家具はなかなか売れないようである。そんなこともあってか、新聞紙上で大手家具店の経営が話題になった。住宅の造りも変わり、クローゼットつきのマンションやアパートが多くなったので、家具の置き場がない。そのため高価な家具は売れないのだそうだ。結局合板の安く小さな家具を購入する。

衣と住の購入の変化が著しいのは、生活様式の変化と消費社会の流れによるものだろう。だが良いものは結局すたれることはない。

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Big History その11 宇宙の進化と論争

宇宙の進化に関しては、いくつかの理由で論争が生まれてくる。進化ということについては、生得的にそれを誹謗する者が現れる。例えばファンダメンタリスト(fundamentalist)と呼ばれる宗教者である。あらゆる現象は神の摂理にある業と考える人々である。ファンダメンタリストとは、保守的な宗教上の指導者のことを指す。宇宙の進化は宇宙と人類の起源を説明するものであるが、人間の情動性をかき立てることになる。進化の理論は、伝統的な生命に関するテーマに挑むものだからである。進化の理論は変化を要求する。多くの人々はそれを嫌悪したり不信感を抱いたりする。だが進化の概念に関する幅広い解釈は歓迎されてきた。

進化とか分化という自然の現象は、一定のきまりに従って起こる因果関係
(cause and effect)で、この因果は自然の出来事同士の間で成り立つ関係と考えられる。超越的なものとの関係ではないとれる。ニュートン(Isaac Newton)の物理学あたりからようやく因果は科学上の法則として学問的な形をとるようになったと考えられる。自然現象がいかに複雑であっても質点の運動として数学的な法則に従って行われるとされる。それゆえ力学的に記述されるという。

因果であるが、天体においてある出来事Aが起これば、続いて必然的に次の出来事Bが起こる。これは天体運動の軌道計算によって知ることが出来るように、数学的な計算によって正確に予測できるとする。この考え方は「決定論的自然観」(deterministic view of nature)と呼ばれる。しかし、こうした決定論に対して反論したのが18世紀、イギリスの哲学者、ヒューム(David Hume)である。ヒュームは、必然的な因果関係というものは元来ありえない。ただ、同じことが何度も起こったとき、人間はそのような起こり方に必然的な因果関係があると思い込む傾向があると主張する。因果というものは、人間の主観や信念の産物なのだという。こうした考え方は、一般に経験論(empiricism)の底流となっている。

だが、時間と空間という絶対的な記述上の枠組みによって、物理的な現象は必ず「ある時」、「ある場所」で起こることが定説となり経験論は廃れていく。

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Big History その10 宇宙の進化

WikipediaからBig Historyについてのサイトの訳を引き続き紹介している。大邱教育大学校の西洋史の研究者、Dr. Bae教授からBig Historyを紹介されて触発されている。「現代の科学哲学」という本も傍らにおきながら、科学とはそもそもどのような学問なのかを考えている。

宇宙の進化(Cosmic evolution)は宇宙に関する科学的研究の分野のことである。Big Historyはまさにそうである。宇宙生物学といった分野も関連する領域である。ある科学者の中には、宇宙の進化はBig Historyよりも広大なものであると云う者もいる。Big Historyは主として科学的歴史的な旅を究明する分野である。それはBig Bang—>天の川—>太陽—>地球、そして人類の起源という道のりである。

宇宙の進化はあらゆる複雑なシステムを取り扱う。宇宙の生成から人類に至る過程だけではない。このシステムは宇宙史とか宇宙の歴史(Universal history)とかと呼ぶべき分野で天体学者や天体物理学者によって研究されてきている。

Big Bangから人類に至るシナリオは、きわめて精緻に組み立てられており、1990年代からはBig Historyと呼ばれるようになった。宇宙の進化は英知を集めた枠組みを有し、多くの変容を壮大な角度から説明されてきた。そして、宇宙の歴史を通して放射線とか天体現象、生命の集合や合体などが説明されてきた。

人類は、いつどこからきたのかという時間に対する崇高な問い(time honored queries)である。この学際的なテーマは、諸科学を統合する試みでもある。自然の歴史という全体性の中で包括的な科学的な説明として、あらゆる現象の起源や進化を140億年前に遡り説明するのである。言い換えれば宇宙の起源から地球の現在に至るまでの時間を説明するのである。

宇宙の進化という考え方のルーツは、2000年以上もの前に遡る。古代ギリシャの哲学者ヘラクレトス(Heraclitus)が「万物は流転し自然界は絶えず変化している」と考えた。だが、宇宙に関する現代の推理は19世紀後半に始まった。Robert Chambers, Herbert Spencer, Lawrence Hendersonなどがその先駆者である。20世紀の半ばになると宇宙の進化というシナリオが研究上のパラダイムとして普及する。そして星雲、星、天体、生命に関する実証的な研究となっているく。こうして物理学、生命科学など文化的進化をいわば綜合する広がりを持つ学問分野となっていくのである。

Harlow Shapleyは、20世紀中盤にこうした学際領域を”Cosmography”と提唱するのだが、広くゆきわたるきっかけは、NASAが20世紀後半に、限定的ではなったが「宇宙生命学プログラム」の一環として取り組み始めたことである。同じ頃、Carl Sagan, Eric Chaisson, Hubert Reeves, Erich Jantsch, Preston Cloud、その他の学者が宇宙の進化を華々しく提唱していく。それは1980年代頃である。

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Big History その9 「革新的な変容」

WikipediaからBig Historyについてのサイトの訳を紹介している。

これまでの歴史学は、賢くなった人間が先の尖った槍をが作り、それを別な人間が複製するというような継承の過程を説明するのだという。しかしBig Historyは、そうした穂先を持つ槍は偶発的な産物であり、自然の進化の過程でそうした道具によって賢い狩猟者が生まれてきたのだと考える。たとえ人類がそうした発明をしなかったとしても、やがていつか発明するはずだと考える。

Big HistoryはBig Bang以来の138億年の間に繰り返し起こったパタンを発見しようとする研究分野である。こうしたパタンの一例だが、「混沌性が創造性を引き起こした」(Chaos catalyzed creativity.)と考えるのもそうである。隕石によって恐竜が絶滅したというようなパタンを発見することである。

Big Historyでは異なる時間軸を使い、人語、生物、宇宙などの成り立ちにまつわる類似性や相違性を「時間軸上のゲーム」(the play of scales)という手法を使って比較することができるとマクワリ大学のクリスチャン教授はいう。クリスチャン教授はこのような「革新的な変容」(radical shift)によって自然や生態学上の論争から環境や自然の変化について、新しい展望をもたらすと主張する。

「革新的な変容」の考え方は、人類の存在がいかに変化したかを説明しようとする。さらに人間という要因とか自然という要因から、例えば自然の過程は40億年以上も前に起こり、その例として星の爆発などによって鉄分が生成され、それによって人間は硬質な金属を作り、狩猟や戦の道具を作り上げることができた。

「革新的な変容」によれば、次のような問いがうまれる。
「我々はどのようにして今日に至ったのか」
「いかにしたら信じることができるかを決めることができるのか」
「地球はいかにできたのか」
「生命とはなにか」

こうした「革新的な変容」の考え方は、科学上の主要な認識の枠組(パラダイム: paradigm)において壮大な旅へと我々を誘うのだという。「革新的な変容」という仮説は、学生が科学上のリテラシーを分かりやすく理解するのを手助けする。

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