旅は道連れ世は情け その3 車がスピンしたとき

1979年のウィスコンシンの真冬、零下20度の日が何日もありました。マリブを運転していたときです。路面が凍結している時間帯でした。アメリカの高速道路は、大きく分ければインターステイト(Interstate: IS)とUSハイウエイ(US Highway)の二種類があります。両方とも日本の高速道路にあたります。高速料金はありません。両方ともは四車線で雑草と芝の広い中央分離帯があります。

当時、ISの制限速度は65マイル、USのほうは55マイル位です。USを走っていたとき、突然車がスピンしてブレーキが効かなくなりました。強く踏みすぎたためです。そのときスピンした方向とは逆にハンドルを回した記憶があります。路上で一回転してようやく停まりました。幸い前後に車はありません。心臓が止まるほどの経験です。気持ちを切り替えてゆっくりと車を回転してその場を離れることができました。後続車がいたら大変なことでした。

こうした冬の運転の反省ですが、第一は冬の路上は凍結していることを忘れないことです。交通局のようなところは、夜中に砂と塩化カルシウムの混じった融雪剤を散布します。それでも体感温度が下がって路上が凍結するのです。昼間気温が上がり、夜は零下に下がるので溶けた雪は凍るのです。

第二は制限速度より20%下げて運転することです。スピードの出し過ぎほど怖いものはありません。スノータイヤでも凍結している路上ではどうにもならないのです。

第三は昼間でもライトをつけて走ることです。バッテリーは走行中に充電されるので、節約する必要は全くありません。夜、交差点でライトを消す習慣はアメリにはありません。

第四はブレーキをこまめに踏むことです。これによって滑りを防ぐとともに、ブレーキランプで後方車に自分の位置や車間距離を知らせるのです。

厳冬の時、野外に長く駐車しておくとバッテリーの能力が極端に低下します。”Battery is dead.”と呼ぶ状態です。ですからバッテリー・チャージャー・ケーブルを持参しておくことも大事です。零下が続くときは、夜は車からバッテリー外して翌朝に戻して運転することもありました。

my-take-madison-wisconsin-lady-liberty-1172013-12616_horiz-large  Lake Mendota, Madison586RecreationArt   Lake Drive, UW

文化を考える その2 文化とは

前回は佐伯泰英の時代小説を読みながら「文化」の一面ということを考えた。吉原という共同体は固有の生活様式で統合されており、他の文化からの基準ではこの共同体を理解することは困難だということをいいたかった。相対化という視点でこの共同体における生活内容や人々の行動様式を問うていく必要がある。だが結構難しい話題である。

文化の定義めいたことである。文化には二つの意味がありそうだ。第一は優れた芸術、学問、技術、それが醸し出す上品な雰囲気のようなことである。第二は受け継がれていく人間行動のパタンや価値観としての文化ということである。広辞苑によれば「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果、衣食住、技術、学問、道徳、宗教、政治など生活形成の様式と内容」とある。文化とは概して好ましいもの、望ましいものと考えられてきた。その例として、以下のように「文化」がつく単語がある。

文化国家、文化庁、文化勲章、文化都市、文化村、文化広場、文化センター、文化功労、文化の日、文化映画、文化財、文化革命、文化圏、文化保存、あげくは文化住宅、文化風呂、文化食品、文化鍋、文化包丁などである。うさんくさい響きの単語だが「文化人」というのもある。

広辞苑はさらに、文化に対峙する単語は「自然」とある。なるほど、ドイツ語の Kultur や英語の culture は、本来「耕作」、「培養」、「洗練」、「教化」、「産物」という意味であり、人間が自然に手を加えて形成してきた成果といえる。

人が作ったものが文化だとして、すべての文化が人間を幸せにしたということではない。人は文化によって苦しみ、虐げられ、死に追いやられてきた事実も限りなくある。原発、武器、戦争なども文化そのもの、あるいは文化の所産といえまいか。

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