ユダヤ人と日本人 その14 「屋根の上のヴァイオリン弾き」 その2 イディッシュ文化

「屋根の上のバイオリン弾き」はもともとは「テヴィエと娘たち」あるいは「酪農家テヴィエ」という劇作であることは前回述べた。さらに「アシュケナジム」が東欧に住みついたユダヤ人の呼称であることも記した。こうした人々が作り上げた文化がある。それがイディッシュ文化(Yiddish Culture)である。

Wikipediaによると、イディッシュ文化はドイツ以外のドイツ語圏の方言であるイディッシュ語を母語とする人をはじめとする文学・音楽・演劇などとある。9世紀から12世紀にかけてラインラント(Rheinland)と呼ばれるライン川沿岸の一帯を指す地方に興り、11世紀以上の大規模なアシュケナジムのポーランドやリトアニアへの移住により、このあたりがイディッシュ文化の中心となったといわれる。

「屋根の上のバイオリン弾き」に戻る。この作品にはウクライナ地方の村でユダヤ人家族が助け合った生きる姿が描かれている。作家ショーレム・アレイヘムはユダヤ教徒の純粋さを描いてユダヤの同志愛の必要性を促したともいわれる。離散した民族がいかにして幸福な生活をおくることができるかは、ユダヤ人としての誇りや文化を大切にすることであることをアレイヘムは訴えたかったのだろう。

アレイヘムは、イディッシュ語をその文化の中心に据え、この言葉こそがユダヤ人の言語であると熱心に喧伝した。ヨーロッパの他の言語と同じように比類のない伝統や特徴を有するがゆえに、誇りうる言語であると叫んだのである。イディッシュイズム(Yiddishism)と呼ぶにととどまらず、この文化性はイスラエル文化の復興運動であるシオニズム(Zionism)に通じるといわれる。
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ユダヤ人と日本人 その13 「屋根の上のヴァイオリン弾き」 その1 ショーレム・アレイヘム

ミュージカル好きの読者なら「屋根の上のバイオリン弾き」はご存じのはず。だがこの作品がウクライナ地方の村アナテフカ(Anatevka)にいたユダヤ系ロシア人の家族の生活を描いていることは、意外と知られていない。

「屋根の上のバイオリン弾き」の原作は、「テヴィエと娘たち」(Tevye and his Seven Daughters)であり、別に「酪農家テヴィエ」(Tevye the Dairymanとも呼ばれている。1913年に書かれ、1919年にイディッシュ語(Yiddish)で発表された。1950年代後半に、アメリカでロジャース(Richard Rodgers)やハマースタイン(Oscar Hammerstein)らによってこの原作をもとにしたミュージカルが企画されたようだ。

どうして 「テヴィエと娘たち」が「屋根の上のヴァイオリン弾き」となったかの経緯はわからないが、ローマ時代の虐殺の際に屋根の上で平然とヴァイオリンを弾いていたユダヤ人がいたという。ヴァイオリン弾きhは、冷静で沈着なユダヤ人の魂を象徴しているというのである。テヴィエの家族もそのようなユダヤ人であることを示唆している。こうした聖書理解によって邦文タイトルをつけた人の慧眼に感じ入る。

以上の劇作はともかくとして、この作家はショーレム・アレイヘム (Sholem Aleichem)と呼ばれるユダヤ系のロシア人である。後年はアメリカ国籍を取得するのだが、ユダヤ系のロシア人と呼んだほうが、失礼な響きにもなりそうだがぴたりとくる。それにはわけがある。

ショーレム・アレイヘムはウクライナ生まれのアシュケナージ系ユダヤ人である。何度も述べるようだが、アシュケナジム(Ashkenazim)とは、離散したのユダヤ人のうち主として東ヨーロッパなどに定住した人々やその子孫の呼び名である。ついでだが、中東系ユダヤ人を指す語として「セファルディム」(Sephardim)がある。筆者にはその基本的な違いは分からない。

やがてアレイヘムはユダヤ人のみならず、世界の人々に与えた影響を考えるのである。それはアシュケナージ系ユダヤ人の独特な文化といわれるイディッシュ文化(Yiddish Culture)を世界に知らしめたことである。ユダヤ系のロシア人としてイディッシュ文化の熱心な唱道者となるのである。「屋根の上のバイオリン弾き」の作品はその一翼を担っているように思える。
2_masterworks_fiddler_cast__800x646 テヴィエと娘たちHw Yiddish