旅は道連れ世は情け その18 YESとNOの使い分け

「旅は道連れ世は情け」のシリーズは今回で最後とします。これまで大勢の優秀な院生と一緒に学んだり教えられたりしました。院生との思い出はいろいろありましたが、なんといっても毎年実施する海外研修旅行でした。海外での研修は半年前から先方と交渉を始めます。

研修では特に学校の訪問が主たる目的です。先方というのは、友人、知人、紹介された人です。このコネがないと訪問交渉はうまく進みません。こちらがなにを調べたいか、どんな人に会いたいか、どんな資料が欲しいか、などを先方に伝えることからスタートします。

通常、ゼミ生以外にも他の講座の院生に広く呼びかけて参加者を募ります。院生のほとんどは教師なので、研修費用には不自由はしません。しかも、大学院で研究する身分ですから時間はたっぷりあります。

研修旅行に際しては、私の役割は訪問日程を決めてから航空券やホテルを予約することです。院生のこまごました世話をあまりしません。ホテルのチェックインや相部屋の決め方、訪問先への道を尋ねることなどは院生にやってもらうことにしています。皆れっきとした大人。自分でやって貰いたいのです。英語というハードルはそこにはありますが、、、今回の話題は外国の空港での手荷物カウンターでのやりとりです。

手荷物を預けるとき、空港の検査官は、旅行者がなにか不審なものを持ち込まないかを調べるます。そこで簡単な質問をします。
検査官 「おかしなものを持っていないか?」
院生 「はい(Yes)」
検査官 「なにを持っているのか?」
院生 「いいえ(No)」
検査官 「??、、、、」

院生は、「はい、持っていません」と言ったのです。

検査官は、怪訝な顔をしてやおらスーツケースを調べ始めました。そしてビニール袋に入った白い粉のようなものをとり出しました。これで一大事です。Yesと言ってしまったからです。
検査官 「これはなにか?」
院生 「これはTop,,Top,,」

院生は粉石けんという単語を知らなかったのです。ソープではなく「ディタージェント(detergent)」という単語が正解です。Topとは洗濯石けんの名前です。院生は検査官と一緒に別室行きです。それを私たち一行はニヤニヤして見つめます。わたしもあえて院生に助け船を出すようなことはしません。

やがて院生が無事解放されてスーツケースと一緒に戻ってきました。しかし、再度の検査で別な検査官とまたYes, Noのやり取りをやってしまったのです。係官の表情がおかしかったです。「この人騒がせなジャップめ」とでも思ったのでしょう。

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旅は道連れ世は情け その17 「寿司には気をつけよ」

ミネソタ大学の人々にはお世話になったりお世話をしたりしました。思えば誠に幸いで有り難い経験です。前回、広島でのセミナー後の懇親会と費用のことを紹介しました。

ミネアポリス(Minneapolis)に行ったときです。広島へ一緒に行ったミネソタ大学のStan Deno教授が同僚を誘い市内の日本食レストランへ招待してくれました。彼は著名なLDの研究者です。

最初は前菜(appetizer)として大皿の寿司が2枚でてきました。相当な量でした。やがてメインはスキヤキとなりました。大いに飲んで話しが弾みました。Deno教授が勘定を払いに行きましたが、なかなか戻らないのです。振り返るとなにやら交渉している様子です。

彼の同僚は皆ニヤニヤしながら見つめています。Deno教授が戻ると、「寿司の値段を聞かされなかった、あんなに高いものとは知らなかった」とびっくりした表情です。そこで大皿1枚をタダにしてもらったというのです。皆、「Your are a tough negotiator! 」 「凄い交渉人だ」といって持ち上げるのです。あとで、Deno教授は、「研究費での接待費は上限があるので、必死に交渉した」といっていました。

それからは寿司はしばらく笑いのネタとなりました。思い出すだけでもおかしみが沸いてきます。アメリカの和食レストランは一般に高いので注意することです。ミネソタ大学の先生方は日本食レストランに行っていないことがわかりました。田舎者なのでしょう。

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旅は道連れ世は情け その16 「わりかんはない」

ミネソタ大学の人々とはいろいろなエピソードが残っています。1986年頃のことです。私は横須賀にある国立特殊教育総合研究所、後の国立特別支援教育総合研究所で働いていました。研究所主催で「国際セミナー」が開かれました。誰を講師として招くかを協議したとき、ミネソタ大学心理教育学部の特別支援教育の先生方を招くことを提案しました。それが承認されて5人の教授を迎えることになりました。

ミネソタ大学心理教育学部が広島大学教育学部と研究の提携関係にありました。そこで、研究所でのセミナー後広島へ行きたいという先方の要望に応え、一行を連れて広島へ行きました。広島県立教育センターへに招かれて、4時間ほどの研究セミナーをしました。セミナーの開始前に参加していた研修のスタッフは「起立、礼、着席!」の声で始まり、終了後には感謝の意を込めてセンター歌を斉唱するのです。ミネソタの人たちは驚いていました。

その夜の懇親会です。誠に盛大な食事会でした。そろそろお開きと思っていると、先方の幹事が私のところにやってきて、「勘定は個人持ち」というのです。安月給の私です。一瞬クラッとしました。5人の教授から費用をもらうわけにはいかないのです。冷静さを装って6人分を幹事に渡しました。

この懇親会と立て替え費用のことは、長く彼らの間で話題となったと知らされました。その後、日光への観光では彼らは私の旅費や宿泊代をだしてくれました。広島の懇親会から、誰かが損して誰かが得したということではありません。まわりまわって皆が負担し合うというエピソードでありました。

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旅は道連れ世は情け その15 台北のホテルでの忘れ物

中華民国の首都はもちろん台北です。市内をあちこちを歩きながら、中国と台湾の独立のことを学びました。

国立國父紀念館の他に、国立中正紀念堂も立ち寄るべきところです。「中正」とは蒋介石の本名です。紀念堂には蒋介石元総統のブロンズ像が鎮座し、その後の壁には三民主義を引き継いだ「倫理」、「民主」、「科学」という蒋介石の基本政治理念が掲げられています。公園や道路名などからも、孫文と蒋介石はこの国では最も大事にされている人物であることがわかります。

国立故宮博物院のコレクションはいうまでもないでしょう。まさに「神品至宝」で詰まっています。もともと紫禁城宮殿で所蔵された重要な文物は、旧日本軍の進出や国共の内戦の激化によって、台湾に運ばれてきたとされます。その運搬経緯はまことに奇跡のような謎に満ちたところがあるようです。

ところがこの台北市内のホテルで忘れ物をしてしまいました。朝ビュッフェで食事をしてから手洗い行きました。いつも身につけているパウチをはずして用を足したのです。部屋に戻ったとき、パウチを忘れたのに気がつきました。慌てて戻ったのですがパウチはありません。食堂にはまだ大勢の団体客が食事中でした。

急ぎカウンターに忘れ物を告げると、すでにそこに保管されていました。中年のメイドさんが届けてくれたことを知りました。その方にお礼をいいながら、なにがしかのチップを差し出しました。ところが笑いながら受け取ってくれません。ホテルの研修が徹底しているせいでしょうか。台湾も日本の「おもてなし」の感化を受けているのでしょう。

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旅は道連れ世は情け その14 「バックパックを忘れた」

このブログ上で忘れ物にまつわるエピソードをいくつか紹介してきました。今回は自分が忘れ物で真っ青になったときと院生の「パスポート事件」の話題です。

大学の同僚とでヴァージニア州(Common Wealth of Virginia)にあるフェアファックス教育委員会(Fairfax County School)と学校を回り、ある調査を依頼したときです。調査のほうは幸い先方が極めて協力的で、質問紙を丹念に検討してくれて「これでいいだろう」ということになり調査に応じてくれることになりました。

翌日は気分良く電車に乗って、ワシントンD.C.のモール(Mall)にあるスミソニアン(Smithonian)の博物館巡りにでかけました。スミソニアン協会は17の直営博物館や美術館を運営する世界一の学芸組織です。いくつかの博物館を回り終えて、お終いは国立アメリカ・インディアン博物館(American Indian Museum)へ入りました。そこの小さな講堂でビデオを観ての帰り、椅子にパスポートやカード、現金、カメラをいれたバックパックを置き忘れました。

忘れ物に気がついたのは博物館をでて30分くらいです。その瞬間目の前が真っ白、呆然となりました。米国では忘れ物は戻らないことが多いのです。急いで博物館に戻り係員に質すと預かっているというのです。持ち物は身から離してはならないという言葉をかみしめた時でした。

ニューメキシコの州都アルバカーキに院生らと視察旅行をしたときです。ネイティブ・アメリカンの博物館で、院生の一人がパストートがないといいだしました。皆で手分けをして探したのですが出てきません。ネイティブ・アメリカンの係員に遺失物として届けがないかをききましたが駄目です。係員は、「兄弟よ、この国に残っていいのだよ」と院生を元気づけようとしたのが忘れられません。

New Mexico  Adobesanta-fe-new-mexico-beautiful-best-places-to-retire Santa Fe

旅は道連れ世は情け その13 コロニアル・ウィリアムズバーグと夕立

米国の夏はキャンピングの季節です。通常、年が明けると早々にキャンプ地やコテージを予約することが多いです。キャンプ地で人気のあるのはなんといっても広大な州立公園です。非常に手入れが行き届き、清潔で安全、しかも安価なのです。

車一台分とテント張り、食事を作るスペースがあり、隣とは木々で隔てられているので気兼ねがいりません。共同トイレ、コインランドリー、シャワー室があり、薪の束も売っています。なにか野外のキャンピングというよりは、別荘にやってきたような雰囲気です。

ミシガン湖(Lake Michigan)の西岸を北上し、カナダに渡りモントリオール(Montreal)、そしてワシントンD.C.の郊外にあるヴァージニア(Virginia)の州立公園に着きました。もちろん予約済みです。テントを張り終えてから大西洋岸にあるコロニアル・ウィリアムズバーグ(Colonial Williamsburg)へ向かいました。

コロニアル・ウィリアムズバーグは、ヴァージニア州の独立市で、歴史的地区のことです。コロニアル・ウィリアムズバーグは1699年から1780年まで、ジェームズ・シティ郡(James City County)の植民の中心地となりました。ウィリアムズバーグはヴァージニア植民地時代の統治・教育・文化の中心であったとWikipediaにあります。今は多くの建物が復元されています。周囲にはウィリアム・アンド・メアリー大学(College of William & Mary)が建っています。

ウィリアム・アンド・メアリー大学は1693年にイングランド王ウィリアム三世と女王メアリー二世によって認可され創設されました。ハーヴァード大学に次いで2番目に古い歴史を誇る大学となっています。ヴァージニア州の総合大学としてはヴァージニア大学に次ぐ第2位、全米の州立大学の中ではカリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)、ヴァージニア大学、ミシガン大学、ノースカロライナ大学ーチャペルヒル校(University of North Carolina at Chapel Hill)に次ぐ第6位に格付けされています。「最も入学が難しい大学」(Most Selective)とされます。

夕方キャンプ場に戻ると夕立があったようで、テントの中は濡れ、寝袋や毛布が湿っていました。仕方なく近くの街のランドリーで乾かすことを余儀なくされました。夕立の備えをしていませんでした。

キャンプ生活をしていると子供たちはモーテルに泊まりたいといってきました。ボストンを通過したとき魚市場がありニシンを買いそれをモーテルの室内で焼いて食べました。匂いがきつかったので、あとからきた客に迷惑だったかもしれません。

Homes-of-Colonial-Williamsburg-Va2 Colonial_Williamsburg_Governors_Palace_Front_Dscn7232  Colonial Williamsburg

旅は道連れ世は情け その12 ナパバレー

兵庫教育大学の院生とはあちこちの学校へ出掛けました。旅の主たる目的は視察ですが、別な楽しみは地元の有名なところを訪ねることです。カリフォルニア州の州都サクラメント(Sacramento)を目指しました。この学校区の職業教育を視察する旅です。

まずは東京からサンフランシスコ(San Francisco)へ行き、それからサクラメントへ行くのが通常の行程です。金門橋を渡りオークランド(Oakland)を経てサクラメントへ向かいます。途中、カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)があります。全米屈指の名門校です。

このあたりはSan Francisco Bay Areaと呼ばれています。飛行機もありますが、車で行くのが楽しいのです。ナパ郡(Napa County)を目指します。ナパ郡にはニューヨーク州とともにアメリカの一大ワインの産地、ナパバレー(Napa Valey)があります。全米でワインの90%がこのあたりで製造されています。ニューヨーク州ではたったの5%なのです。

ナパバレーを通過したのは丁度日曜日でした。沢山のワイナリーがありますが、週末は所々閉店となっています。観光客のために、業者が協定して開店するところと閉店するところを決めています。院生とで開いているワイナリーに飛び込みました。立ち寄ったところはE. & J. Gallo Wineryでした。

Gallo Wineはアメリカでは広く飲まれているワインです。1933年の設立とあります。カリフォルニア産ワインで最大の出荷を誇り、家族経営のワイナリーとして全米で最も大きなシェアを持つといわれます。このとき誰が運転していたかですが、もちろん私ではありませんでした。運転事故を起こさないよう、人々は注意してワインやビールを飲みます。

napa_area_map Napa-Valley-Balloon Napa Valley

旅は道連れ世は情け その11 モスクワの空港でワイン没収

再びワインの話題です。イタリアへ始めて行ったときです。成田空港とローマの郊外にある国際空港、フィウミチーノ空港(Fiumicino)を往復しました。この空港は、イタリアのフラッグ・キャリアであるアリタリア航空(Alitalia)の本拠地です。しかし、私と家内は安い料金を選んだのでアエロフロート航空(Aeroflot)としました。成田からモスクワ(Moscow)のシェレメーチエヴォ国際空港(Sheremetyevo)、そしてローマのフィウミチーノ国際空港という航路です。この旅ではこの選択は間違ったことをあとで知ります。

まずは、アエロフロート航空の機内の飲み物と食事などです。ジュースは氷もなくぬるいのがきました。珈琲も熱くないのです。ビールは有料です。食事は可もなく不可もなくといったところです。フライトアテンダントはぶっきらぼう。

シェレメーチエヴォ空港では、ローマ行きへの乗り換えに2時間半ありました。珈琲を頼むと5ユーロ、600円取られました。詐欺にあった気分です。ローマのフィウミチーノ空港に着いたのは夜の9時頃です。そこには長男が迎えにきているはずです。しかし、持参した2つの大きな荷物が出て来ないのです。

1時間あまりターンテーブルのところで待ちました。待つのを諦めて係員に、翌朝に再度来るといって荷物を保管してもらうよう頼みました。その間90分くらいかかり、待ち合わせ場所にいくと長男はいません。タクシーで空港近くのホテルに行くと、長男夫婦が「待っても来ないので、明日来るのだろうと思った」というのです。

翌朝空港に行くと家内のスーツケースが届いていましたが、わたしのは行方不明です。調べてもらうとまだモスクワにあるというのです。長男夫婦と一緒に来ていた孫に、用意してきた土産が渡せません。荷物が届いたのは3日後のフィレンツェ(Firenze)のホテルでした。

思い出深い中部イタリア旅行を楽しんだのですが、帰りローマからの経由地モスクワのシェレメーチエヴォ空港でまた嫌な思いをしました。購入したトスカーナ・ワイン(Tuscany wine)の免税品証明書が袋から剥がれてないのです。税関の女性職員が、厳しい顔をして「ワインをゴミ箱に捨てなさい」と、頑として持ち出しを許しません。再三懇願しましたが、結局没収となりました。ワインは職員にプレゼントしたことになりました。ローマやフィレンツェに圧倒されたのですが、後味が悪い旅となりました。いいことばかりが旅ではありません。

san-gimignano-tuscany-cycling  San Gimignano, TuscanyMontecarlo2

旅は道連れ世は情け その10 ワインは2杯までOK

ニュージーランド(New Zealand)は北島と南島から成ります。年間の旅行者が240万人以上という観光立国でもあります。友人を訪ねて北島の南端近くにあるパーマストンノース(Palmerston North )という町へ行きました。まだ大地震の前でした。ここにはマッセイ大学(Massey University)があります。その友人はインド系の研究者で、兵庫教育大学の客員研究員としてお世話した方です。彼女はマッセイ大学で働き家を建てていました。

休日を利用して車で北島の最南端に位置する首都ウェリントン(Wellington)の観光に出かけました。落ち着いた港町です。観光後、クック海峡をカーフェリーで渡り、南島にあるクライストチャーチ(Christchurch)にあるカンタベリー大学(University of Canterbury)を訪れました。

大学でインタビューを受けてから、ホエールウオッチング(whale-watching)ができるという情報を得ました。鯨が出るという湾のある町に車をとばしました。船に乗ると数頭の鯨が湾を回遊していました。この湾の鯨は年中この湾に留まるので、地元の人は親しみをこめて鯨に名前までつけています。

帰りのドライブは快適でした。葡萄畑が道の両側に広がります。ワインを飲みたくなる光景です。休憩がてらワイナリーに立ち寄りますと、旅行者らしき一行がワインを楽しんでいます。店の人に聞くと看板を指しました。それには次のように書いてあります。「運転手はグラス2杯までは飲んでよい。」なんと粋なはからいなのだろうと感心しました。

真っ暗な帰りの途中、車を停めて満点の星空、南十字星(Southern Cross)とケンタウルス座(Centaurus)を眺めました。”もの凄い星座”でした。

Wine Vineyards Near Marlborough Sounds Region Blenheim New Zealand Dark_Rift_2012

旅は道連れ世は情け その9 匂いのトラブルはややこしい

スカンクの他に、匂いにまつわるトラブルで忘れられないこともあります。

週末、院生は友達を招いて芝生でBBQをしたりパーティをします。日頃勉強で絞られているので、つかの間の時間をくつろぐのです。

これも管理事務所に勤めていたときです。電話がかかってきました。「隣の部屋から悪臭が流れてきて耐えられない、なんと止めさせてくれ」という内容です。出掛けると確かに強烈な魚油の匂いです。「くさや」やスルメとは違った「凄い」匂いです。中西部のアメリカ人は干物などを食べませんから、こうした魚の匂いには慣れていません。

高校時代稚内で暮らしたことのある私は、魚の匂いには慣れていました。しかし、この部屋からの匂いは格別なものでした。「隣近所から悪臭で苦情がきているので料理を控えて欲しい」と伝えるので精一杯でした。

臭いものといえば、韓国の「ホンオフェ」(홍어회)という「エイ」を醗酵させたもの、スエーデンの塩漬けされたニシンの缶詰「シュールストレミング(surestromming)」、そしてくさやです。「ホンオフェ」はアンモニアの匂いが強く涙がでるといいます。ハングルでホンオ(홍어)とはエイ、フェ(회)とは刺身のことです。Wikipediaによれば、ホンオフェは韓国では高級食品のひとつであり、冠婚葬祭に欠かせないご馳走だそうです。私は幸か不幸かまだ食したことはありません。

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