心に残る名曲  その百二十二 マスネ その1 国民音楽協会

戦争と平和が音楽や作曲活動にどのような影響を与えてきたかは、興味ある話題です。先日紹介したチャイコフスキーの「序曲1812」はナポレオン軍を破ったロシアの戦勝祝いの曲です。

 フランスは1870年7月から1871年5月までプロイセン(Prussia)とで戦争をします。いわゆる普仏戦争 (Deutsch-Franzosischer Krieg)です。ビスマルク(Otto Eduard Leopold Fürst von Bismarck)が率いるプロイセンがフランスを破ります。フランスはドイツに賠償金 50億フランを支払い,アルザス=ロレーヌ(Alsace-Lorraine)の大部分を割譲するのです。ビスマルクは、それまで小国に分かれていたドイツの統一宣言をベルサイユ宮殿(Versailles)で行います。フランスにとって屈辱的な出来事です。この敗戦を機にフランスの音楽界は変化していきます。

19世紀前半のフランスの音楽界はオペラやバレエが盛んでした。交響曲などの器楽は低調で、多くの作曲家はドイツの音楽を学ぶ姿勢は持っていましたが、敗戦を契機としてフランスの伝統へと回帰することになります。それが1871年のサンサーンス(Charles Camille Saint-Saens)らによる国民音楽協会(Société Nationale de Musique)の設立です。

ナショナリズムの高揚を背景にした「フランスの芸術」を旗印に掲げていくこの運動は、アルス・ガリカ(Ars gallica)とも呼ばれています。「牧神の午後への前奏曲」を作ったドビュッシー(Claude Achille Debussy)やマスネ(Jules Emile Frédéric Massenet)もこの運動に加わり、フランス音楽界に大きなうねりを起こしていきます。

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