北方領土を考える その十二 松前藩と「シャクシャイン」

昔の北海道は稲作が不可能でした。人々はせいぜい馬鈴薯や小麦、トウキビによって生計をたてていました。漁業や狩猟の他、牛や馬、羊を飼っていました。細々と砂金とりも行ったいたようです。和人とは交易によって、獣皮や鮭、鷹羽や昆布などを鉄製品や漆器、米や木綿などと交換していました。

今でこそ北海道の米の生産量は作付面積とともに全国一位です。その中心は石狩、空知、上川といった平野です。しかし、この姿を明治の時代、誰が予測しえたでしょうか。 米作の先駆者に中山久蔵という人がいました。明治四年に広島から札幌郡広島村に入植した中山は、地米の「赤毛」と「白髭」を水田に植えます。これが米作の開始となります。その後改良を加えて日本一の生産量を誇るまでとなります。

少し遡って江戸時代の松前藩の歴史に触れます。江戸幕府は松前藩に蝦夷に対する交易独占権を認めた黒印状を慶長9年 (1604年)に発給したといわれます。黒印状とは墨を用いた印判を押した武家文書です。ブリタニカ国際大百科事典によると、朱肉を用いた朱印状が将軍の発行した文書に限られたのに対して,黒印は旗本や大名の発行するものに用いられた、とあります。

江戸時代の初期までは、アイヌが和人地や本州に出かけて交易することが普通に行なわれていました。松前城下や津軽や南部方面まで交易舟を出してぶつぶつ交換していました。しかし、幕藩体制が進むにつれ幕府の黒印状により対アイヌ交易権は松前藩が独占して他の大名には禁じられることとなります。アイヌ民族にとっては対和人交易の相手が松前藩のみとなり、自由な交易が妨げられることとなります。

さらに、不利な交換条件を嫌い交易を拒否するアイヌに対し和人が無理やり交易を強要し、アイヌには和人への不満が広がっていきます。 不利な取引きや搾取が深刻化するにつれ、アイヌ惣大将同士による地域集団の争いが起こります。日高地方の静内川流域の領分や和人による砂金採取の保護を巡る争いです。やがて多数のアイヌ民族集団による対松前藩蜂起へと発展していきます。1669年6月に「シブチャリ」の英傑といわれた「シャクシャイン」を中心として起きた松前藩に対するアイヌ民族の大規模な蜂起です。シブチャリとは、北海道は日高にある新ひだか町付近の地名です。