文化の日を考える その十三 エストニアの文化と民謡

エストニア(Estonia)はラトビア (Latvia)、リトアニア(Lithuania)とともにバルト三国 (Baltic states)を形成しています。バルト三国といえば意外と我が国とは結びつきが深いところです。日露戦争で1905年2月にバルチック艦隊 (Baltic Fleet) がウラジオストック (Vladivostok) に向けて航海したところ、さらに第二次世界大戦中、杉原千畝氏がリトアニアのカウナス (Kaunas)にあった日本領事館で外務省の訓令に反しておよそ6,000人のユダヤ系難民に通過ビザを発給しその命を救ったことなどが知られています。

sugihara_b aa74d34d75649cc8e17574865a3d5517 _dsc9089ヴァイキング(Viking)の時代から中世を経て今日まで、長い歴史を有しています。中世時代にはドイツ、スウェーデン、ロシアの貿易商らの商人の祖先が定住したところといわれています。エストニアは豊かな自然と相まって多民族が織りなす異教徒の精神とヨーロッパ人の精神の有り様とされる考え方や言動のさま、そのメカニズムを受け継ぎ、現在はEUやNATOの加盟国となっています。

紀元前9000年頃に氷河期が終わるとエストニア人がバルト海(Baltic Sea)の沿岸に定住します。紀元後800年頃までは、エストニアの町や村が形成され自治を始めていきます。古代エストニアから今に至る最も特筆すべき文化は詩と歌にあるといわれます。特にエストニアの伝統音楽とされる民謡(folk song)は同一旋律の多人数による歌唱、斉唱 (unisonまたは monophonic) が特徴です。古代民謡は、「runo-songs」とか「runic songs」と呼ばれ、古代北欧風民謡ともいわれます。

ニューグローヴ世界音楽大事典 (New Grove Dictionary of Music and Musicians)によりますと、「Runo songs」の特徴は、もともと死の悲しみや嘆きを表すことにあります。死者を弔うのが民謡であったようです。エストニアは世界で最も民謡の数が多いことで知られ、その数133,000余りが記録として残されています。豊かな自然に対する畏敬の精神が民謡に示され、エストニアの歴史と文化の源となっているといわれます。木や大地は生命力を象徴し大事に保護されています。森は命の源泉として崇められ、聖なる所、霊が宿るところとされています。

Britannicaによれば、ソ連の占領下ではエストニアの民謡を歌うことは禁止されていたとあります。しかし、1988年9月にタリン近郊の野外コンサート会場「歌の原」に約30万人が集まり独立への機運が高まります。そして1991年に独立を達成します。このことからエストニアの独立は後に「歌による革命」と呼ばれたようです。五年に一度のエストリア最大の祭りでは歌と踊りが「歌の原」で開かれます。エストニアは今も「歌の国、Singing nation」と呼ばれています。