アメリカの学校は今 その三十三  Mount Olive Lutheran Church School

mtolive75years_f eastsidhe-school-1939 clc-logo-explainedMt. Olive Lutheran Church(マウント・オリーブ・ルーテル教会)はマジソン市の落ち着いた住宅街にあります。会衆の数は2,000人くらいで、多くは大学、州政府、企業などに働く人々です。3分の2以上が家族ぐるみで礼拝に出席します。研究者や大学院生も多く教育には熱心です。スタッフは牧師が2名、オルガニストが1名、そして事務長、用務員が各1名となっています。オルガニストは教会教育の長や聖歌隊(Choir)の指揮を兼ねています。もちろんオルガンがあって日曜日の二度の礼拝で賛美歌が演奏され、会衆はオルガンの伴奏で歌います。このときはなんとも気持が高揚するものです。

教会学校は毎週日曜日の2回の礼拝の間に開かれます。幼稚部、小学部、中学部があります。会衆の中から選ばれたリーダーが指導します。教える内容は聖書の教えです。保育所も開設し専従の保育士や職員も働いています。障害のある子どもも小集団で学びます。夏はキャンプやハイキングがあり、体と心の成長を助けます。中学生は、特に大人の仲間入りに備えて、キリスト者としての信条(Creed)や教理問答(Catechism)など集中して学びます。そして14歳になると堅信礼(Confirmation)という成人として認められる儀式が礼拝の中で執り行われます。

教会は会衆の献金によって支えられます。十一献金といって収入の1/10を目安に献金しています。1/10を満たせない人は、諸々の奉仕活動に参加することで献金に代えることになります。例えば教会学校の教師として教える、聖歌隊で歌う、週報の印刷手伝いをする、お年寄り家族を訪問したり病人を見舞いをするなどです。どのような形でも自分のタラントを捧げることができればよいのです。

Mt. Olive Lutheran Churchは地域に住む障害者の職業訓練をも引き受けています。平日、ジョブコーチと呼ばれる訓練士に引率されて、教会の印刷物を折りたたんだり、封筒詰めをしたり、宛先のシールを貼ったりします。こうしたスキルを教会で学ぶのです。マジソン市との障害者訓練の地域連携事業にMt. Olive Churchも参加しています。

アメリカの学校は今 その三十二 教会立学校

stanthonysparochialschool 515213688 parochial_2多くの信徒を有するキリスト教会、特にカトリック教会(Catholic church)はParochial school と呼ばれる教会立の学校を運営しています。その運営母体は教会の会衆です。会衆による献金や寄付によって教会は成り立ちます。教会は大きく分けて旧教と呼ばれるカトリック教会と新教と呼ばれるプロテスタント教会(Protestant church)があるのはご承知のとおりです。どちらも聖書教育や情操教育には力を入れています。これが使命、ミッションと呼ばれるものです。教育活動は、長い歴史を有する教会の堅固な伝統となっています。

我が国にもいわゆるミッション・スクールがあります。多くはヨーロッパや北米の教会から派遣された宣教師と呼ばれる人々がその礎を造った歴史があります。創立の精神(Ethos)は、聖書の教えにそってキリストの弟子として生きるという考えです。真理を追究し人格を高め社会と人々に奉仕するという精神です。ミッション・スクールの中には、宗教教育の色彩が薄れ、進学校とか有名校といった世間の期待に迎合するかのような校風も感じられます。

ウィスコンシン州都マジソンにあるMt. Olive Lutheran Churchの学校を中心に、教会立の学校の特徴を2回に分けて紹介しましょう。この教会はその名の通りルーテル系です。マルチン・ルターという神学者が興した教会です。ルターは「Luther」と綴ります。Lutheranとはルター派の人々という意味です。ウイスコンシン州にはたくさんルーテル教会が存在します。1800年代に北欧やドイツなどからの移民がこの大陸の東海岸や中西部(Midwest)にやってきます。アイオワ(Iowa)、イリノイ(Illinois)、インディアナ(Indiana)、ミネソタ(Minnesota)、ミズリー(Missouri)、ミシガン(Michigan)、ネブラスカ(Nebraska)、オハイオ(Ohio)などには、特にルーテル教会が目立ちます。

Midwestの別称は「America’s Heartland」。アメリカの心臓部とでも呼んでおきましょう。工業、農業、商業の中心です。その代表がデトロイト(Detroit)、セントルイス(St. Louis)、シカゴ(Chicago)、ミネアポリス(Minneapolis)などです。こうした都市に人と金と物、そして情報が集まるのです。

とまれ話がそれたので元に戻ります。ルーテル教会とは、聖書に基づいて三位一体の存在を信じ、すべての会衆が祭司として社会で役割を有するという教えが基本にあります。恩寵によって救われ、聖書の言葉に信仰の基盤を置いています。カトリック教会とは教理とか教義において違うところがあります。

アメリカの学校は今 その三十 一  子供を虐待から守る

dva_social_fs chinese_american_fishermen_b portland_oregon_in_1890今回も日本にはない学校を紹介しましょう。それは、父親から暴力を振るわれた子供が学ぶ学校です。最近日本でも家庭内暴力(Domestic violence: DV)によって子供が亡くなる悲しい出来事が報道され心が痛みます。アメリカでもこうした事例は多いのです。

西海岸オレゴン州(Oregon) のポートランド(Portland) という町で教育関係の会議がありました。1900年代、ポートランドのあたりは多くの日本人や中国人が入植したところです。漁業や林業に従事しました。ダウンタウンに近い河岸に、移民して活躍した日系アメリカ人を顕彰する立派な公園があります。

その会議の日程に地元の学校訪問が組まれていました。ある小さな学校に行きますと教室に案内されました。そこは家庭内暴力や虐待を受けた子供が学ぶところでした。すでに子供は帰ったあとでした。父親の暴力から母親と子供守るためにDVシェルター (DV Shelter) という特別の施設があるそうです。その場所は、父親にわからないような配慮がされているとのこと。子供たちも特別な車で送迎されています。

今も家庭内暴力は白人、黒人の別なく起こっています。地域の人が暴力の疑いがあるという通報をすると警察が調べに入ります。そして子供の安全のために隔離するのです。児童相談所の仕事ではありません。母親と共に安全に保護された子供は、父親にはわからないような学校で学習を始めるのです。こうした都市の学校は多様なニーズを有する多くの子供を教育しています。校長も教職員も大変な毎日のようです。

アメリカの学校は今 その三十 矯正教育の教室

bn-ed714_fergus_g_20140818114648 and_376621 phoenix-skyline-arizona日本にはあまりない教育の実践を紹介しましょう。それは、犯罪を犯した生徒の矯正を目指す教室です。アリゾナ(Arizona)の州都フェニックス(Phoenix)に行ったときです。

フェニックスは砂漠の真ん中に形成されていてサボテンが各所で見られます。20世紀前半からニューディール (New Deal) 政策によるコロラド川(Colorado River)の電源開発、フーバーダム(Hoover Dam)やグランドクーリーダム (Grand Coulee Dam) の建設によって、豊富で安価な電力が確保され軍事産業などが発展し、今は半導体などのエレクトロニクス産業が中心となっています。さらにグランド・キャニオン国立公園 (Grand Canyon National Park) などの観光産業でも盛んです。

職業訓練を中心とした学校を紹介されて兵庫教育大学院生とで出かけました。3名の生徒が英語や数学を勉強していました。教師は数名いたでしょうか。事前に、私はそこの生徒は犯罪の経歴があることを聞いていました。銃を保持していた白人女性、ドラッグを売っていた黒人男性、車を盗んだ黒人男性です。いずれも高校生です。

教師は、私たちが生徒に声をかけてよいといいました。「将来どんな進路を考えているのか」と聞きますと、「大学へ行って技術を身に付けたい」と黒人高校生が答えてくれました。女性は看護師になりたいというのです。そのために、教科の勉強をしているようでした。彼等は裁判所から一年間の保護観察を言い渡され、職業訓練などの矯正教育を受けているのです。それにしても見知らぬ訪問者に生徒との会話を許すなんて驚きでした。

心配なのは、犯罪が悪化し刑罰が厳しくなっていることです。ある州では、検察官が事件を少年裁判所に送るか、刑事裁判所に起訴するかを判断する裁量を有するというのです。しかし、特に少年の犯罪においては、厳罰化を持って処するよりも教育的支援でもって更正させるべきだというのは、フェニックスで経験した矯正教育が示しています。厳罰化する事が、必ずしも社会にとっていい影響を与えるとは限らないという考え方もアメリカには根強くあります。

勉学の態度が改善されれば、矯正教育を受ける生徒はやがて通常の高校に戻ります。生徒を地元の高校に戻すことが望ましいという考え方が前提にあるのは興味あることです。

アメリカの学校は今 その二十九  Haggerty Elementary School

ma_cambridge06 episcopal_divinity_school_cambridge_ma harvard_square_in_cambridge_massachusettsアメリカの東海岸にマサチューセッツ州 (Massachusetts)があります。州都はボストン (Boston) です。このあたりには有名な大学がいくつかあります。ハーヴァード大学(Harvard University)、マサチューセッツ工科大学 (Massachusetts Institute of Technology:MIT)、ボストン大学(Boston University)、タフツ大学 (Tufts University)、ノースイースタン大学 (Northeastern University)、どれも超一流の研究中心の大学です。ボストン音楽院 (Boston Conservatory)での学びに憧れるのはビオラを弾く私の孫息子です。

今回の学校は、ハガティー小学校(Haggerty Elementary School)です。この学校はハーヴァード大学のあるケンブリッジ (Cambridge)という町にあります。このあたりはニューイングランド (New England) と呼ばれ、植民地時代の建物が煉瓦造りで残っています。高い建物は規制されています。ハガティー小学校はDaniel A. Haggertyという軍人の名前をとっています。この人は1846年のメキシコ戦争 (Mexican War)で最初の犠牲者となった人といわれています。学校などにはその町が輩出した有名な人の名前がつけられるのをしばしばみることができます。

メキシコ戦争は別名、 Mexican-American WarとかInvasion of Mexicoともいわれます。メキシコがスペインから独立したのが1821年。アメリカとメキシコには領土をめぐる覇権争いが始まります。独立間もないメキシコはアメリカに敗れ、カリフォルニアがアメリカに割譲され、リオ・グランデ川 (Rio Grande)が国境となります。

ハガティー小学校のモットーは“While Everyone is Different, Everyone Belongs.”(みんなが違っても、みんなが参加できる)。民主主義の考え方です。学校創設の原点は市民の参加、税金でつくるのです。国には頼ることはありません。ハガティー学校もそうです。教室の中は実に明るく、本やコンピュータ、教材が所狭しと並んでいます。どの教室にもラグが敷かれ、子供は腰を下ろして授業に参加します。壁には子どもの作品がかけられているのは日本の学校と似ています。

日本の教室の造りと大きく違うのは、教室が小さい衝立で仕切られていることです。島がつくられて、グループでの指導が中心なのです。習熟度の違いがグループ分けの基本です。同じ内容による一斉の指導はあまり見られません。

アメリカの学校は今  その二十八  George F. Kelly School

cpslogofloatleftc bridgesm guildford_1831ボストン(Boston)にあるローガン国際空港 (Logan International Airport) のあたりは住宅地です。ここからダウンタウンの高層ビルが湾の対岸に見えます。このあたりはChelseaという町です。チェルシーと呼びます。いい響きの町ですが、アパートが建ち並び、勤労者が住んでいます。その多くはヒスパニック系 (Hispanic) の住民です。ボストンの町中まで地下鉄で5分くらいの便利さです。

またまた私事ですが、長男はChelseaのアパートからケンブリッジ(Cambridge)にあるハーヴァード大学(Harvard University)に通っていました。嫁はChelseaの小学校一年の担任をしていました。これがGeorge F. Kelly Schoolです。彼女はウィスコンシン大学でスペイン文学の専攻でしたのでバイリンガルです。以前、チリ(Chile)の首都にあるサンティアゴ大学 (University of Santiago) にも留学したことがあります。今は教師をしながら児童文学分野で著作活動をしています。

学校のあたりは、中の下といった大分くたびれた町並みです。ですが学校の建物は真新しく周りと不調和です。学校のモットーは、「未来への架け橋 Bridge to Success」。教室に入ると授業はスペイン語で行われています。彼女のクラスはすべてヒスパニック系の子ども達です。メキシコやプエルトリコ、キューバなど中南米のスペイン語圏諸国からアメリカに渡ってきた移民の子孫というわけです。

午前中はすべてスペイン語で、そして午後は英語での授業です。午前中は、ヒスパニックの助手(Teacher Aid)がいて授業を助けています。クラスには、学習困難な子供も見かけます。助手は主にこうした子供もの勉強をみてやっています。44名の教員のうち10名が特別支援の教員となっています。そのほか、矯正体育、ソーシャルワーカー、言語治療士も常駐しています。教師陣の名前とEmailが公表されているのは、 George F. Kelly Schoolも例外ではありません。

メディアセンターの充実さはコンピュータの数や司書の存在で伺えます。Mac, PCの両方があります。生徒の学習として、Mac上の教材が整っているというのが我が国と違うところです。どのコンピュータもネットにつながっているのは言うまでもありません。個々の子どもにあった勉強では、コンピュータやネットワーク上の教材を使うことが必要だからです。今はiPadが普及しています。

アメリカの学校は今 その二十七 無料の学校給食から考えること

lunch-serving school20lunch 5987336849_c33b99f38cダウンタウンの学校を訪ねて驚くことの一つは、子供が無料の朝食からその日の学校生活が始まるのを見ることです。貧しい家庭の子供は、家で朝ご飯を食べてこないのです。こうした子供は、無料の昼食も学校で支給されます。この二食でその日に必要な栄養がとれるというわけです。

私の三人の子どももウイスコンシン州(Wisconsin)のマジソン市の学校で無料の給食を受けました。私が無収入の大学院生だったからです。私はアルバイトで懸命に家族を支えていました。税金も払いません。定職がないことを申告すると教育委員会から無料の給食券(lunch coupon)が送られてきます。どんな国籍の子どもでも貰えるのです。この昼食券を手にしながら「この国は、なんとおおらかなのか、、、」と感じ入ったものです。

長男が五年生になったとき、「自分でランチを買いたい」と言い始めました。給食券では、片身が狭く感じるような年齢に達したようです。他の友達のように、自分のお金でランチを買いたくなったのです。アメリカの学校の昼食は、カフェテリアに子どもが集まってきて皆で食べます。自分の好きなものをトレイにとります。今、このランチは2〜3ドルくらいです。ランチのメニューは数は多くはありませんが、栄養がたっぷりです。子供は持っているお金と相談して好きなものを選べるようになっています。

学校での給食風景は、アメリカという国が国境を越えてやってくるすべての子供を平等に扱うという、友愛に満ちたところであることを感じさせてくれます。無料の給食は、連邦政府の初等中等教育法 (Elementary and Secondary Education Act: ESEA)にある「Title I」という低所得者家庭の子弟を支援するプログラムによります。

アメリカの学校は今 Intermission その二十七 Cultural Studies

_mg_0145 landscape-1464097810-bob-dylan-jerry-schatzberg a8fbef631640965b845ac4e3cd88f747あまり聞き慣れない研究の分野に「Cultural Studies」というのがある。文化学研究とでもいえようか。「地域へと広まっていった文化一般に関する学問研究の潮流を指している」 とある。ハイカルチャーだけでなくサブカルチャー(大衆文化)の研究を重視するようだ。

サブカルチャーという用語を最初に使ったのはアメリカの社会学者のデイヴィッド・リースマン(David Riesman)である。彼は「孤独な大衆」(The Lonely Crowd)という著作の中で、社会的性格は伝統指向型から内部指向型とか他人指向型へと変化すると論じている。リースマンは、伝統指向型の社会的性格は、はっきりと慣習が伝統によって体系化されているため、恥に対する恐れによって人々の行動は動機付けられると考える。

さらにリースマン曰く。内部指向型や他人指向型の社会的性格では、人は行動の規範よりもマスメディアを通じて、他人の動向に注意を払う。彼らは恥や罪という道徳的な観念ではなく不安とか寂しさによって動機付けられるのだと。この考えは仮説だろうと察するが、一考に値する。

ハイカルチャーを享受するには相応の教養や金と時間が必要であった。だが、大衆が実力を持つのは20世紀。大衆社会においては、高等教育を受けた人々が増加し、ハイカルチャーも一般の人々が楽しむことができるようになった。絵画であれば、美術館に足を運ばなくとも美術書などで見られるし、音楽も演奏会に行かなくともラジオ・テレビ・CD・インターネット上で気軽に楽しむことができるようになった。現代は、いわばハイカルチャーの大衆文化時代といえる。要は、Cultural Studiesとは以上の現象をもっと難しく研究する分野のようだ。

Bob Dylanの歌詞は大衆文化の典型のように分かりやすい言葉を使っている。だが、その歌詞の意味は誠に深い。ノルウェー・ノーベル委員会はそれを評価したのだろう。

アメリカの学校は今 Intermission その二十六 文化の回帰ということ

hqdefault p01gd62s imgres images4Bob Dylanの話題から、過去のブログで綴った「文化の回帰」という拙文を読み起こしています。以下は2014年8月に掲載した駄文であります。ご笑覧くだされば幸いです。

大衆文化と呼ばれるサブカルチャーのメインカルチャーへの挑戦は至るところに現象として現れた。1960年代である。当然のようにメインカルチャーと考えられた歴史とか古典に対する強い関心と畏敬は、サブカルチャーの側からすると一種の審美的文化観とされて、時に「マニア」、「おたく」といった独特な行動様式として揶揄されることもある。しかし、おたくの本人は「伊達や酔狂」と自負するようなところがあって、こうした人々はむしろ孤高のような存在感を楽しむようなところもあるようだ。

サブとメインの境界が曖昧になったということは、その逆転現象がうまれてきたということかもしれない。例えば、活字文化は今もそうかもしれないが、メインカルチャーの旗頭であった。だが、なにもかも電子媒体としてメディア界に急速に広がるのが現在。書籍の売り上げた伸びないのは、電子媒体の流通と普及と逆相関があるようだ。多くの書類、卒業論文、研究論文は電子媒体で提出しなければならない。悔しいことだが、手書きの論文は受け付けてくれない。

「子供たちは夏目漱石や森鴎外を読まないのではない。読めないのだ」ともいわれる。漢字能力の低下が一因だというのである。手書きできない。それで電子辞書を使い携帯電話サイトから「ケータイ小説」を作る。「書く」のではない。漢字が書けなくても小説が書けるという時代になった。「話し言葉が中心なので親近感があり、一文一文が短く読みやすい」という新しい文化観もそこにある。

技術革新に伴う諸々の変化は、もはや後戻りができない。革新が続くだけだ。だが、電子媒体にも寿命がある。記録したデータを保持できる期間は有限である。読み込みの処理がなくとも経年により媒体は劣化していく。そしてデータが読めなくなったり消失したりする。自分もその苦い経験はある。もっとも機械的な寿命の問題だったが、、、、

活字文化がサブカルチャーか、メインカルチャーかという議論はなにか不毛な感じもする。だが分かっていることは、サブとメインの逆転、そのまた逆転も起きうることである。今や「アングラ」も「ヌーヴェルヴァーグ」という表現に出会うことはない。文化の論争は意味がなくなっているからだろう。文化の回帰現象は、統計で使うように平均とか元の状態に近づく、あるいはそれを繰り返すということであるようだ。

活字文化プロジェクトが各地で盛んになり、活字文化推進会議とか活字文化推進機構もできた。電子媒体文化とのせめぎ合いのようだが、両者が共存することも文化ではないかと思うのである。

アメリカの学校は今 その二十五 Intermission サブカルチャー

NOVEMBER 1961:  Bob Dylan recording his first album, "Bob Dylan", in front of a microphone with an acoustic Gibson guitar and a harmonica during one of the John Hammond recording sessions in November 1961 at Columbia Studio in New York City, New York. (Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

NOVEMBER 1961: Bob Dylan recording his first album, “Bob Dylan”, in front of a microphone with an acoustic Gibson guitar and a harmonica during one of the John Hammond recording sessions in November 1961 at Columbia Studio in New York City, New York. (Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

250px-joan_baez_bob_dylan2014年8月11日のこのブログで「文化を考える その4 サブカルチャー」と題する駄文を掲載しました。次のような内容でした。

1960年代のサブカルチャーを誘因する大きなきっかけとなったのは、ベトナム戦争である。既成の体制やハイカルチャーに対して主として若者が怒りだす。主流の文化であるメインカルチャーの地位が揺るぎ出すのである。それまでサブカルチャーとして卑下されがちであった現象が次第にそ認知されていく。このことはメインとサブの境界を曖昧にしていくことを意味する。

音楽の世界ではビートルズのジョン・レノン(John Lennon)、ボブ・ディラン(Bob Dylan)、ジョーン・バエズ(Joan Baez)、ピーター・ポウル・メアリー(Puter, Paul & Mary-PPM)などである。彼らの、自由と平和を訴えるメッセージは若者だけでなく広く大衆に受け入れられていく。映画の世界でも芸術性の高い作品に混じって、大衆娯楽に徹するものとが共存していく。「ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる”新しい波”の映画も制作される。大島渚の「愛のコリーダ」は既成の概念を打破するような演出だ。演劇もそうだ。アンダーグラウンド(Underground-culture)とかカウンターカルチャー(Counter-culture)と呼ばれ、反権威主義的な文化の芸術運動が広まった。それまで認知度が低く、水面下での活動がやがて社会的な地位を確立していく。

漫画やアニメはかつてはサブカルチャーだったが、今やすっかりメインカルチャーとして不動のものとなった。ビデオ・オン・デマンド(VOD)が有線テレビジョン(CATV)で提供されている。「一億総白痴化」 、「駅弁大学」といった造語の大家、大宅壮一には今の社会状況がどのように写るのかは興味ある話題である。彼が生きていれば一体どんな流行語を使うだろうか。