聖書の中の女性の生き方 その六 女性の執事「フィベ」

Deaconess-Ministry--element60 3382718003_1623cf6c00 deacon-and-deaconess-clipart-1新約聖書の中に、次のような神と人との順序に関する記述があります。「すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である」(第一コリント人への手紙11章3節)。この手紙はパウロ(St. Paul) がコリント(Corinthian) の人々に送ったものです。

コリントは、紀元前5世紀頃にはギリシアの三大都市国家といわれました。アテネ(Athens)やスパルタ(Sparta) と並ぶ古い港湾都市です。今回は、コリント地方のケンクレヤ(Cenchrea)にあった教会の働き人で、女性の執事 (deaconess)  であったフィベ (Phoebe)を取り上げます。ケンクレヤはギリシャのコリントの南東にある町です。

「女のかしらは男であり」というフレーズは、いろいろな議論や誤解を生んできました。旧約や新約聖書の時代には、こうした男女の関係が存在して秩序が保たれていたように思われます。後年、男女平等とかウーマンリブにも影響を与えました。神とキリストに上下関係がないのと同じように、男と女の上下関係を決定するものではなく、役割を示唆した言葉ということを示唆しています。

教会には司祭とか牧師といった聖職者あるいは教職者がいます。神学教育を受けて按手(ordained)された人です。按手とは、教職者の権能や役割を志願者へ授与し、教職者として任命する儀式のことです。聖書の講解、結婚式や葬儀などの式典を担う人です。こうした人は、聖書の神と人の順序の記述にあるように、男性に限られてきました。

教会は教職者だけでなく、それを補佐する者、教会教育や音楽、書記を担当する者などから構成されます。この教職者を補佐する者は「執事」(deacon) と呼ばれています。女性もまた執事(deaconess) として奉仕します。「執事」という言葉は「しもべ」(servant) 、「仕えるもの」を意味するギリシャ語の「diakonos」から由来しています。

ローマ人への手紙やピリピ人への手紙には、パウロが教会で働く女性にあいさつの言葉を送っています。特に、ケンクレアの女性執事、フィベを歓迎するようにということをローマのキリスト教徒に頼んでいます。パウロにとって助けになったとさえ書いてあります(ローマ書16章1節)。

パウロはいいます。「どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。」