女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その六 お艶と大山詣

20150624000150_233962 oyama_afuri10 624c38a9両替商、今津屋吉右衛門のお内儀がお艶です。あまり体が丈夫でなく子もできません。吉右衛門やおこんは常日頃心配しています。番頭の由蔵には、今津屋の跡継ぎがないことが気掛かりです。

体調が思わしくなり、お艶は大山詣を決意し、夫や磐音、おこんらと出掛けるのです。雨降り山といわれる大山、古くから相模国はもとより関東総鎮護の霊山として崇敬を集めてきた1,250mの山です。そこに阿夫利神社があります。古来より雨乞い信仰の中心地としても広く親しまれてきた神社です。

磐音は、激しい雨をついて厳しい岩場をお艶を背負って不動堂まで登っていきます。お艶は念願の大山詣を果たし、磐音にいうのです。

「坂崎さま、私は生涯坂崎さまの背の温もりを忘れません。」

その帰り、伊勢原宿の子安村でお艶は病状が進み、もはや江戸に戻ることが難しくなります。お艶の死期が近いことを吉右衛門は知ります。堪らずむせび泣くおこんに吉右衛門はいいます。

「おこん、人はだれも死ぬ。それはこの世に生を受けたときからの理です。なんの哀しいことがありましょうか。そう考えながらお艶のかたわらで、ゆったりした時を過ごしてみようかと考えました。」

死と向き合うのは人の尊厳に満ちあふれる姿といえましょう。背けず、真っ直ぐに生と死を受けとめる姿に神々しさすら感じます。

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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その五 おきねの死

22d3b1f2 image0-131 toufu_pic坂崎磐音は幼なじみと一緒に江戸で直心影流佐々木玲圓の道場で修行します。共に藩に戻ると陰謀に巻き込まれ、自身の許嫁である小林奈緒の兄を上意によって討ち取ることになってしまいます。傷心の磐音は藩を去り再び長屋暮らしを始めます。

両国東広小路にある楊弓場を経営するのがおきねです。そこに賭け事を挑む男が現れます。五十両を賭けて店をのっとろうとするのです。そこに今津屋の用心棒などで生計をたてる磐音が、相談にのっておきねを次のように励まします。

「勝負は背負っているものが多い者が負ける。なあに相手も人間、失敗することもあろう。勝ち負けは時の運だ」といって勇気づけます。

磐音は、おきねが矢場荒らしからとられた五十両を取り返します。大晦日、おきねは磐音に「休みがとれたらご馳走しましょう」と約束しますが、殺されてしまいます。やり場のない怒りと悲しみにくれた磐音はその仇をうちます。そして磐音はいいます。

「おきね、馳走になりはぐれたぞ、、」

今津屋の大番頭、由蔵は磐音があちこちからの依頼に助勢して飛び回ることに呆れています。
由蔵 「磐音様は今一つ欲がございませぬな」
磐音 「はあ、困ったものです」
由蔵 「ご当人がさようなことでどうなさる」

ですが由蔵は、おこんにも劣らず磐音の情に厚い人格と金銭感覚の淡泊さにぞっこん惚れ込むのです。

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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その4 長屋の女衆と金兵衛

10875058 11033830 PDVD_027-14a03金兵衛長屋の木戸に長屋の女達が集まってきます。金兵衛の妻、おのぶは二年前に流行り病で亡くなります。おこんが十三歳のときです。長屋の女衆、金兵衛、そしておこんの対話です。

「おのぶさんが亡くなって二年が過ぎたね。」
「一時、金兵衛さんはがっかりしていたけど、最近また元気を取り戻したようじゃないか。」

付け木売りのおたねが言い出した。
「東広小路の楊弓場の年増のを口説いているって話かい。」
「あら、おたねさんも承知かえ。」

そこに嘘っぽい空咳が響いて金兵衛が現れます。
これこれ、年端のいかない娘にまで、あらぬ噂を立てるんじゃないよ。」
「あら、おなっつあん、私も知っているわよ。」
「こらっ!」
「おめえ、あらぬ噂は信じるんじゃないよ。」
「長屋の噂なんぞ、千に一つもほんとうのことはないからな。」
「相手がいるのなら、後添いを貰ってもいいのよ。」
「気が寒いで元気をなくすより、新しいお嫁さんを貰って若返えれば。」
「おこん、なんてこと言うんだ。私はなにも、、、、」
「あーあ、女と小人は養い難しだ。」

「おこんちゃん、大家さんを屁って心にもないことを言うなんて、娘も苦労するね。」
「あら、おいちおばちゃん、私本心よ。」
「本心だって?」
「私、近々奉公にでるの。だから、お父っつぁんを独り残して行くのが一番気がかりなの。誰かお父っつぁんの所へお嫁がきてくれると安心なんだけどな。」
「おこんちゃん、おまえさんはできた娘だよ。」
「鳶が鷹を生むってこのことだね。」

金兵衛は、娘おこんの前で空威張りをしてはその威厳を保とうとします。ですが、おこんは父親の独り暮らしを心配して、嫁さんをもらっては、とづけづけ言うのです。金兵衛はおこんの言葉にぐさりと響きます。同時におこんの成長に目を細め、やがて婿がきて孫ができることを夢見ています。
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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その3 ちゃきちゃきの深川っ子

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Wooden bridge by Katsushika Hokusai, color woodcut, 1830-1833

Wooden bridge by Katsushika Hokusai, color woodcut, 1830-1833

c65fc1383559e536c1d5777c46df471d財政難に陥っている関前藩のために、磐音は江戸に関前藩直轄の物産所を設け海産物を売りにだすという提案をします。それまで仲買人が中心となって海産物を扱い、賄をもらう一部の武士だけが潤っていたのです。廻船貿易の提案が実行されて、舟で運ばれてきた海産物が江戸で人気が高まり経営は軌道に乗っていきます。

深川っ子おこんは両替商の今津屋で奉公しています。おこんが外出して蕎麦屋で休んでいるとそこに金比羅屋の用心棒が現れます。赤銅色に焼けた水夫達がおこんを見つけ、「酌をしやがれっ!」と迫ります。おこんが断ると「女郎屋に叩き売ろうか!」と罵声を発したときのおこんの啖呵です。

「へん、ふざけっちゃいけないってんだ。こっちは深川六間堀で産湯を使ったちゃきちゃきの深川っ子だ。薄汚いお前なんぞの酌をする今津屋のおこん様に考え違いをしやがったか。背に彫った金比羅様がお泣きになっておいでだよ。明後日出直してきやがれ! 馬鹿野郎!」

こんな啖呵を切り、「あら、いやだ。私としたことが怒りに任せて地を出してしまったね」と慌てて顔を赤らめるのです。

本当に気っ風がよくてすかっとします。でも今津屋では礼儀作法にたけ、人の機微を解し、主人や番頭が絶大な信頼を得て奥の努めを果たしています。彼女は、気が利いて周りの女中にも親切で、普段は決して叱ったり大声を上げることはありません。

おこんが深川や両国界隈を歩くと、男衆が振り返りなんとか近い寄りたいと腕をこまねくのです。おこんは、磐音に首ったけなのですから、そこらの男に媚びを売ることはありません。

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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その2 金兵衛の娘

149288_30555main 江戸は深川六間堀の通称「金兵衛長屋」の大家がおこんの父、金兵衛です。坂崎磐音もこの長屋に住んでいます。夏でもどてらを着ていて、娘からも「どてらの金兵衛さん」と呼ばれています。連れ添いのおのぶは既に他界しています。口は少々悪いのですが、生来気がよく、店子からも慕われています。「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」というのは落語定番の台詞です。

おこんは今小町と呼ばれる別嬪です。「鳶が鷹を生んだ」という評判になるほどの美人です。今津屋に女中として長年奉公し、若いながら奥向きの一切を任されるほどの信頼を得ています。気っ風がいい深川娘です。

金兵衛は浪人暮らしの磐音をかばっています。早く娘が嫁に行き、孫をみたい、みたいと言っています。おこんが密かに磐音に想いを寄せているのを知らず、あれこれと見合いの工作しては、おこんに叱られ見合い計画はおじゃんになりしょんぼりするのです。娘の磐音への想いを父親はまだ存ぜぬのです。
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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その1 「おこん」

004_convert_20120115101539 old-edo c0096685_15452502個性的な登場人物が多い時代小説に「居眠り磐音 江戸双紙」があります。その物語をとおして、しがない武士や浪人、翻弄される女性 (にょしょう) 、生計 (たっき) で苦労する職人、忙しい商人らがどのように苦悩し、助け合っていくかという視点から見つめるのがこのシリーズです。いわばカウンセリングのような対話や禅問答のような言葉を通して、人々がどのように生きていくかを取り上げます。

豊後関前藩の中老、坂崎正睦の嫡男、磐音が主人公です。江戸勤番中に佐々木玲圓道場にて直心影流を習得します。関前藩に同士と戻るのですが藩内の陰謀に巻き込まれ、かけがえのない仲間たちを一夜にして失います。上意とはいえ、許嫁、小林奈緒の兄を殺めてしまった磐音は、失意のうちに江戸に戻り、浪人として深川六間堀で長屋暮らしを始めるのです。鰻屋でうなぎ割きや両替屋の今津屋で用心棒などをしその日の生計をたてます。

奈緖の家も政争によって廃絶し、父親の病気のために奈緖は自ら遊里に投じ、各地の女郎屋を転々とし、やがて江戸の吉原で白鶴大夫という名の花魁となります。その後、奈緖は山形の紅花問屋、前田屋内蔵助に落籍(ひか)され嫁いでいきます。奈緖らが山形への旅の途中、襲ってくる輩を磐音は密かに成敗して別れを告げます。全くの別世界で生きる奈緖の幸せを祈りながら、磐音は剣術に生きることを決意します。

磐音の剣の腕には師匠の佐々木玲圓も一目を置きます。剣の構えを見て「まるで春先の縁側日向ぼっこをして居眠りをする年寄り猫」と形容します。その仕草が居眠り剣法と呼ばれていきます。礼儀正しく礼節を重んじ、穢れのない人格、人情に厚く金銭に執着しない穏やかな生き方に周りの者が惹き付けられていきます。

今津屋の女衆として奉公するおこんは、ちゃきちゃきの江戸っ子娘。その美貌は「今小町」と呼ばれます。そして、おこんは密かに磐音に懸想するのです。さてその顛末は次回より始まります。

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二文字熟語と取り組む その56  「嚆矢」

ca0d73a117cd0eb2fa252017663469e6 嚆矢 時代小説に登場する二文字熟語で難語を取り上げております。今回は「嚆矢」です。「嚆矢」とは鏑矢(かぶらや)、もう一つ大事なことは物事のはじめという意です。

昔、中国では戦闘開始のとき鏑矢を敵に射たといわれます。矢に鏑をつけその先に雁股をつけたのです。敵方と味方に「これから戦闘を開始するぞ、」という合図で放たれるのが鏑矢。武器ではありません。

鏑矢は、飛ぶとき鏑の孔に風が入ってヒュッと響きを発するのだそうです。「嚆」とは、大声をあげるとか叫ぶという意味もあります。

「嚆矢」は人が発見したり発明する画期的なことの始まりという意です。それも時代を変えるような新しいことです。同義語として「起源」がありますが、こちらは自然発生的な始まりを示す語です。「嚆矢」は人間の創作による始まりということです。

56回にわたって二文字熟語を話題として取り上げてきました。ここらでネタが切れました(;_;。暫くお休みといたします。明日からは別な話題でお届けします。

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二文字熟語と取り組む その55  「細作」

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以前、兵庫教育大学の同窓生に案内してもらい、息子夫婦と孫達とで伊賀流忍者博物館を訪ねたことがあります。博物館は三重県の伊賀市にあります。孫はそこで忍者の服装をして館の内外を歩き回りました。忍者屋敷は茅葺きの農家ですが、あちこちに仕掛けがほどこされています。例えばもの隠し、ドンデン返し、仕掛け戸などです。敷地内では女忍者の「くノ一」が説明してくれます。アメリカでもPokemonと同様に「Ninja」は根強い人気があります。

さて、「細作」(さいさく)とは忍者、忍びの者です。間者、間諜、密偵、探子、スパイなどとも呼ばれています。現在は、情報機関の機関員で諜報員とか工作員といわれます。ジェームス・ボンド(James Bond) もそうです。忍者は我が国の呼び方といわれます。中国は三国時代の呉では「間」といい、戦国春秋の時代には「諜」といい、それ以降は「細作」とか「遊偵」等と呼ばれてきたといわれます。

謀略戦術は古今東西を問わず重要な兵法です。武田信玄や北条早雲、毛利元就、織田信長、徳川家康などがその戦略を用いたといわれます。間諜とか忍者は各地で跳梁していたようです。伊賀、甲賀、雑賀、根来などの間諜集団です。

1582年に起きた「本能寺の変」のあと、堺にいた徳川家康を護衛して伊勢から三河に抜ける伊賀越えを助けたのが伊賀衆や甲賀衆です。彼らはその功績によって幕府に召抱えられるようになります。それが服部正成で、通称「半蔵」と呼ばれました。半蔵の部下であった与力や伊賀同心が江戸城の一角に組屋敷を構えます。今も「半蔵門」が残っています。半蔵門から始まる甲州街道は四谷から新宿、府中、八王子、そして甲府へと続いています。今の麹町一丁目付近です。

間の字に「隔てる」という読み方があります。忍術には役割として敵の君臣らを割くことや、隣国の君主と和合の間を隔てて遮り、援兵のないように工作することもあります。今放送中の「真田丸」にも間諜が活躍しています。情報合戦はドラマの見所の一つです。

二文字熟語と取り組む その54  「昵懇」

005VvsWFjw8eo22xl4shyj30bp0bpt95 54f90f34585d9d888bc7d096597b3207 photo_3私たちは、多くの人々との付き合いで生かされています。その中でも特に親しくしている人がいるはずです。その付き合いの状態を「昵懇」と呼ぶことができます。間柄が親しいこと、心安くしていること、また,そのさまのことです。

「昵」の訓読みとして、大辞林によりますと、なじむ、ちかづく、なれしたしむ などとあります。さらに、ねちねちと近づき親しむ、ともあります。その他、意外な意ですが、いましめる、ただす、ととのえるともあります。

次に、「懇」の訓読みはねんごろ、です。まめましく心をこめるさま、せいいっぱい真心をこめるさまとあります。

このように「昵懇」の仲とは、時に相手を戒めたり、苦言を呈したり、助言することすること、相手もまたそれを真摯に耳を傾け、有り難く受けとめるという関係のようです。
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二文字熟語と取り組む その53  「英邁」

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「英」という字は、はな、はなぶさ、うるわしい、すぐれている、はなざかり、玉に似た石、人の才能などと定義されています。「性情に移してすぐれる」、「立派」というさまです。大漢和辞典によれば、英は「叡」、「穎」の代用文字とあります。叡智、英知どちらでも同じ意味です。

「邁」という語ですが、どこまでも進んでいく、どんどん過ぎ去っていく、勢いあまっていきすぎる、努める、などの意です。広辞苑では「英邁」とは、他の人に比べて才知が非常にすぐれている、心がおおらかなこととあります。「英邁闊達」、「天資英邁」などの四文字熟語も知られているところです。

「闊」とは広くゆとりのあること、堂々と歩くこと、間があいているという意です。そこから度量が広く物事にこだわらないことが「闊達」 久しく会わないことが「久闊」、注意の足りないこが「迂闊」という語が成立します。 「英邁」といわれる人は、「闊」の気心の持ち主のようです。

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二文字熟語と取り組む その52  「下問」

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「下問」(かもん)を広辞苑では次のように定義されています。
1 身分の高い者が目下の者に質問すること。質問する人を敬っていう語
2 他人から向けられた問いのことを自分でへりくだっていう語。

漢和大字典には「敏にして学を好み、下問を恥じず」というフレーズも辞書にあります。「下聞 」は同義語です。自分の知らないことを下々に問うことを恥じてはいけないということです。

「下」ですが「掌を伏せてその下に点を加え下方を指示し、掌の上下によって上下の関係を示す」とあります。

「門」は、二枚のとびらを閉じて、中を隠す姿の象形文字です。「問」はわからない所を知るために出入りする口などの意を示しています。神意を諮り問う意です。「問」は、問いただす、ひとをたずねる、責任や罪を問いただす、相手の様子を尋ねる手紙、評判や名声という意味もあります。後に「問答」や「問遺」、「問責」などの意などで用いられます。

上と下という漢字ですが、「一のひきようによって上になったり下になったり」という台詞が江戸の殿様を描く演目にでてきます。下々の生活を知らない殿様を笑う場面です。そして口の字の上下に一を書くのが「中」。上や下よりも中が一番良い、という噺です。

二文字熟語と取り組む その51  「懸想」

kesoubumi01 i_041 P1070541-d2e39「懸想」とは恋い慕うこと、思いをかけることです。どうも、男女どちらの情も示す語のようです。

「懸」という漢字の意味からです。「字通」によりますと、物がぶら下がる、物事が宙づりになったまま決着つかないさま、かけ離れる、隔たる、遠い、むなしく思うといった意とあります。そこから「懸想」とは、男女の情愛を示す語となったということです。想いが成就するかどうかは、不明であることを予感するような響きです。

「懸想文売り」というのが登場します。正月元旦から15日まで、祇園で法師姿で赤い布衣をつけ、鳥帽子をかぶり白い布で覆面し、懸想文を売り歩いたのが「犬神人」と呼ばれた下級の神官です。

江戸でも同じように正月になると辻占いの一種である「懸想文」が売りにだされました。もと花の枝につけた艶書のことです。男女が良縁を得るようにと、細い畳紙の中に米粒をいれて縁起物としたようです。今は、2月2,3日の節分に見られる行事だそうです。

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二文字熟語と取り組む その51  「挙措」

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「挙措」(きょそ)とは「挙止」ともいい、立ち居振る舞いという意味です。「挙」とはこぞって、ことごとくという意味の語です。多くの中から優れた者を持ち上げることが推挙。任官試験を受けることが「科挙」です。

「措」は手と昔から成ります。「置くなり。手に従ひ昔を声とす」とあり、赦すということのようです。安定するように置くという意味もあります。適切に処理するとか、着手するという意味もあります。

「挙措」は手を上げ下げするという意味から、立ち居振る舞いを意味するといわれます。本来、何気なく行っている動作のことです。

「挙措」の熟語はいろいろあります。例えば、「挙措失当」。これは対処の方法や振る舞いが間違っていることです。「失当」は適切ではないことです。「挙措を失う」とは、取り乱した行いをすること。「挙措進退」は、同じく立ち居振る舞いのこと。「進退」とは文字通り進むことと退くことという意です。「進退伺い」は聞き慣れた語です。

居眠り磐音江戸双紙の「紅花の邨」に次のような描写があります。昔の許嫁の奈緖とその旦那の苦境を聞いて助けに山形にでかけた磐音が、地元の女衆の動作を見ていいます。

「挙措が田舎くさくないのは、山形が紅花の交易で、最上川の船運と酒田港を拠点とした西廻り航路で京と深く結び付いているせいか、、、」

二文字熟語と取り組む その49 「宥恕」

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昨日の夕刊にあった二文字熟語のクイズ問題です。徒、綿、風、出、押に続く漢字は何か、この漢字に続くのは、弁、道、魁 という問題です。熟語を考える時のコツは、難しい漢字を使う熟語を探すことです。

私は日常あまり見かけない「魁」に目をつけました。そうです。「花魁」という語が浮かびました。正解は「花」。「出花」、「徒花」なども難しい語です。実は、「徒花」という語は知りませんでした。「あだばな」は実を結ばず散る花、物事が成就しないという意味だそうです。

さて、弁護士は時になにかの示談書で、「甲は乙を宥恕(ゆうじょ)する」と書く場合があります。許すと同じ意味でして「甲は乙の前記の行為を宥恕する」という使い方をします。少々古風な表記ですが、文面に重みがあります。

「宥」とは、ゆるす、なだめるとあります。見のがしてやること、大目にみて許すことです。寛大な心で罪を許すことでしょう。

宥恕の同義語で「寛恕」があります。相手方の非行を許容する感情の表示語です。心が広くて思いやりのあること、また、そのさま、と辞書にあります。

「寛」とは、空間がひろい。ゆとりがある、やさしい、ゆるやか、心がひろいという意味です。寛大、寛容など多くの熟語があるのは頷けます。過ちなどをとがめだてしないで許すこと、それが「寛恕」であり「宥恕」ということでしょうか。

二文字熟語と取り組む その48 「嗚咽」

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「字通」にも「漢和大字典」にも嗚咽という語がでてきません。懸命に探したのですが、見つけられません。どうも当て字のようです。

広辞苑にありました。「嗚咽」(おえつ)は声すすり泣くこと、むせび泣くこととあります。声が出るのを我慢して泣くさま、悲しみ泣くことです。

字通では「嗚」とは「神の承諾をえること」、「神に祈り、鳥の声などによって占う鳥占いの俗を示す」という説明があります。

「咽」は、のど、むせぶ、というのが訓読みです。呑み込むのが「咽下」。「嗚呼」とは物事に深く感じたり驚いたり、悲しむとき、喜びを発する語、あるいは呼びかけに用いる語のことです。

二文字熟語と取り組む その47 「席亭」

127306260622416231627 aYaUxUcq 231001470今回は、趣向を変えた二文字熟語です。先日、いつもお世話している囲碁クラブの席上で、先輩から、「席亭はいろいろと大変ですね」といわれました。碁会クラブをお世話し、毎週二回、市民センターを予約をし、例会当日は碁盤や碁石、座布団をならべたり、月謝を集めるのが私の役目です。その他、新入会員の棋力を知り、対局相手を世話します。棋力の低い新人は先輩に対局依頼の声をかけにくいからです。

さて、「席亭」のことです。「席亭」とは本来、寄席のことを指しました。寄席の亭主の略で寄席の経営者のこと、席主とも呼ばれています。芸人などの出演者や演目などを選択し、一座を提供し木戸銭を折半するのです。誰を出演させるか、芸はしっかりしているか、客の受けはどうかなど噺家を見極める高い経験知が要ります。

東京や大阪では、落語を主とした寄席に人気があります。噺家が修行し話芸を磨くところが寄席落語です。このように狭義の寄席は落語が中心で東京には四カ所、大阪には一カ所あります。最後の演者は、トリとよばれ、落語では真打といわれる噺家がトリをつとめます。

他方、真打とか名人と呼ばれる噺家は、寄席の他にいろいろな場所で洗練された芸を披露します。例えば国立劇場とか市民会館などでの興行です。テレビ出演も真打ちです。前座見習い、前座、二枚目といった修行中の噺家はまだ大舞台に立つことはありません。

多くの場合、寄席の出し物は席亭と協会とが話し合って決めます。上野の鈴本演芸場は落語協会、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場は、落語協会と落語芸術協会とが交互に出演者と演目を決めています。組織というものは、内紛があります。どの組織に所属するかによって寄席に出られるかどうかという哀しい現実もあります。ともあれ、落語家は一生が修業といわれます。

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二文字熟語と取り組む その46 「弥栄」

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「いやさか」と読むのは難しですが、、広辞苑では「いよいよ栄えること、繁栄を祈って叫ぶ声、ばんざいのこと」とあります。  「弥栄に花を咲かせよ、初春の白梅」

「弥」とは「わたる」、「あまねし」、「とおい」、「いよいよ」といった意味があります。「わたる」は、ある区間までの時間や距離を経過すること、「あまねし」とは広くすみずみまでいきわらるさま、「とおい」とは久しいこと、「いよいよ」とは、遠く伸びていつまでも程度が衰えない意とあります。

北海道の民謡で酒盛り唄、盆踊り唄に「弥栄音頭」があります。鰊漁で本州から出稼ぎにきた漁夫、ヤン衆らが渡島半島あたりに持ち込んで広まった仕事唄のことです。「ヤン」とはアイヌ語で「向こうの陸地」本州を意味するとあります。鰊が大量に獲れた時代は昭和30年くらいまで。春先、稚内の海岸が白子で真っ白になっていたのを思い出します。

富山県高岡市の郷土民謡に「弥栄節」があります。こちらは鋳物師達の息遣いが感じられる盆踊り唄です。「えんやさ、やっさい、、」という囃しが響きます。

二文字熟語と取り組む その45 「馥郁」

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漢字を調べるのに、「字訓」や「字源」の他に、「広辞苑」と三省堂の「大辞林」、そして学研の「漢和大字典」を参照します。この五つを調べると語義が解ってなるほどと頷きます。

「馥郁」(ふくいく)とは「良い香りが漂うさま」とあります。ふっくらとしたさまです。「馥」は、香りが豊かにこもるさま、ふくようかなにおい、その他よい影響やよい評判にたとえることもあります。会意兼形声で香りと腹で作られました。「ふっくらとした」とは妊婦を指すのかもしれません。「馥気」は良い香り、「福」(ゆたか)と同系です。

「郁」は、(1) 多くの模様がはっきりとくぎれ、目だつさま、(2) まだらであでやかなさま、(3) 盛んなさま、(4) 香気ががくわしいさま、とあります。

「馥郁」とは、このようになんとも香りの放つような語だと感じます。

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二文字熟語と取り組む その44 「重畳」

27015520 big-unit-1053823822 t-f畳は、皮畳、絹畳、むしろ、こもなど敷物の総称です。平安時代には既に今使われているような畳が布団のように使われていたようです。当時これらは大変な高級品で、一部の特権階級に愛用されていたとか。それはそうでしょう。鎌倉時代から室町時代にかけ、書院造りが生まれて、部屋全体に畳を敷きつめるようになりました。庶民に畳が普及したのは江戸時代。畳職人の活躍が江戸の下町を舞台にした小説にしばしば登場します。

畳の材料はイグサ。非常に高い吸湿性を備えています。湿気の多い部屋では水分を吸収し爽やか、乾燥した場合には、蓄えた水分を放出する特徴があるといわれます。昔の畳はゴワゴワしていました。すべてイグサ作りだったからです。今の多くの畳にはベニヤ板のようなものが入っているので踏んでもふわふわしません。

次に畳縁、へりについてです、絹や麻などの布地を藍染め等の食物染にしたものです。 畳縁には、格式を重んじて家紋を入れる「紋縁」というものもあります。これは格式の高い仏間や客間、床の間等で使われてきました。家紋を入れることによって、家のステータスを示しました。紋様は寺社、宮家、武家、商家などで違い、その身分を表す文様や彩りが定められていたようです。

畳の縁を踏まないことが武家や商家の心得とされました。特に家紋の入った畳縁を踏む事は、ご先祖や親の顔を踏むのと同じこととされました。「畳の縁は踏まない」ことが「相手の心を思いやる」ということの表れだったようです。

長い前置きとなりました。「重畳」という語があります。畳が普及し始めた頃の床は、今で言うところのフローリングのような板の間で、人が座るところに敷かれていただけだったそうで、その畳を重ねることができるのは出世を意味し、それで、「この上もなく満足なこと」「大変喜ばしいこと」とされたという説があります。はなはだ好都合なことなど、感動詞的に用いるのが「重畳」です。「重畳、重畳、、、」といった塩梅です。

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二文字熟語と取り組む その43 「糊口」

images bc62d25b Einreise italienischer Saisonarbeiter, Brig 1956#Italian seasonal workers when entering into Switzerland, 1956日常あまり見かけない難語を取り上げています。取り上げる順序は全くランダム。時代小説を読みながら見慣れない語を拾い上げては字典で調べています。時代物の熟語は通常使うことが少ないので、使ってみたくなります。

「糊」は、米や穀物がほとんど入っていないような薄いお粥のこと。澱粉糊などの洗濯糊、防染糊、接着剤などにも使われます。「糊」にはうわべをなすという意味もあります。その場を何とか取り繕うことが「糊塗」です。
「今日まで巧みに世間の耳目を糊塗して居た」

「糊口」は「餬口」ともいいます。口を糊する、粥をすする意があります。くちすぎ、生計(たっき)をたてることです。慣用句として「糊口を凌ぐ」、「糊口の道が絶たれる」といった表現です。身過ぎ世過ぎする、露命をつなぐ、細々と暮らすという按配です。

現代の格差社会において「糊口を凌ぐ」生活をする人々が大勢います。「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」ワーキングプアのことです。年寄りも若者も将来の不安を抱えています。保育士で結婚しても子供をつくれない人もいます。最近は貧困から生まれた「介護殺人」という事件も報告されています。低所得者への所得分配の不平等が起きている恐ろしい時代です。

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