アメリカの学校は今 Intermission その二十七 Cultural Studies

_mg_0145 landscape-1464097810-bob-dylan-jerry-schatzberg a8fbef631640965b845ac4e3cd88f747あまり聞き慣れない研究の分野に「Cultural Studies」というのがある。文化学研究とでもいえようか。「地域へと広まっていった文化一般に関する学問研究の潮流を指している」 とある。ハイカルチャーだけでなくサブカルチャー(大衆文化)の研究を重視するようだ。

サブカルチャーという用語を最初に使ったのはアメリカの社会学者のデイヴィッド・リースマン(David Riesman)である。彼は「孤独な大衆」(The Lonely Crowd)という著作の中で、社会的性格は伝統指向型から内部指向型とか他人指向型へと変化すると論じている。リースマンは、伝統指向型の社会的性格は、はっきりと慣習が伝統によって体系化されているため、恥に対する恐れによって人々の行動は動機付けられると考える。

さらにリースマン曰く。内部指向型や他人指向型の社会的性格では、人は行動の規範よりもマスメディアを通じて、他人の動向に注意を払う。彼らは恥や罪という道徳的な観念ではなく不安とか寂しさによって動機付けられるのだと。この考えは仮説だろうと察するが、一考に値する。

ハイカルチャーを享受するには相応の教養や金と時間が必要であった。だが、大衆が実力を持つのは20世紀。大衆社会においては、高等教育を受けた人々が増加し、ハイカルチャーも一般の人々が楽しむことができるようになった。絵画であれば、美術館に足を運ばなくとも美術書などで見られるし、音楽も演奏会に行かなくともラジオ・テレビ・CD・インターネット上で気軽に楽しむことができるようになった。現代は、いわばハイカルチャーの大衆文化時代といえる。要は、Cultural Studiesとは以上の現象をもっと難しく研究する分野のようだ。

Bob Dylanの歌詞は大衆文化の典型のように分かりやすい言葉を使っている。だが、その歌詞の意味は誠に深い。ノルウェー・ノーベル委員会はそれを評価したのだろう。

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アメリカの学校は今 Intermission その二十六 文化の回帰ということ

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Bob Dylanの話題から、過去のブログで綴った「文化の回帰」という拙文を読み起こしています。以下は2014年8月に掲載した駄文であります。ご笑覧くだされば幸いです。

大衆文化と呼ばれるサブカルチャーのメインカルチャーへの挑戦は至るところに現象として現れた。1960年代である。当然のようにメインカルチャーと考えられた歴史とか古典に対する強い関心と畏敬は、サブカルチャーの側からすると一種の審美的文化観とされて、時に「マニア」、「おたく」といった独特な行動様式として揶揄されることもある。しかし、おたくの本人は「伊達や酔狂」と自負するようなところがあって、こうした人々はむしろ孤高のような存在感を楽しむようなところもあるようだ。

サブとメインの境界が曖昧になったということは、その逆転現象がうまれてきたということかもしれない。例えば、活字文化は今もそうかもしれないが、メインカルチャーの旗頭であった。だが、なにもかも電子媒体としてメディア界に急速に広がるのが現在。書籍の売り上げた伸びないのは、電子媒体の流通と普及と逆相関があるようだ。多くの書類、卒業論文、研究論文は電子媒体で提出しなければならない。悔しいことだが、手書きの論文は受け付けてくれない。

「子供たちは夏目漱石や森鴎外を読まないのではない。読めないのだ」ともいわれる。漢字能力の低下が一因だというのである。手書きできない。それで電子辞書を使い携帯電話サイトから「ケータイ小説」を作る。「書く」のではない。漢字が書けなくても小説が書けるという時代になった。「話し言葉が中心なので親近感があり、一文一文が短く読みやすい」という新しい文化観もそこにある。

技術革新に伴う諸々の変化は、もはや後戻りができない。革新が続くだけだ。だが、電子媒体にも寿命がある。記録したデータを保持できる期間は有限である。読み込みの処理がなくとも経年により媒体は劣化していく。そしてデータが読めなくなったり消失したりする。自分もその苦い経験はある。もっとも機械的な寿命の問題だったが、、、、

活字文化がサブカルチャーか、メインカルチャーかという議論はなにか不毛な感じもする。だが分かっていることは、サブとメインの逆転、そのまた逆転も起きうることである。今や「アングラ」も「ヌーヴェルヴァーグ」という表現に出会うことはない。文化の論争は意味がなくなっているからだろう。文化の回帰現象は、統計で使うように平均とか元の状態に近づく、あるいはそれを繰り返すということであるようだ。

活字文化プロジェクトが各地で盛んになり、活字文化推進会議とか活字文化推進機構もできた。電子媒体文化とのせめぎ合いのようだが、両者が共存することも文化ではないかと思うのである。
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アメリカの学校は今 その二十五 Intermission サブカルチャー

NOVEMBER 1961:  Bob Dylan recording his first album, "Bob Dylan", in front of a microphone with an acoustic Gibson guitar and a harmonica during one of the John Hammond recording sessions in November 1961 at Columbia Studio in New York City, New York. (Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

NOVEMBER 1961: Bob Dylan recording his first album, “Bob Dylan”, in front of a microphone with an acoustic Gibson guitar and a harmonica during one of the John Hammond recording sessions in November 1961 at Columbia Studio in New York City, New York. (Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

250px-joan_baez_bob_dylan2014年8月11日のこのブログで「文化を考える その4 サブカルチャー」と題する駄文を掲載しました。次のような内容でした。

1960年代のサブカルチャーを誘因する大きなきっかけとなったのは、ベトナム戦争である。既成の体制やハイカルチャーに対して主として若者が怒りだす。主流の文化であるメインカルチャーの地位が揺るぎ出すのである。それまでサブカルチャーとして卑下されがちであった現象が次第にそ認知されていく。このことはメインとサブの境界を曖昧にしていくことを意味する。

音楽の世界ではビートルズのジョン・レノン(John Lennon)、ボブ・ディラン(Bob Dylan)、ジョーン・バエズ(Joan Baez)、ピーター・ポウル・メアリー(Puter, Paul & Mary-PPM)などである。彼らの、自由と平和を訴えるメッセージは若者だけでなく広く大衆に受け入れられていく。映画の世界でも芸術性の高い作品に混じって、大衆娯楽に徹するものとが共存していく。「ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる”新しい波”の映画も制作される。大島渚の「愛のコリーダ」は既成の概念を打破するような演出だ。演劇もそうだ。アンダーグラウンド(Underground-culture)とかカウンターカルチャー(Counter-culture)と呼ばれ、反権威主義的な文化の芸術運動が広まった。それまで認知度が低く、水面下での活動がやがて社会的な地位を確立していく。

漫画やアニメはかつてはサブカルチャーだったが、今やすっかりメインカルチャーとして不動のものとなった。ビデオ・オン・デマンド(VOD)が有線テレビジョン(CATV)で提供されている。「一億総白痴化」 、「駅弁大学」といった造語の大家、大宅壮一には今の社会状況がどのように写るのかは興味ある話題である。彼が生きていれば一体どんな流行語を使うだろうか。

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アメリカの学校は今  その二十四  Shorewood Hills Elementary School

6393805-unitarian_church-0 65443863 horse-kids-1 mcgruff-cycle-2この学校は私の三人の子供が卒業した小学校です。ウイスコンシン州(Wisconsin) マジソン市(Madison) の隣にあります。学校は、Village of Shorewood Hillsというれっきとした自治体の中にあります。閑静で高級な住宅街で、理事会 (Board of Trustees) がこの村を運営しています。村税、警察、道路、公園、水道、清掃などの業務です。その隣にはウイスコンシン大学の外国人研究員住宅地、そして大学院生の家族世帯が住む地域が広がります。Shorewood Hillsの子供はこの三つの地域から通ってきます。

この学校には非英語圏の国々からきた家族の子供が大勢学んでいます。大学院生の多くは外国からです。ですから地元Shorewood Hillsに住む子供は、いわば少数民族、というわけです。この学校にはニックネームがついています。それは「小さな国際連合- Small United Nation」というのです。子供の国籍や民族がさまざまなのです。40以上の国々から生徒はやってきます。ほとんどの子供の親は、研究者か大学院生です。

多様な背景を有する子供を指導する先生はさぞかし大変だろうと思いきや、スタッフは長年、こうした子供の指導に慣れています。当たり前のように子供達を上手に扱っています。非英語圏の子供に英語を教えるプログラムも優れています。スタッフは、子供の家庭が教育に対して熱心なことを知っています。Shorewood Hillsの住民も、自分の子供が異なる国々から来る子供たちと学ぶのはとてもよいことだと考えています。それに大都会の学校とは違って実に安全な学校です。

保護者は自分の担任の先生を選ぶことができます。校長に対して、「Smith先生に担任をお願いします」という具合です。大抵は希望どおりに先生をつけてくれます。私も、周りの人から指導に熱心なある先生のことを聞いていたので、三人の子供がこの先生から指導を受けることができました。この先生は二年生の担任でした。一度お礼を兼ねて自宅に招き食事をしたこともあります。

アメリカの学校は今  その二十三 Keaukaha Elementary School

webster5 keaukaha webster3 map_hawaiiハワイ最大の島ハワイ島(Hawaii Island)にある小学校を紹介します。今回は、Keaukaha Elementary Schoolです。呼び方は「キウカハ小学校」とでもしておきましょう。これまでハワイの私立学校を三つ紹介しました。ですがハワイの大多数の学校は公立学校です。

ハワイ島は通称Big Islandと呼ばれ、ホノルルから飛行機で50分位のところに位置する火山の島です。ここには、4,200メートルのマウナケア (Mauna Kea)という山頂に各国の機関が設置した天体観測所があります。我が国も国立天文台ハワイ観測所に有名な大型光学赤外線望遠鏡の「すばる」を建設して星の誕生や死、銀河の衝突、宇宙の膨張などの現象を調べています。この島は、日系人によって開拓された島で、ヒロ市内にHawaii Japanese Centerがあり、開拓の歴史が展示されています。

キウカハ小学校はハワイ島の中心ヒロ (Hilo)にあります。ハワイ島のどの学校も気候に合わせているせいか、廊下は吹きさらしになっています。キウカハ小学校もそうです。建物の多くは木造です。教室内はもちろん冷房が効いています。校庭は椰子の木がそびえています。教職員の服装はムームー (muumuu)やアロハ(aloha) 姿です。そして名前からして日系の職員が目立ちます。

この小学校は幼稚部から6年生までの学校です。訪問したときの校長はMs. Katherine Websterという女性でした。彼女から、一緒に訪問した障害児教育専攻の教師6名に対してハワイの障害児教育の講義を受けました。通常、小学校の校長は障害児教育にはあまり詳しくはないのです。Ms. Websterは違いました。全障害児教育法(Education for All Handicapped Children Act of 1975)や指導法に至るまで、その博識に驚きました。

外は暑いので子どもの姿は見かけません。校庭は広くはありません。冷房が効いた体育館での運動が中心です。コンピュータは実に素晴らしく完備されていました。多くの島から成り立つ州だけに遠隔教育とか遠隔学習が盛んなのです。
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アメリカの学校は今  その二十二 スクールバス

tumblr_lylzltkjmc1qewb27o1_1280 school_main school-bus-car-that-didnt-stopアメリカやカナダの多くの子供達もスクールバスを利用します。バスは目立つ黄色で大分古そうなデザインの車体です。これがとても丈夫に作られています。高校の校区は広いのでスクールバスの路線もいろいろあります。始業前、放課後、そしてクラブ活動終了後に生徒を送迎します。

ほとんどのバスのエンジンは前方にあり、車体は高くてどこからみてもすぐわかります。運転手は手動でぐいとレバーを回してドアを開けます。スクールバスでの生徒の乗り降りには、生徒を護るために厳しい規則があります。このバスを見かけたときは、他の自動車は注意しなければなりません。生徒が乗降中は、運転席上部と後部のライトが点滅します。バスの両側には【STOP】と書かれた赤い八角形のサインボードが出ます。この間、後続の車はバスを追い越してはいけません。中央分離帯がない場合は、対向車も停止して生徒の乗り降りを待たなければなりません。バスの後部には「Don’t Pass When Signals Flashing」というサインがついています。

こうしたスクールバスを利用する者の安全を護る規則をがいろいろとあります。1939年にU.S. Federal Motor Vehicle Safety Standardsという規則が定められます。これを少し紹介します。なんといっても車体の頑丈さが要求されます。他のバスは黄色を使ってはならないこと、万一の事故で横転しても車体がクラッシュしないこと、横転したときなど、窓枠から生徒が投げ出されないこと、非常ドアが閉まっていないときはアラームが鳴ること、座席の間隔を狭めること、夜間のために蛍光色のテープを貼ることなどです。

最も歴史が古いバスの製造会社はWayne Corporationという企業です。1837年に最初のスクールバスを製造し、今や北米最大の製造会社となっています。この黄色いバスは、遠足や社会見学などでも生徒を運びます。またスポーツ活動でも選手らを運ぶのに使われます。どの州でも郡でもスクールバスは民間の会社が経営しています。

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アメリカの学校は今 その二十一  Assets School

0 img_5680-e1435167747649 paul-and-volunteers再び、ホノルル市内の学校の紹介です。ホノルル国際空港や真珠湾(Pearl Harbor)の近くにあるアセッツ・スクール (Assets School) を紹介します。この学校も「Kamehameha」 と同様に私立学校です。特に書字や読字に困難を抱える生徒が多数学んでいます。興味あることに英才児もいます。こうした生徒が普通の生徒と一緒に学ぶ授業のことを一体化教育ーインクルーシブスクール(Inclusive school)といいますが、この学校は一体化教育を地でいくところに特徴があります。

もともとこの学校は真珠湾にある基地に住む子供たちの学校でした。やがて誰もが入れる学校となりました。この学校には幼児教育から高校までの課程があります。このことを略して「K-12」、つまり幼稚園から高校までということです。生徒全員で350名の小さな学校です。

この学校のマスコットは海亀(honu)です。広い海を悠々と優雅に泳ぎ、あくせくしないで、いつも冷静に行動しようとする亀に学ぼうとする姿勢を意味しています。

小さい学校であるが故に、学校経営には企業や団体、同窓生、保護者などからの寄付が大事です。寄付の呼びかけには、「車を提供してください」、「コンピュータを寄付してください」というのもあります。学校を支えるのは地域であることは、校庭に現れています。「この木なんの木、気になる木、、、」というコマーシャルソングにあるガジュマルのような大木の下にすばらしい木製の遊具施設が並んでいます。校庭はもちろん全面芝生です。

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アメリカの学校は今  その二十   Elizabeth Hall International School

franken2 reading_circle img_1146_2Elizabeth Hall International Schoolは、ミネアポリス(Minneapolis)のダウンタウンの近くにある典型的な小学校です。典型的という意味は、多様な人種の子供が学ぶこと、その多くは経済的に恵まれない子供が多いということです。全児童の7〜8割をアフリカンアメリカン(African Americans)で占めています。

学校のスタッフは、子供の家庭状況などを反映して教師の他に言語治療士、(Occupational therapist: OT)、Physical therapist: PT)、音楽、学校心理士、矯正体育教師、メディアスペッシャリスト (Media specialist)がそれぞれ1名、ソーシャルワーカー(Social worker)が2名常駐しています。

不適切な行動や言語の問題を引き起こす児童もいます。私どもがこの学校を訪問したとき、事務室の前で2名の男児が立たされていました。後で理由を尋ねると女性教師に対する侮蔑的な発言をしたとのことでした。

そうした児童を一時待避させるタイムアウト室 (Timeout)もあります。タイムアウト室とは珍しいです。この教室の大きさは、幅と奥行きが3m*10m位です。窓が1箇所あり室内の中央に児童用の椅子が1脚置いてありました。ここで「しばし心を静め反省、、」させられるというわけです。

教師の不足が続き、介助教師 (Teacher aids)を雇っています。その数は11名でこれは全教職員の1/3にあたるそうです。3-4年生の混合クラスの授業では4人の教師(主1、サブ3)で7人の児童を指導しています。特別支援教育用の教室には教師の他に介助教師が1人、言語療法士も1人常駐しています。

時間割の中に「Rules」という科目もあります。日本でいう「基本的生活習慣」に相当するようです。社会的スキルの指導が目的のように感じられます。日本の道徳教育とは、質的に異なるようでした。ソーシャルワーカーは、子どもの不適切な行動に対する停学通知書の作成なども行うというのですから、随分と我が国とは事情が異なるものです。

児童の指導で苦心している学校のようですが、最近、国際理解教育の活動が活発となり、国際バカロレアプログラムを実施するという教師の努力が伝わる話題で注目されています (International Baccalaureate Primary Years Programme: IB-PYP) 。学校の新しい試みは生徒のダイヴァーシティによってできるのでしょう。

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アメリカの学校は今  その十九 Hiawatha Community School

mrt cargill-1459773566 ty8431926040023ミネアポリス市(Minneapolis) はミネソタ州(Minnesota)一の大都市。隣が州都セントポール市(St. Paul)でこれを併せて双子の町(Twin Cities)と呼ばれています。プロ野球のチーム名がTwinsですね。昔の氷河でできた多くの湖が点在しています。湖が多いので蚊が無数に飛んでいます。そんなわけで、「」ミネソタの州鳥はモスキートだ」という冗句があります。

ミネアポリスはミシシッピー川(Mississippi River)とミネソタ川(Minnesota River) が合流し、昔から穀物の交易で栄えてきました。この町はかってのノースウエスト航空 (Northwest Airline)や精密機械のハネウエル(Honeywell)等の本社がありました。ノースウエスト航空はデルタ航空(Delta Airline)となりアトランタ市(Atlanta) に本社があります。ミネアポリスはデルタ航空のハブ空港となっています。ハネウエル本社はニュージャージー州(New Jersey)に移りました。今は、穀物市場で有名やカーギル (Cargill)の本社がミネアポリスの郊外にあります。

町の中には大きな製粉工場などが目立ちます。1860年頃から主に北欧からの移民がやってきます。気候が似ていたからです。そのほか、オランダやドイツ、イタリアなどからも多くの移民が定住して発展してきました。その後アフリカ系やアジアの人々も職を求めて定住しました。

Hiawatha Community Schoolの話題です。「Hiawatha」は先住民族の一つであるモホーク族(Mohawk)の言葉で「戦士」という意味です。モホーク族は農耕民族ともいわれ、モホーク刈りと呼ばれる独特の髪型をしていたようです。さて、学校には幼稚部から5年生約300名が学んでいます。学校のあたりは、いろいろな民族の人々が住んでいます。貧しい家庭の子どもたちは、朝食と昼食の無料給食サービスを受けています。私たち見学者も朝食をいただく機会に恵まれました。大きなハンバーグ、フレンチフライ、牛乳です。ケチャップの袋が山盛りになっています。子供たちには、まずは腹を満たしてから学習させようとするのです。子供の中には白人もいます。服装も貧しく髪をとかしていないためか、すさんだ印象を受けました。
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アメリカの学校は今 その十八 サクラメントの学校(2) A. Warren McClaskey Adult Center

mcclaskey_0 delta-king-old-sacramento static1-squarespaceカリフォルニアの州都サクラメント (Sacramento) の人口は47万くらい。中都市といった規模です。ここの学校区教育委員会はUnified School Districtと呼ばれています。周辺の小さな町を統合して教職員、施設設備、予算を管轄しています。今回紹介するサクラメント市内の学校は発達障害者の成人教育機関、「A. Warren McClaskey Adult Center」です。恐らく、Warren McClaskeyという市民が教育委員会に多額の寄付をして造られたものと思われます。

このセンターは教育委員会が運営する発達障害者の職業訓練教育機関です。高校教育の延長となっていて、生涯教育施設ともいわれています。アメリカでは幼児教育から職業訓練にいたる教育は全て教育委員会の管轄です。ほとんど無料で職業訓練のサービスを受けることができます。

障害のある生徒も通常の高校で学習するのですが、それだけでは職業上の自立に至らない場合が多いのです。そのためにこうした訓練機関が存在します。一市民として地域社会で生活するためのスキルを身につけ、仕事について自立的な生活ができるように支援されるのです。

センターではいろいろな訓練プログラムを観察できます。例えばレストランのウエイターやウエイトレスになるための訓練です。清潔な服装、テーブルの用意、あいさつの仕方、座席への案内、注文の取り方、サービスの声かけ、チップの受け取り方、レジの扱い方などなど興味ある訓練を受けています。私たち教員一行もテーブルに座らされて訓練に参加し、おかげで無料の昼食をいただきました。訓練の成果でしょうか、生徒の対応も堂に入っておりました。チップも渡しました。

訓練の合間に余暇時間を過ごす空間があります。センターの側にある住宅を借りています。生徒は三々五々集まっては、珈琲を飲んだり、本を読んだり、ゲームをして余暇を楽しみます。そこの事務室には、訓練生一人一人の訓練プログラムのファイルがあります。個別の就労計画といった内容です。複数の教職員が訓練生の能力やスキルに合ったプログラムを作りそれに基づいて指導しています。ジョブコーチ (Job coach) はこうしたセンターでは欠かせない存在です。
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アメリカの学校は今  その十七 サクラメントの学校(1)

b95ac3fa61460082b560e1ba0bb8cf3cbcf487ba_600 maxresdefault sacramentoサンフランシスコ (San Francisco)から車で金門橋 (Golden Gate Bridge)を渡り北上するとブドウ畑が広がるナパ・バレー(Napa Valley)があります。景色は素晴らしくワインも美味しいです。そこから東へ向かうと州都のサクラメント(Sacramento)に着きます。サクラメントは元々ゴールドラッシュで人々が集まって発展したといわれます。穀物の集散地としても栄え、今も教育、文化、商業の中心となっています。西部開拓時代の街角は保存されていて、そこの店に入ると映画の世界のような気分を味わえます。

サクラメントの学校を兵庫教育大学の教師である大学院生10名とで訪問したことがあります。お世話になったのはカリフォルニア州最高裁の判事をしていたチャールズ・コバヤシ(Charles Kobayashi)という方と奥様です。お二人とも日系2世です。

西海岸に移民した日本人は皆懸命に働き、子どもたちに教育を授けて今の地位を獲得したことが伺えます。コバヤシ氏はその見本のような方です。今も多くの日系アメリカ人が活躍しています。コバヤシ氏はサクラメントの日系メソジスト教会 (Sacramento Japanese United Methodist Church) の長老をされたり、日系人のためのグループホームの建設で尽力されていました。奥様の兄弟は、かつてヨーロッパ戦線でハワイの日系アメリカ人で構成された第442連隊戦闘団(442nd Regimental Combat Team)にて活躍したそうです。

コバヤシご夫妻の娘であるLaura Ashizawaさんは、かって私が勤めていた国立特殊教育総合研究所を訪ねてこられたことがあります。それから今までご両親とも交際が続いています。彼女は隣の郡の特別支援教育の教師をしていました。お二人の息子さんが発達障害の診断を受けています。

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アメリカの学校は今  その十六  フェアファックス学校区

special-needs the-long-history-of-fairfax-county-public-schools-bojbakg still0706_00017_1467848904722_1518378_ver1-0首都ワシントンDC(Washington D.C.)の西南を流れるポトマック川 (Potomac River) を渡るとヴァジニア州(Virginia)に入ります。ポトマック川はチェサピーク湾 (Chesapeake Bay) に流れます。ヴァジニアの州都はリッチモンド(Richmond)といいます。もともとアメリカ南部連合 (Confederate States of America), 南軍の首都です。ヴァジニア州最大の学校区フェアファックス郡(Fairfax County Public School: FCPS)の学校が今回の話題です。

フェアファックス学校区の生徒数は186,000人。全米の学校区で12番目に大きな規模です。生徒の人種背景ですが、白人とそれ以外の民族は約半々となっています。28%の生徒が無料か割引の給食を、17%の生徒が英語補助授業を、13%が特別支援教育を受けています。矯正教育を含むオータネティブ・スクール(Alternative schools)が3カ所、そして特別支援教育センターが8カ所あります。

首都の隣だけにフェアファックスには、日本企業も沢山進出しています。そのせいか日本語教育も盛んに学校で行われています。時には、企業からの寄付がこうしたプログラムを支えています。企業や地元の団体などから金品の寄付を受けて、学校のプログラムを展開するのはアメリカの学校の特徴の一つです。校長の役割も大です。校長というのは、校務の統括の他に地域にある企業、ライオンズ(Lion’s Club)やロータリークラブ(Rotary Club)などをまわって学校の活動を紹介し寄付を集めるのも大事な仕事です。

どの学校にもコンピュータは整備されて、授業や個々の生徒の学習に使われています。しかもあらゆるコンピュータも無線ランでつながっています。電子黒板やプロジェクタを使うのも日常的な姿です。どのクラスにも電子黒板が設置されているのは、この機器の効用を教育委員会は知っているからです。黒板がコンピューターのタッチパネルとなるのですから便利です。

校長などからの連絡は、メールや電子掲示板でやってきます。いつもネット上での記事を確認するのがフェアファックスの教師です。職員室というのはありません。

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アメリカの学校は今  その十五 ニューヨーク市立第165小学校

report-complaints-about-violence-in-new-york-schools-are-at-an-all-time-high larger 1280px-friends_meeting_house_-_new_york_city兵庫教育大学にいたとき、教員の大学院生を連れて北米のいろいろな学校を視察してきました。ニューヨーク市にも行きました。ニューヨーク市立大学 (Queens College of The City University of New York: CUNY) の近くにある市立第165小学校が今回の話題です。

ニューヨーク市は、「4人に3人が移民であり2人に1人が英語を母国語としない」といわれています。その大半は移民がです。ニューヨーク市は、アメリカ最大の生徒数を擁する巨大な学校区 (New York City Department of Education: DOE)です。学校は小学校から高校まで1,800校位あります。ニューヨーク市教育委員会のサイトは12か国語で作られています。日本語のはありませんが、、、

第165小学校は塀に囲まれ、警官が常時巡回しています。このような光景は珍しくはありません。大都会のダウンタウンにある学校はたいていの場合、公立学校です。そして多くの子どもは複雑で貧しい家庭環境にあるようです。

ほとんどの小学校で英語の補習授業プログラムが用意されています。第165小学校もそうです。アメリカ社会で最低限必要とされる基礎能力を習得させるためです。そのための予算や教員の確保がいつも話題となります。学校内にはネットワークに接続されたコンピュータが揃っています。ITリテラシーは小学生にも強調されるカリキュラムです。どんなに貧しい子どもが通っている学校でもIT関連の設備はしっかりしています。ITのスタッフも必ず常駐しています。それと図書館の充実も目立つことです。

第165小学校の生徒数は760名。教師と生徒の割合は10対1。アジア系が53%, ヒスパニック系が19%となっています。無料か割引の給食を受ける生徒は69%とあります。教師も様々な民族の背景を有しています。案内してくれた一人の教師は自信に溢れた態度でした。このとき残念ながら生徒の姿は写すことができませんでした。

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アメリカの学校は今  その十四 チャーター・スクール(Charter Schools)

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WASHINGTON, DC - FEBRUARY 20:   (FILE PHOTO)  Shannon Woisnet, 7-years-old, from Cleveland, Ohio, holds up a sign in support of school vouchers in front of the U.S. Supreme Court February 20, 2002 in Washington, DC. The U.S. Supreme Court, in a 5-4 ruling, upheld the Cleveland, Ohio school voucher program June 27, 2002 which allows families to use publicly financed vouchers to send children to religious schools.  (Photo by Mark Wilson/Getty Images)

WASHINGTON, DC – FEBRUARY 20: (FILE PHOTO) Shannon Woisnet, 7-years-old, from Cleveland, Ohio, holds up a sign in support of school vouchers in front of the U.S. Supreme Court February 20, 2002 in Washington, DC. The U.S. Supreme Court, in a 5-4 ruling, upheld the Cleveland, Ohio school voucher program June 27, 2002 which allows families to use publicly financed vouchers to send children to religious schools. (Photo by Mark Wilson/Getty Images)

charter 08charter-600今回は、幼児から15才の児童生徒を対象とした教育をしているチャーター・スクール(Charter Schools)のことです。チャーター・スクールというのは、いわば半官半民のような運営の学校です。民間の人々が学校の設立に関わり、州政府がこれを認可するのが普通です。カリキュラムは独自で特色のあるものとするのが売りです。州政府が決める教育課程や規定に拘束されないという特徴があります。いわば特区の学校といえます。「Charter」とは「契約」といったような意味です。

コロラド州にあるNew Visions Charter Schoolのモットーは「Chance to Grow」。成長への挑戦とでもいいましょうか。現在は州からの援助を受けています。公立学校の場合、生徒一人当たりの州からの補助は9,000ドル、チャーター・スクールの場合は6,000ドルあまりとなっています。従って、多くのチャーター・スクールは地元からの寄付にも頼っています。この学校の授業料は幼稚園を除いて無料となっています。カリキュラムに特色があるために、公立の校区にあってもこの学校を選ぶ市民多く、入学はくじ引きとなっています。

この学校のカリキュラムは、子供に高い学力をつけさせるということに尽きます。そのため、Core Knowledgeというアメリカ史を中心としてアメリカの地理、歴史、文化を系統的かつ総合的に教えることを謳っています。しかも一クラスサイズは20名以下で運営されています。市民の学校に対する期待も高く、ボランティアも多く学級に入っています。自分たちで創った学校という市民の意識の高さが感じられます。

通常、チャーター・スクールは3年毎に教育成果が評価されます。成果の評価は、教職員に対して、教育の質の向上という動機を与えています。評価が低いと州からの補助が減らされたり改善勧告がでたり、廃止に追い込まれたりします。

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アメリカの学校は今  その十四  Queen Lydia Lili’uokalani Elementary School

big_thumb titlei 220px-liliuokalani_holding_parasol_at_washington_placeハワイの州都はホノルル(Honolulu)。オアフ(Oahu)島にあります。ホノルルの東郊外にある公立学校、Qween Lydia Liliwakalani Elementary Schoolが今回の話題です。ハワイ王朝のかつての女王Lydia Liliwakalaniという人が寄付して1912年に創立されたとあります。この学校の付近はやや寂れた感じがするところです。

もともと貧しい家庭の子供に対する教育、という理念をこの女王は抱いてきたといわれます。今日、こうした子供への教育は連邦政府が膨大な資金を各州に提供しています。このプログラムを通称「Title I 」(タイトル・ワン)と呼びます。全米の90%以上の学校がこの支援を受けています。例えば、移民の子供への英語教育、障害が予想される、あるいは障害がのある子供への教育や給食サービス、虐待を受ける子供への支援、未婚の母親教育などがこの基金によって支えられています。Qween Lydia Liliwakalani Elementary Schoolもこの「Title I 」によって教育サービスを受ける子供が大勢います。

現在Qween Lydia Liliwakalaniでは120名くらいの子供がが学んでいます。そのうちハワイアンの子供がが80%を占め白人が13%という構成になっています。全生徒の45%が無料あるいは減額費用での給食サービスを受けています。教師と生徒の割合ですが、正規教員一人あたり平均12名となっています。ハワイ全体の平均は16名ですから結構いい割合です。手のかかる生徒が多いのが少人数学級の理由と考えられます。ワイキキ・ビーチ(Waikiki Beach)やアラモアナ・ショッピングセンター(Ala moana Shopping Center)の賑わいの陰に、貧しい家庭の子どもが学ぶ姿が隠れています。

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アメリカの学校は今  その十三 タマス・プリンス学校 (Thomas Prince School)

bragghall town_common_princeton_ma mamap今回はアメリカの田舎の学校です。マサチューセッツ州(Massachusetts)の州都ボストン(Boston)から西へ車で90分のところにあるプリンストン(Princeton)という小さな町の学校です。すぐ近くには広大なワチューセッッツ(Wachusette)州立公園があり、夏はハイキングやキャンピングで人々が憩い、スキー場が隣接していて冬の週末はたいそうな賑わいです。

プリンストンの人口3,700人。アメリカによくある田舎町です。プリンストンは豊かな森林資源を誇り、製材業、家具製作などで栄えた歴史があります。1800年代には鉄道も開通し、材木や製品の運搬に使われました。商人や旅行客も押し寄せホテルも繁盛しました。ですがこうした賑わいは戦後の自動車の普及ですっかり終わり、いまは静かな町となりました。農業は小麦が中心です。ブルーベリーやブラックベリー、リンゴなどのフルーツ農園があちこちに点在しています。

左上の写真は町役場の建物です。誠にもって風情のある姿です。このような規模の町ですから、学校や図書館は近隣の4つの町と一緒に運営しています。この学校区教育委員会はWachusett Regional School Districtと呼ばれ、二つの小中学校と一つの高校があります。Thomas Prince Schoolの学校名は、赴任してきた初代キリスト教会牧師の名前です。地域発展の黎明期は、多くの場合教会活動が活発な頃です。

Thomas Princeには、幼児から中学生までたったの150名くらいの子どもしかいません。ですが、言語治療士、障害児教育教師、発達障害教育教師、リソースルーム教師、図書館司書が常駐しています。私事ですが、二人の孫息子がこの学校に通い、発音の不規則さを指摘されて治療を受けました。校長は、自ら面接して教師を採用します。野外の運動場はすべて芝生。野球とサッカーが別々にできる広さがあります。芝の手入れはすべて機械でやります。数日毎に芝刈りをするのです。週末は試合があって保護者はチームの応援に駆けつけます。コーチは上手な子ども苦手な子どもも試合に出れるように配慮しています。お年寄りも折りたたみの椅子に座り、長閑に夕方の時間を過ごします。そして孫達の走り回る姿に目を細めます。

アメリカの学校は今  その十二 メディアセンターの充実ぶり

zentai2 kakari-mori1 02b0a2_f2f7a0b34192483393810bfbe55d1c65-jpg_srz_278_185_85_22_0-50_1-20_0アメリカの図書館は学校の華。学習の場として大きな役割を果たすのが図書館です。多くの学校は図書館を「メディアセンター(Media Education Center)」と呼んでいます。インターネットでつながった図書館は、印刷された本だけでなく電子情報で一杯なのです。メディアセンターはネットワークにつながるパソコンで満ちています。

メディアセンターには必ず図書館司書(librarian) が常駐しています。司書は教師と一緒になって授業もします。本の読み聞かせなどもするのです。小中学校のメディアセンターはいつも生徒で賑やかです。センターの入り口は沢山の飾り付けがあり、「なにか楽しいことがありそうだ、、」という雰囲気です。学校で一番行きたくなるところ、と宣伝するのがメディアセンターなのです。高校のメディアセンターは大学以上の設備を誇るところもあります。

情報を集めそれを活用することの大切さを知っているのはアメリカの学校です。そのせいか、図書館に多額の予算を付け、充実させる伝統があります。司書の能力の高さはそれを証明しています。いつか機会がありましたら、一度図書館に足を運んでみてください。その内部の底抜けの明るさと司書らの専門的な対応に驚きます。
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アメリカの学校は今  その十一 教育委員と学校長

692433ebd961fda36d1ffadc3d9758b1 school-budget-vote superintendent_sign-1067x600アメリカでは高校は義務教育です。学校はどのようにして支えられているかをご存じでしょうか。アメリカの学校の大半は市町村立か私立です。市民の税金が学校を支えています。州立高校というのはありません。

小さな町や村は、郡単位となって学校を運営します。人々の税金によって学校の建物を維持し教師を雇っています。もし、中途退学者が増えようものなら、市民は「学校は一体なにをやっているのか、教育長 (superintendent)や校長を代えよ、」と叫ぶのです。こうした記事は地方の新聞でよく見られます。市民には税金の使いみちと教育の成果は最も関心の高い話題の一つです。教育委員は公選です。教育委員会を統括するのですから、教育長や校長は教育委員会の下で教育行政に従事しなければなりません。教育長は教育委員が選ぶ仕組みとなっています。振り返って、日本では教育委員長(board of directors) や教育委員はなんの権限もなく、教育長の下に位置するという体たらくです。

学校税(school tax)というのがあって、自分たちの税がどのように使われているかがガラス張りとなっています。校長は、「スクールカウンセラーを雇いたい、PCを買い換えたい」などの提案を市民集会(Town Meeting)で説明します。ビジョンを持つ校長は市民にたいして、もう少し学校税を負担して欲しい、必ず教育の質を高める、と訴えるのです。

それでも資金が不足すると、校長は学校債権(school bond)の発行を提案して市民に学校への支援をとりつけます。債権ですから満期になると元金と利息を市民に返します。教育委員会から予算を獲得できるかが、校長の能力なのです。さらにロータリークラブ(Rotary Club)やキワニスクラブ(Kiwanis  Club)といった地域の経営者団体や福祉団体から寄付を集めるのも校長の仕事なのです。校長は地元の営業マン、ウーマンです。校長の権限と責任は大きいこと、市民の期待が高いのがアメリカの学校なのです。

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アメリカの学校は今 その十 人種のるつぼと公民権回復運動

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rosaparks_bus 11002062932一歩高校の建物に入りますと、そこは人種のるつぼといわれるほどいろいろな肌の色の生徒が闊歩しています。このような光景を見るには50年以上もかかったのです。

今週、南部のオクラホマ州(Oklahoma)で白人警察官が黒人男性を銃で撃って死亡させた事件が起こりました。「合理的な理由のない発砲」だったとして、女性警察官が過失致死の疑いで訴追されるという有様です。ノースカロライナ州(North Carolina)でも黒人の男性が警察官に銃で撃たれて死亡したことに対して激しい抗議行動が続いています。黒人や他のマイノリティの人権が未だに無視される傾向があるのを知ると過去の歴史的な出来事を思い出します。

かって黒人と白人の生徒は別々なバスに乗り別々な学校へ通っていました。1960年代、公民権運動やヴェトナム戦争が続くころです。運動の指導者はマーティン・ルーサー。キング牧師(Rev. Martin Luther King Jr.)でした。人種差別は憲法に違反するという主張を貫いたのです。アメリカでは今も非常に高い尊敬を受け、その功績を称えて一月の第三月曜日は祝祭日となっています。ジョージア州(Georgia) アトランタ (Atlanta)にあるMartin Luther King Jr. National Historic Siteは是非訪ねて欲しい歴史地区です。そこにキングセンター(King Center)があって公民権運動の歴史がわかりやすく展示されています。

キング牧師の提唱した公民権回復運動の思想は「非暴力主義」(Nonviolence) といわれています。インド独立の父、マハトマ・ガンディ(Mohandas Gandhi) の教えを受け継ぎました。この運動は1963年の首都ワシントンD.C.にあるリンカーン記念堂 (Lincoln Memorial) の前でおこなった“I Have a Dream”(私には夢がある)という演説で最高潮に達します。人種差別の撤廃と異なる人種の協和という高い理想を易しい言葉で訴え、広く共感を呼びました。今もこの演説は中学や高校の教科書でも取り上げられています。

「公民権運動の母」と呼ばれたのがローザ・パークス (Rosa Parks) です。彼女は白人専用のバスに乗り込みます。すぐに運転手に引きづり出されるのですが、これをきっかけにバス・ボイコット運動が始まります。やがて連邦最高裁判所からバス車内での人種分離は違憲であるという判決を勝ち取ります。

とまれ、話は先に人権の回復運動に及んでしまいました。折しも、9月24日に国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館 (National Museum of African American History and Culture) がワシントンDCの「ナショナル・モール」(National Mall) の一画にオープンしました。スミソニアン協会 (Smithsonian Institution) の19番目の博物館です。奴隷制度や公民権運動、著名なアフリカ系米国人にまつわる3万7000点の品々が展示されます。

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アメリカの学校は今 その九 卒業パーティ:プロム

89acd8b9ae6e71604fd9af7e71ff361c prom 13fff370-e618-0133-2423-0e1b1c96d76b高校の卒業が近づくと4年生には大きな行事が待っています。卒業パーティ:プロム(Prom)というものです。プロムナード(promenade)、舞踏会パーティですから、男子生徒は同伴するパートナーを探します。誰を誘おうか、どんな服装にしようかと思案します。シニア・プロム(Senior prom)とも呼ばれています。

プロムでは男子生徒が自分で選んだ女性と一緒にでかけます。この時、保護者もまた緊張します。「息子の相手は誰か」、「娘を誘ってくれる生徒はいるだろうか」。服装ですが、男子生徒はタキシード、女子生徒はドレスにコサージが一般的です。

プロムの内容はダンスや食事、会話です。飾り付けをした学校の体育館とかホテルを会場にします。ロックバンドやDJが登場してパーティを盛り上げます。プロムで誘った友だち同士は、大抵は一時のデート相手です。結婚相手はまだまだ先の話なのです。

プロムが終わると皆進学、就職に向けて準備します。遠く西海岸や東海岸、あるいは南部の大学などに向かいます。やがて楽しくも厳しい4年間のカレッジライフが始まります。

ついでですが、ロンドンの夏の音楽祭、BBC PROMSはPromenadeの複数短縮形です。Promenade Concertというものでしょう。2カ月にわたって開かれるというのですから豪華です。

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