車社会の風景 その二十一 自分でメインテナンスを

アメリカに車検制度はありません。そのせいでしょうか、走っている車には大分くたびれているのを見受けます。車というのは資産でなく、足だと考え走りさえすればよいのですから、自分でメインテナンスしたくなります。彼らは代々、自分で車の整備をやってきたので、その仕方を教わっています。オイルやエレメント、ラジエータ液の交換は初歩的なこと。ブレーキシュー (brake shoe) まで取り替える人もいます。当然ですが、整備の道具はガレージに備えてあります。古いオイルはサービスステーションで捨てることができます。

車の生命線ともいうべきブレーキのことです。ブレーキは「ドラム式ブレーキ」と言い、そこに装着されているブレーキパッドを「ブレーキシュー」と呼びます。ドラムブレーキは、ブレーキパッドをタイヤと一緒に回転するドラムの内側から油圧で押し付けることで減速します。長い間運転したり、高速時に急激にブレーキをかけたりすると摩滅します。このパッドを買って自宅で取り替えたり、ブレーキオイルを交換するというのですから相当のマニアです。この交換作業では二人がかりでやります。一人は運転席でブレーキを踏み空気を抜き、もう一人は車体の下にもぐり油圧ボルトを締めるのです。実に器用です。

自分でこうした作業をすることを「Do It Yourself (DIY)」といいます。自動車に限らず、家の内装や外装、配管、配線まで、できることは自分でやるというのが伝統なのです。ですから工具の種類と数は驚くほどです。ホームセンターの一つ、「Home Depot」という会社は住宅リフォーム、建設資材、工具類を販売しています。その規模は驚くほどです。自分で何かを作るとか修理する能力は非常に高いのは羨ましいことです。

車社会の風景 その二十 「ねずみとり」とワイン

交通違反の取り締まりはどの国でも似たようなものです。どこかで違反車を待っています。これは通常「ねずみとり」(mousetrap)です。速度の出やすい路線で物陰に隠れて速度測定を計るいわば罠を張る交通取り締まりの俗称です。八王子市内では、間違って車線変更しやすい箇所で警官が堂々と待っています。黄色線で車線変更禁止のところです。これも「ねずみとり」ですね。

高速道路 (Interstate) では、この「ねずみとり」を見たことがありません。ただし、一般道では路肩や道脇で待機して獲物を待つパトカーを何度も見たことがあります。彼らはスピードガンで待ち構えています。

アメリカの話です。酒場(saloon)の駐車場にパトカーが停まっています。しかし、酒場からでてきた者が運転するのを取り締まることはありません。速度違反や事故などを起こさない限りOKなのです。よく小さな街には酒場がありますが、車でないと酒場までこれないのです。いわば商売が成り立たないので警察も大目にみているふしがあります。どうして家で飲まないのか?という疑問ですが、酒場には常連客がいて会話を楽しめるからのようです。

ニュージーランドでのエピソードです。ホエールウオッチング(Whale watching)帰りのドライブは快適でした。葡萄畑が道の両側に広がります。ワインを飲みたくなる光景です。休憩がてらワイナリーに立ち寄りますと、旅行者らしき一行がワインを楽しんでいます。店の人に聞くと看板を指しました。それには次のように書いてあります。「運転手はグラス二杯までは飲んでよい。」 なんと粋な計らいなのだろうと感心しました。

車社会の風景 その十九 前向き駐車

アメリカで駐車場を見回してみると気付くことに、99%の人が前向きで駐車していることです。「前進しながら駐車する」のが前向き駐車です。前向き駐車は、多くの場合住宅地にある駐車場で義務付けられています。アメリカ人は後ろ向き駐車をする概念が無いのです。逆に日本では大半の人が後ろ向き駐車です。外国人は、ほとんどの車が後ろ向きで駐車場に駐車していることに驚いています。これも文化の違いです。

後ろ向き駐車には次のような事情があります。
第一は、駐車スペースが広く、頭から進入しやすいこと、さらにバックでの出庫に十分なスペースがあるです。第二は後ろ向き駐車には手間がかかります。基本的に面倒なことは嫌いなのがアメリカ人です。第三は、食料品などの買い物量が多いので、カートで運んでトランクに詰め込みやすいのです。第四に、後ろ向き駐車は植栽や建物に排気ガスがかからないからです。第五は後ろ向きの駐車は衝突しやすことです。車や建物を傷めがちです。第六は免許の教習では後ろ向きの駐車練習がないことです。

「郷に入っては郷に従え」。外国では前向き駐車を心掛けるべきです。

車社会の風景 その十八 自転車専用レーンが危ない?

1月31日の新聞記事からです。都内の各地に自転車専用レーンがつくられています。国土交通省もこの設置を後押ししています。東京オリンピックとパラリンピックが近いことも自転車専用レーン設置の追い風となっています。

ところがこの自転車専用レーンが自転車を運転する人も歩行者にも危ないというのです。自転車専用レーンに車が止まり荷物の積み卸しをするからです。そのために、自転車は歩道や車道に入り歩行や車の運転の妨げになるのです。この荷物の積み卸し停車は、都会の日常化した情けない有様です。

自転車専用レーンは通勤や通学のために利用されるのが期待されます。従って朝は7時から9時まで、夕方の4時から7時までは停駐車禁止といった規則を作る必要があります。反則した人には切符を渡すのです。河川敷や海岸に自転車専用がレーンつくられていますが、今後も自転車専用レーンのさらなる延長と罰則規定を設けることです。

車社会の風景 その十七 コンバーティブル

1870年代、最初に造られた自動車は蒸気自動車で、基本的にすべて屋根がありませんでした。いわばオープンカー (open car)です。Open carは和製英語です。正しくはコンバーティブル(convertible)となります。

当時の主たる乗りものは馬車でした。やがて幌が付き始めます。自動車も同様で箱型の客室ではなく、後部座席のうしろに幌がつきはじめます。この理由はエンジン出力にまだ制約があったために重量の少ない簡単な幌が採用されたようです。自動車の育ての親はヘンリー・フォード (Henry Ford) 。1908年に最初に発売されたのが「T型フォード」(Ford Model T)という水冷式のものです。

やがてエンジンの性能が上がり必要なだけの馬力とスピードが確保できるようになります。そして車内の居住性にも配慮できるようになり、頑丈なフレームの屋根で被われた箱形が車の主流となります。一般家庭にも自動車が普及することになります。

自動車が普及するにつれて、さまざまな車種が登場します。コンバーティブルもそうです。贅沢品としての車です。雨が少ないカリフォルニアとかハワイ、アリゾナ、ニューメキシコなどでは、真夏に屋根のない車を運転するのはさぞかし爽快なはずです。一種の社会的なステータスを謳歌する気分だろうと察します。

私が始めて乗ったコンバーティブルはホノルル市内です。院生等と学校視察で出掛けたときです。二台のレンタカーに分乗しました。私は通常のセダンを運転し、院生の一人がコンバーティブルを運転しました。学校から宿に戻る途中、スコールがやってきました。私はバックミラーでコンバーティブルを確認していました。院生等は幌を広げようと苦心しているようでした。幌の広げ方やたたみ方をショップで確認しなかたったのがミスでした。しばらく雨の中を苦闘し、ようやく閉じてはしゃぐ様子が伝わりました。

車社会の風景 その十六 Sedonaへの旅

アリゾナ(Arizona)の州都で最大の都市がフェニックス (Phoenix) です。半導体産業や観光、保養都市として発展しています。この街の学校を5名の院生とで訪問したことがあります。学校の訪問には、必ず誰かの紹介で出掛けます。アメリカもコネが大事な国なのです。アリゾナ州立大学(Arizona State University) で学位をとった友人を頼ってフェニックスの学校区へと出掛けました。この人は今はハワイ大学の教授となっています。名前はCurtis Ho氏です。

さて、仕事は学校視察なのですが、当然ながら週末には日帰りの観光を旅程に組み込みます。フェニックスから車で片道三時間のところにセドーナ(Sedona) があります。もちろんCurtis Ho氏から強く奨められていた観光地です。

一口にセドーナといえば、砂漠と奇岩と峡谷の観光地といえましょう。響きの良いセドーナという名は1800年代後半にやってきた最初のキリスト教会牧師、Theodore C. Schnebly師の夫人であったSedona Schneblyをとったとされます。その経緯はわかりません。

1300年代に最初にセドーナにやってきた放浪者 (Nordic) は、ヤヴァパイ(Yavapai)とかアパッチ(Apache) などの部族です。乾燥した灼熱の岩山を好んで根城にし野生の動物などを食料にしていたようです。テーブル状の台地、メサ (mesa)に住む平和の民と呼ばれるホピ族 (Hopi)、アドビ (Adobe)と呼ばれる日干しレンガで作られた家で知られるプエブロ族(Pueblo)もアリゾナに今も多く住んでいます。

セドーナではヴァーデ峡谷(Verde Valley)に代表され、鉄分を含んだ砂岩でつくられた一大景観を楽しませてくれます。グランド・キャニオン(Grand Canyon) の南部に位置するセドーナには、沢山のハイキングコース、マウンテンバイクのコースがあります。Cathedral Rockという巨大な奇岩の間にそびえるのが1956年に建てられたChapel of the Holy Crossです。

車社会の風景 その十五 高齢者の運転

アメリカは高齢者の運転が目だちます。日本のように「免許状の返納を!」といったかけ声は聞いたことがありません。「余計なお世話はするな、!」という気分なのです。自分のことは自分で責任をとるという気概が感じられます。

運転していると、ドライバーが高齢者かどうかが大体分かります。大抵は長閑と運転するせいか、スロウなのです。こういう場合は、後ろにつかないことです。何が起こるかわかりません。相手も後ろにつかれないほうが安心するはずです。急いだり、急かしたりしてはいけないのです。

アメリカには高齢運転者標識のシールなどもありません。電車にも高齢者や障害者の優先席のシートもありません。日本はなんて親切で気配りのある国かと感じるときです。しかし、考えてみますとこうした標識がまだまだ必要なところにこの国の未成熟な一面が現れているともいえます。本当に高齢者や障害者を大事にしているのかといえば、混雑する電車内を見渡すと決してそうではありません。中には若者がデンと坐わり、大人が眠ったふりをして坐っています。

車社会の風景 その十四 運転手との対話は大事

イェロー・キャブ(Yellow cab)はアメリカ代表の一つ。スクールバスと同じ、黄色い車体のです。中はゆったりしているのですが、座席にはテープが貼ったりして、なんとなく汚れているような感じです。ビシッとあつらえた背広をきめているときは、乗ろうか乗るまいか躊躇します。

タクシーの運転手はアフリカ、中近東、中南米、東南アジアの人が多いです。何度も乗りましたが、ほとんどがそうなのです。話しかけると、今日は夜勤だとか、子どもは3人にいるとか、エジプトから移民してきた、などと答えてくれます。表情や話す英語で、ある程度どこから移民してきたかがわかります。「あんたは中国人か?」と聞いてきます。そんな時は「東京からきた田舎者だ」と答えることにしています。こんな会話から運転手も大分心を開いてくれます。「こいつはチップをはずんでくれそうだ、」と感じるのでしょう。そこで私は「おれはビジネスマンではない」といって煙幕をはります。

アメリカやイギリスのタクシーは自動ドアではありません。乗るときも降りるときも自分で開閉します。イギリスのは、なんとなくボックス型のようですが、内部は結構の空間があります。運賃ですが、もし空港からホテルなどに向かう時は、案内所で前もって運賃を聞いておき、運転手と交渉するのがよいでしょう。帰りの空港までのタクシーの運賃はある程度わかっていますから、再度交渉できます。

「あまりお金がないので15ドルで行ってくれないか」と交渉してみてください。このときはわざとたどたどしい英語で尋ねるのはいいようです。「チップをあげるから、」と付け加えると、大抵は「OK, OK」といってメーターを倒してくれます。

車社会の風景 その十三 粋な言葉「兄弟よ、、」

ニューメキシコ州 (New Mexico) のアルバカーキ(Albuquerque) の学校を訪問したときの話題です。アルバカーキは同州最大の商工業都市。文字通りメキシコと国境を接していて、スペイン文化を色濃く残すオールドタウン (Old Town) が観光客をよんでいます。一帯には多くの文化施設やカフェ、土産物店が軒を並べます。近郊にはアメリカン・インディアンのプエブロインディアン文化センター(Indian Pueblo Cultural Center) もあります。首都サンタフェ(Santa Fe)には日干しレンガであるアドビ(adobe)で造られた白い積層集落が独特のたたずまいをみせています。サンタフェからさらに北へ一時間ほど運転すると最初の原爆 (Little Boy) を製造したロスアラモス国立研究所 (Los Alamos National Laboratory) があります。

アルバカーキといえば、1975年にビル・ゲイツ (William Gates)が同僚と共にマイクロソフト社(Microsoft) を創業したところでもありす。当時は、BASICという言語を開発していました。この街はIT技術でも先端的なところです。2004年6月にはアルバカーキ国際空港内でWi-Fiをとりいれたというのですから相当早い頃です。

さて、先ほどのプエブロインディアン文化センターを訪ねたときです。館内で一行の一人の院生が「パスポートが無い、」といって慌てました。あちこち探しましたが出てきません。仕方なく館内の案内所で、落とし物の届けはないかをきくと、届いていないとの返事。対応してくれたのは明らかにプエブロインディアンの方です。こちらに同情したのか「兄弟よ、パスポートが無かったら、この国に留まってもいんだ」と慰めてくれるのです。「兄弟よ、、」という言葉が心に響きました。

車社会の風景 その十二 長距離バスの運転手と仮眠 

「バス運転手が仮眠室で眠り込み乗客が8時間閉じ込められる」というニュースがありました。少し可笑しいなと思いました。なぜ乗客は8時間も黙っていたのかということです。恐らく彼らも眠りこけていたのだろうとは察しますが、、

報道によりますと1月21日早朝、広島県呉駅発、大阪駅行きの中国JRバスの乗客から、「運転手が戻ってこない」と110番通報があったというのです。警察官が福山市のサービスエリアに駆けつけ、運転手を探したところ、バスの下部にあるトランクルーム横の仮眠室で、38歳の男性運転手が寝ているところを発見したとのこと。

運転手は走行中に体調が悪くなり、会社には連絡しないまま眠り込んだというのですが、誰でも体調不良はあることです。こうした健康状態が不良のときの対応が不十分だったことがうかがえます。目覚まし時計をセットして仮眠するとか、乗客に説明して休憩させてもらうとか、会社に連絡して指示を待つとか、、、ただ、呉から大阪までの距離はさして長くはありません。運転手の体調管理か規律の緩みの問題だったのでしょう。

車社会の風景 その十一 カーシェアリング

カーシェアリング (car-sharing)の発祥地はわかりませんが、恐らくはヨーロッパではないかと思われます。なぜなら昔から公共交通機関や自転車が発達していたこと、国土が狭く大気汚染に敏感なことが指摘されます。広大なアメリカでしかも石油の産出国ですから、この地でカーシェアリングが起こったとは考えにくいです。

1978年に始めてアメリカに出掛けたとき、ガソリンは1ガロンが1ドル以下でした。1ガロンは3.79リッターですから、中型車や大型車がバンバン走っていた頃です。私の最初の車は、中古車でしたがシボレー・マリブ (Chevrolet Malibu)。当時は手ごろな値段で中型のファミリーカーといわれていました。でもガソリンを相当食う車「gas-guzzler」でした。

アメリカ人は、車を財産や資産として所有するのではありません。単なる足と考えていますから、車の手入れは杜撰なようです。走っている車は大抵はどこかに傷やへっこみがあります。それと自動車を保有する費用が安いことも車社会を形成する理由です。自動車取得税とか自動車重量税はありません。車検もありません。大抵の家には2台分のガレージがあり、簡単な整備、例えばオイルやエレメントの交換、ラジエータの洗浄などは自分でやりますから、費用があまりかからないのです。カーシェアリングなどの概念が浮かばなかったと考えられます。

ですが、アメリカではレンタカーが発達しました。空港まで自分の車ででかけ、そこで預けて到着地でレンタカーを利用するのです。そして今はカーシェアリングがアメリカの大都会の周辺でも非常に普及しています。アメリカ人の車を利用する意識が変化してきたのです。それにはガソリン代の高騰や交通渋滞、駐車場探しの難しさなどがあるようです。我が国も三大都市圏や政令指定都市でカーシェアリングは都会で非常に盛んになりました。公共交通機関網が張り巡らされているのですが、利用のつど鉄道、バス、タクシー等の乗り換え、運賃という煩雑さの要因がカーシェアリングを押し上げてきたようです。

車社会の風景 その十 複数乗車だけの都心への乗り入れ

15年ほど前に、カリフォルニア(California)の州都サクラメント(Sacramento) からサンフランシスコ(San Francisco)空港に向かうとき、高速道のInterstateを使いました。引率していた院生と一緒です。標識をみると単独乗車か複数乗車によってレーンが違いました。複数乗車優先のレーンがあって渋滞を緩和する措置のようでした。単独運転を減らすための措置でもあります。

ヴァージニア州(Virginia) のフェアファックス郡(Fairfax County) から高速道でワシントンDCに向かう時も、複数乗車だけの車の乗り入れが許されていました。DCの交通渋滞をなくすこと、排気ガスを減らすことが狙いです。通勤の交通機関, Metro があるのでドライバは駅付近の駐車場に停めてそこから通勤する仕組みです。もう一つ、同じ企業や政府機関に働く人には、公用車の利用を認め3人から5人が集まり、週ごとに運転を交代して通勤することが奨励されていました。

運転手になった人は、家をまわって同乗者をピックアップし帰りも同じよう降ろします。こうした複数乗車、カープール (car pool) は始業時間と終業時間が決まっている人には便利な方法です。最初は面倒だったという声も多数あったようです。それが定着すると多くの人がカープールを利用するようになったといわれます。

首都ワシントンDCからその西にあるダレス国際空港 (Dulles International Airport) までの高速道路, Dulles Toll Road には途中に出入り口がありません。渋滞の心配は全くありません。

車社会の風景 その九 交差点の光景

我が国のいろいろな法律や制度は、整合性とか均一性を大事にする性質があります。平等を強調し例外を認めないのです。最近は、特区という仕組みを作り地域の活性化に新しい試みを育てるというようになってきています。

私が言いたいのは、車の左折ということです。現在、赤信号では歩行者がいようといまいと左折できません。歩行者がいないときは、左折を認めることを提案したいのです。

歩行者がいなく、右から車がこないのに左折したいドライバーはじっと信号が変わるのを待つのは非合理的ではないかと主張したいのです。すべて信号に頼るのはいかがなものでしょうか。歩行者もそうです。赤信号なのに車が両側から来ないときは渡ってよいはずです。それをきまじめに青信号を待つのは違和感があります。外国ではそんなことは「ありえなーい」のです。歩行者が優先だからです。

次ぎに、交差点で歩行者が足早に渡る光景です。なぜ小走りに急がなければならないかです。ゆっくり落ち着いて渡ることです。歩行者がなによりも優先されるということをドライバーに教育することです。

車社会の風景 その八 信号のない交差点

ヨーロッパやニュージーランド、オーストラリアなどで気がつくのは円形型のロータリー状交差点があることです。信号はなく、車は右折だけの運行ですから、ぐるぐる回っています。ロータリー交差点は入口の部分で一時停止のサイン(Stop)とか、歩行者を渡らせる信号があります。こうした交差点は環状交差点 (Roundabout) と呼ばれています。

信号のない直角の大きな交差点には、四つ角に一時停止のサイン(Yield)があります。Yieldとは譲り合うという意味です。全ての車が一時停止し、交差点に入った車から順々に通ります。自分はどの車の次に発進するかを判断します。日本でこのYieldの交差点を見たことがありません。交差点での譲り合いという文化が根付いていないからでしょう。

日本はいかなる場合も「停止せよ」、「発進せよ」ということが信号で決められる風土です。ですから左折しようとするとき、右から車が来ない場合も信号の変わるのを待たなければなりません。右側通行のアメリカでは、交差点で左から車が来ないとときや歩行者がいないときだけ右折できるようになっています。歩行者優先は大原則です。

車社会の風景 その七 相乗りの奨励には

「相乗りなんか面倒だ、、」という文化はどの国にもあります。ましてや見知らぬ人と一緒など、、と敬遠されがちです。同じ地域に住むとか同じ職場で働くといったときは、バスや車で一緒することがあるでしょう。

本来、車内とは個人の唯一の個室のような雰囲気があります。だれにも拘束されず自由な空間というわけです。タバコを吸っても昼寝をしても、本を読んでも、弁当を食べてもいいところです。日本では車は財産の一部と考えられていますから、外側も内側も綺麗に保たれています。靴を脱いで運転する人も結構います。それに対して外国の車は足ですから、車の清掃はあまりしません。汚いことこの上ないです。

この綺麗さを乱されるという不安が相乗りを敬遠する理由の一つです。車は財産とか車内は綺麗にといった意識を変えない限り、相乗りとかカープール (carpool) という文化が根付かないような気がします。車内では飲食しないというのが、カープールの際の当然の礼儀となります。

文化は新しくつくるものです。

車社会の風景 その六 スクールバスの特徴

北米における子供の安全管理について取り組む姿から学ぶことが多くあります。とりわけスクールバス関連の安全規定は非常に厳格です。

公道上での安全優先権は高く設定されています。車体上部には赤と黄色の点滅灯があり、車体の左側には一時停止標識が設置されています。スクールバスが停車する直前、後方の車両に注意を促すために黄色いランプが点滅し、完全に停車しドアを開くと赤いランプが点滅し、一時停止標識STOPが開きます。

スクールバスの後方を走る車は黄色灯が出た時点で減速し、車線の数にかかわらず追い越しをしてはなりません。対向車も中央分離帯がない限りは同様で、スクールバスが対向車線に停まっている場合、スクールバスより先へ進んではならない規則となっています。

スクールバスは大柄な車体のために、運転手から見て乗降客や周囲の歩行者を危険にさらすような死角も多いのです。こうした状況を改善するために、設計や規格では客席窓、フロントガラス、車体、ミラーなどといったものは出来るだけ大きなものを取り付けられました。更に、スクールバスの車体はいくつかの非常口が備え付けられ、衝突や横転時にも車内を守るロールケージ構造となっています。ロールケージとは車の中を張り巡らせる鉄の柱のことです。万が一の場合でも速やかに車外へ避難できるようになっています。

スクールバスは一般の車両とは大きく違った車体ミラーの装備を有す。スクールバス設計において死角の減少は最重要課題であり、年式が新しい車両ほど窓やミラーは大きく、死角は少ない傾向にあります。他車からの視認性を高めるために、スクールバス車体後部に反射テープを貼るよう取り決めをしている州もあります。その他、バンパーに遮断機が取り付けられたスクールバスやイギリスでは、スクールバスに監視カメラやGPSのトラッキング装置が取り付けられたスクールバスもあります。

車社会の風景 その五 子供の安全とスクールバス

日本では子供の多くは歩いて学校に行きます。全校生徒が歩いて通学というの日本だけかもしれません。子供だけで登下校ができる日本の治安の良さは、外国人には驚きです。もっとも交差点などには親が順番で旗振りなどをしなければなりませんが。

北米、ここではアメリカとカナダでは、徒歩通学の生徒もいますが、スクールバスの利用者が一番多くなっています。北米では、地下鉄やバスが発達している地域に住んでいたとしても、子供が1人で交通機関を利用して通学することはできません。12歳以下の子供は、必ず保護者同伴という決まりがあります。

北米のスクールバスは通学や郊外活動の際に生徒を乗せることを目的として設計・生産されたバス車両のことをいいます。「夕暮れや早朝でも最も見やすく、車体のレタリングとの対比も容易な色」として黄色が選ばれました。「スクールバス・イエロー」として北米スクールバスの標準色となっています。

ちなみに米国内の約40%の校区は、スクールバスを代理運行する民間会社のスクールバス・コントラクター(School bus contractor)に運行委託しています。スクールバスは通学下校だけでなく、遠足や音楽会、対外試合などの運送でも使われます。

アメリカ連邦政府はスクールバスに関する多数の安全規定として「スクールバスのための連邦自動車安全規格 (Federal Motor Vehicle Safety Standards) を設けています。これにより、スクールバスの設計が見直されることとなりました。その最たるものでは、車体の板金を衝突安全性を考えてより丈夫なものとすることや、背もたれを高くし詰め物を増やすという改良がなされます。万一の衝突の際の衝撃を減らすためです。

車社会の風景 その四 運転のマナーとサンキューホーン

始めて韓国第三の都市大邱に行ったときです。大学の先生が車で駅まで迎えにきてくださいました。市内に入ると大渋滞です。驚いたことに、その先生はクラクションを鳴らし、「そこどきなさいよ」、と叫ぶのです。バンパーは傷だらけです。バンパーは車体を保護する緩衝装置ですから、傷つくのも当然です。以前の車のバンパーには、ゴムやぎざぎざがついていました。

私は運転するのはあまり好きでも得意でもありません。高速道路では大抵は法定速度プラス15キロ程度で走ります。姪を乗せて運転するとき、彼女は「もっとスピードをだしなさい!」と余計な注意をしてくれます。私の信条として車間距離もたっぷりとるので、すぐ割り込まれます。割り込んでもお互いに目的地に到着するのは同じ時刻だろうと思うのですが、、、、

左折しようとする車に進入を譲ると、大抵は短くピッとサンキューホーンを鳴らすのが日本の運転手。私の意見ですが、無理にお礼はしなくて良いと思います。夜間や雨の日は、サンキューハザードくらいでOK。それも一瞬です。長々すれば、周りにも迷惑になります。自分から親切にしておいて「譲るけど、挨拶せーよっ」とむっとするのも変です。

アメリカではサンキューホーンはなしです。警笛の目的外使用を禁じているからです。サンキューハザードもなしです。

車社会の風景 その三 自転車天国

最近、駅前などにレンタル自転車置き場を見かけるようになりました。近くにある川越市自転車シェアリングもそうです。最初の40分はただ、一日借りても200円です。

自転車は大変普及していますが、自転車のための道路が誠に貧弱なのが日本です。そのためにどうしても歩道を自転車で通ることになります。さすがにサイクリングをする人は車道を走っていますが、子供の送迎で忙しい母親は歩道を走っています。歩行者もうかうかできません。スマホを操作する歩行者にも困惑します。

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長く住んでいたウィスコンシン(Wisconsin) の州都マディソン(Madison) のメインストリートに内側から歩道、バスレーン、自転車レーン、自動車レーン、そして反対側に自動車レーン、自転車レーン、バスレーン、歩道となっています。娘婿も毎日ヘルメットを被り片道40分の自転車通勤をしています。自転車専用道路が完備しているからです。

オランダのアムステルダム(Amsterdam) に行ったときに、雨の中をペダルをこぐ人が多いのに驚きました。ダウンタウンでの夕食で友人家族も招待しました。彼らは雨の中を自転車でやってきました。海洋性のため、夏は暑すぎず、冬は寒すぎることがない国です。坂がないので自転車は楽です。山もないので天気予報が難しいいわれます。雨が多く運河の発達した国柄、自転車専用レーンの完備は自転車の普及をこうまで広げているのかと感心したものです。

車社会の風景 その二 バスとタクシーの利用

後期高齢者に運転免許状の返納が推奨されています。高齢者の運転事故の件数が増えているからだといわれます。事故の増加は当たり前です。高齢者人口が増えているからです。正しくは、高齢者による事故の割合は以前と変わらないというべきです。単に母数が増えたのです。

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免許状の返納は悪くはないとしても、都会や田舎で車を必要とするのは高齢者です。そうした人々の足を確保することと並行して、返納を呼びかけるべきです。都内を歩くと公共のミニバスが目だちます。値段も通常のバスと変わらないとか、好きなところで乗降できるのもあるそうです。

多くの自治体は、障害者手帳によって福祉タクシー券発行しています。年間28,800円位です。電車共通カードやタクシー利用券を70歳以上の人々に発行する自治体もあります。東京都は、交通機関のうち東京都の区域内の停留所や駅相互間に限り、電車やバスを利用できるシルバーパスを貰えます。納税者の場合は20,510円となっています。頻繁に電車やバスを利用する人には便利でしょうが、、

こうした公共交通機関を利用できる高齢者は、まだまだ足腰がしっかりしているということです。日頃から足腰を鍛えておかないと買い物も余暇も楽しむことができません。車ばかり利用しているとどうしてもバスや電車を使うことは億劫になりがちです。高齢者を問わず、若い人も車の利用は控えめにして、歩いたり自転車に乗って健康の増進をはかることが大事です。